「ああっ! ちくしょう!! 見失っちまったじゃねぇか!! 俺を!!」
「モラトリアムだな」
「ふふっ!」
追いついたと思った途端これだ。こんな状況なのに吹き出してしまった。
「おい桜花! 笑ってる場合かよ?!」
「いや、笑うでしょこれは」
「笑ってる場合でも、そんな分かりづらいツッコミしてる場合でもねぇんだよ! つーかクラスの奴らの記憶はちゃんと消えたんだろうな?!」
「そこは抜かりなく」
ニヤリと笑って、親指を立てた。
「いやぁ、良い物を見た」
ちなみに写真も撮りました。良い絵が撮れたよ。
「お前……もしかして全部分かっててワザと止めなかったのか?!」
「そりゃ、故意だけど」
「意味分かんねーよ止めろよ馬鹿かお前!!」
「いやいや。あんな面白いもの、止める理由がないって。もったいない」
「もったいない訳があるかっ! 俺……ていうかアイツは俺の身体使って……き、ききき……」
「キッスをしたようだな」
「だああああっ!! 言うなボケ恥ずかしい!!」
初心なやつだ。そして、接吻など挨拶のようなものだという、書物から得たであろう知識を披露するルキアもきっと、実際は同じくらい初心に違いない。私も……まぁ、似たようなもんだけど。
そして、ルキアによる改造魂魄の説明が始まった。
が、そんなにのんびりしていて良いハズもない。
「ねぇ、説明はいいけどさ。せめて歩きながらにしない?」
「あ、あぁ。そうだな。行くぞ一護」
「おう。……それで? その改造魂魄が何だって?」
そうして説明を受けながら、私達は改造魂魄を探し回る。
実はもう改造魂魄の霊圧は小学校付近に見つけていたりするんだけど、それを二人に告げる気はない。それに一護がちょっと怪我しちゃうことだって、私は知っている。
悪いね、一護。したとしても軽傷だろうし、それくらいなら私が責任持って治療してあげられるから。
改造魂魄を探し始めて数十分、二人がそろそろ見つけないとマズいんじゃないかと焦り始めた頃、ルキアの伝令神機が思い出したように電子音を発した。
確か、虚と改造魂魄が戦ってるところに乱入するんだっけか。
伝令神機に従って……というか虚の気配に従って走る。方向は、夏梨や遊子が通う小学校付近――お、あれかな?
「見えた! あれか!?」
「ムカデだ……気持ち悪」
「言ってる場合か! ……まてよ、もう既に誰か戦ってんじゃねぇ――」
そこまで言って、一護が息を呑んだ。
もう肉眼でも見える距離だ。一護の身体に入った改造魂魄が、虚に向き合っているのを見つけたんだろう。
「む、あれはもしや改――」
「あのボケェ……!!」
「あっ!? おいコラ一護っ!?」
怒り心頭、といった形相で一護が駆け出した。これでは、生身のルキアは追いつけないだろう。
「ルキア、抱えて連れて行こうか? 義骸じゃ走るのしんどいでしょ」
「……そうだな、頼む」
遺憾そうに眉根を寄せて考え込んで、それからルキアはボソリと呟いた。
分かるよその複雑な気持ち。似たような見た目だもんね、私達。
「なら、ちょっと失礼してっと」
「ひゃあっ?! なっ、何故こんな……」
「俵抱きよりマシだと思ってさ」
「いや、それは……そうなのだが……」
いわゆるお姫様抱っこってやつだ。真っ赤になって悲鳴を上げられたが、気にしないようにしつつ地を蹴って走る。二、三歩目で地を離れて、今度は宙を踏みしめた。瞬歩は使わない。生身にはキツいかもしれないからだ。
「てんめこの、ケガしてんじゃねぇか!! 誰の身体だと思ってんだコラァ!!」
屋上に降り立ってルキアを下ろす。
ちょうど一護が、改造魂魄に掴み掛かって怒鳴りつけていたところだった。
「こんな雑魚にそんな血塗れにされるぐらいなら戦おうとかすんじゃねぇよ!!」
一護が怒鳴りつつ、同時に振り返りもせずに刀で虚を突き刺した。悲鳴が上がる。
そして、そんな一護に改造魂魄が勢いよく言い返す。
「何言ってんだ! あんたがさっさと来ないからオレが戦ってたんだろ!」
一護達を食い入るように見つめているルキアを他所に、私は屋上のフェンスに腰掛けて観戦モードだ。
「うるせぇっ!!」
二人の声が重なって、一護の斬撃と改造魂魄の蹴りが同時に炸裂した。これで虚の仮面は割れた。あとはもう、放置しておけば勝手に消えるだろう。
それなのに。
「……優しいんだね」
改造魂魄は吹き飛んだ虚を追いかけた。追いかけて、着地する前に蹴り上げた。
どうしてこんなことを、と怒る一護に改造魂魄の示した答えは「アリの行列を潰さないため」だった。
「オレは……オレは何も殺さねぇんだ!!」
そして、改造魂魄が過去を語り始めた。
重い話だ。魂を作り出すなんてロクなもんじゃない。普通の神経をしている者なら、手を出すことのない実験だろう。
そして私は、そんな実験にも平気で手を出す
――まぁ、今はそんなことどうだっていい。
私は、本音を叫ぶ改造魂魄を見つめた。
生殺与奪を他人に握られ、自分は自らの意思で動くこともままならない。それはきっと、私には想像もつかないほど恐ろしいことなんだろう。
「こうして生まれてきたんだよ! 自由に生きて、自由に死ぬ権利くらい、あるハズじゃねぇか!!」
だからこそ、優しいなと思う。
「虫だろーが人間だろーが、オレ達だって同じだ。だからオレは殺さねぇ……何も、殺さねぇんだ……!」
そこで諸悪の根源である死神達に復讐しようとか、何の疑いもなく当然のように生を享受する人間達が妬ましいから皆殺しにしてやるとか、そういう方向に思考が向かないなんて。
漫画を読んだ時は特に気にも留めなかったったけれど、こうして場面に立ち会ってみるとよく分かる。
こいつは、今まで私が死なせてきた人と何ら変わりない、命を持った存在だってことが。
「――あなたさ、約束できる?」
だからだろうか。気がついたら、そいつに話し掛けていた。
「二度とこんな騒動は起こさない、って」
「え? 何を、言って――」
「できるなら、破棄を無期限延期するよう説得してみるけど。どう? 悪い提案じゃないと思うよ」
「……!?」
改造魂魄が息を呑んだ。破棄、という言葉に驚いたか。それとも――
「おい桜花、破棄って何だよ」
「何って、破棄は破棄だよ。見たところ、ウチの店の不手際が原因でしょ? だったら後始末するのもウチの仕事だから」
「もしかして、初めっからそうするつもりで……?!」
「そりゃそうでしょ。人に害なすやつは、さっさと捕まえて処分しなきゃマズいからね」
「おい……何言ってんのか分かってんのかお前!」
一護が、つかつかと歩み寄ってくる。
「コイツには意思があるんだぞ?! それを破棄って……そんなの、ほとんど人殺しじゃねぇか!!」
「人殺し、ねぇ……」
あながち間違いでもないのが、痛いところだ。
ただ早とちりというか、勘違いも甚だしい。
私は静かにフェンスから飛び降りた。遥か上にある一護の顔を見上げる。
「……あのさ、人の話聞いてた? 大人しくしてるなら、破棄しないように喜助さんを説得するって言ったでしょうが」
「あ……」
一護が言葉に詰まって黙り込んだ。
「言いたいことは分かるけどさ……もしそいつが殺人に走るような凶暴なやつだったら、嫌でも手を下さなきゃならないことくらい、一護にだって分かるでしょ? 私はその可能性も考慮に入れて動いてたってだけの話」
「…………」
「でも今の話を聞いて、そいつを死なせるのは違うんじゃないか、って思った。だから大人しくしてろって言ったの」
それにしても、だ。
こんな話をしなくたって、こいつが破棄されないのは事実として知っている。だから私は黙って様子を眺めているだけでよかったのに、どうして……
「あー、その……悪い、酷いこと言って」
「ううん、一護は間違ってないよ。人を殺しちゃいけないって、常識だからね」
「そりゃまぁ、そうだけどよ……」
「――んで? 改造魂魄くん、返事は?」
悪い、とモゴモゴ呟いた一護に笑みを返して、未だに固まったままの改造魂魄に向き直る。
私の言葉に、俯いていた彼の肩がびくりと跳ねた。そんなに怯えないでほしい。私が虐めたみたいで、いたたまれないじゃないか。
「……分かった。もう騒ぎは起こさねぇ」
改造魂魄の返事は、思いの外早かった。
「約束だよ?」
「おうよ」
再度問うと、彼は落ち着いた態度を取り戻して、そう返してくれた。
結末は知っていたけれど、こうなってくれてよかった。私は内心、ほっと息をついた。
「おーやおや。やーっと見つけたと思ったら、ボロボロじゃないスか」
聞き慣れた声がした。深緑の羽織が、風に煽られて翻った。
「あれ、改造魂魄を捕まえに来たにしては軽装だね。皆は?」
唐突に現れた喜助さんに、一護もルキアも改造魂魄も、呆気にとられているようだった。
私はさらりとその雰囲気に乗っかって、喜助さんに話し掛けた。
「桜花がいるみたいだったんで、人数も準備もいらないかと思いまして……っと、これで完了っスね」
なんて話しながら、喜助さんは片手間で義魂丸を抜き取った。中に一つの魂が入っているようには思えないほど軽い音を立てて、小さな玉がコンクリートの上に転がった。
私は黙ってそれを拾い上げる。
「さて、と……帰りましょうかね」
私達の会話を盗み聞きしていたであろう喜助さんは、まず間違いなく今までの話の流れを全て把握している。その上で、何も知らないふりをしている。
どうやら、私が引き止めて喜助さんが妥協するという茶番が必要らしい。
「ねぇ喜助さん。この改造魂魄、処分しないでほしいんだけど。そういうのは無理かな?」
「えぇー……色々と面倒なんでさっさと処理したいんスけど」
えぇー、じゃないよ。わざとらしい。
「なぁ、浦原さん」
さて、これからどうやって話を持っていこうかと考えた、そんな時だった。
口を開いたのは私ではなく、私と喜助さんのやり取りを呆然と眺めていたはずの一護だった。
「……何でしょう、黒崎サン?」
「はた迷惑な奴だったけどよ……でも悪いやつじゃねぇんだ。だから、そいつを殺さないでやってくれねぇか?」
「……私からも頼む、浦原」
一護と、そしてルキアが、喜助さんをまっすぐ見つめている。黙っていたルキアにも、思うところはあったんだろう。
喜助さんが感心したように小さく、へぇ……と呟いたのが聞こえた。
「……いいでしょう、分かりました。ただし……妙なことになったら、アタシら姿くらましますからね」
譲歩したように見せかけて、実は掌の上ってやつだ。姿をくらますってのも、半分冗談だ。喜助さんが重霊地である空座町から離れるはずもない。
「ねぇ。その場合、私は姿をくらます側? それともくらまされる側?」
「くらます側に決まってるでしょう」
「そっかぁ」
決まってるのかぁ。そっかそっか。
「何でお前はそんなに嬉しそうなんだよ」
「……そう見える?」
適当にはぐらかしつつ、ルキアに改造魂魄を渡した。
そして、魂の抜けた一護の身体の側に座る。手をかざして集中すると、私の手のひらから緑色の光が溢れた。
「お前……そんなこともできたのか」
「覚えといて損はないし……まぁウチにはプロがいるから、普段はあんまり使わないんだけどね」
怪我は見た目の派手さに反して浅いものだったようで、傷口が完全に塞がるまで五分と掛からなかった。制服が駄目になってしまったのは、もう諦めてもらうしかない。
「なぁ桜花、浦原さんって何者なんだ? 商店の裏稼業のことはこないだ聞いたけどよ、それにしたって怪し過ぎるだろ。何だよ、姿くらますって」
そうしている間に喜助さんは商店に帰ってしまった。
治療を終え、さて私も帰るかと立ち上がった時、肉体の中に入って起き上がった一護にそう尋ねられた。
何者って言われても……
顎に手を当てて考える。
「うーん……変態マッドサイエンティスト?」
「ただの悪口じゃねぇか」
これも間違いではないし、まさか現段階で本当のことを言う訳にもいかないし。
「私も気になってはいたのだが……あの男、ただの強欲商人ではないのだろう?」
「お前もほぼ悪口じゃねぇか」
ルキアも続ける。
で、どうなんだ? と二対の目が私に集中する――が、私に答える気はない。
「……企業秘密」
「え」
「は?」
「まぁ、そういうのは本人に直接訊けってこと」
戸惑っている二人を、意味深に口の端を吊り上げることで誤魔化した。
いずれ彼らも、喜助さんの正体を知ることになる。
でも、それはきっと今じゃない。
モラトリアムの下りがすごく好き。
かなり高度なツッコミだと思うのは私だけだろうか。