石田による傍迷惑な騒動の翌日。
無傷の千鶴と竜貴にほっと息をついた織姫と私に対して、三時限目が始まった頃に登校してきた石田は彼らのことを見もしなかった。
昨日だって、彼らに対する謝罪はなかったし……やっぱり私、アイツとは合わないのかもしれない。
「喧嘩でもしたのかな」
「喧嘩? あの石田が?」
あの真面目な秀才が遅刻、それも両腕に怪我をしていたとあって、教室はあからさまにざわついていた。
そして、その光景を見ても、全く動揺しない者が私を含め数名。一護、ルキア、織姫、茶渡、私、そして竜貴だ。
それぞれがそれぞれの思いを抱えて、この教室にいるのだろうと、どこか上の空で考える。
そういう私だって、頭から離れない物事があるから上の空な訳で。
「じゃ、これで授業は終わりね。お待ちかねの飯時だぞー」
気づいた時にはチャイムは鳴り終わっていて、私が我に返ったのは、越智先生の気の抜けた掛け声を聞いた時だった。途端に騒がしくなる教室内に、私は目を瞬かせてノートを見下ろした。真っ白だった。
「ねー浦原さん、ご飯食べに行こーよ!」
「んー」
級友の声に緩慢に頷くと、ノートをパタンと閉じて教科書と共に鞄の中にしまう。
――もう既に、
「あれ? 朽木さんは?」
「どこ行ったんだろ? なぁ桜花、あんた知ってる?」
ウチの高校からは距離があるものの、同じ町内だ。ルキアが見つかるのも時間の問題……恐らくタイムリミットは、今夜だ。
細かい原作の流れなんて忘れていたけど……そうか、これらの出来事は立て続けにあるんだね。
「ねぇ聞いてんの、桜花? 桜花ってば!」
「……え? あ、ごめん。何?」
「もう、朽木さんの居場所、知ってるかって訊いてんの」
「ルキア? んー……」
居場所なんて正確には分からない。
でも、原作知識なら持っている。確か、木の上にいたような。
「そうだなぁ……人気のないところだとは思うんだけど……」
「へー、そういうの分かるんだ!」
「まぁ何となくだけどね」
「第六感ってやつかな? 流石は双子ね」
ごめんなさい、原作知識です。
そもそも双子じゃないです。
そうしてルキアを探すこと数分。思っていたより早く見つかったルキアは、案の定一人で木の枝に腰掛けていた。
「おーい、ルキア。お昼食べよう」
「……桜花か。分かった」
ルキアの分の弁当を持ち上げてみせると、ルキアはこくんと頷いて枝の上から飛び降りた。
その身軽な動作に、千鶴を始めとした級友たちは感心したような声を上げた。それを見て、竜貴が訳知り顔で頷く。
「へぇ、やっぱり運動神経も似てるんだ」
「どういうこと? たつきちゃん」
ルキアのいた木の下で弁当を広げながら、織姫が訊ねた。
「だって桜花も、このくらい余裕で飛び降りられるでしょ?」
「木の上から? まぁ、そのくらいなら」
「えっ!? 浦原さんもできるの?」
「でもあんた、運動音痴じゃない」
みつると千鶴が口々に言う。
そんな二人に竜貴が手をひらひら振って答えた。
「まさかぁ。運動音痴振ってんのよ、この子は」
「言い方に悪意があるって……」
「でも本当でしょ。ホントはあたしより運動できるくせに、そうじゃないフリしてんの。運動部に誘われるのが面倒だからって、普通そこまでする?」
「するよ。私にとっては死活問題なんだから」
「大袈裟だなぁ」
みつると千鶴と夏井マハナの三人は、目を丸くして竜貴と私のやり取りを見ている。
でも、国枝鈴は――
「たつきより運動神経が良い、か……ねぇ、桜花。あなた100メートル何秒?」
怖い。目が笑っていない。
静かにそう問い掛けてきたのは、今まで黙っていた鈴だった。
「えっと……その、本気出して走ったことがないから、何とも……」
「ふぅん。じゃあ、14秒は切ると思う?」
「えぇ……14秒? ごめん、基準が分かんないから……」
「分かったわ。じゃあ、ちょっと走ってみましょう」
「ほらぁー! こうなるから嫌なんだってば!」
私が嫌そうに叫ぶと、竜貴と織姫が楽しそうに笑った。
しかし、14秒か……瞬歩だったら余裕で1秒切るからなぁ……
「ウソウソ、冗談よ」
「……冗談に聞こえないんだけど」
だよねぇルキア、と同意を求めると、ルキアは曖昧に笑って頷いた。そして、黙ったままストローに口をつけた。
……どうしたんだろう?
「ところでさ。朽木さんって黒崎のこと好きなの?」
「……はい?」
マハナの唐突な言葉に、ボフッと音を立ててルキアがオレンジジュースを噴き出した。ボタボタ液体を垂らしながら、固まっている。
数年前、黒崎夫妻との会話中に私もオレンジジュースを噴き出してしまったことを思い出しながら、未使用だったハンカチを差し出す。
「ほら」
「……す、済まぬ」
「ていうかぶっちゃけ今、黒崎とどういう関係?」
「ちょっとマハナ! その訊き方ストレートすぎるよ!」
みちるがマハナをたしなめたが、マハナは全く気にしていないようだ。
一方で千鶴は、頼み込むようにルキアの手を握り「ヒメの純潔を我が手に!!」なんて宣言している。相変わらず千鶴はヤバいな。
「千鶴ちゃん……」
「昼間っからデカい声で何つー台詞を吐いてんだ、あいつは……」
「で? 結局のとこどうなのよ? 黒崎のことどうこうって訳じゃないの?」
呆れる竜貴と織姫。そして、マハナは身を乗り出した。
それに対してルキアは、さっきと同じ曖昧な笑みを浮かべて首を横に振った。
「あやつは……ただの、友人だ」
「え、ホントに?」
「恋愛感情ないの……?」
「ないな」
「これっぽっちも?」
「あぁ」
恋愛の話にならなかったことに、女子たちは残念そうだった。
うーん、一護とルキアか……ないこともないとは思うけど……
「じゃあ桜花、あんたは?」
「……はぇ?」
次の被害者は私らしい。
思わぬ指名に変な声が出た。
「むしろ本命はこっちなんじゃないかって、私は思うのよね」
「ちょっと、マハナってば!」
みちるが注意するが、楽しげなマハナは止まらない。
今度は竜貴や織姫も興味があるようで、揃って私を見つめている。
「は? 本命?」
「あー……この際だから言うけど、クラスの連中はだいたいそう思ってるよ。あんたと一護が付き合ってるんじゃないかって」
「えっ!? 桜花ちゃんも黒崎くんのこと好きだったの?!」
竜貴の思わぬ言葉に、織姫が驚きの目で私を見た。
……え、何これ。どういうこと?
「ごめん、ちょっと待って話がよく分かんない。一護と付き合ってるって? 私が?」
「そーそー。小六ぐらいの頃から噂はあるんだけどさ、あんた気づいてなかったの?」
「何それっ! そんなに前から?!」
「やだ、早く言ってよ! そんな面白いこと!」
高校からの友人たちも、織姫と同じく驚いているようだ。
……いや、それ以上に私が驚いてる。
小六から? そんなに早くから噂が立っていたなんて。
「あんたと一護、昔っからやたらと距離が近かったからね。そう思われても仕方ないって」
「距離は……そりゃ、近いけど……」
「ありゃ。ホントに気づいてなかったのね」
竜貴がやれやれと首を振る。
「あんたが中学高校と誰にも告られなかったの、誰のせいだと思ってんのよ」
「誰のせいって……単純に私がモテなかっただけじゃ?」
「まさかぁ。その見た目と性格で、一人も男が寄ってこない訳がないじゃない」
「……そうかなぁ」
「そうだよ。自覚なかったの?」
外見については、自信がない訳ではない。遺伝子学的にそれは証明されている。
でも、中身は……うーん。
「そういうのはだいたい一護のせいよ。しょっちゅうコワモテ不良の一護と一緒にいるのに、そこらの男共が近づけるハズがないでしょ?」
「それは、確かに……」
そういえば、学校の帰りに時々不良に絡まれることがあった。その度に一瞬で伸した上で記憶を改ざんしてたんだけど、もしかしたらそれはそういうことだったのかもしれない。黒崎の女を捕まえてやろう、みたいな。全くもって、見当違いも甚だしい。
「ねぇ、黒崎って桜花のことが好きなのかな?」
「もう! マハナ止めなよ! 織姫だっているんだよ!」
「……あ、そっか。ごめん」
ついにみちるが怒り始めて、流石のマハナも我に返った。が、そんなことを気にする織姫じゃない。というか、そんなことに気づく織姫じゃない。
「え? 何であたしがいると駄目なの?」
「は?」
「それは、その……」
「あー、はいはい。分かんないなら気にしなくても良いんだよ、織姫」
「……?」
ぽんぽんと竜貴に撫でられた織姫の頭から、次々と飛び出すクエスチョンマークを幻視しそうだ。
この子は多分、大丈夫だ。そう判断して、私は口を開いた。
「一護と私はね、姉弟みたいな関係なんだよ」
「キョーダイ?」
「そう。小一の初対面で、ちょっとビビらせちゃってさ。それ以来、上下関係って言うの? そういうのができちゃったんだよね」
「あの黒崎をビビらせるって、どんな子どもだったのよ……」
「桜花は昔っから変な子だったよ」
「ちょっと竜貴、別に普通だってば。まぁ、ともかく……未だに本人は認めないけど、私はあいつのこと弟みたいに思ってる。当然、そこに恋愛感情はないよ」
仮にあれがワザとだとしても、姉を守ろうとする弟の行動だと思えば納得だ。
「だって、かわいい弟に恋するやつはいないでしょ」
「かわいい……黒崎が……?」
「ごめん、ちょっと私らには辿り着けない境地だわ」
「これは……恋人というより飼い主ね。猛犬の」
酷い言い草である。
これくらいなら、別によくある関係性なんじゃないの? 幼馴染だって、恋愛に発展しない関係だってあるんだから。
「酷くない? ねぇ、ルキア」
「……あぁ、そうだな」
やっぱりルキアがおかしい。
私と色違いの瞳の中にあるのは、漫画通り仲良く話す学生達への羨望、だろうか? いや、それだけじゃない気がする。何だろう……もっとこう、寂しそうというか……
もしかして、喜助さんが何か言ったんだろうか?
「そっかぁ、でも残念だなぁ。桜花ちゃんと朽木さんも黒崎くんのことが好きなら、三対一で私たちの圧倒的勝利だったのに」
「まーたこの子はワケ分かんないことを……」
皆、織姫の頓珍漢な発言に呆れているだけで、ルキアの異変に気づいている者は一人もいない。
私は授業に支障が出るほど上の空でも、話をするだけで気を紛らわせることのできる友人がいる。けれど、現世に来たばかりのルキアにはそこまでの関係性の人物はいない。姪である私ですら、記憶がない以上そういう存在にはなり得ない。
ルキアの様子が変なのも、それに誰も気づかないのも、きっとそういうことなんだろう。
だからこういう時は、せめて気づいた私が悩みを聞いてあげるべきだし、できるならそうしてあげたいし。
でも……そういう訳にも、いかないんだよなぁ……
内心ため息をつきつつふとルキアに目をやると、紫の瞳が私を見つめていた。
何? と首を傾げると、穏やかな声で何でもないと返された。
思ってたより石田に激おこの方が多くて笑いました。