久々に、昔の夢を見た。
私の記憶は夢を通してしか戻ってこなかったけれど、それでも三歳までのほとんどの出来事は思い出していた。
けれど、今回のものは初めて見る夢だった。だから知らなかった。
「……はは」
頬が妙に冷えていて、触れると僅かに湿っていた。呆れて、掠れ声で笑う。また、泣いてたのか。
記憶の中の父様は相も変わらず物静かで……それなのにとんでもなく親馬鹿で、優しかった。
漫画の中で、ルキアを席官に就かせないように取り計らっていた、あの不器用さも私には理解できる。父様は、そういう方だ。
「あ、そういえば……」
私は確か、喜助さんと二人で父様の元へと向かって、そして――
「父様っ……!!」
跳ね起きる。
ここは、自室だ。
おかしい。記憶がないなんて。
まるで父様の姿を認めたその瞬間から、ぷっつりと意識が途切れたかのように。何も、覚えていない。
私はのっそりと立ち上がって、窓の外を見る。
――外は、明るかった。
「喜助さんかっ!!?」
何だろう、前もこんなことがあったような。
妙なデジャヴを感じながら、私は扉を蹴破る勢いで開けた。階段を駆け下りる。
現在、夜一さんは外出中。
鉄裁さんは居間。
昨日で小学校も終えた子どもたちは店番。
そして――
「ちょっと喜助さん!! 何があったの!? ていうか私に何したの?!」
「…………」
「起きろ!!」
「うわっ……!!」
敷布団を引っ掴んで容赦なく持ち上げると、眠りこけていたその人は悲鳴を上げて畳に転がった。そして、壁にぶつかって止まる。
「痛たた……寝てる人に何てことを……」
「昨日、何があったの?!」
「布団返してくださいよ……さっき寝たところなんスから……」
「昨日! 何があったの?!」
「……霊圧が漏れそうだったんで、止めたんスよ」
畳に仰向けに寝転んだままの喜助さんが、寝癖で毛先があちこち跳ねた頭をかきつつ、ぼそりと呟いた。
そういえば、霊圧遮断型外套の着用を断ったんだった。私は自力で霊圧を消せるから、大丈夫だと判断したんだっけ。
あの時は確かに吸い込まれるように父様に釘付けになっていたし、あのままでいれば感情の揺れと共に霊圧が漏れ出てしまっていてもおかしくなかったのは事実、か……
「あのままだと、確実に彼らに見つかっていたでしょう。だから外套を着ろと言ったのに……」
「いや……うん、ごめん。それは私が悪かった」
それに関しては私に非がある。
上の空でマトモな判断ができなかったこと、そして案の定霊圧が不安定になってしまったこと。
でも、である。
「――でも、さ」
「え?」
でも私が怒っていたのは、そのポイントに対してではない。
そもそもの問題として。
「次の日まで気絶させる必要、あった?」
「…………」
喜助さんが滑るように目を逸した。
「時計見える? 今何時かな?」
「……朝の、九時」
「正! 解!」
「ちょっ……!」
喜助さんの最後の砦――大事そうに掴んでいた掛け布団も引っ剥がしてやった。
「すいませんって! ちょっと縛道の調節をミスっちゃったんスよ!」
「ミス、ねぇ」
ミス? よりにもよって喜助さんが縛道の調節をミスった?
まさか、そんなハズはない。
「今日って終業式なんだよね。知ってた?」
「当たり前でしょう」
「もう間に合わないよね」
「義魂丸に向かわせたんで、大丈夫っスよ」
「一護、立ち直れた?」
「それも、ご心配なく」
「……父様は、私に気づいてた?」
「…………いいえ」
「そっか」
――ミスだなんて絶対に嘘だよ。追及しないのかい?
心の中に響いたのは斬魄刀の声だ。
追及は、しない。したいけど。
――へぇ、どうして?
分かってるくせに。
そう言葉を返すと、彼はけらけらと楽しそうに笑った。
――まぁ、そうだよね。それでずいぶん、助けられた訳だし。
そうだよ。そもそも訊いたって答えてくれないだろうし。どうせ変な気を遣ったとか、何かの策略があるとか、そんな感じでしょ。
「……一護は、学校終わったらすぐに来るの?」
はぁ、と大きなため息をついて掛け布団を投げ渡すことで、「ひとまずこの話は終わりだ」と示してみせる。喜助さんは、私の切り替えにすぐに反応した。
「……でしょうね。薬も渡しましたし、万全の状態で戻ってくると思いますよ」
「薬……嫌な予感しかしないんだけど」
「大丈夫っスよぉ、ちょーっと細胞分裂のスピードを上げるだけですから」
「あ、そう……」
もう寝るのは諦めたのか、ヘラヘラ笑う喜助さんが布団を畳みながら言った。
◇ ◇ ◇
そして、正午を少し過ぎた頃。
義魂丸入りの私の義骸が帰ってきて……そしてその一時間後に、私服姿の一護がやってきた。
「よろしくお願いします!!!」
大気が震えるほどの大声で叫んで、一護が頭を下げた。何があったのかと問う喜助さんに「別に何も」と答え、そして店先に立つ私に向き合った。
やけに眩しい、強気な笑顔が私に向いた。
「見てろよ、桜花」
「……は?」
「お前が護りたいもん……オレが全部、護ってやるからよ」
驚きと混乱で、二の句が継げなかった。
一護が何を言いたかったのかは分からなかった。けれど、ニカッと笑ったその顔には見覚えがあった。
そうだ。あの顔は、昨日の。
「おい、何ボンヤリしてんだ。修行、地下でやんだろ? 早く行こうぜ」
「……え?」
一方で、言いたいことを言ったらしい一護は、すっきりした表情で私の肩を叩いた。そして、既に店内に入ってしまった喜助さんの後に続いて、私の横を通り過ぎていった。
「ちょっと、何? どうしたの、急に――」
「何だって良いだろ。ほら、早く来いよ」
良い訳がない。
が、その張本人は店内にいる。仕方なく私もそれを追いかけ、『本日閉店』の紙を扉に貼り付けて駄菓子屋の引き戸を施錠した。
「お前が護りたいもん」が何なのか訊ねても、一護は「何でもない」の一点張りでついに教えてはくれなかった。
その後……してやられた感じがしたのが何だか悔しくて、チマチマと梯子を降りる一護を引っ掴んで一気に地面まで飛び降りてやった。
殺される直前のような悲鳴を上げた後、ぐちぐちと文句を言っていた一護を、ジン太が指をさして笑っていた。
「桜花、テメェ……!!」
「まーまー。大人になりなよ、一護」
「お前が言うな!!」
肩を怒らせていた一護だったが、しばらくして諦めたように息を吐いた。
「ったく……まぁいいや。時間がねぇんだろ? さっさと始めちまおうぜ」
「おや、良い心掛けっスねぇ。そんじゃ、お望み通り……」
喜助さんが、ひらりと杖を振り上げる。そして、一護の額を一突き。
「さっさと始めましょ」
「おギャー!!!」
本日二度目の絶叫だ。
ただ単に魂魄を抜き取るだけにしては突き飛ばす力が強過ぎな気がするが……お気の毒に、としか言いようがない。
今から一護は父様に壊された、霊力の発生源である
「……よ、よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げたのは、二人分のサポーターを抱えた
「これ……ちゃんとつけてくださいね……」
雨は自分のヘッドギアを装着し、グローブをはめる。
そして、一護の分のサポーターをボトボトと地面に落とした。
「死にますから」
一護がそれらを拾うより早く――雨が、地面を蹴った。
爆音と共に硬い地面が砕ける。砂埃が舞い、一護の姿は見えなくなった。
一応漫画とは違って、拳が当たっても死なないようにサポーターを加工してあるとはいえ……心配だよなぁ……
「――あ、出てきた」
しかし、一護は無傷で煙の中から飛び出した。そして、雨をスルーしてサポーター目掛けて駆け出した。
「おおっ! 向かっていった! スルーした!!」
「……楽しんでるね、皆」
「えぇ、そりゃあもう」
「楽しまなきゃソンだろ」
「……私は楽しんでませんぞ」
「まぁ……鉄裁さんはそうだろうね」
ホッと胸を撫で下ろす私の横で、喜助さんとジン太は完全に観戦モードだ。否定する鉄裁さんだって、割と他人事な雰囲気である。
というか、そもそも最初の一撃を躱した時点で第一段階はクリア、じゃなかったっけ?
あーあ……頑張れ一護。私は応援してるよ。
「どうやって着けんだよコレー!?」
「黒崎サン黒崎サン!」
全力疾走しながら、拾ったヘッドギアを握りしめて叫ぶ一護に、喜助さんが声を掛けた。
……うわぁ、悪い顔してるなぁ。
「おでこにこうやってくっつけて、思いっきり叫ぶんス。『受けてみよ、正義の力! 正義装甲ジャスティスハチマキ!! 装・着っ!!』」
「そ、そうか! こうやっておでこにくっつけて……って、できるかー!!」
見事なノリツッコミと共に、一護はヘッドギアを投げ捨てた。けれど雨の追撃は止みそうにない。仕方なく、一護は例の恥ずかしい詠唱をこなしてみせる羽目になった。
「うっ……受けてみよ、正義の力! 正義装甲ジャスティスハチマキ!! 装・着っ!!!」
こういうのを、事故現場っていうんだと思う。
「うわぁ……ホントにやっちゃったよ、この人……」
「てめえ!!!」
ドン引きする喜助さん。そして、身体を折って爆笑する私。
「おい桜花ァ!! お前も知ってただろ!」
「いやー……あははっ……お、応援してるよ……頑張れ、いち――ぶふっ!」
「てんめぇ……」
そうしているうちに一護は何とかヘッドギアを装着し、ついには雨の攻撃を正面切って躱せるようになった。
そこで私は、そっと喜助さんに訊ねる。
「ねぇ。これ、いつ止めるの?」
「そろそろっスねぇ」
「そろそろっていうか、最初の一発で止めても良かったんだけどね」
「それは言わない約束っスよ」
のんびりと話してはいるが、事態はなかなか不思議なことになっている。
逃げの一手から正面からの殴り合いにシフトチェンジした一護が、予想外に強かったんだ。
むやみやたらと拳を突き出すのではなく、適切な場所に、そして適切な速さで繰り出される突き。この無駄のない動きは、チンピラ共との喧嘩から得たものでは決してないハズだ。
「しっかし……ものすげー攻めるな、アイツ」
「これは予想外っスねぇ」
――これはもしかして、空手?
そう思い当たったその時、ついに決着がついた。
雨のヘッドギアに掠らせた拳が、雨のバランスを崩し……後は体格差を利用した一護が雨を押さえ込んだ。一つの掠り傷も負わせずに、である。
「よっしゃあ!!」
勝鬨は上げたものの、すぐに雨の上から退けた一護が、悪かったなと雨に手を差し出す。怪我のない雨は暴走などせず、それどころか普段の雨の様子のまま恐る恐るその手を取った。
「勝っちゃったよ……」
目が点になる思いだった。
これって漫画では負けてたよね? 我を忘れた雨に蹴られて終わり、だったような気がする。それなのに何故……と考えて、ふと先程頭を過ぎった単語を思い出した。
――空手だ。
「いやはや、まさか勝てるとは……何かの武道でもやってたんスか?」
「四歳の頃から空手をな。一応、黒帯は持ってる」
「黒帯?! いつの間にそんな……」
そういえば、この世界の一護は未だに空手を続けている。
「いつまでもお前に護られてばかりじゃいられねぇだろ。だから空手だけでもって、ずっと続けてたんだ」
「あぁ、あの時の……」
バタフライエフェクトって本当に侮れない。
思い出されるのは、グランドフィッシャーを喜助さんが倒した翌週のこと。一護は確かに、私のことも護ると宣言していた。
あれ以降、空手に打ち込むようになったとは知っていたけれど、まさか黒帯を得るほどに強くなっているとは思わなかった。
「おい、浦原さん! この子を伸すのは無理だからな」
「分かってますって。間違いなくアナタの勝ちっスよ」
喜助さんが「ピンチ時に霊力が上がる」という説明をしている間に、私は無傷でヘッドギアを外した二人の元に歩み寄り、雨の頭を撫でる。
「相手が体格のある有段者じゃ仕方ないよ。お疲れ様」
「……うん」
そして、説明を聞き終えた一護の顔を見上げた。
「ここから先の修行……っていうか次の段階は、かなり厳しくなる。正直、私だったらやりたくないし、下手したら死ぬかもしれない。……それでも、続ける?」
「死ぬ」という言葉に表情が引きつっていた一護だったが、それでも続けるかという問いには即答した。
「当たり前だ。ここまでやって、引き返すも何もないだろ」
「なるほど。じゃあ、このまま――」
鉄裁さんが、大きな斧を振り上げた。
一護は、喜助さんと私に気を取られていて気づかない。
そして斧は、一護の因果の鎖を断ち切ってしまった。
「なっ……!?」
「――レッスン2に突入しちゃっても、構いませんよね」