傲慢の秤   作:初(はじめ)

34 / 80
連休で暇なので、ストックが溜まっていないにも関わらず投下。
硬い文章って書いてて楽しい。



三十四、護れなかったもの

 

 尸魂界(ソウル・ソサエティ)の最高司法機関、中央四十六室。

 死神の犯した罪は全てここで裁かれ、例え護廷十三隊の隊長であろうとその裁定に口を出すことは叶わない――そういう機関である。

 

 四十六室の構成人員は裁判官と、尸魂界の誇る賢者と()()()者たちである。

 しかし、彼らを本当に誇りに思っている者など、上層部の事情を何も知らない護廷十三隊の平隊員くらいのものである。

 何故なら立場が上の者だけが知っているからだ。彼らが、非常に頭の固い頑固者の集まりであるということを。

 

「第一級重禍罪・朽木ルキアを極囚とし、これより二十五日の後に真央刑庭(しんおうけいてい)にて極刑に処す」

 

 そして、罪人の属する家の当主であるために、裁定の場にいることを許された朽木白哉。六番隊隊長である彼も、四十六室の頑迷の程をよく知る者であった。

 

 だから、白哉は分かっていた。

 朽木家当主であり六番隊隊長でもある己でさえ、この決定を覆すことはほぼ不可能であるということを。

 

「……発言を、許してはいただけぬだろうか」

 

 それでも、白哉は口を挟まずにはいられなかった。

 

 ほぼ不可能……それでも、極僅(ごくわず)かながら可能性が残っているのならば、黙っている訳にはいかなかった。

 

「良いだろう。発言を許可する」

「感謝する」

 

 四十六室の賢者の一人が、尊大に頷いた。

 形ばかりの礼を述べ、白哉は一歩前へ進み出る。

 

「此度の義妹の仕出かしたことは、赦されることではない。当然、極刑を処されることに疑問などない」

 

 単に事実を述べただけの白哉に、何が言いたいのだろうと四十六室の賢者たちは一様に疑問を抱いた。

 しかし次に発せられた白哉の言葉は、彼が何を言わんとしているかを賢者たちに悟らせるのに、十分な意図を有していた。

 

「だが、そうせねば義妹の命はおろか、周囲にいた人間まで犠牲になっていたのもまた事実」

「ほう……」

 

 ざわつく四十六室から片時も目を離さず、白哉は床に片膝をついた。

 

「結果論ではあるが、義妹の愚かな行いが救った命もある。そのことも、ご考慮いただきたく存ずる」

 

 大貴族は、そう易易と頭を下げてはならない。

 そのため片膝をつくという行為は、朽木家当主という立場にある者として、最大限の礼の尽くし方であった。

 

「なるほど……貴様は、我ら四十六室の決定に異論を唱えるつもりでいるのだな」

「愚かなのは貴様の方だ。誰に向かって物を言っておるのだ」

 

 次々と飛び出す高慢な台詞に、白哉は不快な心情を表に出さないよう努めた。今ここで、彼らに反抗していては元も子もないのだから。

 

「そうではない。私は……この期に及んで、情けなくも義妹の減刑を乞うているのだ」

 

 四十六室のざわめきが、嘲笑に変わる。

 それを感じつつも、白哉は決して顔を下げなかった。

 

「自分が何を言っているか、分かっているのか?」

「大貴族の誇りはどうした。この、恥晒しめ」

「……恥など、いくらでも晒そう」

 

 恥晒し。その言葉は、確かに白哉の心に突き刺さった。

 けれど、彼は折れなかった。

 白哉は、芯の通った声で語る。

 

「掟を守り、貴族として在ることは、私の朽木家当主としての誇りだ。しかし……護るべき者を護ることもまた、私の誇りなのだ」

「それが、朽木ルキアとでも言いたいのか」

「その通りだ」

「……堕ちたものだな、朽木白哉」

「これを堕ちたと断ずるならば、それも甘んじて受け入れよう。私は、どんなに恥をかこうとも、私の誇りに泥を塗るような真似はしない」

 

 減刑を乞うことにより、朽木家を汚してしまうかもしれない。

 だが家族を見捨てて朽木家の看板を守るという行為の方が、当主である白哉の誇りを汚す耐え難い屈辱であったのだ。

 

「――当主である私が護らずして、誰が朽木家の者を護るというのだ」

 

 静かな、それでいて迫力のある宣言に、四十六室の者たちは確かに呑まれていた。

 

 広い空間が静寂に包まれた。

 

 けれど……それも数秒のこと。

 プライドの高い彼らは、自らが臆してしまっていたことに愕然とし、そして激昂した。

 

 そして、彼らは決して言ってはならないことを口にしてしまう。

 

「ハッ! 護るべき者? 笑わせる!」

「その『護るべき』妻子をむざむざ失った貴様が何を言うか!」

「…………っ!!!」

 

 視界が真っ赤に染まった。

 

 そう錯覚させる程の怒りが、白哉の全身を支配した。噴き出した強大な霊圧が大気を揺らす。

 

 むざむざ失った……確かにそうだ。

 私は二人を護れなかった。胸の奥に凝り固まったその後悔を、その悲哀を、今日まで殺して生きてきた。

 それを、何も知らぬ貴様等にあれこれ言われる筋合いはない――

 

「朽木白哉! 霊圧を抑えよ! 此処を何処だと心得る!!」

「っ……!」

 

 ぐっ、と声にならない息を押し殺して、荒れ狂う感情を必死になだめる。白哉は初めて視線を床に落として、無表情の仮面を顔に貼り付けようと唇を引き結んだ。

 

 ここで、これ以上霊圧を暴走させる訳にはいかない。落ち着け、と己を説き伏せる。

 そして、規則正しい呼吸ができるようになるのも待たず、白哉は絞り出すように言った。

 

「……済まぬ。少々、取り乱した」

 

 目を閉じる。

 

 緋真と添い遂げ、愛情というものを知った。

 桜花を授かり、一家の長としての役割を知った。

 そしてルキアを朽木家に迎え入れ、当主としてのもう一つの誇り――すなわち、朽木家の者を護るという誇りを知った。

 

 だからこそ救いたかった。

 けれど、二人を護れなかった。

 

 だから、今度こそ。

 

「再度、乞う」

 

 灰色の瞳を開いて、白哉は立ち上がった。そして、高みより白哉を見下ろす彼らの顔を見据えた。

 

「朽木ルキアの減刑を――」

「ならん」

 

 有無を言わさぬ返答だった。

 握り締めた拳が、微かに震える。

 

「我等の裁定に間違いはない。よって極刑は覆らぬ。いくら朽木家当主とはいえ、そのような身勝手が許されると思うな」

 

 裁定は下された。

 

「朽木家当主・朽木白哉の請願は、中央四十六室の名の元に却下された。これにて、閉廷とする」

 

 ――だが、まだだ。まだ、希望が潰えてしまった訳ではない。

 

 堂々と胸を張り、何食わぬ顔の仮面を被ったまま、白哉は扉へと踵を返した。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 この部屋には小さな窓がある。

 

 その僅かな隙間から差し込む日の光だけが、牢の中にいるルキアに現在時刻を伝えてくれる唯一の存在だった。

 

「……私は、極刑となるのだろうな」

 

 ルキアは誰にともなく、消え入りそうな声で呟いた。

 

 しかし看守を務める平隊員の死神も、ルキアの呟きには気がつかなかったようだ。

 もしかしたら心の中で呟いただけで、実際は声に出ていなかったのかもしれないが……どちらにせよ、ルキアにはそれを確かめる術がなかった。

 

 そうして静かに物思いに耽っていた時、ふと外へと繋がる扉の外によく知る霊圧を二つ感じた。

 

 ――白哉兄様と、恋次だ。

 

 扉に背を向けるように置かれた椅子から立ち上がって、ルキアは格子の正面にある扉の方を向いた。

 

 恐らく、四十六室の裁定が下ったのだ。

 腹に響くような重低音と共に、『六』と刻まれた分厚い扉が開く。

 

「白哉兄様……恋次……」

 

 入ってきた二人はいつもと変わらないように見えた。

 

 強いて言えば、恋次が若干不安げなくらいか。

 極刑だなんて言えば、恋次が狼狽えるのは分かりきっている。だから恐らくルキアの刑罰について、まだ知らされていないのだろう。

 

「兄様、四十六室は何と……?」

「そうっスよ隊長! 教えて下さい! ルキアは一体どうなるんスか?!」

「……そう急くな」

 

 義兄は落ち着いた態度で、懐から取り出した書類を広げる。

 その冷静な言動に、ルキアは自らの刑を悟った。

 

「……第一級重禍罪・朽木ルキアを極囚とし、これより二十五日の後に真央刑庭にて極刑に処す」

「まさか……!」

 

 恋次が悲痛な声を上げた。

 それに対して、ルキアは顔色一つ変えなかった。

 

「朽木隊長……どういう……」

「聞いた通りだ。何度も言わせるな。……これが、尸魂界の最終決定だ」

 

 白哉の表情は、これから義妹を失う者のするものではなかった。そんな白哉を、恋次が信じられないものでも見るような目で凝視している。

 

「このルキア、覚悟はしておりました。このような場所にまで来ていただき、ありがとうございました」

 

 しかしルキアは穏やかな声色で礼を述べ、頭を下げる。その心中は風一つ、波一つ立たない海のように凪いでいた。

 

 緋真姉様を亡くした時や、桜花がいなくなった時とは違うのだ。白哉とルキアは家族のように親しげに会話をする間柄ではないし、ましてや血が繋がっている訳でもない。

 家族を失った当主と、繋がりが切れてもその当主の厄介になり続けている義妹――ルキアがどんなに家族としての繋がりを欲していても、二人の関係はその程度のものでしかなかったのだ。

 

 だからむしろ、恋次のように「白哉はルキアを助ける」と本気で信じていた者の方がおかしいのだ。

 

 白哉がルキアを朽木家の者として扱ってくれたのは、失った二人によく似ていたからでしかないのだから。

 

「ルキア……」

 

 そう考えていた故にルキアは、不意に呼び掛けられた義兄の声が不自然に揺らいでいるという現実を、理解することができなかった。

 

「……兄様?」

 

 何事かと、恐る恐る白哉の顔色を伺う。

 白哉の出で立ちは先程と全く同じ、冷静で堂々たるものであった。

 

 ならば、今の揺らぎは一体何だったのだろうか。もしや己の願望が勘違いを生んだのでは、とルキアが思った――その刹那。

 

 くるりとルキアに背を向けた白哉が、呟いたのだ。

 

 

「済まない」

 

 

 ルキアは息を呑んだ。

 

 小さな謝罪。それはつまり、極刑を防げなかったことへの謝罪だ。

 

 すなわち、白哉はルキアを救う気があったということで、先程の声の揺らぎは聞き間違いなどではなかったということで。

 

「――白哉兄様っ!!」

 

 我を忘れて、義兄の名前を呼んだ。

 その背中が、ほんの僅かに揺れたように感じた。

 

「兄様は独りではありませぬ! 私がおらずとも、兄様には――」

「ルキア。下らぬことを言うな」

 

 ――兄様には、桜花がおります!

 

 他ならぬ桜花に口止めされていたことも忘れて、続けようとした言葉。

 それを、背を向けた白哉が遮った。

 

 

「他に誰が居ようとも、それはお前が居なくても良いという理由にはならぬ」

 

「っ……!!」

 

 

 白哉にとっては、何気なく放った一言に過ぎなかったのだろう。

 

 だが、ルキアは自らの耳を疑った。

 白哉の言葉を、自分の都合の良いように脳内で書き換えたのかとすら思った。

 

 それほどまでに、義兄の言葉は耳触りの良いものだった。

 

「兄様……?」

「…………」

 

 縋るように問いかけたルキアに、白哉は何も返さなかった。背を向けたまま、重苦しい扉を潜って退室してしまった。

 

 白哉のいなくなった空間に残されたのは、視線の遣り場を失って俯いたルキアと、そのルキアを黙って見つめる恋次の二人だけであった。

 

 一分か二分か。はたまた一時間か。

 

 時間感覚を狂わせる沈黙を破ったのは、ルキアの方だった。

 

「恋次」

「……どうした」

 

 呼び声に、恋次は短く応える。

 

「私は……緋真姉様や桜花の代わりでは、なかったのだな」

「はぁ?!」

 

 恋次が素っ頓狂な声を上げた。

 

「二人がいなくなってしまった以上、血の繋がりのない私を朽木家に置いておく理由はないだろう? だから、私に姉様と桜花の面影を重ねているのだとばかり――」

「んなワケねぇだろうが! そんなつまんねぇこと考えてたのか!? お前は!」

「……あぁ」

 

 ルキアは顔を上げることなく、篭った声で応えた。

 

 その胸に湧き上がってくるのはこの上ない歓喜と、そして――

 

「なぁ、恋次……」

 

 一滴、また一滴と、ルキアの足元に雫が落ちる。

 

 ルキアに面影を重ねていた訳でも、妻子を失った悲しみをルキアで埋め合わせていた訳でもなかった。

 

 朽木白哉は、朽木ルキアのことを()()()()()()、そして義妹(いもうと)として扱ってくれていたのだ。

 

「罪を犯したその時より、腹は括っていた。だが……」

 

 心積もりなど、あの一瞬で弾け飛んだ。

 ルキアは代わりなどではないと。暗にそう言われた、あの瞬間に。

 

「私は、死にたくない……」

 

 ついに両の足から力が抜けて、牢の檻に縋りつくように屈み込んだ。

 

 義兄がルキアに「絶対に助ける」と断言しなかったのは、こうしてルキアの覚悟が揺らいでしまうことが分かっていたから。

 

 そして恐らく彼は、ルキアがあのような勘違いをしていたとは夢にも思っていなかったのだろう。

 

 だからこその、守れなくて「済まない」という言葉だったのだ。白哉に守られることを当然と考えている者ならば、「済まない」という言葉程度で喜ぶ筈がないのだから。

 

「死にたく、なくなってしまったのだ……!」

 

 その優しさが嬉しくて、それなのに何故か傷口に染みるように痛くて……ルキアはもう、どうすれば良いか分からなかった。

 

「私は兄様の隣で、『朽木ルキア』として生きたい……!!」

 

 そしてあわよくば、桜花の戻ってきた朽木家で共に――

 

「それで良いんだよ」

「え……?」

 

 しばらく黙っていた恋次が、不意にぶっきらぼうに言い放った。 

 

「誓ってもいい、隊長はお前を見捨てねぇよ。あの人は――俺の憧れた隊長は、やる時ゃやる人だからな」

 

 涙を拭くのも忘れて、ルキアは恋次の顔を見上げる。

 照れているのだろうか。見慣れたその顔は、前向きで明るい言葉の割に不機嫌そうに(しか)められていた。

 

「良いか、お前は俺たちが助ける。だから、死ぬ覚悟なんてするんじゃねぇよ」

「…………」

 

 白哉とルキアのやり取りの意味を理解しているのか、していないのか……どこか論点のズレた励ましの言葉だった。

 

 けれど、格好つけた癖にどこか間抜けになってしまったその台詞は確かに、沈み込んでいたルキアを掬い上げてくれた。

 

「ふふっ……」

「んだよ、何笑ってんだ」 

 

 この憮然とした態度はきっと、そういうことなのだ。ルキアに吐いた言葉の恥ずかしさを包み隠そうとしているだけなのだ。

 

 そっと目尻の水滴を指先で拭う。

 良い仲間を持ったものだ、とルキアは頬を緩めた。

 

「流石、副隊長ともなると良いことを言うものだな」

「……副隊長は関係ねぇだろ」

「大アリだ。私の知らぬ間にえらく派手に昇進しおって。……よっ、すごいぞ副隊長!」

「おい」

「格好良いぞ副隊長! 変な眉毛だ副隊長!」

「うるせぇ!! 変な眉毛は余計だ!!」

 

 そしてこの軽口も、柄にもない励ましを受け取ってしまった照れ隠しでしかないのだということ。

 

 それは、ルキア本人ですら気づいていない真実であった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。