傲慢の秤   作:初(はじめ)

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四十二、ストーカー

 

 

 

 宣告通りに仕事を三十分で片付けた父様と、二人で並んで尸魂界(ソウル・ソサエティ)の石畳を歩く。

 

 ただし、傍目には父様が一人で歩いているようにしか見えないだろう。それはもちろん、隊長格であっても例外ではないはずだ。

 

 ――例えそれが、()()()()()という規格外な存在であったとしても、である。

 

「やあ。こんにちは、朽木隊長」

「……藍染隊長か」

 

 本気で、心臓が止まるかと思った。

 

 六番隊の隊舎と五番隊のそれは、番号が隣り合っていることもあって、割と近い距離に建てられていた。だから、その可能性を考慮していなかったといえば嘘になる。

 

 藍染惣右介その人に、道端で()()()()遭遇してしまう可能性というものに。

 

「妹さんの件、進展でもあったのかい」

「……何故、そのようなことを訊く?」

「あ……いや、別に他意はないんだよ」

 

 真実を知らなければ、誰も藍染惣右介が黒幕だとは気づけまい。父様に藍染に対する敵対心はないし、私だって漫画を読んだことがなければ騙されていたに違いないし。

 そのくらい、藍染と父様の会話は自然なものであった。

 

「気を悪くしないでくれるかい」

 

 藍染が、どこか申し訳なさそうな表情で父様を見つめる。

 

「前に隊首会で見かけた時より元気そうだったから、ちょっと気になってしまってね」

「……あぁ」

 

 どうしよう……これは、この流れは良くない。

 

 一応父様には口止めをしているから、私の存在をバラすだなんてことはあり得ないだろう。しかし、相手はあの藍染惣右介。どんな発言が、どんな行動が、命取りになるか分からない。

 

 血の気が引いて動けない私とは対象的に、何も知らない父様は落ち着き払っていた。

 

「使えそうな判例を見つけたのでな。これで一度、四十六室に掛け合ってみるつもりだ」

「そうか! それは良かった」

 

 ずっと気掛かりだったんだと、藍染が安心したように笑う。

 同時に、私も安心して息を吐いた。流石は父様だ。ちょうど判例を見つけていたとは。

 

「妹さんのしたことは確かに良くないことだけれど……それでも極刑は重すぎると思うんだ」

 

 藍染は少しだけ声を落として言う。

 

 全く、何をいけしゃあしゃあと。

 「極刑は重すぎる」だなんて、よく言えたもんだよ。

 

「僕にできることがあれば、何でも言ってほしい。少しは力になれると思うから」

 

 どこからどう見ても穏やかな好青年でしかない黒幕に呆れ返りながら、彼の中身のない言動を眺める。いつの間にか、そのくらいの余裕は取り戻していた。

 

「お気遣い、痛み入る」

「はは、相変わらず堅いなぁ。君は」

 

 そうやって二人の隊長は別れを告げて、別々の方向へと歩き始めた。

 

藍染惣右介の姿が曲がり角に消えて、彼が十分に離れたのを確認して初めて、私は歩を進め始めた。足音が聞こえたとかで、万が一にも見つかってしまっては洒落にならないからだ。

 

 しかし、妙に肩の凝る時間だった。

 まさかこんなに早いタイミングで藍染と出くわすなんて……まぁ、こうやって存在を隠すのが藍染にも通用するって分かっただけでも、それなりの収穫と言えるかな。

 

「……?」

 

 そんな時、後ろから足音が聞こえ始めた。

 私は何気なく、もちろん霊圧を探ることもなく振り返った。

 

 

 

 無表情の藍染惣右介が、そこにいた。

 

 

 

「っ……!!?」

 

 悲鳴を上げそうになったのを、死にものぐるいで抑え込んだ。口から飛び出しそうなほどに、心臓がバクバクと暴れている。

 

 何で、コイツはここにいるんだ?

 

「……可能性は、あるだろうな」

「……!」

 

 独り言のように呟いた声に驚いて、思わず肩が跳ねてしまう。

 

 何? 何の可能性? もしかして、私が戻ってきている可能性とか? いや、まさか。流石の藍染でもそれは――

 

「…………」

 

 ひとしきり脳内で騒いで、そして私はあることに気がついた。

 

 どうして、父様は振り返りもしないんだ?

 

 例え私のように霊圧を探らなかったとしても、こんなにハッキリとした足音が至近距離から聞こえたんだ。普通は振り返るなり何なりするだろう。しかし父様は、何のリアクションも示さないのだ。

 

 まさか。

 

 気づくと私の足は、完全に止まってしまっていた。その間にも、父様はどんどん前へと進んでいく。けれど、早く追いかけなければなんて思いながらも、私の足は全く動かなかった。

 

 そんな私の横を素通りして、藍染は父様の後を追いかけていく。今や二人の間には、1メートルにも満たない距離しかなかった。それなのに、父様は振り返らない。

 この状況からして恐らく父様は、藍染の存在に気づいていない。

 

 あぁ、間違いない。

 これは、藍染惣右介の斬魄刀――"鏡花水月(きょうかすいげつ)"の力によるものだ。

 

 確か"完全催眠"といったか……父様は多分、それによって五感と霊圧知覚を支配されている。でも、私はされていない。それはつまり、()()"()()()()"()()()()()()()()()ということを意味する訳で――

 

 それまで頭の中に充満していただけの恐怖が、全身に隅々まで行き渡っていくような、そんな感じがした。私は寒さに耐えるように身体を縮こまらせて、必死に頭を回転させる。

 

 どうしよう? どうすれば良いんだ?

 

 だって、このままだとアイツは朽木家の屋敷までついてきてしまう。朽木家に着けば、きっと父様は私に声を掛けるに違いない。そうしたら私は返事をせざるを得ないし、姿を現さない訳にもいかないだろう。

 でも、そんなことをしてしまえば、私が尸魂界に来ていることがバレてしまう。というより、いるはずのない私の名前が呼ばれた時点で、私の存在はバレてしまうだろう。

 

 いや、それだけならまだマシだ。

 そんなことより『私に"鏡花水月”が機能していない』ということを知られてしまう方が余程マズい。

 

私に"鏡花水月”が掛けられているかどうか。それは、尸魂界(ここ)に来る前に喜助さんとある程度話していたことだった。

 

 既に“鏡花水月”の餌食になっているなら、何も問題はない。というより何も対策しようがないから、問題として気にすることに意味はない。

 

 そんなことよりもずっと危険なのは、私に“鏡花水月”が通用しなかった場合だ。

 

 もし過去に藍染が私に"鏡花水月"の始解を見せようとしていて、私がそれを何らかの方法で脱していたなら。

 その場合は、敵の親玉に見られながら、知られても構わない内容を厳選しつつ話を進めなければいけない。その過程で、私が少しでも()()()()()()()()()()()()を取った時点でゲームオーバーだ。

 

 それとは逆に、もし私に一度も"鏡花水月”の始解を見る機会がなかったなら。

 普通に考えてこちらの方が可能性が高いけれど……この場合は、私が意図的に藍染に気づかないフリをした時点でゲームオーバーだ。

 

 その二つのパターン、どちらが正解なのか……過去の記憶のない私には判別できないんだ。

 

「……落ち着け」

 

 二人が遥か向こうの角を曲がったのを見て、私は小さく呟いた。

 

 それから、深呼吸を一つ。二つ。三つ。

 

 落ち着け。落ち着くんだ。とにかく今は、二人を追いかけないと。

 父様は藍染が見えていないから、何かされても手も足も出ない。つまり……今一番危ないのは、私じゃない。父様だ。

 

 足音を立てないように、空中に造った足場に飛び乗った。そして、先程と同じ距離を保って通りを歩いている二人に、瞬歩で近づく。

 

 やはり父様は、藍染に気づいていないようだ。

 

「…………」

 

 その無防備な様子を見て、私は心を決めた。

 

 ここは、私が何とかするしかない。

 何とかして、乗り切ってやる。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 十数分とは思えないほど長い時間を掛けて朽木家の屋敷に着いたものの、思い出に浸って懐かしがっている余裕はなかった。

 

 何せ、隣に藍染惣右介がいるんだから。

 

「おかえりなさいませ、旦那様」

「おかえりなさいませ」

「あぁ」

 

 次々と頭を下げる召使い達に軽く相槌を返して、父様はスタスタと歩いていく。そして、見覚えのある――確か父様の側仕えだったような――丸眼鏡が特徴的な年配の男性の前で立ち止まった。

 

清家(せいけ)

「は」

「離れへ向かう。何人(なんびと)たりとも、例え隊長格であっても通してはならぬ」

「かしこまりました」

 

 驚くほどに美しい所作で、清家は頭を下げた。当然、余計な詮索はしない。

 見慣れているんだろう、父様はそんな清家を無感動に一瞥して再び足を進め始めた。

 

 そして、それら一連のやり取りは全て藍染の存在を無視して行われていた。

 屋敷の中の召使い達まで"鏡花水月”の餌食になっているとは……一体どれだけの年月を掛けて、そこまで手を回したんだろうか。恐ろしいまでの忍耐力だ、と身震いしながら私も二人の後を追った。

 

 

 そして、とうとう母屋からの渡り廊下を抜けて、私達は離れへと踏み入った。相変わらず藍染も一緒だが。

 

「桜花、居るか」

 

 離れの一室に入って、襖を閉めた。その途端に聞こえた父様の呼び声に、私は痛いくらいに強く拳を握りしめた。名を呼ばれた以上、もう他に選択肢はない。ここに、賭けるしかない。

 

 大丈夫、私ならできる。やってやる。

 

「はい。いますよ」

 

 普段通りに振る舞おう。恐怖も覚悟も、心の奥底に隠してしまうんだ。

 

 私はサラリと返事をして、"曲光"を解除した。それから外套を脱いできれいに畳む。

 隠していた霊圧も、開放することにした。霊圧を消せていたのは外套のお陰だと思ってくれることを願って。

 

「……なるほど、やはりか」

 

 そう、藍染が呟くのが聞こえた。

 

 私はそれを、まるっきり無視した。無視して、父様の顔を低い位置から見上げた。

 

「出来得る限り、あの頃のままにしてある。ここに来るのも久々だろう」

「……?」

 

 そう言って、父様が部屋を見渡した。何だか懐かしそうな、嬉しそうな感情が、言葉の端々から感じられる。

 対して私は、何のことだと首を傾げるしかなかった。

 

「あの頃のままって……」

 

 部屋に並ぶのは、見慣れないものばかりだった。

 飾り気のない文机と、同じくシンプルな木製の本棚、木目の綺麗な箪笥。可愛らしいアヒルのぬいぐるみ。それから赤白の着物が掛けられたラックと、刀を乗せる台座のようなもの。

 それらの中で私が目を留めたのは、赤と白の着物だった。上が白で、袴が赤。この配色には見覚えがあった。

 

「ここ、もしかして……」

 

 あの袴は、真央霊術院のもので間違いないはずだ。だから、最初はルキアの部屋かと思った。

 

 でも、違う。

 父様は「あの頃のまま」と言った。そして何より、部屋にあるもの全てが私の趣味に合っていた。

 

「私には、家具一つ動かせなかった。……我ながら、未練がましい話だ」

 

 ここは、私の部屋だ。

 

 そう自覚した途端、えも言われぬ強烈な違和感に襲われた私は、一瞬だけ藍染のことも忘れて眉を寄せた。

 別に嫌な訳じゃない。不快な訳でもない。ただ、私の知らないところで、私が自らの意思で行動していた……その一端が見えてしまって、形容しがたい不可思議な感覚に襲われているだけだった。

 

 この感覚には覚えがあった。記憶上では初対面のルキアに泣きながら抱きつかれた時も、こんな感じだったように思う。

 

「……父様」

「どうした?」

「少し、話さなければならないことが」

 

 藍染の興味深そうな視線を感じつつ、長くなりそうだからと二人で畳の上に座り込んだ。

 

 私は長く息をついて、瞳を閉じる。そして数秒の後、二つの決意と共に目を開いた。

 

 ――よし。

 

「私には……四歳以降の尸魂界における記憶が、ありません」

 

 父様が、きょとんと間の抜けた顔で私を見た。

 

 こんな顔、物語の中では見たことがない。再会して二度目の素の表情に、この人は漫画の登場人物ではないんだと、改めて実感する。現実にいる人だからこそ、ちゃんと説明しなければならないこともある。

 

「記憶がない、だと……?」

「……はい。だから、四十年前何があったのか……どうして行方不明になったのか……全く、分からないんです」

 

 呆けていた父様の顔が、だんだんと驚愕に染まっていく。

 

 ほう、と藍染が面白がっているような声を漏らした。

 

「そもそも三歳までの記憶が戻ったのも、最近のことでした」

「そんな……」

「だから、私は自分が何者なのかということさえ、つい最近まで知らなかったんです」

 

 暗に「あなたのことも忘れてましたよ」と告げた訳だけど、それでも父様は全く不快そうな顔をしなかった。ただただ驚いている様子に、心の中でほっと安堵する。

 

「故に、戻れなかったのだな」

「はい」

「では、その間は何処に?」

「……現世に」

「現世か」

 

 道理で、尸魂界で霊圧を探っても見つからない訳だ。

 

 そう呟いて納得したような様子だった。

 すみませんと小さく謝ると、自ら望んでそうなった訳ではないのだろう? と想定外の穏やかさと共に返ってきた。

 

「……信じて、くれるのですか?」

「当然だ」

 

 何を言っているのだ、とでも言いたげな様子だ。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 私はそれが嬉しかった。

 唐突に何も言わずに失踪するという、とんでもない親不孝をやらかした私を怒ることもなく、急に戻ってきて記憶喪失だったと都合の良い言葉を吐く私を疑うこともなかった。

 

 藍染さえこの場にいなければ、喜びで涙の一つや二つ溢していたかもしれない。しかし私だけが感じているこの強烈な緊張感が、そして次に話さなければならないことへの重圧が、そんな感情を押し込めてしまった。

 

 穏やかな沈黙が、私にだけいやに張り詰めて感じられる。そんな奇妙な雰囲気の中、不意に父様が何かに気づいたかのような、ハッとした顔をした。

 

「ならば、もしや……」

「……? 何がです?」

「……いや、何でもない。後で見せる」

「はあ」

 

 見せる。

 

 そう言われて、全く心当たりがないとは言えなかった。何を見せるのか、何となく分かった上で、私は何も分からない振りをした。だって私にはまだ、話さなければならないことがあるんだから。

 

 そうやって言い訳して、とりあえず逃げただけかもしれないけれど。

 

 今は、それより。

 

 私は無理矢理に頭を切り替えて、無表情に戻った父様を見つめた。

 

「実は、もう一つ伝えなければならないことが」

「何だ」

「私の目的について、です」

「…………」

 

 父様が、沈黙によって先を促した。

 私はそれを感じ取って言葉を続ける。

 

「私はこの度、一護……一護というのは現世で父様が手を下したオレンジ頭の人間のことですが、とにかく彼らと共に尸魂界に侵入しました」

「……あの人間、生きていたのか」

「まぁ、生命力と霊圧が取り柄みたいな奴なので」

「もしや、知り合いなのか……?」

「はい。十年ほどの付き合いです」

「そう、か……」

 

 若干の申し訳なさをはらんだ「そうか」だった。

 しかし、一護に手を下したことに後悔はないようだった。当然だ、それが護廷十三隊隊長の責務だったのだから。

 私にとっても何かと複雑な、その一件について深堀りしてこないことをありがたく感じながら、私は話を戻した。

 

「――ともかく。私達が尸魂界に入ったのは、ルキアを極刑から救い出すため……そして、父様を含む死神達に()の情報を渡すためです」

 

 ルキアを救い出す方は、予想がついていたに違いない。しかし、『敵』という言葉は想定外だったようだ。

 

「敵……?」

「はい。現在この護廷十三隊の中に、裏切り者が三名います」

 

 霊圧から察するに、藍染は未だ私の真後ろ辺りに立っている。その存在をしっかりと認識してしまうと、『言わなければならない』と決めた心が揺らぎそうになる。

 

 大丈夫、大丈夫だ。

 敵である藍染が後ろにいるのは恐怖以外の何でもないけれど、その代わり前には私を信じてくれる父親がいる。だから、大丈夫だ。

 

 よし、言うぞ――

 

「その三名とは、東仙要、市丸ギン――そして全ての黒幕である、藍染惣右介です」

 

 

 




藍染様怖すぎ問題。

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