「ともかく、父様は『何も知らない』体で動いてください。藍染は人望の厚い五番隊隊長、そう思い込んで振る舞ってほしいんです。仮にその場に藍染がいなくても、です」
「居ないように錯覚させられているのかも知れないからか」
「そうです。何も知らないと装って、誰にも真実を告げないでいるうちは、アイツも手出しはしてこないはずです」
「……その話が真実であると仮定するならば、中々に厄介な能力だな」
全くもって、その通り。
卍解も習得していないような半人前に、何てことするんだって話だ。本当に勘弁してほしい。この一時間で何十年寿命が縮んだことか。
「計画だと、このまま朽木家に泊まるつもりだったんですが……」
「泊まらぬのか?」
「はい。あまりに想定外が過ぎるので」
そこはかとなく残念そうな父様には申し訳ないが、これは早急に喜助さんに報告しなければならないレベルの『想定外』だ。朽木家に泊まるなんて、そんな悠長なことをしている場合ではない。
私は居住まいを正すと、父様に今後のこちら側の動きについて大まかに伝え始めた。もちろん、喜助さんが来ていること以外ではあるけれども。
「阿散井恋次と
ついでに、これから夜陰に紛れて接触するつもりである死神達の居場所を聞いておこうと問い掛けると、父様は意外そうな顔をした。
芦谷塵は、以前私の付き人をしていた男だ。立場としては、確か下級貴族の三男坊だったはずだ。
そんな彼は今、死神として精霊廷にいるらしい。初めて名簿を見た時は本当に驚いた。何せ、あの五番隊に所属していたのだから。
五番隊。つまり、よりによって親玉のお膝元である。数十年前は私のお守りで走り回り、今はこの状態とは。気の毒過ぎて、乾いた笑いがこみ上げてくる。
「恋次には自宅待機を指示してある。雛森
「……つまり、二人共自宅にいると?」
「あぁ。恐らく」
「あ、ありがとうございます」
父様の準備が良いのか、私の運が良いのか。
どうあれ、助かった。居所が分かっているなら、話は簡単だ。藍染に見つからないように彼らの自宅を訪れて、話をすればいい。
……あれ。今気づいたけど、これってそんなに簡単じゃないような。主に『藍染に見つからないように』の部分が。
「芦谷の方は分からぬ。彼奴の自室にて待つ他あるまい」
だが……と言葉を漏らして、父様は黙り込んだ。
言いたいことは分かる。
何てったって、場所は敵の本拠地だ。危険だから行かない方が良い、ということだろう。
「ごめんなさい、父様。それでも私は、行かなければならないんです」
「何故、そこまで……?」
何故。
何故、ね……
言われてみれば、ちゃんと考えたことはない気がする。
どうして、そこまでして計画を進めようとするのか。
それは、漫画通りに事を進めることによってルキアを助け、藍染惣右介倒す道筋を作り出すためだ。
藍染を倒したい理由は簡単だ。
私という存在のせいで歪んでしまったこの世界では、本来死ぬはずだった人が生きていて、本来生きるはずだった人が死んでしまっている。そんな中で、本来死ぬはずのない私の大切な人達が殺されてしまう可能性は低くない。
私は、その人達を死なせたくない。守りたい。だから、藍染を倒すために動くんだ。
ならば、ルキアを助けようとしている理由とは何なのか。その答えにも、思っていたより早くに辿り着いた。
一つ目は、弟分の一護が助けたがっているから。
そして、私自身もルキアに生きていてほしいから――
「私、ルキアに生きていてほしいみたいです。多分、ですが……」
「多分?」
自分でも驚いた。崩玉を埋め込むなんて非人道的なことを許容しておいて、そのくせルキアを助けたいのか、私は。一体どの面下げてそんなことを思うのか。
「記憶のない私にとって、ルキアとの付き合いはせいぜい数ヶ月程度です。だから命を懸けて助け出すほどの情は湧きようがない、だなんて思ってたんです」
思い返してみれば確かに、罪悪感のようなものは常々感じていた。例えば、ルキアに崩玉を埋め込むと決まった時とか。ルキアと再会した時とか。ルキアが
「でも、今考えてみると、どうやら私はルキアを助けたいらしいんです」
「それは……」
「思いの外、絆されていたのかもしれません」
自分でも、最低だと思う。
けれど心の中に去来するのは、ルキアを死なせたくないという思いだ。
その思いが許されるものであるか否かはともかくとして。それに従って、私は行動を起こしている。
だから。
今ここで、足を止める訳にはいかないんだ。
◇ ◇ ◇
『……大丈夫ですか?』
「大丈夫大丈夫。もう元気だから」
『んー……まぁ、そういうことにしておきましょうかね』
「何、その言い方」
『では、夜一サンたちが侵入したら、その騒動に紛れて例の場所へお願いします。くれぐれも、追手には気をつけてくださいね』
「……分かってるって」
『逃げる時は潔く逃げるんですよ』
「分かってる」
『それと本当に危なくなったら、ボクのことでも何でも吐いちゃって良いっスから』
「…………」
いや、それは駄目でしょ。本気で言ってるの、この人?
『あのぉ……聞いてます?』
「聞いてるって」
『ホントに分かってます?』
「分かってるって!」
しつこい。驚くほどにしつこい。
いつもの喜助さんなら、音符が付きそうな声色で「ま、桜花なら大丈夫でしょう」なんてさらりと言って終わりなのに。
ていうかそもそも、メールのやり取りだけで済んだ話なのに。わざわざ電話してこなくても良かったのに。
「本当に大丈夫だから。心配してくれてありがとう」
『全く、アナタという子は……』
話はもうおしまいだという意図も込めて、礼を述べた。その意味を即座に理解した喜助さんが、諦念のこもった呟きを漏らす。
「じゃあ、また後で」
『……ハイ』
そんな喜助さんの声色には気づかなかった振りをして、私はさっさと伝令神機の通話終了ボタンを押した。
朽木家の屋敷で何が起こったのか、事細かにメールに記載して送ったのが数分前。直後、喜助さんから電話が掛かってきたのには驚いた。
着信音は鳴らないようにしていたけれど、通話するとなるとどうしても声を出さざるを得ない。私は隠れていた茂みから慌てて飛び出して、姿を消したまま夜の瀞霊廷上空へと駆け上がった。それから周りに人がいないことを確認した上で電話に出たんだ。
「『大丈夫ですか?』だなんて……」
日も暮れて、ビル明かりのない上空の闇は墨汁を垂らしたかのように深くなってしまった。
そんなところに長時間浸かっていると自分の感情すら見失ってしまいそうで、私はわざとらしく独り言を漏らした。
「大丈夫な訳、ないよ」
ほんのつい先程。
夕日が差し込む、かつての私の自室にて。
父様に、ルキアを救う理由を話して聞かせた直後のことだ。
ずっとタイミングを窺っていたらしい父様が、おずおずと口を開いたんだ。
『……桜花。記憶を失くしているのが真実なら、お前に伝えておかなければならない話が――』
『待ってください、父様』
私はそれを、無理矢理遮った。
何を言おうとしているのかは分かっていた。分かった上で、遮った。
『私は、
父様は顔を強張らせていた。衝撃的だったんだろう。
『知っていた』ことが、というより『知った上で何食わぬ顔をしている私』が。
『知ってはいても……実感が、ないんです』
知っていて当然。
朽木家に関する書類は山のように存在する。そして、その中にはもちろん、朽木家に属する者達の名簿だって存在するんだから。
実感がなかったのも当然。
情報源が書類だというのに、どうしてそれを現実のものとして受け入れられるだろうか。
『いつか、向き合うつもりです。でも、今それをしてしまうと……計画に支障が出る。ルキアを助けられないかもしれない』
もしかしたらそれは当然なんかじゃなくて、事実から必死に逃げていただけなのかもしれない。意識していたのか無意識なのかは分からないけれど、自己防衛のために感情に蓋をしてしまっていただけなのかもしれない。
けれど、少なくとも今は、その時じゃないから。
『だから、ちょっとだけ待ってほしいんです。この騒動が落ち着いたら、必ず
『ならぬ』
そんな私を、父様は私を叱った。
私を肯定してくれていた今までの言葉から一変して、本当に厳しい言葉だった。
他の事象ならともかく、話は肉親にまつわることだ。それは何よりも優先されるべきことなのではないか、と。それは、明らかなる正論だった。
けれど、私は聞き入れなかった。そこだけは譲れなかった。頭で分かっていただけのことを、初めて目の当たりにして実感してしまった時、自分が動けなくなってしまうことを知っていたからだ。
『今は、そんなふうに立ち止まってはいられないんです』
そんな言い訳じみた言葉を残して、父様が止めようとしなかったのを良いことに、逃げるようにその場を立ち去ったのが数時間前のこと。
「はぁ……」
重いため息をついて、私は先程まで滞在していた茂みに戻った。
全く、本当に、良い意味でも悪い意味でも中身の濃い一日だった。
尸魂界への侵入に、父様との再会、藍染惣右介の思わぬ急襲、父様との喧嘩別れと、それはもうてんやわんやだった。感情も急上昇と急降下を繰り返して、まるで情緒不安定だ。
今だって、いつまた藍染に見つかるかと思うと落ち着かない。怖くて仕方なくて、早く喜助さんや夜一さんと合流したいくらいだ。
けれど、私は喜助さんに「大丈夫だ」と答えた。
実際は全く大丈夫じゃないのは喜助さんだってよく分かっているだろう。けれど、「大丈夫じゃない」と答えたところでどうにかなる訳でもない。
それに、仮に私が「大丈夫じゃない」だとか「助けて」だとか言って泣きついたとしたら、喜助さんは今すぐにでも直接会って話そうとするだろう。けれど、そんなことをして藍染惣右介に喜助さんの居所が知れたら? そう考えると私の感情ごとき、蓋をしてしまった方が良いに決まっている。
「……よし」
気持ち、切り替えていかなきゃ。
私にはまだまだやることがたくさんあるんだから。
これから私は、尸魂界にいた頃に関係のあったであろう人たちに会いに行って、『敵』の存在をそれとなくほのめかしておかなければならない。会うべき人は、六番隊と五番隊と三番隊の副隊長の三人と、十番隊の隊長と副隊長の二人、つまり父様も合わせると計六人だ。しかし一方で、喜助さんと夜一さんは二、三人ずつと私の半分以下である。
当然「私だけやたらハードワークじゃない?」と訴えたけれど、「ボクにも夜一サンにも他にやることがあるんですからしょうがないっスよ」としれっと返されて終わった。あの下駄帽子め。
喜助さんへの不平不満はさておいて。私が次に向かうべきは六番隊副隊長、阿散井恋次のところだ。
父様によると、阿散井恋次は六番隊の宿舎で寝泊まりしているらしい。そして、今の時刻は体感で午後十時くらい。六番隊がよほどブラックでない限り、勤務時間外のはずだ。
外出してなければ良いけど……と不安に思いつつ、私は六番隊宿舎に降り立った。
副隊長が住むには質素すぎる、しかし質素ながらも造りはきちんとしているのが見てとれる隊舎の廊下に侵入して、目的地を探す。
父様によると、阿散井恋次が住んでいるのは平隊員と同じ規格の部屋なんだとか。隊長である父様が屋敷暮らしなため、隊舎で唯一平屋の戸建てになっている一番大きい部屋は前任の副隊長が使用していたそうだ。当然、副隊長交替の際に、その一軒家も明け渡される予定だったらしい。
しかし、元来が大雑把な性格だった阿散井恋次はそれを拒否した。引っ越しが面倒臭いから、そしてそんな広い家なんて必要ないから、だそうだ。
そこで現在その平屋は、「副隊長を差し置いてあたしが住むなんて!」と本気で恐縮する三席を何とか説き伏せて住んでもらっているのだとか。
空き家が出るなんてもったいない、と思うのも分からなくはないが、ちょっとだけその子が気の毒な気もした。