訊きたいことは山のようにあった。過去の私は一体芦谷に何をしたのか、とか。何をもって、そんなに私を慕ってくれているのか、とか。
けれど、時間には限りがある。
緊急の隊首会により、副隊長である芦谷にも急ぎ招集が掛かったのだ。議題はまず間違いなく、
ついに来たかと思うと同時に、対応としては遅すぎるのではないかという疑問も浮かぶ。実際に一護と市丸ギンがひと悶着起こしたのは昨日のことだ。その対応が、翌日の午後だなんて。
古い組織というものは、何をするにも時間が掛かるということなんだろうか? それとも藍染が何か手を打っているからだろうか?
「ほら、早く行かないと」
「しかし、今は桜花様が……」
「いいから、早く!」
「ですが――」
「いいから行きなさい!」
「……かしこまりました」
「今は行きたくない」とはっきり顔に書いてある芦谷が、私に急かされながらしぶしぶ副隊長の隊章を手に取って部屋を出ていった。
私はそれを見送ってから、いつものように身を隠した。
計画だと十番隊の隊長副隊長にも話をつけておく予定だったけれど、この隊首会が始まってしまったのなら仕方ない。恐らく一護達の尸魂界侵入まで、もう時間がない。
そして、それから数時間後。
尸魂界に、旅禍侵入の緊急警報が鳴り響いた。
◇ ◇ ◇
双極の丘の、崖の中腹。
あまりにも目立つ場所にあるのだから、その隠れ家とやらはさぞ巧妙に隠されているのだとばかり思っていた。
しかし、実際はそんなこともなく。下からだと見えづらい位置に入り口があり、多少草木でカモフラージュしてあるだけ。さらには簡単な結界すら張っていないのだから、無防備もいいところだ。
良いのかな、これ……だなんて思いながら茂みをかき分ける。そうやって入った穴は、喜助さんの秘密の隠れ家への入り口だ。
「どうやら、無事だったようで」
入ってすぐに、聞き慣れた声がした。
「……私まだ、気配消したままなんだけど」
「えぇ、そうでしょうとも」
「いや、そうでしょうとも、じゃなくて」
しかし声がするばかりで、肝心の本人は姿を現そうとしない。そこで、はたと思い出した。
「あぁ、そっか。そうだな……"
「うわっ、ストップストップ!」
「――め
「止める気ゼロじゃないスか……」
嫌そうな声と共に、喜助さんが暗がりから現れた。その表情は声と合致していて、何とも渋いものだった。
「合言葉は決めない、なんてややこしいこと言ったの喜助さんじゃん」
「そうっスけど……いくらなんでもそれは……」
「でも、これなら一発でしょ?」
私が私であると証明するために、合言葉を決めた方が良い。そう提案した私に、反論したのは喜助さんだった。合言葉を決めた時の私達のうち、どちらかが偽物だった時の対策だそうだ。
「ボクが偽物だったらどうしてくれるんスか」
「いや、名前くらいよくない?」
「駄目っス」
「うわぁ。大変だね、秘密主義は」
私が藍染の"鏡花水月"の対象外なのは、身をもって理解している。だから、喜助さんが偽物だということはありえない。もちろん喜助さんだって、それは分かっている。
それでも、秘密にしておきたい個人情報は口に出されるのも嫌なんだろう。きっとそれは、論理的な理由だけが全てじゃなくて、隠しておくことによる安心感とか、そういった感情的なところもあるに違いない。
「夜一さんの方はどう? 順調?」
「えぇ、聞く限りは」
地下へと続く梯子を一息に飛び降りて、着地したところで喜助さんに近況を訊ねる。
夜一さんは猫の姿で尸魂界に侵入しているから、伝令神機を持つことはできない。そのため本人に許可を取った上で、小型のマイクを首輪に仕込ませてもらっている。
そのマイクにより夜一さん達一行の行動は全て、喜助さんに筒抜けという訳だ。
「喜助さんの方は? 転移装置は無事設置できたの?」
「あと三分のニってとこっス。思いの外時間が掛かってて」
「京楽隊長と浮竹隊長には?」
「それはもちろん接触済みっス」
「わぁ、流石」
私ばかりがハードワークと思いきや、一番忙しかったのは喜助さんなのだ。
八番隊隊長の京楽春水と十三番隊隊長の浮竹十四郎の二人と接触するだけではなく、万一の時のために尸魂界中に転移装置を設置して回るという重労働をこなしていたのだ。それも、私みたいに斬魄刀の力を借りることもなく、誰にも勘付かれることもなく、である。
「桜花はどうでした?」
「まぁ、知っての通りなんだけど……そんなに順調ではなかったかなぁ……」
父様には会えた。恋次にも、芦谷にも会えた。
そして、藍染にも会ってしまった。
この数日で起きたことを全て話し終わって、私は頭を抱えてため息をついた。
「しっかし……まさか、藍染があのタイミングで攻めてくるとは思わなかったよ……本っ当に、死ぬかと思った……」
「桜花はよくやったと思います。ボクの想定では、藍染と出くわした時点でどう転んでもアウトだったんスから」
「うわ、そうなの?」
「ハイ。あの状況下で朽木隊長も桜花も生き残るなんて奇跡っスよ」
奇跡のようだ、とは私も思う。
あの場で藍染が私達を見逃したのは、絶対的強者であるが故の傲りなんだろう。しかし、今まで百年以上という長い時間を掛けて、慎重に慎重にことを進めてきた藍染が、こんな土壇場になってあのような慢心をするだろうか。
前々から思っていたことをそのまま口に出すと、喜助さんも同意するように頷いた。
「それなんスよ。あの藍染にしては、あまりに油断しすぎている。何か裏があると考えても良さそうっスよね」
「私達が動くことによって起こる『何か』を待っている、とか?」
「えぇ、そんなところでしょう」
その『何か』の正体は、私にも喜助さんにも分からない。分からないから、何が起きても対応できるように様々な策を打っておく。
そして、今の私達にできることといえば。
「まだ接触できていないのが、四番隊の隊長と三番隊副隊長、それから十番隊隊長の三人。まずはそこから取り掛かるしかないね」
「ハイ。計画通り吉良副隊長と日番谷隊長の二人は任せます」
「うん、分かった」
「卯ノ花隊長は夜一さんが、転移装置の設置はボクが引き続きやります」
「設置場所に変更は?」
「今のところなさそうっス」
本当に命の危機に瀕した時にのみ、使うことにしているのがこの転移装置だ。
簡易的な穿界門を作って断界に一時的に入り込み、直後に尸魂界における穿界門の出口の座標を変更。そして一秒にも満たない短時間で再び尸魂界に出てくるという工程を経ることによって、転移したような動きをすることができるから『転移装置』だ。
これらを何の変哲もない低木や小さな看板、無数にある屋根瓦のうちの一枚、古びた雨樋、果てには道端の石ころや棒きれにまで擬態させて、尸魂界中にばらまく手筈となっている。
こんな状況だ、急いでどこかへ向かいたい時もある。しかし、使えば使うほど周囲にその存在が知られてしまう可能性が高くなってしまうのも事実。
だからこそ、必要な時にのみ適切なタイミングで利用する。そして、使えるのは私と喜助さんと夜一さんのみ。どうやら、他の人が触れても全く反応しないようプログラムしてあるらしい。
簡単な原理は分かっても、その詳しい仕組みまではよく分からない。長い長い説明を受けはしたものの、私の頭では理解できなかった。やはり私の保護者は天才らしい。
「疲れも溜まってるでしょうし、食事をしてゆっくり風呂でも、と言いたいところですが……」
「分かってる。戦い、もう始まっちゃってるもんね」
睡眠不足だけではない。常に気を張り続けていた上、藍染との遭遇という巨大なストレスに晒されたのだ。当然ながら、疲労はピークに達している。許されるのであれば、今すぐにでも布団に潜り込んで眠ってしまいたいくらいだ。
しかし、ゆっくり休んでいる時間はない。
一護達の侵入による大騒動。
それに乗じて
「じゃあ、私行くから」
「ハイ……お気をつけて」
「喜助さんもね」
数日前と同じようなやり取りをして、自らに術をかけた。
現在、尸魂界では騒動が起こっている。霊圧から察するに、数は四つ。
それらを避けながら隊長や副隊長達を探すのは、なかなかに骨の折れる作業だ。
出発前に頭に叩き込んだ地図を思い浮かべながら、尸魂界の空中をひた走る。吉良副隊長と話すのはひとまず後回しにして、まずは日番谷隊長に話をすることからだ。
「派手にやってるね、皆……」
あちこちでぶつかり合うそれぞれの霊圧の密度は、平隊員のそれよりも確実に高い。
もちろん、浦原商店の大人達や
一護を始めとした人間四人は、これからきっと強くなる。これは、そのために必要な関門だ。大丈夫、死にやしない。仮に負けたって、拘束されるだけで済むはずだ。
そう考えることによって、心配を打ち消す。
こんなの、希望的観測でしかないのはよく分かっている。けれど、私には私の役目がある。仲間の命は大事だが、その仲間の命を守るためにしなければならないことがある。
石田と織姫が、席官らしき死神と戦っている真横を通り過ぎる。遠距離攻撃のできる斬魄刀を解放しているのが見えた。
しかし助太刀はしない。そもそも近くを通ったことさえ気づかせやしない。
確か、あの戦いは漫画にあったはずだ。
そして、その決着も。
◆ ◆ ◆
「マジかよ、本当に来やがった……」
阿散井恋次が、思わずといった様子で呟いた。
隣に佇む朽木白哉も同じ感想のようで、静かに空を仰いでいた。
「あいつの言った通りだ」
「……聞いたのか」
「はい」
誰に、何を。そんな言葉は全て省略した白哉の問いに、恋次は迷わず頷いた。
幸い周囲には誰もいない。うまく伏せれば、話をすることができるかも知れない。先程の『あいつ』についての話を。
「良かったですね、隊長」
良かった、だなんて簡単な言葉では片付けられない。そんなことは分かりきっていたけれど、それ以上に適切な言葉は見つからなかった。
「あぁ」
言葉少なでも、その中には万感の思いが込められている。付き合いはそれほど長くなくとも、それが分かるくらいには自らの隊長のことを理解しているという自負はあった。
「……正直、迷ってます。俺はどうすべきなんだ、って」
最初から、ルキアを助けたいと思っていた。今も、その思いに揺るぎはない。
そしてそんな折にやって来たのは、行方をくらませていた桜花だった。次いで、あのオレンジ髪の少年だ。
けれど護廷十三隊の副隊長としては、犯罪者となってしまった幼馴染を助けたいと願うこの思いは間違っている。やりたいこととやるべきことは、いつも同じとは限らないのだと、そう教えてくれたのは他ならぬ朽木隊長だったのだ。
「下らぬ迷いだ」
間を置かずに言葉を返してきた隊長の横顔を盗み見る。相変わらず端的で気遣いの欠片もない言葉が容赦なく突き刺さって、恋次はやっと気がついた。
副隊長として正しいも何も、さらに格上であるこの隊長は、最初からルキアを助けることに全力だったではないかと。
「確かに私の行いは貴族として、護廷十三隊の隊長として褒められたものではない。しかし……」
隊長は言葉を切って、少しだけ頬を緩ませた。
「貴族である以前に、死神である以前に、我らは心を持った『ひと』なのだと。そう言われてしまえば、もう何も反論できまい」
「…………」
誰がいつ言ったことなのか、聞かなくとも分かってしまった。相変わらずの親馬鹿で何よりだよ、と恋次は隊長に見られないように顔を逸らして苦笑した。
そして、恋次は心を決めた。
やるのであれば、徹底的にやろう。何としてもルキアを極刑から救ってみせるのだ、と。