傲慢の秤   作:初(はじめ)

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五、腹に一物

 

 人間というものは、追い詰められた時に本性を現すらしい。だから、普段から余裕を持って行動するべきである。

 

 って、何かの本に書いてあった気がする。

 というのも私、化けの皮が剥がれるほどに追い詰められると、どうも口が悪くなるようです。

 

「うわあぁぁ!! 何だお前!! 何っだお前っ!!」

「オマエ、ウマソウダナ……」

「えぇ!? 気持ち悪っ!! 旨そうって、お前気持ち悪っ!! その、よく分かんない、見た目も相まってっ、気持ち悪っ!!」

「キモチワルイトカ、ナンドモイウナヨ……!」

 

 背負った真新しいランドセルがガチャガチャ音を立てる。前世も含め、こんなに必死になって走るのは初めてだろう。それくらい必死だ。だって、すぐ後ろには巨大な口をガパッと開けた――恐らく(ホロウ)。これ以上ない危機的状態だ。

 

「お前!! こんないたいけな、女の子に、襲い掛かるなんてっ! 良心が、痛まないの!?」

「リョウシンナンテ、アルワケガナイダロウ!」

「お前にっ、そんなの求めた私が、悪かったよ!!」

 

 あぁ私、死ぬかも知れない。

 何がいけなかったのか。小学校に入って原作メンバーと出会って、ちょっと喜んでたのがいけなかったのか。調子に乗るなってことか。

 

「どうしてっ、こんな時に限って、誰も通らな――」

 

 凄まじい破砕音が聞こえて振り返ると、私を掴もうと伸ばした虚の腕が地面に激突して、アスファルトが抉れていた。

 

「わあぁっ!! もう泣きそう!! 喜助さん! 夜一さん! 鉄裁さん! 誰でもいいから助けてよぉ!!」

 

 大声でわめきながら、心の中でも叫び続ける。

 

 あなた達強いんでしょ! 昔十二番隊隊長と二番隊隊長と大鬼道長やってたの、知ってんだからね! 見たことないけど卍解だってできるんでしょ! マジで何してんの!? あなたのかわいい桜花ちゃんが死にかけてますよ!!

 

 走りすぎて肺が痛い。叫びすぎて喉も痛い。足も、もう上手く動かない。

 

 しかし無慈悲にも後ろに感じていた気配は急激に近づいてきて、ついにはその骨ばった手で胴体を腕ごと鷲掴みにされてしまった。

 

「うわっ!! ちょ、痛っ!!」

 

 ギリギリと締めつけられる痛みに悲鳴を上げると、嬉しそうな笑い声がして更にキツく締めつけられた。それに耐えようと、ぎゅっと目を瞑る。

 

「フフ、ツーカマーエタ」

「ひっ……」

 

 あまりにも近くから聞こえた声に、痛みを堪えながら恐る恐る目を開く。

 

 目の前、顔から1メートル足らずの所に虚の顔があった。

 

 近い。近すぎる。何てホラーだ。

 

「ジャアナ、ガキ。イタダキマス」

「あ……ぁ……」

 

 駄目だ。死んだ。これもう私死んだ。全てを諦めて、再び目を閉じる。

 

 遠くで虚の雄叫びが聞こえた。これはあれだろうか、獲物を捉えた喜びの叫びだろうか。私からすればただの死刑宣告だけど。

 

 あぁさようなら、浦原商店の皆さん。今まで面倒見て下さってありがとうございました。

 

「……ただ、どうせ面倒見るんなら……さっさと駆けつけろよって、言いたい所だけどさ……」

「言いたいっていうか、もう言ってますよ」

「……は?」

 

 うそ、口に出してた?

 そこでふと気づく。そういえば、さっきから身体が痛くないような。

 

 ――いや、そんなことよりこの声は。

 

「喜助さんっ!?」

「すいませんねぇ、遅くなっちゃって」

 

 喜助さんだ。喜助さんが来てくれた。

 いつの間にか、私は喜助さんに抱きかかえられていたみたいだ。左手で私を軽々と抱え、右手で抜き身の刀を握っている。

 おぉ、これが喜助さんの斬魄刀"紅姫(べにひめ)"か。始解前とはいえ、見るのは初めてだ。

 

「オレノ、ウデガ……クソ! ナニモノダ、キサマ!?」

「名乗るほどの者じゃないっスよ、っと」

「ウッ……グアアァ!!」

 

 どうも、さっき聞こえた雄叫びは腕を斬り落とされた虚の悲鳴だったらしい。慌てたように喜助さんに襲い掛かろうとする虚に対して、喜助さんは凄まじく冷静だった。

 なんの躊躇いもなく頭を一刀両断。虚は苦しげな悲鳴を上げて真っ二つになって……そして消えていった。

 

「うわぁ……容赦ない」

「ウチの者を殺そうとしてる奴に容赦なんていらないでしょう」

「……そういうものかな?」

「そういうモンっス」

 

 お礼だけはと再び口を開く。

 

「あの……ありがとう」

「良いんスよ。ちゃんと桜花に話してなかったアタシが悪いんスから」

 

 そう言って私を下ろすと、喜助さんはどこからか取り出した仕込み杖の鞘に紅姫をしまった。これで見た目はもとの杖に戻った。しかしこの仕込み杖、鞘に収めると太さが半分くらいになるんだけど、一体どういう仕組みなんだろう。

 

「どうやら怪我はないみたいっスね」

「うん。ちょっと疲れたけど……」

 

 半分くらいは走ったせいで、もう半分は叫びすぎたせいで。

 屈み込んで私と目を合わせて訊ねた喜助さんは、私の答えを聞いて納得したように頷くと、さっと私を背負って歩き始めた。私はその好意に素直に甘えることにして、その背中にもたれかかって……ふと、思った。

 

「ねぇ喜助さん。なんで私が襲われてる間、道に誰もいなかったの?」

「…………いやぁ、ホント運が悪かったっスねぇ」

「え?何その間」

 

 そういえば、こんな死ぬ直前にギリギリで助けてもらえるとか、都合が良すぎやしないか?

 というより本当にギリギリで間に合うほど危なかったなら、もっと速く移動できる夜一さんが来た方が良かったんじゃないか?

 

「……もしかして喜助さん、最初から見てた?」

「まさか、そんな意地の悪いことしませんって」

 

 いや、する。もし何らかの理由があって私が危険な目に遭う必要があった場合、そういう状況を意図的に作るくらいのことなら平気でやりかねない。この人はそのくらいする。

 

 この数年でもどことなくSっ気があるのは察していた。さらには原作でも、目的のためなら手段を選ばない節があった。

 

「本当に……?」

「当たり前じゃないスか、そんなことしてないですって」

「なら、いいんだけど……」

 

 そうかそうか、あくまでしらばっくれるつもりか。

 良いだろう、そっちがその気なら。

 

 私は、演技のスイッチを入れた。

 

「ホントに、怖かったんだからね……」

「…………」

 

 弱々しく呟いて緑色の羽織をぎゅっと握ると、喜助さんは見事に黙り込んだ。

 

「化け物に掴まれて、すごく痛かったんだから」

「…………」

「もう死ぬかもって、思って……」

「…………」

 

 もちろん六割くらいは本音だ。本気で怖かったのも、痛かったのも、死を覚悟したのも嘘じゃない。

 

 まぁ、言い換えると残りの四割は脚色ということになるけれど。主に羽織握ったりして、あからさまに弱々しい素振りをしてるのとか。

 

「……すぐに助けなくて、すみませんでした」

「そっか、やっぱり……」

 

 勝った。

 

 四割が演技であることに気づいているのかは分からないが、それでも私の弱々しい声に罪悪感は抱いてくれたらしい。

 それも当然、今の私はまだ六歳なのだ。相手が歳の割に落ち着いている私とはいえ、小学一年生の女の子をわざとあんな怖い目に遭わせて罪の意識がなければ、それはもう死神というより鬼だ。

 

「ねぇ、なんでそんなことしたの?」

「……しょうがないっスね」

 

 喜助さんがボソリと呟いてため息をついた。

 

「アナタにこういう経験をしてもらってから『ある事』を話して、危機感を持ってもらおうと思ったんス。……まぁ、まだ桜花には難しい話かもしれませんが」

「大丈夫だよ。私、大人だから」

「本当に桜花って、歳の割に大人びてますよねぇ」

 

 バレないと思ったんスけどね……と喜助さんがぼやいた。本当に六歳児なら騙せたかもしれないけど、あいにく私はそうじゃない。

 精神年齢二十三歳は伊達じゃない。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 浦原商店に帰ってきた私達は、とある場所を模して作ったという地下の馬鹿デカい空間にやってきていた。主人公が縛りつけられたり怪我させられたり穴に落とされたり、とにかく修行という名のイジメに遭った、あの場所だ。

 

 こんな所に連れてきてどうするつもりだ? 私もイジメられるのか? と戦々恐々としていると「さっきと違うんスから、何も取って食いやしませんよ」と喜助さんに笑われた。

 いやいや。どこぞの主人公みたいな目に遭うくらいなら、いっそ一思いに虚に取って食われた方がマシだから。

 

「じゃあまず、さっきの化け物についての話から始めましょうか」

 

 まずは座学かららしい。喜助さんは六歳児でも分かるように、虚についてしっかりと噛み砕いた説明を始めた。

 そして次は死神。喜助さん、夜一さん、鉄裁さんの三人は、その死神と似たようなものだと本人は言っていた。嘘つけ。がっつり本物の死神なの、私知ってるんだからね。

 それから話は尸魂界(ソウル・ソサエティ)、そして霊力や霊圧について、流れていった。

 

「アナタはウチに来た時から既に霊力の高い子でした。それが年を追うごとにさらに高くなっていっているようなんス」

 

 そして、あまりに高い霊力の持ち主は、上手く霊圧を抑えないと虚に狙われやすくなる……つまり格好の餌食なんだとか。

 

「一度襲われて身に染みたと思いますが、ただの人間には虚から逃げる……ましてや倒すなんて到底不可能……そこでです」

 

 桜花には虚から逃れ隠れる方法と、虚を撃退する方法……この二つを習得してもらいます。

 喜助さんは、やけに神妙な顔をしてそう言った。

 

「…………」

 

 なるほど、そう来たか。だから、私が虚に襲われているのを知っててギリギリまで助けなかった……ってことか。本物の虚に相対させて虚に対する恐怖を抱かせてから、それに対抗する、そしてそれから上手く逃れる術を提示する。

 そうして私自身の戦闘力を増強しておけば、いざとなったときの戦力が増える。

 さらに言うと……そもそも私を拾ったのも、幼いながらに霊力の強い私を育てて、もっと他の何かに役立てようと考えたからなのかもしれないのは、言わずもがな。

 

 分かってはいたけれど流石は喜助さん、やり方が汚い。

 

「……良いよ、分かった。もうあんなのに襲われるのは嫌だもん」

 

 確かに汚いやり方だ。私を死ぬ寸前まで助けようとしなかったのも、かなり腹立たしい話ではある。

 

 でも、私はそのやり方が間違っているとは思えなかった。

 実際、原作ではその周到なやり方で主人公を育て、崩玉を隠し――これはラスボスに見つかっちゃうんだけど――最終的にはラスボスを封印してしまったんだから。

 

 それに、「いざ原作が始まったものの弱すぎて即退場」という結果ならまだ良い方で。そもそもこんな世界、生きていられるという保証が全くないんだ。

 

 

 私が漫画の単行本を読んで展開を知っているのは、ラスボスこと藍染惣右介が喜助さんの手によって封印されて、主人公こと黒崎一護が代償として死神の力を失って――と、ここまでだ。あと数年生きていれば最終話まで読めただろうに、残念なことこの上ない。

 

 ともかく、まさか主人公が力を失ったまま完結するはずもないから、どこかのタイミングで一護は再び死神になるんだろう。

 

 そして主人公に力が戻るということは必然的に、新しい敵が現れることに繋がる。

 

 そして、そうなった時。戦えないままでは、私が生きていられる可能性は間違いなく大幅に下がるのだ。

 

 だから、私は喜助さんの提案に頷いた。

 せっかく大物が鍛えてくれるんだ。これから先の人生を生き抜いていきたいなら、私は強くならなければならない。

 

「了解っス。じゃあ早速、この線に沿ってぐるっと一周走ってきて下さい」

「……は?」

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 やはり、変わった子だ。

 

 地面に引かれた計5kmの線を素直に辿って走ってきて、帰ってくるなり崩れ落ちるように地面に横たわった桜花を見下ろして、浦原喜助はそう思った。

 

 虚に追いかけられて魂を食われかけたのに、間一髪助けに入った浦原に桜花が真っ先に訊ねたのは「どうして道に誰もいなかったのか」だった。「あの化け物は何なんだ」とか「どうして浦原は化け物を倒せたのか」とか、質問なんていくらでもあるはずだ。

 それなのにどうして、浦原がわざと助けに入らなかった理由の方に食いついてきたのか。

 

 それに、修行をあっさりと受け入れたあの態度。あれは、浦原がどういう意図をもって桜花に修行をさせたがっているのか、ちゃんと理解している目だった。

 

 ――いやはや、何て末恐ろしい。

 

 今でこれなのだ。将来的にどう化けるのか、分かったものじゃない。

 

 これでは自らの()()()()()()()()()()の一端を悟られるのも、時間の問題なのかもしれない。

 

「もうっ……私……死ぬっ……」

「大丈夫っスよ、人ってなかなか死なないもんス」

「…………」

 

 息も絶え絶えな桜花の恨み言をさらりと流すと、やたらとジトっとした目で見られた。この答えでは不満だったらしい。

 

「今日はもう走らなくていいんで、ご心配なく」

「そりゃそうだよっ……! これ以上、走ったら……死ぬからね、私!」

「またまた大袈裟な」

 

 ならばと適当にフォローを入れると、今まで以上に恨みのこもった目で睨まれた。適当にあしらうな、とでも言いたげだ。それを見た浦原は、いつも通りの笑みを顔に貼りつける。

 

 ねぇ、分かってますか、桜花サン……と心の中で訊ねる。

 

 一般的な六歳児程度の理解力では、アタシが適当に返答したことには気づけないはずなんスよ。

 

「ねぇ。せめてどういう修行をするのか、だいたいで良いから教えてよ」

 

 息が落ち着いてきたのだろう、いつの間にか起き上がっていた桜花に話しかけられて、浦原は腰掛けていた岩から離れる。

 手順を教えるのは簡単だ。それに、教えた所で何の支障もない。

 

「まずは基礎体力っス。それから霊圧の感じ取り方を知っていただいて、霊圧のコントロール。最後に霊力を使った簡単な戦い方っスね」

「……それって、全部終わるのにどれくらい掛かるの?」

「ゆっくりやって半年、急ぎたいなら二週間って所――」

「よしゆっくりやろう!! ゆっくりでお願いします!!」

「ハイハイ」

 

 あまりに必死な様子の桜花に、浦原は薄く笑って応えた。

 




 浦原さん視点だと傍点がやたらと増えます。そりゃあもう、腹に一物も二物も抱えてますからね。

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