傲慢の秤   作:初(はじめ)

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五十三、諦めの境地

 

 

 

 背を向けて逃げ続けていても逃げられやしない。

 馬鹿正直に戦っていても勝ち目はない。

 

 だからこうして、正面から立ち向かった。立ち向かって、戦うつもりでいるからこそ相手に生まれる『逃げるための隙』を狙っていた。

 

 大丈夫、作戦は立てた。これなら、いける。

 

「鳴け」

 

 始解をした東仙は、これからの戦いでは『始解の能力を使用すること』を前提に動くはずだ。

 斬魄刀の能力を使っての攻撃か単純な剣戟か。そのどちらかを選択する場面になれば、始解をしている死神は確実に前者を選ぶ。

 そうなった時、剣によって斬りかかる腕力の強さは、始解をしていない時よりも多少弱くなる。始解の能力を使う方に気が行ってしまうからだ。

 

 これは隊長格であっても例外ではない。修行を通じてそう教えてくれたのは、"仮面の軍勢(ヴァイザード)"の面々だった。

 

 とはいえ、卍解をされてしまえば手も足も出なくなるのは分かりきっている。だからこそ、今のうちに逃げてしまわなければならない。それくらい桁の違う能力なのだ、卍解というものは。

 

「"清虫(すずむし)"」

 

 キィン、と頭の奥に響くような高音が聞こえる。刃自体が音波によって振動しているのだ。

 

 東仙が始解をした今、いくつもある攻撃パターンで警戒すべきなのは二つ。

 

 一つ目は音波による遠距離攻撃。

 始解をしてすぐに音波を放つことも可能なようだが、今回東仙はそうしなかった。音を使うということに、私が気づいていると踏んだからだろうか。それとも音速を超えるレベルの瞬歩を、私が使いこなしていたからだろうか。

 どちらにせよこちらの威力はそう大したものではないから、余程追い詰められていない限り問題はない。それに音速程度ならば、瞬歩を使えば簡単に避けられる。

 

 一方で当てられてマズいのは、二つ目。刃を伝う衝撃波による直接攻撃だ。

 遠距離攻撃と比べると、こちらの方が威力が段違いに高い。そしてゼロ距離であるが故に、触れた瞬間にこちらの刀身に振動が移ってしまう。そうなれば対処法は、振動が身体に伝わる前に自らの刀を手放す、しかなくなる。

 

 だから万が一にも、物理的に刀身を交えるような真似はしたくないんだ。

 

(かす)め、"雲透(くもすき)"」

 

 ちなみに"清虫"に乗る音波は、刀同士が触れた最初の一瞬で放たれる。つまり初撃さえうまくいなしてしまえば、音による衝撃は受けずに済むという訳だ。

 

「……解号、だと?」

 

 東仙には始解時の白煙なんて見えないから、なおさら意味が分からないに違いない。

 始解していたと思っていた敵が、何故か再度始解をした。それなのに、相変わらず霊圧は感じ取れない。そして、もしこの解号が何かの罠だったとして。その意図は全くの不明で、無意味な行為のようにさえ思えてしまう。

 

「貴様、一度始解はしていただろう」

「何だって良いじゃないですか」

 

 そうやって、読み切れるはずのない私の意図について勘ぐっていればいい。私は眉をひそめる東仙を軽くあしらって、駆け出した。

 

「"縛道の四・這縄(はいなわ)"」

 

 東仙が、ひらりと"這縄"を避ける。

 敵はもう私に油断していない。だから、避けられるのは分かっていた。その上で撃った。

 

 続けざまに十発ほど撃って、その全てが外れた。

 それを視界の端で捉えながら、刀を構える。

 

 同じく私に向かって駆け出した東仙とぶつかるまで、あと二秒、一秒。

 

 その瞬間、私は"雲透"の刀身に重なるように一つの縛道を放った。

 

「"(せき)"!!」

 

 "清虫"と"斥"がぶつかる硬質な音。そして、音波によって"斥"が割れるガラスのような音。

 

 頭の芯から揺さぶられたような衝撃に、一瞬意識が遠のきそうになる。歯を食いしばって、何とか踏みとどまった。直撃はせずとも、衝撃の余波は浴びてしまったようだ。危なかった。

 

 けれど、これで威力は殺した。刀の軌道も右にずらした。

 

 それでも刃は私の右肩めがけて降ってくる。大丈夫、斬られるのも覚悟の上だ。

 

 縛道と"清虫"の衝突そのものを透過した"雲透"が、時を同じくして東仙に迫る。そして"雲透"が東仙本人を通り抜ける直前、私は始解を解除した。

 

 先程とは違って実体を持った刃先が、東仙の肉体に深々と突き刺さる。それとほぼ同時に、私の右肩を"清虫"が掠った。

 

 利き腕に血が伝うのを感じながら、私はすかさず東仙の腕を左手で掴んで、呟く。

 

「……"縛道の九・崩輪(ほうりん)"」

 

 東仙の全身に、"崩輪"の黄色い光が絡みつく。

 そして東仙の両足には、"這縄"が。

 

「何っ……!?」

「良い位置に来てくれて、助かりました」

 

 刀を交える前に、散々飛ばしていた"這縄"。

 的には当たらなかったそれらは、実は地面に貼りついて罠のように東仙を待ち構えていた。当然霊圧は隠してある鬼道だから、目の見えない東仙はその存在に気づけなかった。

 

「まさか、あの時っ!」

 

 気づいたようだけれど、もう遅い。"這縄"をも覆い尽くすように伸びた"崩輪"の光が、東仙の足元をさらに強固に固定する。

 

 これだけやれば、数秒は稼げる。

 少しだけ、口角を上げる。

 

「霞め、"雲透"!」

 

 再度始解をして、突き刺さったままだった"雲透"を抜いて飛び退る。

 

 そして始めるのは、鬼道の詠唱だ。

 

「雷鳴の馬車」

「っ!!」

 

 私が何をしようとしているか、気づいたらしい。でも、東仙はまだ動けない。

 

「糸車の間隙(かんげき)

 

 縛道が解かれるまで、あと三秒ほど。

 

「光もて(これ)(むつ)に別つ!」

 

 あと、二秒。

 

 現れた六本の光の杖を見て、東仙はもがいている。でも、私の方が早い。

 

「"縛道の六十一・六杖光牢(りくじょうこうろう)"!」

 

 私の左手の動きに従って、腕と胴体に光が突き刺さり、東仙は完全にその場から動けなくなった。

 

 それを確認した途端に全身を包んだ安堵と疲労に、私は大きく息をついた。

 

「ま、間に合った……」

 

 危なかった。

 あと少しでもタイミングがズレていれば、どうなっていたことやら。

 

「こんなものっ……!!」

 

 悪態をつく東仙の声は元気だったけれど、あと少しで破られるはずだった足元の"這縄"も全身の"崩輪"も、結局解除されることはなかった。下等縛道だけれど、どうやらうまく足止めしてくれているようだ。

 

 それを視認してすぐに、私は踵を返した。

 

「待てっ!!」

 

 今できる最速の瞬歩。これで、東仙から逃げ切る。

 

 状況は、あまり芳しくない。

 

 傷を負っていること。

 音波による衝撃波の一部を間近で食らったこと。

 何度も始解とその解除を繰り返したこと。

 簡単なものとはいえ、十を超える鬼道を放ち続けたこと。

 トドメに、高難易度の縛道を使ったこと。

 

 消耗が激しすぎる。残りの霊力も多くはない。

 この戦い以前から溜まっていた疲労を鑑みても、これ以上戦うのは難しいだろう。

 

 だから今は残った体力と気力、それから霊力を総動員して走る。これで逃げ切れなければ、間違いなくやられる。

 

 足に込めても危なげなく制御できる霊圧。それより少し大きい霊圧を込めながら、危ない橋を渡るように走り続ける。当然、暴発する可能性はある。だから、そうならないように集中して。細心の注意を払って。

 

 後ろを振り返る余裕はないが、まだ追ってきてはいないはずだ。"六杖光牢"を放ってから十秒も経っていない上に、私の単純な移動距離は既に1km以上に達しているのだから。

 

 大丈夫、大丈夫。無意識にそう言い聞かせながら、足を動かし続ける。

 

 大丈夫。隊長を相手に、うまく立ち回れたじゃないか。作戦は完璧だった。東仙は私の掌の上で踊っていただけだった。

 

 あとは、ここから逃げ切るだけ。

 

 だから……

 

 

「見事だ」

 

 

 聞こえるはずのない、声が聞こえた。

 

 それは思いの外、近くから。

 

「う、嘘……」

 

 信じられない。信じたくない。

 追いつかれた? まさか、"六杖光牢"まで仕掛けたのに?

 

 一瞬の動揺から、霊圧操作がほんの少し乱れる。しかしそんな小さな乱れでも、霊圧は簡単に暴発してしまう。

 

 続いて右後方から飛んできた、強烈な殺意と霊圧。それのせいで、私の霊圧コントロールは完全に崩れてしまった。

 

「うわっ!!」

 

 暴走した霊圧は一気に爆発し、意図しない方向へ術者を吹き飛ばす。私の身体は右方向に飛ばされ、そのまま落下しそうになったところで何とか体勢を立て直した。

 

「隙だらけだ」

 

 そのタイミングで、東仙が斬りかかってきた。

 そんなものを避けられるはずもなく、私は手にしていた斬魄刀で辛うじてそれを受け止める。

 

 そう。

 受け止めて、しまったんだ。

 

「うっ……!」

 

 凄まじい振動と共に耳の奥に激痛が走り、思わず左手で片耳を押さえる。

 

 視界が揺れる。

 目が回って、平衡感覚がなくなる。

 

 どちらが上で、どちらが下なのか。今自分は立っているのかどうか。それさえも分からなくなった。

 そして強く刀を押し出されれた拍子に完全に体勢を崩し、足場も維持できなくなってしまった。

 

「あ……」

 

 落ちる。これは、マズい。

 そう分かっても身体は動かない。受け身なんて取れるはずもない。

 刀を持った右手の拳と、空いた左手の掌で、ガンガンと痛む両耳を押さえる。ぬるりとした感覚。そうか、鼓膜がやられているんだ。

 

 風が吹きつける。落ちる。世界が回る。

 駄目だと叫ぶ意思とは裏腹に、まぶたが勝手に落ちてきて何も見えなくなった。

 

 それから一秒も経たないうちに、私は地面に叩きつけられた。

 

「っ……!!」

 

 あまりにも強い衝撃に、息が詰まる。

 

 次いで襲ってきたのは、全身がバラバラになりそうなくらいの苦痛だった。

 けれどそれより酷いのは、耳と頭の強烈な痛みだ。今まで修行や戦いによって怪我は散々負ってきたが、これは初めての感覚だった。

 

「立て」

「無茶……言わ、ないで……ください……」

 

 鼓膜をやられたせいではっきりとは聞こえないが、どうやら立てと言われたらしい。

 

 この状況で立てと? 

 無茶言うなと言い返したけれど、自分の声が頭の中で反響して、頭痛が酷くなっただけだった。最悪だ。

 

 しかし、このまま寝ていてもどうにもならない。私はゆっくりと身体を起こした。ふらつきながらも、何とか立ち上がる。

 頭の位置が高くなるにつれて、痛みも目眩も増していく。少しでも油断したら吐きそうだった。

 

「ここまで私を追い詰めた、お前の力に敬意を表そう」

 

 ここまで私を追い詰めた奴に言われたくない、と内心悪態をつきながら私は考える。

 

 さて、ここからどうやって逃げようか、と。

 

 こんな状態だからこそなのだろうか。どんなに痛みが強くても、思考だけはやけに冷静だった。死に瀕すると、人は逆に落ち着くものなのかもしれない。

 

「この期に及んで、まだ逃げようなどと考えているのか」

 

 その通り。ただ、それももう無理みたいだ。

 

 冷静だったからこそ、そんな諦めに近い境地に辿り着いて、私は小さく笑った。笑うしかなかった。

 

 東仙に仕掛けた"六杖光牢"は、辛うじてまだその効力を保っている。六本あった光の帯は残り二本となっていて、利き腕である右手が自由になってしまっていた。こうなれば、もう後は時間の問題だろう。

 

 そして、足元。二重に掛かっていた縛道がきれいに解除されてしまっている。

 いくら簡易な縛道でも、上半身を固定された不安定な体勢で簡単に破れるようなものではない。あの状況で冷静に判断して、私を追うために的確に足元だけ解除して、その上で私を追いながら詠唱つきの強固な"六杖光牢"を必要な部位だけ解いたと?

 

 そんな器用なことができるとは、思わなかった。私を追うためだけに、そこまでするとは思わなかった。

 先程東仙の油断を意図的に解いたことが、ここで仇となってしまったんだ。どうやら私は隊長というものを、甘く見過ぎていたらしい。

 

「お前に恨みはないが、殺せというご命令だ」

「そう、ですか……」

 

 誰の命令か、なんて訊かなくても分かることだ。

 最初から私を殺すつもりだったことも、その殺気の強さから理解していた。最初に私が始解した時に東仙が言っていた『あの時』も、恐らく私は殺されそうになったんだろう。

 

 だから、私は最初から全力だった。

 まだ死ぬ訳には、いかなかったから。

 

 でも、今はもう。

 

「……卍解」

 

 ほら。もう、どうしようもない。

 

 立ち尽くす私に、絶望の代名詞のような真っ暗闇が覆い被さっていく。

 

「"清虫終式(すずむしついしき)閻魔蟋蟀(えんまこおろぎ)"」

 

 そして、なにもわからなくなった。

 

 

 


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