傲慢の秤   作:初(はじめ)

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五十六、照れの応酬

 

 

 

 暖かかった。

 

 身体中が包み込まれるような。ゆったりと漂っているような。微かに揺らされているような。そんな、不思議な感覚。

 

 何だろう、と半ば無意識に指先を動かす。抵抗はなかったけれど、いつもと違う動き方だった。いつもと違う、でも感じたことはある。そうだ、これは。

 

「おふろ……?」

 

 いや、まさかそんな。お風呂って。脈絡なさすぎ。

 

 自分で言って自分で否定しながら、私はうっすらとまぶたを開けた。

 

「……お風呂だ」

 

 お風呂だった。というより、温泉か。

 

 目の前にあるのは、湯気の立ち上る濁った液体。濁ってはいるけれど、決して汚れている訳ではない。いい匂いするし。そう、どこからどう見ても温泉。それも露天風呂。

 

 この際、何故温泉に入っているかは気にしないことにしよう。そんなことよりもっと気にすべきことは、私に温泉に入った記憶がないことだ。

 誰だ、私を風呂に入れた奴は。意識不明の人間を風呂に入れたら、どう考えても溺れ死ぬでしょうが。何考えてるんだ。

 

 何だろう、考えてるとだんだん暑くなってきた。

 

「暑い……」

 

 ぽつり、と呟く。

 目が覚めるまでは心地よかったのに、目が覚めると暑くなるものなんだろうか。

 

 私は湯の中でも服を着ていることを確認した上で、ゆっくりと立ち上がった。

 

 立ち上がろうと、した。

 

「あれ」

 

 湯の中から、身体を持ち上げることができない。力が入らなくて、立ち上がれない。

 

「丸一日寝てましたからね」

「そうか喜助さんか」

 

 意識不明の私を、風呂に入れて放置したのはお前か。

 

 確信を持って上を向くと、楽しげに私を見下ろす喜助さんと目が合った。暑いから出るの手伝ってよ、と両手を伸ばす。すぐに意図を感じ取った喜助さんは、軽々と私を温泉から引っ張り出してくれた。

 

「どうです? 身体の調子は」

 

 手伝ってくれた礼を言うついでに、文句も言ってやろうと思っていた。けれど、差し出されたバスタオルと、気遣いの言葉によって、一度口をつぐむことになった。

 

 身体の調子? 何の話だと思った瞬間、思い出したことがあったのだ。

 

 東仙と戦ったこと。策は尽くしたものの、卍解まで出されてしまったこと。なす術なく殺されそうになったこと。"雲透(くもすき)"の言葉で、私が大きな勘違いをしていたと気づかされたこと。

 そして、卍解を教えてもらったこと。

 

「……桜花?」

 

 私の顔を覗き込む喜助さんの表情には、笑顔ながらもあからさまに心配が含まれていた。これまでは見過ごしていたそんな表情も、今の私はいちいち拾い上げてしまう。

 

 あの喜助さんが、私を心配している。そこにあるのは打算などではないと、今の私には分かってしまう。

 信じられない。ただ単純に、私のことを案じている。あの、喜助さんが。

 

「だ、大丈夫……うん、大丈夫だから」

 

 妙に気恥ずかしくて、ふいと視線を逸らす。駄目だ、真っ直ぐ目が見られない。

 

「そんなことより、ルキアの処刑は? 今どういう状況?」

「……桜花を連れ帰ってから丸一日なんで、まだまだ大丈夫っス。そんなことより」

 

 ぐ、と顔がこちらに近づく。

 やめて、目見られないからやめて。

 

「何か、あったんスか?」

「い、いいいいや? いや? 何もないけど? 身体はまぁちょっと怠いかなってくらいで、痛いとこはそんなにないし? うん」

「何かあったんスね」

 

 バレてる。

 これもう駄目なパターンかも。

 

 ここに至るまで喜助さんの心配の言葉をスルーし続け、その上で散々無茶をして、あんな死ぬギリギリみたいな怪我をした。そして喜助さんは、死にかけた私を回収してくれた訳だ。

 もう私の「大丈夫」の信頼度は、地に落ちたと言っても過言ではない。だからきっと、誤魔化しきれない。

 

 あぁでも、言いたくないなぁ。だってこれは、あまりにも恥ずかしい。こんなのバラしたら、絶対からかわれる。

 

「とりあえず、服着替えましょ。話はそれからっス」

「……ハイ」

 

 タイムリミットは、服を着替えるまで。それまでに上手い言い訳を考えておかないと私が死ぬ。恥ずか死ぬ。

 しかし、そんな言い訳がすぐに思いつくはずもなく。着替え終わった途端、喜助さんの追及は再開してしまった。

 

「もうこうなったら逃げ切れないの、知ってるでしょう? さっさと吐いた方が身のためっスよ」

「えっ、と……」

 

 よし、仕方ない。

 腹、くくるか。

 

「その、恥ずかしくて」

「へ?」

「いろいろあって、気づいたんだ。私を心配してくれる人、っていうか……私を、その……大切だって、好きだって、思ってくれる人が……けっこういるんだってこと」

「…………」

「自意識過剰かなって、思ったんだけど。多分そうじゃないから、何ていうか……恥ずかしくなってきちゃって……」

 

 喜助さんは何も言わない。

 いや、やめて。せめて何か言って。こんなふうにまじまじ見つめられるくらいなら、馬鹿にして笑ってくれた方がまだマシだ。

 

「今更っスね」

「え?」

「朽木隊長に何か言われたか、昔の知り合いに何か言われたか、斬魄刀に何か言われたか」

「えっ、えっ?」

「いずれにせよ……そうなってくると俄然、夜一サンや黒崎サンに会わせたくなってきますね」

 

 ニタァ、と喜助さんが笑った。

 あっやばい。話を逸らそう。そうしよう。

 

「き、喜助さんも来てるって、一護は知らないんじゃないの?」

「もう知ってますよ」

「いいの?」

 

 意外な言葉を聞いて、恥ずかしさを一瞬忘れた私は首を傾げた。

 知られても大丈夫なの? あれだけ徹底して、敵を騙すならまずは味方から、を実践していたのに。

 

「ハイ。桜花をここ連れてきた時点で、ボクの存在は敵に知られたと思って間違いないでしょうし」

「知られたって、何でそうなるの?」

「でも、ボクが裏でやりたかったことは全て終わってるんで、仮に黒崎サンの口から漏れたとしても問題ないんス」

「あれ、聞いてる?」

「誤魔化しとるんじゃ。お主を助けるために、随分と必死だったそうじゃからな」

「ちょ、夜一サン!?」

「元気そうじゃの、桜花」

「あ、夜一さん」

 

 にやにやしながら口を挟んできたのは夜一さんだった。珍しく、人間の姿の。

 

「ねぇ、そんなに必死だったの喜助さん。私に?」

 

 にやにや、にやにや。夜一さんと並んで、喜助さんを眺める。恥ずかしいのは、何だかもう通り過ぎてしまったらしい。開き直り、とも言う。

 

「そっかぁ。そうだよね、うんうん」

 

 仕返しだ、仕返し。別に喜助さんが何かした訳じゃないけど。

 

 恥ずかしさがなくなった後に残ったのは、純粋な嬉しさだった。

 喜助さんだけじゃない。今こうして一緒ににやにやしている夜一さんだって、私を心配してくれていたはずなのだ。こんなの、にやにやせずにいられるはずもない。

 

「……いいから話を進めて下さい」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で、喜助が言った。それを心から楽しそうに見ていた夜一さんが、話し始めた。

 

「おかしいとは、思わなかったか」

「何が?」

「隊長格があれだけ派手に戦っておいて、敵の(むくろ)をそのまま置いて帰る訳があるまい」

「あー、確かに」

 

 恐らく、私と東仙の戦いそのものを、藍染は"鏡花水月"の力で隠していた。だからどんなに音を立てようとも、東仙が卍解しようとも、私の死体を放置しようとも、他の死神がそれに気づくことはなかった。

 

 にも関わらず、その戦いの直後に喜助さんが姿を現した。喜助さんは"鏡花水月"の餌食になっているはずなのに、何の迷いもなく私の所へ向かっていた。そこに違和感を感じた藍染が、"鏡花水月"を一部解除したのではないか。

 

 というのが喜助さんと夜一さんの見解らしい。

 

「いろいろと世話になりました……」

「全く一護といい桜花といい、何故そう無茶をするんじゃ」

「一護はともかく、私のは不可抗力だから」

 

 そんなことより一護は? と訊ねる。夜一さんが指さした先からは、何かが衝突したような音がひっきりなしに聞こえてくる。遠すぎて、その姿まではよく見えないが。

 何やら騒がしいなとは思っていたけど、やっぱり一護だったか。相変わらず元気だなぁ、けっこう重傷だったろうに。

 

 そんな一護の様子を見に行くと言って、夜一さんは私たちから離れていった。残された私は軽く柔軟運動をしながら、喜助さんと話を続ける。

 

「黒崎サンもですが、傷は桜花の方が深かったんスよ」

「傷ねぇ……」

 

 そういえば私、心臓を突き刺されたような。

 よく生きてたな。普通は死ぬでしょ。

 

 そう言うと喜助さんは、卍解のおかげだろうとこともなげに答えた。どうして話してもいない私の卍解のことを、喜助さんが知っているのだろうか。

 

「覚えてないんスか? あんなに嬉しそうに報告してくれたのに」

「う、嬉しそうに……」

 

 形勢逆転。喜助さんがにやりと笑う。

 これは恥ずかしい。覚えてないってのが余計にしんどい。嬉しそうに卍解できたよって報告した? もういっそ知らないままの方がよかったよ。

 

「恐らくですが、全てのものを透過する能力なんでしょう。最初、ボクも触れませんでしたし」

「へぇ」

 

 どうやら私は、その能力で窮地を脱したらしい。確かに卍解の名前は教えてもらったが、その能力の詳細までは知らないままだ。それでも私は無意識下で能力を使いこなして、致命傷を避けた。私がすごいのか、それとも”雲透”が頑張ってくれたのか。恐らく後者だろう。

 

「ぼく、説明したはずなんだけどなぁ」

「うそぉ、覚えてないけど」

 

 横から聞こえてきた少年の声に、何気なく応える。誰か、なんて今更言われずとも分かる。これは私の斬魄刀の――

 

「"雲透"!? 何で? え?」

「きみさ、具象化って言葉知ってる?」

「知……ってるけど、何で……」

「馬鹿なのかな」

「あ、そうか。卍解したんだった」

「馬鹿だったね」

 

 酷い言いようだ。具象化しても、その容赦のなさは変わらなかったらしい。

 

 私と同じ髪型をした少年が、私よりずっと低い位置から不満げに私を見上げている。

 私はその頭に手を乗せて、そして喜助さんの方を向いた。喜助さんは、私達の姿を微笑ましそうな顔で眺めていた。

 

「卍解、少しでも鍛えてくるね」

「ハイ」

「喜助さん、助けに来てくれてありがとう」

「……ハイ」

 

 その返事が少し遅れていたことの意味に、私は気づかなかったふりをした。

 

 

 




次も半分以上できているので、しばしお待ちを。

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