隊長なら、隊首室にいらっしゃるかと。
十番隊の隊舎内で捕まえた男性死神に訊いたところによると、どうやらそういうことらしい。ついでに副隊長も同じ部屋にいるとのことで、私とルキアは二人に会いに十番隊の隊首室へ向かっていた。
朽木家の屋敷の使用人との顔合わせは、父様が回復してから一緒にしたい。そんな私の我儘によって、私たちは先に皆さんへの挨拶回りに行くことにしたのだ。
「とうし……日番谷隊長にはまだ、会っていないのか」
「ちゃんとは会ってないよ。正体を隠して『尸魂界に裏切り者がいるよ』ってことをこっそり伝えただけ」
「全く、またそうやってこそこそしおって」
「『また』って……喜助さんに似てる、とか言わないでよ」
「浦原に? まさか。おぬしは昔から陰でこそこそするのが好きだったからな、むしろ懐かしいくらいだ」
「うん、それはそれで混じりっ気のない悪口だね」
横を歩くルキアに、じとっとした目を向ける。
しかしルキアは、それを気にすることもない。呑気に右手の指を次々に折って、何やら数えている。
「今すぐ思いつくだけでも、四つ五つは例を挙げられるのだが……」
やばい。それなら陰でこそこそするのが好きだと言われても、仕方ないことなのかもしれない。
それにしても、昔の私が一体何をしたのか……聞きたいような、聞きたくないような。
「……例えば?」
とはいえ気にはなるからと、ルキアに話を続けるよう促す。するとルキアは意地の悪そうな、それでいて楽しそうな笑みを浮かべた。あ、嫌な予感。
「そうだな……例えば兄様や姉様にさえ告げず、屋敷を抜け出しては流魂街で遊びまわっていたとか」
「あー……」
それは一応、覚えている。私は三歳にして、常習的に屋敷を抜け出していた。父様にも母様にも芦谷にもバレていなかった『悪さ』とは、これのことである。もちろん、そんなことをしていたのには目的があった。
「そのせいなのだろうな。四大貴族でありながら、霊術院に入った時点で同期の流魂街出身の友人が何人もいたとか」
「あ、そう……」
どうやら当時の私は、目的を無事達成していたらしい。
私が重点的に訪れていたのは、西流魂街一地区『
言われてみれば、あれは確かに打算的な思考によるものだった。それも、漫画の流れを変えることを前提とした打算だ。無茶にも程があるだろう。
「昔、芦谷が本家の連中に嫌がらせを受けていてな。それを助けるために、裏から手を回して証拠を押さえてそやつらを叩き潰したとか」
「何してんの私」
それは知らない。何それ、そんなことしてたの私。ただのヤバい奴じゃん。
「合わせる顔がないと言って私に会いたがらない緋真姉様を騙して連れてきて、無理矢理私に引き会わせたとか」
「いや待って、何してんの私」
それは駄目だろう、いくらなんでも。母様とルキアを会わせてあげたいという気持ちはよく分かる。めちゃくちゃに分かる。それでも、騙してドッキリは良くない。
「絶対に会わないと姉様はどうしても譲らなかったけれど、それでも絶対に会った方が良いだろうと。その時の桜花はそう言っていたな」
「そりゃ、そうだろうけど……ルキアはどうだったの? そんな、無理矢理連れてきたりして」
「あぁ、感謝している」
「ん?」
一瞬、会話が成立していないのかと思った。しかし、どうやらそうではないようだ。その理由を訊こうとしたその時、私たちは目的地付近に到着してしまった。目の前の廊下を進めば、もう十番隊の隊首室だ。
「……その話、また改めて聞かせてね」
「そうだな」
すぐに辿り着いた隊首室の扉をノックして、ルキアが所属と名前を告げる。少し間があって、「入れ」という声がした。
「失礼します」
「し、失礼します……」
隊長に会うというのに、緊張感の欠片もなくすんなり入っていったルキアと対照的に、私は扉の隙間から恐る恐る顔を覗かせた。
十番隊の隊首室は、六番隊のそれと似たような構造をしていた。変人が隊長になれば隊首室を改造したりするらしいが、この二人は真面目な気質だからそのままなのだろう。その変人が誰なのかは、言わずもがな。
そんな部屋の中で、隊長用に誂えた机の椅子には銀髪の少年が、そして応接用のソファには金髪の美女が腰掛けていた。十番隊隊長の日番谷冬獅郎さんと、十番隊副隊長の松本乱菊さんだ。
「おい、怒らないから早く入ってこい」
「……はい」
その言葉がもう既にお叱りの口調なんですが。
もっともっとヤバい人たちの緊張感を知っている私にとっては、日番谷隊長のこの言葉なんて恐ろしくはない。それでも、怒られて嬉しい人もそういないだろう。
何となく忍び足で入室した私を、ルキアと日番谷隊長が呆れたような目で見ていた。また松本副隊長の方は、何やら楽しげに笑っている。
「お前ら、身体はもう良いのか」
「はい、ご覧の通り。お気遣いありがとうございます」
代表して、ルキアが問いに答えた。
何だかやけに丁寧な言葉遣いだ。漫画よりずっと、ルキアと日番谷隊長は親しいはずなのに。
「日番谷隊長、松本副隊長。この度は隊長格の皆様にご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」
「申し訳ありませんでした」
そんな疑問を抱きつつも、ルキアに続いて頭を下げる。
この件に関しては、私も一枚噛んでいるのだ。例え『ルキアを騙していた側』だったということは告げられないとしても、一度は謝っておきたかった。
「……いい。今回の件において、お前らは被害者だった。俺に謝る必要はない」
「とはいえ、私が罪を犯したのもまた事実でしょう?」
「そうだな。だがそれは、俺が追及すべき問題じゃねぇ」
「……判りました。ありがとうございます」
私の隣に立つルキアが、礼を述べるとともに再度頭を下げた。そしてその顔を上げた時、ルキアは確かに笑みを浮かべていた。
「とまあ、前置きはそこまでにして」
ルキアが不意に、畏まった態度を解いた。
ラフな調子で、しかし真摯な思いの滲み出る口調でこう続ける。
「済まなかった、冬獅郎。おぬしにも要らぬ心配を掛けてしまった」
あ、やっぱりそういう感じなのね。
ここで、漫画と大きく違う点がまた一つ。
本来はルキアより後に霊術院に入ったはずの日番谷冬獅郎が、ルキアと同期なのである。ルキアと同期ということは、恋次や雛森桃、吉良イヅル、それから私とも同期ということになる。
二千年の歴史を持つ真央霊術院の何期生にあたるのかは分からないが、異常なまでに戦力的にぶっ壊れている世代である。
「あぁ、全くだ」
今度は素直に謝罪を受け入れた日番谷隊長が、机越しに私たちをまじまじと見つめる。
「しかし……お前らが二人並んでいるところなんて、久々に見た気がするな」
「今のは『また二人に会えて嬉しい』って意味よ」
空気が緩んだと見るや、すかさず会話に割り込んで来たのは松本副隊長だ。満面の笑みで茶々を入れる副隊長に、日番谷隊長は大声を上げる。
「変な通訳をするな! 誰もんなこと言っちゃいねぇだろーが!」
「えー? 隊長嬉しくないんですか? 久々に友達に会えたのに?」
「それは……その、全く嬉しくないっていうと嘘になるが……」
「ツンデレかな?」
「お前は黙ってろ桜花!」
ほう。私は下の名前で呼ばれていた、と。
かわいらしいことを言う日番谷隊長に思わず突っ込むと、ナチュラルに怒鳴られた。なるほど。どうやら昔の私は、彼とも友達のような関係を築いていたらしい。
そういえば私個人からの挨拶がまだだった、とふと思い出した私は、日番谷隊長が落ち着いた頃に改めて姿勢を正して口を開いた。
「……お久しぶりです、日番谷隊長」
「あぁ」
「それから初めまして、松本副隊長」
「あら、初めましてじゃないわよ。私たち」
「え? あ、そうなんですか?」
松本副隊長によると、私が霊術院生の頃に一度会ったことがあるのだとか。
二人は私の記憶について既に把握しているようで、私が松本副隊長と会っていたことを忘れてしまっていることに触れようとはしなかった。今回はそれに甘えることにして、日番谷隊長を相手に話を進める。
「どうやら私も、ルキアのように日番谷隊長と親しかったようで」
「……まぁ、そうだろうな」
ほんの少し顔を逸して、日番谷隊長はぼそぼそと答える。何とも的を得ない、他人事のような言葉だった。
お? これはもしかして、多少攻めても許される感じか?
それどころかルキアや恋次と同じパターンで、積極的に打ち解けにいった方が喜ばれるのかもしれない。
「ところで、ルキアは日番谷隊長のことを呼び捨てにしていましたよね」
「……許可した覚えはないがな」
「となれば、私も冬獅郎とお呼びしても?」
「良い訳あるか。許可した覚えはないって今言ったよな?」
駄目だったか。確かにこの人は漫画でも、立場がどうとか呼び方がどうとかうるさく言っていた印象がある。満更でもなさそうに見えるが、それにしても距離を詰め過ぎたかと反省していると、ルキアが助け舟を出してくれた。
「まあそう言うな、冬獅郎。ぷらいべーと、というやつなら良いだろう」
「そう、だが……」
日番谷隊長が口籠り、そして少し経って呆れたようにぼやいた。
「だとしても、ここは隊首室だろうが」
「ねぇ、隊長」
そんな時、どこまでも律儀な日番谷隊長に声を掛けたのは、松本副隊長だった。
「今ここにいるのは、副隊長である松本乱菊じゃなくて、ただの松本乱菊。だから今の隊長も隊長じゃなくて、ただの日番谷冬獅郎。それなら問題ないでしょ?」
「…………」
目を丸くして松本副隊長を見つめた日番谷隊長が、ふっと息を漏らして、そして呟く。
「……どさくさに紛れて呼び捨てにしてんじゃねぇよ」
「あら、バレました?」
副隊長は悪びれず笑う。
「まぁ、今くらいは好きに呼べば良いさ」
そう言って、日番谷隊長も口角を上げた。
日番谷冬獅郎とは、こんな緩い感じの人だっただろうか。不思議に思いながらも、私はその言葉に甘えることにした。
「じゃあ、改めて。急にいなくなってしまって、それから心配を掛けてしまって、ごめんなさい」
「構わねぇよ、こうして生きてるなら。……ただ、タメ口でも良いとは言ってねぇがな」
「うん、ありがとう冬獅郎」
「聞いてんのか、てめぇコラ」
◆ ◆ ◆
第一印象は、『いけ好かないチビ』だった。
まだ五つというその少女は、流魂街に暮らしている者にしては上質な着物をまとっていた。
流魂街の中でも裕福な地区の一つである、ここ『潤林安』であっても若干浮いてしまう。そんなある種異質な雰囲気をまとった彼女は、日番谷冬獅郎に出会うなり目を輝かせてこう言い放った。
「あなた霊圧すごいね!」
当時は霊圧が何たるかを知らなかった冬獅郎は、ぞんざいな態度で彼女を追い払おうとした。目立つ髪色と瞳の色のせいで、変な奴らに絡まれ慣れていた冬獅郎にとっては、急に話し掛けてくる他人は皆敵だったのだ。
しかし、少女はめげなかった。
「私ね、桜花っていうの。友達になってくれない?」
「訊いてねぇし、なんねぇよ」
この年齢にして、この身なりとくれば、その正体は考えずとも明確だった。どこかのお貴族様の娘、それしかなかった。
そんな金持ちの道楽には付き合っていられない。冬獅郎は自分についてこようとする少女、桜花から逃げるように不意に駆け出した。
そして自宅に戻り、桜花を完全に撒いたと思った瞬間だった。
「ちょっと、逃げないでよ!」
「うわっ!?」
前触れなく後ろから声を掛けられ、驚いて跳び上がる。
逃げ切ったと思っていた年下の女の子に追いつかれた。しかも息一つ乱していないときた。それで何となくプライドを傷つけられたからなのだろう、その後の数年間冬獅郎は桜花に対して素直に向き合うことができなかった。
それでも桜花の方は諦めずに、ずっと冬獅郎に絡み続けていたのだけれど。
そして、そんな関係性を変えてくれたのは、冬獅郎と一緒に住んでいた雛森桃だった。冬獅郎と違って一瞬で桜花と仲良くなった雛森が間に入ってくれたおかげで、ようやく冬獅郎と桜花はまともに会話するようになったのだ。
「そういやお前、何ていうとこの貴族なんだ?」
「んー、朽木ってところ」
「それってやっぱり偉いの?」
「さぁ? 私もよく分かんないんだよねぇ」
貴族のことなんて何も知らなかった冬獅郎と雛森は、桜花の答えを軽く聞き流した。それは「よく分かんない」とへらへら笑う彼女が、どうやってもお嬢様には見えなかったからでもあった。
そして、時は流れ。
その『朽木』という家がとんでもない大貴族の名だということに二人が気づいたのは、桜花に誘われて入学した真央霊術院の入学式でのことであった。
霊術院の正門の前に桜花が現れた途端に、数多の新入学生たちが一斉に跪いたのだ。
「何だ、アイツ」
近くに立っていた見知らぬ少年が、不思議そうに呟く。その少年のように、何が何やら分からず立ったままの学院生たちも一定数存在した。冬獅郎や雛森も、その一部だった。
「お前っ……アイツとか言うなよ!」
その少年の近くにいた別の学院生が、慌てて少年の口を塞ぎ、押さえつけるようにその場に跪かせた。
「あの方はな、五大貴族の一つに数えられる朽木家の次期当主様だぞ。本来はお目に掛かることさえできない方だというのに……これだから流魂街の田舎者は……」
何事かと遠巻きにざわめく流魂街出身者たちと、黙って跪く貴族の子息子女たち。そして跪く人々に目もくれず、背筋を伸ばして歩く桜花。
未だかつて目にしたことのない異様な光景に、雛森は呆然と零したのだった。
「ねぇ、シロちゃん。もしかして桜花ちゃんって、ものすごく偉い貴族様なのかな」
「……みたいだな」
「桜花ちゃん、なんて呼ばない方がいいのかなぁ」
「それは……まぁ、本人に訊いてみろよ」
多分「そのままでいい」と騒ぐんだろうけど、と冬獅郎は小さく笑った。
冬獅郎の、その予想は正しかった。後程その話をすると、案の定桜花は猛烈に反対したのだ。
「は? 絶対やだよ」
何考えてんの? 私から友達を奪うの? 寂しくて泣くよ? と半ばキレながら言われて固まった雛森を見て、ついに冬獅郎は吹き出した。
「え、今面白い要素あった?」
「いや……お前らしいなって」
「何それ喧嘩売ってんの?」
「褒めてんだよ、馬鹿」
ならば、と冬獅郎は続ける。
今後、桜花が当主を継いだとしても。
もし仮に冬獅郎や雛森が、桜花よりも出世したとしても。
「どうあっても、お前はこんな感じで良いんだろ?」
「うん。公的な場以外は、になっちゃうけど……いいの?」
「お前がそうしろっつったんだろ。なぁ、桃」
「うん。桜花ちゃんがそれでいいなら、あたしもそうするね」
一も二もなく了承した冬獅郎と雛森を見て、桜花はそれはそれは嬉しそうに笑ったのだった。
ここからさらに数話かけて色んな人と話をして、それから
色んな人と絡ませる予定なので、少しだけお付き合いください。