傲慢の秤   作:初(はじめ)

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六十八、受けて立つ

 

 

 

 父様が目を覚ましたという知らせがあった。

 

 本当はルキアと一緒に行くつもりだったけれど、ルキア本人がそれを辞退した。曰く、親子水入らずの時間を楽しめ、とのことだ。その言い方が何となく気に掛かって、ルキアも家族だよとしっかり言い聞かせておいた。

 ルキアは一瞬虚を突かれたような顔をして、それから泣きそうな笑顔を浮かべて頷いた。

 

 しかしそれでも、とりあえずは私一人で行くべきだとルキアは言った。自分はこの数十年間、兄様を独り占めしたのだからと。そしてそれに、六番隊副隊長である恋次と六番隊三席である桃が賛同した。

 そこまで言われてしまっては、これ以上反論するのも気が引けて、私は言われた通り一人で父様の病室へと向かうことになった。

 

 そして病室に着いて、いざノックをしようと手を動かした瞬間だった。

 

「申し訳ありませんでしたっ!」

 

 何か芦谷がめちゃくちゃ謝ってるんだけど。

 

 え? 何で芦谷? 何やってんの、あの人。どうやら無事そうで安心はしたけども。

 

「桜花のためだったのだろう?」

「はい……しかし、どんな事情であれ許されない行為であることは確かです」

「そうか」

「はい。本当に、申し訳ございませんでした。許していただけるとは毛頭思っておりませんが、それでも私は――」

「もう良い。これ以上謝意を述べることは禁ずる」

「……かしこまりました」

 

 なるほど、そう言えば芦谷を止めることができるのか。扱いが上手だなぁ、流石は四大貴族当主だ。

 

 彼が何故謝っていたのかは、何となく見当がついた。そりゃ謝りもするよねとは思うけれど、そもそもの原因は私にあるのだ。申し訳ない思いを抱えたまま、私は会話を遮らないようノックをした。話の切れ目だったからか、すぐに父様の返事が返ってくる。

 

「入れ」

「失礼します」

 

 父様の病室は私や恋次のそれよりずっと広々としていて、父様と芦谷の二人しかいないことが寂しく感じてしまうくらいだった。壁には、開け放たれた窓が二つ。どちらも東向きの窓だったため、夕方に近い今の時間帯、日光は差し込まないようであった。

 とはいえ薄暗いというわけでもない部屋の、壁沿いに置かれたベッドに父様はいた。どうやらもう横たわっていなくても良いようで、ベッド上でヘッドボードにもたれるように座っている。

 

 あぁ、良かった。思わず安堵の息が漏れる。

 もちろん生きているのは分かっていたけれど、やはり実際に起き上がっている姿を見るまでは落ち着かなかったのだ。

 

「……父様、お怪我はもうよろしいのですか?」

「あぁ」

 

 いつも通りの真顔のまま、父様は頷いた。私と違って全快とまではいかないのだろう、白装束から包帯が覗いている。しかし見る限り平気そうにしているし、何より起きていられるのだから、恐らく本当に大丈夫なのだ。嬉しいことに。

 

「良かった……」

 

 息をついて立ち尽くしていると、私が入室してすぐに(ひざまずい)ていた芦谷が、音もなく立ち上がって私に椅子を勧めてくれた。

 

「……桜花様、こちらに」

「あぁ、うん。ありがとう」

「とんでもございません」

 

 礼を言って、私は病室備え付けの丸椅子に腰掛けた。

 

「では、私はこれで」

「芦谷」

 

 空気を読んで退室しようとした芦谷を呼び止める。はい、とすぐに返事をして、芦谷がこちらを向いた。その真面目くさった顔を解すように笑いかける。

 

「芦谷も無事で良かった。色々とありがとね」

「そ、そんな……私は……」

「また後で昔の話、たくさん聞かせてくれる?」

「っ……もちろんです! 必ずや!」

 

 眼鏡レンズの下の目をきらきらと輝かせて、芦谷は大袈裟なまでに大きく頷いた。こんな無邪気な表情を見ると、何となく可愛く思えてくる。いつも真面目な硬い顔ばかりだからかなぁ。ギャップってやつだね、きっと。

 

 心なしか楽しそうな背中を見送って、それから父様に向き合う。

 

「私の方も、見ての通り無事です」

「そうか」

 

 返ってきたのは、何でもなさそうな素っ気ない言葉だった。もちろん、本当にどうでも良いと思っている訳ではない。

 先日父様の意見を無視して行ってしまったということもあり、気まずくなるかもしれないと思っていた。しかしそれはただの杞憂で、父様の様子はいつもと変わらなかった。

 

 それから私は、父様にたくさんの話をした。

 

 現世で過ごした日々のこと。浦原商店の皆がもう一つの家族であるということ。一護と幼馴染であること。

 尸魂界にやってきてから私がしたこと。藍染惣右介のこと。

 そして今日の午前、母様のところへ行ってきたということ。

 

 何もかも本当のことを話しては、父様に嫌がられてしまうかもしれない。以前はそう思っていたけれど、今はもう分かっている。私が何を言おうとも、叱ることこそあれ、本心から嫌うことなんて有り得ないということを。

 

「一人で、行ったのか」

 

 こうして向かい合ってどんな話をしても「そうか」としか言わなかった父様が、やけに真剣な顔で私に問い掛けた。それは、母様のところへ行ったという話をした時のことであった。

 

「え? あ、はい。一人でしたが、途中からルキアも合流しました」

「そうか……なら良い」

 

 良い? 何が? と目で問うたものの父様ははっきりとした返答はせず、「気にするな」とだけ言ってすぐに目を逸らしてしまった。何のことだろうと再度訊いたものの、答えは返ってこなかった。何だよもう、気になるなぁ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 父様の病室を辞して、それから私は芦谷がいるであろう五番隊隊舎へと向かった。

 

 五番隊の隊士たちは、酷く忙しなく立ち働いていた。隊長が謀反を起こして失踪したのだから、そうなるのも無理はない。むしろ、こんな状況で五番隊隊長代理となる芦谷が、父様に謝りに行くためだけに隊舎を離れていたことの方が驚きだ。

 ともかく、そんな状態なら芦谷とのんびり話している時間なんてあるはずもない。明日すぐに帰る訳でもないし、急がずとも話をする機会くらいまた作れるだろう。

 

 さしあたってしなければならないのは、今夜の寝床の算段だ。朽木家の邸宅に戻るのは、父様が復帰してから。とはいえ、元気なのに病室に戻る訳にもいかない。さて困ったものだと呑気に考えながら、瀞霊廷(せいれいてい)の石畳を歩く。

 

 そして、とある十字路に差し掛かった時。

 私はふと、足を止めた。

 

「……わお」

 

 十字路の中心にある大きな割れ目と、その周りに散らばった血痕。それから、その十字路からから見える景色。間違いない。ここは、東仙と戦った時に私が地面に叩きつけられた場所だ。

 

 その不自然に抉れた地面を、隊士たちが整備している。

 

「これ、ここに人が落ちてきたってことだよな」

「だろうな」

「この出血じゃ、死んでるだろうなぁ」

 

 生きてます。

 

 ごめんそれ私なんだよね、だなんて声を掛けるのも気まずくて、ぼんやりと突っ立ってその光景を眺める。そんな不審者然とした私に、「誰だお前」という隊士たちの視線が突き刺さる。

 

 いやあ……それにしても痛かったなぁ、あれは。戦うのは嫌じゃないけど、やっぱり怪我はしたいものじゃないよね。

 

「何やってんだ、お前」

「何って……」

 

 そうしているうちに、ついに声を掛けられてしまった。何をやっているのかと問われても、答えに困る。単純に見ているだけなのだから。

 

「見ない顔だな。どこの所属だ?」

「…………」

 

 その質問も、なかなかに回答に困る。霊術院生時に失踪した私は、当然ながらどこの隊にも所属していないからだ。

 そもそもこの人たちは、ルキアを見たことがないのだろうか。私の顔はルキアによく似ているのだから、見ない顔だとはならないはずなのに。

 

「怪しい奴め。もしや旅禍の残党か?」

「おい、名くらい言ったらどうだ?」

 

 何も言わない私に痺れを切らしたか、ついに隊士たちは刀に手を掛けた。

 

 これマズくない? え、名乗ればいいの? 名乗って伝わるものなの?

 

「……朽木桜花といいます」

 

 こんなことなら最初から姿を消しておけば良かった、とうんざりしながら隊士たちに名前を告げる。しかし朽木と聞いた隊士たちは、それでも疑わしげな態度を崩さなかった。

 

「え? 朽木って、まさか……」

「でも現当主の妹さんは名前が違わなかったか?」

「だよなぁ」

 

 名乗っても伝わらなかった。むしろ、余計に訝しげな目を向けられただけだった。

 そりゃそうだよね。いくら朽木家の娘でも、死神になる前に失踪した奴の名前や人相が出回る訳がないもんね。流石に隊長格や一部の貴族には、名前くらいは知られているんだろうけど。

 

 さてどうするか、いっそ"曲光(きょっこう)"で姿を隠してしまうか、もしくは"空蝉(うつせみ)"で逃げてしまうか。とはいえ、そのせいで「不審者が出た」という騒ぎは起こしたくない。

 

「おや、誰かと思えば桜花ちゃんじゃないの」

 

 そんな時、不意に上から声を掛けられた。……上?

 

「た、隊長!?」

「いきなりごめんね。この子、ボクの知り合いなんだ」

 

 隊士たちが慌てているのを他所に、私は声の聞こえた方を見上げた。

 

 塀で囲われた十字路の外側、平屋建ての建物の屋根の上に腰掛けている男性がいた。黒い長髪に、華やかな桃色の着物。その下に見え隠れする、白の隊長羽織。

 

「……京楽さん?」

「良かった、ボクのことは覚えてるみたいだね」

 

 私が名前を呟くと、京楽さんは人懐っこい笑みを浮かべた。

 屋根の上に片膝を立てて座り込むなんて、行儀は良くないはずのに、この人の場合はその笑みも含めて何故か様になっている。

 

「どうしてこんなところに?」

「それはこっちの台詞だよ。隊首会に来いって、誰かに言われなかったのかい?」

「……え?」

 

 隊首会に来いだなんて、言われる訳がない。

 何の話かさっぱり分からなくて、思わず素で訊き返してしまった。

 

「半刻くらい前に伝令が来たんだけどね。今から半刻後に緊急で隊首会が開かれることになったんだ。それに桜花ちゃんも呼ばれてるんだよ」

「私が、隊首会に?」

 

 緊急で隊首会が開かれる?

 その隊首会に、私が呼ばれている?

 

「詳細は行きながら話そうか」

 

 理解は追いつかなかったけれど、京楽さんがそう言って立ち上がれば、もう素直についていくしかない。呆気にとられたままの隊士たちを置いて、私は京楽さんに続くように屋根へ飛び乗った。

 

「浦原喜助がね。桜花ちゃんが目覚めたと聞いた途端、全てを話すと言い出したんだ」

 

 屋根伝いに歩いたり、下に降りて道なりに歩いたり。目的地に直線的に向かいながらも、さして急いでいる訳でもなさそうな道中に、京楽さんはそんなことを言った。

 

「全てを話すって、一体……」

「キミに昔の記憶がないことと、現世で一緒に住んでいたこと。それから桜花ちゃんとルキアちゃんに酷いことをしたのは、自分の独断だった。桜花ちゃんは何も知らない。それだけ言って、後はだんまりさ」

 

 喜助さんがそう言ったことは、ルキアから聞いて知っている。しかし、後はだんまりというのが気に掛かる。これではまるで、尋問されているみたいな言い方じゃないか。

 それに藍染惣右介のことや今回の尸魂界侵入計画のこと、それから崩玉というものの詳細など、話すべきことは山程あるだろうに。一体何の目的があって、黙っているのだろうか。

 

「喜助さんは、何も話してないんですか?」

「『喜助さん』、ね……」

 

 親しいのかい? と京楽さんが問う。

 何だ。あの人、そのことについても話していないのか。

 

「はい。私のもう一つの家族ですから」

「……あんなことを、されてもかい?」

「なかなかデリケートなことを訊くんですね」

 

 こちらを伺うように見ている京楽さんを、真っ直ぐ見つめ返しながら答える。

 それ、普通訊くかな。もし私が気にしていたらどうするんだ。まぁ、実際は気にもしていないのだけれど。

 

「気にしてないんだね」

 

 表情の変わらない私を見て、その感情を察したらしい。京楽さんは少し驚いているようだった。変なことを訊いてごめんね、と続けた京楽さんに向けて、私は再度口を開いた。

 

「腹は、立ってますけどね」

 

 気に病んではいない。ただ、喜助さんに対して猛烈に怒っているだけだ。

 

 しかしそれも『私に黙って事を進めたこと』に対する怒りであって、『崩玉を埋め込まれていたこと』に対するものでは決してない。だからどう転んでも、家族に酷いことをされたという落ち込み方にはならないのだ。

 

「それで結局上手くいったと考えると、納得できるところもありますけど……」

 

 実際のところ、納得どころの話ではない。ルキアの中のものが偽物だったことも、どうせ喜助さんのことだから偽物には仕掛けを施しているはずだということも、私の中に本物を隠していたことも、全てひっくるめてファインプレーだとすら思っている。

 結果として崩玉は藍染惣右介の手に渡らず、その藍染は偽崩玉を本物だと信じているのだから、これをファインプレーと言わずして何と言うのか。

 

「それでも気に食わないものは気に食わないので、後で蹴飛ばします」

「そ、そうかい」

「ところで。その件と、私が隊首会に呼ばれている件とは、どんな関係が?」

「あぁ、その話だったね」

 

 未だに理解は追いついていない。

 今回の計画について話すなら、わざわざ私を呼ばずとも喜助さんの口から説明した方が、卒も隙もないだろう。それなのに自分は口を閉ざし、代わりに私を呼んで説明させようとしているようにも思える。

 そしてもし本当にそうだったとして、私にはその意図がさっぱり分からないのだ。

 

「ともかく、浦原喜助は何も言わなかった。だから尸魂界としても、まともな判決を下すことができなかったんだ。特に今は四十六室が全く機能していないしね」

「判決……」

「ところが今日になって、自分の口から謝りたいから判決の場に桜花ちゃんも呼んでほしいと言い出したんだ。その希望を叶えてくれるなら全てを話しても良い、とね」

「…………」

 

 ――あぁ、なるほど。

 

 ようやく腑に落ちた。

 

 自分の独断だった。

 後はだんまり。

 判決を下すことができなかった。

 四十六室が機能していない。

 判決の場に、私を呼びたい。

 

 離れていた点と点が、線で繋がっていくような感覚だった。

 

 喜助さんは計画的に全ての罪を被った。そして恐らく、そのせいで拘束されている。その上で尋問を受けてたものの「自分のせいだ」とだけ言って、後はだんまりを貫いていた。

 しかし私が目を覚ましたと聞くやいなや、一転して全てを話すと告げて判決を下す場を用意させた。四十六室が全滅してしまっている今、護廷十三隊内で起きたことの判決が下されるとすれば、それは間違いなく隊首会ということになる。

 

 その『隊首会』に、私も呼ばれているという事実が肝である。

 

 隊首会が勝負の場という事実は、私にとって途轍(とてつ)もなく都合が良い。何故なら私は隊首会に出席する方々の性格を、人によってはその能力まで詳細に把握しているからだ。

 

「……喜助さんは今、どこに?」

「そうか、そのことも知らなかったんだね」

 

 長く黙り込んで、ようやくそれだけ口にした私を見て、京楽さんも色々と察したらしい。申し訳なさそうに眉尻を下げて、それから答えをくれた。

 

「一番隊所轄の牢の中だよ」

「そう、ですか……」

 

 あの人が何を狙っているのかは、よく分かった。爪を深く食い込ませ、拳を握りしめる。

 

「ほんっとに、あの人は……!」

 

 こうなったらもう、徹底的にやってやる。私の持ち得る全ての知識を使えば、やってできないことはないはずだ。

 

 ――その勝負、受けて立つ。

 

 心の中で、そう呟く。腹立たしいだなんて感情は、とうに通り過ぎてしまっていた。

 

 

 




スイッチON。
浦原さん終了のお知らせ(その二)

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