傲慢の秤   作:初(はじめ)

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七十一、過去の欠片

 

 

 

「で、道の真ん中に放置してきたのか? 縛りつけたまま?」

「そうだよ」

「鬼かよ」

 

 ストレスを発散させた後、私は宿泊場所を求めて一護たちの所へ向かった。

 私と同じく織姫の技で回復した一護は、昨日の大怪我が嘘のように元気そうだった。織姫に治療の礼を言って、そして私は彼ら全員に話をした。尸魂界に侵入した目的、藍染惣右介のこと、私の生まれのこと。もちろん何もかも包み隠さず話す訳にはいかず、所々端折りながら伝えることとなった。

 

 その流れで、喜助さんを思う存分ボコボコにして縛道の試し撃ちをして、そのまま放置してきたことを話すと、一護を始めとしたクラスメイトたちにドン引かれてしまった。解せない。

 

「何で? 他の人が見たらびっくりするだろうから、ちゃんと"曲光(きょっこう)"まで掛けて誰にも見えないようにしておいたのに」

「余計に悪質だよ……通行人に踏まれるだろうに」

「踏まれたら駄目なの?」

「…………」

 

 一護たちは喜助さんのやったことを詳細に知らないから、そんな優しいことが言えるんだ。言うつもりはないが、もし知ったら誰だって納得するに違いない。

 

「お前……そろそろ許してやれよ……」

「許してるよ? もう別に怒ってないし」

「怒ってない奴は『踏まれてもいい』とは言わねーからな」

「いい、とは言ってないでしょ」

 

 一部始終を見ていた冬獅郎やルキアにも、"曲光"を掛ける辺りで「もう止めておけ」と言われたけれど、それでも今回あの人に同情の余地はない。それにどんな縛道を掛けたとしても、どうせ何らかの手段ですぐに抜け出してしまうんだから、変な遠慮はいらないだろうに。

 

 唯一、その場に一緒にいた夜一さんだけは私の言葉に理解を示してくれた。言葉だけでは足りぬ、物理的に叩きのめさなければ学習せぬ奴じゃからのう。夜一さんはそう言っていたが、学習したとて必要ならまた同じことを繰り返すのが喜助さんである。

 その思考回路が理解できなくもないことも、彼への腹立たしさを助長していた。まぁ、とりあえず許しはしているけれど。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして、藍染惣右介との戦いから三日後。

 現世組は夕刻に、尸魂界から帰還することとなった。

 

 織姫の協力もあって父様は出立の日の午前中には退院でき、朽木家への挨拶も昼過ぎには終了した。屋敷の人たちは皆、私の帰還を泣いて喜んでくれた。

 

 非常に多忙な芦谷とは、結局きちんと話はできなかった。もう二度と会えないという訳でもなし、また別の機会にでもと告げに行くと、書類に埋もれた芦谷は泣きそうになっていた。ごめんよ、その恨みは全て藍染にぶつけてください。

 

 他の隊長格たちとは話すことができた。京楽さんや浮竹さんとも話をした。ルキアと海燕さんとの間に何があったのかを聞けたのが、何よりの収穫だったと言えるだろう。

 

「なぁ、お前さ。学校どうすんだ?」

「学校?」

 

 夕日で赤く染まった穿界門(せんかいもん)の前で、喜助さんが隊士たちに手慣れた様子であれこれ指示を出している。立ち働いているのは十二番隊所属の死神らしいが、本人は来ていないとはいえあの(くろつち)隊長が喜助さんに隊士を貸し出してくれたことには驚いた。

 それも喜助さんと知り合いである阿近(あこん)三席の姿まであるとなれば、実は仲良しなんじゃないかと疑うレベルである。

 

 そんな不思議な事態の中で、帰り支度を整えた一護が険しい顔で「学校はどうするんだ」と訊ねてきた。

 まさか高校のことではあるまいし、となると霊術院のことだろうか。それがどうかしたのか、と思いつつもそれに答える。

 

「うーん……行きたいけど、もう行かせてはくれないだろうね」

 

 今はまだ違うが、私もいずれ護廷十三隊に所属することになる。しかしそのために必要な死神としての心得や知識だったり、書類仕事のこなし方だったり、そういったものが私には欠けているのだ。だからこそ、真央霊術院くらいは卒業しておきたい。それに朽木家の令嬢が霊術院中退というのも、あまり体裁が良くないだろう。

 

 だが、しかし。始解どころか卍解まで習得済みの霊術院生が、果たして許容されるのかという話である。他の霊術院生どころか、下手をしたら教員より強いかもしれない私はきっと、非常に扱いづらい存在になってしまうことだろう。

 

「……そうかよ」

 

 私の返答を聞いた一護は、不機嫌そうにそう呟いたきり黙り込んでしまった。同じく準備を終えた石田やチャドも、どことなく気まずそうな顔をしていた。織姫は何のことやら分かっていないようだったが。

 

「お前がそうするって決めたなら、そうすりゃいい。ただ……一回、たつき達にもきちんと話しに来いよな」

 

 あ、なるほど。そっちね。

 

 どうやら揃いも揃って、良からぬ勘違いをしているようだ。敢えて訂正はしないけれど。

 

「分かってるよ」

 

 私は小さく苦笑して、一護の言葉に頷いたのだった。

 

 そうしているうちにも穿界門の準備が整い、隊長格の皆さんが見送りに来てくれた。十一番隊と十二番隊を除く全ての隊長格が揃った姿はやはり壮観で、卍解を会得した身である以上、私もいつかあそこに並ぶことになるかもしれないことが信じられないくらいだった。

 

「何だ、これ」

 

 そんな中で浮竹さんから板状のものを受け取った一護が、不思議そうに首を傾げる。

 

 浮竹さんから渡されたものは、ドクロの描かれた絵馬のような形状をしていた。通称は代行証、正式名称は死神代行許可……あれ、何だっけか。

 

「死神代行戦闘許可証だよ。一応尸魂界にも死神代行の発生に対応した法律があってね」

 

 そう、それだ。死神代行戦闘許可証。

 石田が何やら気にしていた描写があったような、とまじまじ代行証を覗き込む。浮竹さんの説明を聞きながら指先でつついてみたが、感触にも霊圧にも違和感はなさそうだった。

 ちらりと喜助さんを見ると、しっかりと目が合った。やはり私と同じく、何かしら思うところはあるらしい。後で訊いておこう。

 

 そして浮竹さんの話が終わった頃を見計らって、喜助さんは私たちに声を掛けた。

 

「皆サン、準備は良いっスか?」

「あぁ」

 

 一護が代表して頷いた。

 閉じられた巨大な扉に触れ、喜助さんは仕上げとばかりに呟く。

 

「……開門」

 

 途端に、どこからか分からない風が巻き起こり、私たちの髪や服を揺らした。その迫力はともかく、造りに関しては往路で利用した穿界門とは訳が違う。あんな手作り感満載の写真フレームみたいなものではなく、きちんと作り上げられた和風な門だった。

 

 その門を背景に、私とルキアに向き直った一護が笑う。

 

「じゃあな、ルキア」

「あぁ」

 

 ふっと表情を緩めて、ルキアも笑った。どうやら私のいないところで、ルキアの口から尸魂界に残るという話はしていたらしい。

 

 そして一護は次に、私に視線を移した。つい先程まで大人びた笑みを浮かべていた一護が私に向けたのは、随分と幼げなものだった。ふてくされたような、それでいて落ち込んでいるような、そんな不機嫌な。

 

「ちょっと、何で私にはそんな顔なの」

「うるせぇよ」

 

 かわいい。一護がかわいい。

 ふい、と私から目を逸らす。その態度まで含めてかわいい。私の意思を尊重するなんて言いながら、実際の言動がこれだなんていじらしすぎる。弟かな?

 

「そう落ち込まないで。姉ちゃん心配しちゃうでしょ」

「落ち込んでねぇし! 姉設定やめろ!」

 

 そうやって怒鳴りはしても、一緒に現世に帰ろうとは決して言わない。こういうところは、この子の良い所だとしみじみと思う。

 

「優しいね、一護は」

「……別に」

「ありがとう」

 

 勘違いだろうと何だろうと、彼の言動は素直に嬉しかった。その感情そのままに礼を告げると、一護は目を見開いて、それから一瞬だけ顔を歪めた。

 

 そして、その表情が消えた頃。

 私は、何気なさを装って呟いた。

 

「まぁ、私も現世に帰るんだけどね」

「は?」

「え?」

 

 一護を始めとしたクラスメイト、死神たちが動きを止める。

 

 ――よし、今がチャンスだ。

 

 私は前触れもなく、いきなりくるりと振り返った。父様、ルキア、芦谷、冬獅郎、と親しい人たちの顔を順に見つめて、そしてその全員に向けて頭を下げる。

 

「では、そういうことで。お世話になりました!」

 

 言い切るや否や、私は踵を返して穿界門に飛び込んだ。こういうのは逃げた者勝ちだ。

 

 同期たちや芦谷には、現世に帰ることはきちんと伝えていた。父様にも頼み込んで、きちんと許可をもらった。

 

 しかし山本総隊長は、私が現世に戻ることに反対するかもしれなかった。卍解までできる死神を、何の枷もなく現世に放り出すメリットがないからだ。

 下手に現世に放つより、護廷十三隊の下で上手く使った方が良い。そう判断されてしまうと、もしかしたら現世に帰ることを禁じられてしまう可能性があったのだ。

 

 だから、私は強硬手段に出ることにした。反対されるくらいなら、直前までその話題に触れなければ良い。まさか総隊長も、断界までは追いかけてこないだろうし。

 

「ちょ、待て待て待て!!」

 

 私に続いて、一護が断界に飛び込んできた。直後ほぼ同時に石田とチャドが、少し遅れて夜一さんと織姫が、そして最後に喜助さんがこちら側にやってきた。

 

「何?」

「なに、じゃねぇよ! お前、尸魂界に残るんじゃなかったのかよ!?」

 

 断界を走り抜ける私たちの間を、一護の怒号が通り抜ける。

 何気なく後ろを振り向くと、三者三様の反応が見えた。石田とチャドは未だ驚いているようだし、織姫はようやく何のことか理解したような顔をしているし、喜助さんと夜一さんは面白がって笑っているし。

 

 そんな彼らに見向きもせず、一護は先頭を走る私に追いついて並走する。ちらりと見ると、「意味が分からない」と書いてあるような顔をしていた。それがやけにおかしくて、にやけたまま問い掛ける。

 

「誰が、いつ、残るって言ったよ」

「お、おまっ……分かってやがったな……!」

 

 チャドや織姫に合わせた速度は、死神である私たちにとっては歩くのとそう変わらない体力しか消耗しない。そんな中だからか一護は息一つ乱さず、私を睨みつけながら走り続けている。そんな私たちの会話に、割って入る声があった。

 

「いやぁ、黒崎サンも案外カワイイ所があるんスねぇ」

「アンタは黙ってろ!」

 

 いつの間にか私たちのすぐ後ろについていた喜助さんが、楽しそうに茶々を入れる。どうやら、からかう対象を見つけて嬉々として寄ってきたらしい。

 

「桜花がよく『かわいい』って言ってた意味がようやく理解できましたよ」

「かわいくねぇよ!!」

「でしょ? 分かってるねぇ、流石喜助さん」

「いやいや、褒めても何も出ないっスよぉ」

「オイ聞けよ! 実は仲良しだろお前ら!!」

 

 一護の言葉をまるで無視して、喜助さんと能天気に笑い合う。そんな私たちに向けて、石田が信じられないといった様子で呟く。

 

「つい一昨日、ボコボコにしたとか何とか言ってたような……」

「私は根に持たないタイプなんだよ」

 

 次やったら顔じゃ済まないけどねと付け加えると、喜助さんの笑顔が一瞬で引っ込んだ。顔じゃなくて()()を蹴られることになるのか、よく理解しているようだ。

 

「おい、出口が見えてきたぞ」

 

 夜一さんが、呆れたように声を掛けた。前を見ると確かに、遠くに白い光が見えた。

 良かった。今回は拘突(こうとつ)に追われることもなく、無事に断界を通り抜けられそうだ。

 

 そう、安堵した。

 

 直後。

 

 

 

 

 

『あかんなぁ、子供がこないな(ところ)に来たら』

 

 前触れなく黒に染まった視界。

 聞こえるはずのない、声が聴こえる。

 

『どないします? 見られてたみたいやけど』

『構わないさ』

 

 緩い関西弁の声、落ち着いた低い声。

 総毛立つような嫌な霊圧に、身体の芯まで凍りつく。

 

『怖がらないで、大丈夫だよ』

 

 新月の夜のような、暗い暗い林の中。

 

 近づいてくる男の手には、赤いものが滴る刀があった。けれど、私は動けない。茂みに座り込んだまま、後退ることもできずに男を見上げた。思い通りにならない身体は震えるばかりで、指先さえも動かせない。

 

『この刀を、よく見てごらん』

 

 私は知っていた。男が誰なのかも。このまま刀を見続けると、どうなるのかも。

 

 分かっていて、それでも動けなかった。重苦しい霊圧に、どうしようもない恐怖感に、動くことを封じられてしまっていた。

 

『そう……良い子だね』

 

 言葉面ばかり優しい声が、私を締めつける。

 

 たすけて。そんな悲鳴は、喉を通り抜けることさえできなかった。

 

 そして、私は。

 

『砕――』

 

 

 

 

 

「――桜花っ!!」

 

 誰かに上半身を支えられている。

 薄っすらと開けた目に、ぼんやりとした人影が映る。

 

「あぁ、良かった……大丈夫か、急に倒れるなんてよ」

 

 急に倒れるとは、どういうことだ。それは私のことを言っているのか。そこまで考えたところで、私の頭は唐突に回転を始めた。いくつもの光景が、切り取った写真のように脳裏に瞬く。

 

 暗い雑木林。

 藍染惣右介と市丸ギン。

 血の滴る斬魄刀。

 そして、覚えのある恐怖。

 

「い、今……そんな、何で……」

「おい、どうした!」

「だって、藍染が……始解したから……」

「藍染? 何言ってんだ、藍染なんて――」

 

 アイツは、私の前で始解をしようとしていた。しかし私は逃げるどころか、目を閉じることさえできなかった。

 

「黒崎サン、ちょっと良いですか」

「えっ……お、おう」

「……桜花、桜花。落ち着いて下さい」

 

 無意識に顔を覆っていた両手を優しく剥がされて、恐る恐る(まぶた)を上げる。

 

「ここはボクらの家っス。藍染はいない。危険なことなんて、何もない」

「家……あぁ、そっか……」

 

 そう言われて初めて、ここが浦原商店の居間だということに気づく。

 

 そうだ。私は……私たちは、尸魂界から帰るところだった。冗談を交わしながら断界を走っていて、遥か先に光が見えて。そこからの記憶が、ぷつりと途絶えてしまっている。

 

 代わりに在るのは、暗澹(あんたん)とした情景だった。あれはきっと、私の。

 

「……ねぇ、喜助さん」

「ハイ、どうかしましたか」

「私が失踪したのも、現世に落ちてきたのも……藍染のせい、なのかもしれない」

 

 

 あれは、私の記憶だ。

 

 失くしたと思っていた、過去の欠片の一つだ。

 

 

 




尸魂界篇、終了。
次から破面篇になります。

次回更新まで少し期間が空くかもしれません。
確定次第、目次画面の予告を更新していきます。

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