一護を追いかけていった桜花が帰ってきたのは、二時限目の授業に差し掛かった頃であった。しかしその隣に肝心の一護はおらず、転校生の平子も教室に戻ってくることはなかった。
「必死に止めたんですけど二人ともずっと喧嘩してて、別に殴り合ったりはしてないんですけど……でもそのまま怒って帰っちゃって……ごめんなさい、早く先生を呼べば良かった……でも私、必死で……そこまで考えられなくて……」
泣きそうな表情で声を詰まらせながら、たどたどしく説明をする。そんな子を誰が責められようか。
一体何があったのだろうと案じる織姫と同様に、桜花を心配した教師は彼女を怒るような真似はしなかった。ただ優しく諭して、後でゆっくり話を聞かせてほしいことを伝え、とりあえず今は席につくよう促しただけであった。
教師の言葉に頷き、小さな声で再度謝罪した桜花は、悲しげな雰囲気を崩すことなく教師に背を向けた。そのグレーの瞳が、織姫を捉えた。
「えっ?」
思わず声を漏らしてしまって、織姫は慌てて口を押さえる。見間違いでなければ、目が合った一瞬だけ桜花が笑ったような気がする。それも悲しげな笑みなんてものではなく、いたずらっぽい楽しげな笑顔だったような。
そこに至ってやっと、織姫は気がついた。今までの儚げな言動は全て茶番で、一護と平子に全てを押し付けようとしていただけだということに。前方に座る竜貴を見ると、呆れ果てたように額に手を当てていた。どうやら竜貴は最初から気づいていたようだった。
「あれ? 早かったね、桜花ちゃん」
授業が終わるなり教師に連れて行かれた桜花は、数分と経たずにけろりとした顔で戻ってきた。不思議に思った織姫が問い掛けると、少し声を落とした桜花が答えた。
「裏技使ったの」
「裏技?」
首を傾げた織姫に向けて、桜花はライターに火をつけるような動作をしてみせた。
「先生の記憶をポンッ、てね。一人なら後処理も簡単だし」
クラスメイトの大半に背を向けているのを良いことに、桜花は悪どい笑みを浮かべて言った。それでも何の話か分からない織姫を他所に、近くにいた石田が桜花をため息混じりにたしなめる。
「全く君は……そんなものを大した理由もなくホイホイと……」
「理由はあるよ」
「嘘をつくな」
「嘘じゃないよ、
「え? 虚だったら私たちでも大丈夫だよ?」
「あ、確かに」
いやぁ、昔の癖が抜けなくって。
そう続けて笑った様子は、あまりに自然だった。
「黒崎くんは大丈夫なの?」
「あぁ、うん。大丈夫だよ。平子くんは味方で、一護に修行をつけてくれてるんだ」
「修行だって? 何者なんだ、ソイツは」
「それは秘密。色々落ち着いたらまた改めて話すよ」
彼女が何気なく零した『何かがあった時』の『何か』が、ただの虚出現のことを指していた訳ではなかっただなんて。そんなことは、その時の織姫には想像もできなかった。
その日の放課後。
空座町の外れに二つの見知らぬ霊圧が出現した、その瞬間まで。
◇ ◇ ◇
これは、いくらなんでも早過ぎる。
下唇を噛んで、空座町上空を全速力で駆ける。
目的地からは、現世で撒き散らすにはあまりに濃密な霊力が流れてくる。その源は間違いなく破面、それも十刃クラスだろう。
当然私も、破面がいつ現れても良いように備えていた。学校が始まってからはできる限り授業に出席して、いつでも簡単に抜け出せる環境を保っていた。放課後は必ず、空座町上空のパトロールに出るようにしていた。
結果的にそれが功を奏したのか、破面が現れた時に一番近くにいたのは私だった。しかしそれでも、このままでは破面による殺戮には間に合わない可能性が高い。
となれば、何とかして彼らの気を引かなければならない。私の到着するまでの数秒間を、稼がなければならない。
"
常日頃から隠している霊圧を全開にして、大声で叫ぶ。
「気づけ! 破面!!」
迷いも躊躇いもなかった。私の霊圧で霊障を起こす人間は大量に出てくるだろうが、まず死ぬことはないだろう。対して、その数秒で奴らに奪われるかもしれない命の数はあまりにも多かった。
何より、あそこには竜貴がいる。
ほんの一瞬で良い。私の霊圧に気づいて、少しでも反応してくれたらそれで良い。
数秒後には、私は目的地に到着していた。クレーターのできた空き地に佇んでいたのは、二体の破面……恐らく、ウルキオラとヤミーだ。周囲に被害者らしき人間の姿は見当たらない。
竜貴も、この場にはいない。霊圧を探ると、ここから少しずつ離れていく竜貴の気配が感じられた。そうか、竜貴が他の人たちを誘導してくれているのか。
あぁ、良かった。どうやら私の一番警戒していた"
「コイツは当たりか?」
どうやら気を引くことはできていたらしい。二体の破面は私が現着した時から、私の姿を完全に捉えていた。その成功は確かに嬉しいが、強い破面の視線を集めるのはありがたくもない。嫌な緊張感と、撒き散らされるザラザラした霊圧のせいで息が詰まりそうだ。
「外れだ。ゴミではないが、女の方の標的は『霊圧が一切感じ取れない』と聞いている」
女の方の標的。
霊圧が一切感じ取れない。
その言葉の指すところに辿り着いて、私は長く息をついた。
"雲透"の柄を強く握り締めて、浅打状態の刀身をちらりと見る。やはり一筋縄ではいかない相手らしい。ひとまず時間稼ぎだ、と口を開く。
「人探しでも?」
「そんなところだ」
無表情の破面、恐らくウルキオラが私の問いに短く答えた。直後、大柄の破面が
「なァウルキオラ、コイツ殺しても良いか?」
「止めておけ、ヤミー。
「ハァ?! こんなガキに俺が負ける訳ねェだろうがよ!!」
大柄な破面、ヤミーが大声で怒鳴る。そうして振り上げた拳は、確かに私でも対応できるくらいに鈍重だった。
「いくよ、"雲透"」
勢いをつけた太い腕が私の頭に接近してくる。それを目で追いながら、私は斬魄刀に小さく語りかけた。
そして、爆発音にも近い轟音が響いた。
「やっぱりな! 手応え無さ過ぎだろ!!」
地面に広がるひび割れに、ヤミーが嘲笑を浴びせる。砂煙が立ち上る中、その中心で死んでいるであろう私をよく見ようと拳を持ち上げた。
「ハッ! 一発で潰してやったぜ!」
その下で、私が息絶えて――
いるはずもなく。
「誰を潰したって?」
「なっ……!?」
徐々に、砂埃が晴れていく。
私の姿が現れるにつれて、ヤミーの表情は驚愕に彩られていった。
何やら驚いているようだが、あんなものが私に当たる訳がない。こちとら普段の修行相手が隊長格なのだ。特に夜一さんと比べたら、こんなの止まっているようなものだ。
きら、と白銀の刀身が輝く。
始解をすれば私の霊圧は強制的に隠れてしまうけれど、それでも問題はない。今更コイツらの気を引く必要はないからだ。
今の一瞬でコイツの能力は読み取った。恐らく、帰刃前のコイツには勝てる。戦闘に向いていない"雲透"でも、うまく利用すれば勝ちに持っていくことはできるはずだ。しかし帰刃をされてしまうと、全てが終わる。コイツの帰刃は危険だ。少なくとも、こんな町中で披露させる訳にはいかないくらいには。
さっさとケリをつけて早急にお帰り願うか、ヤミーだけでもこの場で片付けてしまうか。二つに一つだ。
「な、何で……!!」
「鈍いなぁ」
今度は私が鼻で笑って、ヤミーを見上げる。
「どうして私が生きてるか、教えてあげましょうか。アナタが、私より弱いからですよ」
「てンめェ……!!」
「おい、ヤミー。下らない挑発に乗るな」
私の言葉にヤミーは怒り心頭、今にも私に殴り掛からんばかりだった。しかしウルキオラの言葉で、何とか踏みとどまってしまったようだ。ならばもう一押し、と薄ら笑いを浮かべてみせる。
「その程度なら、素直に助けてって言った方が良いんじゃないですか? ほら言ってみましょうよ、『藍染サマ助けてー』って――」
「ぶっ殺す!!」
堪忍袋の緒が切れた、というやつらしい。
殺気立ったヤミーが、再度私に拳を振り下ろした。何度も何度も、地面が砕けて抉れても、それでも繰り返し殴りつける。ついには
そんな攻撃の最中、私は静かに卍解をした。
「……卍解、"雲透・八重ノ遠方"」
迫力あるなぁと能天気なことを考えながら、煙に巻かれているのを良いことに瞬歩でヤミーに近づく。そのまま私は邪魔されることなくヤミーを切りつけ、『朽木桜花の存在を忘れている』という違和感に気づかれるより早く卍解を解除した。
私が卍解を使って行ったのは、ただ一つ。"狂雲"で
破面のように全く別の生命体固有の能力を下げた場合、私の能力はどうなるのか。ある意味賭けだったが、どうやらこの賭けは私の勝ちらしい。私の能力は何一つ、下がっていないのだから。
「オラァ!!」
ヤミーは仕上げとばかりに、虚閃を放った。当たるどころかその射程上にすらいない私は、砂埃に紛れて静かにその背後に回っていた。
直後、肩で息をするソイツが勝ち誇ったように叫んだ。
「ザマぁ見やがれ!! 粉微塵にしてやっ――」
「誰が?」
耳元で囁くと、ヤミーは弾かれたように振り返った。
勢い良く振り向いた先に、まさか私の刃が待ち受けているとも。振り返ったその勢いが、自らの首を落とすことになるとも知らず。
未解放の斬魄刀など、本来は通すはずがない。そんな破面の首筋に、私の"雲透"が食い込んだ。左のうなじから侵入した刃は皮膚を切り裂き、筋繊維を断ち切り、脊椎に辿り着く。
これで十刃は一体落とした。刹那にも満たない間でそう確信して、私は右腕に更に力を込めた。
その、瞬間。
「だから言っただろう。熱くなるな、と」
私の刃は、ヤミーの脊椎を分断する前に止められてしまった。風が起こり、砂煙が晴れる。
私の"雲透"を刀身で止めたのは、もう一体の。
「"雲透"っ!!」
このままではマズい。
咄嗟に斬魄刀の名を呼ぶ。
噴き出した白雲が、私の姿を隠す。
透過した白銀の刀身が、もう一体の破面――ウルキオラの刀を通り抜けた。
同時に、唐突に支えを失ったウルキオラの刀はそのままの強さでもって振り下ろされ、ヤミーの左肩に深々と突き刺さった。
「なっ……!?」
まさか刀が透過するとは、まさか帰刃もしていないウルキオラの斬撃でさえヤミーの鋼皮が破られるとは、思いもしなかったのだろう。想定外の事態に、彼らは揃って動きを止めた。その一瞬を突いて、私はその場から退避した。
直後、刀をヤミーから抜いたウルキオラが呟く。
「お前、弱くなったか?」
「ぐっ……なって、ねーよ……! クソがッ……!!」
首を大きく裂かれ、肩にまで斬撃を食らったにも関わらず、喋る余力はあるらしい。地響きを立てて地に伏せたヤミーが、息も絶え絶えにウルキオラを睨みつける。まるで化け物のような生命力だが、あれだけの血を流せば流石にもう動けまい。となれば、次に相手をすることになるのはウルキオラだ。
このウルキオラがこれまた化け物で、できれば戦いたくないのが正直なところだ。一護は平子さんが足止めしてくれているだろうから一先ず安心とはいえ、喜助さんと夜一さんがいつ助太刀に来てくれるかは明確でない。
さてどうしたものかと頭を悩ませていると、その張本人が口を開いた。
「おい、女」
ウルキオラが、おもむろに私を呼ぶ。すぐ側で仲間が虫の息で倒れているにしては、やけに落ち着いた態度だった。
「俺達は、藍染様より二つのご命令をいただいて現世に来ている。一つは、オレンジ頭の死神の殺害。そしてもう一つは――」
その左腕が、持ち上げられる。
白い指が、静かに私を指した。
「お前の勧誘だ。朽木桜花」