「一護」
「…………」
「いーちご」
「…………」
一護は何も言わない。それどころか覗き込もうとする私を避けるように、気まずそうな素振りで顔を逸してしまった。
これは……やっぱりかなりの重症だ。まずは私から謝ろうかと思っていたけれど、こうなるとまず吐き出させた方が良いのかもしれない。誰かの話を落ち着いて聞ける状態ではなさそうだ。
「ちょっとこいつ借りてくよ」
「借りるも何も、儂はお主に返したんじゃがな」
「いや、別に私のじゃないからね」
正式な返却先は私じゃなくて黒崎家なんだけどなぁと呆れつつ、私は瞬歩でその場から離れた。もちろん一護を抱えて、だ。
織姫たちからも平子さんからも離れた森の外れで、立ち止まって一護を座らせる。普段なら抱えた時点で抵抗されるはずなのに、今回は抵抗すらされなかった。全く、本当に、いよいよである。
「…………ん」
「え?」
「……ごめん」
私が一護の正面に座った直後。ぼそ、とギリギリ聞こえるくらいの声量で一護が呟いた。しばらく言葉を選ぶように黙って、躊躇いがちに口を開く。
「俺が、弱かったから。だからお前にそんな……」
おっと、やっぱりそう来たか。確かにあの状況じゃ、そう感じてしまうのも無理はない。
自分が戦えなかったせいで足手まといになり、自分を庇った幼馴染の腕が吹っ飛んだ。その時点でちょっとトラウマものだ。にもかかわらずそれに上乗せするように幼馴染張本人である私に「お前のせいだ」と断言され、さらには自分の身代わりのような形で私が誘拐されかけるのをただ見ていることしかできなかった、と。
……駄目だ。いくらなんでもこれは可哀想だ。
「……うん、そうだね」
その懺悔にひとまず頷くと、一護はキュッと唇を噛んだ。
確かに、そもそもの発端は一護の考え無しの無鉄砲だった。私の能力については尸魂界できちんと説明済みだったから、一護も私との共闘は難しいということは分かっているはずだった。
それに今の一護は諸事情によりまともに戦えない状態だ。こんな状況でよりにもよって破面との戦いに手を出してくることを、無鉄砲と呼ばなければ何だというのか。
それに何より、あの時は本当に余裕がなかった。一つ選択を間違えると、二人とも死んでしまうかもしれなかった。何を言っても止まらない一護を止めるためには、ああするしかなかった。
だから私は、後悔はしていない。
でも、それが最適解だったかもしれなくても、幼馴染を傷つけていいということにはならない訳で。
「ごめんね、一護」
「……え」
私の謝罪に、一護が驚いたように顔を上げた。ようやく目が合った。
「あれは流石に言い過ぎだった。余裕がなかっただけで、別にあんたを傷つけたかった訳じゃないんだ。失望したとか邪魔だと思ってるとか、そういうのは天地がひっくり返ってもないからね」
「でも、お前は……俺のせいで……」
「そうだね。でも、もう治ったから平気だよ。織姫のお陰で後遺症もないし」
右手を差し出して、一護の目の前で掌を広げて見せる。
「結果的に誰も死んでないんだから、もう気にしなくて良いんだよ。反省点は次に活かせば良いんだから」
「……そういう問題じゃねぇだろ」
私の右腕をじっと見つめながら、一護は小さな声で反論した。
「じゃあどういう問題なの? 今私は元気だし、誘拐だって未遂で済んで――」
「だから! そういう問題じゃねぇって言ってんだよッ……!」
ちょっとびっくりした。こんなふうに、はっきり感情を出して怒られるとは思っていなかったから。
「俺が強ければ、お前が怪我することもなかった! 俺にもっと判断力があれば、お前が誘拐されかけることもなかったんだ! だから、俺が……!」
「それは、『私が強ければ』に置き換えることもできるよね」
「そうかも、しれねぇけど……」
冷静に被せるように言うと、一護は勢いを失ってしまった。一護はしばらく言葉に迷い、それから意を決したように言った。
「なぁ、桜花……もう俺を命懸けで守るのは止めてくれよ」
突拍子もない言葉に驚いてしまって、私は何も返すことができなかった。命懸けで守るのは止めてくれ? 一体どうしたというのか。
「俺だって人のこと言えたもんじゃないけど……それにしたってお前は無茶し過ぎだ。あの時だって、かなり危なかったって……」
あの時、というのがすぐには分からなくて首をひねる。私が一護を守って、それで無茶してしまった時。
……あぁ、そうか。
グランドフィッシャーの時か。確かにあの時の私は死にかけていた。一護と真咲さんを、守るために。
「俺がもっと強ければ、お前が『そう』でも守り切れるんだ。だから俺は昔からずっと、強くなりたかったんだ」
「一護……」
一護が私を守りたいと思っていることは分かっていた。けれどまさか、そんなふうに考えていただなんて、思いもしなかった。
だから一護は『俺が強ければ』と言ったんだ。そうすれば、私がどんなに無茶しても守れるから。
一護は分かってたんだ。私の自己評価が限りなく低かったことを。そして、必死に戦ってそれでも死ぬなら仕方ない、とどこか諦めてしまっていたことを。
「鋭いなぁ、一護は」
感心して呟く。
あんなに幼かった、自分よりずっと歳下の子どもが、いつの間にかこんなに大人びたことを言うようになっていた。一護だってもう高校生だ。分かっていたつもりだけれど、それでも信じられない思いだった。
「……ちゃんと、説明しなきゃだね」
確かに、つい最近まで私は『そう』だった。それは認める。でも、今は違う。
とはいえ、それをそのまま伝えたところで一護は信じてくれないだろう。だったら。
「私は、人間じゃない。
「でもっ……!」
「言いたいことは分かるよ。死神だからって、生にしがみついちゃいけないってことはないよね。死なずに済むなら、その方がずっと良いんだから」
「…………」
「……私が卍解を習得した時のこと、話してなかったよね」
恥ずかしいから言いたくなかったんだけど。でもこうなったら、話すしかないだろう。それ以外に、一護を納得させる手段はなさそうだ。
心の準備をしたくて、私は大きく深呼吸をした。
……さて、話すか。恥ずかしいけど。
「私の斬魄刀ね。私が自分を大切にすることが、屈服の条件だったんだ。私が皆と一緒に生きたい、絶対に死にたくないって心から思えるようにならなきゃいけなかったんだって」
「まさか……思ってなかったのか?」
「お恥ずかしながら」
「お前なぁ……」
簡単な話だ。私が卍解で本気で隠れたら喜助さんでさえ私を見つけられないだろうし、自分を犠牲にしようと思えば誰にも止められなくなる訳だし。そんな技、死に急いでる奴に教えるべきではないだろう、どう考えても。だから”雲透”は、私が自覚するまで卍解を封じていたんだ。
「でも、もう大丈夫。”雲透”が教えてくれたんだ。生きることを諦めたら駄目なんだって。だからさっきのは、そういうことじゃないんだ」
「……そうか」
「うん。何ていうか……私は人間でもないし、正式な死神でもない。育ててくれた喜助さんたちとは血が繋がってないし、血の繋がった家族の記憶もほとんどない。だからずっと寂しかったんだよね。自分だけどこにも所属できない浮いた存在な気がしちゃってさ」
本当に、馬鹿な勘違いだ。正式かどうかとか、血縁関係とか、所属がどうとか……大切なのはそういうことじゃないのに。そんな簡単なことが、私には分からなかったんだ。
「私は皆のこと大好きだけど、皆はそうでもないんだろうなって思って生きてたんだ。死ぬことに対するハードルが低かったのは、そういう理由もあったんだと思う。私が死んでも悲しむ人はそんなにいないだろうし、皆が生きてるならそれで良いや、って」
一護は、何も言わずに静かに私の話を聞いていた。先程までは相槌を打っていたのに、今は黙り込んでいる。それの意味するところまでは深く考えず、私はさらに言葉を重ねた。
「だからね。あんたが私を置いて逃げなかったのは、けっこう嬉しかったんだ。確かに怒ってはいたけど……それでも私にとって一護が大事なのと同じように、あんたも私のことが大事なんだって分かったからね」
「…………」
「だから、私のことをもっと信用してほしい。大丈夫、私は死なないから」
「…………」
そこまで言い切って、小さく息をつく。そして気づいた。まじまじと、奇妙なものを目の当たりにしたみたいに、一護に見つめられていることに。
何だそれは、どういう感情だ。ここは「そうか、ならもう大丈夫だな」って納得する場面じゃないの? どうしてそんな、理解に苦しむ、みたいな顔してるの?
「えーっと、一護?」
首を傾げて名前を呼ぶと、ずっと黙っていた一護が不意にため息をついて、それから口を開いた。
「そうだった、お前はそういう奴だったな……」
「え?」
「面と向かって大事とか大好きとか……前から思ってたけどすげぇよな、お前」
「あ、いや……それは……」
そう言われると、余計に恥ずかしくなるから止めてほしい。
確かに私は今、けっこうアレなことを言った。その自覚はある。皆のことが大好きとか、一護が大事とか。そういうのって、あんまり面と向かって言うようなものじゃないよね。特に日本人は。
「まぁ、それがお前の良い所でもあるんだろうけどな」
「え」
何だそれは。それが私の良い所だって? その発言そのものが、先程の一護の言葉への盛大なブーメランだということに、こいつは気づいているのだろうか。
「あ……あんたも十分恥ずかしいからね!? そういうこと言うの止めてもらえるかな?!」
「良いじゃねぇか、別に。褒めてんだし」
「っ……!」
このまま乗り切ってしまえれば良かったのに、何てことをしてくれたんだ。どんどん顔に熱が集まってくるのを感じて、慌てた私は最終的に一護の頭に拳骨を落とした。何故か。
「いってぇ!! 何すんだよ?!」
「え? えっ?! うそ、なんかごめん!」
「何で殴ったお前が一番混乱してんだ、よっ!」
「痛ぁっ!!」
お返しとばかりに拳骨が降ってきて、混乱していた私もそれをもろに食らった。何故か。
あれ? 待って?
「え、私たち何で今殴り合ったの……?」
「は?」
「えぇ……なんで……?」
「知らねぇよ、お前が始めたんだろ」
「始めたって何……?」
「だから知らねぇって」
私の呟きに、一護が淡々と返す。そのやり取りさえも訳が分からなくて、私は一護の顔をじっと見つめた。一護も、狐につままれたような表情で私を見つめている。数秒間の、沈黙。
そして、私たちはほぼ同時に吹き出した。
「ちょ、っと待って……ほんと、意味分かんないっ……!」
「どういう照れ隠しだ、お前それっ……!」
「うっそ、あれ照れ隠しだったの……?」
「自分の感情だろ! 何で『初耳!』みたいな顔してんだ……!」
げらげら笑う一護の顔に、もう陰りはほとんど見られない。言いたいことを全部言って、多少はすっきりしたらしい。そしてそれは、私も同じだった。
「忘れるところだったよ。お前ってややこしそうに見えて案外単純なんだよな」
「ねぇちょっと、それどういう意味?」
それが悪口だってことは分かるぞ、私でも。
「多分だけどよ、お前が無茶苦茶言ったのって怒ってたからだろ? 俺が弱かったからじゃない。冷静じゃなかったからだ」
「まぁ、そうだね」
私一人だったら卍解使って逃げ切れることとか、あんたが今戦える状態じゃないこととか、冷静になって考えたら分かるでしょ、という話だ。
あの状況で、二人とも生き残るためにはああするしかなかった。もしかしたらもっと良い方法があったかもしれないけど、あの時はあれしか思いつかなかった。
それこそ私がもっと強ければ、私がもっと頭が良ければ、あんなことを言わなくとも上手くやれたのかもしれないけれども。
そしてそれは、私だけじゃなくて一護にも当てはまる訳で。
「……なぁ」
「ん?」
皆の元へ戻ろうと、立ち上がって死覇装についた砂を叩き落としている時。ふと一護に問いかけられた。
「この力を使いこなせば、俺はあいつらに勝てるのかな」
「さぁ、どうだろう」
私は、その答えを知っている。けれど「無理だと思うよ」と否定するのはもちろん、「きっとできるよ」と無責任に告げるのも違う気がした。だから私は、ただニヤリと笑って言った。
「でも使いこなせなきゃ、可能性はゼロのままなんじゃないかな」
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