やはりそうきたか、と思った。
「入っておいで、ウルキオラ」
恐ろしいほどに穏やかな声色で呼ばれたのは、第4
短く返事をして、私の時とは別の扉から入ってきたのはウルキオラと。それから。
それから、茶色の髪の少女が一人。
「織姫……」
こうなることは、ある程度予想できていた。
織姫の能力を藍染に隠し続けるのは不可能、それは最初から分かっていた。織姫の誘拐を防ぐには、どこかに隠して守り続けるしかないのだということも。
しかしそれはあまりに非現実的で、ならばいっそ拐われることも作戦に入れてしまえばいいと提案したのは喜助さんだった。そんな喜助さんを蹴っ飛ばしたのはもちろん私である。そして、いざとなったらそれもアリだと認めてしまったのも私である。
私は、一ヶ月以上経っても現世に戻らなかった。だから喜助さんは、私のことを思い出した時点で織姫を誘拐させることにしたんだろう。織姫の存在が、虚圏の状況に少しでも有利に働くように。
「驚かないんだな」
「何となく、分かってましたから」
「浦原喜助か」
違うが、正解は教えてやれない。当たり前だが。
織姫は私と違って、拘束されることもなく連れられてきた。その事実に安堵しながらも、その服装がいつもと違う真っ白なものに変わっていたことには少し憂鬱になった。これは織姫が『藍染の下についている』ことを誇示するためのものだ。
「どうして桜花ちゃんが……」
織姫は私を見て驚いているようだった。しかし直後、だんだんと表情を曇らせていった。その目線は、私の手元に。
「捕まってたの……?」
「まぁ……ちょっとヘマしちゃって」
へらりと笑って見せる。しかし、私を見る織姫の表情は変わらなかった。それもそうか。私、明らかにへろへろだし。手錠に鎖で、分かりやすく『囚人』って感じだし。
思わず、といった様子で織姫が駆け出す。近寄ってきた織姫は迷わず私の背中に手を回し、私を支えてくれた。「ありがとう」と小さく呟き、私は藍染を真っ直ぐ見上げた。
「織姫を、どうするつもりです?」
この状況で織姫を出してくる、その意図に気づかないほど察しは悪くない。けれど訊かない訳にはいかなかった。
「どうもしないさ。君が私の質問に答えてくれるなら」
そう言って、藍染はそっと目配せをした。その意図を察したウルキオラは、自らの腰にある刀を握った。そして静かに鯉口を切る。それを見た織姫が、僅かに身体を強ばらせた。
野蛮なこと。
藍染は先程確かにそう言った。
それはつまり、織姫を。
「藍染サマともあろうお方が、人質なんてみみっちい真似するだなんて」
「素直に『止めてくれ』と言えないのが、君の良くない所だよ」
「……そうですね」
最初から分かっていたことだ。
私のやるべきことは、ただ一つ。
「はぁ……」
大きく息を吐いて、私は藍染から目を逸らした。
私が追い込まれることを危惧して、今の状況を作ってくれた喜助さんには正直感謝している。織姫が捕まっていることで、これから私が話す内容に真実味が増すからだ。
織姫には、本当に申し訳ない限りだけれど。
「分かった、話します。全部話すから、止めてください」
つくづく私は、こういった腹の探り合いに縁があるらしい。一護や他の死神たちみたいに「戦って強い方が勝つ」といった単純な状況になりにくいのは、私が裏で動くことが多いからなのだろうか。どうあれ今のこの状況で「戦って強い方が勝つ」なら、私と織姫は確実に負けてしまうから幸いというべきか。
全てを話すと告げた私の意図は、織姫には恐らく伝わっていない。それでもその私の選択が、己を守るために下されたものであるということは理解しているのだろう。彼女は不安と申し訳なさを混ぜたような、そんな顔をしていた。
「ごめんね、あたしのせいで……」
「織姫は悪くないよ」
ウルキオラに脅されて、拒否できる人間など存在しない。それに諸悪の根源は、彼女が拐われる可能性に思い至りながらもそれを防がなかった私と喜助さんだ。
「大丈夫、織姫は私が護るから」
だからせめて、これ以上彼女を不安にさせたくなかった。もちろん怪我をさせるだなんて以ての外だ。私は支えてくれていた彼女の腕をそっとほどき、戸惑う織姫に一瞬笑みを向けた。そして織姫を背に隠すように立つと、私は慎重に口を開いた。
「……私の霊圧や存在を隠せるのは、斬魄刀の能力です。始解で霊圧を完全に隠して、卍解ではそもそも私の存在を『なかったこと』にできる」
「『なかったこと』……やはりそうか」
これまで起きたことから、ある程度の予測は立てていたらしい。藍染はさほど驚いてはいないようだった。
「その斬魄刀は何処へやった」
「捕まる前に隠しました」
「場所は」
「…………」
「ウルキオラ」
私が押し黙ったのを見て、藍染は刀を構えたウルキオラに声を掛ける。私は仕方なく、といった態度で口を開いた。
「……
「要、確認してきてくれるかい」
「承知しました」
命じられた東仙が広間から出ていった。探しに行ったって、どうせ見つけられやしないというのに。
「行っても意味はないかと」
「意味があるかどうかは私が判断する。仮に無くとも、君に直接取りに行かせるだけの話だが」
傲慢なことで。その判断が間違っているかもしれないだなんて、コイツは微塵も思っていないに違いない。やたらと尊大なその男が次に求めたのは、
「破面が弱体化したのは、喜助さん特製の薬を打ち込んでやったから。卍解状態の私がやれば、誰も気づけませんし」
「薬か。効果はいつまで続く?」
「数時間くらい」
「目的は」
「時間稼ぎです。
「それと同じものを一ヶ月前にヤミーと戦った時にも使用した、と?」
「……そこまで知られているんですね」
「それは肯定だな」
「まぁ……そう、ですね」
「崩玉は?」
「破面の時と同じことをやったんですよ。……って言っても、信じてもらえないでしょうけど」
矢継ぎ早に繰り出される藍染の質問に、淡々と答えていく。
「成程、それが君の答えか」
藍染はそう言ったきり、黙ってしまった。私の話を踏まえて、何やら考え込んでいるようだった。さてここからどう出てくるかと考えながら、周囲の破面への警戒も続ける。私を射殺さんばかりに睨みつけるヤミーを除いて、破面たちは私たちに興味がなさそうだった。私への『圧力』の一つとして、ここに集めただけなのだろう。彼らにとっても良い迷惑であるに違いない。
ちなみに市丸ギンだけは何故かやたらと楽しそうで、その手にはもちろん私を繋ぎ止める鎖が――あれ? ない?
市丸が鎖を手にしていない。しかし、手錠は相変わらず私の両手首を戒めている。となれば、市丸が鎖の端から手を離したということに――
「残念だ」
「は……?」
「ヤミー、少し遊んでやってくれないか」
「よっしゃあァ!!」
ヤミーが荒々しく吠えた。藍染の言葉に驚く暇もない。
その巨駆からは想像できない素早さで、ヤミーは私の方へと近づいてきた。咄嗟に身体をずらして織姫に当たらないようにしたところで、腕を振りかざしたヤミーが迫ってきた。その拳を、交差した腕で受け止める。しかしそんなもので衝撃を殺しきれるはずもなく、吹き飛ばされた私は、その勢いのまま壁に後頭部と背中を打ちつけた。そのままずるずると壁伝いに崩れ落ちる。
アイツ、迷わず顔面を狙ってきたな。よほど私が嫌いとみた。
折れたかヒビの入ったであろう両腕の痛みの中、私だってアンタが嫌いだと内心で悪態をつく。直後、破面の高速移動手段である
「桜花ちゃんっ!!」
織姫が私の名を呼ぶ頃には、私はヤミーの間合いから外れた所にいた。しかし攻撃は避けられど、反撃できる訳ではない。今は刀を使えない上、破面に効くレベルの鬼道を満足に使える程霊力も戻ってはいない。仕方なく、辛うじて使える瞬歩で一撃一撃を必死に
「くそッ! 避けんじゃねェよ!!」
「普通はっ、避けますよ……馬鹿、じゃないですかっ……」
「てンめェ……状況が分かってんのか!?」
忌々しげに唸ったヤミーが、構えた拳の照準を私から外す。新たに標的とされたのは、やはり織姫だった。
やっぱり、そうくるよね。
分かってたよ、そのくらい。
「オラァ!!」
未解放のヤミーの響転は、私の反応速度より劣っている。だがそれでも、織姫では間に合わない。とはいえその能力を買われて連れてこられた織姫が、殺されることは絶対にない。それも最初から分かっていた。
それでも、私は。
手錠から伸びる鎖が邪魔だとか、骨をやられた腕が痛むとか。その時にはもう、そんなことは頭になかった。ただ無心で走って、そして織姫に覆いかぶさるように石床に押し倒した。直後降ってきたのは、数十発の
「っ……!」
「桜花ちゃん!!?」
織姫が悲鳴を上げる。私の方が身体が小さいが、そんなことは言っていられない。何度か背中に衝撃を感じながらも、必死で腕の中の織姫を抱きしめた。
そして虚弾の嵐が過ぎ去って、煙が晴れて。それから織姫は私の下から這い出て、私を抱き起こした。涙をいっぱいに溜めた瞳が、私を真っ直ぐに見つめている。
大丈夫大丈夫、当たったのは五発くらいで後は全部外れてるからさ。雑なコントロールのお陰だね。そんな軽口を叩きたかったがそうすぐには喋ることができず、出るのは咳ばかりだった。身体も思うように動かないため、咳き込みながら視線だけで織姫の様子を伺う。
うん、織姫に怪我はなさそうだ。
「よかっ、た……」
「喋っちゃダメ! "双天帰盾、私は拒絶する"!」
思わず呟いた私を制止して、織姫は私の身体を覆うように"双天帰盾"を発動させた。橙色の温かい光に包まれ、小さく息をつく。
「どうして……だって桜花ちゃんは、あたしのこと……」
――あたしのこと、嫌いなはずなのに。
そう続けようとしたのだろう、織姫は迷うように言葉を途切れさせた。その拍子に溢れた涙がぽたぽたと落ち、私の頬にぶつかって流れていく……あぁ、結局泣かせてしまった。
「…………」
織姫が最後までは口にしなかったのを良いことに、私は答えを返さないまま黙り込んだ。
織姫のことが嫌い? まさか、そんな訳がない。
そもそも、だ。こんな私に話しかけてくれて、朝おはようって言ってくれて、一緒にお昼ごはんを食べようって誘ってくれて。怪我をしたら、こうしてすぐに治そうとしてくれて。
こんな子を嫌いになるなんて、できる訳がないだろう。
「ごめんね、織姫……ありがとう」
でも『嫌いじゃない』と否定することはできなかった。
これでは織姫の「どうして」の答えにならないことは、私が一番よく分かっていた。それでも、今はこれで良い。私の独りよがりだとしても、今は。
「オイ、藍染様よぉ。いつまでこの茶番が続くんだよ」
そんな時、苛立ちを含んだ声がした。
ゆっくりと身体が回復していくのを感じながら、そちらを見る。第6十刃、グリムジョー・ジャガージャックだ。私が虚夜宮で立ち回っていたために、漫画のように片腕を失わずに済んだ破面だ。
東仙がこの場にいれば、酷く怒られていたであろう不遜な態度だった。代わりにウルキオラが苦言を呈そうとしたが、それを藍染が制止した。どうやら藍染は全く気にしていないようで、薄い笑みを貼り付けたまま「済まないね」と返す。
「あと少しだけ、茶番に付き合ってくれないか」
「…………」
漫画では何度か藍染に逆らっていたように思うが、どうやら今回は大人しく従うつもりらしい。グリムジョーは不満げに黙り込み、そして近くの段差に腰掛けた。
「さて、話の続きといこう」
この会話の間に背中の傷は既に塞がり、両腕の痛みも完全に消え失せていた。さらには消費し尽くした霊力まで回復し始めたの感じ、私は咄嗟に霊圧の一部を隠した。まるで、霊力が枯渇しているままであるかのように。
本当は一人で立てるくらいには回復しているけれど、それでも私は織姫の助けを借りながら身体を起こした。座ったまま俯くと、先程の攻撃の際に解けたのであろう髪が顔にかかる。
「……これ以上、何を聞くつもりで?」
「真実を」
真実、ね。果たして藍染は、どれを嘘だと考えているのだろうか。あるいは、嘘を吐かれてはいけないからと、カマをかけただけなのだろうか。
その判断は、私にはできない。
それでも私は、自分でも驚くほどに冷静だった。
「ここらが、潮時かなぁ……」
この一ヶ月の私の目的は、時間稼ぎでもあった。そしてその『時間稼ぎ』は、今もまだ継続されている。これ以上渋っては、折角の時間稼ぎも台無しだ。
よし、と覚悟を決めて瞼を閉じる。
分かっている。皆が助けに来てくれることは。
だったら私も、今の私にできることを。