傲慢の秤   作:初(はじめ)

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八十四、嘘吐き

 

 

「……時間を、稼ぎたくて」

 

 この広い玉座に響く前に、立ち消えてしまう。そのくらい小さな声で私は囁いた。そんな言葉でもきちんと拾い上げたようで、藍染が続きを促す。

 

「なるほど」

 

 藍染の声が聞こえて、私はゆっくりと目を開いた。何気ない相槌だったが、声のトーンが先程とは違っている。どうやら、やっと信じる気になってくれたらしい。

 

 呼吸を二つ。吸って、吐いて。

 

 もったいぶるように沈黙を挟み、それから私はゆっくりとした口調で話を続ける。

 

「時間を稼げば、戦いの備えができる。戦いの場を整えることができる。こちらの都合の良いように、自由自在に」

 

 狭い双天帰盾(そうてんきしゅん)の中で少しでも回復しなければならないから、立ち上がることはできない。私は右膝を立て、そこに右腕を乗せた。垂れた長い髪をかき上げ、気怠げな姿勢で藍染を見据える。

 

「要するに保険を掛けたんですよ。私が失敗しても、何も失わずに済むように」

 

 どんなに綿密な計画を立てても、それが上手くいくとは限らない。だからこそ私たちはいくつもの保険を掛けて、どんな状況にも対応できるよう備えてきた。破面(アランカル)篇は尸魂界(ソウルソサエティ)篇よりずっと漫画の世界からかけ離れた流れになりそうだったから、特に慎重に。

 

「最初の数日で作業は完了していました。でも市丸ギンに黒腔(ガルガンタ)を潰されて、現世に帰ることができなくなってしまった」

「ほう」

「そこで虚圏(ウェコムンド)から逃げられないことは確定した訳ですが……まぁ、逃げられないなら逃げられないで仕方がない。となると時間稼ぎでもすべきかと思いまして」

「それで、一月も潜伏していたのか」

「えぇ、まぁ」

「その間は、何をしていた」

「何も。ただ大人しくしていただけですよ。余計なことをしていては、長く卍解を保てなくなりますから」

 

 確かに"雲透(くもすき)"の卍解は変わっている。特に"花霞"という技は、霊力を激しく消費して強大な力を放つものではない。卍解することによって霊力消費を極端に抑えることを可能にし、『私』という存在をその霊力ごと消してしまう技。それが"花霞"だ。

 

 つまり"花霞"を使用するのに霊力はほとんど消費しないが、だからといって卍解の状態でいることに霊力を使わないという訳ではない。大変なのは"花霞"という技の維持ではなく、卍解状態そのものの継続の方だ。

 

 僅かとはいえ霊力消費と精神的摩耗を伴う卍解をこんなに長期間も保つだなんて、私自身もできるとは思っていなかったんだ。

 

 そうやって卍解について説明し終わった頃には、私の体調はほぼ万全と言えるほどに回復してしまっていた。もちろん、霊力も含めて。やっぱり織姫の力はとんでもない代物らしい。

 

 未だ集中して"双天帰盾"を維持している織姫に、そっと声を掛ける。

 

「ありがとう、織姫。もう大丈夫だよ」

「えっ? でも、まだ霊圧が……」

 

 思わずといった様子で問いかけた織姫は、確かに私の卍解の能力は把握している。しかし、通常時から霊圧を隠せるということは知らない。ことあるごとにわざとらしく霊圧遮断型外套を身に着けておいた甲斐があった、という訳だ。

 

「良いんだよ。仮に万全でも勝てる相手じゃないからね」

 

 にっこりと笑ってみせると、織姫は驚いたように目を丸くして、それからおずおずと能力を解除してくれた。

 

 あんなに泣いて慌てていた織姫も、いつの間にか落ち着きを取り戻している。こんなに強い敵に囲まれているにも関わらず、である。

 良かったと安堵しながら、私はゆっくりと立ち上がった。表情の変わらない藍染を見据え、その余裕を崩すべく口を開く。

 

「さて、と……そろそろ気になってるんじゃないですか。最初の数日間で完了した『作業』とやらが何なのか、ってこと」

 

 感情を込めずにそう告げたけれど、藍染は何も答えなかった。

 

 さて、ここからは少し勝負に出よう。これから始まる私の虚実入り混じった話を、藍染がどこまで信じてくれるか。そこに全てが懸かっている。

 

 笑顔は完全に消して、『意を決した』ような態度で藍染を見上げた。

 

「その数日間の目的は二つ。虚圏の偵察と、崩玉の状態確認です」

「崩玉の、か」

「はい。だって崩玉は、私の魂魄と結びついてますから」

 

 瞬間、藍染の顔から表情が消えた。

 一歩遅れて、広間の空気が凍りつく。

 

 織姫も私の言葉に随分と驚いているようだったけれど、ここで下手に口を挟むことはしなかった。

 

 良い流れだ。

 

 相手は完全にこちらのペースに乗ってくれている。

 

「そんな、ことが……」

「できるんだなぁ、これが」

 

 破面の誰かが呟いた言葉をさらりと流し、広間をぐるりと見回した。

 

 あの市丸も、藍染でさえも、次の言葉を待つように私を注視している。少し前まで、私のことを舐めきっていただろうに。

 

 ……うん、ちょっと楽しくなってきたかもしれない。

 

「私の霊圧が下がれば崩玉は弱体化する。私の霊圧が回復すれば崩玉は本来の力を取り戻す。私を殺せば……崩玉は砕け散る」

 

 楽しんでいるのが口調に出ては雰囲気も台無しだ。ニヤニヤ笑ってしまいそうになるのを我慢して、あくまでも飄々とした態度を心掛ける。

 

「ここ最近崩玉の力が弱まっていたのは、私の霊圧が下がっていたからです。だから私は、完全に回復する訳にはいかなかった。あのまま織姫の力で霊力を取り戻すということはつまり、崩玉も万全にしてしまうということになるから」

 

 これを信じるかどうかはコイツら次第。それでも、ここまで聞いてしまったからには無視することも忘れることもできないだろう。

 

「……仮に、その巫山戯(ふざけ)た話が真実だったとして」

 

 藍染が無表情で私を見下ろす。思考を巡らしているのだろう、ゆっくりと口を開いた。

 

「君は、この策を盾に私と交渉ができる。仮に私に知られたとして、君や尸魂界にとって大したリスクにはならないのだから」

 

 私も無表情を崩さず、頷きもせず、ただ敵の顔を見つめた。

 

「この情報は、真偽を問わず君の命を守るための抑止力になり得る。そしてもし真実ならば、君を殺すことで私を止めることもできると。なるほど、実に浦原喜助らしい合理的な策だ」

 

 ふ、と藍染の表情が緩む。その柔らかさに反して、吐かれた言葉には嘲るような色が含まれていた。

 

「随分と都合の良い道具に成り下がっているようだな」

「良いんですよ、私はそれで」

「実に下らない生き方だ」

「アナタの生き方(それ)よりいくらかマシかと」

 

 そんな薄っぺらい言葉で、私を傷つけられるとでも? そうやって人の想いを蔑ろにして生きているから、人の想いに足を掬われるんだよ。まさに、今のこの状況みたいに。

 

「藍染様、ご報告です」

 

 その時、玉座の大扉が開いた。現れたのは、私の斬魄刀を探しに行っていた東仙だ。

 

「虚夜宮のどの門にも、朽木桜花の斬魄刀はありませんでした」

 

 でしょうね。

 

 東仙の報告に、私は驚きもしなかった。そもそも見つけられるはずがないんだから、と愉快にすら思っていた。

 

 藍染は藍染で、こうなることは想像できていたらしい。「そうか」とだけ淡白に返して、また私に視線を戻した。想像できていたとて、事態が思い通りにならないことは少なからず不満に思っているらしい。

 

「ふふ」

 

 その顔が、その態度があまりに予想通りだったから。ついにこらえきれなくなった私は、小さく笑い声を漏らした。

 

「……何が面白い?」

「いえ、ただ……掌の上だなぁって」

 

 藍染の眉がぴくりと動いた。あれは多分怒っている。本人からすれば不本意だろうが、私は藍染の性格を把握している。もしかしたら、藍染本人より詳細に。

 

「私を隠す技、"花霞"っていうんですけど。それには、もう一つ特徴があるんですよ」

 

 ついに笑いを堪えるのを止めた私は、緩む頬をそのままに人差し指を立ててみせた。

 

「卍解して"花霞"を使うと、私の身体はモノを透過するようになるんです」

「それがどうした。どちらにせよ、斬魄刀が無いのでは意味が――」

「斬魄刀が有れば、意味もありますよね」

 

 藍染の言葉を遮って、立てていた指を腕ごと下ろす。

 

「ところで、一つ訊きますが」

 

 コイツと同じ言葉を使うことは気に食わないが、今言うべきは『これ』しかない。私は、満面の笑みを浮かべて口を開いた。

 

 

 

 

 

「一体いつから、”雲透”を遣っていないと錯覚していたんですか?」

 

 

 

 

 

「……まさか」

 

 ガシャンと重たい音を立てて床に転がった。何がって、そんなの一つしかない。

 

 床に落ちているのは、今の今まで私の両手を戒めていた枷だ。驚いてそれを見つめる者達が我に返るより先に、私はその技名を口にした。

 

「"花霞"」

 

 瞬間、私はこの世界から消え失せた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そもそも、である。

 

 斬魄刀を持っていないとも、卍解をしていないとも、私は言っていない。斬魄刀の場所を問われた時は、時間稼ぎを兼ねて引っ掻き回してやるために嘘をついただけだ。

 

 一ヶ月、つまり約750時間。その長い時間を一瞬も途切れることなく、他に何をするでもなく、ただ卍解を維持し続けているのも退屈だ。

 だったら、その時間は修行に充てるのが効率的だろう。そう思って虚夜宮であれこれ卍解の能力を試している時に見つけたのが、斬魄刀の存在だけ隠すという力だった。

 

 霊圧を隠さずに卍解して"雲透"の存在だけを隠すと『霊圧的にどう考えても卍解しているのに、何故か斬魄刀を持っていない死神』の爆誕である。意味が分からない。

 一方で霊圧を隠さずに始解して"雲透"の霊圧だけ隠すと、『霊圧ゼロの刀を持った死神』になる。それはそれで使い道が分からない。

 

 そんな不思議な能力の利用価値を見つけたのが、数日前のこと。霊圧を完全に隠したまま卍解できる私が、卍解した斬魄刀だけを"花霞"で認識できなくしてしまえばどうなるのか。

 

 答えは簡単。『斬魄刀を身につけておらず、始解すらしてしない無防備な死神』と見せかけながら、こっそり卍解状態を保つことができるのだ。

 これを使って拘束から逃げられないか、と考えた結果がこの現状である。つまり隠していた斬魄刀は、彼らが認識できないだけでずっと私の腰にあったのだ。

 

「ざまあみろ」

 

 絶対に誰にも届かない悪態をつく。

 

 私は今の話にたくさんの嘘を混ぜた。私自身、いくつの嘘をついたのか分からなくなってしまうくらいに。

 

 私が消えれば、私にまつわる話は忘れられてしまう。しかし、崩玉にまつわる話はそのまま残る。嘘の話も本当の話も、出処の分からなくなった全ての情報が入り混じることになる。

 

 さぞ、混乱することだろう。

 

 崩玉が誰かの魂とリンクしていて、その全てが誰かの生死に左右されてしまう……そんな情報は頭の中にあるのに、その話の出処も真偽も、その『誰か』の正体も分からないのだから。正直、良い気味だと言わざるを得ない。

 

「利用してごめん、織姫」

 

 藍染に意趣返しができたことでスッキリした一方で、織姫に申し訳ないことをしたという思いもあった。

 

 しかし当然ながら、私の謝罪は届くはずもない。

 

 広間にいる者達は、突然消えた私を完全に忘れてしまっている。だからなのだろう、床に転がっている枷がそのままの状態で残っていることも、彼らの困惑に拍車をかけているようだった。

 

 何がどうなってる、と眉をひそめる破面たちをひとまず黙らせ、藍染は目的を見失った集まりを解散させた。この場に連れてこられた理由の分からない織姫は、再び独房のような個室に戻された。

 

 卍解で姿を消した私は、そのまま織姫についていった。これから一護たちが虚圏に到着するまでの数時間もしくは数日の間、織姫は危険な目に遭う可能性がある。それは何としてでも防がなければならない。

 

 移動しているうちに、藍染との愉快なやりとりで上がっていた気分はすっかり落ち着いていた。さて、これからの私の動きも改めて考えなくては。

 

「うーん、怒られそうだなぁ……」

 

 それなりに無茶をした訳だし、まず間違いなく怒られるだろう。きっと、多方面から。それでも皆に会いたいと思ってしまうのだから、私も随分とこの一ヶ月が堪えたらしかった。

 

 




このやりとりを楽しめるのは、きっと現段階では桜花だけなんだろうなぁと。まだ言っていない台詞ですからね。
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