頼みがある、と浦原喜助に言われたのは、朽木白哉や阿散井恋次と現世で戦った日のことであった。
現世にルキアを迎えに来た白哉と恋次に負け、大怪我を負って意識を失った。そして目を覚ましてみると、何故かそこは浦原商店の一室だった。そこで浦原喜助に己の力のなさを自覚させられた、その直後のこと。
「あの子を、護ってやって下さい」
「へ?」
あの子、とは桜花のことだろうか。
この男が「あの子」なんて呼ぶ対象は多くない。それにしても、そんなことを急に口にした理由が分からなかった。
「元々そのつもりだけど……」
どうしたんだ急に、と訊ねる。先程までの厳しい言動はどこへやら、浦原は苦笑して答えた。
「アナタが戦った死神たちですが、二人とも桜花の知り合いなんスよ」
「あー、そういやあいつ『朽木隊長』とか呼ばれてたような……」
「そう呼んだ赤髪の死神は、桜花の昔の友人。そしてその『朽木隊長』の方は、あの子の実の父親っス」
「父親!?」
桜花の本名については、つい先日聞いたばかりだ。生まれが貴族だということも、諸事情あってその父親と生き別れてしまったということも。
「そうか……あいつに、悪いことしちまったな」
自分の父親と自分の幼馴染が殺し合う、だなんて。それではまるで、一護の父親である一心と、桜花が殺し合っているのと同じではないか。
「いえ、悪いことをしたのはアタシです」
「え?」
「使者としてあの二人がやって来ていたことも、桜花は昨日の朝の時点で気づいてたんスよ」
「でも、あいつは何も……」
「えぇ。全て分かった上で、黙っていた。一度朽木サンを連れ帰らせた方が、確実に朽木サンを救えると理解していたからです」
まぁそう理解させたのはアタシですが、と浦原が自嘲した。
「ボクにはあの子の共犯者になることはできても、その荷を軽くしてやることはできない」
◇ ◇ ◇
こんな緊急事態にも関わらず時間は変わらず前に進み続け、いつものように朝はやって来る。一護は鬱々とした思いを抱えたまま、通い慣れた高校への道を歩いていた。
あれは確か、尸魂界に行く前に浦原から聞いた話だった。何故、今になってこんなことが思い出されるのだろう。
本当は誰より助けに行きたいはずなのに、あの男は現世に留まることを選んだ。その理由というのが、共犯者であることと何か関係しているのか。
……いや、今はそんなことはどうだっていい。今はそんなことを考えている場合でもなければ、こうして学校に行っている場合でもないのだ。
とはいえ、今の一護にできることはほとんどない。今夜、虚圏へと続く門が開かれるまでは待機していなければならないのだから。
加えて一護は、事情を知らないたつき達クラスメイトに、桜花について説明をしなければならない。一護のように直後には気づけずとも、皆も一晩も経てば気づくはずなのだ。一ヶ月もの間、浦原桜花の存在を忘れていたという強烈な違和感に。
もちろん何もかも洗いざらいぶちまける訳にはいかない。だがせめて、桜花は大丈夫だと伝えることができればと思っていた。それが仮に、確証のないものだったとしても。
「一護」
高校に着き教室に入った途端に、案の定名を呼ばれた。相手は、やはり。
「……たつき」
目の前に仁王立ちしたたつきが、一護の声を聞いて顔を歪める。沈んだ感情が声に出てしまっていたかと反省するより早く、その手が一護の腕を掴んだ。
「来い」
「は……?」
「いいから、来い」
何事かと振り返るクラスメイト達を気にも留めず、たつきは一護を引きずるように教室の外に連れ出した。放せよ、どうしたんだと問う一護を無視してたつきが連れてきたのは、数ヶ月前に桜花と死神の話をした校舎裏だった。
この場所には普段、誰も寄りつかないはずだ。にも関わらず数人の姿が見えて、しかもそれが良く知る人物のものと気づいて、一護は目を見開いた。
「啓吾……水色……!?」
どうしてお前らがと口に出そうとしたが、できなかった。二人が、今までにない深刻な表情をしていたから。
「一護。俺ら、知ってるんだ」
「知ってる……って、一体何を……」
「なぁ、一護」
先程の比でない低い声で呼ばれ、一護はたつきの方を見た。続いて問われたのは、あまりにも想定外なことであった。
「桜花と織姫は、どこにいるんだ」
「……は?」
訳が分からなくて、思わず聞き返す。桜花のことを問い詰められるなら分かる。だが、井上のことを訊かれるとは思っていなかった。井上はどこか、だなんて。答えは簡単だろうに。
「井上って……そんなの登校してるかもう教室にいるかに決まって――」
おかしい。
ふと頭を過ぎった可能性に、一護は口籠った。たつきは意味もなくこんな質問はしない。こうしてわざわざ居場所を訊くということは、まさか。
「井上
まさかそんな、そんなはずはない。このタイミングで、井上まで。
「一護……あんたもしかして――」
「おい、たつきッ!」
『知ってる』とはどういうことか、とか。どうしてこんな所に連れてきたのか、とか。
訊きたいことはあったが、そんなものは吹き飛んでしまった。たつきに詰め寄り、その両肩を掴む。
「井上がどうかしたのか?! 何かあったのか!?」
「何かって、あんた知らないの!? あの子、今連絡が取れないんだよ!」
「はぁ!?」
「朝起きたらあの子の気配が消えてたから、おかしいって思って電話したけど出なくて、家に行っても留守だったんだよ!」
「そん、な……」
井上の気配、それはつまり井上の霊圧のことを言っているのだろう。霊力の高い者に囲まれているからか、どうやら友人たちは他者の霊圧を感じ取れるようになってしまったらしい。
それを感じ取れない、ということは。
「桜花も先々月からいなくて! でも今日の朝起きるまであの子のこと思い出せなくてっ……なぁ、何なんだよこれ! ワケ分かんないよ!!」
泣きそうな声で叫ぶたつきの声が遠い。
確かめなければ。とにかく、井上の霊圧を探さなければ。一護はたつきの肩からそっと手を下ろし、目を閉じて俯いた。
しかし。
「……ない」
「はぁ?!」
「井上の霊圧が、どこにもない……」
どこにいても何をしていても全く霊圧を感じられない桜花は例外だが、普通は浦原商店の地下にいたとしてもわずかながら霊圧を感じ取れるものだ。それすらないということはつまり、彼女がこの世界にすら居ないということを意味するのだ。
「早く……皆に伝えないと――」
「おい一護!! 待てよ!」
友人たちに説明をしようとしていたことも忘れて、一護は踵を返した。それを追いかけたたつきが、一護の肩を掴んで止める。
「落ち着け! 一護!」
「落ち着いていられるかよ!!」
思いの外、大きな声が出た。その声量に、たつきがびくりと肩を跳ねさせる。
「くそっ……」
桜花がいない。井上もいない。
二人とも、生死すらわからない。
頭の中はぐちゃぐちゃで、もうどうすればいいか分からなかった。とにかく今はここにいる訳にはいかない、と一護は唇を噛み締めた。
「なぁ、一護。何があったんだよ。話してくれなきゃ分かんないだろ」
死神化しようと腰の死神代行証に手を伸ばしかけた一護に、啓吾が言葉をかけた。たつきとは対照的で、いつになく落ち着いた声色だった。
「そんなの、話して――」
「さっき言っただろ」
話してくれなきゃ分かんない。そんな友人の言葉に、「話して何になるんだ」と口にしそうになっていた。それを、啓吾が遮った。
「俺らは知ってるし、視えてるんだよ。幽霊も死神も虚も、全部」
「は……?」
熱くなった頭に、冷水をぶちまけられたような気がした。
「なん、で……」
校舎裏の日陰を、風が通り抜ける。
首筋をなぞるその冷たさに、一護は自分が酷く汗をかいていたことに気がつく。そのお陰かほんの少しだけ、冷静になれたような気がした。
「浦原さんが教えてくれたんだよ」
「桜花が……」
「ぼくらを巻き込みたくないから、全部教えるんだって。そうすればぼくらは、自分の意志で危ないモノから逃げられるから」
水色が、真剣な眼差しでそう言った。
啓吾も水色も、冗談を言っているようには見えなかった。だからきっと、これは本当の話なのだ。事実、彼らは死神のことを知っていたのだから。
「でも……この一ヶ月間、どうしてそんな話をぼくらが知っているのか分からなかった。そんな突拍子もない話、誰かが教えてくれたに違いないのに、誰が教えてくれたのか分からなかったんだ。まるでぼくらが、浦原さんのことだけ忘れてたみたいに」
あの幼馴染は、一体いつの間にそんなことをしていたのだろうか。彼女が裏でこそこそ動き回るのはいつものことだが、流石に我慢の限界である。
「由衣の時のことも、桜花から全部聞いたよ。あの時みたいなことは、もう繰り返したくないって言ってた」
「……そうかよ」
「なのにあんたは、こうやって誤魔化し続けるつもりなのかよ」
たつきはそう言うが、桜花が話したのはほんの一部でしかないはずだ。内容は知らないが、彼女が多方面に様々な隠し事をしていることくらいは一護も分かっていた。
普通に生きていて、どうやったらそんなに秘密にすべきことが出てくるのか。まだ付き合いは短いが、ルキアや恋次にそういった雰囲気がないのは明らかだから、死神であることは関係がないのだろう。
どうやら浦原喜助には全てを話しているようで、その相手に一護を選んでくれないことは不本意だったけれど。
「……たつき、急に大声出して悪かった」
「えっ? お、おう」
向き直って謝ると、たつきは困惑したような顔をしていた。
「場所を変える。そこで全部話すから、ついてきてくれ」
始業を告げるチャイムが鳴った。
その音に気を取られながらも、友人たちは躊躇うことなく頷いてくれた。
◇ ◇ ◇
死神の話をするのに最適な場所。
そんな特殊な場所なんて、思い当たるのは一つしかない。
「浦原商店……浦原さんの家ってお店やってんだな」
「へぇ、知らなかった」
「そっか、あんたらは桜花ん家に来るの初めてか」
目を丸くする啓吾と水色に、たつきが納得したように頷いた。一護はそんな友人たちを横目に、勝手知ったる商店の引き戸を開ける。駄菓子屋の店先にいたのはこの浦原商店に住む一人、握菱鉄栽だった。
友人たちに外で待ってもらうよう伝え、一護は鉄栽さんに訊ねた。
「なぁ鉄栽さん。井上のこと、聞いてるか」
「……えぇ、先程朽木殿が駆け込んできたところです」
「そうか、ルキアも来てるのか」
浦原さんも知っているとなると、もう自分から彼に伝えることは何もない。焦りは募るばかりだったけれど、今するべきはやはり友人たちへの説明だろう。
「店長と朽木殿は地下かと」
「あ、いや……ルキアと浦原さんに用はないんだ。ただどこか一室貸してくれねぇかなと思って。こいつらに、説明しなきゃならないことがあるんだ」
そう言って、一護は友人たちを店内に招き入れた。鉄栽さんはその姿を見て数秒黙り、そして重々しく口を開いた。
「現世を生きる者に全てを伝えるということは、彼らを
それは、一護の意図を完全に把握した上での言葉だった。
本来は死ぬまで関わることのない世界に、生きている人間を関わらせる。その異常さは、現世に人間として生きてきた一護にはよく分かっていた。
だから今まで、一護はたつきたちに死神のことを言わなかった。死神の力を手に入れる前も、桜花の力のことや虚のことは決して口にしなかった。
「分かってる。だから桜花や浦原さんは、俺に虚のことを隠してたんだろ。でも伝えることで護れる命もあるって、あいつのお陰で気づけたから」
これが鉄栽さんの求める答えかどうかは分からない。けれどこれが、一護の本心だった。
先程は気が動転してしまっていたけれど、よくよく冷静になって考えると、友人たちの方が一護よりずっと不安に思っているに違いないのだ。
一護は虚圏のことも桜花の能力のことも知っているから、これからすべきことも全て理解している。けれど、今起こっていることを何も知らない友人たちはそうではない。
「このまま何も話さなきゃこいつら、二人を探そうとするだろうよ。それじゃ、あの時の二の舞だ」
しかし虚や死神が見えるくらい霊力が高い状態で無闇に動けば、虚に狙われてしまう可能性が高い。だからといって一護も、ずっと現世にいて友人たちを守ることはできない。
「だからちゃんと伝えて、約束するんだ」
自分が、尸魂界の死神達が、必ず二人を連れ戻すから。
だから信じて待っていてほしい。
そう、約束するのだ。
「そのための『話』だ」
「……分かりました。こちらへ」
鉄栽さんは、ようやく静かに頷いた。
どうやら及第点はもらえたようだった。