傲慢の秤   作:初(はじめ)

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九、グランドフィッシャー

 

「――"破道の四・白雷(びゃくらい)"」

 

 無意識の、行動だった。

 やってしまってから「しまった」と思うも、もう遅い。

 

 私の手のひらから飛び出した"白雷"は駆け出した真咲さんを追い越して、気配を隠すことを止めたばかりのグランドフィッシャーを直撃した。

 グランドフィッシャーは驚いたように身をよじり、そして私を見た。

 

「ひひひっ……痛いのぉ……そこな小娘か? わしの毛を焦がしたのは」

「……なーんだ、効いてないんだね。けっこう霊圧込めたのになぁ」

「小娘よ、お前はそこな小僧よりも旨そうだ……先にいただくとするかの」

「勘弁してよ。食べられるとかヤだからね、私は」

 

 手を出してしまったことへの後悔と、一護達から(ホロウ)の興味を逸らせられたことへの安堵と、自らよりも強いモノに狙われていることへの恐怖と……様々な感情でごちゃごちゃになった心を、私は得意の演技で覆い隠してのんびりとした口調で喋る。

 あくまでも余裕があるかのように、堂々と。

 

「"縛道の四・這縄"」

 

 縛道を放つ。余裕の現れなのか、グランドフィッシャーは嫌らしい笑い声を上げてそれを()()()()()()

 

「なるほど……死神の術。貴様、人の子じゃないな?」

「どっからどーみても人でしょうよ。その目は飾りかっての」

 

 恐らく奴がその気になれば、一桁台の縛道なんて数秒で破られる。

 私はグランドフィッシャーの言葉に適当に返しつつ、真咲さん達の所に駆け寄った。真咲さんはこの間に、一護を抱きかかえて奴から距離を取っていたようだ。

 見えていないはずの虚から距離をとるなんて、やっぱり――いや、今はそれより。

 

「あなた、浦原さんのところの……まさか……」

「良いですか、多分アレは私一人じゃ倒せない。私が注意を引きつけるんで、お二人はここから離れながらこれで浦原喜助に電話を」

 

 入学式で一度見ただけの私を、真咲さんは覚えていてくれたらしい。私を見て呆然としている真咲さんに、携帯電話を押しつけて踵を返す。

 

「お、桜花……何で……?」

「一護、話は後。お母さんをちゃんと守るんだよ」

「……分かった」

 

 同じく呆然としていた一護だけれど「お母さんを守る」という言葉には、しっかりと返事を返してくれた。

 

「お別れは済んだかの?」

「これが、生きるのを諦めた人間に見える?」

「見えぬな……ひひっ!」

 

 逃げていく二人の気配を感じつつ、私は静かにグランドフィッシャーを見つめる。

 バキバキと音を立てて、奴は縛道を破り始めた。私は今まで背負っていたランドセルを放り捨てて、指を二本立てた右手をまっすぐ伸ばす。

 恥ずかしいからやりたくなかったんだけどな。今はそんなこと言ってられない。死ぬよりマシだ。

 

「自壊せよ、ロンダニーニの黒犬、一読し・焼き払い・自ら喉を掻き切るがいい――"縛道の九・撃"」

 

 油断したグランドフィッシャーが二つの縛道を破る前に詠唱を終わらせると、私の指先から放たれた赤い光がグランドフィッシャーを取り巻き、その手足と餌の女の子を丸ごと固定するように縛りつけた。

 これで、奴は地面から離れられなくなった。

 

「おお、やるではないか。これは先程よりも強力なのだな」

「ずいぶんと余裕だねぇ」

「当然……ひひひっ」

 

 知っている。奴の主な攻撃手段は手足なんかじゃないことを。だから私は足に霊圧を集めて、次の攻撃に備える。

 

「青いのう小娘……これでわしを抑えた――つもりかっ!」

 

 言葉と共に襲い来るは、"撃"の隙間から飛び出した奴の体毛。

 私はそれを、瞬歩で避けた。

 

「ほう……これを避けるか」

「や、まだ死にたくないもんで――"縛道の九・撃"」

 

 空中に降り立った私は、再度"撃"を放ち、飛来した体毛を避ける。

 

「"縛道の九・撃"、"縛道の九・撃"、"縛道の九・撃"、"縛道の九・撃"」

 

 私が詠唱破棄でも同じ威力を保てる縛道は"撃"だけだ。"鎖条鎖縛"辺りが使えたら便利なんだけれど、今の私では完全詠唱でも不可能だ。

 

「ずいぶんと慎重な戦い方をするのだな、小娘よ」

「……"縛道の九・撃"」

 

 返事の代わりに詠唱破棄の"撃"を放つ。これで七回目。

 これで奴の体毛はあらかた覆い隠せたから――

 

「――わしの毛を抑えれば、勝てると思ったか?」

「っ?!」

 

 嫌な予感。咄嗟に身をよじる。

 風切り音がして、左肩に何かが掠った。

 

「惜しい……あと少しズレておれば心臓を一突きだったのに」

 

 グランドフィッシャーの仮面に空いた穴。そこから触手が数本飛び出して、不気味にユラユラ揺れていた。そういえばこの触手、原作にも出ていたような。

 

「……うえ、気持ち悪」

 

 つまりあれが一瞬で伸びて、一瞬で縮んだ、と。

 そして、私はそれを目で追えなかった。

 

 これは、ちょっと不味いかもしれない。

 

「便利だね……その身体」

「羨ましかろう?」

「まさか」

 

 掠っただけにしてはひどくズキズキと痛む肩に触れる。雨の水とは明らかに違う、ぬめりのある感触にため息をついた。全く、冗談じゃない。

 明らかに勝てないと分かっていたからこその縛道だったのに……あれは反則だ。

 

「ほれほれ、どんどん行くぞ?」

「っ……"縛道の八・(せき)"!!」

 

 ヒュン、ヒュン、と音を立てて伸び縮みする触手を"斥"で作り出した盾で防いだ――いや、正しくは防ぎきれていない。

 "斥"は普通の虚相手であれば、大抵の攻撃を防いでくれると鉄裁さんから聞いた。しかし残念なことに、その持続時間は長くない。だからといって連発しようにも、どうしても隙が生まれてしまう。それに、私の霊圧だって無限じゃない。

 よって防ぎきれなかった攻撃は、濡れて身体に貼りついたTシャツの裾を切り飛ばし、同時に私の身体に浅くない傷を残していく。息が上がる。

 

 ああもう、勘弁してほしい。

 いっそ、逃げ出してしまえたらいいのに。

 

「どうした、小娘よ」

 

 でも、逃げる訳にはいかない。

 私が逃げたら、次に狙われるのは一護と真咲さんだ。

 

 そうだ、二人はちゃんと逃げただろうか?

 真咲さんにはちゃんと感じ取れるほどの霊圧がないから、現在地が分かるのは一護だけ。どうやら一護は、この河原のすぐ近くにいるようだ。

 

 ――あれ、どうして一護がこんな近くにいるの?

 

 逃げたんじゃ、なかったの……?!

 

「動きが鈍くなってきたぞ?」

「気のせいだよ、きっと……"縛道の八・斥"!」

「現実逃避か? ひひひっ」

 

 不味い。

 

 内心の焦りを隠して、ニヤリと笑ってやる。

 コイツ、今はまだ私の相手に夢中で一護の存在には気づいていないみたいだ。

 しかし、このままただ攻撃を避け続けているだけでは、恐らく数分もしないうちに急所に当てられて殺される。喜助さん達の霊圧もまだ近くにはない。一護だって、いつ見つかってしまうか分からない。

 

 だったら……アイツの注意をもっと私に引きつけて、なおかつ時間稼ぎができるような、何か派手な攻撃を――

 

「……散在する、獣の骨」

 

 触手を避ける。

 

「尖塔・紅晶……鋼鉄の車輪――っ!?」

 

 避けきれなかった。

 脇腹から血が吹き出るのを感じて、顔をしかめる。

 それに、先程からどうも視界がはっきりしない。傷口を水に濡らすと出血が増えると、どこかで聞いたことがある。まず間違いなくこれはそのせいだろう。

 

 ともかく、詠唱は止めない。

 ガス欠にならない程度に、言霊に霊圧を込め続ける。

 

「枯渇の果て……再起の礎……」

 

 それと同時に、二年前に瞬歩をしようとした時の要領で、足元にも霊圧を集めて。

 

()の双眸となりて、黒雲(こくうん)に臨む……!」

 

 ――そのまま、()()()()()()()()

 

 衝撃で真上に弾き飛ばされた私は、私を探すグランドフィッシャーの遥か頭上にて、握りしめた右拳を思い切り引いた。

 その途端、波紋のような形をした光が目の前に現われ――そして私は叫ぶ。

 

「食らえ――"破道の四十一・雷紋衝(らいもんしょう)"!!」

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 息子である一護を先に逃して、黒崎真咲は先程の河原に戻って来ていた。

 

 浦原喜助とは既に連絡を取った。何故か自らが滅却師の力を使えないこと、桜花という名の少女が一人で戦っていること、そして恐らく桜花一人で対処できるレベルではないということ。それらを聞いて「すぐに向かう」と言った浦原の声は、普段の飄々とした雰囲気が嘘のように切羽詰まっていた。

 

 目の前の河原では、宙に浮いた少女が高速で飛び回り、時折右手を突き出しては『何か』と話している。

 

 そして真咲には、その『何か』を見ることができなかった。

 

 桜花の動き方からして、恐らく相手は虚。なのに何故、滅却師(クインシー)たる自らの目に虚が映らないのか。何故、その霊圧すら感じ取れないのか。

 

「――"破道の四十一・雷紋衝"!!」

 

 その時だった。

 目で追えていた少女の姿が、不意に掻き消えた。そして、その澄んだ声が辺りに響き渡る。

 

 その数秒後、虚が倒れたような振動がした。 真咲は思わず駆け出していた。力の抜けた桜花の身体が、空から降ってきていたからだった。しかし。

 

 間に合わない……!

 

 真咲は必死で土手を駆け下りながら、唇を噛み締めた。走りながら桜花を見つめて……そして、彼女と目が合った。

 

「……"縛道の、三十七……吊星(つりぼし)"」

 

 絞り出すような桜花の声が聞こえて、途端に自由落下していた彼女の身体が何かにぶつかったかのように跳ねた。そして、その間にできたわずかな時間で真咲は桜花の元へ辿り着き、転がるようにしてその傷だらけの身体を抱き止めた。

 真咲の丈の長いスカートが泥で汚れる。しかしそのようなこと、真咲にはどうでも良いことだった。

 

「真咲、さん……何で……?」

「いいから! 虚はどっちに?」

「……あっち」

「分かった。逃げるわよ!」

 

 真咲は、少女の指差した方向とは逆に向かって駆け出した。もちろん、少女を抱きかかえたまま。

 

「駄目だよっ……! 私だけなら、アイツから……逃げきれるから――」

「嘘つかないの! そんな傷で動けるはずがないでしょう!」

 

 明らかなる嘘。痩せ我慢だった。

 虚を墜落させられるだけの力を持った子が本当に万全なら、ただ抱きかかえているだけの真咲の腕を振り払えないはずがないのだ。

 

「いいから子どもは大人に守られてなさい!」

 

 桜花が驚いたように目を丸くする。

 

 真咲は、この期に及んで滅却師の力を一切使えない現実に歯噛みしながら走った。息子と同じ年の女の子に戦わせてこんな怪我をさせて、それなのに逃げる以外に何一つ策がない自分が、情けなくて情けなくてやりきれなかった。

 

 だからせめてと、真咲は少女を抱いて河原を走り続けた。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 真咲さんが抱き止めてくれて良かった。何とか"吊星"を使って落下の衝撃を和らげはしたものの、まるで柔らかなクッションにぶつかったかのように跳ねた私は、その跳ねた勢いのまま地面に叩きつけられるはずだった。この傷で石だらけの河原に落ちるなんて、死ぬほど痛いに違いない。

 

『いいから子どもは大人に守られてなさい!』

 

 そんなことを言われたのは、この世界に来て初めてだった。

 喜助さんも夜一さんも基本的には「自分の身は自分で守れ!」っていう感じだったから。そういうのは新鮮だった。

 

 そして、その言葉を聞いて確信した。

 

 虚も見えない真咲さんじゃ勝ち目がない――そう言ったところで彼女は私を置いて行きはしないだろう、と。

 

 ならばどうしようかと、必死に策を練る。

 

 視界がぼやけて仕方ない。今すぐにでも落ちてしまいそうな瞼をこじ開けて、私は真咲さんの腕の隙間から背後を伺った。

 

「ひひっ、ひひひひ……小娘よ、余程わしを怒らせたいと見た……」

 

 目が合った。

 ゾワッとした悪寒が背筋を駆け抜ける。

 重ね掛けした縛道は、まだ解かれてはいないようだ。いくら一桁台の縛道とはいえ、七回も重ねればその分だけ強固になる。

 つまり、アイツはしばらくあの場から動けない。それでもさっき私を追い詰めた触手は、恐らく自在に動くだろうから――

 

「"縛道の二十三・曲光(きょっこう)"」

 

 私は、真咲さんにも聞こえないほど小さな声で唱えた。

 "曲光"とは、光を曲げて対象の姿を目に見えなくする縛道。私はそれを、()()()掛けた。

 

 これで、一安心。

 一護がアイツに見つかる可能性は格段に下がった。

 

 わざわざ霊圧を隠して、餌で霊圧の高い者をおびき寄せる……なんて手を使うくらいだ。グランドフィッシャーは霊圧探知が苦手に違いない。霊圧探知が得意ならそんな面倒なことはしなくてもいいはずだ。それにもしコイツが霊圧探知を得意としていたなら、破面(アランカル)化して再登場した後も、一護の身体の中にいるのがコンであるとすぐに気づいたはずなんだ。

 つまり……一度視覚的に隠してしまえば、もう見つかることはないということになる。

 

 "曲光"に込めた霊圧から判断するに、持続時間は長く見積もって五分。それくらいあれば喜助さん達だって駆けつけてくれるはずだ。

 

 私達の背後50メートルほどの位置で、ゆっくりと起き上がったグランドフィッシャーがユラユラと触手を揺らす。

 

 さて。私と真咲さんは、どうやって生き延びようか。

 

 

「――ずいぶんと、好き勝手やってくれたみたいっスね」

 

 

 命に関わる至上命題に頭をひねった、その時だった。

 

 

 聞き慣れた、声がした。

 




"縛道の九・撃"の詠唱を資料なしで書けてしまったことと、ノリノリで自作したオリジナル鬼道が中二病全開のシロモノになってしまったこと……この二つの事実に慄いてます。

それと真咲さんは滅却師の力と共に、霊圧そのものも失ったと勝手に解釈しています。

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