傲慢の秤   作:初(はじめ)

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九十二、闇を体現する

 

 

 

 見通しが甘かった。

 

 起こり得るリスクの考慮も、それに対する備えも、何もかも足りていなかった。色々なことがうまくいって、油断してしまっていた。

 

 後悔と反省を挙げ始めたらキリがない。

 

 はぁ、と大きく息を吐いて、虚夜宮(ラスノーチェス)の白い柱に背を預ける。壁と同じく真っ白な床は、私の周りだけペンキをぶちまけたように朱で染まっていた。

 

 まぁ……片脚がなくなったら、こうもなるよね。

 

「いやぁ……脚はダメだよね、脚は……」

 

 腕ならともかく、と続けると芦谷に「腕でも駄目です」と端的に返された。そうか、駄目なのか。機動力が落ちない分、かなりマシだと思うんだけど。

 

 止血剤と痛み止めはすぐに投与した。それでも痛みと消耗で回道が安定しない私を見かねて、芦谷が代わりに治療をし始めてから五分ほどは経ったか。

 

「完っ全に、油断してた……これじゃ、喜助さんに笑われるなぁ……」

 

 言葉の綾みたいなものだ。いくら喜助さんだって、流石に今の状況を見て笑いはしないだろうけど。

 

 そんなことを考えたところで、私は現実逃避を止めた。私が脚を失った直後は気が動転して半泣きだった芦谷も、ようやく落ち着いてきたようだ。回道を使いながら私と会話できるくらいには。

 

「さて……どうしたもんか……」

 

 脛から下を失って、短くなってしまった左脚を見下ろす。これは、敵に斬られたのではない。私が”雲透”を使って、自らの意思で切り落としたのだ。

 

 ”雲透”自身は、かなり嫌そうだったけれど。

 

 それでも、死ぬよりはずっとマシだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 それは、六体の第2従属官(セグンダ・フラシオン)を芦谷と二人であっさり倒し、次の行動を起こそうとした時のことだった。

 

「見つけたぞ」

 

 白ばかりが続く景色の中。

 そこに、虚圏(ウェコムンド)の神が降臨した。

 

「……嘘でしょ」

 

 思わず、小さく漏らす。

 

 一時間半ほど前。私が反膜の匪(カハ・ネガシオン)を使って、閉次元に閉じ込めた破面。

 

 おかしい。

 だってまだ、出てこられないはずだ。

 

 反膜の匪で幽閉することのできる時間は、その破面の霊圧の大きさによる。虚圏での潜伏中、ウルキオラにこれが使われていたことを思い出した私は、彼の霊圧を元にそれぞれの十刃の拘束時間を予想していた。

 

 もちろん、予想はあくまでも予想だ。その通りにいくなんて全く思っていなかった。

 

 けれど。

 それにしたって、これは。

 いくら何でも。

 

「まさか、此奴は……」

「……バラガン・ルイゼンバーン。藍染から2番を与えられた、十刃(エスパーダ)だよ」

「2番……」

 

 芦谷が、呆然と呟いた。

 

 私たちの目の前に立つのは、大きな両刃斧を持った隻眼の老人だった。その巨大な武器も、王冠の形をした仮面の名残も、無敵とも言える能力も。その全てが、この破面を『大帝』と言わしめるに足るものだった。

 

 その『大帝』が私たちを――いや、私を睨みつけて言った。

 

「よくも、この儂を幽閉してくれたな……この、不届き者めが」

 

 あぁ、マズい。相当恨まれてるな、これは。

 

 じわりと、静かに緊張がにじり寄ってくる。

 老人から滲み出た怒りが、大気中の霊子を揺らしている。

 

 長い長い時を生き、虚たちに崇め奉られてきたこの十刃は、とにかくプライドが高い。だから許せなかったんだろう。私のような小娘に良いようにされ、それに抵抗すらできなかったということが。そして、自らの従属官筆頭たちを全滅させられたということが。

 

 息が止まりそうな沈黙が続いて、そして老人は重々しく口を開いた。

 

「儂の不興を買ったこと、その命朽ち果てるまで(くや)み続けるが良いわ」

 

 これまた、怖いことを言ってくれる。

 

 その霊圧と気迫に()された芦谷が、警戒するように半歩ほど下がる。足元の砂がジャリ、と音を立てた。私は下がらなかったけれど、それでも気持ちは芦谷と同じだ。

 

 コイツとだけは、正直戦いたくなかった。

 

 何てったって、相性が悪過ぎる。コイツと戦うくらいなら、第1(プリメーラ)十刃と戦った方がいくらかマシなくらいだ。

 

 ……仕方ない。とりあえず卍解して様子を見るか。

 

 そう思った、その時だった。

 

「――朽ちろ、”髑髏大帝(アロガンテ)”」

 

 う、嘘でしょ!?

 

 声にならない悲鳴を上げて、私は踵を返した。もちろん芦谷の腕を引っ掴んで、だ。

 

「桜花様!? 一体――」

「逃げるよ!!」

 

 すぐに理解して瞬歩してくれた芦谷と共に、全力でこの場から退避する。帰刃(レスレクシオン)したなら、次に飛んでくる攻撃は()()しかない。

 

 ちら、と振り返る。そこにいたのは、闇をそのまま体現したような存在だった。濃紺と漆黒の入り混じった衣、鎖の垂れ下がった黄金の王冠。そして、真っ暗な眼窩のしゃれこうべ。

 

 この破面が真っ先に私を狙ってくる可能性。それは最初から読めていた。だから第2従属官を倒した後は、可能な限り早くその場から離れるつもりだった。そうでないと、従属官の霊圧を辿ったバラガンと出くわす可能性があったからだ。

 

 けれどまさか、『第4(クアトロ)以上の十刃は天蓋の下で帰刃(レスレクシオン)してはならない』という藍染の命令を、いきなり無視してくるとは思わないだろう?

 

「”死の息吹(レスピラ)”」

 

 来た。

 

 巨大な両刃斧を振ることもなく、ただその身体から滲み出た黒い靄のような何か。それが急速に膨らんで、そして私たちを追い始めた。

 

 これは、本当にマズい。

 

 兎にも角にも情報共有だ。私と同程度の瞬歩を扱える芦谷と並走しながら、端的に情報を伝える。

 

「あの黒いのに当たったら死ぬよ!」

「死ッ……!? そんな、能力が……?」

「あるんだよ! 残念ながらね!」

 

 怒鳴るように返して、また後ろを振り返る。

 

 ――あぁ、駄目だ。黒い靄が、思いの外近くまで来てしまっている。

 

「”縛道の三十九・円閘扇(えんこうせん)”っ!」

 

 咄嗟に通常の数倍の霊力を込めて、直径数メートルの鬼道の盾を出現させる。放った後は確認もせずに、とにかく瞬歩で逃げる。その二秒後、ガラスが割れるような音が響き渡った。そうか。強化した大きな”円閘扇”でも、たった二秒しか保たないか。

 

「芦谷、もう止まって大丈夫だよ」

 

 芦谷に言葉を掛けつつ、私も立ち止まる。”死の息吹”の効果範囲は、最大で数百メートル程度。つまりその範囲から出てしまえば、あの靄に当たることもない。

 

「効果範囲がここまで、ということか……広いな」

 

 私のすぐ傍で立ち止まった芦谷が、独り言を漏らす。

 

「本人が近寄ってきたら、その分範囲もこっちに伸びるからね」

「……そうなりますよね。アレに触れると、何が起こるのでしょうか」

「老化、するんだよ」

 

 無機物なら、ボロボロに崩れて塵になる。

 

 人の身体なら肉が崩れて骨になり、そして最後は同じく塵となって消え失せる。

 

 それをそのまま告げると、芦谷は顔を引きつらせて黙り込んだ。分かる、分かるよ。おかしいよね。触れるだけで即アウトな技を、何の代償もなく連発してくるんだから。ズルいよね。

 

「対処法は、あるのですか」

「……ないよ」

 

 そう否定しながら首を振ると、芦谷は「そんな……」と絶句した。

 

 私の”雲透”と芦谷の”緋衣草(ひごろもそう)”は、鬼道系の斬魄刀だ。例えば私自身を隠す”花霞”も、能力を入れ替える”狂雲”も、全ては鬼道に由来する能力である。

 

 そしてバラガンの”髑髏大帝”は、鬼道をも老化させて塵にすることができる。

 

 つまり私たちの技は全て、”死の息吹”を浴びると()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 例え”花霞”で隠れていたとしても。私の元へ辿り着いた”死の息吹”は、”花霞”という技を解除してしまう。そしてすぐに、私の身体を塵に変え始めるだろう。こんなもの、どうやって戦えというのか。

 

「逃がすと思ったか」

「くそッ……もう、ここまで……!」

 

 この間に、すぐ近くまで距離を詰めてきていたらしい。すぐ近くに迫った敵の姿に、芦谷が悪態をついた。

 

「足掻くなら、より無様に足掻くが良い。その方が興が乗るというものよ」

「随分と偉そうな物言いだな……王にでもなったつもりか?」

「芦谷、今は煽らないで」

「……ふむ。貴様のような蟻の戯言に興味はないが、どうやら小娘と親しい様子……どれ、貴様から塵にしてやろうか」

 

 バラガンの視線が、初めて私から芦谷へ移った。

 骨の掌を伸ばし、刀を構えた芦谷へと向ける。

 

 何をしようとしているかなんて、考えるまでもなかった。

 

「芦谷ッ!! 逃げろ!!」

 

 思わず叫ぶ。

 芦谷はすぐに踵を返した。

 

 直後、黒い靄がバラガンの掌から溢れ出す。先程とは違って、明確な指向性のある攻撃だった。それは確実に、芦谷一人を狙っていた。だから私は少しでもバラガンの気を引こうと、破道を放つために霊力を――

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 ――ふと、左足に違和感。

 

 嫌な予感と共に、足を見下ろす。

 はためく死覇装の裾、その先。

 

 左の足先が、黒い何かに包まれている。

 

「ッ……!?」

 

 衝撃に、息が詰まった。

 

 どうして。

 あの攻撃は確かに、芦谷一人を狙っていた。

 それなのに、どうして。

 

 そんな無意味な問いが頭の中を巡っているうちに、草履と足袋が朽ち果て、肌色の爪先が覗く。

 

 指先が、削れていく。

 

 赤の混じった肉片が塵となり、白い骨が露出する。

 その骨もやがて朽ち果て、跡形もなく消え失せていく。

 

 それは、確かに恐怖だった。

 

 自分の肉体が朽ちていく(おぞ)ましさへの、そして数秒後に訪れるであろう自身の死への、恐怖だ。

 

「くそ、っ……!!」

 

 もはや、反射だった。

 

 悲鳴を上げそうになったのを飲み込み、痛いくらいに"雲透”を握りしめる。そして躊躇いなく、自分の左脛へと振り下ろした。

 

 

 




ちょっと短いですが、キリが良いので。
”死の息吹”の効果範囲が最大で数百メートル程度、というのは独自設定です。

※次回更新:7/2 (水) 5:00 を予定。
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