「不覚でした。私を、囮に使われるとは……本当に、申し訳ございません。主にこんな、こんな怪我をさせてしまって……私は、のうのうと……」
「芦谷。それもう三回目だよ」
芦谷は、今にも泣きそうな顔でそう言った。立ち直ったと思っていたけれど、どうやらまだだったらしい。
落ち込むのも謝るのも後回しだと伝えたのは、一回目の時だった。それでも治療をしながらふと我に返った時に、どうしてもやりきれなくなってしまうようだ。まぁ、気持ちは分からなくもないが。
「傷口は、塞ぎました。しかし……」
「うん、分かってる。ありがとね」
私も芦谷も、失った身体の部位を生やすほどの回道は扱えない。できたとしてもせいぜいが傷口を塞いで、痛みを緩和させるくらいのものだ。
「大丈夫だよ。とりあえず傷は塞がったんだから」
痛みだって、耐えられない程ではなくなったし。そう言って私は柱から背を離した。額や頬を伝って落ちる汗を、死覇装の袖口で拭う。
「さっきも言ったけど、私と芦谷じゃアイツには勝てない。相性が悪過ぎる」
この相性の悪さについては、治療を受けながらあらかた説明した。
私たちはハッチさんのように”空間転移”の禁術は使えないし、砕蜂隊長のような圧倒的な高火力技も持っていない。もちろん、バラガンの能力を無効化できるほどの強大な霊圧も持ってはいない。だからもう、逃げる以外の選択肢がないのだ。
「だったらもっと対策しとけよって反省は、とりあえず後回しにするとして……」
「逃げますか」
「うん。逃げて、時間を稼ぐ」
芦谷の問いかけに頷く。
あと一、二時間で味方の第二陣が到着する。これで、護廷十三隊の最高戦力が虚圏に揃うことになる。その中にはバラガンの能力と相性の良い隊長格が何人かいるから、そのうちの誰かと戦闘を交代してもらえばいい。
そんな他力本願なことを考えた直後、しわがれた声が背後から聞こえた。
「逃げる? 一体、何処へだ」
「ッ……!!」
反射的に私を抱え上げた芦谷が、その場から飛び退る。一秒も経たないうちに、私がもたれかかっていた柱が崩れ落ちた。
「”縛道の二十一、赤煙遁”」
別の柱の陰に入ってバラガンの視界から消えた、その瞬間を狙って私は”赤煙遁”を使う。
「
煙に巻かれて私たちを見失ったバラガンが、忌々しげに呟いた。
ここは、城の内部。柱ばかりが並ぶワンフロアぶち抜きの空間だ。こんな場所で、何も考えずに”死の息吹”をぶっ放せばどうなるか。答えは簡単。このフロア全体の天井が抜けて、虚夜宮の屋根の位置が少しだけ低くなる。当然その時ここにいた者は、降ってきた天井に押し潰されてぺしゃんこだ。
だからきっと、大規模な”死の息吹”は撃ってこないはずだ。痺れを切らして、自棄になったりしない限りは。
そう、信じたいところだけれど。
「いつまで、そうして逃げ回っているつもりだ」
第二陣の到着までかなぁ、とごく小さな声で呟くと、芦谷に「桜花様、お静かに」とこれまた小さな声で叱られてしまった。
いらんことを言うな、ということらしい。ごめんなさい。
「…………」
言われた通りに口を閉ざした私は、すぐ近くにある芦谷の顔を見上げた。
それにしても、この人には本当に悪いことをした。私と合流していなければ、今ここでバラガンに追われることもなかっただろうに。そもそも私を探すために死神になって、私を助けるために虚圏に来るような人なのだから、合流だなんだというのも今更な話ではあるのだけれど。
はぁと小さく溜め息をつくと、気遣わしげな視線がこちらに向いた。「痛みますか」と小声で訊ねられて、「ううん、大丈夫」と首を横に振る。
全く、情けない限りだ。
ここに来て、私がお荷物になってしまうだなんて。
「……こうなれば、致し方あるまい」
私が自己嫌悪に浸っている間にも、鬼道の煙はどんどんと晴れていく。そんな中でバラガンは一人呟き、そして手にした両刃斧を振り上げた。それを振り下ろすと同時に、またもや"死の息吹”が放たれる。先程よりもずっと規模の大きな、範囲の広い攻撃だった。
あ、マズい。
その様子を芦谷の肩越しに見ていた私は、敵のやろうとしていることに気がついた。
「外に出よう。たぶん天井が落ちる」
「えっ?」
恐らく、外へ誘われている。広範囲攻撃をすることで、私たちに天井の崩落を警戒させる。そして天井のない屋外へと逃げるよう仕向ける、という訳だ。
それは分かっていたけれど、このままここにいては瓦礫の下敷きになってしまう。それは避けるべきだろう、普通に考えて。
困惑する芦谷を他所に、私は城の内壁に向かって掌を向けた。そして「ちょっとデカいの撃つから踏ん張ってね」と告げる。芦谷だって、このくらいの反動で軸がぶれるほどヤワな鍛え方はしていないはずだ。
――集中。
「”破道の六十三、
轟音が、響き渡った。
私の掌から放たれたのは、巨大な電気エネルギーの塊だった。それが、虚夜宮の壁に大穴を開けた。
「うわッ!?」
爆風が吹き荒れ、芦谷が驚いたように声を漏らす。
このレベルの破道を詠唱破棄するのは、戦闘中では初めてだった。多少威力は落ちてしまったが、今回に限ってはこれで十分だ。
「ここから外に!」
「は、はい!」
頷いた芦谷が、壁の穴から飛び出す。
その直後、私たちのいた空間が崩壊した。バラガンが一度にたくさんの柱を壊したせいで、天井の一部が抜けてしまったのだ。ワンフロア全ての天井が降ってこなかっただけマシではあるが。
もうもうと立ち込める土煙から抜け出した私たちは、すぐに建物の陰に隠れた。そもそもが誘い出されているのだから、こんなところに隠れたところで大した時間稼ぎにはならないだろう。
それでも、他に選択肢がないのだから仕方がない。
「……ねぇ。私を置いていくって選択肢、ある?」
「ご冗談を」
「そうだよねぇ……」
ふと思いついた問いを口にすると、とんでもない速度で否定された。
でもなぁ、と考える。
私が怪我を負ってしまったことで、戦況はさらに苦しくなってしまった。他の死神たちと比べて小柄とはいえ、私を抱えたままでは芦谷の瞬歩は遅くなってしまうだろう。避けられる技も避けられなくなる。放てる技も放てなくなる。けれど、芦谷は絶対に私を置いて行かないだろう。
うーん……やっぱり一か八か、卍解してみるか。
卍解すれば、とりあえずは芦谷から注意を逸らすことはできる。その後のことは、それから考えるしかなさそうだ。
そう思って腰に手を伸ばす。
その右手が、何かに止められた。
「……え?」
――斬魄刀が、抜けない?
驚いて、手元を見る。”雲透”の柄を掴んだ私の右手を、斬魄刀ごと押さえつける大きな掌があった。芦谷だった。
押しても引いても、左手で引き剥がそうとしても、びくともしない。たった左腕一本なのに、その力は私の両腕よりずっと強かった。
「……芦谷」
「駄目です」
説き伏せるように、ゆっくりと芦谷の名前を呼ぶ。
そんな私をぴしゃりと叱りつけるように、芦谷は言った。
「
「っ……!」
まさか。
その言葉の意図するところに気づいて、血の気が引いた。私自身、似たようなことをしたことがあるからよく分かる。
でも……そんなこと、許せる訳がないだろう。
「放して」
「申し訳ございません」
「放してよ」
「お断りします」
「放せッ……!」
「嫌です」
けれど。
頼んでも、小声で怒鳴っても、芦谷は動かなかった。私の方を見ることもなく、土煙の晴れ始めた外壁を見据え、じっと敵の動向を探っていた。その姿が、酷く不安を煽った。
――この人たぶん、死ぬつもりだ。
震える左手で、芦谷の死覇装を握り締める。
芦谷に怪我を負わせる勢いで本気で暴れたら、この腕から抜け出すことはできるのかもしれない。けれど今のこの状況で、そんなことをして何になる? 事態を余計に悪化させるだけだ。
「……やめてよ」
仮に卍解で隠れたとしても、瞬歩を使えない、つまり”死の息吹”から逃げられない時点で巻き添え確定だ。
だったら芦谷が抱えたまま、一か八か瞬歩で逃げた方がまだマシだ。最悪”死の息吹”に追いつかれてしまったとしても、間に芦谷の身体があれば、少なくとも一度は私のことを守れるだろうから。
それに、私の卍解は芦谷が死んだ後の最後の手段として残しておくべきだ。その方が私の生存確率が上がるだろうから。
芦谷が考えているのは、きっとそういうことだ。
私には分かる。
分かって、しまう。
「いやだ、こんなのっ……」
私の子どもじみた泣き言を聞いて、芦谷はふっと頬を緩めた。ちらりと一瞬だけ私を見て、そして「ありがとうございます」と小さく呟く。それを聞いて、私はもっと泣きそうになった。
この人にとって私の命は、自身のそれよりずっと価値のあるものなんだろう。だから、こんなことを平気でしてしまう。だから、私の命一つを守るためだけに自らの命を簡単に投げ打ってしまう。
知らなかった。
その自己犠牲を止められないということが、こんなに恐ろしいだなんて。
そして私は、ようやく理解した。これまで私が一護にしていたのは、こんなにも残酷な行為だったのだということを。
こんなもの、理解したくはなかったのに。
「さて。余興は
その時だった。
ジャラ、と鎖が擦れる音がした。
慌てて声のする方を見ようとしたが、できなかった。芦谷が苦しいくらいに強く、私を抱き寄せたからだ。
「どうする。その小娘を寄越せば、貴様だけは見逃してやらんこともないが」
バラガンの声が、すぐ近くから聞こえる。霊圧だって、すぐ近くに感じる。それなのに、芦谷は逃げようとしていない。それはつまり。
「……渡す訳ねぇだろ」
芦谷が、低い声で答えた。
「やっと見つけたんだ。もう二度と、離してたまるか」
あぁ、駄目だ。
こんなの、駄目だ。
その腕の中で必死にもがいて、死覇装に押しつけられていた顔を上げる。そして、目に飛び込んできた光景に唇を噛んだ。
斬魄刀を構えた芦谷が、バラガンと向き合っている。バラガンの巨大な斧は、真っ直ぐこちらに向けられている。この距離でもし”死の息吹”を出されたら、一巻の終わりだ。絶対に避けられない。
どうしよう。
どうしたら、良いんだろう。
考えても考えても、答えは出ない。
そして、そんなどうしようもない私を待ってくれるほど、敵も現実も甘くはなかった。
「……それが答えか」
バラガンが、芦谷を鼻で笑ってそう言った。
「ならば、死ね」
それは、死刑宣告だった。
しかしそれを聞いた芦谷は、私と違って迷わなかった。再び私を強く抱きしめ、くるりと踵を返した。
そして。
「――”縛道の八十一、
突然、発動された高難易度の縛道。
それと共に、私たちの目の前に影が揺らめいた。