傲慢の秤   作:初(はじめ)

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九十七、天挺空羅③

 

 

 

 四楓院夜一は、困惑していた。

 

 虚圏(ウェコムンド)に侵入して、最初に夜一が相手をすることになった破面は、自らを『元十三番隊第三席の志波(みやこ)』であると言った。そして仮面を取って見せたその顔は、その霊圧は、確かに破面(アランカル)というより死神に近いようだった。

 

しかし夜一の知る十三番隊第三席は、そのような名前ではなかった。そして、そのような名前の死神のことも知らなかった。百年も前に護廷を離れているのだから、当然の話である。

  

 一方で、共に敵に向き合っていた朽木ルキアは、その名前と顔を知っていたらしい。今にも倒れそうな顔で「そんなはずはない」と漏らす姿が、あまりに痛々しかった。目を掛けてきた子どもによく似たその相貌(そうぼう)に、何となくいたたまれないような、複雑な心情を抱く。気づけば夜一は、その頭に手を乗せていた。

 

「落ち着け」

「よ、夜一殿……」

「おぬしは、其奴のことを知っておるのか」

「はい。ですが、都殿はもう……」

 

 成程、その志波都とやらは既に亡くなっているはずなのか。にも関わらず、こうして目の前に立っている。確かに不可思議な現象である。

 

「志波都と言ったか。おぬし、志波家の者か」

「はい。私は、志波海燕の妻です」

「そうか。ならば儂のことも知っておるのか」

「勿論です、四楓院(しほういん)夜一様」

「ふるねーむとやらで呼ぶな、照れるじゃろうが」

 

 しかし、志波家当主の妻ときたか。朽木家といい志波家といい、当主の妻にこうも不幸が続くのも珍しい話だ。いや、今はそのようなことは気にすまい。大切なのは、その死んだはずの女が生きて()()()()()()()()()()()()()ということだ。

 

「少し、お話をしましょう。どうぞ、こちらへ」

 

 そう言って志波都は、夜一達を建物の奥へと誘導した。

 

「驚かせてしまってごめんなさいね、朽木さん」

「え、あ……わ、私は、大丈夫です……」

「ふふ、無理しないの」

 

 変わらないわね、と言って志波都は上品に笑った。

 そんな彼女が語ったのは、どうにも信じ難い話だった。

 

 曰く、虚に食われた彼女は意識を失い、気づけば虚圏に飛ばされていた。

 曰く、自分を食い殺した虚は実は藍染の実験体だった。

 曰く、その虚には食い殺した霊体を虚圏に送り込む能力があった。

 曰く、虚圏で再構成された彼女の霊体の主導権は、何故か彼女にあった。

 

 曰く、彼女は十刃(エスパーダ)の一人と入れ替わって、藍染を討つ機会を伺っていた。

 

「そのような、ことが……」

「信じてくれるのね。ありがとう、朽木さん」

 

 危ういな、と思った。ルキアは、この志波都という女の言葉を信じようとしている。夜一とて、他者の言葉を全て疑うほど人間不信ではない。けれど、そんな突拍子もない話をそのまま信じるほど、若い訳でも純粋な訳でもなかった。

 

 言葉では説明できない、『何かがおかしい』という予感がした。

 

 そして、夜一のその予感は間違っていなかった。

 

「……バレちまったか、ったく面倒だな」

「マァ、ショウガ無イヨネ。改メテ自己紹介シテオコウカナ」

 

 突如、ルキアに刃を向けた志波都と交戦状態となり。

 その過程である仮説を立てた夜一が、宮の壁に大穴を開けて。

 

「僕ラガ、第9(ヌベーノ)十刃」

「アーロニーロ・アルルエリだ!」

 

 そうして、その女は正体を現したのだ。

 

「やはり陽の光が鍵じゃったか」

「夜一殿、これは一体……」

「儂にも分からん。じゃが、この方がおぬしも戦い易かろう?」

「……はい、ありがとうございます」

 

 偽物と分かり切っていても、外見と霊圧が本人のものであるために本気で戦えない。それは、夜一にはよく分からない感情だった。どんな見た目をしていようとも、どんな霊圧をしていようとも、本人でないなら躊躇う理由などありはしない。

 

 彼女とよく似ている桜花は、ルキアと同じ反応をしそうだ。そう一瞬考えて、それを自ら否定する。確かに感傷を抱いて敵と向き合うのは同じだろうが、桜花はその感傷を一旦忘れて戦いに集中できる性分だ。その分、終わってから地の底まで落ち込むことになるため、総合的に考えるとルキアより面倒かもしれないが。

 

「嘗めるなよ」

 

 しかし夜一の計らいは、すぐにその意味を失ってしまった。

 日陰へと飛び退ったアーロニーロの顔が、元の志波都のものに戻ってしまったのだ。

 

「オレの力は陽の光の下じゃ遣えない。確かにそうだ。けれど影さえあれば遣えるのよ、何度だって」

 

 化け物のような外見から、美しい女性の顔に戻る過程に合わせて、その声色も滑らかに変化していく。何とも気色の悪い光景だった。

 

 その感想を、そのまま口に出そうとした時だった。

 

「ウァ~~~?」

 

 唸り声のような、言葉の形を成していない声。

 夜一のすぐ後ろから聞こえたそれに、慌てて振り返る。

 

「何じゃ、おぬしは……?」

 

 そこにいたのは、子どもの姿をした破面だった。

 明るい金髪と、紫色の瞳。額の王冠のような仮面の名残。

 何も知らない考えていない赤子のような、幼げで無垢な表情。

 

 しかし、問題はその外見などではない。

 

「いつの間に……」

「ワンダーワイス。駄目じゃないの、こんな所に来ては」

「ア~~?」

 

 志波都の声をしているアーロニーロが、その子どものような破面、ワンダーワイスとやらを窘めた。しかし当の本人は言われている言葉の意味も分かっていない様子で、不思議そうに首を傾げていた。

 

 そんなワンダーワイスと夜一との間に、飛び込んできた人影があった。

 

「何奴! 夜一様に近付くとは、不埒な輩め……!」

「……何をしに来た、砕蜂(ソイフォン)

 

 その霊圧がこちらに近づいてきていることには、最初から気づいていた。飛び込んできたのはやはり、かつての部下であり現在の二番隊隊長でもある砕蜂だった。

 

「夜一様をお守りするために、馳せ参じました」

「ほう、儂を守るとな? 随分と強くなったものじゃな?」

「あっ、いえ……その……」

 

 ニヤニヤと砕蜂をからかっていると、続いて副隊長らしき死神が瞬歩で姿を現した。

 

「隊長っ! は……速過ぎっ、なんですよ……隊長は!」

「何だ、居たのか。大前田」

「酷くないスか?!」

 

 大前田、か。そういえば、大前田の息子が二番隊副隊長を継いだと聞いたような。成程確かに、外見はよく似ている。

 

 二人のやり取りを聞きながら、夜一はルキアの方に視線を向けた。どうやらあちらにも隊長と副隊長が一人ずつ、助太刀に入っているらしい。

 いずれにせよ、敵一体につき死神三名での対応だ。情けない限りだが、今はそう悠長なことは言ってはいられない。元々、そのようなことを気にする質でもなかったけれど。

 

「おぬしに恨みはない。じゃが、このまま帰す訳にもいかぬものでな」

 

 すまんなと形ばかりの謝罪を口にして、夜一は瞬歩で敵の背後に回った。

 

 そして、その拳を振り上げたのだった。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 自隊の隊士が、破面らしき大きな霊圧の持ち主と戦っている。

 それを感じ取って、そこへ助太刀に行かない隊長や副隊長はいないだろう。十三番隊の浮竹十四郎と志波海燕も、それは同様だった。

 

 虚圏にやって来た隊長格達は、各々自分の気になるところへ散開していった。そして海燕が浮竹隊長と共に向かったのは、自隊の朽木ルキアの居る戦場だった。

 

 ――一つ、気になることもあるしな。

 

「……海燕。逸るなよ」

「分かってます」

 

 浮竹隊長も同じく()()に気づいているのだろう、念を押されて複雑な心境で頷く。朽木と戦っている破面の霊圧。どうにも覚えがあるような気がしてならないのだ。その質から虚の類であるのは明らかなのに、何故だかよく見知った死神のものに近しいように感じてしまう。

 

 分かっている。そんなはずはないのだ。だって、彼女はもう。

 

「……都」

 

 愛する妻はもう、この世界の何処にも居ないのだから。

 

 

 

 

 

 その姿を見た時、ほんの一瞬だけ呼吸の仕方を忘れた。

 その霊圧を感じてから、ここに来るまでの間に覚悟は決めてきたつもりだった。

 

 それでも、駄目だった。

 

 もう二度と、逢えないと思っていた。

 その姿を目の当たりにして、それでも冷静でいることは自分にはできなかった。

 

「都……どうして、お前……」

「久しぶりね、海燕さん」

 

 服装こそ違っていたけれど、そう言って柔らかく笑うその顔は、優しく海燕を呼ぶその声は、自らの記憶の中にいる『志波都』そのものだった。

 

「海燕殿、違うのです。此奴は、都殿ではありません」

「……何言ってんだ、朽木」

 

 部下の言葉を聞き流す。

 

 都ではない? そんなはずがないだろう。姿形も霊圧も何もかも一致しているというのに、本人でない訳がない。

 

 一歩、また一歩と都へ近づく。

 

 もっと近くで、その顔をよく見たかった。

 触れたかった。抱きしめて、その存在を実感したかった。

 

 早く。今、すぐにでも――

 

「海燕!!」

「海燕殿っ!!」

 

 自分の名を呼ぶ二つの声に、思わず足を止める。

 

 自らの上司である浮竹隊長が、海燕の肩を掴んでいた。

 そして目の前には、腕を広げて立ち塞がる部下の姿があった。

 

 双方とも目こそ海燕を見ていたけれど、その警戒心は全て都へと注がれていた。まるで、襲い掛かる隙を与えないようにしているような。そんな、態度だった。

 

「逸るなと言っただろう?」

「海燕殿、少し話を聞いてください!」

「浮竹隊長……朽木まで……」

 

 どうして止めるのだろう、と最初は純粋に思った。けれど彼らの姿を見ていると、だんだんとその疑問も崩れてきた。そして代わりに現れたのは、違和感だった。気づかないようにしていた、考えないようにしていた違和感だ。

 

「……言ってみろ、朽木」

 

 ぐちゃぐちゃに乱れて整理できていない心境のまま、何とか朽木の言葉を促す。それを聞いて、朽木は安堵に表情を緩ませた。

 

「此奴は、第9十刃……喰らった霊体を再現できる能力を持っている破面です」

「喰らった、霊体を……?」

「奴の弱点は陽光です。陽に当たることで、此奴の能力は解けます」

「陽の光……」

 

 ぽつりと、呟く。

 

「海燕さん?」

 

 都が、不思議そうに首を傾げた。その何気ない仕草さえも胸に刺さって、海燕は黙ったまま唇を噛み締めた。

 

 目の前に居るのは、確かに自分の妻だった。

 

 けれど。だったら何故、二人は自分を止めたのだろうか。それは、それだけの理由があるからではないのか。

 

 はあ、と大きく息を吐き出して、腰の斬魄刀に手を添える。柄を掴み、ゆっくりと抜き放つ。落ち着け、冷静になれ、と繰り返し自らに言い聞かせる。

 

 目の前の都は本物だ。本物に違いない。

 

 けれどもし仮に、万が一、目の前の妻が偽物だったら。自分はきっと、本気で戦うことができないだろう。

 

 だから。

 

「……水天逆巻け、”捩花(ねじばな)”」

 

 浮竹隊長も朽木も、何も言わなかった。

 

 海燕が刀を抜いて始解したことに、都は心底驚いているようだった。

 

「海燕さん? 一体、何を……」

「心配すんな。俺が、都を傷つける訳がねぇだろ」

 

 三叉の槍を振り回し、そして充分に霊圧を溜めてから上へと振り上げた。練り上げられた霊圧は水へと変化し、逆さまの大瀑布として天へと巻き上がる。

 

 そして海燕が作り出した大量の水は、その勢いのまま建物の天井を吹き飛ばした。

 

 差し込んだ偽りの陽光は。

 その偽りの姿を引き剝がした。

 

「何なんだ、その姿は……!?」

 

 美しい妻の顔の皮が剥がれ、溶け落ちていく。

 

 本来顔があるべき場所に現れたのは、液体で満ちた硝子瓶のようなモノだった。その中に浮遊する二つの丸い顔が、交互に口を開く。

 

「チッ……折角騙し易そうな死神が来たってのに、余計なことを言いやがって」

「デモアノママジャ抱キシメラレテタヨ、僕ラ」

「その前に殺すに決まってんだろうが」

 

 胸糞悪い会話を繰り広げるソイツを無視して、海燕は静かに問いかけた。

 

「……朽木。アイツは、都の仇か」

「いえ。都殿の命を奪った虚を喰らっただけの、別物です」

「……そうか」

 

 都のことを、傷つけるつもりは一切なかった。けれどコイツは、どう見たって都ではない。そして、都の仇ですらない。

 

 アイツは『志波都』という死神を、海燕の亡き妻を、この上なく愚弄した。それ以上でも、それ以下でもない。

 

「浮竹隊長。俺は、正気に見えますか」

「あぁ」

 

 浮竹隊長は、短く同意の言葉を返した。

 

 そうか、正気か。だったら大丈夫だ。俺は、コイツと戦える。

 

 半ば自らに言い聞かせた、その思考を一つの縛道が遮った。”掴趾追雀”だった。続いて”天挺空羅”が行使されて、聞こえてきたのは見知った者の声だった。

 

『護廷十三隊各隊隊長・副隊長・席官各位、及び空座町の皆様。こちら、朽木桜花です』

 

 あいつ、生きてやがったのか。どうやら一ヶ月もの間、虚圏で一人生き残っていたらしい。やるなぁ、ついこないだまで赤ん坊に近い幼子だったというのに。

 

「良かったな、朽木」

「はいっ……!」

 

 心の底から安堵している様子に、海燕も思わず微笑んだ。あの少女から一斉通信が来たということは、つまり敵の情報を共有するつもりでいるはずだ。

 

『さて、そろそろ相手の番号が分かった頃でしょうか。これから十刃を始めとする破面たち、藍染惣右介と東仙要と市丸ギンの三名の、全ての能力とその弱点についてお話しします』

 

 本当に、心から、敵に回したくない能力である。

 

 そうして語り始められた十刃達の能力を聞き流す。同時に、日陰が無くなって『志波都』の仮面を被れなくなってしまった破面の攻撃を、軽くいなしていく。

 

 隣で必死に応戦している朽木をちらりと見遣り、そして海燕は考えていた。

 

 もしも()()()、自分が死んでしまっていたならば。

 

 利用されていた死者は、都ではなく自分だったかもしれない。そして朽木は、海燕の顔をした化物と戦う羽目になっていたのかもしれない。

 

 その役目を、朽木一人に押し付けることになっていたのかもしれない。

 

「……良かった」

 

 だから、その言葉が出たのは必然だった。

 

 良かったと、初めて思ったのだ。

 

 副隊長の身でただの虚に遅れを取り、愛する妻の仇討ちすらできず、情けなくも部下に命を救われ、無様に生き永らえてしまったことを。

 

 半端に手を貸されるくらいなら、誇りを守って死んでいきたいと考えた。そんな海燕の命を無理矢理に掬い取ってしまったのは、他ならぬ朽木だった。

 

「ごめんな、朽木」

「な、何の話でしょうか?」

()()()、俺が死んでたら……アイツが化けていたのは『志波海燕』だったかもしれない」

 

 都を殺した虚にそのような能力があったなら、次に殺した俺もその対象になっていたはずだ。そうならなかったのは偏に、朽木が身を挺して海燕を守ったからだ。

 

「俺を護ってくれて、ありがとな」

「っ……!!」

 

 朽木は大きな目を更に見開いて、海燕をじっと見つめていた。浮竹隊長も、驚いたように海燕を凝視していた。

 

 本当は、救われた直後に言うべき言葉だった。

 

 それが遅くなってしまったのは、ただただ海燕が未熟だったからでしかない。

 

 朽木の頭に手を乗せ、海燕は敵へと視線を遣る。そして、独り言のように呟いたのだった。

 

「お陰で俺は、お前に全てを背負わせずに済んだ」

 

 

 

 




書きたいところはおおよそ書けたので、次からは桜花関係の話に戻ります。長かった……

※次回更新:7/ 21 (月) 5:00 予定
→急な仕事が入って更新できませんでした。明後日7/23 (水) 5:00に延期します。申し訳ありません。
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