傲慢の秤   作:初(はじめ)

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九十九、あの夜

 

 

 

 場所は尸魂界(ソウルソサエティ)、西流魂街(るこんがい)のとある地区。

 集落から少し離れた薄暗い林の中。

 

 日中でさえ誰も立ち入らないそこには、小さな空き地があった。まるでそこだけ木を伐採したかのような、誰かによって意図的に作られたような不自然な空間だった。

 

 今から四十年ほど前のこと。その空き地で、とある些細な出来事があった。誰も知らないはずのその場所に、一人の子供が迷い込んだのだ。

 

「君は……」

「ッ……!!」

 

 藍染惣右介の発したたった三文字の言葉に、その子供は大袈裟なくらいに肩を跳ねさせた。大きく見開かれた双眸(そうぼう)は、ただ真っ直ぐ藍染だけを映していた。

 

 草叢(くさむら)の陰に居たのは、流魂街の者にしては上質な着物を着た少女だった。年の頃は、現世の人間に換算すると十くらいだろうか。白の長襦袢(ながじゅばん)の上に薄紫の衣を重ね、紫紺(しこん)の帯を簡単に巻きつけたその装いは、この雑木林にはあまりに似つかわしくないものだった。

 

「あかんなぁ、子供がこないな(ところ)に来たら」

 

 高級な着物が汚れるのも厭わず、少女は土の上にぺたんと座り込んでいた。恐らく、恐怖で腰が抜けて動けなくなっているのだろう。市丸ギンが声を掛けるも、少女はただ震えるばかりで何も答えられない様子だった。

 

 無理もない、と藍染は思った。

 

 自らの手にした斬魄刀、”鏡花水月(きょうかすいげつ)”を見下ろす。今しがた、これで人を斬ったばかりだ。物言わぬ肉塊となったソレは、今もなお藍染の足元に転がっている。そんなものを年端もいかない子供が見て、怯えない筈があるまい。

 

「朽木桜花くん、だね」

「ぁ……」

 

 名前を呼ばれて、少女は短く声を漏らした。暗い色合いの瞳が、更に恐怖で染まる。

 

 この少女には見覚えがあった。

 

 朽木桜花。六番隊隊長を務める朽木家当主、朽木白哉の一人娘だ。その情報だけ聞けば大物に感じられるが、実態はただの非力な霊術院生である。震えるばかりで何もできない、無力な存在に過ぎない。

 

 しかし、どうにも腑に落ちない。

 

 ここまで近づかれるまで、彼女の接近に気づけなかったこと。それが、藍染には不可解でならなかった。護廷十三隊の隊長である藍染惣右介と東仙要、そして副隊長の市丸ギン。ここにはそれだけの実力者が揃っていたというのに、その存在にすら気づけないだなんて。

 

「殺しますか」

「いや、良い」

「は」

 

 刀を抜きかけた要を藍染は軽く制止した。それだけで素直に動きを止めた要を一瞥することもなく、藍染は朽木桜花に歩み寄った。霊圧で少しばかり脅かしているから、逃げられる心配もない。

 

 この少女が居なくなったとして。多少騒動にはなるだろうが、藍染が関わっているなどとは誰も思うまい。

 

「怖がらないで、大丈夫だよ。この刀をよく見てごらん」

 

 やることは簡単、ただ始解を見せるだけだ。

 

 恐怖で身動きの取れない少女に笑いかけ、血の滴る刀身をかざす。藍染を見上げていた視線は、思惑通り刀に吸い寄せられた。

 

「そう、良い子だね……砕けろ、"鏡花水月"」

 

 見せた幻は、立ち去っていく藍染達の姿だ。

 

 放心したようにへたり込む少女を横目に、藍染はくるりと踵を返した。後ろに追従したギンが、そんな藍染に不思議そうに問う。

 

「放っといてええんです?」

「ああ」

 

 立ち止まった藍染はそれに答えて、抜き身の"鏡花水月"から血を振り落とす。そして持ち上げた切っ先で、穿界門(せんかいもん)を開いた。藍染の意図をすぐに察したギンが、わざとらしく驚きの声を上げる。

 

「ひゃあ、またえげつないことしはる」

 

 ここ西流魂街には、浦原喜助の造った穿界門が隠されている。当然その在処を把握していた藍染は、そこに朽木桜花を誘導することで証拠を丸ごと隠蔽するつもりだった。

 

 殺す価値も生かす価値もないが、少しばかり邪魔になった。ただ、それだけのことだ。わざわざ我等が手を下すまでもない。

 

 そう、その時は思っていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 やはりあの時、直接息の根を止めておくべきだった。

 

 珍しくそんな風に悔いたのは、虚夜宮(ラスノーチェス)で朽木桜花を取り逃がした時のことだった。そしてその後悔は、十刃(エスパーダ)を含めた破面(アランカル)六体を消された時に『反省』に変わった。藍染自身、決して認めたくはない感情だったのは間違いないけれど。

 

「喜助さんの、穿界門……」

 

 藍染の話を聞いて、朽木桜花は呆然と呟いた。どうやら自らの失踪の理由に辿り着いたらしい。「誘導したのか」と続けた少女に、藍染は「話が早いな」と満足げに返す。

 

「あの夜、確かに君は穿界門に入っていった」

 

 地獄蝶なしの穿界門、それも出口の担保もない所に入って無事でいられるはずもない。現に藍染は、その後何度も邪魔になった者達を穿界門に放り込んできた。しかし、誰一人としてそこから戻ってきた者はいなかった。そのせいで、いつしか考えることを止めてしまっていたのだ。あの時、何故朽木桜花があの場にいたのか。そして何故、あそこまで接近されるまでその存在に気づけなかったのか、ということを。

 

 穿界門とは、開く時に入口と出口を設定するものだ。それは既に設置してある場合も、門のない所で新たに作成する場合も同じだ。つまり、開いた者の意思により『出口を造るかどうか』も調整できるという訳だ。そしてあの時、藍染は出口を造らなかった。だから『有るはずもない出口』から逃げられるかもしれない、という可能性は考えもしなかったのだ。

 

 であれば、彼女はどうやって断界から抜け出したのか。それはある程度予想がついている。

 

「君が生きているということは、どこかに私の知らない出口があったんだろう」

 

 浦原喜助のことだ。恐らく安全装置と称して、緊急脱出用の出口でも用意していたのだろう。しかしいくら出口があったとしても、そこに辿り着くまでにはどうしたって時間がかかる。

 

「とはいえ地獄蝶を持たずに穿界門に入ったのは事実。そんなことをしたら無事で済まないのは、君もよく解っているだろう」

 

 断界(だんがい)で流動する拘流(こうりゅう)や、七日間に一度出現する拘突(こうとつ)に巻き込まれて、身体が霊子レベルで分解されて消滅する。もしくは拘突に追われて百年単位の時を飛ばされ、それについていけなくなった身体が消滅する。それが答えである。

 

「けれど君は、生きていた。記憶を失くした状態で数十年後に転移し、確かに掛けたはずの"鏡花水月"の効果も切れてしまっていた」

 

 一見ちぐはぐな話のように思われる。しかしある仮説を前提とすると、全てが正しく繋がるのだ。

 

「私は、拘突に追われていた……?」

「その通り。そして、その追われた時間が数秒以下の非常に短い時間だとしたら。数十年単位の時を飛ばされることに、何の違和感もないだろう?」

 

 どのくらいの時間追われていたら、どのくらいの歳月を飛び越えてしまうのか。その正確な情報はどこにも存在しない。よってこれは、推測の域を出ない話だ。

 

 しかし、こうでないと辻褄(つじつま)が合わないのもまた事実。

 

「拘突に巻き込まれると、身体が時間として分解され吸収される」

「時間、として……」

「そうだ」

 

 断定するように言い切ると、呆然としていた少女の表情が徐々に曇り始めた。

 

「恐らく君の記憶は、君に流れる時間そのものとして拘突に吸い取られた。それしか考えられられない」

 

 時間として拘突に吸い取られる。その言葉の意味するところを理解したのだろう、こちらを見上げる朽木桜花の顔に絶望が混じる。その様子を、藍染は嬉々として眺めていた。

 

 ――そうだ。そうやって、絶望するがいい。

 

 これは意趣返(いしゅがえ)しであり、一種の観察でもあった。このような絶望的な状況で、彼女はどんな行動に出るだろうか。どんな表情(かお)を見せてくれるだろうか。

 

「君は、"鏡花水月”の支配下にない。それは『"鏡花水月”の始解を見たこと』が、君という存在にとって『起こっていない出来事』になったからだ」

 

 朽木桜花の身体は、"鏡花水月”の始解を見るより前の状態に巻き戻った。よって、彼女が失った記憶を思い出すことはない。思い出すも何も、そもそも起こっていない出来事なのだから当然である。

 

「つまり君の記憶は、未来永劫(みらいえいごう)戻らない」

 

 彼女はもう既に、全てを理解しているのだろう。そんなことは藍染も分かっていたけれど、その上で再び断言した。そうやって、受け入れ難い現実を少女の眼前に突きつけた。

 

「君が尸魂界で育った日々も、霊術院で過ごした時間も、愛する母親の最期も……その全てが、無かったことになったんだよ」

 

 しん、と屋上が沈黙に包まれた。

 

 時折、遠くの戦いの衝突音が響く。それ以外には、何も聞こえない。

 

 何処からか吹いた風が、遂に俯いてしまった少女の前髪を揺らす。

 首筋に食い込んでいた要の刀は、今やただ添えられているだけの状態になっていた。

 

 誰かと時間を共有した記憶というのは、どうやらとても大切なものであるらしい。そんなものを失い、そして二度と戻らないと知ってショックを受けない筈がない。

 

 何にせよ、藍染にはよく分からない感情ではあったけれど。

 

「…………」

 

 朽木桜花は、何も言わない。

 俯いているために、その表情を窺い知ることもできない。

 

 ここで、(とど)めだ。

 

 藍染は静かに刀を振り上げた。自らの"鏡花水月”ではなく朽木桜花の斬魄刀"雲透”を、である。振り下ろす先は、藍染の傍で気絶している芦谷(じん)だ。

 

 呑気にも仰向けに横たわる自らの元部下を、冷めた目で見下ろす。元々は便利な駒として使うつもりで部下にした。懐柔も上手くいっていると思っていたけれど、結局彼は大して役に立たなかった。どうやら彼にとっては、『藍染惣右介への信頼』より『朽木桜花への忠誠』の方が上だったらしい。

 

 彼には最早、興味はなかった。けれどこの男は、朽木桜花を揺さぶるのにもってこいだ。これまで使えなかった分、ここで存分に活用させてもらおうではないか。

 

「さて。そろそろお望み通り、芦谷副隊長を殺すとしよう」

「っ……!」

 

 ハッとした様子で、朽木桜花が顔を上げる。

 

 けれど、もう間に合わない。

 

「芦谷副隊長も本望だろう。敬愛する主人の刀で貫かれるのだから」

 

 そんな言葉と共に、藍染は"雲透”を真っ直ぐ突き立てた。位置は腹部。すぐに死にはしないが、動きを止めるには充分だ。

 

 ぐっ、とくぐもった呻き声を上げた芦谷が、貫かれた腹に手を当てる。痛みと衝撃で覚醒したらしく、顔を歪めて薄っすらと瞼を上げた。目線だけで周囲の様子を確認して、それだけで状況を理解したらしい。小さく、謝罪の言葉を口にした。

 

「すみ、ませ……桜花、様……」

「芦谷ッ……!!」

 

 何度か抜いて刺してを繰り返しているうちに、芦谷は遂に何も言わなくなってしまった。それでも何とか意識だけは保っているようで、その瞳だけは常に少女の方を向いていた。

 

 少女はまるで自分が刺されたかのように顔を歪め、悲鳴のような声で何度も芦谷の名を呼んだ。その灰色の瞳が大きく揺れる。目尻に、薄い涙の膜が張る。

 

「まァた泣かしてもうた。悪いお人やなァ、藍染隊長は」

 

 ギンが茶化すように言った。

 

 その言葉に釣られるように、溜まった涙が零れて落ちる。藍染に対する怒りどころか、反抗心すら失ってしまったような、そんな情けない姿だった。

 

 その様子に、藍染は愉悦と落胆の相反する感情を抱いていた。

 

 記憶が戻らないという衝撃的な事実と、仲間を守れなかったという事実。それらに同時に襲われて、遂に堪えていたものが決壊してしまったのだろう。これまで散々藍染を騙してきた意趣返しとしては、非常に愉快な光景だった。

 

 けれどそれと同時に、こんなものかと残念に思う感情もあった。

 

 何やらコソコソと動かしていた霊力も、再開しているようには見えない。藍染に対して反抗しようとする意思も、今や全く感じない。あんなにこちらを翻弄してくれたというのに、これではあまりに呆気ないではないか。

 

 こんな状態の彼女を殺したところで、何も面白くはない。これまで山のように殺してきた有象無象と同じ、ただ"鏡花水月”を振り下ろすだけの作業だ。

 

「もう、いいよ……」

 

 朽木桜花が、掠れた声で呟いた。何の話だと続きを促すと、涙に濡れた双眸が藍染を見上げた。暗く沈んだ声から、彼女の深い悲しみが伝わってくるようだった。

 

「もう、わかったから……私のこと、殺してよ」

 

 その言葉に、藍染の落胆はとうとう失望に変わった。

 

 なんて、つまらないのだろう。

 もっと、抵抗してくれるものと思っていたのに。

 

 結局のところ、いつも同じなのだ。

 藍染が本気で向き合って、壊れない者はいないのだ。

 

 これまでも。そして、これからも。

 

「藍染隊長」

 

 そんな藍染に、声を掛ける者がいた。

 部下の一人、市丸ギンだった。

 

「この()、ボクがやってもええですか」

 

 腰の脇差に手を当てて、ギンはいつもと同じ笑みを浮かべていた。

 

「随分と遊んでもろたからなァ。気に入って気に入ってしゃあないんですわ」

「そうか」

 

 丁度良い、と藍染は思った。

 

 朽木桜花に対する興味が完全に無くなってしまった今、優先すべきは空座(からくら)町への侵攻だ。であれば、彼女はギンに処理させてしまった方が合理的だろう。

 

「構わないよ。存分に遊んでおいで」

 

 行くよ、要。そう言葉を掛けると、要はすぐに朽木桜花に突きつけていた刀を引いた。身動きの取れるようになった少女はしかし、踵を返した藍染を追いかけようとも、傷ついた芦谷に駆け寄ろうともしなかった。どうやら、完全に心が折れてしまっているらしい。

 

「さらばだ、朽木桜花」

 

 黒腔(ガルガンタ)を開いて、その中に足を踏み入れる。

 

 虚夜宮で今もなお戦い続ける破面共は、最初から置き去りにするつもりだった。彼らの活用方法は護廷十三隊の足止めで、その護廷十三隊は現在虚圏に集結している。残りの死神崩れ共を(たお)すのに、破面共の手は必要ない。

 

「君には失望したよ」

 

 そんな言葉を残して、藍染惣右介と東仙要は空座町へと向かったのだった。

 

 

 




さて。桜花の言動は、どこまでが本心でどこからが芝居でしょうか。



藍染はきっと壊れない玩具が欲しいんだろうな、と私は勝手に解釈しています。壊すつもりでぶつかってくる癖に、いざ壊れると失望して飽きてしまう。とっても面倒臭い男、それが藍染惣右介。

断界や拘突の下りは、独自解釈が混じっています。こういう理屈なら、タイムスリップも有り得るんじゃないかなと。

そして、第四章はここで終了です。次回から第五章 空座決戦篇に入ります。
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