二十日間の勾留。
トウコが留置所にぶち込まれ、その内の五日が過ぎた。
リュウラセンの塔でNがゼクロムを手にしてから、約一週間が経過したタイミングだ。
「……クソッ!」
トウコが悪態とともに激しく地団駄を踏むと、見張りの警官がすっ飛んできて怒鳴りつける。
暖かさを感じられない鉄の檻、そこに囚われた彼女は眠っている間以外はこうして足を乱暴に地面に叩きつけ、よく声の響く室内で罵詈雑言を喚き散らす。
食事用のスプーンで壁を掘っては取り上げられ、少しでも暖かな食べ物は運んだ警官の顔に張り付いた。隣人はトウコが留置所に入って二時間で他の部屋に移され、見張りは今怒鳴った者で三人目だ。
経緯がどうあれ、立派な公務執行妨害やら何やらで即現行犯である。
だが、トウコがこうして留置所に囚われたままでいるのは、他ならぬゲーチスの陰謀であった。
セッカジムを突破し、七つ目のバッジを手に入れたトウコが古代の城――ウルガモスのいた遺跡である――に足を踏み入れ、チェレンやアデクらと共にその最奥へ到達した時の事だ。
彼女らを待っていたのは親玉たるゲーチスと、数人の警察官だった。警官らはゲーチスの息がかかった者達であり、トウコ達が侵入するやいなや「国有地への不法侵入」を名目に手錠を掛けた。
イッシュをフラフラしていたアデクと、虎視眈々と陰謀を巡らせてきたゲーチス。法律の知識は言うまでもなく、ゲーチスに軍配が上がる。
ゲーチスの手下と言えど、相手は国家権力の僕。抵抗するわけにもいかず、見事お縄となったのだ。
アデクとチェレンは比較的早く開放されたが、トウコはこうして今も拘束されている。念には念を入れて、Nが注目するトレーナーを捕えているのだ。
だが、トウコには脱出する手立ても、物理的な解決方法も持っていなかった。モンスターボールは取り上げられ、携帯電話も無い。
拘束されるのは二十日で、既にその四分の一が過ぎた。故に、トウコは一刻も早くココを出なければならないと焦っているのだ。
あのゲーチスは、二十日あれば事を済ませられると宣言しているのだ。トウコにはそれを阻止する方法が分からないが、Nの言葉に従って伝説のポケモン・レシラムを捕まえなければいけない気がしたのだ。
そして、何の手立ても無いまま、更に五日が過ぎた。
六人目の警官が早く寝るように促して彼女の部屋の前から立ち去る。トウコは拷問のような退屈を味わっており、募る焦りと怒りで気がどうにかなりそうだった。
事実、彼女は耳が遠くなるような爆音を聞いた時、とうとう狂ってしまったのかと自嘲する程であった。
だが、折り重なる悲鳴と銃声、爆発音が響いてようやく現実だと気付いた。
(……誰かが来た? 足音が聞こえる……一歩が大きい、男だ。それにもう二人か三人いる……これはポケモンの足音?)
隣人のいない留置所、息遣いや心臓の鼓動さえ響く静寂。
足音がトウコの部屋の前で止まった。
「弁護士だ。扉を開けるが、大丈夫か?」
仮面を付けた男が、くぐもった声で問いかける。
「アンタみたいな弁護士、居るわけ無いでしょうが。一歩でも寄ってみな! アンタの小さいチ〇〇食い千切ってやる!」
「いや、資格は持ってないが、弁護士だ。警官も快く通してくれたぞ」
「冗談が下手ね、ママのおっぱいでも吸って出直してきな!」
「肉体言語で弁護した。君も得意な筈だ……私の目が節穴だったか、パトロンは降りるべきだな」
そこまで話して、トウコは自分に話しかけてきた怪しげな風体の男に合点がいく。お金をくれる足長おじさん、ジョン・スミスだ。
「ちょっと……ここまで来たの!? ジョン!」
「今この時この瞬間、私は世界で最も弁の立つトレーナーだ。よしんば世界二位だと言う奴がいても――」
「――お喋りはそこまで。逃げる算段はあるの?」
「当たり前だ。天秤は傾いた」
ジョンが側にいるサーナイトに扉を吹き飛ばさせると、ケーシィをボールから出して、鬱蒼とした森にテレポートした。
「ねぇ、私のボールは?」
「胸にふた――い"ッ!?」
「さっさとする!」
「勝ったと思うなよ……」
「何の勝負よ」
足の指を踏まれたジョンがトウコのモンスターボールを返却すると、彼女は木の幹にもたれ掛かってジョンに問う。
「で、何がどうなって私を連れ出したの?」
「実に簡単だ、『ゲーチスが、支配体制、変えちまう』」
「……」
「……」
「……んなもん、私にどうしろって言うのよ」
トウコが吐き捨てる。
「いやなに、レシラムを捕まえてNとゲーチスを倒せばいい。悩むのはその後でも遅くない」
「プラズマ団を倒すってワケ?」
「そうだ、まだ間に合う」
「……まだ?」
トウコの疑問に答えるように、ジョンは端末を取り出して動画を再生した。
「ゲーチスのポケモン解放宣言だ。ここで止めなければ、ポケモンと人間はイッシュ地方において深刻な分断を受けるだろう」
――我らが王、N様は
――伝説のポケモンと力を合わせて
――新しい国を作ろうとなさっています!
トウコの眉間にしわが寄り、食い入る様に画面を見つめる。
演説が続き、人々の間に動揺が走る。
――ポケモンを解き放って下さい!
演説の最後までトウコは聞き入った。一字一句逃さず、耳の中に収めたのだ。動画が終わって、ジョンが何かを問いかける前にトウコが立ち上がった。
「行かなくちゃ。ゲーチスは、世界を丸ごと騙す気よ」
「……まあ、待て。慌てるような時間じゃない」
トウコが彼を睨む。出鼻を今まさにくじかれたのだ。
「あによ」
「選択肢は、多い」
「何かあるの?」
「いいか、落ち着いて聞け」
ジョンは子供を諭す大人の如く、語って聞かせた。
「プラズマ団との戦いは、危険が伴う。命を落とすかもしれない」
「死なないわ。私が勝つもの」
「伝説のポケモンに勝つ保証はどこにある?」
「レシラムを捕まえればいいのよ」
「生息場所は知っているか? 何年掛けるつもりだ、寿命が来ちまうぞ」
「……何が言いたい! アンタの底が見え透いているぞッ!」
ジョンの隠し事は、子供にアッサリと見抜かれた。トウコが半身を彼に向けてボールを構える。
彼の仮面の奥の目が、飾り付けられたガラス細工の様に無機質に光る。今度は、底冷えするような低い声で語りかけた。
「プラズマ団の報復は怖くないか? 将来は何の職に就きたい? 家族は心配か? これからどうやって稼いで生きる? 水面下では殺し合いが始まっているぞ?」
「しらばっくれるな……!」
トウコの鬼の形相に、ジョンは溜め息を吐いた。打って変わって、優しい声で話す。
「……今なら逃げられる。いや、逃してやれる」
「は……!?」
「お前も、お前の両親も、今なら俺が逃してやれる。その後の生活も面倒を見れる。何も背負う必要はない」
「……ゲーチスは真実を隠している。アイツに世界を任せたり、ましてやアンタに任せることはないわ」
まだ何事かを言おうとしたジョンの横っ面に言葉を叩きつける。
「御託はいいから!! さっさと連れてけ!!」
「そうか……それなら……」
――目を閉じろ。
「は?」
「移動する」
「そんなの空を飛べば……」
「現在、イッシュ地方に限れば内乱状態だ。噂の域を出ないが軍隊からも離反者が出ている、撃ち落とされるかもしれんぞ」
「それ、嘘でしょ」
「なら飛ぶといい。どのみち面倒なことになる」
「……どうやって、どこに移動するわけよ」
「チャンピオンリーグに出現したNの城だ。方法は言えない」
今度こそ、底冷えのするような声でジョンは言った。
「目を、瞑ればいいのね」
「ああ、俺が良いと言うまで」
トウコが目を瞑って、ジョンが後ろに回り物音がしばらくする。ポケモンを出す音や溜め息が聞こえ、それから一分程経つと、唐突に空気が変わった。
肌で感じる気温やさざめいていた虫の声が消え去り、風が変わる。乾いた風がピューピューと吹き上げているのだ。トウコは咄嗟に後ろを振り返った。
その細部を見ることはなかったが、彼女は巨大な影がそこに存在したことを垣間見た。幸いにも、刹那の探険は彼がボールを丁重に仕舞っていたため、露見することはなかった。
何事もなかったかのように居直り、目を瞑る。
「見たな? ポニーテールが揺れているぞ」
「ッ――」
冷水を浴びせられたかのように心臓が飛び跳ねる。全身の血液が体中を巡り、訳もなく呼吸が浅くなった。
蛇に睨まれた蛙のように、身体が竦み上がる。何よりも鋭敏な本能が警鐘を鳴らす。
(コイツ……ヤバイ! 下手に誤魔化せば、消される)
かつて無いほどの危機であった。頭をフルに回転させて、舌を必死に回す。暴力では確実にジョンに軍配が上がる。
(ジョンは、何故だか知らないけど私には甘い……留置所をぶっ壊してでも私のところに来たのよ、何か企んでいる。そこに付け込むしかない)
「さぁ、何のこと? テレポートに気を使うなんて、アンタも中々おかしな奴ね。知ってたけど」
「テレポート、使ったことはあるのか?」
「砂っぽくてしょうがない、のど飴とか無いの? 気の利かないパトロンね」
「……もう目を開けても良い。冗談だ」
そこはゴツゴツとした岩肌の露出した場所だ。険しい山の、その安全地帯の内の一つらしかった。トウコの背後には洞窟への入り口が、数メートル前に移動すれば断崖絶壁が待っていた。
「ここは?」
「チャンピオンロードだ。ジムリーダー達がプラズマ団に抵抗するため潜伏している」
洞窟に足を踏み入れれば、ポケモンと修業をするトレーナーがチラホラと見え隠れする。彼らは一緒にいることを選んだ、というわけだ。
そんな彼らも、もしプラズマ団の野望が成されれば、ポケモンを手放さずにはいられないだろう。
歴史的に、イッシュはゼクロムとレシラムに深く関与しており、とりわけポケモンとの結びつきが深い。しかし、おとぎ話の伝説が蘇り、別れを告げろと迫るのならば。
人々はその影響力に抗うことができるのか。
聖書の中の天使が「そうせよ」と告げるのと同じだ。根強い信仰、親しみ深い伝説に諭されてなお抗うとしたら、それは同じ伝説しかないのである。
ジムリーダー達……否、政府軍の基地はチャンピオンロードの脇道に入って、作業員用と書かれた扉を潜った先にあった。
近代的かつ広大な内部には、トウコも、そしてジョンでさえも感嘆のため息を漏らす。
「ねぇ、来たこと無かったの?」
「当たり前だ。コッチにコネは何一つ無い。道を教えてもらっただけだ」
二人の下に銃を構えた兵士が駆け寄り、ジムリーダーが集まっている場所に誘導する。
案内された部屋にはジムリーダーが詰めており、トウコに向けて、次々と歓迎の言葉を投げ掛け、円卓の一席に彼女を座らせる。
(……ジョンが居ない)
いつの間に消えたのか、ジョンは彼女の側から霞のようにいなくなっていた。彼の不気味な動向は、トウコの中で喉に刺さった骨の様に存在を主張していた。
近未来的な飛行物体が家に飛んできた。軍事関係には明るくないのだが、反重力? っぽい動力で飛んでいる機械だ。後で調べたのだが、ガンシップと言うらしい。
そのガンシップから出てきたのは迷彩服を来た兵士、勿論国家権力に堂々と逆らうわけにはいかないので、ニコニコビジネススマイルである。
「やぁジョン・スミスさん。お噂はかねがね、陸軍大佐のカービィです」
「どうも、カービィ大佐。今日はどんなご用件で?」
「大統領から、君に協力要請が来ている」
B級映画じみてきた。ああ、イッシュとかそこら辺は大統領制である。開拓精神が強いからね。
で、話を聞いてみれば、トウコとライトストーンを何やかんやしてプラズマ団をぶっ潰したい、という事である。
空爆すれば? と思ったが、どうやらポケモンと戦争に関する条約で、戦闘行為に巻き込む・利用することは原則として禁止、らしい。民間人を巻き込まないとかそこらへんと同じだ。
とまぁ、銃器も余り使えないそうなので、結局ポケモントレーナーを使って制圧するらしい。……何かおかしいよなぁ?
「ポケモンを利用する勢力に対して、ポケモンを利用した鎮圧は認められている。法律には疎いようだな」
「当然です、私はしがない一トレーナーですから」
「そうか。だが、我々は優秀なトレーナーである君に前々から『目』を付けていた。今回の件、頼んだよ」
「ええ、勿論」
とまぁ、プラズマ団に寝返るかどうかの蝙蝠プレイは出来ないようだ。いや、国の体制がひっくり返れば罪が罪で無くなるから問題ないんだけどね。
今の所最大派閥である組織には逆らわない。以上。
そういう訳で、ゲーチス派に囚われたトウコを強引に連れ出して、わざわざパルキアを使って移動したのだ。
……パルキアを使うのは単純明快。誰が味方なのか分からないからだ。迎えの兵士から街の花屋のお嬢さんまで、どこにプラズマ団の息が掛かっているか全くの不明。
そういう片っ端から
とまぁ、国家に対して従順で居る限り、少なくとも今は荒々しい手段――ジェノサイドパーティーをしても構わないのだ。
尤も、俺が寝返るか寝返らないかは、トウコが本当にレシラムを捕まえられるかに掛かっている。駄目なら、長期的にどちらが滅ぶかで判断する。
良くも悪くも民意に左右されやすい体制で、ポケモンを解放すべき派閥が多数派に回った時、俺は手土産を抱えてプラズマ団に属するだろう。
フウロ? 普通に集められてます。ジムリーダー達は断固として俺を関わらせたくなかったようだが、そこら辺の権限は大きくないようだ。そもそも、軍がポケモン協会に圧力を掛けてるので抗議自体が無謀であるのだが。
というわけで、
「待っていたぞ、トウコ」
「何者なの? アンタ」
Nの城でトウコを迎える。そこら辺に居たプラズマ団はしばいておいた。今頃肉塊になっているだろう。
ともあれ、このまま何事もなくハッピーエンドである。
Nの城に乗り込めー!
前話の参加するしないの下りは軍に対してノーを突きつけるかどうかですね。
コマンドー送れば絶対解決するだろこれ……