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引っ越しをした後、最初にやらなくてはならないのは何か。
ダンボールの片付け、食事、睡眠、引越し業者への支払い?
真に賢なる者は最初の一歩を間違えないのである。当然、隣近所への挨拶だ。
今現在いる場所は、ジムリーダーフウロがいるフキヨセシティの西、山を超えた中腹部の辺りと麓周辺の中間。パルキアで家を丸ごと持ってきて、そこで暮らしている。
当たり前だが、ポケモンは集めてキチンと持ってきている。水棲ポケモンに対しても水場を作って対応している。手間暇掛けて生かした貴重な財産だ、家バレ如きで捨ててなるものか。
それにしても、パルキアとは便利な土木屋である。カット&ペーストを現実で行うなど馬鹿げているにも程が有る。PCゲームではなく現実でそれをやってしまうとなれば、もう業者の存在意義が無くなってしまう。
パルキアなどの伝説のポケモンと謳われる存在が、その能力を保持していることは想定通りとも言えたが、意外であった。ゲーム内存在であるポケモンが能力を持つことは、対戦ばかりをやっていた身からすれば「そんなボタンはない」と主張せずにはいられない。
だが、「パソコン」から出てきた彼らが呼吸をし、食料を口にするのと同じように、生来の性質として能力を持っていると推測できる。だが、物騒なんで普段は「パソコン」の肥やしになっているが。
当初、伝説のポケモンの力を利用することなど、露ほども考えていなかった――「パソコン」から取り出すのも躊躇うレベルで――が、それは
なんとも馬鹿な話である。転移したばかりの頃はボールからガブリアスを出してキャッキャウフフと喜ぶくせに、伝説のポケモンだけを警戒するなど愚か極まりない。ガブリアスは伝説には及ばないものの、人間を簡単にミンチにできるドラゴンポケモンである。
人間というものは自己の矛盾を認識できないのだ。俺は愚者らしく自分の経験から学ぶとしよう。
さりとて時には歴史からも学ぶのだ。ご近所関係の悪化が無用なトラブルの種になることは重々承知である。特に、特別な事情がある我が家にとっては御免である。
立地で言うと、近所と言うには遠すぎる――一番近い家に行くまでに山を越える必要がある――ので、認知されるという意味も込めて挨拶をしなければならない。
何処に挨拶をするのか、それは勿論『ポケモンセンター』である。
ポケモンセンターとは、宿泊施設・治療施設・食事処を兼ねる便利な場所である。慈善事業の塊と言っても申し分ないだろう。初心者から玄人まで、世話にならないポケモントレーナーなど全くいない筈だ。
ゲームでは無料で何度でも回復ができたが、あの施設をタダで使うには制限がある。具体的には年齢制限だ。
この世界には十歳から成人となる謎の法律が――見直すべきという声は年々高まっている――存在する。当然、成人ということは
当たり前だが、無理がある。親が支払う場合がほとんどであり、この税金問題はそれほど深刻化していないのだ。そして、ポケモンセンターの利用制限という核心を突くのは税金問題ではない。
問題とすべきは、ポケモントレーナーそのものだ。
近代化してすぐの時代には、ポケモントレーナーの数=国力と言っても差し支えはなかったので、ある程度の実績は必要だったようだが、ポケモンセンターは施設利用を全面的に無償化していた。
そうはいっても、時代が進むにつれて人間が増えた。ポケモンセンターの負担が増加するのは言うまでもないことで、モラルのない利用者の増加もまた社会的な問題となった。
そこで導入されたのが年齢制限・収入制限の制度だ。
トレーナー資格を持ち、収入と年齢が一定以下の人間だけが無料でポケモンセンターを利用でき、それらが上がっていくごとに利用料金がゼロからどんどん上昇していくのだ。
で、ポケモンセンターというものはゲームと同じように、両手の指で数えられる数しかないというわけではない。大量にある。人間が一日で歩ける距離を目安に、道に沿って点在している。
そういう施設には当然トレーナーが集まるわけで、間違っても「あそこには珍しいポケモンがたくさんいるらしい」と噂されるわけにはいかないのだ。大口の寄付をして、間違っても馬鹿なことをしないように、と圧力を掛けるのが一番である。
実際、「エイジの時」も日本円換算で一億ほど寄付したことがある。その時とは目的が違うが、まぁ安いもんである。
ちなみに、今の名前はイッシュの元ネタとなった地方らしく『ジョン・スミス』である。つまり、スミス名義で億単位の寄付をすればいいのだ。団体ならともかく、個人としてはそこそこの客である。
お金の問題? エイジの口座からは既に全額引き出し済みだ。ローンを若干踏み倒す形になったので、少し余裕がある。
犯罪? 馬鹿め、エイジは死んだわ。此処に居るのは顔とDNAがそっくり(完全に一致)なジョン・スミスさ。
というわけで、フキヨセシティと家周辺のポケモンセンターには片っ端から挨拶をしに行って、ポケモンセンターの本部に多額の寄付を納めればいいだろう。
問題となるのは顔だ……そっくりさんで済めばいいのだが、それはそれで面倒だ。整形にも限度はあるし、常に気を使わなくてはいけないのはダメだ。
故に、変装をする。この世界、バシャーモ仮面だのマキシマムだのククイ博士だの、覆面の人間が多い印象を受ける。つまり、覆面とウィッグを用いれば、怪しまれる確率はグッと下がるだろう。
勿論、そのための覆面は購入済みだ。プロレス団体が作ったシュバルゴをモチーフとしたもので、赤と銀の模様がとても良い。まるで騎士みたいだぁ……。
ウィッグは赤色にした。赤い髪の人間はこの世界じゃあ珍しくない。恐らく、太古の時代はポケモンと共生するために、ポケモンの体表と近しい色をした者は重宝されたのだろう、と推測できる。
これで変装は完璧だ。鏡の前に立って自分の姿を眺めると、この変装の致命的な欠点が発覚した。
……普段着には似合わないのだ。だが、発見と同時に改善策も思い付いた。先人に学ぶことは偉大なのだ。
そう、マントが無い。変装にマントを合わせなければ、本当に変人になってしまう。
現地調達になってしまうが、問題の発見は安定した生活への第一歩だ。幸先の良いスタートといえるだろう。
実際、ポケモンセンターのイッシュ地方本部に赴いた時、警備員に入場口で止められるようなことはなかったし、職務質問にも遭わなかった。フレンドリィショップにさえ入れたのだから、覆面とマントの組み合わせは比較的ポピュラーなのだろう。
ジョーイさんへの挨拶をつつがなく終えると、気分良く街へ繰り出した。
イッシュ地方、フキヨセタウンの中心にあるポケモンセンターで働くジョーイさんは、突然やって来た覆面の不審者に困惑していた。
ジョン・スミスを名乗る男性は、地図と幾つかの注意が書かれた紙を持って、「出来れば立ち入らせないように、注意して下さい」と言った。
ジョーイさんからしてみれば、本部からなるべく邪険にしないよう、「丁寧」な対応をして欲しいと言われているのだが……。
(三千メートル超えの山を越えて、そこまで行く人はいないと思います)
「何言ってんだこいつ」状態である。電気石の洞穴のように行き来ができる道があるわけでもない、ポケモンセンターも開発の進んでいない山脈の向こう側まで進出はしていない、そんな未開の地に誰が行くものか。
富士山を越えて泥棒をしに行くか? と言った具合である。
そもそも、フキヨセ自体が荒れ果てた土地を切り開いた場所であり、街までの移動は徒歩ならばネジ山を越えるか洞穴を通るかのどちらかである。要は地方都市、田舎だ。
田舎に来て山に登ろうという物好きはいるが、向こう側に行こうという馬鹿はいない。というか、向こう側への道は禄に整備されてない。
おかしい人が来たなぁ、と感想を抱きつつも、ジョーイさんは平常通り業務をこなす。
同様に、フキヨセの人間も変人がいるとは思っていたが、一ヶ月も経つと皆慣れていた。狭い街なのでそれなりに見かける機会も多く、話してみると真人間なので好印象を抱かれていた。変人だが。
ジョン・スミスを名乗る変人は滑走路やその周辺に現れることが多く、フキヨセカーゴサービスをよく利用すると噂されていた。
パイロット達も見掛けに反してまともであると友好的だったが、その筆頭であるフウロは苦手意識を持っていた。
その原因はジム戦にある。
ジョン・スミスは元々、カーゴサービスを利用したいという客の一人であった。その頭のおかし――類稀な立地から、空輸便を利用しなければいけないらしい。
食料を大量に、それこそドン引きするレベルで購入した彼は、定期的に「こういう事」をしたいと申し出たため、フキヨセのパイロットの代表格であるフウロが話をする運びとなった。ベテランもジムリーダーには頭が上がらないようだ。
「こんなに沢山のポケモンフーズを月に二回……ですか?」
「そうですとも! ウチの農場には沢山のポケモンがいますからね」
ジョンは両手を大きく広げて、農場の大きさを身体で表現する。劇のような大げさな仕草に、フウロはクスリと笑った。
「へぇ~、何を育てているんです?」
「ヤチェのみですよ」
「ヤチェ? ……えーっと、あれですね! あれ! 甘いやつ!」
「酸っぱいヤツですね」
「あははー……知らないかも」
ヤチェのみは知名度が低い。その酸っぱさと渋さから加工原料としてはよく利用されるが、そのまま食すということはあまり好まれない。冷やすことで一層美味しくなるが、オレンのみやオボンのみの方が多くのシェアを占める。
多種多様な果実が繰り広げる顧客の奪い合いは盛衰激しく、淘汰と繁栄をもたらした。七十種弱ある果実の内、一般人が知るのは精々十程度だろう。
フウロがヤチェのみを知らないのも無理はない。飛行タイプのジムリーダーとして、それが適切であるかどうかは別であるが。
だが、一般的なトレーナーの知識としてこのような「半減実」の知識は、テストに出る問題の様なものだ。
何故なら、流動的なバトルにおいては弱点の攻撃を回避することや打ち消す事が可能であるため、わざわざ木の実を持たせてまで対策をしようというのは非効率である。
タイプ相性を覆せるのがポケモンバトルだ。半減実で対策を行うより、行動でなんとかしようというトレーナーの方が多い。それに加え、半減実を使用しても相手を倒すことに繋がるとは言えないため、果実が利用されることは滅多にない。
エイジがシロナとの戦いでヤチェのみを用いた時は、多くのトレーナーが頭に疑問符を浮かべたことだろう。
「これがヤチェのみ……」
青色のふっくらとした果実。表面は固く、リンゴほどの大きさがある。フウロはそれを両手で持つと、齧り付いた。アボカドみたくクリーミーな果肉には酸味があり、渋みとともにフウロの表情を歪めた。
「うーん……あんまり美味しくないかも」
「でしょうな、若い人の舌には合わんでしょう。ジャムにすると丁度いい具合になりますよ」
「これは売るんですか?」
「そのうち、売るかもしれません」
ジョンに対するフウロの第一印象は悪くなかった。物腰は丁寧で、何より見た目よりもまともだったからだ。そして、彼がヤチェのみを沢山栽培すれば、飛行タイプが苦手とする氷タイプに対する一種の回答として使えるかもしれない。そうすれば電気タイプ対策へより一層注力出来るのだ。
早速、フウロはジョンの農場に行くことになった。
飛行機に荷物を積んで飛び上がると、先行していたジョンのボーマンダを追い抜かして山脈を越えていく。険しい山々の稜線を下れば、もうジョンの家だ。フウロは平野部に滑走路を見つけると、難なく着陸した。
「んー! きもちー!」
山の斜面は岩肌でゴツゴツとしている……のではなく、滑らかで
ジョンが来るまで、フウロはその広大な敷地を眺めていた。
(畑で動いているのはポケモンかな? 空を舞うのは鳥ポケモン? ここにはどんなポケモンがいるんだろう)
メリープが居ればまるでアルペンの少女ハイジンだと、国民的アニメを連想させるような牧歌的光景だ。
ジョンが滑走路に着くと、フウロは荷の入ったスペースを開放した。
「ジョンさん! どうやって運ぶんです?」
「ポケモンに運んでもらいますよ。頼みました
「ヤード」
ボケーとした音がよく似合うポケモンが出てくると、サイコキネシスでポケモンフーズの詰まったコンテナを持ち上げた。
「ヤー」
ヤドランはのそのそと進み、十メートル程移動するとコンテナを降ろした。キリッとした表情を見せると、勝手にボールの中へ戻っていった。
「……」
「……」
「お願いしますぞ、ヤサイドン!」
(野菜丼?)
ドサイドンがコンテナを持ち上げて、何処かへと運んでいく。
「ジョンさんはポケモントレーナーなんですか?」
「へ? ああ、一緒に暮らしているだけですよ」
「そんな! 勿体無い……強そうなポケモンなのに、バッジを集めないなんて」
「ははは、そんなことを言われたのははじめてですよー」
「気が向いたら、是非挑戦してくださいね」
話はここで終わった。ポケモンバトルの初心者だというジョンがフウロに挑戦するのは、冬が終わる時期だった。ヤチェのみ農場は軌道に乗り始め、フキヨセの住民はヤチェのみを目撃する機会が多くなっていた。
ジョンがジムバッジを集めているとは、フキヨセの住民は知っていた。作業の合間を縫ってそらをとぶで町々へ足を運び、バッジを獲得しているようだ。
五つ目のジムバッジを取った翌日、フウロの目の前にジョンは現れた。
「待ってたよ! 現れるのを!」
まま、そう焦んないでよ