──ゆったりとした春の陽気。ついつい、居眠りしたくなるような午前と午後の境目。
外では春を告げる妖精さんも全盛期。全力で春を告げて回っております。
桃の節句も無事に済み、七つを過ぎた娘は神の子を止め、人の子として第二の生を謳歌しています。
可愛い娘らの健康も祈り終えて、親御さん達もますます仕事にも身が入るもの。
炬燵を仕舞い、襦袢を脱ぎ、お仕事へ出掛ける人も増えて参りました。
例の如く、博麗神社は妖怪神社。魑魅魍魎が集まり花見の最中だそうで。
人々がやれ、花が咲いた、今年はここが良いらしい、などの空に舞う花びらが如く、舞い上がる空気の中。
私、
午前から、午後に変わるか変わらないかといった時間。
店内に目をやれば、閑散とした店内はいつも通り。お花見に興じているのか客のきの字も見えず、開店休業状態。
こんな状態なら私も春の陽気を楽しもうと。
ぷらぷらと仕事なんぞ放り出し、花見をしみじみと楽しもうかと人里から出て、春探しの旅に出たいと思い立ちました。
思い立ったら吉日とばかりに、曰く付きだか言われる自店の看板を下ろし、お結び拵え、店を閉めて、てくてくと出立します。
ぷらぷらと、人里の出口へ向かいます。
道中、お得意様を見かけますが、自前の悪癖ゆえこちらから声を掛ける訳にもいかず、見送ろうと思っていましたら。
お得意様がこちらに気づいてしまった様で。
「袖ちゃん、お出かけかい?」
と、人間様からお声がかかります。
数少ない奇特なお得意様はいらっしゃいますが、こんな未熟者に声を掛けるお心のお広い方なぞ、この広い日の本を探してもなかなか居ないのでは無いか、と思われます。
きっちりと挨拶をさせて頂き、世間話もそこそこに
勿論人間様と話したくないとか、その御方が個人的に嫌いだったとかそんな事では決してございません。
ただ、これ以上私めが人間様とお話を続けてしまった日には、あの忌々しい悪癖が私の口を蹴破って飛び出すに違いありません。
元より人の口に戸なんて立てられないと、よく言われておりますが、人間様の口が木戸であるなら、妖怪である私の口なんぞ障子紙以下の耐久度。数秒と持たず罵詈雑言が口から飛び出すことでしょう。
そんな迷惑をかけてしまった日には、また布団の中で反省会。
当然、呑気に散歩なんぞ出来る心情では無くなります。
そんな、人間様の為にも、心の平穏を願う意味でも、人間様に別れを告げます。
そんな愛しい人間様とも別れ、人里からもずんずんと離れて行きます。
季節は桜の頃、あちこちで花見なども開かれているくらいには、桜があちこちに咲いているのが見受けられます。
綺麗な桜の木の下には死体が埋まっている、なんて言われる事がありますが、もし埋まっているとしたらどれ程の人間がこの世から去ったのかわからない位ですね。
そんなに大勢がお亡くなりになってしまったら春でも無いのに花が咲く、なんて事がまた起きるのでしょうが、そんな事は机上の空論。
そんな事を考えるくらいなら、木上にある桜を眺めている方が余程健全ですね。
桜を満喫しつつ、旅を続けます。
人間の方々も、花見に洒落込んでいる人も多く居るようで、桃色の吹雪に乗って子供たちの声が此方まで届きます。
そんな光景をしみじみと楽しみつつ、てくてくと歩きます。
昼の時間は人間の時間、人里に近いこの場所では大した妖怪など現れず、皆さんお楽しみの様。
私の様な妖怪なぞ必要とされません。目に入らない内に少し道を逸れることに致しましょう。
道を逸れて暫く行くと、チョロチョロと流れる小川のほとりに辿り着きました。
春の小川とはよく言った物で、川の流れはさらさらと、川辺には菫や蓮華などが咲き誇り、風でそよそよと揺れ、春を一つの場面に押し込んだ。そんな風景が目の前に広がります。
その花が群生する辺りに座り込み、菫を砂糖に漬け込むなんてお菓子もあったなと思考を傍らに置きつつ、一輪失敬します。
それを太陽にかざしたりなどして、春の色を楽しみます。
此処が、かの有名な太陽の畑だったらなんて考えたら身も縮む思いですが、ここは綺麗な小川の傍ですし、憎たらしい事に縮む程に背もありません。
何となくこの場所が気に入り、腰を落ち着け持ってきたお結び片手に遅めの昼食を取りつつゆったりとしていると、不意に辺りが暗くなります。
さては雲で太陽がお隠れ遊ばしたのかと、のんびりと思っていると──
「ばぁっ!!」
と、私めの背後からお声がかかります。
「ふざけんな!だれ───って、傘ちゃんか」
振り向き、そのまま罵詈雑言の発射口となる運命にあったと思いきや、そこにあったのは友の顔。悪癖もなりを潜めます。
「あははは、また引っ掛かってくれた!」
と、私の
よく有ることなので慣れてはいます。えぇ、本当に。
心の臓が早鐘を打っていますが、まぁあれでしょう、友達に会えて喜ばしいんですきっと。
「こんにちは、傘ちゃん。
また、驚かせ技術が上がったんじゃない?」
と、胸に手を当て、呼吸を整えつつ挨拶をします。
小傘ちゃんも挨拶を返し
「こんにちは、袖ちゃん。こんな所で何してるの?」
と、聞いてきます。
旅に出てるんだよ、なんて春の陽気に相応しいような浮わついた返答をしておきます。
そもそもが目的の無い散歩でしたので、特に何をしている訳ではありません。
そんな言葉を聞いた小傘ちゃんは、
「旅にねぇ……そうだ袖ちゃん! 私と良いことしようよ!」
と誘ってきます。
おや、ついに鍛冶屋では無く、ベビーシッターでも無く、女郎でも始めたのかそんな言葉を掛けられます。
たまに一人称がわちきであったりと、そんな影もちらほらあったような気がしますが、まさかの少女趣味。これは中々、需要と供給が成り立つような趣味では無いような気もします。意外な一面を発見した気分でした。
春には動物達も発情期を迎え、犬猫も御盛んな声が夜に響いておりますし、きっと付喪神も発情期なんでしょう。
──仕方ありません、これも友のため明日のため。ここは一肌脱ぐとしましょう。
川辺には菫や蓮華など咲いていましたが、そろそろ時期的に百合の花も咲き始める頃。開花の先駆けになるのも悪くありません。
──私は決意を固め。
「わかりました。脱げばいいんですね?」
「なんで!?」
──おや?
小傘ちゃんに大層驚かれてしまいました。あぁそうでしたそうでした。ここは野外、誰だって肌を外気に晒すのは嫌な物。春が訪れ、だんだんと暖かくもなってまいりましたが、些か羞恥心が勝るもの。
ふむ……、となると何処か知らない長屋に連れ込まれる感じでしょうか。普段大人しい付喪神が私を無理矢理なんていうのもあながち悪い様ではありませんが、着物がダメになってしまう可能性もありますし、ここは素直にお願いするしかありませんね。
──私は体を掻き抱き、上目遣いで
「あの……優しく……してください」
「だから何で!?」
──あれ?
おかしいですね、話が見えません。この子はどんな事を言いたいのでしょうか。長い間友達をやっており、いままで色んな事をやったり話したり、
こういう時は素直に聞くもの。大丈夫です。小傘ちゃんは優しく、一時の恥も許してくれるでしょう。
「あの……話が見えません」
「こっちもだよ!」
そろそろ、こっちが驚いた分の倍くらい驚いているような気がしますがいいのでしょうか。
私としては、人間様の不安や疑念をちょろっと頂く方がいいのですが。貰える物は貰っておきましょう。
とりあえず話を戻すことにしましょう。
「傘ちゃんは何に誘おうとしたの?」
「私と人間を驚かせに行かない? って誘おうとしたんだよ!」
「いいですよ」
「はやっ!?」
「暇でしたし」
何となく思っていたのとは違う気もしますが、これもまた楽しそうな提案。
何より人間を近くで眺める事も出来ますし。小傘ちゃんの誘いでしたら基本ホイホイついていく所存です。
そんな驚きを主食とする友達について行き、来た道を引き返します。
ぽつぽつと、道行く人も増えて参りました。
こちらに話し掛ける人は居ないようで、緊張しないで嬉しいやら寂しいやら。
さて、辿り着きました。人の里の近く、人里への帰り道。
元は森を切り開いたような道路で、両脇には林が広がります。薪や、木の実、薬草を探しにいくとしたらこちらを使う人も居るでしょう。
その両脇に広がっている林の木立に隠れます。
小傘ちゃん側も人里寄りに陣取って、準備万端。
昼頃に出掛けたのも相まって、時刻は既に頭にあった太陽さんが、また明日とばかりに傾きつつある夕焼け頃。
私の様な妖怪にとっては絶好の時間ですね。
今回は基本的。私が注意を
だんだんと帰路をひた走る人も増えて参りました。
そして、日は更に傾き太陽が地平線の向こう側へ消えかかります。
──夕焼けから、夕闇に。
それは人間の時間から、妖怪の時間に変化する瞬間。
沈み行く夕焼けをぼんやりと眺めていますと、
夕闇の中、スタスタと少し早足気味に歩く一人の男が通りすぎようとしているのが、遠目から伺えます。
小傘ちゃんの方を向き。あの人を狙いますよの手振りを送ります。
小傘ちゃん側も了解したようで、親指を天に突き立てこちらにつきだします。
──さて……作戦開始。
まずは場所を変え、気づかれない位の距離の木まで接近します。私とて人を驚かす妖怪の端くれ、これ位ならお手の物です。配置に付き木立に隠れます。
スタスタと早歩きをしている男がこちらが隠れている地点を通り過ぎます。どうやら薪を取りに行っていたようで、薪と斧を背負子に載せております。
かなりのお急ぎの様で、こちらに気づいた素振りはまったくありません。
隠れていた木立から音を立てずに飛び出し、後を追います。
端から見たら急いでいる大人を、子供が追い掛けているそんな感じになるんでしょうか?
子供の背丈じゃあ歩幅的に突き放されるんじゃあとか思われてしまいそうですが、心配ご無用。
ご存じかも知れませんが、私は袖引き小僧を元とする妖怪でして、その袖引き小僧の幾つかの伝承の中には落武者であった。とかそんな説話が存在します。
幻想郷に来てからか、その前からだったかは覚えてはおりませんが、そんな武者であったという伝承を受け継いでいるのか身体能力はそこそこの自信があります。
まぁ、鬼だとか、ぬえだとか、そんな大妖怪と比較してしまったらそれこそ、子供と大人を比べる様な物になってしまいますが、同格の妖怪でしたら力比べは上位に食い込めると自負しております。
そんなこんなで自慢の身体能力を使い、大した苦労もせずにその男の後ろに付きます。
スタスタと歩く男の後ろを数歩離れてついていきます。……バレた気配はありません。
正直、この瞬間はたまりません。後ろから近づいて行き、いつバレてしまうのかヒヤヒヤとしながら胸の中で渦巻く高揚感。そうですね、隠れんぼをしているときに近いでしょうか?
絶対に見つかってはいけない隠れんぼを想像して頂くと、分かりやすいかと思います。……分かりづらいですねこの例え。
そんな高揚感を抜き足、差し足、忍び足、そして急ぎ足で、小傘ちゃんの潜伏場所に近づくまで楽しみます。
そして……小傘ちゃんの潜伏場所に近づきます。
遊びの時間は終わりです。更に男に対し一歩踏み込み、その距離、およそ三歩圏内。
何かを引っ張る程度の能力。その本質、袖を引っ張るという妖怪の本懐。
引っ張った後、もう一度能力を発動させ体を
男は驚き後ろを向いたときには、既に姿を消しています。男はキョロキョロとした後、首を傾げ再び歩き出します。
一度目は気のせいかと考える方も多く、無視を決め込む方も多くいらっしゃいますが、この人はどうやら気にする御方。
1度ものに触れたのなら、およそ5分間は再び対象に対し能力を発動出来ます。
まぁ頑張ればもう少し効果時間を伸ばせたりもするのですが、疲れるのでやりません。
そんな訳で、後ろに視線を惹き付ける事を狙い再び能力を発動させます。
クイクイと糸で操る様な感覚でしょうか。男の袖を遠隔で引っ張ります。
さすがにこれには不審に思ったようで、男は足を止め辺りを見回します。当然、見つかるようなヘマはしません。
仲良くしようと考えなければ緊張はしませんし、余計な力も入りません。
男は何者かが近くにいるが、その正体が分からない。という恐怖を味わっている様で、
男がキョロキョロと後方を見渡している間に小傘ちゃんが気配を殺して近寄ります。
そして、男が再び首を傾げ前を向きました。
──男の動きが止まります。
哀れな獲物である人間からしてみれば、夕闇の中、誰かに袖を二度引っ張られた、と思い後ろを向いていたら、前に見知らぬ女がいきなり立っていたということになります。
こちらからだと、男の表情は確認出来ませんが、実際これをやられたら、一瞬の恐怖はかなりの物だと思われます。
小傘ちゃんが、男が固まったのを見届けてから。
「うらめしや~」
と、怪談の定型文のような言葉を発します。
夕闇で顔が認識しづらいですが、冷静に考えれば誰がやっているのか等わかりそうなものですが、その男は冷静さを欠いていた様子。
体をビクンと跳ね上げた後、う、うわぁぁぁと小傘ちゃんを突き飛ばし、走り去ります。
突き飛ばされたのを見て慌てて、小傘ちゃんに近寄ります。
「傘ちゃん、大丈夫!?」
と、小傘ちゃんの姿を確認しにいくと、ぼーっとした様子で呟いています。
「わちき、驚かれた……驚かれたよ! 袖ちゃん!」
いきなり、ガバッと抱きつかれます。
「ちょっ……」
「ひっさしぶりだぁ、これこれ、これだよね!」
と、吃驚を噛み締めている様子。
こちらは抱きつかれ、体格的に意外とある二つのお山に顔が埋もれます。
「……っ、……っ!!」
「ありがとうね、袖ちゃん!」
抱きしめ攻勢は続きます。引き剥がすことも出来そうなのですが、この喜び様では気が引けます。
「袖ちゃん?」
ですが、さすがに息が苦しくなってきたので止めて欲しいとじたばたしておりましたら。
「わわっ、ごめん!!」
と、気づいた様で、謝りながら解放してくれます。
肺に空気を取り込み、空気が美味しい事を再確認し
「……ふぅ、天国にお呼ばれしてしまうところでした」
などと、軽口を叩きます。
その事に本気でへこんだらしく
「うぅ、ごめんね」
と申し訳なさそうに謝ってきます。
意外に凹凸があるんだなーとか友人の体つきの事を考えていたら、つい口が滑ってしまいます。
「いえ、天国でしたし、大丈夫です」
「どういう事!?」
小傘ちゃんが良い反応を示して下さいます。……本当に可愛いですねこの子。
なんでもありません、などと答えつつ。周りを見れば既にお天道様は眠りにつき、兎たちが餅つきをしているお月様が上っています。
「もう、人は通らなそうだね」
と小傘ちゃんが話してきます。
一人でやり易そうな人を狙ったので、時間が掛かり、夜に突入してしまいました。
「そうですね。そろそろ私たちもお別れですかね?」
そろそろ、おゆはんの時間ですし。
そんな言葉を投げ掛けられた小傘ちゃんは、楽しかったという余韻に浸っていた表情が消え。
「あ、うん。そうだね……」
少し寂しそうな顔に変化した小傘ちゃんが言います。
そんな友人の寂しい顔が嫌で、締まりの悪い口から声が溢れます。
「あの……家で夕飯を食べていきますか?」
一人分増えるだけなら大丈夫ですし、と
そんな思い付きを友達に提案してみます。
そんな提案を聞き、小傘ちゃんは
「いいの!?」
と沈んだ笑顔が浮かび上がり、目を輝かせつつ聞き返します。
そんな嬉しそうな表情が、何とも嬉しくて、
「いいも何も、たまにやっているじゃないですか」
と、憎まれ口を叩いてしまいます。
実際に小傘ちゃんを夕飯にご招待、という事は今まで幾度かあったので、ここまで喜んで貰えるような物では無い気もしますが、小傘ちゃんが喜んでいるのなら、それはそれでいいかな? などとも思いつつ友人の顔を眺めます。
「やったぁ!袖ちゃんのご飯!」
「そんな大したものは作れませんよ」
なんて、やりとりをしつつ帰路に着きます。
小傘ちゃんが言っていた良い事というのは、こんな幸福感も予測して言っていたのかな? と、下らない事も考えつつ友の横を歩きます。
掴む袖はありませんが、友とはついていく物では無く、並ぶもの。これはこれで乙な物かと。
──さてさて、本日はこの辺でお仕舞いとさせて頂きます。
え? 家に着いてからの描写はどうしたかって?
家に着いてからの話なんぞ、大した事はございません。
一緒に夕飯を食べ、湯浴みをし、寝ただけです。
特に特筆するべき事はありませんでした。えぇ、ありませんでしたとも。
どちらにせよ、本日はここでお開き。この続きは次の機会ということで。
小傘ちゃん可愛い!!