どこかで遠吠えが聞こえる。
焦りが混じったようにも聞こえる遠い声は、足を縫い付ける。
あぁ、帰りたくなんて、本当は──
私はどうしようか。ずっとそれだけを考えている。私は彼女のなんなのか。それだけを手伝って下さいと告げられたあの日からずっと考えていた。
私、今泉 影狼 答えを出してるわ。
袖ちゃんにとっての私。それは……他人ではなく。特別親しい親友というわけでも無かった。
ただ、一緒に酒を飲む関係で時折遊んで。そんな仲だった。わかさぎ姫や蛮奇もそう考えている。袖ちゃんは友達。それ以上でもそれ以下でもない。
そのままの関係でここまで来たのなら、きっとここまで悩むこともなかった。けど、私は違う。私だけはあの月の異変で変化の予兆を見せる袖ちゃんを見てしまっていた。
あの時は彼女のために必死に走り、傷付いて。自分でも馬鹿みたいなんて思いながらもがむしゃらにやって来た。なんでそこまでやったのか。友達のためにというには少し逸脱していた。
だから私は考えたんだ。なんでかってことを。そこで辿り着いたのは憧れだった。
あの子も私もそれ相応に弱い存在なのに、彼女の考え方は私とは圧倒的に違う。私は自分優先の考え方。彼女は他者優先の考え方。しかも自己犠牲をいとわない。
それをあの異変で見てしまった。感じてしまった。
目前に迫る脅威に対して、あの子は逃げろ。と言わんばかりに脅威に立ちはだかった。それは私では絶対に取らない行動で、どうあがいても馬鹿のやることで、私には自殺行為にしか見えなかった。
……けど、けれど、それを心のどこかでとても美しいと感じてしまう私もいて、それがあの時の私を走らせた。
今にして思う。時々抱く袖ちゃんに対しての奇妙な感情。あれは一種の嫉妬なのかもしれない。臆病で、ちょっと怖がりで、でもマイペース。それをどこかで自分と重ねていたからこんな複雑な気持ちなのかも。
「私がやる。これは誰にも譲らない」
夕焼けの中、妹紅が一番手を名乗り出た時も、私は自分の立ち位置を探ってしまっていた。となりのわかさぎ姫がこっちをちらりと見て、蛮奇が視線だけを寄越す。
小傘ちゃんは袖ちゃんに特別な感情が少なからずあって、吸血鬼の幼女は袖ちゃんの何なのかがよくわからない。恩人だったとかは聞いたけど。
そんな二人を差し置いて私が残るわけにもいかない。だから、私は袖ちゃんと次でお別れ。
彼女自身の話によると、性質が変化すれば色々と変わってしまうかも。なんてことを言っていた。それが心の中でずっと引っかかっている。けれど、時間は待ってなんてくれなくて。
夕暮れの空が止まっていても、皆の足は止まらない。私だけが置き去りになる。そんな錯覚すら抱いてしまう。だから、妹紅に近寄ってこう告げたの。
「次は私、頑張るよ」
こう言えば逃げられない。こうすれば臆病者の私を縛っていられる。だからそう告げた。自身の鎖とするために。
博麗神社に着く。ここに来る前からじわじわと背中を這っていた焦燥感を実現したかのように、赤い夕陽と薄暗く揺れる境内の影がくっきりと目に焼き付いて、現実を突きつける。
ついに異変が始まってしまう。その事に毛並みが逆立って、鳥肌が浮かんだ。
「素敵な賽銭箱はあちらよ」
目の前の博麗の巫女が何かを告げている。あぁ、少し、いや……怖い。争うことは痛いことだ。戦うことは怖いこと。それの考えが染みついてる私は足がすくむ。
とか、考えていたら袖ちゃんがお賽銭をしたいなんて頓珍漢な事を言い出して、思いっきり力やら緊張が抜けていく。あのねぇ……ちょっとは周りの空気ってものを、無理か。基本、あの子あぁいう子だものね。
はぁ、とため息が漏れる。色々と考えていた頃が霧散して散り散りになってしまった。いつも私のペースをみだすのよね。彼女は。
ふにゃりと腑抜けそうになる中、向こうさんはやる気みたいで袖ちゃんが戻ってくると同時に、ぴりっとした空気を放つ。怖っ。
さて、ここは妹紅にお任せしましょ。なんて考えていると何故か進み出る袖ちゃん。さっきあれほど妹紅が守ってくれるって言ったでしょ! とか言い出しかける。そこに入り込むように妹紅が袖ちゃんを諭した。
「私が代わりに戦うよ」
うんうん、それでいい。だって妹紅強いし、ひょっとしたら霊夢にだって勝てるかもしれない。私や袖ちゃんが戦うよりもずっと分がある勝負。
けれど、袖ちゃんはそれに納得がいっていない様子で食い下がる。何がそんなに納得できないのか私には分からない。だって、袖ちゃんは私と同じ弱っちい妖怪なんだから、大人しく強い人の影に隠れないと。
きっとここが私と袖ちゃんの違い。弱いのに分かってない。異変のあの時も、今だって。なんでそんなに身体を張ろうとするのかわからない。群れの中の強い存在に守ってもらう。それはきっと当たり前の事なのに。
在り方は似ているのに、決定的に違う考え方。それがずっと引っかかっていた。それがすとん、と理解できるようになる言葉を袖ちゃんは吐いた。
「だってここに来たのも私の我が儘で……」
我儘……最近の袖ちゃんが、ずっと言っていた言葉だ。
その言葉にはずっと違和感を感じていた。どこかおかしい。そんな感覚が常に付きまとっていた。
だから、今こそ、その感覚を寄り合わせる。彼女の使う我儘の意味を考えて、普段の言動を考える。──そこでかちり、となにかが嵌った。
この言葉は決して、いい言葉じゃない。自分勝手な事をするときに使う言葉で、本来もっと自由な奴が使うものだ。この子が使うべき言葉ではないと思う。
少なくとも消えそうで、自身に変化が起きてしまうことが分かっている。そんな状態では使うべきではない。
そんな恐怖にも立ち向かいながらも「我儘」とのたまう彼女。それはどんな心境なのか。
変わってしまう。何事なく平和に暮らしていたはずなのに、ふと変化の予兆を知る。しかも、もしかすると今後の生に影響を与えるようなもの。
それは、どれくらいの重圧なんだろう。少なくとも私ならもっと取り乱しているはずだ。取り乱しても許されるはずなんだ。
それなのに彼女はそれをしない……いや、出来ないんだ。きっと、ずっとずっと折れなくて、折れる事すら出来なかった彼女が、やっとの思いで絞り出した言葉が「我儘」なんだ。
「助けて」でも、「手を貸して」でもなくて、本当の本当にどうしようもないのに、まだ自身を見捨てて、周りに頼れない彼女の叫び。それが「我儘」。
そんな叫びが本当に聞こえたような気がして、ばっ、と空を見上げる。固定された夕暮れがどこかうずくまった袖ちゃんを連想させて、胸の奥がきゅうと締め付けられる。
──あぁ、この子は……私たちだっているのに、それすらも見えていない。こんなにも寂しいのに周りすらも見えていない状態で、夕暮れに立っていたの?
つっ、と熱を持たない何かで、なぞられたかの様に背筋が冷える。
このことを周りは理解していながら、ここにいるの? 私はどうしたらいい? 瞬時に、頭の中に言葉が駆け巡る。
そんな中。ふっ、と妹紅に目が合わさった。夕陽に陰る瞳には、決意の炎と、少しの迷いが目に浮かんでいた。
妹紅だって迷ってる。袖ちゃんを守るのが本当に正しいことなんかなんて、分からないんだ。
けど、きっと妹紅は自分がやりたい事と袖ちゃんのやりたそうな事が重なったから動いてる。
私は、全部はこの子の事を理解出来てない。私も、妹紅も。
おそらく、袖ちゃんの本当の考えなんて分からない。だって彼女は隠してしまうから。だから私も妹紅もそう動くしかない。彼女に対して良かれと思った事を全力でやるしかない!
きっと他人の理解なんてそんなもので、それすらも拒む袖ちゃんが悲しくて。ぐっと、スカートを握りこむ。
だから、袖ちゃんがやりたいこと、私達が出来る事を考える。わからないなりに、今までの彼女の原動を考えて、やりそうなことを見据えて。
すると、不思議な事に、袖ちゃんのことではなく、妹紅のやりたかった事、そして、今やるべきことが見えて来る。彼女のやりたいことはわからない。それでも、私はこうするしかないっ!
即座に身体が動く、迷ってる場合じゃない。今は動かなきゃ。袖ちゃんの後ろに回り込み、腕を抑える。そして、そのままに飛び上がる。
「袖ちゃん、いくよっ!!」
「!? 待って、下さい!!」
じたばたする袖ちゃんを無理矢理押さえつける。きっと、この子がこのまま退治されて、変化が起きても、いいことはきっとない。だから無理矢理にでもここから連れ出さなきゃならない。
それを見た小傘を始めとして、みんなが袖ちゃんを押さえつける。
この集団の心は一緒みたいね。なんて思いながらも妹紅に視線を送ると、頼んだ。みたいな目をしてた。気のせいかもしれない。けど、そう言った気がするんだ。
そんな目を見ながらに浮き上がっていく。どんどんと小さくなる博麗神社を尻目に、緊張を緩めていく。
そういえば霊夢は追ってこなかったな。なんて思ってしまった。
少し経った後、袖ちゃんを離してみる。先程から暴れたりとかはしてなかったとは思うけど、一応は警戒。
彼女は、騒ぎ疲れたか憔悴した様子で一言ぽそりと呟いた。
「私は、みんなで……」
あまりにも痛々しい様子だった為か、誰も、何も言えなくなる。
「何よ、それ……」
けど、それでも妹紅と関わりが、少しでもあった私は違った。この空気に黙っていなかった。黙っていられなかった。
「袖ちゃん、時間無いんでしょ?」
棘のある言い方だなとは自覚してる。実際彼女は時間が無い。けど、そんな事が気にならない程に私は腹が立っていた。
「それはそうですけどっ」
「そうですけど……何?」
妹紅の考えを否定されるのは嫌。何のために彼女が残ったかぜんぜんこの子は分かってない。そんなのお互いにとって悲しすぎる。……私が口を出すのもお門違いかもだけど、嫌なものは嫌。
「うっ……で、でも」
「でも、も、さってもないの!! これでも私は怒ってるの!! 分かる? 妹紅があれだけの決心をしてあそこに残ったのに、袖ちゃんはいつまでたってもうじうじうじうじとっ! 変わるのが怖いのは分かる。怖いから、変化を受け入れたくないからこの異変を起こしたんでしょ! だったら最期まで自分のわがままを通しなさい! それがあんたの役割!」
「私はっ!! 私は……」
袖ちゃんは言葉を詰まらせる。向こうからどう思われるかは分からない。けど、これは通さないと。彼女が変わってしまう前に、言わないとならない事。それをぶちまける。
だって、友達も仲間も信じ切ることができない。……寂しいじゃないそんなの。
「袖ちゃんが何をしてきたか、見てきたかなんて私は知らない。けど、私と出会ってからの袖ちゃんなら私は知ってる! 袖ちゃんは頑張った。足りない力でも、なんとかしようと足掻いて! いつも他人優先でっ! それなのに、まだ、まだ袖ちゃんは自分の為を考えられない! そんなにも私たちに頼るのが嫌? そんなにも頼りない!?」
周りがいることも忘れ、袖ちゃんだけを見据える。
「ちがっ……そういうわけじゃ……」
否定する袖ちゃん。実際そうなのだろう。この子はいつも自分を一番下に置いてる。けど、そんなのは、そんな気遣いは私たちにあって欲しくはない。
図々しいかもしれない。袖ちゃんの考えを否定することでもあるから。
けど、この子も私達にわがままを言ってる。だったら私も最後まで言わせてもらうしかない。
「困ったら頼りなさい! だれでもいいっ! だけど一人で抱え込まないでよっ! 話して! 話して欲しいのっ!」
「影狼さん…」
「……私はね、あんたと対等でいたいのよ、袖ちゃん。恩人でも、親友でもない。袖ちゃんの親交の輪は小さいかもしれない。けど、普通の友達くらいならきっとまだ入れるでしょ?」
何かを言おうとして口を開けて、また閉じる。次にこの子が言いそうなことは何となくわかる。だから先んじて口に出す。
「もし、私なんて。とか言おうものなら私も一緒に貶められるんだからね?」
「あ、あぅ……」
ほら、ぴったり合ってた。
何も言えなくなった袖ちゃんを見てふっと微笑む。
「こういう時はね、袖ちゃん。ありがとう、でいいの」
何にも言えなくなった袖ちゃんが、視線をさまよせて、そしてこちらにもう一度戻ってくる。口をもごもごさせて、ようやく言葉を捻り出した。
「あ、ありがとうございます。……本当にありがとうござます」
そう、別にお礼なんていらない位なんだけどね。言いそうなことを先回りできる位には長く一緒にいるんだから。そろそろ友達として認め欲しいなー……なんて……
──あれ、ひょっとしてかなり恥ずかしい事を言ってなかったかしら?
ぎぎぎと油の差さってない「からくり」もかくや、といった感じで周りを見渡す。予想通りというかなんというか、蛮奇にわかさぎ姫。小傘ちゃんに、フランドールと全員漏れなくにやにやしてる。
「あんたと対等でいたいのよ、わかさぎ姫!」
「こんな情熱的な台詞今まで影狼から聞いた事無いなー。いいなー袖ちゃんいいなー」
ふざけた感じで蛮奇が茶化し、それに乗っかるわかさぎ姫。それを聞いてみるみるうちに顔が熱くなっていくのを自覚する。……でも、今回は私間違ってない。
それを知ってか知らずか、それ以上は茶化さない二人。……まぁ、知ってるわよね。あの二人ならどこまでふざけられるか分かってるだろうし。
はずかしさを振り払うように、頭をぶんぶん振る。もういい。このままいってやるわよ! きっ、と袖ちゃんに目を向ける。
「次は何処へ行きたいの!?」
半ばやけ気味に聞いた為か袖ちゃんは、数歩下がる。けど、それ以上には下がることはなく、私の目をしっかりと見返した。
「私……私はっ、人里に、行きたいです!」
ちゃんと言えるじゃない。それならこっちもやる気も出るってものよね。
「わかった、届けてあげる。だれが来ようと私が守ってあげるわ。袖ちゃん」
そうして、次の目的地が決まり、皆、再び飛び上がった。まぁ恥ずかしいっちゃ恥ずかしかったけど、決して恥じることじゃない。そう私は信じてる。
まわりが和気あいあいとしながら進む。それもまたいいかもね。
しばらく経つと、人里にが見えて来る。あともう少し──というところで目の前に立ちふさがる人影があった。
「良い夕方ね。こんにちは、袖引さん。いえ、こんばんはかしら?」
「……咲夜、さん」
現れたのはいつぞやの異変でやりあった、いけ好かない女中。となりの吸血鬼もぽそりと彼女の名前を呟いていたりと、なかなかこちらに与えた衝撃は大きいみたい。
手には刃物。こちらの進路をふさぐような仁王立ち。やる気が満ちあふれているような格好に思わず口をはさんでしまう。
「どう見ても買い物帰りのそれじゃないわね……」
「あら、毛皮もいたの? 今度こそちゃんとはく製に……」
「おっかないわね、あんた」
そう言いながら袖ちゃんの前に出る。さて、私の番だ。そう、決心していると、くいくいと、袖が引っ張られた。
犯人は分かっているが、きちんと振り向く。
「影狼さん……その」
振り返ると、案の定というか心配顔の袖ちゃん。……少しは信用しなさいよね。
あんまりにも袖ちゃんが心配そうな顔を向けるから、頬をつまんでやった。お、ぷにぷにしてる。
「いひゃいです。いひゃいですよ!」
「痛くてもいいの。あんたはもっと色んなものを見なさいな。まぁ、間に合うかはわかんないけどさ」
「かげろうひゃん?」
わしゃわしゃと髪を撫でる。えぇい、紛れろ恥ずかしさっ。
「まだ、袖ちゃんは見るべき場所がある。行くべき場所がある。やらなければならないことがある。そうでしょ?」
なんでこんな恥ずかしいことやってるのかって、結局この子の前で格好つけたいのよね。
この子がどうしようもなく頼りなくて、どうしようもなく独りよがりだから。一人じゃないぞって教えてあげたいんだ。
「わたひには……」
「言いたいことは分かる。けどね、いつか乗り越えていけるから。いつか、歩いていてよかった。って思える日もくるから」
争うことは怖い。出来るならのんびりと暮らしていたい。
けれど、一人はもっと怖い。それを日本狼の私は知っているから。
しっかりと彼女の目を見る。少しでも伝わってくれたのか目の色が変わる。
「……私は、まだやりたいことがあります。行きたいところがあるんです」
そう返してきた袖ちゃん。頼りないけどれっきとした芯を持っているいつもの袖ちゃんだ。
「もう、悩む時間は終わった?」
「……えぇ。ですからもう、私は行きますね。……私は、行ってきますね!」
変わる。いや、変わりゆく彼女に気の利いた別れ言葉なんて出てこない。結局、言うことなんて少ないから、精一杯の笑顔でこう答える。
「ここは私に任せなさいよ。ばっちり私が引き受けるから」
「本当に、本当にっ……ありがとうございました!」
少し涙声の袖ちゃん。馬鹿ね、大袈裟なのよいつも。
「この臆病者の私をここまでさせるなんてね!」
「これが、私のわがままですから」
「それもそうね……まぁ、こっちも頑張る。だから、この異変、必ずやり遂げてよ」
袖ちゃんから一歩、二歩と離れる。またこの子とはきちんと話せばいい。その時を期待して、今は友達のわがままを叶えなきゃね。
決心を固めているところに、よく聞き覚えのある声が二つ上がる。
「じゃあ、私もここまでかな」
「そうね、袖ちゃん。今日はとっても楽しかった」
声の主は、蛮奇と姫。いつも遊んでる面子。
「お二人も、ですか……」
袖ちゃんが名残惜しそうに、二人に視線を送る。
そんな目に、わかさぎ姫がうん、と呟く。
「確かに袖ちゃんも心配だしまだ一緒に居たい。けどね、私は袖ちゃん以上に、影狼が心配なの。だから私もここでお別れ」
「わたしもね、袖ちゃん。一緒に吞んだりと楽しかったし、やりたいこともある。けど、それよりも影狼が頑張るって決めたことを応援してあげたいんだ」
蛮奇も、蛮奇で意思を伝えてこちらに来る。
まったく、二人がいるから大丈夫とか思ってたのに……思わず涙が出そうになってしまう。
「あんたらは袖ちゃんの所に居て欲しかったのに……」
「そんな事言っても尻尾は隠し切れてないよ?」
「まったく、恥ずかしい台詞吐くんだから……手伝ってあげるからかっこつけなさいな」
ふっと、袖ちゃんの方に視線を向ける。
彼女は手をこちらに向けようとして、止める。そして、くっと握り込む。
こちらに感謝の視線を送る、奥の二人に顔を向ける。
「小傘ちゃん、フランさん行きましょう!」
三人は、ふわり、と高度を上げるように浮かび上がり、人里に向けて飛んでいった。
「世話が焼けるわね本当に……」
小さい背中が少し大きくなった。そんな大きくなった小さくなる背中を見送っていくと、三人の影が一つに重なっていく。
夕暮れの空が反射して、どこかそれは幻想的な影になっていた。
──頑張れ、袖ちゃん。
ひとしきり見送った後に視線を下ろすと、そのままの格好の女中。ちょっとかちんと来るわね。
「何よ。見逃してたり、随分暇そうじゃない?」
「こっちにも考えがあるのよ。短絡的なあなたと違って」
「考え……ねぇ。追いつくなんて考えてる?」
こっちの言葉に驚いた顔を見せる咲夜。
「あら、どうしてわかったのかしら?」
「ひょっとして舐めてる?」
「そうね……否定はしないわね」
「まったく……いい度胸じゃない。腹に収めてやろうかしら」
この女中戦う気あるのかしら? そもそも袖ちゃん狙いじゃない? いやいや、そんな、まさかね?
「あら、この毛皮とその他。お屋敷の何処に仕舞おうかしら」
「ぱくっと平らげて、すぐにでも袖ちゃんを追いかけてやる!」
「石でも詰めてあげるから、お腹を見せなさいな」
投げてきた刃物を爪で弾く。高い金属音が夕焼け空に響いていく。
こうして彼女の異変の二回目の戦いが始まった。
もう少しだけ、なんて時間はもう無くて。
もう行かないと、という時間が迫る。
不安な帰り道。ふと、後ろを振り返る。
真っ赤な夕焼けが、影を切り裂いて歩いてきた道を照らしていて、足跡を浮かばせる。
遠くで鳴く犬の声が、背中を押した気がした。
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