八幡は凛の背中に銃口を押し付けながら一つの疑問を抱いていた。
――どうして遠坂は俺を見てから魔術回路を開くなんて馬鹿なことをしたんだ?結界を張って、他の魔術師に破られることを警戒しているなら、常に警戒して、何か策を講じてるんじゃないのか?
それは凛が単に警戒を怠っていた、と結論付けることも出来る。
しかし、そう結論付けても、もしも結界を張った魔術師でなかったら、と考えてしまうと、無駄な犠牲を出すだけで、一から魔術師を探すハメになってしまうリスクもある。
元々、八幡は無駄な犠牲を出すことをあまり好まない。それに含め、リスクも嫌う。
そんな性分はきっと八幡が破滅を願いながらも何処かで不要な犠牲を良しとしない優しさがあったからだろう。だが。
――もしも彼女が違ったのなら?――
瞬間、屋上を濃厚な血の臭いと香る硝煙に彩られた血溜りに臥せる凛が脳裏に映る。
誰かを殺したことは無い。だが、この指にかかる引金の重さを、銃口から放たれる弾丸の軽さを八幡は知っている。
引金を引けば最後、この距離ならば間違いなく凛は死に至る。鮮血を胸から迸らせて。
そしてとめどなく溢れる血がきっと動かなくなった彼女の肢体を胸から足へ、更には臥した頭部へ際限なく鮮血で染め上げるのだ。
自身の足元にまでやって来る血溜りを見て一体何を想うのか?
後悔、懺悔、罪悪感。はたまた愉悦を感じるのか。
八幡は引金を引くことで知ることの出来る、それを知りたくなかった。
叶えたい願いがある。
だが、無辜の人々を殺したとして一体何が得られるのだろうか。
何も無い荒野、溢れかえった血溜りと噎せる程の血臭と、鼻をつく硝煙の匂いの中に銃把を音を立ててきつく握り締める自分がそこに居た。
何故かその姿に言いようの無い嫌悪を感じた。
押し付けた銃はそのまま、疑念をそのまま凛へとぶつける。
「もしかして、お前、結界を張った奴じゃないのか?」
術を行使し、銃を構える今まで緩ませることのなかった殺意を八幡は僅かに緩ませる。
すると、背中に押し付けた銃口から確かな安堵が漏れ出した。
「そもそも私まだ話せてもらえていなかったんだけど。ちゃんと話を聞いてから判断しようとは思わなかったのかしら?」
「それもそうだな……」
八幡はそう呻くと、凛の背中へと押し付けていたコンテンダーを下ろし、殺意を完全に身体から消した。
ようやく死の恐怖から解放された凛の口から大きな安堵の溜め息が漏れる。
そして、コンテンダーを内ポケットに仕舞うと、振り返った凛と再び向き合う。
「その、なんだ……とりあえずすまん」
焦燥に駆られた、自分の非を理解している八幡が素直に謝ると、凛は安堵に弛んでいた口元を引き上げ、微笑みを形作る。
そこにはもう魔術師としての遠坂凛はほんの少ししか存在せず、何時もの優等生然とした遠坂凛になっていた。
「そうね。もしも私が比企谷君と同じ立場にいても同じ様な事をしていただろうし、許してあげるわ」
「そいつはどうも」
凛からの許しを得て、ようやく話は始まりへと回帰する。
そもそもこの状況に至ったのは学校に張られた結界が原因である。使用者である魔術師を突き止めようとして今に至る。
だから取り敢えず今彼のやるべき事は一つ。
「お前がこの結界の所有者じゃないのなら、この結界は破壊するが、構わないか?」
視線を禍々しく刻まれた紫の刻印、呪刻と呼ばれる結界の起点へと目を向ける。
そして再びポケットから銃を抜き放つ。
今度は コンテンダーとは違う拳銃。銃全体が宵闇の如き黒さに彩られた自動拳銃―ベレッタM92Fである。
重さは一kgにも及ばない軽量の拳銃で、その高い操作性から扱いが容易で高い評価を受ける。
また、装弾できる弾薬の数も普通の拳銃より多い。コンテンダーは装填可能弾数が一発ずつと極端に少ないが、ベレッタ92はそれに比べ軽量であり、尚且つ15発と、コンテンダーよりも多く弾薬を装填可能なのだ。
それに加え日本では銃刀法がある為、余り公に銃を使用出来ない。
敵にも周りにも発見されるのを防ぐため、サプレッサーを取り付けてある。
何より八幡がコンテンダーを使わずにこの銃を使うのは、コンテンダーがあくまでも聖杯戦争での奥の手であるからだ。
凛はその才能故間違いなく今回の聖杯戦争のマスター足り得る人物だろう。
ならば、未来の敵を前にして態々手の内を見せるのは愚策であると判断した。
ベレッタに装填されているのはNATO標準により定められている9mmパラベラム弾。弾自体は至って普通の弾薬である。だが、それはあくまでも見た目上の話。実際には対魔術師用の破魔の術式を組み込んだ物だ。
これに関しては余り見られても気にする事は無いので問題ない。
「銃で破壊出来る物じゃないわよ?」
八幡の握るベレッタへと目を向けながら半ば呆れと驚きの入り混じった顔で凛が指摘する。
「まあ見てろ」
ベレッタ上部のスライドを引くと、薬莢が外に飛び出す。
そして―――八幡は引金を引いた。
サプレッサーによる恩恵で、極限にまで消音に近づいた静かな銃声が凛に答える様に唸り、一発の弾丸が結界の呪刻目掛けて放たれ、その中心を貫いた。
そして、幾何学模様が浮かび上がり、呪刻には罅が入り、次第に欠け、歪み、霧散した。
後に形を残した物は薬莢も包まれた実包も、弾薬の欠片すら存在しない。
弾痕には放たれた薬莢と思しき金色の液体が残っているだけだった。
「驚きの言葉しか出てこないわ……そんな、現代兵器で魔術に対抗する魔術師なんて初めて見るし、聞いたこともないわね。それに、どうやって弾丸を消したの?」
まじまじと弾丸が最後に貫いた場所を見つめながら八幡に問いかける。
「簡単なことだ。設定した時間を過ぎれば容易な火属性の魔術で高温で内部から溶かしてるんだよ。溶解された弾丸も液体から蒸発するまで魔術が発動し続けるから、その内液体も無くなる」
八幡が説明を終える頃に凛が再び弾痕へ目を向ると、薬莢と思しき金色の液体は煙となって霧散していた。
これも、争いの跡を公に晒さない為の一つの方法である。
証拠を元に見つかってしまうのなら、その証拠を消してしまえばいい。
そう考えた八幡は、使用することの出来る火属性の魔術の術式を破魔の術式に重ねた。先程述べた条件下によって発動するように。
凛は思考を脳の端から端へと巡らせる。
―召喚することの叶わなかった最優のサーヴァントであるセイバーが居なくても、比企谷八幡という後ろ盾があれば勝利へと近付くことが出来るのではないだろうか。
それは戦争に勝利する為の策でもあった。
彼の力があれば今回の聖杯戦争を勝ち抜く事は容易なことではないか、と。
そして、散り散りになっていた思考が一つの考えに纏まる。
八幡を自身の陣営に迎え入れる、または同盟を組んでしまえば良いのだと。
彼もきっと今回の聖杯戦争に参戦するマスターの内の一人であるだろうから、サーヴァント一人よりも二人の方が他の陣営に対する戦力差から余裕が生まれ、更には戦略の幅も広がるはずだ。
それに、この学校を覆う結界の呪刻は先程破壊した一つだけではないことを凛は知っている。その数およそ三十。
一人で片付けるには少々骨が折れる数だ。
それを分担しようものならその疲労はいうに及ばず減るに違いない。
彼はこの結界の在り方を良しとしないだろうから―――
「ねえ、比企谷君」
「何だ。まだ何かあるのか」
少し強めの風が凛の結われた黒髪をはためかせる。
風からは少しだけツンとした硝煙の匂いが運ばれてきた。
「貴方、聖杯戦争に参加するマスターよね?」
瞬間八幡は凛の口から放たれた言葉で理解した。
―間違いなく遠坂はマスターの内の一人だ。
「ああ。そうだ」
八幡はベレッタをポケットに仕舞うと、次なる凛の言葉を待つ。
「私と聖杯戦争の期間中、同盟を組まない?」
八幡の返答を促す様に、八幡が背負った理想を確かめる様に一際強い風が八幡に慣れ親しんだ硝煙の臭いと凛から発する甘やかな匂いを香らせた。
読んで頂きありがとうございました!
次回もお楽しみに。