問題児たちとロクデナシの魔王が異世界から来るそうですよ? 作:慢性睡眠不足
人が生まれ、繁栄する「現世」。
神話に謡われる神々が住むとされる「神界」。
その二つの間を隔てるように「生と不死の領域」は存在していた。根の国、
そこに住むものたちも、おぞましい異形のものから幻想の中の住人、果ては現世より流れ着いた「まつろわぬ神」とこの領域にふさわしく混沌としていた。
その屋敷もまたその様な領域の一つにあった。五色の雲が浮かぶ空の下、白銀と黄金の枝が茂る森を背として、緋色に染まる湖のほとりに建てられたその建物は周囲を囲む塀よりもなお高い位置に存在している。
太い丸太を束ねた支柱と無数に渡された横材によって作られた土台が和風様式の屋敷を丸ごと地面より押し上げているのだ。
塀の内側の広大な敷地には屋敷の他にも倉庫や離れなどの建造物が見える。そしてそのどれもが同様に高層化されていた。
建物同士は地上にて石畳に舗装された道によって相互に結ばれており、またその隙間を埋めるようにたわわな実をつけた果樹の小山や色とりどりの花が咲く庭園、上空に流れる雲を映す池などが作られている。
絶えず変化を続ける空よりこの屋敷を見下ろせば、あちこちで動く影が見えるだろう。右に左に、上に下にと動いているのはやはりこの異郷にふさわしい異形のものたちだ。
しかしこの最奥、高層の屋敷のさらに中央に重ねられた楼閣の上層の部屋にいるものはそうではなかった。
上層全てを占有するこの部屋には一面畳が敷き詰められ、重厚な文机の他には和式と洋式の箪笥が一つづつのほか、小物が並べられた小棚が一つあるだけでやや殺風景である。
その中央に敷かれた布団の上に寝ているのはこの異界には似合わない二十歳に満たない東洋人の男性だ。
この若者の名は空鳴 京一郎。高層の屋敷の主にして、この異界の創生者である。
長く床に着いているのか寝間着は大きく乱れ、硬質の黒髪は長く四方八方に散っている。掛け布団の外に投げ出された腕は細く痩せており、その白さから長い間外の光を浴びていないことが容易に見て取れた。
屋敷を徘徊する異形の者たちもこの楼閣にはあまり近づかず、締め切った部屋の中に響くのは規則正しい寝息のみである。
だが不意にその呼吸音が不規則になった。固く閉じられた瞼の下で眼球の動きが活発化し、やがてゆっくりと開き始める。
二度三度の瞬きのあと、天井をぼんやりとみていた虚ろな瞳に次第に光が集まり、徐々にその焦点が定まっていく。そして次の瞬間、勢いよく体を起こさんとした京一郎はしかしついた手に力が入らずによろけ畳敷の床に転がった。
「うおっ」
のろのろとした動作で動くその全身からは小気味のいい音が奏でられ、しばし自動演奏装置と化した京一郎だったが、やがて布団の胡坐をかいてひとまず落ち着くことに成功する。
反応の鈍い体を回し、その視線を跳ね飛ばした掛け布団から机上の整理された文机や奥の違い棚の上にある花瓶へと移した京一郎は、ふと首をかしげた。
「はて? なにか違うような」
同時に発したその疑念の言葉は京一郎の記憶にある部屋の様子とわずかながらも差異があったからだ。散らかっていたはずの机の上はきれいに整頓されており、棚に生けられた花も梅から名も知らない異国の花へと変わっている。
「……いささか寝坊がすぎたか」
全身に感じる強張りをゆっくりと解しつつ、京一郎は自身の違和感に対し、そう結論付けた。幾度となく伸びを繰り返して追い出した強ばりの量から相当な長く眠っていたようだとの判断したのだ。最後に眠りに付いたときの状況からある程度は覚悟していたものの、当初の見立てよりも長くかかったのは確かなようだった。おそらく数年では済まないだろう。
とはいえ予想以上に長期の療養になった割には部屋は清潔に保たれている。着替えを取ろうと和式の方の衣装箱を開けてみたところ、古くなっていたものが新しいものに変えられていた。
おそらく誰かが京一郎を含めて世話をしてくれていたのだろう。
その誰かが現れたのは、京一郎が着替えを終えてすぐのことであった。
「お目覚めになられましたか」
部屋と外を隔てるふすまの向こうよりかけられたのは若い女の声。それも聞き覚えのあるのものだ。
「梓乃か? 入れ」
軽い笑みとともに京一郎が入室の許可を出せば、失礼しますの返答とともに音もなく戸が引かれ、声の主が部屋へと入ってくる。
入室者は豊満な体を金の彩りをした赤い和服に包んだ妙齢の女性であった。大胆に白磁のような肌を見せる着こなしながらもその動作によどみはなく、滑るように京一郎のもとへと近づいてくるその様は何とも妖しげだ。
事実、彼女は人ではない。ほっそりとした指の先の爪や朱の引かれた唇より覗く牙は鋭く、艶やかな黒髪の下からは赤みがかった角が二本生えてきている。
彼女が属するのは古来より鬼、あるいは夜叉として恐れられてきた異形のもの。だが京一郎の笑みはそのままだった。
当然である。彼は知っているのだ。彼らを恐れる必要がないこと、そして自らに仕える者たちであることを。
「お久しぶりにございます。京一郎様」
実際、その鬼女は京一郎の前で膝をつくと、頭を深く下げて一礼する。そして再び面を上げた時、その顔は喜びの感情で埋め尽くされていた。
「ふむ、みたところかわりがなくて幸いだ。しかし随分と懐かしそうな顔をしているな? 一体どれほど寝ていたのだ、わたしは?」
喜びのあまり抱き着いてきそうな彼女に京一郎は尋ねると、梓乃は少し寂しな表情を加えて答える。
「はい。京一郎様がお眠りになられておよそ八十余年ほどが経っております」
「なっ!? 八十年とな……」
せいぜい五、六年ほどだろうと思っていた京一郎はしかしその予想を一桁上回るその年数を聞き、驚きのあまりに声を屋敷中に響かせた。
「やれやれ、気分はとんだ浦島太郎だ……」
それから目覚めて数日後のこと。久方ぶりに歩く屋敷の庭を眺めつつ京一郎は呟いた。幼少の頃に半死半生となりながらもとある「まつろわぬ神」を弑し、人の領分を大いに踏み外した。それから闘争と享楽の日々を少なくない時間過ごしたとはいえ、この療養期間の長さは流石に驚きであった。
「全く、あの女狐め。厄介な呪いを残していきおって」
魔王、羅刹の君、カンピオーネなどと呼ばれて十数年目に出会い、長過ぎる眠りに落とした強敵を思い出した京一郎は顔をしかめる。
やたらしぶといというよりは面倒くさい相手だった。激しい戦いの末、止めの一撃を受けてもなお、そこから相打ち狙いで刺し違えてくるほどに諦めが悪く、しつこかった。
とっさに急所はかばえたものの、そうなれば今度は自身の消滅を覚悟で呪いだの毒だのを直接注ぎ込んできたのだから徹底している。いくらカンピオーネが魔術や呪術、毒などに高い耐性を持つとはいえあれではそれも意味をなさなかっただろう。
たとえ自らを滅ぼしても怨敵を討たんとするあの執念。なるほど流石は「まつろわぬ神」として相対してきただけのことはある。
感心よりもやはり京一郎にとっては忌々しさの気持ちが大きいが。
「いや、しかし思い返してみれば神というよりも同属との闘い方に似ていたのか?」
ふと思い立った疑問はしかしすぐに回想の続きに取って代わられた。
闘いが終わり、恨み言と共に奴の消滅を確認したときには京一郎もほとんど瀕死の状態だった。神々との闘いはいつも苦闘だとはいえ、あそこまで追い込まれたのは初めて神殺しを成し遂げた時ぐらいだろう。
それまでの戦闘での傷と注ぎ込まれた幾百の呪いや毒で不覚になりながらも、なんとかこの異界へと京一郎が帰り着けたのは、ただ運が良かったとしか言えない。
出迎えた配下の者たちに銘じて備えていた霊薬その他を持ってこさせ、それらを鯨のごとく飲み下したところまでは京一郎も憶えていた。その後に幾つかの命令を残したところの記憶も。そこから先は曖昧であったが、おそらく自室に転がり込んでそのままだったのだろう。
自室に倒れこんだ京一郎を寝間着に着替えさせ、布団に寝かしたのは梓乃だったと聞いたのは昨日のことだ。
それから京一郎は深い眠りの中、この異界に満ちる霊力その他の力を使って解呪や解毒を行っていたのだが……。
「まさか八十年とは……。梓乃の話では随分と現世は変わったらしいが」
京一郎が生まれた時代もなかなかに激動の時代だったが、彼女の話では世の変化はそれ以上のものだという。世界を巻き込む大戦とそれからの復興。急激な科学の進歩に新たなる同族達の誕生など伝え聞くだけでもたいそう面白そうな事柄を思い、京一郎の顔に笑いが浮かんだ。
「ふむ。体調も戻ってきたことだし、事前知識も得たことだ。そろそろ久方ぶりの現世へと降りてみるか」
まずは同族たちへのあいさつ回りといこう。天敵たるあの老侯爵と武術の教主はたいそう苦い顔を見せてくれるはずだ。
あるいは天真爛漫な女王を見つけ、その旅に同行するのも悪くはない。あの騒動と問題を無自覚に引き起こす彼女との旅ならばきっと面白いに違いないだろう。
いやいやせっかくだから面識のない王たちに軽く喧嘩をふっかけてみようか。
そんな考えを抱きつつ、屋敷へと戻ろうとした京一郎の前にひらひらと手紙が落ちてきた。宙のうちに軽くつかみ、宛名を見るとそこには『空鳴 京一郎様へ』と記されている。
「ほう、手紙か。私の異界に直接送ってくるとは。いったい誰からか?」
せっかくだからと京一郎はその場で開封した。果たしてその文面は以下のようなものであった。
『 悩み多し異才を持つ少年少女に告げる。
その才能を試すことを望むならば、
己の家族を、友人を、財産を、世界の全てを捨て、
我らの箱庭に来られたし 』
「中々に挑発的な文句がならべてある。さてどうしたやら……」
その言葉を言い終える前に京一郎の視界は反転し、この異界より消失する。しばらくののち主を探しにきた梓乃がやってくるも、その場には何も残されていなかった。
視界が反転した次の瞬間には京一郎は雲よりもなお高い空中へと放り出されていた。その眼下には天幕に覆われた巨大な都市が見える。他にも深い森や広大な平原、澄んだ水を立てる湖や穏やかな流れの大河などの様々な地形が続いているようだ。
そこは現世とも「生と不死の領域」とも異なる京一郎の見知らぬ地であった。
「なっ、何よ、これ!?」
「ハハハ、いきなり空高く放り出すたぁ。大した正体だなあ、おい!」
「……わー、きれい」
「にゃっ、にゃにゃーにゃあ!(お嬢ぉ、何諦めてるんですかぁ!)」
風の音に紛れて聞こえた騒々しい声に引かれ、視線を眼下から周囲へと転じた京一郎は、自身と同じく落下中の三人と一匹の姿を認める。内訳は何やら奇妙な耳当てをした男子とはためくドレスを押さえている女子に猫を抱えた小柄な女子である。その全員が十代半ばあたりと見た目のうえでは京一郎よりも少し下の年代のようだった。
恐らくは彼らも京一朗と同様に手紙の招待を受けたのだろう。そこまで判別すると京一朗は別の事に関心を向けた。
それは次第に迫ってくる大地にどうやって無事に降り立つか……ではなく自身の服装にあった。
「ふむ。庭歩きの最中ゆえ気安い格好で来てしまった。久方ぶりに招待を受けたのだし、このままではいかんか」
絶賛落下中の状況でも京一朗は自分の服装を気にかける。突然の招待とはいえ、仮にも『王』と崇められていた身として、もう少し見栄を張るべきかと思ったのだ。今は亡き臣下もよく口を酸っぱくして言っていた。
とは言え身一つで替えのハンカチの一枚も身に着けてはいないが。
「さて、どうするか。おおっそうだ、あれを使うとしよう。ではさて……『召喚』」
そう呟いた京一朗は口のなかでまだ覚えていた呪言を唱える。すると次の時には京一朗の姿は一変していた。ゆったりとした茶色の着ながしに灰の紡ぎというややくつろいだ格好から、動きやすい薄墨の袴に白いシャツと紺のベストを合わせ、その上に濃紺のジャケットを重ねた和洋折衷のスタイルへの変身である。
「まあ、あまり気張る必要も無かろう。これで十分のはず」
急速に近づいてくる大地にも動じず京一朗は呟いた。ある程度の道具や服を手元に呼び寄せる事が出きるこの『召喚』の呪文は荷物が減らせるため、旅先では重宝したものだ。
かつて世界中を放浪していた際、一時道中を共にした魔術師から習い覚えた幾つかの呪文の一つだ。魔術の中には今の落下する状況から抜け出せるものもあるのだが、実はさほど熱心に学んだわけではない。後は火種を生み出すといった初歩的な魔術しか京一朗は使えない。
「ふむ。『跳躍』とかも真面目に覚えておけばよかったか。機会があれば覚えてみるとしよう」
服装の問題を片付け、ようやく視界一杯に広がる大地との来る接触へと意識を向けた京一朗は軽い後悔を口にした。
しかし招待側にはそれも織り込み済みのようだった。近づいてくる大地との間には幾重にも重なる水の幕のようなものが張られており、それを抜けるたびに三人と一匹は落下速度を減じている。なるほどこれならば大地に叩きつけられることなく、無事に降りられるだろう。
それを横目に見ながら加速したままで、京一郎は大地へと落ちていった。
「……なかなか手の込んだ仕掛けだが、それが効かない場合の事は想定しておるのだろうか」
カンピオーネの並外れた呪術、魔術耐性はどうやら招待側の準備をも無効化してしまったようだ。しばらく待ってみるも救済措置の用意はしていないらしい。
「まあ、よい。これぐらいの速度ならば自分でどうにかするとしよう。どれ、『黒雲に座す雷鳴の主。疾く荒天を駆けて征け』」
京一郎は自助を表明した言葉に継いで神より簒奪した力、権能を呼び覚ます呪言を唱える。途端に落下速度がみるみる減じていった。
嵐の中でも空を自在に駆ける権能、その一部を体の内に呼び込んだのだ。条件を満たしていないため、流石にこの程度では空を飛ぶことはできないが、それでも地面に叩きつけられるのを回避するには充分である。
「さてさて。いきなり不手際をみせてくれたが、一体どんな相手が私を呼んだのやら」
余裕で笑う京一郎はそのしばらく後で、招待者が用意した着地地点である湖に他の招待客に先駆けて落っこちる。
とりあえずここまで。