槌を振いし職人鬼   作:落着

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一三振り目

 

 純狐が結界に手を触れて準備を行う。地脈の、結界に流れる力を感じ取り、自らの能力で近づけ純化していく。

 純狐の能力は純化する能力。全てのモノに宿る本質的な力を、名前さえつかない純粋な力を操る能力。ゆえに、それが霊力であろうと神力であろうと、力の根源を司る純狐には、毛色が違うだけの同じ力であると言えた。そしてそれは地脈の、星をめぐる力にも同じことが言える。

 ただ付け加えるのであれば、今回は星の力その物。ゆえに力の絶対値が自身と比べ、大きすぎることが問題とはいえよう。それを結界にふれ、直に感じ取った純狐はため息を吐く。骨の折れそうな仕事だと。

 

「じゃじゃ馬も良い所ですね」

 

 一度同化し、力に身をゆだねたらば目的達成まで解けないだろうと。純化させ、同化させている最中なら、溢れ出る力で無理がきく。けれど、解除してしまえば反動で力尽きてしまうだろう。

 結界を超えたら、速度勝負だと純狐は理解した。単身の乗り込みでも狐仙たちのこっそりとしたものと比べだいぶ派手だなと、ついつい笑ってしまう。僅かに口元を歪め、笑っている純狐に声がかかった。

 

「よ、純狐。大役だな」

 

 顔を声の下方向へと向けると、そこには塊清が立っていた。先ほどまで結界を攻撃していたのだろう、拳からは血がにじんでいた。妖力が活性化しており、力強い気配を放っている。

 しかし、気負いなく、それでいて普段通りに塊清が手を挙げながら笑っていた。変わらぬ様子についつい苦笑してしまう。

 

「楽しそうですね、塊清」

「あぁ、楽しいさ。こんな馬鹿騒ぎは生まれて初めてだからな」

「確かにそうですね。ここまで馬鹿げた物はきっと後にも先にもないでしょうね」

「だろうな。なら、今を楽しまないでどうする」

「煙灰がいたら顔をしかめそうな内容ですね、ふふふ」

「彼奴は頭が固いからな。まぁ、強いて不満があるとすれば中の奴らと()り合えない事だな」

「単純ですね」

「馬鹿だからな」

 

 あっけらかん言い放つ塊清。

 純狐も仕方のない子とでも言いたげに困った笑いを浮かべた。

 

「待っていてくださいな。今、私がこじ開けてきますよ」

「そうか……別にお前が無理をする必要はないぞ」

「塊清?」

「他の奴らも頑張っている。お前だけが酷使されるいわれはないぞ」

 

 塊清の言葉に純狐は心配をされていると理解した。妖力を放ち、気配を強めた塊清が言葉無く語る。我らはそこまで不甲斐なくないと。

 不器用な心配の仕方に、その気遣いに純狐はとうとう笑ってしまう。煙灰といい、塊清といい、面白い友人だと笑ってしまう。

 

「うふふふっ、これで良いんですよ、塊清」

「しかし――」

「いいのです。自分で決めた事。誰に強制された事でもありません。それにかなりきわどいでしょう?」

 

 純狐が辺りを見渡してそう言えば、塊清は苦虫をつぶした顔をした。都を囲う結界は、蟻の這い出る隙間さえなく埋め尽くす妖怪達の攻勢をもってしても、揺らぎ一つ見せない。

 結界を殴り破壊を試みていた塊清にも、実感を伴って分かってしまっているのだ。かなり厳しい物であると。

 

「だから私に任せてくださいな」

「……すまん」

「構いません」

 

 押し黙ってしまう塊清。純狐は塊清の心遣いに温かさを感じる。そんな塊清を思い、言葉をかける。

 

「せっかくだからお願いでもしましょうかね」

「願い? なんだ」

「後で煙灰の事をぶん殴っておいてください」

「煙灰を?」

「不甲斐ない、と」

「……あぁ、なるほど。任せておけ」

「ふふ、楽しみですね」

 

 純狐はそれを最後にして言葉を止めた。結界に向き直り、最後の準備に取り掛かる。塊清も純狐を見送るつもりなのか、その場を動かない。

 皆の心配に心安らかになった純狐。けれど、いまだ恨みの炎は消えることなく、心を焦がしていた。そして、それは純狐の活力となると同時に不安でもあった。

 もし、中で嫦娥を見つけてしまえば抑えが利かないだろうと。全てを忘れて襲ってしまうと純狐には解っていた。それは解っていてもどうしようもない事。見つけてしまえば激情を抑えられない。

 能力を行使すれば完了する。その段階まで移行した純狐が、ぽつりと言葉を漏らした。

 

「塊清」

「なんだ?」

「結界を壊すのにも全力を割いておいてくださいと、嵬にも伝えておいてください」

「かっかっかっ、なんだ、そんな事か。もうとっくに全員に伝わっているさ。お前が壊す前にぶち開けろとお達しが出ている。ぐずぐずしていると迎えに行くぞ?」

「あぁ、全く……鬼らしいですね」

 

 任せると、死んでくれと言いながらも、迎えに行くと言う鬼達の気質が好ましいと純狐は感じた。肩に加わった重みが軽くなった気がする。

 自分は出来る限りで良いと。後を任せられる者達がいるのだと勇気づけられる。

 

「それでしたらのんびりと待っていましょうか」

「のんびりできるといいな」

 

 すぐに行くさと返してくる塊清にまた笑いがこみ上げてきた。さて、もはや憂いは無いと純狐が覚悟を決めた。

 

「それでは塊清、またのちほど」

「また後でな」

 

 その会話をきっかけとする様に純狐が能力を行使した。不純な力が消えいき、純狐の力が、存在を構成する全てが地脈の力と同化していく。

 状態としては地脈の力を吸い上げていた月夜見に近しい。違いがあるとすれば、構成する身体さえ地脈と同質の力で構成されている点だ。精神にかなりの比重を置く妖怪だからこその荒業。肉体的側面が認識で変わる事もある妖怪だからこそ、身体を力の塊に変えてしまう事が出来る。

 うっすらと霊の様に透き通った身体に、ほとばしる力。周囲の妖怪達が円を作る様に一歩後退る。純狐の放つ強い気配に気圧されたのだ。湧き出る地脈の力を纏い、キラキラと光る純狐の様は幻想的で美しい。透けた身体が儚さを感じさせ、危うくも透明感のある美しさを醸し出す。

 数多の妖怪がその力強さと、神々しさに息を飲む。強い力に意識を流されまいと、純狐が平静を装った表情の裏で耐え忍んでいた。

 

「純狐。お前――」

「それでは」

 

 塊清が気付いたのか、何かを言いかける。その言葉を純狐は斬り捨て、結界に触れ、すり抜けた。結界に隔てられ、同胞たちの声は聞こえない。純狐は振り返らない。

 ふっと小さく息を吐き、純狐が都の街並みへと姿を隠す。数多の妖怪達がそれをただただ見送った。

 

 

 

 

 

 時間がないと純狐は先を急ぐ。これだけ力を放ち、気配を垂れ流しているのだ。すぐさま神々や戦える者達が来るだろうと。幸いにも結界の起点であろう場所が、純狐には解っていた。

 同一の力を源泉から引き出しているせいか、地脈の流れがよく分かった。流れを追えば、莫大な力が集まり消費されている場所が純狐には一目瞭然であった。

 人気のまるでない不気味さを感じさせる都の中を、純狐は軽やかに舞う様に駆けた。有象無象がいないことが気にかかるが、今は騒がれない上に、進行の邪魔にもならないと前向きにとらえる。

 

「私の方が早そうですね、塊清に嵬」

 

 クスリと不安を消すために、笑いながら独りごちた。起点がだいぶ近づいてきたと、純狐は実感した。力の気配が濃くなってきたのだ。

 

「あぁ――やはり簡単にはいきませんか」

 

 起点めがけて真っ直ぐに駆けていた純狐が、足を踏ん張り身体を止めた。踏ん張って溜まった力をばねに後方へと純狐が飛び退る。

 空気の弾ける音の後、固い岩の砕ける音と共に純狐が先ほど止まっていた地面が砕けた。純狐の視界には矛を携えた産巣の姿。邪魔立てを、と純狐が内心で毒づく。

 

「道をあけて――チッ」

 

 にこやかに告げようとするも、すぐさま苛立ちの顔に変わる。純狐がまた地面を蹴りつけた。頭上から飛来したサグメが、地面を蹴りで穿つ。衝撃で飛んできた地面の欠片を、純狐は尾の一払いで消し飛ばす。

 

「サグメかッ」

「ハァッ!」

 

 突き刺さる地面で勢いを殺したサグメが、背中の翼を羽ばたかせ、純狐に再度迫る。憎々しげに声を漏らす純狐が尾を使い、サグメを迎え撃つ。

 迫る尾による打撃に、サグメは光翼で身を隠して受けの体勢となった。

 轟音。尾と翼の衝突とは思えない程の激突音が響いた。

 

「その翼……貴様らッ!?」

 

 驚愕の声を純狐はあげた。翼から伝わる力の波動が自身の物と同じ。地脈の力を吸い上げているのだ。

 

「驚く事か? 慢心する余裕何ざねぇんだよ!!」

「須佐之男かっ!?」

 

 押し返し、吹き飛ばしたサグメへ、追撃をしようと構えた純狐へ別の声がまたかけられた。剣を振りかざした須佐之男が背の高い建物から、自らめがけて落下してきていた。

 視界の端では矛を構え直した産巣が見える。受けて身体が止まるのはまずいと純狐は回避を行った。

 

 

――三対一か……いや違う。明らかに待ち構えられている

 

 

 サグメや産巣、須佐之男までが身体に負荷をかける地脈の力を振っていた。明らかにここへ純狐が来ることを見越し、仕留める気でいた事は一目瞭然。ならば、この程度であるはずがない。

 純狐の考えを裏付けする様に、背後から今度は熱を感じた。見覚えのある陽炎。天照の炎だ。すぐさま九つの尾の先に狐火を灯して迎え撃つ。陽炎と狐火がぶつかり爆発が起きた。爆風と爆熱を尾で防ぎつつ周囲を見渡す。

 天照の姿は見えない。産巣、サグメ、須佐之男が純狐の隙を伺っていた。そして、他の名も良く知らぬ神や、戦えるのであろう霊力を纏う人間が至る所に現れた。

 

「ここに戦力の全てを? ……馬鹿げている。何故そこまで確信を持てる、他の手段を講じていないと……」

「うちにゃ馬鹿みたいに頭の良い奴がいるからな」

『あなた以外に結界の内へ来られる者はいない』

「ここで散ってもらうぞ、純狐」

 

 前衛の三柱に援護の神々と人間。勝ち目はない。ならばと純狐は意識を切り替える。無理やりにでも抜け出し、起点だけでも破壊しようと。

 尾を地面へ突き立て、溜めを作る。ついでとばかりに突き立てた地面から力を吸上げる。身体が許容量限界を超える力に悲鳴をあげた。びきびきと嫌な音を響かせ、身体に罅が入っていく。

 能力と自らの培ってきた技量を併用し、力が漏れ出ない様に堪える。歯を食いしばり、進行先を睨みつけた。純狐の思惑を察し、立ちはだかる様に神々が陣取るその先を純狐は睨む。

 産巣の矛が空気を弾けさせ、サグメの光翼が肥大化し、須佐之男が身体に力をみなぎらせた。

 

「そこを……どけぇぇぇッ!!」

 

 純狐が瞳を見開き咆哮をあげた。建物に嵌る透明な板が至る所で砕け散り、人間達がその身を恐怖に震わせた。

 地面が爆発し弾け飛ぶ。純狐が尾で身体を押した反動に耐えられなかったのだ。

 矢の如く放たれた純狐に対し、目の前に陣取っていた三柱が襲い掛かる。

 

 

――身体程度ならくれてやるッ

 

 

 覚悟を決めた純狐が僅かな怯みさえ見せずに猛進した。

 産巣の矛と、須佐之男の剣に対して尾を動かし受け止めた。渾身の力を籠めて振り下ろした二柱の刃が、純狐の尾を切り落とす。

 真正面から激突しようと向かって来るサグメには、狐火を残った尾から放ち、目くらましをしてすり抜ける。

 三柱への対応で手いっぱいの純狐の背後から天照の陽炎が襲い掛かる。純狐は、陽炎に対し、何もすることなくその身で受けた。

 

「ぐうぅううっ」

 

 苦悶の声が、食いしばった歯の隙間から漏れ出た。けれども、歩みを止めることなく純狐がひた走る。生まれた僅かな機会を逃すまいと振り向くことなく地を蹴った。

 

「逃がさ――」「させる――」

「弾け飛べッ!!」

 

 追いすがろうと産巣と須佐之男が声をあげた。しかし、その声は純狐の声でかき消された。言葉と共に、切り離された尾が炸裂した。力を存分に喰らった尾が、周囲のモノ全てを無に帰さんと爆裂したのだ。

 産巣と須佐之男の姿が爆発に呑まれ消えていく。サグメもいまだ狐火の中。翼を丸め、身を守っていた。死兵と化した純狐との覚悟の違いが突破を成功させたのだ。

 

「ハァッ、ハァッ……づぅっ」

 

 切られた尾が、焼けた身が痛みを訴える。けれども、駆ける速度は衰えない。むしろ上がってさえいた。気配を頼りに当初の目標地点へとたどり着く。

 

「やぁ、純狐」

 

 声が聞こえた。

 

「やはり来たか」

 

 聞き覚えのある、忘れられない声が。

 

「待っていたよ」

 

 円形の外周と、内部に幾何学模様を描き輝く紋様を持つ地面の上に嫦娥がいた。へらりと笑い、手を挙げる仕草がどこか塊清に似ていた。けれど覚えた感情はまるで違う。

 

「嫦娥ァアアアア!!」

 

 熱されて溶けたマグマの如くどろりと粘性を持った煮えたぎる怒りが噴出した。

 痛みさえ一瞬で消し飛び、純狐が鬼気迫った形相で嫦娥に迫る。起点と思われる場所の中心に立つ嫦娥めがけて純狐が牙を剥いた。

 

「すまないね」

 

 嫦娥の謝罪がさらに神経を逆なでる。思考があまりの怒りでぐちゃぐちゃになりながらも純狐が怨敵へと迫る。動きをみせない嫦娥。けれど熱されすぎた純狐の思考はそれを疑問に思えない。

 嫦娥の腹に純狐の腕が突き立てられた。

 

「――え」

 

 か細く、消え入りそうな声が漏れた。

 それに反応したように純狐の目の前の嫦娥が姿を消した。

 手ごたえのない感触、消えた身体。

 

 

――誘い込まれた?

 

 

 思考が浮かび、危険を伝える。しかし、身体を動かす前に事態にまた変化が訪れた。

 

「っ、あぁああああっ!!」

 

 激痛が純狐の身に走った。身体が縛り付けられたかのように動かない。紋様の描かれた力場に身体が引き寄せられる。

 そして、追撃とばかりに残った七本の尾に矢が突き立てられた。どこから飛来したのかわからない矢。けれど効果は劇的であった。

 矢が尾を地面へと縫い付け、動きをさらに縛った。射抜かれた尾から得も言われぬ激痛が走る。精神を直接射抜かれたかのような激痛だ。それに呼応したのか、地へと引かれる力が強まった。

 

「本当にすまないな、純狐」

 

 視界の先に嫦娥がまた姿を現した。

 

「何故ッ、あれは幻覚ではなかったはず」

 

 妖狐である純狐にとって化かすのは専門でもあった。ゆえにアレが一目で幻覚ではないと察していた。化かされた訳ではない。確かに、地脈の力が集まっている所為で神力は感じられなかった。しかし、自らの瞳が見た嫦娥は本物であったはずだ。

 

「屈折って知っているかい?」

「くっせつ?」

「なんでもね、光をずらして見える位置を変えられるらしいんだよね。虚像とか実像とかうんたらかんたらだってさ」

「貴女、何を言って……いるの?」

「いやさ、私もよく分からないんだけどさ。貴女が見た物は確かに私だよ。像の位置がずれていただけ。物理法則ってあの子は言っていたよ」

 

 嫦娥はそう言った。純狐にはまるで理解できなかった。けれどあの子というのには心当たりがあった。煙灰の弟子であろうと。

 次に会ったらぶん殴ってやらないと、と純狐は頭の隅で何となくそう思った。

 

「結界の……起点は、ここは?」

 

 動けぬ身体をどうにかせねばと、時間を稼ぐために口を開く。嫦娥も察してはいるのか、悲しげに笑い答える。

 

「結界は月夜見が維持している。ここは君をおびき寄せるための場所さ」

 

 初めから全部読まれていたのだ。純狐が侵入してくることも、妨害をすり抜けてくることも。最後の最期で疑問を抱かぬように、思考を鈍らせるために嫦娥まで配置した。

 化け物。それが純狐の思考に浮かんだ言葉だ。煙灰は一体何を育てていたのかと怖気を感じた。

 

「あぁ、サグメだ」

 

 嫦娥の言葉の後、隣にサグメが立った。身体は煤けているが、目立った傷は無い。

 話し手が変わるのか、嫦娥が一歩引いた。

 

「聞きなさい、純狐よ」

「貴女、しゃべって……」

「えぇ。私達は月に行く。このままでは妖怪達に支配される日も遠くない。それに穢れの増えてきた地上では長く生きられない。だからこそ、我々は月へと行く」

 

 サグメが朗々と語る。純狐の反応などお構いなしに、口を挟ませることなく語る。

 

「煙灰がいれば結界は壊されていた。貴女を野放しにしても同じ。そして、このままでもいずれ、シャトルが発つより、結界を妖怪達が壊すのが先。だから私が口にするわ」

 

 純狐は意図を理解した。妖怪側の当事者の自らへも語り、運命を逆転させようとしていると。解った所で遅すぎた。もはや純狐に出来ることは無い。身体は動かず、自害さえできない。

 

「もう運命から逃れられないわよ。運命は逆転し始めた。私達は無事月へたどり着いて、貴方達は滅びる。さぁ、別れの時よ」

 

 サグメが口にした。運命を覆す神霊が、世界を動かさんと言霊を紡いだ。

 純狐の中に生まれた物は仲間たちへの謝意と無念さ。完全に手玉に取られた言葉にできない悔しさ。数多の負の念が生まれては消えていく。もはや、何の感情も意味をなさない。

 純狐から力が抜け項垂れた。煙灰の一人で行くなという言葉を今更になって思い出した。力ない笑みが俯く顔に浮かぶ。

 

「純狐よ」

「なんだ、嫦娥。嘲笑いでもするのか?」

「いいやしないさ」

 

 気さくに声をかけてくる嫦娥に純狐が顔をあげた。浮かぶ表情は訝しむ物だ。

 

「君は私を嫌っている様だけれど、私は君の事は別段嫌いではなかったよ。むしろ好感を覚えていたくらいだ」

 

 何を言っているのか純狐には、一瞬だが分からなかった。殺したいほど憎悪していた相手からの言葉。命を狙っていたのだから嫌いとは言わなくとも負の感情を懐くのが普通だ。嫌悪や忌避、面倒などの感情なら理解できた。だが、嫦娥は好感と言った。

 不思議そうな顔をした純狐の内心を読み取ったのか嫦娥が苦笑した。理由を説明しようと、言葉を続けた。

 

「男を見る目がないもの同士、君には親近感を覚えていたんだ」

 

 男を見る目がない。それは嫦娥の夫で、純狐の子を殺し、そしてその子の父親でもあった男の事を言っているのだろう。なるほど、確かにそういう見方もできると純狐は理解した。

 だからといって恨みが消えるわけではない。理解であって納得ではない。それに狐仙も殺されているのだと、純狐の中で怒りが再燃してきた。

 

「私はお前が憎いよ、嫦娥。今だって殺してやりたいくらいです」

「だろうね。だからさ、純狐」

 

 嫦娥が呼びかけ言葉を区切った。射抜きそうなほどの強い視線を嫦娥が純狐へと向けていた。最初に浮かべていた薄い笑いもなく、その表情も酷く真剣味を帯びていた。

 見返してくる純狐と視線がしっかりと交わると、嫦娥はまた口を開く。

 

「待っている」

「待つ?」

「あぁ、待っている。お前がいつか戻って来るのを私は待っているよ」

「何を言って――」

「お前の恨みは死して地獄に逝った程度で消えるのか? 化けて出なよ」

 

 理解できないとサグメが顔をしかめ、純狐が驚愕に瞳を見開く。

 嫦娥が笑った。

 

「そうしたらさ、馬鹿な男の事でも愚痴り合いながら本気でやろう」

「貴女……」

「ダメかい?」

「いいえ、いいえ。構わないわ」

 

 純狐も笑った。

 

「いつかまた貴女の前に私は現れよう。貴女を殺しに現れよう。この恨みを晴らすためにどれだけの時をかけようとも」

「あぁ、たとえ永遠の時間であろうと待っているよ」

「見ていなさい、嫦娥」

「見ていよう、純狐」

 

 両者が向かい合い笑い会った。獰猛な笑顔の純狐と、楽しげな嫦娥が笑いあう。

 サグメが理解できないと頭を押さえているが、口を開いた。

 

「嫦娥、そろそろ時間が押しているわよ」

「そうかい。それなら純狐、さよならだ」

 

 嫦娥の言葉を皮切りに、純狐を捉えていた紋様が一層強く輝いた。純狐は自らの身体が強く持っていかれる感覚を覚えた。地脈へと自らの身体が流れていくのを。

 

 

――同化させたまま捉え、地脈へと還す……馬鹿げた術ね

 

 

 呆れと嘆息、それと驚嘆の感情がよぎる。

 純狐の身体が徐々に薄れていく。それに伴い、意識も同時に消えてゆく。

 消えゆく中で、純狐は最後の意思を振り絞り、口を開いた。

 

「嫦娥、私は――」

 

 そして純狐が姿を、存在を消した。描かれていた紋様が力を失い、光が消えゆく。辺りには夜の暗さと静寂が戻った。

 サグメが胸元の宝石に触れて、意思を音に変える。

 

『優しいのですね』

「何が?」

 

 サグメの言葉に嫦娥が首をかしげた。

 

『気持ち良く死ねるように言葉をかけたのでしょう?』

「……違うよ」

『そうなのですか?』

「何となく帰ってくる気がしてね。それに君の能力も手助けしてくれるかもしれない」

『私の能力が?』

「そう。地脈に流れてしまえば、膨大な力の奔流に呑まれて消えてしまうだろと、あの子は言っていたよね。でもさ、あれだけの意思を持った純狐ならって考えてしまってね。それに君の力は運命を逆転させる。消えゆく純狐の意思が消えずに済むかもしれないじゃないか」

 

 純狐の消えた所を眺めながら嫦娥がそう言葉を零した。その表情は少しだけ寂しげだ。

 

「私は純狐の話を聞くのは楽しかったよ。みんなが会うたび伝言を持ってきてくれるからね。私は子が生まれなかった。子を産んだ純狐を嫉妬したこともある。でも、その子が殺されたと聞いてね、色々と考えてしまってさ」

 

 小さく嫦娥がため息を吐いた。

 

「どうにも嫌いになれなかった。それにこんな終わり方、私は不本意だからね。だから是が非でも純狐には化けて出て欲しい。私は彼女と本気で喧嘩をしたい。それだけさ」

 

 嫦娥は肩をすくませて踵を返した。向かう先はシャトルのある場所だろう。サグメもそれを追う様に隣を歩く。

 

「それに月には穢れがないからほとんど永遠に生きられる。それはきっとつまらない人生だよ。楽しみの一つくらいあってもいいと思わないかい?」

 

 笑みを浮かべた嫦娥の問いに、サグメは返す答えが思い浮かばなかった。

 

 

 

 

 

 


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