槌を振いし職人鬼   作:落着

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今回は少し短めです。
一五話を持ちまして古代は完全に終わりとなります。


一五振り目

 一体どれほどの時間、叫びを上げていたのだろうか。煙灰にもそれは解らない。喉が裂け、口内に血の味が広がっている。発される声は酷く枯れていた。

 もはや精も根も尽き果て、叫びさえ止まった。枯れ果てた朽木の様に身じろぎひとつ煙灰は見せない。

 虚ろな瞳は、焦点が何かに合う事無く虚空を見つめる。ただただ視界に広がる黒煙を呆然と見つめていた。頬を風が撫でるが、その刺激さえ今の煙灰には弱すぎた。

 燃え尽きた灰の様に、煙灰からは意思も動きもみられない。ゆらゆらと漂う黒煙をひたすらに眺める。

 このままずっと朽ち果てるまで動かないのではないかと。時が止まっているのではないのかと。それほどまでに変化がない。停滞する黒煙をぼんやりとみる。

 そんな時間がまたどれほどか流れた。それは一瞬だったかもしれない。長い時間だったのかもしれない。けれど、煙灰の意識はそれを認識できる状態ではなかった。

 そんな状態の最中、煙灰の意識が違和感を覚えた。漠然とし、それでいて確かな違和感を。無意識下で働いていた思考がそれを違和感として拾い上げた。

 視界に映り続ける黒煙に変化がないのだ。風が頬を撫でている。風が流れているのに一向に薄れない。停滞し続け、濃さの変わらない黒煙。不気味に在りつづける黒煙に煙灰は気が付く。

 

「まさか……そう、なのか?」

 

 僅かに灯った希望に、煙灰の瞳にも光が戻る。確信の持てない不確かな希望。すがる思いで煙灰は立ち上がった。震える足に力を籠めて自らの足で立ち上がった。

 立ち上がった分だけ、ほんのわずかだけ、黒煙との距離が近づいた。

 

「いるのか?」

 

 言葉をかけ、手を差し出す。

 

「まだ……いるのか?」

 

 懇願する様な弱さを伴った声が再び発された。

 

「消えて、無いのか?」

 

 差し出された手に応える様に、黒煙が蠢く。煙灰ではない。能力は使ってはいない。

 

「お前達……」

 

 空を覆い隠す黒煙が渦巻く。煙灰を取り巻き、周囲を覆う。黒煙が、独りでに動いた。

 

「あぁ、あぁ……それほどまでの無念を……すまない。許せとは言わない。だが、すまないお前達」

 

 煙灰のこぼす言葉に黒煙がまた動きを見せた。黒煙の一部が腕を象ったのだ。煙灰がその動きを呆然と眺める。

 

「なにが――」

 

 何が起きているのかと言葉が言い切られる前に、黒煙の腕が煙灰を殴りつけた。

 

「――ぐぅッ」

 

 不意に殴られた衝撃で煙灰がたたらを踏んだ。頬を通り抜けた衝撃に覚えがあった。これは、この拳は、まるで

 

「塊清?」

 

 殴られた頬に手を当て、煙灰が頭に浮かんだ人物の名を呟く。名を呼ばれた事を呼び水に、周囲からまた黒煙が集まり、今度は人型をとる。漆黒の煙で出来た塊清だ。

 

「お前!?」

 

 驚きの声を煙灰があげた。しかし、煙で出来た塊清は一瞬だけ、背中を押す様に豪快な笑みを見せると霧散してしまった。そして散った塊清が、また周囲を取り巻く黒煙へと戻ってゆく。

 

「あぁ、そうか」

 

 煙灰が漠然と理解する。

 

「ぐちゃぐちゃになり過ぎたか」

 

 肯定する様に周囲を回る黒煙の速度が増す。

 

「意識を戻すのは、骨が折れそうだ」

 

 煙灰が笑う。意識を取り戻してから初めて笑った。

 

「安心しろ」

 

 力強く言葉をかける。どれほどの時がかかろうと成し遂げると。

 

「だから……だから、共に進んでくれないか」

 

 煙灰が願う。この原因の一端を担っている、自らが口にするのもおこがましいと。分かっていながらも、言わずにはいられなかった。

 共に進んでくれと。独りにしないでくれと。思いを形にした。

 

「そしていつかあいつ等を、月の者共を見返そう。我らは滅びぬと示そう」

 

 煙灰が黒煙の先にある見えない月を睨む。ここまでの惨状だ。すさまじい未練だ。これほどまでの恨みだ。きっと相手にしてもらう事さえ無かったのだろう。

 それはきっと――――死んでも死にきれない程の未練を作る程に。

 

「もう一度俺と。今度は俺も入れて闘わぬか?」

 

 煙灰が黒煙に語りかけた。黒煙の動きが止まる。煙灰もジッとそれを見つめる。黒煙に遮られ、風一つ流れない空間。音一つしない暗闇の中、煙灰は同胞達をみつめた。

 

「もし叶うのならば」

 

 煙灰が腰元の帯に二本差してある煙管の内、一本を手に取る。白地に赤で飾りのつけられた煙管。手に取った煙管を胸の前に掲げた。

 黒煙はそれで察したのか、静止をやめた。煙灰を囲う黒煙が蠢き、そして。

 

「あぁ……ありがとう」

 

 煙灰は心からの感謝を告げた。空を覆うほどの、煙灰を覆い尽くした黒煙が煙管へと吸い込まれてゆく。煙灰の姿も蠢く黒煙の中に呑まれてしまった。

 都の跡地の上空を覆い尽くすほどの黒煙がその体積を減らしてゆく。瞬く間にその姿を消してゆく。渦巻く黒煙の中心に向けてどんどんと黒煙が流れていく。それはさながら濁流の如き勢いだ。

 

「かかかっ」

 

 声が響いた。快活な笑い声だ。黒煙の勢いが薄れてゆく。違う、黒煙が無くなってゆく。

 黒煙の晴れたその先に煙灰が姿を現す。もはや弱弱しさは感じられない。煙管を咥えた煙灰の口元が弧を描いていた。

 咥えた煙管を手に取り、クルリと回し腰に差す。煙管は先ほどまでとは色味を変えて、黒一色に染まっていた。ふぅと煙灰が一息吐けば黒い煙が口から出た。

 そして、煙灰の姿にも変化があった。雲のように白かった頭髪が灰色にくすんでいた。炎の様に鮮やかだった瞳が、赤黒い血の様にその明度を下げていた。

 身体から感じられる妖力におどろおどろしさが増していた。増悪を振りまく純狐のそれに近しい気配。

 

「またいつか。いまよりずっと先の未来で合いまみえよう、月人よ」

 

 煙灰が月を見上げて怨嗟を零す。だが、誰かの名を上げ連ねることは無かった。それはきっと葛藤ゆえだ。

 永琳の事は恨んでいる。けれど同時に自業自得でもあるのだ。

 読めなかった自分が悪い。

 目をかけ、育てた自分が悪い。

 背中を押し、決意させたのは自分の責任だ。

 最後に――弟子に出しぬかれたからと、癇癪を起すのは情けない。そんな小さな意地だ。

 

「だから俺は、お前個人を恨みはせん」

 

 最後に小さく煙灰が付け加えた。大人げない真似はすまいと。弟子の責任は師にあるのだと。

 決意を示した煙灰が踵を返そうと振り返った。

 

「ん?」

 

 足を引かれる感触を煙灰は覚えた。

 視線を下げればそこには狐仙がいた。狐仙の腕が煙灰の裾を掴む様に引っかかっていた。

 

「……すまんな。仲間外れは寂しいよな」

 

 煙灰がそう独りごちた。腰元からまた煙管を引き抜く。先ほどの黒い煙管ではなく、真新しい白一色の煙管。以前作っていた二本目の煙管だ。後は細かい細工だけを残した、真っ新な綺麗な煙管を煙灰が手に取った。

 

「お前も一緒に行こうか」

 

 煙灰が言葉を狐仙の身体へと落とした。声が落ちると同時に、狐仙の身体から炎が上がった。力強く、高温で鮮やかな炎。

 生まれた炎が狐仙の遺体を焼いてゆく。骨も残さず、灰の一匙さえ残す事無く燃やし尽くす。

 炎が消えた時、後には真っ白い煙が残るだけだ。生まれた白煙は煙管に向かおうと、煙灰の腰元へと近づく。

 白煙が漆黒の煙管に入る前に静止の声がかかった。

 

「お前はこっちだ」

 

 ずいっと煙灰が手に持った綺麗な煙管を差し出す。ヘビが鎌首をもたげる様に白煙が不満を示して見せる。

 

「ダメだ。面倒が増える」

 

 煙灰の有無を言わせぬ口調に諦めたのか、白煙がするりと煙灰の手の中にある白い煙管へ入ってゆく。

 それを見届けた煙灰が今度こそ歩き出した。辺りにはうっすらと白煙が立ち込め、濃さを増してゆく。

 

「あぁ――楽しみだ。盛大な喧嘩にしよう」

 

 声が響く。白い煙の中から楽しげな声が。煙が全てを覆い隠す。

 風が吹き、煙が押し流された。

 後には何も残っていなかった。

 百鬼の王が、夜行の主がその姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 カン、カン、と小気味良い音が鳴り響く。灰色の髪の男、煙灰が槌を振う音だ。

 目の前に置かれた赤熱され、赤くなっている金属めがけて一心不乱に槌を振っていた。

 

「飽きねぇなぁ、旦那も」

 

 道具を作っている煙灰へと声がかけられた。煙灰の背後、洞窟内の広間の片隅に声の人物はいた。真っ白な人型。煙で象られた人形。それが声を出したのだ。

 

「うるせぇな――狐仙」

 

 煙灰が振り返る事無く、声を返す。狐仙と、その名を呼んだ。

 煙で形作られた真っ白な狐仙が、にかっと笑みを浮かべた。

 

「今度は何を作っているんだい、旦那?」

「なんだ気になるのか?」

「当り前さ。また変なもの作られたらたまらねぇよ、おいらは」

「作ったからといって何がある訳でもあるまい。結局はそれをどう使うかの問題だ。それが何であろうと使い手の問題だろ」

「そうは言うけどさぁー。ここら辺のやつ、えげつないのばかりじゃないか」

 

 狐仙が道具の置かれた山に近づき指で突く。煙で構成されている身体であるのに、しっかりと物理的な干渉をしていた。押された道具が地面の上をずれて動く。

 

「この傷口の治癒を許さない呪いの刀とか、こっちの魂を分けて生命体を作る宝玉とか、もうねぇ……」

「はっきりしねぇ奴だな。文句があるならちゃんと言え」

 

 いまだ顔を向けずに槌を振う煙灰の反応に、狐仙は少しだけむっとする。なら言わせてもらおうじゃないかと、足元に転がる一本の刀身の短い刀を手に取り、軽く振り口を開く。

 

「ならこの断迷の刀はなんなんだい、旦那」

「……ただの刃物だ」

「確かにこうやっておいておきゃそうだろうさ。でもこれって、おいら達が世界に魂を還したいって時の為のもんだろう?」

 

 手に持つ刀を狐仙が地面へと突き立てた。固い地面など物ともせず、スッと刃が通り、刀が立つ。

 煙灰は狐仙の言葉に応えない。狐仙がまた少しだけむっとして口調を荒げる。

 

「誰も文句何ざ、不満何ざねぇよッ! 馬鹿にすんな、旦那ッ!!」

 

 ダンッと地面を一度足で強く打ち、狐仙が啖呵を切った。

 煙灰も槌を置き、背後の狐仙へと向き直る。

 普段通りの煙灰と、眉をあげた狐仙が向き合う。

 

「おいら達はあの大昔に自分たちで選んで旦那について来てんだ! そりゃまだ起きてない奴もいるから絶対何て保証はねぇさ!! でもな、旦那!! おいら達を信じてくれよッ、寂しいじゃねぇか!!」

 

 狐仙が両手を大きく左右に開き、感情的に言葉を吐き出す。いつでも成仏できるようにと、逃げ道を用意している煙灰が狐仙には気に食わなかったのだ。

 表面上、吹っ切れたようにみせてはいるが引きずっていることなど、長い、本当に長い付き合いとなった狐仙にはすぐに分かるのだ。

 煙灰が狐仙に静かに言葉を返す。

 

「信じているさ」

「だったら――」

「せっかく作ったのだ。壊す必要は無かろう。道具に罪はない」

「そりゃ、確かにそうだけど……」

「それにお前らの事など、ずっと前から信じているさ。あの時、俺に着いて来てくれた時からな」

「旦那……」

「だが、負い目もある。だから何発かは殴られてやる。それだけの話だ」

 

 煙灰はそれだけ告げると、また先ほどまでの体勢に戻り槌をその手に持った。妖力を通わした槌を振う。

 狐仙は煙灰の言葉にホッとした。引きずってはいるが、ずっとましな引きずり方だと。

 

「なんでぇ、旦那。それならそうと言ってくれりゃいいのにさ」

「聞かねぇお前が悪い」

「ちぇ、性格が悪い」

「勝手に言ってろ」

 

 またカン、カン、という音が鳴り響く。狐仙は心地よさげにその音に耳を傾けた。

 またしばらくすると狐仙が口を開いた。

 

「他のみんなはどんな感じなんだい?」

「まだまだかかりそうだ」

 

 煙灰の腰元に差してある、黒い煙管の見える位置に移動した狐仙が問いかけた。煙灰の答えは時間がいるという物。

 

「塊清や嵬の兄貴なら、力が強いから起きやすいんじゃないのかい?」

「あぁ、塊清の野郎は一度起きたよ」

「あり? おいら知らねぇよ」

「お前が休眠していた時期だ」

「するってぇと、あの真っ白な雪だらけの時期に起きたのか。いやー、暇だったろうなぁ」

「お前もたまにしか起きなかったからな」

「いやー、悪いね、旦那。それにおいらも、まだあの時は万全じゃなかったし……」

「知っているさ」

 

 煙灰が小さく笑うと狐仙も小さく安堵の吐息を漏らした。お小言でも言われたら面倒だったと。

 

「それで塊清はどうしてまた寝入っちまったんだい?」

「喧嘩相手がいなくて暇だと、あの馬鹿野郎」

「あははっ、塊清らしいや。んで、嵬の兄貴は?」

「ふて寝だとよ」

「ふて寝?」

「あぁ。塊清いわく、混ざっていた意識は集まって、起きちゃいるがふて寝しているとよ。まぁ、塊清同様まだ万全ではあるまいからその方がいいがな」

「ふぅん、それもそっか。んで、それはそれとしてまたどうしてふて寝なんか? 兄貴らしくもねぇな」

「なんでも遺言の怨嗟よろしく、都の奴らに啖呵を切ったが、内容が内容だったらしくてな」

「どんな内容なんだい?」

「後は俺に任せるみたいな内容だったらしい。それが何とかなっちまったからふて寝しているんだとさ」

 

 あほくせぇとあきれた声で煙灰が言葉を漏らして槌を振う。その声は少しだけ寂しげに狐仙には聞こえた。

 まだまだ、みんなが目を覚ますには時間がかかりそうだと狐仙は思う。しかし、一つだけある引っ掛かりを狐仙は思い出す。

 

「純狐の姉御はやっぱり?」

「あぁ、あの中にはいなかった」

 

 純狐の事だ。以前、目覚めた時にも一度聞いていた。やはり純狐は黒煙の中にはいなかったらしい。

 狐仙はその事に気分が暗くなる。それを察してか、知らずにかは分からぬが、煙灰がまた口を開く。

 

「能天気な塊清でさえ未練があったのだ。あの純狐が消えるわけはねぇ。そのうちひょっこり顔出すさ」

「……そう、なのかな……そうだよな、姉御だもんな」

 

 狐仙がそう言葉を返す。少しだけ空元気さを感じさせる声だ。

 

「再会した時、お前が寂しがっていたと言って放り投げてやらぁ」

「ちょっ、ちょっ、ちょっ、それは勘弁しておくれよぉ、旦那ぁ」

「覚えてたらな」

「うへぇ、そんなぁ」

 

 情けない声をあげ狐仙がだらりと脱力した。その声に、憂いは感じられない。そして会話が途切れ、のんびりとした時間が流れる。

 だらける狐仙と槌を振う煙灰。それ以外の音の存在しない洞窟内の広間に、また別の音が聞こえてきた。

 軽い生き物の駆ける音と、小さな羽ばたき音。狐仙が通路の先へと視線を向けた。

 通路の暗がりから音の主が姿を現した。小さな動物が三匹。鴉に狐に狸だ。

 元気よく力いっぱいに、三者三様に広間へと姿を見せた。鴉が煙灰の肩に止まり、他の二匹が煙灰の足元で裾を引く。

 親に構って欲しい子供みたいだと狐仙は思った。視線の先で動物たちが忙しなく煙灰にちょっかいをかけている。

 煙灰も困り顔を浮かべるも、手荒な手段には出ない。むしろ、槌を置いて動物たちを撫でていた。

 

「で、狐仙。何と言っている?」

「ん? ちょいとお待ち、旦那」

 

 狐仙が煙灰の問いかけに応え、三匹に近づいた。しゃがみ込み何事かを語りかける。

 ふんふんと相槌をうちながら狐仙が動物らの声を聞く。やがて狐仙は聞きたいことを、全部聞き終えたのか顔をあげた。

 動物たちが褒めろと言いたげに、座っている煙灰の膝上に集まり見上げている。

 

「それで?」

「旦那、朗報だぜ」

「ほぅ、なんだ?」

 

 煙灰の再度の問いかけに狐仙が溜める様に間を作った。ニヤリと意味ありげな笑みを浮かべる。口の両端を釣り上げた狐仙が、その弧に亀裂を作った。

 

「人間を見つけた」

 

 

 

 

 




長かった。
古代の終わりまで本当に長かった。
長らくお付き合いの皆様、ありがとうございます。
次からは紀元前編とでも言うのでしょうか?
まだまだ古い時代ですがお付き合い頂けたら幸いです。
次回は少し間が空くかもしれません。


絶望の後には希望があるもの
パンドラの箱ですね

月の民側からすると
希望の中にも絶望はある、でしょうか

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