槌を振いし職人鬼   作:落着

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二振り目

 

 

 

 

 風の流れに、木の枝が倒れた先に。その時々に決めた先へと煙灰は旅を続けていた。

 太陽を追いかけ、月とすれ違い、雲の流れを横切る。気の向くままに煙灰は世界を歩く。

 数多の集落を、人間達を煙灰は目にしてきた。時に助け、時に教え、時に見殺して。永い時間が過ぎ去った。

 それら全てもその時々の気分で煙灰は行ってきた。どれほど時が過ぎたのか、三匹達も僅かに大きくなった程度で、もはや一般的な動物と違いすぎて指標になりはしなかった。

 そして永い時間の中、煙灰は今の人間達の言葉を覚えた。生活のありようを知った。多くの事を学んだ。

 そして煙灰は今、山を登り山稜にたどり着く。

 

「あぁ、ここは……」

 

 眼下の光景に思わず言葉を漏らした。煌めく光が煙灰の瞳に映り込む。それは一時とて同じ姿を見せることなく常に変化し続けていた。

 風に、生き物に、星の動きに、数多の要因により変化し続ける。吹き抜ける風が涼を運ぶ。

 数多の命を湛える湖が煙灰の眼下には広がっていた。

 

「くかか。命潰えし土地が、今や命を育む湖か……面白い物だな」

 

 どこか憂いを含む声。漏らした言葉通り、眼下の湖は過去に都があった場所。妖怪達が全滅した地。

 都を吹き飛ばした際、地面を穿つ大穴が空いた。穴が空くとき、周囲の地面が押し出され、湖を覆うように隆起した土地が山となった。

 煙灰が立つ山もその内の一つ。そして大穴は長き時を経て、水が溜まり湖となっていた。

 

「そうか……いつの間にか戻って来ていたのか」

 

 見下ろした時、初めて煙灰はこの場所が何処であったかを思い出した。土地を流れる龍脈と、僅かに既視感を覚える地形が煙灰にここが何処であったかを思い出させた。

 思い出された記憶に引きずられ、苦い記憶も想起された。得も言われぬ感情に顔が歪む。それは怒りか、悔悟か、はたまた寂寥か。それは煙灰自身にも正確な所は分からない程に複雑な感情であった。

 持て余した感情を呑み込み、一度深呼吸をして気持ちを落ち着ける。感情の乱れが収まると煙灰は再び足を進める──向かう先は湖だ。

 最後に見た時は爆風で土がめくれ、草木が燃え尽きていた。茶色一色であった大地も今や命溢れる緑で覆われている。

 山を下ってゆけば背丈の伸びた木々が、煙灰の視界から湖を隠す。時折、揺れる葉の隙間から煌めく湖面が姿を見せる。

 元々都の痕跡など欠片も残ってはいなかった。今では湖に覆われてなおのこと。都があった形跡などかけらもない。自分はそんな湖を見た時何を思うのだろか。

 煙灰は山を進みながら自問した。けれど答えが出ることは無い。

 斜面が終わる。また少しばかりの平野を歩けば湖岸にたどり着くだろう。先を見据えた煙灰はふと、近くにいる三匹へ声をかける。

 

「少しその辺りで遊んで来い」

 

 普段と変わらぬ声色、雰囲気で煙灰はそう言った。けれど、獣の勘か、長い間煙灰のそばにいた故か、三匹は何かを感じ取ったのか大人しく言う事を聞いた。

 いつもであれば、そう言っても素直に離れないことの方が多い三匹であった。けれどもこの時ばかりはスッと、森に溶け込む様に離れていった。

 聡い三匹に煙灰は笑みを一つこぼす。楽しげで、少しだけ苦笑気味な笑みを。

 その賢さが面白く、気を使われたであろう気配りに少しの情けなさを感じていた。子や孫ではきかぬ程の若い動物に気を使われる。それがたまらなく可笑しかったのだ。

 

「まったく、可愛げのある奴らだ」

 

 煙灰の肩から力が抜けた。僅かにあった固さが抜け、自然体に戻った煙灰が歩みを再開した。

 一歩踏み出すごとに湖が近づいてきた。澄んだ水の香りが鼻をつく。魚を狙いに集まったのか、鳥の鳴き声が耳を撫でた。

 迷いなく煙灰は歩を進めるが、ふと一瞬足が止まった。

 

「……ふむ」

 

 止まった足はまたすぐに歩みを再開した。けれど、僅かにその歩みは速度を上げていた。

 煙灰が湖岸へとたどり着く。湖が大きい為か、海の様に風で煽られた水が波打っていた。僅かに足元が水に触れる。

 煙灰は湖岸へたどり着くと立ち止まり、湖を見つめた。煙灰がじっと見据えるその先に、一人の少女がいた。

 その少女は湖の先、対岸にいるわけではない。その少女は湖面に()()()()()

 水に浮かんでいるのではない。二本の足で湖面の上に立っていた。不安定に揺れることなく、波に煽られ上下に振れることなく静謐に佇んでいた。

 それは美しい光景であった。光を反射し、煌めく湖面に、黄金色の髪を風に揺られる少女が立つ。

 どこか神秘的にさえ感じさせる光景。けれど、煙灰はその神秘さに引かれ瞳を奪われたのではない。

 確かに、長き旅の中でここまで個として確立した人外を見たのは初めてであった。けれど違う。そうでないのだ。煙灰が視線を奪われた理由はそうではないのだ。それはいうなれば()()()故の物だ。

 見つめる煙灰の視線に何かを感じ取ったのか、俯けて湖を見つめていた少女の顔が持ち上がった。横顔はあどけない少女のように純粋で、けれどどこか老獪な女性の様にも見えた。

 飾りや髪留めの無い髪が風に流されてサラサラ揺れていた。少女の顔が煙灰を向く。その顔に表情が、感情が浮かぶことは無かった。湖面を眺めていた時と同じく、それは酷く凪いでいた。

 両者の視線がまっすぐに交差する。二人の視線が互いをしかと捉えた。

 直後、煙灰は地面を蹴りつけ背後に跳ぶ。

 煙灰が跳んだが先か、はたまた同時か、それほどのタイミングで煙灰の立っていた場所に巨大な白樺が地を割いて生えた。

 

 

――シュゥゥッ

 

 

 否、それは木ではなかった。大木の如き胴回りを持つ蛇――大蛇であった。地を割き、姿を現した白き大蛇は尾を振るわして、煙灰を威嚇していた。

 見上げるほどの巨大な蛇が煙灰を見下ろす。跳び退った煙灰は蛇を見上げた後、身をかがめた。かがむ煙灰に合わせたように左右の地面からまた蛇が二匹飛び出す。それは煙灰より僅かに大きい程度の蛇であった。それらは先ほどまで立っていた煙灰の胴があった場所を、通過するように交差していった。

 煙灰の目の前の大蛇が今度は上から煙灰めがけてその巨体を突っ込ませて来る。それに慌てる事無く煙灰は軽く地を蹴り、前へと出る。

 背後を掠める様に過ぎ去る大蛇が、地面を穿ちその身体をまた地へと沈めてゆく。

 けれど煙灰の視線は、襲い掛かってきた大蛇よりも大きな蛇の頭上に立つ少女から離れることは無かった。

 大蛇が地面から出た直後に、少女が乗っていた大蛇が鎌首を擡げ、湖からその半身を顕にしていた。

 少女は湖に立っていたのではなく、最初から湖に沈む大蛇の頭上に立っていたのだ。

 そして、その大蛇も少女を乗せたまま、すさまじい速度で湖岸にいる煙灰めがけて近づいていた。

 

「ふっ」

 

 軽く息を吐き出し、トンと軽快に地を蹴る。それに合わせて少女がのる大蛇も湖岸付近にたどり着いた。煙灰が跳ぶに合わせて少女も蛇の頭を軽く蹴り空に向けて自らの身体を躍らせた。

 少女が頭上から消えた大蛇が煙灰を呑み込まんと大口を開けて突進を行う。身体をしならせた鞭の如く使い、鋭い噛み付きが幾度も煙灰を狙う。

 けれどトントンと軽快に地面を蹴り、煙灰は風に舞う木の葉のように蛇の噛み付きを躱してゆく。

 幾度も繰り返される応酬の中、不意に煙灰の踏みしめた地面が再び揺れた。最初に躱し、地に潜った大蛇が再び大地の下より顔を出したのだ。

 大口を開け、煙灰を地面の土ごと呑み込まんとする。口が閉じられる直前に煙灰は蛇の中へと落ちてゆく土塊を蹴りつけ、その場を脱した。

 

「くかか」

 

 体内へと土塊を蹴り込まれる形となった大蛇が一瞬身体を震わせた。その様に煙灰からつい笑いが漏れる。

 くるりと空中で体勢を整え、眼下の大蛇二匹を見つめる煙灰に影が差した。

 地面に降り立った煙灰はすぐさま半歩後退る。直後、頭上に跳んでいた少女の足が目の前を薄皮一枚の近さで通過した。

 硬質な破砕音と共に地面が爆ぜた。少女の蹴りで地面が砕け、煙が上がる。

 煙灰は背後にむけてまた軽く地面を蹴り跳ぶ。煙灰の身体が舞い上がった煙から脱すると、追従するように少女も姿をあらました。

 姿を見せた少女の右腕は引き絞られており、手も硬く握り絞められて拳を作っていた。

 煙灰と少女の瞳が至近距離で向き合う。少女が追従する速度を上げるために再び地を蹴りつけた。

 少女の拳の射程に、煙灰の身体が入る。身体を捻り、拳を突き出す。

 煙灰の身体が反射的に躱そうと動くも、びくりと一度震え硬直した。

 生まれた一瞬の硬直の間に、少女の拳が煙灰の顔面を捉える。

 先ほどの地面を砕いた時とは比にならない轟音と共に煙灰の身体が吹き飛んでいく。

 水切りされた石のように地面を幾度も跳ね転がり、最後にはずるずると地面を転がり停止した。

 少女は拳を振り抜いた姿勢から動かない。煙灰も大地に転がったまま動きをみせない。

 静寂が訪れる。少女の背後で顔を持ち上げる大蛇二匹も、少女に合わせているのか微動だにしない。

 吹き飛び地面を転がった時の発生した土煙も完全に風で流され消えて行った。

 風が吹いて、草木が、湖面が揺れていなければ時間が止まったのではと思えるほど誰も動かない。

 しかし、しびれを切らせたのか不意に少女が腕をおろした。

 

「なんでさ」

 

 見た目相応の可愛らしく、しかし不満に満ち満ちた声で少女が問い掛けた。何故、と。

 けれど煙灰はその声にも反応を示さない。

 

「何でわざと殴られたの、と聞いている?」

 

 タンッと無視された不満を示す様に足を踏み鳴らし再度少女が問いかけた。

 それに反応したのか煙灰が身体を起こす。ぱらぱらと身体に乗った土が落ちる。

 鼻っ柱を完全にとらえられたにも関わらず、煙灰の姿に変化はない。

 殴られた顔は腫れるどころか赤くさえなってはいなかった。

 

「かかっ、それじゃあどうしてお前さんは俺を殴ろうとした?」

「それは……」

 

 上体を起こし、片膝を立てた姿勢で座り込む煙灰が、少女を見据えて問いを返した。

 煙灰に問われた少女が言いよどむ。それは言いづらい、というよりも自分でも怪訝そうに、どこか持て余しているように見えた。

 言葉を探しているのか、口を開いては閉じる。幾度か繰り返して少女は言葉を形にした。

 

「……なんとなく」

「ほぅ」

 

 どこかふて腐れた様に少女が言葉を漏らせば、煙灰は楽しげに口元を歪めた。

 煙灰の態度が不満だったのか、少女の目尻がキッと持ち上がった。

 

「何、悪い?」

「何も。悪い事なんかありゃしねぇよ。かっかっか」

 

 睨みつけながら問う少女に煙灰がそれを笑い飛ばす。

 不満が募ったのかさらに少女の眉間に皺が刻まれた。

 

「それで、なんでわざと殴られたのよ」

「あぁ、そうさなぁ……殴られる謂れがあった、と俺がそう思ったからだ」

 

 視線を少女から切り、煙灰は空を見上げそう言葉を返した。

 今までの剛毅な雰囲気から一転、どこか寂しさを感じさせるその姿に少女が小さく息を飲んだ。

 けれど、なぜ自分が見ず知らずの目の前の男の寂しげな姿に息を飲むような反応をしたのか少女には分からなかった。

 一呼吸。少女は気持ちを落ち着けるとまた煙灰へと言葉を投げかけた。

 

「謂れがあるって、じゃあどうして私が殴りかかったか分かるの?」

「知らんよ」

「謂れがあるって言ったのはそっちでしょ」

「想像はできるが、それが絶対に正しい答えというわけでもあるまい。なら、それは知らんともいえる」

「それははぐらかしているだけじゃないの?」

「くかか、そうとも言える。だが、直接的にはお前さんには関係の無い話だ。それに一度殴ってすっきりしたのだろう? ならそれでこの話は終いだ。お前さんは殴って満足。俺は殴られて満足、って事はねぇが納得した」

 

 煙灰が肩を竦めてそう返す。少女はしばらく睨みつけるような視線で煙灰を見据えるも、ため息とともにとげとげしい気配を霧散させた。

 目尻が下がり、眉間の皺も消えた。

 

「やれやれ、頑固そうだねお前さんは」

「殴った側に不満を言われちゃ敵わんな」

「謂れが有って殴られたんだ。神妙にしときな」

「く、かっかっかっ。なるほど、その通りだ」

 

 カラッとした含みの無い少女の言葉に煙灰は機嫌よく笑う。

 理由を知らないのにそういってのける少女の大胆さが好ましい。

 そして、何よりも自身と対等な目線で話しかけてくる少女が愉快であった。

 

「で、お前さんは何者なのさ?」

「鬼、といっても分かるまい。そうさな、いわゆる畏れの塊、そんなものだ。お前さんと違うのは確かだがな」

「私と?」

 

 少女が煙灰の言葉に首をかしげた。

 少女の反応に煙灰は僅かに逡巡する。

 

「ふむ、お前さんは自分が何者かと問われたら何と答える?」

「うーん、それは答えに困る質問だね。人間ではないのは確かさ。気がついたらこの姿で私は存在していたからねぇ」

 

 袖口の広がりゆったりとした服の裾を掴み、ひらひらと振って見せながら少女は応えた。

 

「違うと断定できるお前さんは、私が何か分かるのかい?」

「分かるさ」

「私は何者なのか聞いても?」

 

 好奇の色を宿した瞳で少女が煙灰に問い掛けた。

 

「神だ」

「カミ?」

「あぁ、神。いわゆる信仰の先にある存在(モノ)だ」

「ふぅーん?」

 

 いまいちよく分からないと言いたげな様子を少女は見せる。

 

「お前さんはきっと、自然への畏れ、感謝、懇願、謝意、清濁入り混じった数多の想い(シンコウ)の先に生じた者だろう」

「それが神って者なのかい?」

「そうだ。しかし、普通の神と比べてちと毛色が違って見える」

「普通と違うって私みたいのが他にもいるのかい?」

「そうだ……いや、違うな」

「違う?」

 

 少女が煙灰の言い回しに首をかしげた。

 

()()()()。今はこの地にはいない。少なくとも俺はお前が初めて会った相手だ」

「いたねぇ。それはどれくらい前なんだろうね」

「ずっとずっと昔の話だ。それこそ本当に気が遠くなるくらい昔の事だ」

「ふぅん。まぁいいや。いないのなら話したって今は意味の無い事か。それで私はどこら辺が一般の神ってのと違うんだい?」

「負の念だ」

「負の念?」

「お前さんは祟り神の類なのだろう。神であるが畏れも纏う。清廉な神力の中に澱みを感じる」

 

 煙灰は少女を見つめる。煙灰に見つめられた少女は僅かに身じろいだ。煙灰の自らの中身を見透かす様な視線が少しだけ気になったのだ。

 煙灰もそれに気が付くと視線を緩めた。少女も煙灰の視線が緩むとホッとしたのか体の力みが消えた。

 

「それにしても神ねぇ」

「まぁ、形の話なんざそう気にするな。それが知れたからとお前さんの何が変わる訳でもあるまい」

「それもそうだね」

 

 大蛇を従える祟り神はからからと普通の少女と変わらない笑みを浮かべた。

 

「お前さん、名はなんという」

「私のかい?」

「そうだ」

 

 煙灰が少女に名を問う。けれど、少女は瞳をパチクリさせ自らを指さし煙灰に聞き返す。

 きょとんとした様子に煙灰は訝しむ。

 

「そう言うお前さんは何て名だい?」

「……まぁよかろう。茨木、茨木煙灰という」

「茨木煙灰ねぇ。なるほどなるほど」

「で、お前さんは?」

 

 煙灰がそう再度問い掛ければ、一瞬だけ罰が悪そうな表情を浮かべた後、誤魔化すような笑みを浮かべて頭を掻く。

 

「いやー、それがね。誰かに名乗るって行為をしたことがないから名前なんて考えた事も無かったよ」

「……あぁ、なるほど」

 

 少女の言葉に煙灰は理解を示した。確かに名乗る相手が居なければ名を付ける意味は無いのだろうと。

 けれども煙灰が何かを考える前に少女がぽんと手を打つ。

 

「あぁ、でもそう言えば人間達に呼ばれている呼び方は名といえなくもない、かな?」

「何と呼ばれている?」

「諏訪、そう呼ばれているよ。最初の頃はさわ様って呼ばれていたんだけれど、それがいつの間にかすわ様に変わっていたのさ。これなら名、といえなくもないのかな。まぁ、おいおいちゃんと考えるから今はこれで納得しておくれよ、煙灰?」

 

 諏訪と名のった少女がからからと快活に笑った。

 それはとても楽しそうに、幸せそうに笑っていた。沈みゆく夕日を背負い、少女の姿をした神は名を名乗り楽しげに笑った。

 

 

 

 

 


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