槌を振いし職人鬼   作:落着

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短めです。


四振り目

 

 

 

「久しぶりの自由はどうだった」

 

 諏訪の所へ厄介になっている間、自由にさせていた三匹に煙灰が問いかける。

 楽しかったとでも言う様にぴょこぴょこ狐が飛び跳ねた。

 ぼちぼちだったとでも言いたげに狸が安らいだ様子であくびを一つ。

 不満だったと示したいのか鴉が煙灰の肩に止まりたしたしと足踏みをする。

 

「そうか」

 

 それぞれの個性的な反応に煙灰がくつくつと喉を鳴らして笑った。

 そうしてまた一人と三匹の旅が始まった。

 また気が向くままに世界を歩く。西へ東へ、海越え山超え目的もなくふらつく。

 時に眺め、時に手助けし、時に教え。

 時に試し、時に与え、時に看取る

 多くの人が一瞬の交差の後、消えてゆく。

 だからといって煙灰が悲しさを感じることは無かった。

 それは自分を過去の存在だと思っているからか。はたまた、人間がそういうモノだと正しく認識しているからか。

 もしくはまた別な理由からか。本当の所を知っているのは煙灰ただ一人であろう。

 その煙灰が理由を口にすることが無いゆえに、誰もその胸中を知る事は叶わない。

 

「ふむ、またなりそこない」

 

 何処か感心したような呟きが漏れた。煙灰の見据える先には黒い靄の塊があった。

 人の子供程度の小さな靄。それが煙灰から逃げる様に離れていく。

 その様子に煙灰がくつくつと喉を鳴らして笑った。

 

「駄目だぞ」

 

 否を告げる言葉。告げられた言葉に三匹の獣が駆けだそうとした身体を止めた。

 少しだけ不服そうにぐぅぐぅと喉を鳴らす。

 やれやれと言いたげに苦笑しながらも、煙灰は楽しげだ。

 白色の煙管を一吸い。ふぅと煙を吐き出せば、妖力の籠った煙が三つ生み出される。

 

「大喰らいどもめ」

 

 言葉とは裏腹に浮かべられた表情は優しげであった。

 三匹も待ちきれないとばかりに妖力にかぶりつく。

 いまだ小さき姿のままであるが、身の内に秘めた妖力は随分と大きくなっていた。

 食事に夢中な三匹から視線を外し、煙灰は離れていく靄を眺めた。

 妖怪のなりそこない。煙灰は靄の事をそう呼ぶ。

 個として確立するための恐れが十分で無い為に不定形の存在となっている。

 時折、ちゃんと妖怪として確立した個体を見かけたが、そちらも煙灰に近づくことは無かった。

 強すぎる力が恐ろしかったのかもしれない。そう考えた煙灰は靄や妖怪に自ら近づくことは無かった。

 けれど三匹は違った。幾たびか靄を見かける機会があった。その内の一度、戯れか野生の性故かは分からぬが、靄を追いかけ噛み付いたことが有った。

 捕まえて煙灰の元へと持っていこうとしたのだろう。過去にも捉えた獲物や拾った物を煙灰の元へと持ってくることが有った。

 しかし、その時は違った。噛み付いた時、しばしその場で動きを止めた。そしてその直後に靄を喰らったのだ。

 個として確立してない靄は不安定な妖力ともいえる。普段から煙灰のそばでその妖力に浸る三匹には、靄は煙灰の妖力とは違った味わいの食事たりえたのだろう。

 その出来事より後、味を占めたのか三匹は靄を見つけるたびに狩ろうとする姿勢を見せた。

 煙灰としてはこれより先の未来で妖怪になるかもしれないその可能性を摘み取る事を勿体なく感じてしまった。

 だから、靄の代わりに三匹に妖力を直接与える様になったのだ。

 食事に勤しむ三匹を意識の端に見つめながら煙灰はふとある事を思い浮かべた。

 

「核となる妖力が潤沢であればあるいは……ふむ」

 

 食べ終わった三匹が煙灰を見上げた。

 いくぞ。そう一言煙灰が言葉を落とし、歩を進めた。

 三匹が迷いなく進む煙灰についてゆく。

 風の向くままと旅をしてきた煙灰にしては珍しく、その足はどこかを目指していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が昇り、月が降り。幾ばくかの時が流れた。

 煙灰の眼前には茜色に染まった山々が映り込む。

 進む足元には落葉した色鮮やかな葉が敷き詰められていた。

 ヒトも獣も通った後の無い道なき道を煙灰とお供は進む。

 迷いなく歩む煙灰の口元には軽い笑みが浮かんでいた。

 景色が前から後ろへと流れていく。どこもかしこも同じに見える景色の中でたどり着く先は

 

「あぁ……やはり」

 

 かかかっ、と愉しげに鬼が嗤った。

 瞳には強い光が宿っている。

 根拠のない確信をもとに煙灰が目的地、長き時を過ごした(ねぐら)であった洞窟へと足を踏み入れた。

 人を見つけて後にしてから一度も戻る事の無かった地。

 お供達は煙灰の雰囲気に何かしらを察したのか、連れたって中へ入る事はせずに洞窟から距離を取る為に森へと姿を消した。

 

「喰らったか」

 

 歓喜の籠った言葉。

 

「この地に染みついた妖力を」

 

 堪えきれないとばかりに歩みが加速した。

 

「全て平らげたのか」

 

 そしてたどり着く。

 作られていた洞窟内の広がった空間。

 永きを過ごし、道具を作り出していた懐かしき塒。

 

「あん? 客が来るなんて珍しいねぇ」

「そうさねぇ」

 

 しかし、見慣れたはずの中に見慣れない異物が二つ。

 

「くかかっ」

 

 堪えきれぬとばかりに煙灰の笑みが深まった。

 それはある種、凄惨な笑顔とも言える凄みがあった。

 

「これはまた……」

「くはっ、面白そうな客だ。そうは思わないかい――」

 

 洞内でだらける様に身を伏していた異物が身体を起こした。

 堂々とした立ち振る舞い。傲慢不遜とも言い換えられる程にふてぶてしい態度。

 

「――勇義」

「だねぇ、萃香」

 

 立ち上がった異物の内の一人は、二本の角を持つ小柄な少女の鬼、萃香。

 もう一人は一本角の背丈の高い女性の鬼、勇義。

 二匹の鬼に向かい合うは、一匹の灰色の鬼。

 

「鬼……鬼か……くかかっ、面白い、面白いな」

 

 怯え一つみせない。あまつさえ、力の底を見極めようとする視線を寄越す二匹の鬼。

 漏れ出る妖力は酷く懐かしさを覚えた。現在(いま)とは違う過去を思い起こさせる懐かしい妖力。

 明らかに今の世代とは違う妖力を放つ鬼達に煙灰は自身を抑えきれなかった。

 

「試してやる」

 

 発された言葉は短い物。

 されど誤解のしようがないほどに明瞭な内容。

 くいくいっと、手をこまねく。

 

「来い」

 

 言葉を紡いだ次の瞬間、煙灰の身体が洞外へと吹き飛んだ。

 

「あっちゃぁ、死んだかねこりゃ」

 

 小柄な鬼、萃香が期待が外れたと言いたげに頭を掻きながら、殴り飛ばした勇義へと声をかけた。

 殴り飛ばした勇義の方はというと振り切った拳をじっと眺めていた。

 

「勇義、どうかしたのか?」

 

 萃香の知る勇義らしくない反応に、問い掛ける言葉が発された。

 視線を拳から外した勇義は破顔して応えた。

 

「ありゃ化け物だ、萃香。信じられ――」

 

 勇義の言葉が言い切られる前に二人はそれを感知した。

 ゾッとするほどの妖力の高ぶり。すぐさまそれは収まったがあからさまな挑発であった。

 自らと相方の妖力を足し合わせてなお比較にさえならない程の馬鹿げた妖力。

 それはまだ健在であると。これを感じて向かってくる気概はあるかと。雄弁に語っていた。

 つぅっと冷や汗が頬を伝った。生まれ出でてより、初めて感じた自身よりも圧倒的な強者の気配。

 それに対して二人は

 

「くくくっ」

「あっはっは」

 

 獰猛に嗤った。

 

「ここで引いちゃあ」

「鬼が廃るさね」

 

 新たに生れ落ちた鬼達と、最古の鬼との邂逅。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勇義に殴り飛ばされた煙灰は大地に身体を預け、空を見上げていた。

 

「くくくっ」

 

 押し殺せない愉快さが笑いとなって口から漏れ出た。

 笑うたびに震える腹から感じられる痺れが酷く心地よかった。

 殴りつけられた腹からは芯より響く痺れを感じた。

 一体いつ以来だろうか。一体どれほどぶりに感じた痛みだろうか。

 思い出せぬほどに忘れていた刺激に最古の幻想(バケモノ)は嗤う。

 

「あぁ、良い。良いぞ。お前達は真に――」

 

 寝かせていた身体が起き上がった。

 平時と変わらぬ動き。殴られた事による後遺症を欠片も感じさせない。

 爛々した輝きが瞳には宿っていた。

 

「鬼だ」

 

 言葉と同時に煙灰は妖力を解き放つ。

 その身に宿る力を誇示した。

 立ち昇る妖力によって煙灰の周囲の景色が歪む。

 密度を高めた妖力が存在感を増す。

 空間が圧に耐え切れずに軋むような音を出す。

 どろりとした粘つく程の濃さを持つ妖力。

 立っている足元を中心に亀裂が走る。

 液体とさえ言えるほどに高密度化した妖力を纏う。

 

「さぁ、愉しもうか」

 

 誘いは十分と撒き散らした力を収める。

 歪んだ景色が、軋んだ空間がもとに戻る。

 構えは無く、自然体のままに悠然と立つ。

 見据える先は先ほど追い出された洞窟の出入り口。

 

「それでこそだ」

 

 誰にも届かない小さなつぶやき。

 洞内の暗がりより二匹の鬼が姿を見せた。

 怯えは無く、媚びるような卑屈さもない。

 あるのは絶対的な自信。自らの力を欠片も疑わない強固な精神性。

 煙灰はその姿に眠りし仲間たちを幻視した。

 二人の中に確かな鬼を見た。

 

「んで、人様の縄張りへ土足で踏み込んだんだ。高くつくよ」

 

 萃香が身体のコリを解しながら煙灰へ鋭い視線を送った。

 

「まぁ、同族みたいだからほどほどですましてやるよ」

「くかかっ」

「何が可笑しいってんだい?」

 

 笑う煙灰に勇義が問いかける。

 上から見下ろすような感じを受ける煙灰の視線に不快感を感じている為か、発された声は険しかった。

 

「鬼を見たのが懐かしくて、ついな」

「へぇ、他にもいるんだ。私らみたいなのが」

 

 仲間がいる。そう聞かされて興味を引かれた。

 互い以外にまともな人外を見た記憶が二人にはほとんど無かった。

 時折見てもまだまだ生まれたてなのか、脆弱であったり、形にさえならない靄であった。

 そんな中であるのに自分達の様なのが他にもいる。

 その事実は好奇心を刺激される事柄であった。

 

「何処にいるんだい?」

「探した所で会えはせん」

「ん? なんでだい」

「今はこの地には存在しないからだ」

 

 心惹かれる事実であるのに、煙灰からの答えは期待を裏切る物。

 上げて落とされる感覚に萃香と勇義は眉をひそめた。

 

「何だってもういないんだい?」

「人に敗れたからだ」

 

 問いに対する答えは簡素な物であった。

 しかし、彼女らにはそれで十分であったのだろう。

 先ほどまでの不機嫌さは消え去り、笑みが浮かんでいた。

 その笑顔は見る者によっては酷く不安を、恐怖をかき立てられる物であった。

 しかし、それでも浮かべられた表情は笑顔に相違なかった。

 二人の反応に煙灰の中では形にならない感情がこみ上げてきた。

 歓喜であり、感動であり、愉快さであり、悲しさであり、不安であり、安堵であった。

 他にも数多の想いが混ざり合うが、そのすべてを煙灰自身でさえも把握しきれなかった。

 けれども確かに充足感を感じていた。それは胸が一杯になるほどに。

 

 

――あぁ、やはり彼女等は鬼だ

 

 

 人を好むその性質は時代を経ても変わらぬものだと口元が緩む。

 どこまで行っても鬼は鬼。その事に呆れを懐く。

 けれどそれが嫌いではなかった。

 

「その人間はどこに?」

「知りたいか?」

「あぁ、知りたいね」

 

 勇義が問いかけた。何処だと。

 感情が高ぶっていることが妖力を、身体に込められた力を通して手に取る様に煙灰には解った。

 その高ぶりは勇義の隣にいる萃香も同様であった。

 射抜くような視線が煙灰へと向けられた。

 それに対して煙灰は開戦の言葉を告げた。

 

「知りたきゃ聞き出してみろ――」

 

 煙灰の瞳に剣呑さが宿る。

 口元が喜悦に歪む。

 

「――鬼だろ」 

 

 もはや、言葉は不要。

 大地が割れ、雲が裂け、山が消えて、湖が生まれる。

 怪物たちの狂宴は一昼夜続いた。

 そしてそれを知る者は当事者達と離れて見守っていた三匹以外には誰もいない。

 

 

 

 

 


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