槌を振いし職人鬼   作:落着

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長らくお待たせしました。
次話は今月中に出します。
以後、月一更新を維持できるよう頑張ります。


五振り目

 

 

 カッ、カッ、と硬質な音が辺りに響く。ゆらりゆらりと燃える炎のそばで煙灰は槌と彫刻用の刃物を手にしていた。槌を振い、少しずつ紋様を彫り込んでいく。

 一瞬たりとも手元から離れない視線が煙灰の没頭具合を雄弁に物語っていた。

 いつもは周囲を賑やかす獣達の姿も見えない。一体どれほどの間、作業していたのか。陽の動きの見えない洞窟内ではそれも判然としない。

 

「………ぅ」

 

 作業音と、時折混ざる薪の弾ける音以外の音が混ざった。されど自分の世界に入り込んでいる煙灰は気づいていないのか、ピクリとも反応を示さない。

 

「…い…う」

 

 先ほどよりも音が大きくなった。それは声であった。声に付随するように足音も混ざる。

 どうやら声の主は煙灰に近づいてきているらしい。しかし、それでも煙灰の様子に変化は見られなかった。

 カッ、カッ、と一定の間隔で槌を振っている。その間も近づいて来ていた声の主の姿が、焚かれた火に照らされた。

 額の中心に一本の角。身体から漏れる妖気。鬼。紛うことなく鬼であった。その鬼は作業に没頭する煙灰を見やると呆れを含んだ溜息を吐き出す。

 

「大将! 呼び掛けているんだから返事くらいしておくれよ」

 

 吐き出された呼びかけは呆れ具合に比例し、大きな声量であった。離れた焚き火が僅かに揺られる程度の規模。

 

「俺が槌を振っている時にぎゃあぎゃあ喚くなって何べん言やぁ、分かんだ勇義。言ってもわかんねぇ馬鹿は塊清一人で十分だってんだ」

 

 ようやく反応を見せた煙灰。槌を振う手を止めて視線を一角の鬼、勇義へと向けた。

 煙灰の態度がお気に召したのか、勇義がニヤリと口角を釣り上げた。

 

「大将が一遍で返事をくれりゃ誰もぎゃあぎゃあ喚かないっていつも言ってるじゃないか」

 

 肩を竦めながら勇義が返事をする。しかし、楽しそうな声と表情が勇義の心中を表していた。

 煙灰は面倒臭そうに一度息を吐くと腰に差している黒い煙管に手を伸ばす。煙管の先端の火皿に懐から取り出した丸めた煙草を詰めながら口を開く。

 

「どうせ何言ったって素直に聞く何ざ思っちゃいねぇが、その大将ってのだけはやめろ。気持ち悪くて背筋が寒くなる」

「まぁ、何言われたって私も萃香も好きなようにするから確かに意味は無いかもしれないねぇ。それは呼び方だって同じさ」

 

 勇義の返答を聞きながら吸っていた煙を吐き出す。

 

「他は最悪諦めてやるが、その呼び方だけは許容できねぇ」

「何だってそんなに嫌がるのさ。私らより強いアンタを大将って呼ぶのがそんなに不満かい?」

「不満なんじゃねぇ、許容できねぇんだ。理由何ざ腐るほどあるが強いてあげるとすりゃ二つだ。まず、俺は大将なんてがらじゃねぇ。次に、俺は今のお前ら(世代)とは違う。お前らはお前らの中で大将なりなんなりを決めろ」

 

――それに、こいつ等を皆殺しにした俺がどの面さげて大将張るってんだよ

 

 内心にこみ上げる苦い感情を噛みしめながら指で撫でる。数多の同胞達の魂が今だ眠る煙管を。

 

「はぁ……ったくしょうがないおヒトだねぇ」

 

 煙灰から何かしらを感じ取ったのか、勇義は居心地悪そうに少しだけ視線を彷徨わせた。

 さて、それでは何と呼ぼうかと勇義は思案を始める。そしてパッと浮かんだものを提案してみる。

 

「んじゃ、無難に旦那って呼ばせてもらうさ。それなら問題ないだろう?」

「あぁ、そいつなら文句はないさ」

 

 納得を示した煙灰に、勇義はよしよしと頷いた。そして、煙灰の対面に陣取り、腰を落とす。

 

「それじゃあ改めて旦那」

 

 勇義が不意に楽しげな表情を引き締める。

 

「一献やろうじゃないか」

 

 くいっと猪口を傾げる仕草。

 

「またか」

「まただ」

 

 呆れた声色の煙灰の呟きに、にぃっと笑った勇義が間髪入れず言葉を返す。

 

「萃香は良いのか?」

 

 無駄だと知りながらも煙灰は言うだけ言ってみた。言外にのけ者にされたと騒ぎ出しそうな萃香がいないのに始めるのかと。

 

「萃香は賭けに負けたからつまみの確保にいってるだけですぐ来るさ。今頃その辺で食いでが有りそうな獣でも捕まえているんじゃないかな?」

「あぁ、まったく。鬼ってのがどうしようもねぇのは昔も今も変わらねぇな」

 

 事あるごとに馬鹿騒ぎする昔の仲間を思いながら煙灰はひとりごちた。

 煙灰のぼやきに不満を示す為か、手の中の煙管が小さく脈動した。

 勇義はそれに気が付く事無く、煙灰に向けて手を伸ばす。

 その姿に煙灰はいつかの日の友人を思い出し、口角が僅かに持ち上がった。

 しょうがねぇ奴だと言葉を落すと、杯を取りに行くために腰を上げた。

 焚き火から離れていく煙灰の背を目で追いながら勇義は逡巡する。

 多くを語らない煙灰に問いを投げかけて良い物かと。

 幾月の時が過ぎていた。圧倒的な地力の違いを前に、初めての敗北を味わったその日から。

 

 

 

 立ち上がる体力さえ湧かぬほどに全力で立ち向かってなお、悠然としていた煙灰の姿には一種の清々しささえ覚えた。

 自分達を見下ろしていた煙灰の表情が至極満足そうだった事も清々しい気持ちを懐いた理由の一端だったのだろう。目の前の怪物に認められたみたいで胸が高鳴った。

 戦闘の意思が二人から無くなった事を察した煙灰は、更地となっている地面に腰を下ろすと告げた。

 

――気力が戻ったら好きなだけ呑め

 

 空に浮く雲から落ちてきた枡と杯、腰の瓢箪を外して並べた。

 煙灰が瓢箪の栓を外すと酒の香りが漏れ出る。そしてその香りは風に乗り、地に倒れ伏す二人にも届けられた。

 現金なもので、目の前に酒が現れると二人の鬼はゆっくりながら身体を動かし始めた。

 指一本動かす事すら億劫であるというのに酒の力とは斯くも偉大であった。もしくは、鬼の酒好きの度合いとは限界を超えさせるほどの物であったのか。

 そのどちらにせよ、のっそりと、されど確実に近づいてくる二人の鬼に煙灰はさらに笑みを深めた。

 枡と杯に酒を注ぎ、瓢箪の栓は開けたままにされた。煙灰は枡を手に取り、二人を待つ。

 たまたま手近にあった杯を勇義が、瓢箪を萃香が手にした。誰ともなく、それぞれが手に持った物を近づけて軽く当てた。カンと小気味いい音が響く。

 暴れに暴れて乾いていた喉をぐいっと呷った酒が通り抜ける。火照った身体を冷ます心地よさ。喉を通り抜ける灼熱感。鼻腔を通り抜ける香り。全てが心地よかった。

 そして、なによりも美味かった。生涯この味を忘れることは無い。勇義と萃香は漠然とそう思った。

 一息に杯の酒を勇義は呑みきる。飲み干してしまえば、先ほどまでの充足感は途端に消え去ってしまった。呑み足りないと勇義は煙灰へと視線を向ける。

 煙灰は楽しげに笑い声を漏らすと、萃香を示す様に顎をしゃくった。

 

――あの瓢からはいくらでも湧くから好きなだけ飲むといい

 

 言われてみれば、確かに瓢箪から出た酒の量はおかしかった。杯と枡、二つを合わせた許容量は瓢箪に入るであろう許容量を超えていた。

 最初に言ってくれれば瓢箪を取ったのに、と勇義は不満げに口を少しだけとがらせて文句をこぼす。

 煙灰は勇義の文句に対しからからと笑い酒を飲む。勇義は言っても無駄かと悟り、萃香に杯を差し出す。しかし、萃香は気が付くことなく、酒を飲み続けている。

 一人、心行くまで酒を楽しむ萃香に対して勇義は少しだけ腹立たしい思いを懐き、心のままに萃香を小突く。

 小突かれた萃香は萃香で、折角の楽しい時間を邪魔されたと勇義に不満を漏らす。売り言葉に買い言葉。まるでそれを体現するように二人はやんややんやと賑やかさを増していく。

 少し前は動くのすら億劫そうだったのにその名残は見当たらなかった。けれど、取り合いは本気の喧嘩ではなく、じゃれ合いと言える程度には収まっていた。

 煙灰は二人のやり取りに懐かしいモノを見る様に瞳を細めた。くつくつと笑いをかみ殺しながら、何でもない様にまた一つ火種を投げ入れる。

 曰く、杯は酒の美味さを格段にあげる物であると。

 煙灰の投げ入れた言葉に二人が一瞬止まるが、また次の瞬間動き出した。

 二人の織り成す喧騒は止まる前よりも激しい物であったが、煙灰は楽しそうに笑い、酒を飲むだけであった。

 

 

 

 初めての邂逅。その後のぐだぐだな酒宴。言ってしまえば真面目な話をする機会を逃してしまい、なんとなく聞けずにいた。

 大層なことなど何もない。けれども今更改まって色々聞くのも何とはなしに聞きにくい。

 それに別段知らずとも困る訳でもない。それゆえの逡巡。

 付け加えるなら、初めてであった時に問い掛けた鬼を討ち破った人間の話。

 聞き出してみろと言われ、鬼らしく力に訴え破れた。それも理由の一端だ。

 煙灰について色々聞けば、その人間の話も出てくると確信している。だからこそ、約定を破るようで聞きにくい。

 思案に耽って、煙灰が戻ってきた事に気が付いていなかった勇義に声がかけられる。 

 

「歯に物が詰まったみたいな顔しやがってどうしたんだ? 困ってんなら聞いてやるぞ」

 

 勇義のもやもやとした心情が顔に出ていた故の言葉であろう。

 バツが悪そうに勇義が頭を掻く。

 

――賭けに負けておくんだったなぁ

 

 しゃっきりとしていない表情を見られたことが少しだけ気恥ずかしく感じられた。

 勇義の様子に言いにくい話かと思った煙灰は杯を投げ渡し、瓢箪を差し出す。

 条件反射的に受け取った杯を勇義は差し出した。とくとくと音を立てながら注がれる酒。

 

「まぁ、言いたくなきゃ言わんでいいさ」

 

 煙灰は一言口にすると自らの枡にも酒を注ぐ。

 何をうだうだしているんだかと漏れだそうとしたため息を勇義は呑み込む。

 もとよりあれこれ考えるのは自分の気質に合わないと勇義は先ほどまでの逡巡を投げ捨てた。

 

「いやさ、考えてみれば私ら、旦那の事をほとんど何も知らないなぁと思って。別段困りはしないけど、大将って呼ばれるのを嫌がったりとかしているのを見ると、ちょいと気になったって話さ」

「それにあの時話題に出た人間の話も気になるしさぁ」

「萃香! いつの間に」

 

 勇義の言葉を引き継ぐように萃香の声がした。直後、勇義の隣に霧が集まり萃香が姿を現した。ついでとばかりに、焚き火の横にも霧が集まり事切れた猪が出現する。

 

「というか、負けたんだから人間の話は聞くのは駄目だろ」

「あん時、旦那は聞き出せって言っただけで、力ずくで何て一言も言っちゃいなかったじゃないか? なら普通に聞いたって何の問題もない。そうだろ、旦那?」

 

 そうだったかな、と記憶を探っている勇義を尻目に萃香が煙灰へ問い掛ける。

 煙灰は萃香の言葉にその通りであると、肯定の言葉を返しながら内心で笑う。

 旦那と呼びかけてくる。その事は随分と前から萃香がここにいたと言外に示していた。

 それを解ったうえで。否、煙灰だけに解らせる為に迂遠に匂わす萃香は鬼としては少しひねくれている様だ。

 勇義には意識がそれる様に、自然と記憶を探る必要のある話題を振る当たり良い性格をしていた。

 実直な勇義と、ひねくれ者の萃香。その取り合わせが何となしに自分達を思い起こさせる。

 それが輪をかけて煙灰には愉快であった。

 

「面白い話でもないが少しくらい昔話をしてやるか」

 

 郷愁の念を刺激されたか、酒が口を軽くしたのか。もしくはその両方か。

 煙灰は現代の鬼に、遥かなる幻想の話を語り始めた。

 

 

 




少し宣伝をさせて頂きます。
5/6の博麗神社例大祭にて、ゲスト寄稿という形で参加しております。
参加させて頂くサークルは、「ヒヨリミ」(た14-b)となります。
主催の方は私の二次創作の切っ掛けとなった方であり、とても素敵な作品を書かれます。
もしよろしければ、立ち寄ってみてください。
それでは、また次話で。

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