槌を振いし職人鬼   作:落着

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八振り目

 迫り来る拳。

 脅威を前にただ眺めることしかできなかった煙灰。

 そしてその最中、それは生じた。

 

 

 ——情けねぇなぁ

 

 

 呆れた事を隠そうともしない声色。

 煙灰が懐かしむよりも早く変化は訪れた。

 気がついた時にはすでにへカーティアの背を眺めていた。

 パチパチという小さな空列音が耳に届く。

 ひどく懐かしい妖力が身を包んでいる。

 

 

 ——俺は知っている

 ——俺は覚えている

 

 

「嵬」

 

 

 確信を持った呼びかけ。

 応える変化は劇的だった。

 

「けっ、情けねぇ。情けねぇぞ煙灰」

 

 腰元の黒色の煙管から煙が漏れ出る。

 それはすぐさま形を造った。最古の幻想最強種族。その頂点に立った存在の姿を。

 不満を隠す気は欠片もない。あぐらに頬杖。さらに吐き出される特大のため息。

 それら全てがありありと不満を表していた。

 へカーティアは静観を決めたのか、先ほどの場所から動く様子を見せない。

 それを気にすることなく両者が言葉を交わす。

 

「狸寝入りは飽きたのか」

「テメェ……」

 

 煙灰の憎まれ口に嵬の口元がヒクつく。

 額に青筋が生まれ、手先が小刻みに震えていた。

 

「不甲斐ねぇお前を助けてやったというのに感謝の1つも言えねぇた——」

「——助かった」

「……そうかい、そいつは良かったな」

 

 思いのほか素直な反応に嵬が一瞬ほうけてしまう。

 しかし、すぐに持ち直すと昔と変わらぬ不敵な笑みを浮かべた。

 そして視線が前方にて未だ動きを見せない化け物へと向けられる。

 

「どうしようもねぇくらいどうしようもねぇな」

「だろうな」

 

 嵬の評価に煙灰が同意を示す。

 最古の幻想、さらにその中でも最高峰の2人をしても目の前の化け物はどうしようもないと解ってしまう程の差が存在していた。

 

「煙灰」

「なんだ」

「なんぞ使えそうなもんはないのか? ちっとでも可能性があるんなら試すべきだろ」

「それは……」

 

 嵬のその提案に煙灰は小さく息を飲む。

 道具は作れど自分で使うことを前提に作った事など煙灰には数えるほどしかなかった。

 他にも過去にした様に煙の鬼達へ持たせて使うというのもあるが、腕の一振りで散らされるのが目に見えていた。

 そして極めつけは小槌だ。自身が意図的に生み出した物ではないとはいえ、引き起こされた出来事を忘れるには時間が足りなさすぎた。

 それらが合わさり煙灰は自らの持つ道具を使うという意識を持っていなかった。無意識的に選択肢から廃していたのだ。

 嵬の言葉を受け、煙灰は自問する。自身が生み出した物の中で目の前の怪物に通用する程の逸品があるかと。可能性を宿す物はあると答えが生じる。

 スッと指先が中空をなぞる。上から下へ流れる指先に従い頭上に浮かぶ煙から幾多の道具がその身を躍らせた。

 流れ着いた物の中にあるのかと煙灰は降り注ぐ道具たちに視線を送る。

 

「どうだ?」

「さて、どうだろうな」

 

 嵬の問いかけに答えを返さない。されど煙灰の足取りは確かなものであった。地に散乱している幾多の中の一つ。煙灰の手がそれを拾い上げた。

 

「ほぅ、断迷の刃か」

 

 煙灰の手の内に収められた物の名を嵬が呼ぶ。

 断迷の刃。迷いを断ち切り、魂魄を世界へと還す。

 成仏の、未練を断ち切る、鋼の一振り。

 その切先が煙灰の手の内で鈍く輝く。

 

「いけるか?」

「愚問だな」

 

 嵬の問いかけに煙灰はだらりと腕を下げて構えた。されど口元に不敵な笑みを浮かべ、妖力をもって応えた。

 煙灰の反応に嵬は満足げに一度笑う。すると嵬の輪郭が次第にぼやけていく。そして最後にはただの黒色の煙となった。

 

 

——使え

 

 

 声がした。広がった煙がするりと煙灰の身体に溶けて消える。灰の髪が黒に染まる。赤黒い瞳も明度と彩度を落としていく。

 放たれる妖力の圧が上昇した。今までの煙管を使った補給による燃料の無尽化とは違う、出力の上昇。雷電を纏い、輝く一体の鬼。

 ヘカーティアの笑みが深まる。煙灰の身体に力が籠る。互いの視線が絡んだ刹那、化け物同士の狂宴が再開された。

 

 

 

 

 

 欠片の楽しみも浮かんでいない、真剣な表情の煙灰。

 口元を、目元を緩めながら笑みを浮かべるヘカーティア。

 向き合う両者の表情は対照的である。

 余裕のない煙灰。余力のあるヘカーティア。

 これまでとまるで変わらない焼回しの如き二人。

 しかし、明確な変化が存在していた。

 

「あ、ははは! 本当に、本当に楽しいね!!」

「そのまま最期まで油断してろ!!!」

 

 煙灰が刃を振い、拳を突出し、蹴りで薙ぐ。

 ヘカーティアが刃の腹をはたき、拳をそらし、蹴りを避ける。

 そう、ヘカーティアは初めて煙灰の攻撃を脅威であると認識したのだ。

 自身に傷を与え得るものであると認めたのだ。

 故に、ヘカーティアは喜悦に笑い、享楽に酔いしれる。

 危機を感じる。脅威を覚える。

 

「あぁ、良い、良い! どうしようもないくらいに楽しいよ、煙灰!」

 

 自らを脅かしうる初めてのソレにヘカーティアは感情を爆発させた。

 へカーティアの発する力が一層強まる。

 世界が呼応して鳴動をあげた。大気が軋み、地が揺れ裂けた。

 放たれる力の奔流に煙灰がたまらず吹き飛ばされる。

 

「しゃ、らくせぇぇぇぇえ!!」

 

 臆すまいと気炎をあげた。屈さぬ意志に、煙灰の、嵬の妖力が高ぶっていく。

 それにつられて、腰元の黒い煙管から仄かに煙が漏れ出て煙灰へと吸い込まれていった。

 眼球の血管が、身体に根を張る血管が浮き出て、うっすらと黒に染まる。

 力の高まりを感じると同時に煙灰は意識が押し流されそうな事を知覚した。

 刀を握らぬ手で、黒の煙管を軽く撫でる。それだけで、煙管からの煙の流出は止まった。

 

「不甲斐ない姿ですまんが信じろ」

 

 誰にでもなく漏れた言葉。肯首するように煙管が一度脈動する。

 僅かに薄れた意識を引き戻すと煙灰はヘカーティアを油断なく見据えた。

 

「つまらなくならなくて安心したよ」

「言ってろ」

 

 煙灰が地を破壊する勢いで蹴りつけた。

 託された仲間の力がまた煙灰の力を増していた。

 予想よりも早い煙灰の姿にヘカーティアの動きが一瞬遅れる。

 笑みを浮かべた化け物(煙灰)と、驚愕に瞳を見開く化け物(ヘカーティア)

 両者の間で鈍い光が煌めいた。

 

 

 

 

 

 

「ひやっとしたぁ。これが肝が冷えるってやつね」

 

 ちょっと足を踏み外しそうになった。物を手から落としそうになった。まるでその程度の事が起こった様な気の抜けた声。

 眼前で鎖と拮抗する切先に力を込めながら、驚愕と落胆に言葉を失う。

 ヘカーティアへと届くその瞬間に、首元と周囲に浮かぶ球体とをつなぐ鎖が両者の間に割って入ったのだ。

 力を籠め、鎖が軋みを上げようともそれ以上刃は先へと進めなかった。

 鎖と刃が拮抗している最中、ヘカーティアの身体が一瞬ぶれた。直後、煙灰は腹部に感じる強烈な圧迫感と共に吹き飛ばされる。

 吹き飛び、地を転がり地に倒れ伏した煙灰が、刃を杖に上体を引き起こす。

 見上げた視線の先で悠然と佇むヘカーティアを目にし、反射的に視線を下げようとして思いとどまる。頂きのあまりの高さに屈しかけた自己の心を叱咤する。

 ゆっくりと、だが確かに煙灰は自らの足で立ち上がる。されど、目の前に化け物に打つ手立ては浮かばない。浅い呼吸を繰り返し、肩を揺らす。

 ヘカーティアは煙灰の考えがまとまるのを待つつもりなのか動きをみせない。

 

 

——煙灰

 

 

 声なき声が聞こえた。

 嵬の思念。それが煙灰に届く。

 

 

——根競べをしても勝ち目はない、次で決めろ

 

 

 嵬の言葉は煙灰とて分かっている。貯蔵しているゆえにまだ妖力には余裕がある。

 けれども目の前の存在は世界を従えている。使う端から世界に補給されているのだ。

 根競べがいかに馬鹿馬鹿しいかなど子供でも解る。

 だが、解るからといってどうしようもないのもまた現実だ。

 短期で決着をつけられるほど目の前の存在は甘くない。

 

 

——いいや終わらせる

 

 

 嵬の意思には強さが宿っていた。

 

 

——だから

 

 

  告げられる。

 

 

——躊躇するな

 

 

 何を、とは聞かない。

 煙灰は一度瞼を閉じた。一呼吸。その時間を置いて再びヘカーティアを視界に入れる。

 

「行くぞ」

 

 身体に力を巡らせる。

 体表で雷電がほとばしり、煙灰を中心に暴風が吹き荒れ、煙が立ち上り視界を封じる。

 流動する煙に含まれる妖力が知覚を鈍らす。絶え間ない風音と雷鳴が他の音を塗りつぶす。

 真っ白な白煙の中、煙灰が駆け抜ける。自身の煙の中にいるヘカーティア目がけて煙灰が突き進む。

 ヘカーティアが煙を払おうとしたのが解った。されどそれに意味は無い。周囲全てを覆う程に煙は広がっていた。

 周囲の煙を払おうとも、払った場所に流れ込むものは大気ではなく煙である。故にヘカーティアの行動に意味は無い。

 しかし、それでもヘカーティアは気が付くであろう。雷鳴が、暴風が音をかき消そうとも、雷鳴の発生源が動けば、ヘカーティア程の化け物であれば聞き分けられる。

 故に

 

「な——!」

 

 驚愕の声が出るのは必然で合ったのかもしれない。

 視界をつぶす煙の中でも視認できるほどにヘカーティアへ近づいた煙灰の視界には、ヘカーティアと纏わりつく積乱雲の如き紫電を宿す黒煙が映る。

 

「やれ!」

 

 嵬の怒声と、心底からの驚愕に見開かれた瞳。雷を纏わぬ煙灰が渾身の一刀を振り下ろす。

 煙灰の手に初めて伝わる斬撃の感触。肉体を裂く手ごたえ。

 だが、しかし、足りない。圧倒的に足りなかった。

 致命に届くには、届かせるには、その一太刀では足りないのだ。

 

「腕一本、か」

 

 それまでの何処か遊びのある力の行使とは一線を画する暴力の発露。

 全力の抵抗は袈裟懸けに通り抜けるはずであった刃を腕一本で済ませてしまった。

 その変わりと言うわけではないが両断されるはずであった嵬も身体の一部で済んだ。

 腕を落とされたヘカーティアはその場を飛び退き、煙の無い場所まで移動していた。

 広げた煙を煙灰が晴らす。遥か遠くに見えるヘカーティアは俯いたまま動きをみせなかった。

 切り落とされた腕を片手で抑え、傷口を見つめていた。

 傷口からの滴りが無ければ時が止まっていると錯覚しそうな程動きは無かった。

 だが、追撃に煙灰達は移れなかった。不気味に感じた。言語化できない感情を覚えた。

 不快でなく、恐怖でなく。言うなれば悪い事が起こりそうな予感。

 それが煙灰達の身体を縛り付けていた。

 

「——い、—たい、痛い痛い痛い痛い! これが痛み!! これが傷!!! 確かに、確かにこれは痛みだ!! あははハハハハハハ、なるほどなるほど。そりゃあ誰だって痛いのは嫌がる筈だ!! 遠慮したがるはずだ!!! だってこれは、この感覚は!!」

 

 突如狂乱を始めたヘカーティアの頭がゆらりと持ち上がった。

 髪の奥から覗く薄暗い双眸が煙灰達を射抜く。

 

「酷く不快じゃないか!!!」

 

 言葉通りの不快さを隠しもしないヘカーティアの視線。

 煙灰達が距離を置こうと足に力を入れた瞬間、背後から耐え切れない衝撃を受けた。全身を砕かんばかりの衝撃に煙灰達は吹き飛ばされる。

 体勢を立て直すより早く二度目の衝撃が訪れた。上からの叩き付ける圧力。何が起こっているのかを知覚する間もなく地へと叩き付けられてクレーターを作る事となった。

 地に埋もれる煙灰と、形を保つ程の妖力が無くなり煙管へと消える嵬。

 満身創痍の中、首だけを動かし煙灰がクレーターの淵へと視線を送る。

 先ほど立っていた場所からすれば正面となる場所には片腕を失くしたヘカーティアが。

 背後となる場所には五体満足の()()()のヘカーティアが。

 右側には同じく無傷の()()のヘカーティアが。

 感じられる力が幻覚でも、まして煙灰が作る煙人形とは明確に違うと声高に訴えていた。

 

「私は生命すべての管理人。生命が有る世界すべてに存在するために私は写し身を作れる」

 

 ヘカーティアは写し身と言ったが、保有している力はどれも変わらない。

 なればこそ、どれが本体という話ではなく、全てが本体なのであろうと察しがついた。ついてしまった。

 

「これが私の本当の本気よ」

 

 それは全ての意思を砕くには十分すぎる力を持っていた。

 自殺となにも変わりはしないと誰にでもわかるよう示されていた。

 だが、それでもその事を良しとしない。

 

「そ、うか……よ」

 

 腕で必死に身体を支えながら起き上がろうとする。

 もはや手元に武器は無い。

 もはや溜めていた妖力も底が見え始めた。

 もはや嵬の力添えも期待できない。

 それでも鬼は頭は垂れぬと抗う。

 ここで膝を折る事が出来ない故に。

 一度黒い煙管に指を触れさせ自らを鼓舞する。

 

「まったく、騒がしいと思えば」

 

 今だ立ち上がれない煙灰の耳に声が届く。

 ヘカーティアの物とは違う別の声。

 

「貴方らしくも無く、貴方らしくもある。けれど、もう不甲斐ないとは言えませんね」

 

 煙灰の隣に声の主が降り立つ。

 

「後は、私が話をつけておきますよ」

 

 視界に映る金色の尾。見覚えのある紅の瞳。

 

「じゅ、んこ?」

「えぇお久しぶりです、煙灰。今は少し休みなさい」

 

 純狐の慈愛の籠った声。そして直後の衝撃により煙灰の意識が薄らいでいく。

 最後に煙灰は視界の端に揺れ動く一本の尾を見た。

 

 




麻酔(物理)!!

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