目覚めた永琳にできた弓をやればたいそう喜ばれた。けれども、煙灰は仏頂面を崩すことなく早く帰れとでもいうように永琳を摘まみ出す。
永琳は不満をわかりやすく露わにするも取り合わない煙灰の様子に諦めると都への帰路につく。
それからも新月が満月になるくらいの日が経つが、煙灰と永琳の日常になんら変化は見られなかった。
煙灰が嵬との出来事は杞憂であったかと思い始めた頃に、永琳がまた煙灰へと新たな要求をする。
「ダメだ、ダメだ。連れてくんな」
「なんで? 別に悪い子じゃないよ?」
「そういう話じゃなくてだな。どうして俺が蓬莱山と綿月ん所の餓鬼の面倒まで見にゃならん」
「だって、二人が会いたいって言うんだもの」
「口ゆるゆるじゃねぇか、小娘」
「永琳!! 言ったのは二人だけだし、二人のおかげで外に出かけても月夜見様達にバレてないのよ」
「じゃあ二人を連れてきたらバレるじゃねぇか」
「大丈夫。一計を案じたから」
「本格的に頭の使い方を間違えてやがるな」
「ねぇー、煙灰ー良いでしょ? 一回、一回だけだから」
服の袖を掴み揺らしてくる永琳に煙灰は頭痛を覚えた。ここで一度認めたら一回ではすまない気がしてくる。
そんな寒気がする予感から逃げるためにも煙灰は永琳に拒否を伝えるために口を開く。
「ダメだ。お前はもうちっと妖怪ってものを、鬼というものを恐れるべきだ。良き隣人なんかじゃねぇんだぞ」
「でも煙灰は良い人だよ」
「俺だって鬼だ。都の人間に聞いてみろ。煙を従えた鬼についてな」
「それくらい知ってるよ。みんなすごく怖がってる。近づくだけで身にまとっている妖力に潰されそうって話してた。それに煙を見ると恐慌を起こしちゃう人もいたよ」
「それでここまで来たお前の頭の出来を本当に確認したくなってくるな。空っぽなんじゃねぇか?」
「父の言葉を信じただけよ」
「ちっ、産巣め。余計な事を」
永琳に余計な事を吹き込んだ産巣へ向けてつい不満が口をついて出る。ニコニコと笑みを浮かべ見上げてくる永琳の顔が小憎らしい。
「わぁっ! もう!!」
その顔に煙灰はつい煙を吹きかけてしまい、永琳から抗議の声を受けた。しかし、煙灰は永琳の抗議を無視すると窯の火を落す。背後でポカポカと自らの背を叩いてくる永琳に向けて口を開く。
「ほら、さっさと帰れ。今日はもうしまいだ」
「煙灰のばーか。良いもん勝手に連れてくるから」
「あぁ? 小娘、お前な──」
「ふふん、来ちゃったら煙灰は追い返せないでしょ!」
「テメェ、待て! おい!!」
永琳は煙灰の言葉を遮り、楽しげに言葉を口に出す。煙灰が窯から背後へ振り返り文句を言おうとするも、永琳は洞窟の外へと繋がる通路へと駆け出し逃げていく。すぐさま通路の暗がりが永琳の姿を隠してしまう。
「あの小娘……ちっ、舐めやがって」
言い逃げする永琳に悪態をつくも届くことは無い。追いかけて捕まえた後に言い聞かせるのも馬鹿馬鹿しく感じられ煙灰は追いかけることを諦める。
「それにあれじゃ、何を言ってもどうせ連れてくるな……はぁぁ、たく」
思わず予想が言葉になって口をつく。自分で言いながら気が重くなるなと、煙灰は額に手を当て人差し指で自らの額をトントンと指でたたき、頭痛を紛らわせようとしているようだ。そして煙灰は考える。
――そろそろ潮時かもしれん
いい加減この生活を続け過ぎたと煙灰は自省する。もはや後はいくつか道具を与え、独学で学ばせれば問題ないだろう。
だからこそ、自分に、妖怪にこれ以上懐かせるのは良くない。終わりにしなければならないと思う。このまま流され続けても、どちらの為にもならないと理解している。
「俺にも残せる物が出来た。だからもういいだろう……なぁヨミよ、そうは思わんか?」
弱音がつい口から出てしまう。自分も随分と耄碌した物だと煙灰は自身の耳に届いた自らの言葉に苦笑した。らしくないと頭を振り煙管を吹かす。
煙を口から吐きながら、明日を最後にしようと決める。どう言い聞かせた物かと、幼い弟子を思いながら煙灰は頭を掻く。
「誰に似たのか頑固だからな、くかか」
誰にで思い浮かべる人物は自身か産巣か、それは煙灰自身にしか分からない。楽しげに笑いを零すと煙灰はまた明日が来るのを洞窟の中で静かに待つ。
別れの時が訪れる。
月が落ち、また日が昇る。煙灰は洞窟の中に居ながら、外から聞こえる動物たちの出す音で夜が明けた事を察した。
また少しすればいつもの様に永琳がすぐさま顔を出すだろう。煙灰はそう考えて、さて餞別の道具は何にするかと腰を上げる。
「あぁ、そういやぁ嵬に見せるようにと空に留めている煙の中にしまっていたんだったな」
倉庫を覗けば中身が無い為に煙灰は思い出す。嵬に見せるように言われ、とりあえずあるだけ雲に偽装した自らの煙雲へと入れたままだったと頭を掻く。
嵬もとりあえず2,3本だけ適当に選ぶとまたその都度頼むわと、軽く言い捨てていた事を記憶から呼び起こす。またしまうのが面倒で煙雲に入れたままだった。思い出した煙灰は苦笑する。
「まったく、そんなことも忘れているとは……腑抜けているな」
それ以上に記憶へ残る鮮烈な存在が居たために他の事が酷く曖昧に感じられる。覚えていない訳ではないが、永琳との記憶が強烈過ぎて印象に残らないのだ。
自分はどれだけ刺激のない生活をしていたのだろうかと、永琳がどれだけ自分にとって大きかったのかと改めて認識した。
「それにしても遅いな。いつもは日が出た直後に突撃してくるというのに。あぁ、本当に三人で来ているのか。はっ、俺も甘ちゃんだな。塊清の言うと──!?」
来るのが遅い事で煙灰はそう判断する。けれども、最後位なら我慢して子供三人くらいの相手ならしてやろうと考えている煙灰に知らせが届く。
嵬が洞窟に来た時に、念の為と施した永琳にかけた術が作動しているのだ。
「あの馬鹿娘!!」
術が作動したという事は何かしらの妖怪、それも永琳では対抗できない力量の妖怪に襲われているという事だ。煙灰は術の起動した地点にすぐさま向かうために、洞窟を跳び出す。
「ちっ、少し遠い──それにこの妖気は、くそ!!」
洞窟から出て永琳の霊気を探れば思いのほかその距離は遠い。そして近くで感じる妖気には覚えがあった。
しかし、どうするかを考えるかより先に身体が動く。膝を曲げ、グッと力を籠めて地面を蹴り空高くへと跳びあがる。
進行方向の先に煙で足場を作り、天井に張り付くように上下逆さの体勢で再び足を曲げ煙へ着地。跳んだ慣性で身体が煙の足場に強く押し付けられる。
その負荷を溜めとして、永琳たちの霊気が感じられ場所に向けて再び強く蹴る。さながら月夜見が打ち出す流星の様に、煙灰が空中から射出され目的地めがけ飛ぶ。
音を超える速度に空気が弾け、ぐんぐんと目的に近づいていく。
「やはり、嵬か……めんどくせぇ」
近づくことで視認した光景に煙灰は悪態をつく。嵬の妖気に気圧された永琳たちと、もはや消えかけの煙人が見えたのだ。嵬は煙灰の妖気を察知し、楽しげな視線を投げかけてくる。
煙灰は永琳が無事な様子に一先ず安堵すると、足を進行方向に向け永琳たちと嵬の間に着弾した。ドンと地面へぶつかる音と共に、大地が軽く揺れ動く。
永琳たちは何事かとさらに顔を青くし、土煙舞い上がる音の発生源へと視線を向ける。煙灰は舞い上がる土煙を能力で散らすと嵬へと向く。
「煙か――」
「何やってやがる、嵬」
「何とは酷い言い草だな。お前がとっておきを見せてくれねぇから自分で見に来たんだよ」
永琳が喜びで煙灰の名を叫ぼうと声を上げるも、煙灰自身がその声を遮り嵬へと問いかける。
嵬は煙灰の様子に笑みを浮かべ、何でもないように軽い調子で言ってのけた。
「何の話だ?」
「惚けるなよ、煙灰。そのガキの使った術を見れば解る。お前に師事していたのだろう?」
「知らんな。弟子など取った覚えはない」
「へぇ、可笑しいなぁ。ここ最近お前のねぐらにずっと出入りしていたじゃないか?」
嵬の言葉に監視されていたと煙灰は理解した。本当に危機感が薄かったのは自分だと思い知らされたようだ。
「確かにそうだ。だが何も教えちゃいねぇよ。こいつが勝手に学んだだけだ」
「ふぅん……なるほどねぇ」
「引っかかる物言いだな」
「あぁ、引っかかるさ。そのガキの持つ弓はお前の作だろう」
「相変わらず目ざといな」
「分かるさ。俺はお前を買っているからな」
「そいつは光栄だな」
「くかか、心にもない事を……まぁいいさ」
嵬が身体を軽くほぐし始めた。煙灰はその様子に嵬がやる気だと嫌でも理解させられる。
「闘いてぇならそう言えよ。ガキ巻き込んでんじゃねぇよ」
「かかか、折角やるならお前が本気を出す様にしたかったのさ……それについでに断ち切ってやろうとな、親心さ」
「断ち切る? 何をだ」
「未練だよ、煙灰。お前の未練を俺が完膚なきまでに叩き潰してやるよ」
「分からねぇなぁ、嵬。お前が何を言いたいのか」
「……本気で言ってんのか?」
嵬の声色が落ちる。楽しげな様子が消え、威圧するような険のこもった声を出す。煙灰の背後でひっ、という小さな悲鳴が聞こえた。永琳の連れの二人が悲鳴をあげたのだ。
「何のことだ?」
「はぁ、馬鹿め。お前何故、作った物を死蔵している」
「関係あるのか?」
「答えろよ、煙灰」
「……別に理由なんかねぇよ。作る事が目的だ」
「くかか、だろうな」
「何が言いたい?」
「お前のそれは代償行為さ。人を襲うのが嫌で、認めた者への餞別を作ると言って自らの心を偽り、人を襲う気持ちを抑えた。お前本当に鬼か?」
「…………」
「人間を襲うのがそんなに嫌か? 違うな、お前はそれをして月夜見に見限られるのが嫌なんだ。そうだろう、煙灰?」
「言いたいことはそれだけか?」
煙灰から怒気と共に妖力が漏れる。酷く押し殺したような、今にも爆発しそうな程奥底で猛る妖気だ。嵬はそれでも臨戦態勢にならずに言葉を続ける。
「いいや、まださ。まだ足りないな。お前、人間が嫌いだろう」
「…………」
「黙るなよ、答えろ煙灰」
「好きではないのは確かだ」
「この期に及んでまだそんなぬるい事を……お前は人間を心底憎んでいるだろ、嫌っているのだろう。言えよ、煙灰」
「……あぁ、嫌いさ。大嫌いだ」
煙灰の背後にいる永琳は煙灰の言葉を受け、なぜか悲しいと感じた。今まで見ていた煙灰と今目の前にいる煙灰が酷く違って見えた。
あんなに優しく笑っていたのに、安心しろと頭を撫でてくれたのに、今だって助けに来てくれたのに、様々な想いと記憶が浮かぶも目の前の煙灰とそれらが重ならない。
煙灰の言葉に一つも嘘が無いと永琳には分かってしまう。煙灰は、目の前の鬼は、人間を心底嫌悪している。
「かかっ、やっと言葉にしたな」
「満足したか?」
「いんや」
「いいかげ──」
「お前だよ、それは。煙灰、お前が人間を嫌悪しているのに襲わないのは月夜見を思ってだろう。諦めろよ、煙灰。無理なんだよ、もう。なぜならおま──」
「嵬、そこから先は禁句だと昔教えたはずだぞ」
「かっかっか、良い殺気だぁ…………お前は人間から鬼に堕ち、月夜見は人間から神に昇華し──」
ガンッと固い物同士がぶつかる音が周囲に響く。煙灰の姿が嵬の立っていた場所へ移動しており、拳を振り抜いている。地面に肉がぶつかる音がし、ザリザリと地面の削れる音が続く。嵬が煙灰の拳で殴り飛ばされ、地面を削る様に土煙を上げながら滑っていく。ドンと地面をたたく音がすると、嵬が跳ねるように滑った状態から身体を起こし二本の足で地に立つ。
「くははっ、図星を突かれて切れたな煙灰よ」
「もう黙れ」
「そんなに忘れられないか? 守っていたはずの人間に畏れられ鬼にされたことが? 月夜見が神になり、共に歩めなくなったことが? どうなんだ、煙灰ぃぃ!!」
嵬が妖力を纏い、煙灰へと駆ける。煙灰も迎え撃つため、妖力を練り身構えた。
「俺がその未練を断ちきってやる!!」
「余計なお世話だ!!」
嵬が拳を振り上げ、煙灰へと振り下ろす。煙灰は片腕をだし、嵬の拳を受け止める。ぶつかる衝撃で周囲の空気がパンッと弾けた。互いの妖力がせめぎ合い、ぱちりぱちりと空気が爆ぜる。歯を剥き凄惨に笑う嵬と、溢れ出る怒りを表す煙灰が至近距離でにらみ合う。
「そのガキを弟子にして、人間の味方に戻ったつもりだったのか!?」
「弟子じゃねぇと言っただろうが!!」
煙灰が盾にしている腕の力をフッと弱め、嵬の身体を誘い込む。
押し合いの均衡が崩されて嵬の上体が刹那の間、意思とは別に前へと倒れる。
嵬が体勢を立て直す為のわずかな間に煙灰が拳を下から上へと振り上げる。
「ぐ、はぁ!!」
「俺は鬼だ!!」
嵬が腹を殴られ、詰まったうめき声をあげた。煙灰の拳に突き上げられ、足が地面から浮き嵬の身体が空中で無防備となる。
殴りあげた拳と逆の拳を、退く拳に合わせるように腰を捻りさらに追加とばかりに嵬を殴り飛ばす。
水切りした石の様に嵬の身体が地面をダン、ダンと鈍い音を立てながら吹き飛ぶ。最後にはゴロゴロと横向きに転がりながら停止した。
止まるとすぐさまに、嵬は四つん這いの姿勢で地面を捉え、突進の体勢を作った。地面が弾けたと思うと嵬の身体がその場から掻き消える。
「く――」
煙灰がその場から横に避けようとするより先に、嵬が煙灰の腰を掬う様に下から持ち上げ地面へと押し倒す。突進の勢いも相まって、煙灰の背中が地面をソリで滑る様にずられてゆく。
「だったらいい加減にしろや、煙灰。俺の名をやったのに腑抜けてんじゃねぇ!!」
馬乗りになった嵬の拳が煙灰の顔を
「お前は鬼だろ!! 妖怪だろう!! 神とは、人間とは共に生きられねぇんだよ!!!」
嵬が聞き分けのない子供を怒鳴る様に叫びながら殴りつづける。顔を殴られ続ける煙灰の両手に妖力が集う。
嵬はそれに気が付くとすぐさま後方に跳び退る。拳の嵐から抜け出した煙灰は立ち上がると、ペッと口内の血を吐き捨て口を開く。
「んなこと俺が一番知ってんだよ!」
「だったらしゃんとしろや!」
「出来たら苦労してねぇよ! 感情なんざ、そうホイホイ割り切れるか!!」
「だから俺が断ち切ってやるって言ってんだ!!」
「だから余計な世話だ!!」
煙灰と嵬が互いに地を蹴り相手へ向かう。拳の届く距離に入れば両者共に守りなど知るかと殴り合う。殴られた拍子に跳ばない様に、グッと踏ん張り相手を押し込もうと互いに拳をぶつけ合う。
煙灰が妖術を拳に込めだす。殴りつけるたびに嵬の身体で術が次々と弾けた。爆発し、放電し、切り裂き、凍結させ、と次々と術が起動していく。次第に嵬の身体が押され始める。
「テ、メェ――器用な、まねを」
「くやし、けりゃ――お前、もしろよ」
煙灰の拳が強く光を放ち、嵬の目がくらむ。煙灰が身体を一回転させるように動かし、遠心力を乗せた蹴りを嵬の腹へと突き立てた。嵬の身体が煙灰の蹴りで地面と平行に吹き飛んでいく。
嵬が空中で煙灰を見ながらニヤリと笑う。ゾクリと煙灰の背中を悪寒が駆け巡る。妖力を身体中へめぐらせ、咄嗟に受けの体勢となり身構えた。
直後、嵬の姿がバチリッと空気の弾ける音と共に掻き消える。
「オラァ!!」
煙灰の背後から殴りつけられる衝撃と共に嵬の声が聞こえた。腰を打たれ煙灰の身体がのけ反る。
嵬は振り抜いた勢いをそのままに身体を回し、煙灰と嵬の身体が背中合わせの形となる。
嵬は身体の勢いを殺さぬように後ろ蹴りを放ち、のけ反る煙灰の背を再び強く打ち空へと蹴りあげた。
空へと打ち上げられた煙灰は煙を足場にして体勢を立て直そうとするも、それより先に再び空気の弾ける音が響いた。
途端、煙灰より上に嵬の姿が現れる。嵬は片足を振り上げた姿勢で煙灰を待ち受け、地面へと落とす様に足を振り下ろす。
「ぐぅ!」
煙灰から苦痛が洩れる。煙灰の身体がすさまじい速度で地面へと轟音と共に叩き付けられ土煙が舞い上がり、煙灰の姿を隠す。
バチリッと空気が弾け、土煙の外側に嵬が姿を現す。
「疾風迅雷を司る能力、やはり馬鹿げているな」
「くかか、貴様がいうか。煙灰」
土煙の向こうから煙灰の声が発された。先ほどまでとは比にならない妖力が煙の奥より現出した。
嵬が笑みを深め、楽しげに笑う。ピシピシと地面に亀裂が走る音が聞こえてくる。
「まさに神出鬼没、鬼神の如きといったところだな、嵬」
「ならばお前は百鬼の主だろう、煙灰」
妖力がさらに膨れ上がっていく。それは嵬が言ったようにさながら百鬼夜行の様に群れを成した妖怪たちの全てを合わせたような馬鹿げた妖力を感じさせる。
空に雲が広がり、太陽が顔を隠す。大気が妖力に押され、震え始めた。
「本当に馬鹿げた妖力だな」
「お前が能力を使うなら俺も本気にならざるを得ないな」
「くかか、これは楽しみだ」
土煙が晴れる。クレーター状に陥没した地面の中心で煙灰が煙管を吹かす。
視線はひどく剣呑ではあるが、顔を彩る表情はひどく楽しげだ。
闘争に喜びを見い出す鬼その者だろう。
――いい面構えだ、煙灰
嵬は本気の煙灰に、闘いを楽しむ煙灰に心から賞賛をおくる。
それでこそ鬼だと自身にも、歓喜に満ちた笑みが浮かぶ。
鏡合わせでもしたかのように獰猛な笑顔が向き合う。
「奥儀・白鬼夜行」
煙灰が口から煙管を離し、大量の煙を吐き出す。煙は周囲を覆う様に広がるも、すぐさまいくつもの人型を作るために固まっていく。
一体一体が並みの鬼を超える妖気を有し、煙で出来た鬼たちが九十九体現れる。煙灰を含め総勢百体の鬼の軍団が出来上がった。
「くかか、相変わらず壮観だな。百鬼の王よ」
「気を付けろ、鬼神よ。我が百鬼の群れは手荒いぞ?」
「望むところだ!!」
バチリッと空気が弾け、拳を振り抜く直前の姿勢で嵬が煙灰のすぐ目の前へと現れた。しかし、嵬が拳を振るより早く、煙灰の隣にいる白鬼が間に割って入る。
「チッ!」
嵬が舌打ちをして白鬼を殴るも、煙がクッションの様に衝撃を吸収するだけで破壊に到らない。むしろ、拳が白鬼の頭部に埋まり嵬の腕を絡み取ろうと煙が腕を伝い身体に向かって伸びてくる始末だ。
「小賢しい!!」
嵬の身体からブワッと暴風の様な風が吹き出し、腕に絡む煙を散らす。腕の拘束が外れると、空気の弾ける音と共に嵬の姿が先ほどの場所へと戻った。
「面倒くせぇ」
「どうした? 望むところなのだろう?」
「調子に乗るなよ、煙小僧」
「静電気坊主が言うじゃねぇか」
「ぶっ殺す!」
「来いよ」
クレーターの中心から一歩も動かず、嵬へニヤリと嗤い挑発をする煙灰。煙管を加えて挑発する姿に嵬の頭が沸騰し、妖力を嵬が身体に行き渡らせる。
それに合わせるように嵬は能力を強く行使した。嵬を中心にして暴風が周囲へと吹き荒び、バチバチと無数の稲光が煌めく。
「風神、雷神、そして鬼神……化け物め」
「くかかかか、一人百鬼夜行が何を言う」
嵬の身体がふらりと揺れた。直後、地を割る様に煙灰へと疾走。嵬が通り抜けた場所は地が抉れ、空気が弾けた。白鬼たちが主を守る様に立ちはだかるも、鬼神の進撃で煙の身体を散らされる。
しかし、妖気を含んだ重たい煙は全てが吹きとばされる事は無く、嵬の身体を縛る様に一本、また一本と煙を身体へ巻き付いていく。嵬の動きが徐々に鈍くなっていくも、煙灰の前まで白鬼の群れを貫き通す。
「しゃらくせ!!」
怒号と共に、嵬が拳を煙灰に抜けて突き出す。
目で追う事さえ敵わない、神速の一撃が煙灰を襲う。
嵬は拳が当たる直前、煙灰が笑った気がした。
拳が煙灰の顔を突き抜け、
「しま――」
「甘いぞ」
煙灰の身体が崩れ色あせていく。崩れて煙になった煙灰だった物が投網でもするかの様に広がり、嵬の身体を捕えた。
崩れた煙灰の近くにいた一体の白鬼の煙が晴れ、煙灰が現れる。多分に妖気を含んだ煙を嵬は振り切ることが出来ない。
ギチギチと軋むような音がするも外れる様子どころか、緩むそぶりさえ見せない。
「く、テメェは狐かよ」
「俺は元人間の鬼だよ」
嵬の憎まれ口に煙灰が愉快気に答えた。煙灰の偽物を殴った腕に煙灰の手が触れる。
握りつぶさんばかりに煙灰が嵬の腕を掴むと、煙管を振り上げて嵬の肘に向かって振り下ろす。
肉と骨を力づくで押しつぶす生々しい音が周囲に広がり、嵬の腕がその身体からもぎ取られた。
「ぐ、がぁぁぁぁ!!」
「喧嘩代だ」
煙灰が嵬の腕を手元で軽くぽんぽんと弄び笑う。嵬のこめかみに青筋が浮かぶ。
「う、ア゛ァァァア゛ア゛ァァ!!」
嵬が裂帛の気合を込め、叫びをあげて妖力を爆発させた。自身さえ巻き込む、妖力の爆発が起きる。
多量の土煙と爆発の熱と光が辺りをかけ抜け、煙灰が一瞬だけ嵬の姿を見失う。
「あ? ぐぅぅ!」
直後、煙灰が突然腕に走った違和感に視線を向ければ、自らの左腕の肘から先が無くなっていた。気が付いた途端に痛みを覚える。
「なら、お前も払え」
煙が晴れると、嵬が突進前の位置に戻っていた。口元に大量の血が付いている事から、煙灰は自らの腕が噛み千切られたことを理解した。
「お前はトラか」
「いいや、鬼だ」
煙灰が問えば、嵬が笑って答えた。
「ちげぇね、はははははっ」
「くかかかか、そうだ。俺たちゃ鬼だ、煙灰」
「……そうだな。そうだな、嵬。俺は鬼だ、鬼なんだよな」
「血が滾ったか?」
「あぁ、最高に楽しかった」
「そりゃよかった。もう大丈夫か?」
「正直分からん……が、前よりずっとすっきりした。すまんな、嵬」
「気にするな。俺はお前らの頭領だからな、かっかっか」
片腕が無い両者が楽しげに笑いあう。鬼だけが、鬼にしか分からない楽しい語り合いが終わる。もう、二人に戦意は感じられない。楽しげな笑いが雲に覆われた空の下で響く。