月夜見は白煙に覆われた世界の中、自身の身体が前方へと強く引かれていることを自覚した。けれども、その力に抗うことなく引かれるままにと身を任せた。僅かな時間、煙の奔流へと身をゆだねれば視界が晴れる。いまだ手元で煙管をもてあそぶ煙灰が視界へと入ってきた。
「産巣とは引き離されましたか」
「はっ、よく言うな。予測もしていたし、それを望んでいたろう?」
月夜見が現状を確認する様に言葉を口にすれば、煙灰が馬鹿を言えとでも言う様に鼻で笑い斬り捨てた。月夜見は煙灰のその態度に不快感を示すことはせず再び口を開く。
「エン、何か話があるのでしょう?」
月夜見が酷く落ち着いた瞳で煙灰を見つめた。煙灰は月夜見の視線を受け一度ため息を吐く。どこか少しだけ疲れた様な、けれど少しだけ肩の荷が下りすっきりとした様な雰囲気を見せた。表情にはうっすらと笑みさえ浮かんでいた。
「あぁ、話がある。お前に、ヨミに話がある」
煙灰がヨミと呼びかければ、月夜見の瞳が僅かに揺れ、キュッとその手に力が籠った。どこか求める様な月夜見の視線に煙灰が苦笑した。
しかし、嬉しそうにも見えるそんな苦笑だ。煙管を腰の帯へ差し、煙灰はまた言葉を紡ぐ。
「まずは永琳の事だ」
「永琳ですか?」
「あぁ。俺はあいつが来てから様々な術を、知識を見せた。それをあの小娘はすべて吸収しやがった。正直もう教える事なんざねぇと言える。後は実物でも見ながら自分なりの方法を模索すりゃ一人前だ」
「貴方が弟子とるなんて……相変わらず子供には甘いのですね」
「弟子じゃねぇよ。ただ見る事を許しただけだ。あいつが勝手に学んだんだ」
「工房に入れたことがすでに驚きですよ。エンはそういうのは嫌いでしょう?」
月夜見がクスクスと口元に手を当てながら穏やかに笑いかければ、煙灰は居心地悪そうに舌打ちをして視線を一度月夜見から切った。月夜見は煙灰のその態度にますます楽しそうに肩を震わせた。収まる気配を見せない月夜見の様子に、煙灰は大きく息を吐き遮る様に言葉をかけた。
「たく、楽しそうに笑いやがって。まぁいい。それで何が言いたいのかというとだな、あいつが居ればもう俺はいらない。俺の持っていた物はあいつにやった」
先ほどまでとまるで変わらない調子で煙灰が言葉を投げかけた。しかし、その内容に月夜見の笑いが止り、瞳が大きく見開かれた。
「エン?」
「俺がお前にしてやれる最後の餞別だ」
「エン、それ――」
「ヨミ、聞け」
月夜見が煙灰の真意を聞こうと問い掛けようとするも、煙灰に遮られた。一歩踏み出された足も煙灰の声と強い眼差しに、その場へと縫い付けられて動けない。
「俺は今までずっと中途半端だった。恨んでいるのに手を出さない。手を出してもまともに対峙しない。ずっと足元が定まらずにふらふらしていた。そんな時に永琳がきた。嵬にも言われたが、俺はあいつを育てることでまたお前の味方にでもなったつもりになっていた。お前の為に成れていると自らを慰めていた」
「……」
「だがそれは間違いだった。やはり俺はお前達とは共に歩めん。怯えた顔を見せられてやっと自覚できた。有象無象が怯えようが気になんざならんが……あいつのは、少しだけ堪えた」
煙灰が自らを自嘲する様に喉を鳴らして笑う。痛ましく見える煙灰の姿に月夜見は言葉をかけようと息を吸うも、かける言葉を見つけられない。
何も言う事の出来ない自らに月夜見は悔しさを感じた。その事が如実に煙灰との距離を表しているようで胸を締め付けられた。
「そんな顔をするな、ヨミ。次代がちゃんと育っているんだ、喜べよ」
「そう、ですね。そうですよね」
「恐れさせるなよ。お前らが守れ。お前の姉の
「そのあたりに関しては本当にぐうの音も出ませんね、迷惑をかけました」
「お前の領分ではないだろうに、律儀だな。統治や豊穣といった内向きな力を持つあいつらの領分だろう」
「それでも、ですよ」
「くはは、変わらんなヨミよ」
「……そうですね。私は変わっていないですね」
精一杯の笑みを作り月夜見が煙灰へと返答した 。月夜見の笑みに煙灰は瞳を細めた。眩しい物を見るように、けれど決して視線は逸らさない。
煙灰は心が酷く落ち着くことを自覚し、すぅと息を小さく吸う。
――さぁ、区切りを付けよう
「ヨミ、あいつはきっと俺がお前にしてやれる最後の事だ。もうこれから俺はお前を助けられんし、助けはしない。それとな、あの時の言葉……本当は嬉しかった」
「あの時?」
「先回の事だ。お前が俺を捉えると言った時、俺はまだお前に見捨てられていないと知った。馴れ合うわけにはいかないとあんな事を言ったが俺は嬉しかった……本当にうれしかった」
「……エン」
「お前の心が俺に残っていると知れて心が震える程歓喜した。だが、それは敵わぬものだ」
煙灰が視線を虚空へと向けた。視界の先に広がるものは自らが作り出した煙の結界の内側だ。ただ白だけがひたすらに広がる壁が視界へと入る。それがまるで心にかかる靄を表しているようで少しだけ不快さを煙灰は感じた。
月夜見は煙灰の言葉をかみしめる。無理だと告げられ、さらに以前自分が咄嗟に告げた居場所さえももはや作る事は敵わない。締め付けられる心の痛みを耐えようと瞳をきつく閉じていると煙灰の声が聞こえた。
「ヨミ、愛していた。お前の事をずっと愛していた。忘れないでいてくれてありがとう。見捨てないでくれていてありがとう。俺はお前のその心だけで救われた」
煙灰が穏やかで、優しさに満ちた声で月夜見へと語りかける。満ち足りた笑顔を月夜見へ向けた。月夜見は煙灰のその姿に胸の詰まる思いを懐く。儚さを漂わせる様子にさらに胸が締め付けられる。
「そんな、そんな遺言の様な言い方はやめてください!!」
月夜見が声を荒げて叫ぶ。悲しげな瞳が煙灰を捉えた。けれど、煙灰はクスリと頬を緩める。
「これは遺言だ。これは遺言なんだ、ヨミ」
「エン?」
「これは人としての、エンとしての遺言だ。お前に、ヨミにだけは最後に直接聞いてほしかった」
「だから産巣を?」
「ふん、産巣に改めて言う事なんざねぇ。伝えたきゃ後で勝手に教えておけ」
煙灰が鼻を鳴らして不遜に言えば、月夜見は少しだけ笑ってしまう。そして後で自らが伝えた時の産巣の姿を明確に思い描けてしまい、また笑いがこみ上げてくる。
「産巣が聞いたらへそを曲げますよ」
「知らん。勝手に曲げさせておけ。産巣の所為で子守り何ぞやらされたのだからいい気味だ」
「もう、そうやって憎まれ口ばかりを」
気安いやり取りに月夜見の纏う空気が少しだけ柔らかくなった。人として、エンとして伝えたいことは伝え終ったと煙灰は満足した。そして、ここからは鬼として始まるのだと心を入れ替える。妖怪らしく何も気にせず自由に生きようと気持ちを入れ替える。先ほど固定した左腕を掴むと、固定を解き取り外す。
「エン?」
煙灰の行動へ疑問の声をあげる月夜見を無視して、その腕を空高く煙灰は放り投げた。投げられた腕は空を蓋する様に広がる雲へと入り、視界からその姿を消す。
先の無くなった左腕を補う様に煙が腕先に纏わりつき形を変える。煙が腕を形成する様に固まると、煙灰は動きを確かめるように手を握り、開きを数度繰り返す。
確認が終われば不思議そうな月夜見へと向き直った。
「これからお前とやり合うのにまだつながってない、指先の動かない腕では邪魔だからな」
「やり合う、ですか」
「あぁ。人としての俺は今死んだ」
煙灰が言葉と共に煙管を腰から引き抜く。月夜見が反射的に警戒をし、すぐさま反応できるようにと臨戦態勢へと入る。煙灰は月夜見の反応に笑みを深めた。煙管はいまだ咥えず、手元で弄ぶ。そしてニヤリと好戦的な笑みが浮かぶ。
「これからの俺は鬼だ。好き勝手生きる妖怪だ。都の奴らが俺を勝手に恐れて鬼とするならば、俺だって好きに生きさせてもらう!!」
快活に、生き生きと煙灰が笑みを浮かべて声を張り上げた。胸を張り、鬼であることを誇る。
「俺はお前を攫うぞ、ヨミ。鬼は人を攫うのだ。ならば神を攫う変わった鬼が一匹位いたとて問題無かろう!!」
煙灰が強く言い切る。攫うと、お前を連れていくと、なんの憂いなく宣言した。一瞬だけ月夜見は唖然とするも、すぐさま身体が熱をもつ。身体の芯から、心の底から歓喜の熱が湧く。けれど、それらと反する様に理性が警告を発する。思考が正常に働き答えを示す。
「私は、私は」
まるで血を吐くように月夜見は声を振り絞る。感情を無視して言葉を吐き出す。
「私は神です。人を守る神なのです。いいえ、たとえ神でなくとも……皆を見捨てることはできません、したくありません」
「あぁ、知っているさ。だからお前は神に成れたのだろう。だから俺は鬼になったのだろう。誰かの為にと行動できるお前や産巣。周りなど知るかという俺や塊清。きっとそれが境界であったのだ。だから、俺も悪かったのだろう。くははははっ」
機嫌よさげに煙灰は笑い、あっけにとられる月夜見へとさらに言葉を重ねた。
「全力で抵抗しろ。俺の愛しているお前はそう言うヤツだ。俺の愛しているヨミは、感情などで自分を見失いはしない。そんなお前だから愛しいのだ。だから全力で抗え。この煙の中であれば何が起ころうと外へは漏れん。都に不在だと誰も分からん。だから本気で闘え、月夜見!!」
煙灰の身体に妖力が満ち始めた。呼応するように月夜見も神力を纏う。月夜見の顔に迷いは見られない。煙灰の言葉を受け、決意を固めて見据える。決別の時が来てしまったのだと月夜見は理解した。ならば、最後は自らが終わらせようと決意を示す。
「本気でいいのですね?」
「あぁ、もし討たれるのならばお前がいい。お前に討たれるのならば俺はきっと気持ち良く逝ける。だが、俺とて本気だ。全てをとしてでもお前を連れて行く」
「ならば、私が貴方を討ちましょう。他の誰でもない私が貴方を。他の誰にも貴方は殺させない」
「くははははっ、楽しくなってきたぞ!!」
煙灰が煙管を咥え、妖力を高める。自身が操る煙のごとく、白い妖力が体からあふれるように流れて全てを威圧する。地がひび割れ、大気が啼く。全てを隠し、消し去る濃霧よりもなお濃い白の妖力が荒ぶる。
月夜見からも神力が漏れ出る。夜の様に黒い神力。人々を眠りへといざない、優しく包む夜の様な黒い神力が月夜見から発される。地を治め、大気を鎮める。全てを包む夜闇の如き黒い神力が湧き立つ。
白と黒が互いの領域を侵さんとバチバチと激しくせめぎ合う。
「くかかかか!! 良い神力だ、月夜見ぃぃ!!」
「もう、本当に鬼なのですね」
「あぁ、そうだ。我は鬼! 白煙纏いし百鬼の大妖!! 名は煙灰、
「我は神。夜闇を纏いし人の守護者。名は月夜見。夜と月を司る王、月夜見。我が力の前では何人たりとも抗う事は敵わない、散りなさい煙灰」
両者が最後の決別をするように名乗りを上げた。煙灰は凄惨な鬼らしい笑みを浮かべた。月夜見は落ち着き、超然とした平静さを見せた。
スッと月夜見の手が、滑る様に空間を撫でる。途端、大地から槍が飛び出るように円錐形の土塊が煙灰めがけて無数に生まれる。
自らめがけて飛び出す土塊を避ける為、煙灰は軽く膝を曲げ大地を踏み切った。重力の縛りから解放された様に煙灰の身体が空へと軽やかに舞う。
煙管を回せば煙が生まれ、足場が出来る。見上げる月夜見と見下ろす煙灰。すぐさまお返しという様に今度は煙灰が軽く手を振った。小さな煙の球が無数に生まれ、月夜見めがけて空を走る。
月夜見が足元をつま先で軽くトンとたたく。植物の蔓の様に土が生え、向かいくる煙めがけて伸びていく。煙と土が両者の間で幾度も衝突した。
突かれた煙は、ある物は爆ぜ、ある物は放電し、また燃え盛り、と様々な変化を見せた。
「器用ですね」
「これくらいの芸、あの小娘もすぐできるようになる」
「これで芸ですか」
「あぁ、芸だ。こんなもの見世物だよ」
「全く、馬鹿げていますね」
「惚れたか?」
「もともと惚れていますよ」
「かかかっ、そいつは僥倖」
軽口をたたき合いながらも身に纏う力は微塵も薄れない。むしろ両者ともさらに練り込まれ、膨れ上がっていく。
「我が百鬼の行軍、貴様に耐えられるかな?」
煙灰が楽しげに告げ、煙管を咥えた。ただでさえ大きな妖力がさらに膨れ上がった。大きく吸い煙を吐き出せば煙達は人型をとり始め、大地へと降り立つ。軽い煙で出来ているはずなのに、白鬼達が地に降り立つ際は衝突音とともに大地が僅かにへこむ。
「まさか汚いと言うまいな? 全力で行くと俺は伝えたぞ」
意地悪気な笑みを浮かべ煙灰が伝えれば、月夜見は僅かに冷や汗をかく。先ほどまでは拮抗していた妖力と神力が天と地ほどの差となった。一度ギリッと歯噛みをし、言葉をかける煙灰を睨む。
「いいえ、汚いなど言いませんとも。それに私とて修練はしているのですよ?」
月夜見が言葉と共に跪くように両手を地へとつけた。煙灰は月夜見の行動に眉をひそめるも、次の瞬間には驚愕に目を見開く。月夜見から立ち昇る神力が爆発的に勢いを増す。それはため込んだ妖力を纏う自身にも匹敵するほどの大量の力を放つ。
「なんだ、それは? いや、それは……龍脈か?」
「ご名答、さすがですね」
「離れた地を流れる龍脈から無理矢理力を引きずり出しているのか!?」
「えぇ、一時的な物とはいえこれで私に欠点は無い」
静寂な夜を思わせる静かな力を纏っていた月夜見に神力が、噴き出る龍脈の力に
煙灰は月夜見の様子に上等だとでも言うがごとく好戦的な笑みを深めた。高ぶる気持ちに合わせる様に自らもさらに煙管から妖力を吸い上げてゆく。赤い瞳が燃え上がる様に白い世界に浮かび上がった。
「吐き出せ」
煙灰が短く言葉を吐くと、空から無数の武具が白鬼達の目の前へと突き立てられた。力の宿る鬼の宝を、白鬼達は掴みあげ構える。威圧するような白い軍勢に月夜見は笑みを深めた。
「堕ちなさい」
言葉共に空を覆う雲にいくつもの穴が開き、流星が落ちてきた。すさまじい速度で着弾し、白鬼達を散らす。散らされた白鬼はそれに動じることもなく再び身体を構成する。月夜見はそれらに動じる様子を見せることなくさらに言葉を続けた。
「神軍・星輝兵」
放たれる言霊によって魂を吹き込まれる様に地を穿った星屑達が蠢く。流体のごとく星屑の表面が動き、手足をはやす様に四肢が生まれ立ち上がる。元となった隕石の材質ごとに異なる様々な人形が生まれた。
「小さくとも星です。この星の龍脈程ではありませんが、侮ると痛い目を見ますよ?」
月夜見の神力と小さな星自らの持つ力が合わさって出来上がった人形達が、白鬼達へ立ちはだかった。月夜見が挑発する様に煙灰へ笑いかける。煙灰も応じる様ににやりと嗤う。
「潰せ」
「滅せよ」
両者が同時に自らの軍へと号令を発した。互いを食い潰そうと激しく人形達がぶつかり合う。煙が散り、再び集う。人形が砕け、再びくっつく。互いに破壊されてもすぐさま再生するために終わりの見えない闘いが巻き起こる。
「いいのですか、煙灰」
煙灰と呼びかける月夜見の言葉に口元を僅かに綻ばせた。しかし、それを出すまいと素知らぬふりをして問い返す。
「何がだ?」
「貯蔵に限界のある貴方と、湧き出るままに振える私では押しつぶされるのも時間の問題ですよ?」
「くかか、よく言うな。時間に限りがあるのはお前もだろう、月夜見」
「何のことですか?」
「そんな馬鹿げた力の奔流にいつまでももつまい。鉄砲水の如き力の噴出だ、身体が壊れるのも時間の問題だろう?」
月夜見が惚けたように問い返せば、煙灰が的確に急所を突く。ばれていましたかと、月夜見が少し照れくさそうに笑いながら呟けば煙灰はあきれ顔を浮かべた。
「それではこのまま根競べと行きますか?」
「いいや、そんな勿体ないことなどせんよ」
眼下でぶつかり合う人形達を一瞥し、煙灰は地上へと降り立つ。地につくと同時に足をふみきり月夜見めがけ肉薄する。
「ふっ!」
掛け声とともに月夜見めがけて拳を振う。突きだされるその拳に月夜見は焦ることなく側面から手を沿えた。月夜見が押し込む様に力を込めれば、煙灰の拳が逸れていく。逸れた拳は地面へぶつかると大地を砕き、地を揺らす。
「ふふ、怖いですね」
「くかか、楽しいな」
手を伸ばせば抱き合えるほどの至近距離で両者が楽しげに笑い激突した。煙灰が次々と拳を、蹴りを放つもそれは月夜見に受け流されていく。地を砕き、空を破裂させる鬼の拳は、神の身体へ届かない。
けれども、煙灰も月夜見も至極楽しそうに口元を綻ばせる。まるでダンスでも踊る様に次々と立ち位置が入れ替わてゆく。幾度も二人の身体がふれあい、その速度を上げていく。相手の体温を、息遣いを、五感で感じられる他全てを互いに感じていた。
――俺は今、お前の事だけを考えている
――私は今、貴方の事だけを考えている
一切の混じりけなしに相手の事だけを考えていると両者が同時に内心で思う。その感覚に酷く懐かしさを覚えた。分かたれてから初めての経験に胸が高鳴る。
どのような形であっても今この瞬間だけは、自らの全てが相手の為に存在しているように感じられた。
その感覚に途轍もない歓喜を覚える。激しい攻防とは関係ない熱を身体が持つ。そのまま溶け合ってしまうのでは思えるほど、両者の熱は高まっていく。
しかし、すべての出来事には終わりが有る。それは煙灰と月夜見の攻防に関しても同様だ。幾度も受け流し、時に返す様に突き出されていた月夜見の腕の皮膚が裂ける。
龍脈の力に耐えきれず身体が悲鳴をあげ、血と共に神力が吹き出す。月夜見の身体が一瞬硬直した。高速での攻防を繰り返す二人にとってその一瞬は長すぎた。
煙灰が歯を剥きだしにする攻撃的な笑みを浮かべ、左の拳を月夜見へと振う。とっさに受け止めようと煙灰の拳の前に、月夜見が腕を盾にするように割り込ませた。
「捉えた!!」
「何を――!?」
煙灰が月夜見の対応に笑みをさらに深めた。拳が月夜見の腕に当たったと思った直後、形が崩れ煙を増大させた。腕を模した煙が月夜見を絡め取る様に広がり、結界を作る煙の壁まで押し流す。
月夜見が煙灰の言葉に反論しようとした声さえも煙がかき消す。結界の壁と、腕から延びる煙につかまり、蜘蛛の巣に捕えられた蝶の様に月夜見が壁に張り付けられる。逃れようと力を入れるも煙の拘束は外れない。
「お前の力では外れん。嵬でさえ能力が無ければ逃れられないのだ」
「いいえ、まだです! まだ私は負けていない!!」
逃れるために身体に込めていた力を抜き月夜見が力の限り叫ぶ。煙灰が終わらせようと一歩踏み出せば月夜見から力の行使の兆候を感じ取った。それは重力を操り、対象を地へと縛り付ける月夜見の技。出に時間がかかる為に躱すのはたやすいと煙灰は影響範囲を読み取ろうとし、驚愕した。
「ば、お前!?」
「これで躱せない!!」
範囲は結界内全て。それは自らも巻き込む超広域展開。龍脈からあふれる力を用いたまさに力技。驚愕に煙灰の動きが僅かに遅れた。その刹那の時間に、結界内の全てが星へと強く引かれる。人形達も押しつぶされ、地面を薄く広がりのたうつ様に僅かに動くだけとなった。
「ぐうぅうっ」
「くうぅうっ」
煙灰が片膝をつき、押しつぶされまいと抵抗をする。月夜見は煙に囚われたまま加わる重圧に苦悶の声をあげていた。煙灰がさらに片腕を地面へとつき、その場へととうとう縫いとめられた。
「これで、まだ」
「だが、先に根をあげるのは、お前、だぞ」
「いい、え。これで、おわり、です」
「なに、を?」
月夜見の悪あがきに煙灰がそれでも自らの勝ちは揺るがないと言い切るも、月夜見から反論がきた。月夜見の神力がすさまじい速度で消費されていく。ぞわりと駆け抜ける感覚に肌が粟立つ。何かに惹かれる様に煙灰がそれを見上げた。
「お、お前――」
「ともに、逝きましょう」
雲を押しのけ顔を出す特大の隕石が煙灰の視界へと飛び込む。絶句する煙灰へ月夜見の声がかかった。それは酷く穏やかで優しい声色をしている。視線を戻せば、混じりけのない美しく見惚れる様な笑顔。
「また、会いましょう」
「月夜――」
煙灰の言葉が最後まで発される事無くすべてが飲まれていく。隕石の激突による衝撃と巻き上げられる土煙、そして爆音が全てを無に帰す様に結界内を埋め尽くした。
リズムよく身体を揺する感覚に煙灰の意識が呼び起こされた。うっすらとあけられた視界に入るものは土の茶色と、草の緑。そのままぼんやりと思考が働かないままに見つめていれば景色が下へと流れている事に気が付く。
「あ、く……どう、な――」
「お? 起きたか煙灰」
煙灰の頭上から声がかかった。その声に引き起こされる様に思考が回り始めた。腹に加わる力と、揺れから煙灰は自らが塊清に抱えられて移動していると。
「塊、清か。俺は――」
「かかっ、無事だよ。ボロボロだがな」
「どう、な――」
「結界が月夜見の隕石で根こそぎ吹き飛んでお前らは仲良く気絶。俺がお前を、月夜見は産巣が回収した」
塊清の言葉に安堵した。月夜見を捉えていた煙で咄嗟に守ろうとしたが、どうやら間に合ったようだとうっすらと微笑む。
「たく、ド派手に喧嘩したな。すっきりしたか?」
「まぁ」
「まぁまぁかよ。くかか」
煙灰の答えに塊清が楽しげに笑う。
「なぁ、塊清」
「どうした煙灰?」
「惚れた弱みってのは……ずりぃよなぁ」
「なんでぇ、そんな今更な話を」
「かははっ、確かにそうだな」
「で、なにがあったんだ?」
「咄嗟に守っちまったよ」
「お前らしいな」
「かはは……そうかぁ、俺らしいか」
それきり煙灰は口を閉じた。塊清も何も言わず只々走り続ける。しばらく無言が続くも煙灰が口を開く。
「塊清」
「なんだ」
「俺は鬼だ」
「おう」
「だからこれでいい」
「そうだな」
「また暴れに行こう」
「あぁ」
煙灰がポツリポツリと言葉を漏らし、塊清が応えた。クツクツと煙灰が喉を鳴らすとまた口を開く。
「まだ、少し眠い」
「おう、寝てろ。ねぐらまで運んでやる」
「ありがてぇ」
その言葉を最後に煙灰の身体から再び力が抜けて、意識を落したことを塊清は悟る。吹っ切れた友人の姿に塊清は笑みを浮かべた。
そして、先ほどの二人の闘いを思い出す。結界で詳しくは分からないが楽しく戦ったのであろう二人を思う。自身の片腕に垂れ下がる煙灰の背中を見ながらぽつりとつぶやく。
「相変わらず遠いなぁ、お前の背中は」
きっと自分では踏み入る事の出来ない二人の闘いへ思いを馳せた。相変わらず憧憬の存在の背中は遠い。
「まぁ、産巣の相手位は引き受けてやるよ」
からからと塊清が笑い軽快に走る。月が顔を出し雲が流れる空の下、二匹の鬼が闇へとその身を消す。
華扇の話も考えてあります
ですので、茨木の鬼がいるからと華扇は出ないとかではないです