喧騒が陽光の隠れた山頂に広がる。どこを見ようと鬼ばかり。百鬼夜行の大宴会が行われていた。
「それでは煙灰君の失恋を慰める酒宴をはじめるぞぉおぉぉぉ!!」
「ウォオオオ!!」「ざまぁみろ!!」「元気出せよ、煙灰!!」
「イッヤホォオオオ!!」「酒だ酒だああ!!」「なんでもいいから早くしろ!!」
鬼達がまとまりなく勝手気ままに騒ぐ。一応名目としては最初に言われた通り煙灰の失恋、ではなく吹っ切れた煙灰を祝うと言う内容の宴ではあった。
だが祭り好き、酒好きの鬼達の手にかかれば細かいことなどどうでもいいと、皆が皆一様に騒ぎ始める。
一応主役としている煙灰は左腕に包帯を巻き、腕と包帯の境目に鉄の鎖の伸びる腕輪を付けた姿で、眉間に皺をよせ参加していた。
闘いから幾日か経ち、傷が癒えた為に今日のこの日に行われる百鬼の宴へ塊清に連行されたのだ。参加した鬼達も煙灰を構う様に酒を片手に絡みに行く。
「おいおい、振られたのか煙灰よぉ。くやしいのう、くやしいのう」
「テメェェ……ぶっ飛ばすぞっ!」
「やめてやれよ、お前。な、それで煙灰何て言われて振られたんだ?」
「バッカ、お前知らないのか?」
「何が?」
「言葉じゃなくて半殺しにされたんだよ」
「くははっ、過激だな!!」
「煙灰君、かわいそー!!」
「テメェら全員そこになおれっ、ぶん殴ってやる!!!」
幾人もの鬼達に囲まれ、散々に煙灰はからかわれていた。げらげらと笑いながら絡んでくる仲間たちに煙灰が怒声を上げた。
しかし、鬼達はまるでそよ風に吹かれるがごとく気にすることなく煙灰への構いをやめない。
煙灰が煩わしげに近場の者を二,三発殴り飛ばそうとも、まるで構うことなく次の鬼が補充されその輪へと加わる。
むしろ煙灰の反応を喜んでその人数は増えていく。
「かかかっ、楽しそうじゃねぇか」
「んだな、嵬よ」
「まぁ、あの喧嘩はこいつらもなんだかんだと遠目から見ていたからなぁ」
「気の良い奴らばかりだな。それに、アイツがこういった席で中心にいるのも初めてかもしれんな」
「煙灰はずっと今まですねていたからな。だから他の奴らも無理に構わなかったが今は違かろう」
「くはははっ、喧嘩様様だな全くよ」
塊清と嵬が宴の中心から離れた場所で酒を飲みかわしながら煙灰達を見ていた。何だかんだと仲間になった煙灰の事を皆心配していたのだ。
困りごとが有れば煙灰はその知識や術、道具などで助けてくれる。けれど、決して自分から輪の中に入ろうとしないで一線を引いた姿勢を煙灰は崩すことは無かった。
皆も煙灰の経歴などを知っているし、中には人であった頃の煙灰と戦った事のある者さえいた。そんな過去が有ろうとも鬼は気にすることなく煙灰や塊清たちを仲間へと迎え入れてくれた。
鬼達のその心根と、過去への未練が煙灰の中で葛藤として存在していたのだ。そしてそれが態度に出るも、それがいつか解決するだろうと皆待っていた。
だから鬼達は本当に嬉しそうに煙灰を構い倒す。
「まぁ、だからこれは歓迎の宴なのだろうな」
「かかかっ、またこれからは賑やかになりそうだ。やはりお前といると飽きねぇな」
煙灰達を見ながら楽しげに二人が酒を飲む。視線の先ではとうとう限界を迎えた煙灰が立ち上がり、暴れ始めていた。輪を作る様に鬼達が広がり、中での喧嘩をやんややんやと囃し立てる。
「おらぁ、お前らどっちにかける!!」
「煙灰の勝ちに3升!!」「負けるに4升だ!!」
「人で勝手に賭けをしてんじゃ――ぐっ」
「よそ見か、煙灰!!」
「く、くくくっ……全員っ、ぶっ飛ばしてやらぁぁぁ!!」
「て、めっ、能りょ――ぶはっ」
「やれやれ!!」「いいぞいいぞっ」「腹ぶち抜いて酒出させてやれ!!」
喧嘩がどんどんと過熱していく。輪の中で殴り合う二人の鬼の顔を彩る表情はとても楽しげに笑っていた。煙を顔に吹きかけられ視界を失いつつも殴り返す鬼。
容赦なくその鬼へ拳を当てる煙灰。そして酒が入り楽しげに笑い声をあげる鬼達。鬼の酒宴はまだまだ終わりの気配を見せない。殴り合っている鬼が鬼の輪から殴り飛ばされた。
「オラァ、次はどいつだ!?」
煙灰が吹っ切れたように雄叫びをあげ周囲に視線を巡らせる。座って酒を飲んでいた鬼達が、次は俺だと皆が一様に喧嘩の相手に名乗り上げようと競う。
「わっはっは、次は俺だ!!」
重たい物が地面を打つ音とともに鬼の作る円陣の中に塊清が飛び込む。先を越された鬼達は残念そうにちぇと漏らすも、次の瞬間にはまた腰をおろして騒ぎ出す。
「お前か塊清」
「くははっ、構わんだろう」
「構うどころか大歓迎だ」
「あ? 珍しいな、歓迎するなんざ」
「歓迎するさ。お前、人が寝ている間に随分と触れ回ったみてぇじゃねぇか」
「あっ、おいお前ら言うなっていったじゃねぇか」
「酒が入ってつい、な」「俺は言うなとは言われてない、俺は」「しらん」
冷笑を浮かべる煙灰に塊清が焦り、周りへと声をかけるも帰ってくる声はどれも一様に誠意の欠片もない。返答にこれはまずいと視線を煙灰へと戻す。煙灰の包帯に包まれた左腕が僅かな間に二回りは大きくなっていた。込められた妖力に思わず塊清の顔がひきつる。
「これは俺からの礼だ。受け取ってくれや」
「う、うぉおおおっ! こいやぁ!!」
「オラ、賭けろテメェら!!」
「塊清の負けに一升!」「煙灰の勝ちに二升!!」「塊清のぼろ負けに一樽!!!」
「賭けにならねぇじゃねぇか、あっはっは!」
「おま、お前らふざけんなっ」
「よそ見している余裕はねぇぞっ」
「――うおっ!!」
勝手気ままな仲間へと塊清が非難の声をあげるも、顔の横を煙灰の拳が通り抜けていく。さらに鬼達は楽しげに熱をまし、酔いをます。
「くかか、全く困った奴らだ」
鬼の大将は笑みを浮かべ喧騒をみつめた。月光の照らす夜の下、百鬼の酒宴は終わらない。
「気持ちわりぃ」
酒宴の次の日の朝、二日酔いに煙灰が苦痛の声を漏らす。煙管を吹かしながら煙灰がねぐらの洞窟でぼうっとしていた。
ぼうっとしているというよりかは気分の悪さや吐き気、頭痛で何もする気が起きない。
煙を吹かしながらその形を変えて暇を紛らわせる。身じろぎをすると、二の腕の半ばに付いている腕輪から延びた鎖がチャリと金属音を奏でた。
包帯で覆われて中の見えない左腕を目の前まで持ち上げ指先を動かす。ふうっと自らの腕に煙を吹き付けた。煙に覆われ輪郭を一瞬隠す左腕を見ながら、思わずと苦笑。
――感傷的になるなんざ似合わんな
馬鹿らしいと左腕をおろし、再びのんびり過ごそうと身体からだらりと力を抜く。けれど煙灰の耳に誰かの足音が聞こえた。軽快で軽やかな足音。ここ最近で酷く聞きなれたその音に嫌な予感を覚えた。
僅かな時間の後に、今いる広間へと見慣れた幼女、もとい永琳が姿を現す。煙灰を見つけた永琳の顔に笑みが浮かぶ。それはぱぁっと、花開く様なと表現しても差し支えの無い笑み。
煙灰はその姿に酷く頭痛を覚えた。最後に見せた時の様子はなんだったのだろうかや、あの時の怯えはどこに消えたなど様々な考えが痛む頭に浮かんでは消えてゆく。この頭痛は酔いだけの所為ではないとさらに痛む頭を抱えた。
「煙灰!!」
永琳が煙灰の名を叫ぶ。洞窟内に大きく反響する声が、頭を刺すようだと煙灰はしかめ面だ。永琳は永琳でやっと煙灰の名を呼べたと満面の笑みを浮かべた。そして、永琳が煙灰へとさらに近づこうと足を進めるために一歩踏み出す。
「止まれ」
けれど、足はそこで止まってしまう。煙灰から発される低い声に永琳は再びその場へと縫いとめられた。威圧するような煙灰の低い声に永琳の肩がびくりと震えた。その様子に煙灰はあの時の経験は無駄にはならなかったようだと安堵を覚えた。永琳が気丈に振る舞っているだけで、ちゃんと妖怪への警戒心を持ったことに安心した。
「何しに来た小娘」
「永り――」
「良いから答えろ。ここは来ていい場所ではないと、賢いお前なら解っただろう」
「う、それは……でも」
「でもじゃねぇ」
「う、うぅ」
煙灰の突き放すような態度に永琳は委縮してしまう。顔を俯きがちにして、ちらちらとうかがう様に煙灰を上目気味に見ながら永琳が言葉を探す。けれど言葉を見つけられず、口をつく言葉は意味を持たない呻きのみ。
「そう苛めてやんなよ、煙灰。俺が連れて来たんだ」
「チッ、やっぱりテメェか。どういうつもりだ。返答次第じゃ昨日の比じゃ済まさんぞ」
永琳をかばう様に洞窟の外へと通じる通路から声が投じられた。通路の闇からぬうっと巨漢の鬼、塊清が姿を現す。昨日の喧嘩の名残りか、しこたま顔に痣や腫れを作っているが快活に塊清はわらってみせた。
「知らねぇよ。そこの嬢ちゃんが会いたいから手伝ってくれって言うから手伝ったまでさ」
「そういうこと言ってんじゃねぇよ」
「それと産巣からの伝言だ。泣かせたら殺すだとよ」
「あんのくそボケ……次会ったらあの矛へし折ってやる」
何故そこで産巣が出てくるのかは煙灰には計り知れない。けれども勝手を言う昔馴染みには、僅かな殺意さえ覚えた。考えることが嫌いな塊清へとこれ以上詰問しても全く意味をなさないと、煙灰はため息を吐き永琳へと視線を戻す。
「産巣はなんと?」
「……納得できるように話してきなさいって」
「甘すぎる……馬鹿かアイツは」
煙灰が頭痛を耐えるように額に手を当てて天を仰ぐ。永琳は煙灰の様子を見ながらも意を決して口を開いた。
「煙灰」
「なんだ」
「私は煙灰が怖い妖怪だと知ったわ」
「……そうか。なら話はそれで終いだ、帰れ」
「ううん、まだ帰らない。だって私はそれ以上に他の煙灰も知っているの」
「…………」
「ぶっきらぼうで口が悪いし意地悪ばっかり言うけど、本当は面倒見がよくて優しくて心配性だって知っているの」
「勘違いだ」
「違う!! 私は、私はずっと煙灰に甘えてた。煙灰の後悔に付け込んでた」
「何を聞いた?」
「何も聞いてない、自分で考えたの。みんなの話を思い出して、煙灰と戦った後の月夜見様の様子を見てたくさん考えた。煙灰は月夜見様の為に私に色々教えてくれたのでしょう?」
「聡過ぎるのも問題だな。それで、それが分かってどうした。お前の為なんざじゃなかったから怒ったのか?」
煙灰の言葉に永琳が否定を表す様に首を横に振った。そしてまた強い視線を煙灰の瞳へと向け言葉を紡ぐ。自らの想いを余すことなく伝えたいと形にする。
「そうだね、きっと最初はそれだけだったと思う。でも違うって分かったの」
「何が?」
「だって何かあったら助けられるように術を憑けてくれて、助けにも来てくれた。これって煙灰が私の事を大事に思ってくれていたからだよね」
「……違う。せっかく育てたのに死んだら時間が無駄になるからだ」
「煙灰は鬼なのに嘘ばっかり」
「嘘じゃねぇ」
「そうだね。多分それも少しはあるんだろうから嘘じゃないんだろうね」
永琳が穏やかに笑う。子供らしさを感じさせない、本心から慈しむような笑みを浮かべ言葉を紡ぐ。煙灰は心を悟られている様な永琳の雰囲気にたじろぐ。声が低くなり、言葉が荒くなろうとも変わらず笑みを浮かべる永琳の様子に気圧された。
「だって煙灰はどれだけ時間をかけた作品だってポイポイ投げたり、その辺にほったらかしにしたり、死蔵しちゃうじゃない。だから煙灰はそれだけで私を守ってくれない。だからこそ煙灰が私の事も大事にしてくれていたんだって解ったの」
「――!」
完全な図星に煙灰が言葉を失って瞳を見開く。自らと同じ技量、いや自らを超えていく潜在能力を持つ永琳との時間が楽しかった。
物怖じせずに向かってくる永琳の性格が気にいっていた。コロコロと変わるその表情に心癒されていた。
永琳と過ごす時間に――安らぎを感じていた。まるで、それはまるで
――歳の離れた妹の様に思っていた
自然とその言葉が煙灰の中で浮かぶ。図星を突かれ、すでに鬼である事に吹っ切れていた煙灰は永琳の言葉で自らにも隠していた内面をまた一つ自覚した。
煙灰が顔を俯かせ、肩を震わせた。永琳が心配そうに近づこうとするも、突然あげられる笑い声に驚いて足がとまる。
「ふ、あはははははっ、なるほど、なるほど! 俺も産巣の事を全く言えないじゃねぇか、あははははっ!」
「煙灰?」
「あぁ、認めよう。認めるさ。ガキに言い負かされるなんざ情けないのも度を過ぎているが、これで認めないなんてさらに情けねぇ事はできねぇよ。永琳、俺は確かにお前を大事に思っている。出来の良過ぎる弟子で、ちょいと生意気な妹みたいに思っていたさ」
「煙灰!!」
永琳が煙灰の言葉に嬉しそうに肩を跳ねさせた。そして口をつくのは歓喜の声。
「だから、もうここには来るな。俺はお前に伝えたいことは伝えきったし、月夜見との闘いで回収できなかった他の道具を見て学べばお前はすぐにでも俺を超えるだろうさ。お前に足りない経験もその学習能力があればすぐに熟せるだろう」
「それは?」
「ここは妖怪の住処だ。気軽にきて良い場所ではない。お前も何時か神に昇華するだろうが今は人だろう。妖怪にはならんだろう? だからもうここへは来るな」
いままでの様に拒絶するような冷たい物言いではない。幼子を諭す様に優しく煙灰は言い聞かせた。煙灰の言い分が正しい事が永琳には理解できてしまう。
自分は都を捨てて妖怪になるつもりが無いからこそ余計に煙灰の言葉が身に染みた。今度は永琳が顔を俯けた。
無茶苦茶言って無理に押しかけて、それでいて覚悟の無い自分が情けなかった。煙灰を見られなくなってしまった。
「私は、私はね、煙灰」
「なんだ、小娘?」
「永琳だよぉ、もう。私はね、煙灰の事歳の離れたお兄ちゃんみたいに思っていたの。何だかんだで文句を言いながらも面倒を見てくれる煙灰の事をそうやって感じていたの。だから、だからね……これでお別れ何て――」
永琳が俯けた顔をあげた。その双眸に透明な雫を湛え、一筋の心の欠片を頬につたわせながら永琳が想いを紡ぐ。我が儘を言っている自覚も、無理を言っている自覚もある。
けれど感情なんて理性でどうにもできないのだ。だからこそ、それでも伝えたいと言葉が零れ落ちた。
「――寂しいよ」
「……そうか」
煙灰が永琳の言葉をしっかりと受け止め呑み込む。素直にうれしくもあるが、難しい問題だ。煙管を咥え、煙をくゆらす。
空気に溶けて薄れていく煙の儚さに無性に腹立たしさを覚えた。煙灰はまるで自らの無能さを見せられているような気がした。
「ま、それならまた来ればいいさ」
「塊清テメェ、話の中身を聞いていたのか?」
「難しい話など分からん。会いたいなら会いに来ればいい」
「そう単純でもないだろう。ばれたら都では暮らせまい。それに毎度お前や産巣が送迎をするのも馬鹿らしいし、不味い行為だろ」
「だろうな」
「だったら――」
「その嬢ちゃんが強くなればいい」
「あん?」
「最低でも鬼から逃げ切るだけの実力があれば外に出ても怪しまれないだろうし、ここまで一人で来られる。自立すりゃいいんだよ」
「簡単に言うな」
「簡単に言うさ」
塊清が何でもない様に言ってのけるが確かに理には適っていた。強ければ外へ出ても不自然さは無い上に、自力で困難を打ち払えるならば危険もだいぶ低下する。
問題の根幹の煙灰の拒絶が無いのであれば、それで解決はする話だ。けれど、鬼とはそれほど容易い相手ではない。
だてにすべての妖怪の頂点に君臨している訳ではないのだ。その実力は、脅威は、見まごう事無く災害。
「だったら強くなる。煙灰よりも月夜見様よりも強くなる!!」
永琳が大声を上げ宣言をした。力強く、誓う様に声をあげた。言い合いをする煙灰と塊清が一瞬あっけにとられ、次に瞬間に盛大に吹き出す。
「く、くはははははははっ!!」
「うっはっはっは、こいつは間違いなくお前の弟子だわ、はっはっは!!」
「な、なんで笑うのよ!?」
永琳が二人の反応に憤りの声をあげるも二人の笑い声は収まらない。煙灰が立ち上がり、永琳へと近づきその頭をぐりぐりと乱暴に撫でる。
「よく言った、小娘。強くなったらまた来い。いつでも歓迎してやる」
「うん!!」
頭を煙灰の手でぐらぐら揺すられながらも永琳が楽しげに言葉を返す。煙灰が手を離し、再び元にいた場所へどかりと座った。
「さぁ、なら今日はもう帰れ。次は成長してから来い」
「私、頑張るから。全部全部頑張るから待っていてね」
「ふっ、まぁ生きているうちはせいぜい待っていてやるよ」
「またそうやって意地悪言う」
「しらん。塊清うるさくてかなわんから早く連れていけ」
「へいへい、分かったよ。ほれ、帰るぞ」
「うん。貴方もありがとね」
「気にすんな」
「煙灰、またね」
「……あぁ、またな」
塊清と並び歩き出した永琳が、最後に振り返り再開を願う言葉を口にした。。煙灰もそれに応えた。二人が通路の闇に消え見えなくなると煙灰はまた一人身体を休める。
そして、またしばらくすると小さな足音が聞こえた。なんだと煙灰が視線を再び通路へと向けると、今度は小さな子狐が駆け込んでくるではないか。
「はぁ、またか」
煙灰がけだるげにため息を吐く。子狐は煙灰の近くまで来ると飛び込む様に地面を蹴り空で一回転。ぽんと軽快な音とともに、子狐は小さな子供の姿となり煙灰の胸元へと飛び込んだ。
金色の短髪と四本の尾を持つ小さな妖弧が煙灰の胸元で暴れる。
「旦那! 旦那! 煙灰の旦那! 匿っておくれよ!!」
「えぇい鬱陶しい、纏わりつくなチビ助」
「
顔をぐずぐずにしながら着流しにしがみつく狐の妖獣に、煙灰はため息をつく。化ける能力を所有しており妖力を隠し、霊力や神力さえ化けて装う妖狐の情けない姿に疲れを覚えた。
このまま騒がれるのも頭に響くから仕方ないと煙灰は要求を呑む。
「あぁ、もう騒がしい。その辺の道具にでも化けておけ」
「わぁい、旦那恩に着るよ!」
「騒がしい喚くな、ばれるぞ」
「おっと、そいつはいけねぇな……んじゃ旦那頼んだよ。ほい」
狐仙はそう言って再びぽんと軽快な音を立てて煙灰の道具へと混ざった。煙灰でさえ見分けがつかなくなる技量での変化。妖弧特有の変化というより、能力と併用したそのものに成るともいえる馬鹿げた技量には相変わらず舌を巻く。
「煙灰、入りますよ?」
感心して道具を眺めている煙灰の耳に女性の声が届いた。返事をする間もなく入ってきていることを、感じる力の動きより察した。
「煙灰、狐仙が来ませんでしたか?」
「聞くくらいなら返答くらい待ちやがれ、純狐」
純狐と呼ばれた九本の尾を持つ妖弧の女性が現れた。金髪で波打つ長髪に、抱服で身を包んだ純狐が煙灰へと狐仙の事を尋ねる。煙灰の返しにもまるで動じる様子は見せない。
「それで狐仙は?」
「しらん。また構いすぎたのか」
「本当ですか? それとこれは愛です」
「チビ助も見た目はあれだがガキではないだろうに」
「それは私の知った事ではありませんね」
「どこにいるか知らんがほどほどにしておけ。あれはお前の子ではないのだぞ」
煙灰は狐仙を知らないと言う。実際に、あの道具の中のどこにいるか知らんと言う意味で、言葉が足りなかっただけだと自らの鬼の部分と折り合いをつけての答えだ。
煙灰の返答を聞いた純狐の雰囲気が変わった。清廉な空気を纏っていた気配がどろりと粘つく様な気配に変化した。煙灰がその変化にため息をつく。
「えぇ、えぇ。知っていますよ、それくらい。私の子は嫦娥の所のくそ男に殺されたのですから。ふふふ、あの男はもっと苦しめてから殺せば良かったですね。怒りのままに楽に殺してしまって後悔ばかりです」
「おい、恨みをここで振りまくな。お前のは何でも純度が高すぎて、道具に影響が出る」
「あら、これは失礼、まぁ残りは嫦娥で晴らすとしましょう。それで狐仙は本当に知らないのですね?」
「くどい」
「そうですか。はぁ、全くあの子はどこにいるのかしらね」
純狐が頬に手を当て呟く、困ったわと。煙灰が勝手にしろと、構わずに煙管を吹かしていればまた狐仙を探してどこかへと向かっていく。しばらく煙灰一人の時間が続くもまた軽快な音と共に狐仙が変化を解く。
「いやぁ助かったよ、旦那」
「毎回ここに逃げ込むのは辞めろ、面倒くせぇ」
「ここだけじゃないよ。嵬の兄貴の所だろ、あとは――」
狐仙が指折り数えながら避難場所をあげていく。よくもまぁそんなに出るものだと感心半分、呆れ半分で聞き流していると唐突に狐仙の背後の景色が揺れた。
「あぁ、やはりここに居たのね狐仙!!」
「うっひゃぁ!!」
歪む景色の中から純狐が現れ、狐仙を抱き上げる。狐仙は突然の出来事に悲鳴を上げた。純狐に掴まれた腕の中でバタバタともがくも逃れられる気配は微塵もない。
「はぁ、なるほど、驚いたな」
「あら、煙灰が驚くなんて私の業も捨てた物ではないですね」
「ちょっちょっちょ!? 訳が分からない僕に誰か説明をしてよ!」
「あら、説明が欲しいのかしら隠れていた狐仙は?」
純狐が腕の中の狐仙の耳元でささやけば、狐仙の動きが固まった。尾の毛が逆立ち小刻みに震えていた。まぁ、あれだけ怨嗟を振り舞く大妖だ、怖かろうなと煙灰はそれを見ながら他人事のように思う。
「静かに聞ける姿勢をするなんて偉いわね、狐仙。私がしたのは私の中の力を純化させて、自然以外の力を取り除いて気配を自然へと融け込ませたの。その後は狐らしく化けてしまえば狐仙には及ばないけれどばれないものよ」
「へ、へぇ~。純狐の姉御もすごいねぇ」
「もう、お母さんでもいいって言っているじゃないの、狐仙」
大人しくなった狐仙を片手で抱えながら純狐が腕の中の頭を撫でた。そろそろ口から魂が抜けだしそうな狐仙を哀れに思い煙灰が声をかける。
「それくらいにしておけ純狐。そろそろ死にそうだ」
「はぁ、こんなにかわいがっているのにどうしてかしら?」
「怖えぇんだろうな、お前が」
「そうなの狐仙?」
「い、いやぁそんなわけないっすよ、姉御」
「ほら煙灰どうよ」
「声が震えてんだろ、ボケ」
狐仙が煙灰の言葉に勘弁してくれと首をいやいやと必死に横へ振っていた。どうしたもんかと煙灰が悩んでいるとまた別の影が現れた。
「お、狐仙の小僧じゃねぇか。またつかまったのか。こりねぇな」
通路から現れた塊清が純狐の腕の中の狐仙を掴みあげて純狐から取り上げた。ジロリと純狐が睨みつけるが塊清は気にした様子を見せない。狐仙はそのまま塊清の腕に抱きつくように掴まりかなりの小声でお礼を言い続ける。それをみた塊清に浮かぶは苦笑。
「塊清、狐仙を返してください」
「かかっ、おう後でな」
「へぇ……」
純狐の中で力が蠢く。勘弁しろと煙灰は思うも別段口には出さない。これくらいの事は言ってしまえば日常茶飯事であるからだ。
「それより珍しい奴がいたぞ煙灰」
「あん? 珍しい奴って誰だよ?」
「かなり珍しいぞ。だってなぁ――」
煙灰が珍しいとは誰だろうと首を傾げ問い掛けた。塊清がニヤリと笑みを浮かべ口を開く。
「――サグメだぞ」