欠けているモノを求めて   作:怠惰の化身

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伝説の勇者になりました。

俺ガイル新刊発売ですね。
今日仕事終わったら読みます!
楽しみです。


地方の発売日が1日遅れるのはまちがっている。

場所は奉仕部。

一色が奉仕部に来るまでに八幡は、今朝の騒動を雪ノ下と由比ヶ浜に説明した。

雪ノ下は、そもそも騒動事態を知らなかったが説明を受けて呆れるような顔で頭を押さえた。

由比ヶ浜は説明を聞いた後、「いろはちゃんの話も聞かないと判断できないね~」と困った顔で言った。

雪ノ下も由比ヶ浜の意見に同意して一色を待つことになったのたが、疑問に思うだろうことをスルーされた八幡は少し困惑した。

 

その場しのぎの策にしてはリスクが大き過ぎて釣り合ってないのだ。

 

少し経って、控えめにドアを叩いて「こ、こんにちは~」と、おずおずと奉仕部に来た一色に3人の視線が向かう。

 

「いらっしゃい、一色さん」

「とりあえず座って、お茶用意するから」

「は、は~い……」

 

由比ヶ浜がお茶を注ぎに向かうのと入れ代わりに一色が依頼者用の席に座る。

いくら由比ヶ浜でもお茶くらい注げるようで、紙カップに注がれたお茶を一色の席に置いて自分の席に戻る。

その間の一色は、まるで八幡のように挙動不審だ。

 

そう、一色のリスクは後処理が非常に面倒なのだ。

雪ノ下と由比ヶ浜だけでこの状態なのに、葉山への説明をどうするつもりなのだろうか、といった疑問が八幡にはあった。

 

「言い訳を聞こうか、一色」

 

八幡は尋問でもするように声のトーンを落として、机を指でトントンと叩いた。

 

「言い訳と言いますか……、えとですね、言い寄られるのにうんざりしてたんですよー」

「戸部から聞いた通りだな。お前、マジでそうなのか?」

「はい。そういうのもういいかな~って思いましてですね、どうしようか悩んでいたら先輩がいたんですよ」

「人を道具のように扱うの、やめてくれませんかね?」

 

尋問開始と同時に軽くジャブを放つ一色に辟易する八幡。

 

「言い寄られることにうんざりしていたから、比企谷君を彼氏役にした、と言うことかしら」

 

すると雪ノ下が困惑しながらも、一色の動機を簡潔にまとめて問いかける。

 

「はい、そうです」

「それだと比企谷君は彼氏役を続けないと元の木阿弥になると思うのだけれど……」

 

雪ノ下は一色の言葉を受けて、今度は八幡に困惑した視線を向ける。

 

「ねぇよ、絶対やらねーよ」

 

八幡は続けると思ったのか?心外だ、とでも言わんばかりに即答で否定する。

八幡の否定の言葉を聞いてホッとした顔をして肩をなでおろす雪ノ下だが、その肩を由比ヶ浜がちょんちょんとつつく。

 

「ねぇゆきのん、もとのもくあみってなに?」

 

とても低レベルの疑問を由比ヶ浜は恥ずかしげもなく言葉にする。

雪ノ下が一瞬、え?といった顔をするが、それを隠すように由比ヶ浜に微笑み、

 

「いったんよくなったものが、再びもとの状態に戻ること。戦国時代の武将、筒井順昭が病死した時、死を隠すために木阿弥……。まあ、比企谷君みたいな人を影武者にするのだけれど、子の筒井順慶が成人すると同時に御役御免になり元の比企谷君に戻った。つまり、底辺から上流階級に成り上がるけど結局底辺に戻った、と言った意味よ」

 

と、内容を身近な対象に例えることで由比ヶ浜に分かりやすく説明する雪ノ下。

 

「いや、なぜ俺で例えた雪ノ下。そりゃ底辺だよ、底辺だけれども」

「ヒッキー可哀想……」

「由比ヶ浜、同情はやめろ」

 

木阿弥の境遇を八幡に置き換えて想像したのだろう、由比ヶ浜は悲しそうな顔で八幡を見る。

感受性の強い子だ。八幡はそう思いながらも、「小町がいる俺は木阿弥より上だ」と、妙なプライドで張り合う。

 

しかし、木阿弥は僧侶であって底辺ではないことを八幡は知らない。

 

「そんなことより一色さん、比企谷君は協力するつもりはないみたいよ」

 

そんな必死な八幡をさらっと流して話を戻す雪ノ下。

その表情は平静を装っているが、喋り終わると口だけニヤリと笑う。ドSだ。

 

「そ、そうですね……。えと、別に協力してもらわなくていいですし、何かしてもらおうとも思ってません」

 

一色は、そんな雪ノ下に若干引きつつも笑顔で答える。

 

「それじゃあ本当に意味無くない?」

 

それでは本当に元の木阿弥ではないか、お互いそう思い雪ノ下と由比ヶ浜は顔を見合せ困惑する。

 

「彼氏がいる、って設定が欲しかったんですよ」

「なにそれ?」

 

一色の言ってることが全然理解できず由比ヶ浜は困惑を益々深くする。

 

「それなら比企谷君ではなく、架空の彼氏にすればよかったのではないかしら」

 

設定が欲しければ八幡を利用せずとも架空の彼氏で十分なのではないか。と、雪ノ下も少し考えて、そう結論を出す。

 

「それだと、勝手に彼氏像とかイメージされてたりして面倒なことになると思うんです。今朝の事、どんな風に噂されているか知ってますか?」

 

雪ノ下はそもそも知らなかったので首を振って応え、由比ヶ浜は思い出すように思案して。

 

「えっと……、目付きが不気味な男と付き合ってるとか、地縛霊に取り付かれたとか、ストーカーに脅されている、とか?」

 

八幡は昼休憩にベストプレイスに行く道すがら、すれ違う女子が”地縛霊”なるフレーズを口にしていたのを聞いていた。

よもや俺とは、とショックを受けてひっそりと落ち込む。

 

「他には、隼人くんへの新たなアプローチとか、いろはちゃんがイメチェンした、とか……あれ?とべっち以外、ろくな情報がない」

 

由比ヶ浜は聞いた噂を言って、不思議そうな顔をして問いかけるように雪ノ下に向ける。

聞いた雪ノ下は、「あっ……」と漏らして一色に視線を向ける。

 

「そうです、雪ノ下先輩。ほとんどの人は付き合ってると信じてないんですよ」

「え!?なんで!」

 

由比ヶ浜は水を浴びせかけられたように驚き、一色に振り向く。

 

「先輩を知らない人からすれば、わたしと付き合うレベルでは無いと判断するんですよ、見た目で。まあ、外見だけでしか判断できない人なんて、操るのちょろいですよ」

 

一色は驚く雪ノ下と由比ヶ浜に、したり顔でそう答える。

 

(だめだ!勝てるわけがない!あいつは伝説のスーパートップカーストなんだぞ!)

 

八幡は、まるで純粋な戦闘民族を相手にした王子のように復讐の炎は鎮火した。

そんな八幡をよそに、少しの沈黙の後ひ雪ノ下が、「そ、それで一色さん」と言って、

 

「そこまでして手に入れた設定でも、信じてもらえないなら意味が無いと思うのだけれど」

「信じてもらわなくてもいいんです、要は誘いを断る口実なので」

 

一色の返答に雪ノ下は少し考え。

 

「抑止力……、と言ったところかしら。いえ……、核の傘、が近い例え?」

「う~ん。まあ、そんな感じですかね?誘っても絶対断られると思ったら誘わないですから」

「でも、そんな遠回しなことしなくても、二度と誘う気を起こさないようにすれば早いと思うのだけれど」

「どんな方法ですか?」

 

「例えば……」、と雪ノ下は口にする。

高値の花として君臨する雪ノ下の処世術に一色の期待も高まる。

 

「私があなたと行動を共にして何かメリットはあるのかしら。今この時間も特にメリットを感じないのだけれど、事前に教えてくれれば検討するわ、検討する必要があると思ったらね。と、言えば大抵の男子は二度と文不相応な考えはしなくなるわよ」

「それは雪ノ下先輩だからできることですよ……」

 

げに恐ろしき雪ノ下の提案、チャレンジした勇者に冥福を祈る。

 

そんな参考にならない答えに、一色の期待値も表情と連動するように下がっていく。

 

「けれど、それほど困ってたのなら依頼に来れば良かったのではないかしら」

「いや、自分でなんとかできるものを、依頼するのもどうかと思ったのですが……」

「そ、そうね……」

 

困ったような顔でそう返す雪ノ下。

誰かの力を借りたいと思うから依頼するのであって、自力で解決できるなら依頼する必要がない。

そんな依頼、普段の雪ノ下なら一蹴して、軽く罵倒しそうなものなのだが。

 

「わたしのやり方、何かまずかったですかね」

 

そんな普段と違う雪ノ下に、一色は段々不安になって恐る恐る声をかける。

 

「上手く言えないのだけれど、一色さんのやり方に納得できないの。一色さんが自分で決めたことだから口出しする権利は無いと思ってる、けど……」

「……雪ノ下先輩からすれば、遠回しで非効率な方法だからじゃないですかね」

「そういうことではないの。ごめんなさいね、変なこと言ってる自覚はあるのだけれど……」

 

言い寄る男子を遠ざける。といった目標を完遂することなら、一色案と雪ノ下案のどちらでも達成できることは雪ノ下も分かっている。

だってやだもん、といった理由しか浮かばない、感情的な反対。

そんな、まるで子供のような理由しか頭に浮かばず口を閉ざす雪ノ下に、一色も戸惑う。

 

「あたしも納得できないかな」

 

すると、黙って聞いていた由比ヶ浜が困った顔で雪ノ下に同意する。

 

「やっぱ何か問題ありましたかね」

 

由比ヶ浜にも反対され、一色は益々戸惑う。

 

「いろはちゃんの案だと、誘いを断る以前に誘われないようにする。……これって、ゆきのんの案と違って断られて傷つく人が出ないんだよね」

 

利用された八幡は面倒ではあるが、その面倒も時間とともに解消される。

 

「そうですね。誰も傷つくことが無い案だと思うのですが……」

「それは違う」

 

由比ヶ浜に、はっきりと自分の言葉を否定された一色は肩をビクッと震わせる。

 

「……お願い、自分の気持ちを大切にして欲しいの」

 

そして、由比ヶ浜は一拍置いて悲しい表情でそう言った。

一色のやり方は自分の気持ちを偽る行為。

その本質は八幡の修学旅行の嘘告白と同じく、自分の気持ちを蔑ろにした方法だ。

 

けれど八幡と違い、傷つくことを自覚している一色は由比ヶ浜の言葉に俯いて「……はい」と小さく返す。

 

「あたしもカフェで言ってた意味に気付いてあげれなくてゴメン」

 

一色の行動は諦めの結果だ。

由比ヶ浜が一色のカフェで気持ちを伝えるつもりが無い、と言った意味を理解していれば別の選択があったのかも知れない。

 

「いえ。入り込む余地が無いと分かってたので、どうしようもないですから……」

 

一色は俯いたまま、少し投げやり気味に答える。

同学年で同じ部活を圧倒的に長い期間過ごしてきた3人と自分。

特に八幡と雪ノ下から感じる、奉仕部を特別視するような空気に入り込む余地が無いと感じていた。

 

「……それはちょと違うんじゃないかな」

 

由比ヶ浜は、そんな一色の態度に困ったような顔をして答えると雪ノ下に振り向く。

 

「そうね。一色さんは入り口を見つけている、私にはわからないもの」

「それって、どういう……」

 

由比ヶ浜に応えるように頷いて答える雪ノ下に一色は困惑して2人を見る。

 

「つまり、そういうこと」

 

氷層の上を歩いているような、薄い関係。

生徒会選挙までは、そんな絆などとはほど遠いい不干渉の空気に浸っていただけの空間だった。

それを守るために八幡と雪ノ下は奉仕部を特別視する歪んだ信頼関係で繋がっていたのだが、傍から見れば一色のような感想を抱くのは当然だろう。

入り口にすら届いていない関係の雪ノ下と由比ヶ浜からすれば、一色は先を行っているように見える。

 

そんなことを知らない一色は、由比ヶ浜から言われた意味が理解できるはずもない。

 

「それにしても一色さん。……やっぱり、そうだったのね」

 

そんな困惑したままの一色に、雪ノ下から確信を得た言葉を投げかけられる。

 

「あ、いや。その、やっぱりです……」

 

ずっと困惑顔だった一色は雪ノ下の言葉を受けて、俯きながら頬を少し赤く染めて答える。

 

「あの男、めんどくさいわよ?」

 

そんな仕草に少しからかうような口調で雪ノ下が聞くと、一色は照れた顔を向けて微笑むと。

 

「わたしも相当、めんどくさいですから」

 

と、同じ口調で返した。

雪ノ下は、その答えに一瞬目を丸くするが「それもそうね」、と納得したように微笑む。

そうして2人で一頻り笑いあっていると、由比ヶ浜が割って入るように口を開いた。

 

「いろはちゃんとあたし達は、少し行き違いがあるみたいだよね」

「そうね。認識の相違、第三者視点からの違い、かしらね」

「そういえば、さっき雪ノ下先輩の言ってた、わからないーみたいなのとか一体何のことです?」

「それについては話せば長くなるのだけれども。……そうね、一色さんには話しておくべきかも知れないわね」

 

第三者視点からの認識の違い。

一見仲の良い関係に思えても、その中は嫉妬と強欲が吹き荒れているなんてことは多々ある。

奉仕部の3人の関係は、そんな感情すら曖昧な不安定なもの。

その原因の一端である雪ノ下の問題は、第三者の認識を大きく歪ませることになる。

 

雪ノ下は少し間を置いて話初めようと口を開きかけるが、その時にガチャとイスの音が部室に響きそちらに視線を向ける。

 

「いや、なんつーか」

 

そこには居心地悪そうに頬を掻いて視線さ迷わせた八幡がいた。

 

「俺席外した方がいいかな~、て」

 

八幡は焦っていた。

普段から存在を忘れられることはあったが、自分の話題の最中に忘れられると思わなかった。

見れば雪ノ下は今まで見たことが無いほどに驚愕を顔に張り付けており、由比ヶ浜に至っては放心したように八幡を見たまま動かない。

一色は顔を真っ赤にして少し体を引いたように仰け反っている。

 

「ひ、比企谷君。いつからそこに……」

「さ、最初から?」

 

記憶力は校内一であるであろう雪ノ下に聞かれて、ついつい疑問形で返す八幡。

 

「……ヒッキー、今の話聞いてた?」

「……そりゃ、まあ」

 

不安げな顔で恐る恐るといった感じで聞いてきた由比ヶ浜は、八幡の返事を聞くと一色に申し訳なさそうに視線を送る。

その由比ヶ浜の仕草に釣られて八幡も一色を見る。

そして八幡と目が合った一色は、ゆでダコのように顔を真っ赤にして俯いた。

 

「す、すまん……」

 

他の国では、とりあえず肩を叩きながらHAHAHA!と豪快に笑い飛ばしたり、逆に謝罪と賠償を請求するなどあるが八幡は日本人だ。

どうすればいいのか分からない状況なら謝罪すればいい、と日本人特有の習性に従ってしまった。

 

すると一色はビクッと肩を震わせて「先輩……」と、声を漏らすように呟いて潤んだ瞳で問いかけてきた。

 

「……それは……、何の謝罪ですか?」

「あ、いや」

 

モノレールの時の様な今にも泣きそうな表情で聞かれた八幡は言葉に詰まり一歩後退る。

自分の軽はずみな発言で、こんな表情をさせたことが予想以上に心を乱して八幡は押し黙る。

 

そんな八幡の姿をどう捉えたのか、一色は目に涙を滲ませ肩を落とす。

その顔から落ちる涙を目で捉えた八幡は思考の限界を迎え、助けを求めるように雪ノ下と由比ヶ浜に目線を送る。

 

「あ、あたしのせいだ……。あたしがあんなこと言わなければこんなことに……」

「いえ、由比ヶ浜さん。私が比企谷君の存在を忘れなければ……」

 

部長失格ね、と悲痛な声で呟く雪ノ下と、途方に暮れる由比ヶ浜からは期待した成果は得られないと悟った八幡は、その場に佇む。

 

どのくらいそうしていたのか、部室には一色の鼻をすする音だけが聞こえていた。

八幡は自身に向けられた感情の対処は得意なのだが、それは『負』限定であって、今回のような『負』以外の感情には疎い。

雪ノ下は自分の感情すら分からないのだからどうしようもない。

こんな2人だからこそ一年間で連絡先すら交換しないまま、時を過ごしてきたのだろう。

 

「ゆきのん。1つ、試したいことがあるんだ……」

 

そんな2人を、ここまで繋ぎ止めたのが由比ヶ浜結衣だった。

八幡が立ち止まってしまった時、いつも背中を押してくれたのは彼女だ。

八幡と雪ノ下のことを考え、道を示してくれる心優しい女の子。

また、由比ヶ浜に助けられることに情けなさと罪悪感を感じ、八幡は由比ヶ浜の『試したいこと』を聞く。

 

きっとそれが正解なのだろう、と。

 

「頭に強い衝撃を与えたら、記憶を失うって。だから、試してみる価値あるんじゃないかな?って」

「いや、ちょっと待て!」

 

突如声を荒げた八幡に驚く由比ヶ浜。

驚いたのはこっちだよ!と抗議の視線を向けるが、由比ヶ浜は真剣な表情で見返す。

まるでこれが正解のように。

 

「ヒッキー、これしか無いと思う。記憶失うって言っても、ごく最近の記憶が一般的ってテレビで言ってたし」

「そういう問題じゃねーよ!……って。雪ノ下、何を考えてる?」

 

由比ヶ浜の戦慄するような提案を受けて顎に手を当てて考えている雪ノ下を視界に捉えて言い知れぬ不安を覚える八幡。

 

「いえ……。勿論、由比ヶ浜さんの提案は却下よ。記憶喪失になるまでの衝撃を与えたら生命の危険もあるし、後遺症の危険もある。確証も無いし、暴力を見過ごすこともできないわ」

「そう言われると、確かに危険かも……」

 

そんな雪ノ下の常識的な理由に、由比ヶ浜も納得して引き下がる。

由比ヶ浜は真剣に考えた結果、この提案を口にしたのだ。

その事実に八幡は恐怖を覚えると同時に、少し前に優しい女の子の評価をしたことに、何かモヤっとした気持ちを感じた。

 

気付けば一色の鼻をすするのを止めていた。この会話の流れを聞いていたのだろう。

由比ヶ浜の非現実な提案も、ある程度は効果があったようだった。

 

八幡がそんなことを考えていると、「ただ……」と雪ノ下が話し始める。

 

「記憶を消す。これはいい案だと思うわ」

「は?」

「最近の研究で、マウスでの記憶操作を成功させたとの発表があったのよ。確か、日本人の教授が携わっていたはずだから、姉さんに相談すれば……」

「人体実験じゃねーか!」

 

八幡は脳裏に嬉々としてガラス越しに人体実験の様子を眺める雪ノ下陽乃を想像して身震いをすると、今にもスマホを取りだそうとする雪ノ下に「待て待て!」と言って、

 

「いや、いくらなんでも女子会聞いてただけでこの対応はおかしいだろ!」

「え?」

 

そして、雪ノ下はスマホを手に取ったまま不思議そうな顔で八幡を見上げる。

 

「そりゃ、俺みたいなボッチにはこういった女同士の会話を聞かれたショックはわかんねーけど。元々、一色が葉山のこと好きなの俺も知ってるんだから、記憶消す必要ないだろ!」

 

八幡が慌てたようにそう言うと部室は静寂に包まれた。

 

「は?」

 

その声は雪ノ下が漏らしたものだが、由比ヶ浜と一色も口から今にも「は?」と言いそうだった。

 

「え?違うの?」

 

部室の微妙な空気に八幡は、”また俺何かやっちゃいました?”と思い部室の3人を見渡す。

 

「う、うん!そ、そうだよね!あたし、ちょっとオーバーだった!かも……」

「え!あ、そうですね。わたしもちょと雰囲気に流されてたみたいです!」

 

「ハハハ~」と、その微妙な雰囲気を吹き飛ばすように由比ヶ浜と一色が妙なテンションで笑い合う。

そんな2人、特に一色は先程まで涙を流してた人物とは思えないほどの変化に八幡は胡散臭げな視線を送る。

 

「わ、私も」

 

すると、少し遅れて雪ノ下も同調するように声を上げる。

 

「知的好奇心に負けて目的を見失ってたわ……」

 

これは本音なのだろう。

 

しかし八幡は、こんな唐突な変化はさすがにおかしいと指摘しようとするが、由比ヶ浜が注目を集めるように机をバンと叩いて遮ると、

 

「そうそう、こないだ新作のディスティニィー映画見たよ、ゆきのん!」

「そう。ふふっ、あれはとてもいいものよ」

「雪ノ下先輩も見たんですねー!」

 

この話はおしまいとばかりに別の話題に切り替わった。

 

それから妙なテンションのまま八幡をおいてけぼりに世間話に花を咲かせる3人。

その異常な空間と化した部室はさすがに長く続かないと悟ったのか、少し早めにお開きとなった。

何故か由比ヶ浜の家でお泊まり会をする、と3人仲良く帰って行く姿を見送って、八幡は駐輪場に自転車を取りに向かう。

 

終業式間近なだけあって部活で残る生徒は少ないのだろう。

閑散とした駐輪場には人の気配は無く、八幡1人だけだった。

妙なテンションから開放されて、静かな空間になったことで八幡は冷静に考えてみた。

 

「一色が好きなのは葉山じゃなくて、……俺?」

 

結論を言葉に出してみると、あまりに自意識過剰だと頭を振って再考する。

しかし、何度考えてもそう考えるのが一番辻褄が合う。

それでも普段なら何かしら理由を付けて否定するのだが、それを躊躇う自分がいることに言い知れぬ不安を感じる。

 

(いや、ねえよ。由比ヶ浜のこともあって冷静に考えれないだけだ)

 

そう考えて無理矢理アイデンティティーを維持しようとする八幡だが、脳裏に雪ノ下陽乃の薄く笑う姿が浮かぶのだった。

 




雪ノ下母の名前判明してくれるよね?
登場させても母、母としか書けないから出てくれないと非常に困る。


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