その場にいる者達は、男泣きを続けるゴドフリーに圧倒されていた。
大の大人が、はばかる事もなく元同級生にすがりつき、
まるで子供のように泣き笑いを続けている姿は、
確かに普通に生活している分には、お目にかかれない光景だろう。
だがゴドフリーの涙は、とても純粋な感情の発露であり、
その光景を、気持ち悪いとかみっともないと思う者は、
この場には、ゆっこと遥の一派以外には誰もいなかった。
その一派の者達は、このある種異様な光景を見て、葉山の言った事は本当かもしれないと、
少し焦りに似た感情を抱き始め、すがるような目でゆっこと遥を見つめた。
二人は今更後には引けないと思ったのか、
引き続き八幡と、八幡にずっと抱き付いているゴドフリーを中傷し始めた。
「いいおっさんが、みっともないとは思わないの?」
「あんた、こいつと誰かを勘違いしてない?
こいつはね、高校の時、学校中から嫌われてたやっかい者だよ?」
その言葉を聞いたゴドフリーは、ピタッと泣くのをやめると、
むくりと立ち上がり、二人と正面から向かい合った。
そしてゴドフリーは、とても静かな口調で二人に言った。
「それがどうした」
その言葉には殺気のようなものが含まれており、
その瞬間に、ゴドフリーの存在感が、まるで山のように膨れ上がった。
SAOサバイバーの中でも、攻略組の者達は特別な存在である。
その者達は皆、多かれ少なかれ、人の社会から逸脱した面を持つ。
普段はそういった面を決して他人には見せない事で、何とか社会に適合している、
現実世界に復帰した攻略組の面々は、基本そういった存在だった。
そのゴドフリーが、自らに課した枷を外し、本気の怒りを見せたのだ。
並の大学生程度では、その迫力の前には立っている事すら出来ないであろう。
それなりに修羅場をくぐっているはずの雪乃達ですら、耐えるのが精一杯であり、
実の娘である南も、初めて見るそんな父の姿を見て、その場にへたりこんだ。
中には失禁した者もいたかもしれないが、その事には触れないでおこう。
そしてそんな状態の中、八幡と明日奈だけが平然としていた。
八幡と明日奈は、まるで普段とは変わらない口調でゴドフリーに言った。
「そのくらいにしておいてやれよ、ゴドフリー」
「まあまあ、子供の言った事じゃない、気にしない気にしない」
二人が発した言葉は、字面だけ見ると本当に何気ない物だったが、
そんな二人の発する気配は、ゴドフリーのそれよりもはるかに強大であり、
その何でもないような表情からは、王の威厳のようなものが感じられた。
ゴドフリーはその言葉を受け、二人に向き直り、笑顔で頷いた。
「それもそうですな、参謀、副団長」
その場にいた者達は、これで嫌でも理解した。先ほど葉山の言った事は本当なのだと。
そしてゴドフリーは南に手を差し伸べ、優しく立ち上がらせると、
まるで子供に諭すように素の口調で南に言った。
「いいか南、よく聞くんだ。この人達はな、俺の命の恩人だ。
ゲームをクリアしてくれたからとか、それも間違ってはいないが、
文字通り俺の事を、敵の手から身を挺して助けてくれた、本当の恩人だ」
「う、うん」
「もしこの人達がいなかったらな、俺は今、こうやって南と話す事は出来なかった。
俺は敵の仕掛けた罠にはまり、確実に死んでいたと断言出来る」
「うん……」
「だから俺もお前も、この人達への感謝を決して忘れてはいけない。
それだけは覚えておいてくれ」
「うん、分かった」
南はその父親の言葉に、殊勝な態度で頷いた。
そしてゴドフリーは、ゆっこと遥の方に向き直り、話を続けた。
「俺はお前らと参謀達との間に何があったかは知らん。だが一つ覚えておくといい。
俺達が閉じ込められた世界はな、例えて言うなら、街中を殺人鬼が武器を持って徘徊し、
街の外には、虎やライオンが闊歩するような、そんな世界だ。
少しでも気を抜いたら確実に死ぬ。だがこの二人は、そんな世界で、
ただ自分達が生き残る為だけじゃなく、他人を助け、多くの仲間達を指揮し、
真の敵の正体を暴き出し、そしてついにその敵を倒す事に成功し、
六千人もの人々の命を救ったんだ。そんな事が出来る一般人が他にいるか?
この二人はな、本当の意味での英雄なんだよ。それが絶対的な真実だ。ソースは俺」
八幡と明日奈は、ゴドフリーの言葉を黙って聞いていたが、
ソースは俺というゴドフリーの最後の台詞を聞き、プッと噴き出した。
その瞬間に、三人から発せられていた雰囲気が霧散し、
周りを囲んでいた者達は、やっと一息つく事が出来た。
「すごい迫力だったわね……」
「あーしもマジびびった……」
「あたしも一歩も動けなかったし……」
「改めて当事者から話を聞くと、ヒキタニ君まじぱねー!マックスリスペクトだわ!」
「比企谷はやっぱりすごいな……」
「さすがは八幡だね、すごいすごい!」
「おいお前ら、さすがに恥ずかしいから、あまり持ち上げないでくれ」
ただ友達と話したいだけだった八幡は、困った顔でそう言った。
今思えば、ゴドフリーとは店の外で会えば良かったと、八幡は少し反省していた。
周りの者達も今の話を聞き、八幡を讃える雰囲気になっていたのだが、
それに逆行するようにヒステリックに叫ぶ者がいた。ゆっこと遥である。
「何よ……何よ何よ何よ!別に私が何かこいつに助けてもらった訳じゃない。
私にはそんなの一切関係ない。六千人を救った英雄?それが私に何の関係があるの?
私はとにかくこいつが嫌いなだけよ。嫌いな奴を嫌いと言って何が悪いのよ!」
「そもそもゲームの中でちょっと活躍したからって、それが現実で何の意味があるのよ。
私達は大学生だけど、こいつはまだのんびりと高校生をやってるじゃない。
結局こいつは負け犬なのよ、人生の負け犬よ!」
八幡はその二人の台詞を聞き、ある意味二人を見直した。
あのゴドフリーを見た後でのこの態度。取り巻きは皆、戦意を喪失したとばかりに、
二人からはもう距離をとっているにも関わらず、それをまったく気にしない厚顔無恥さ。
おそらく自暴自棄になっているのだろうが、それでもこの胆力は中々すごいと、
八幡は二人の事を、そう評価した。
だが、さすがにその二人の言葉は看過出来なかったのか、
葉山と戸部が、同時にゆっくりと立ち上がった。
雪乃や結衣、優美子も、顔に青筋を立て、怒りに任せてゆっこの方へと向かおうとした。
戸塚も珍しく怒っているような表情を浮かべていた。
ゴドフリーは、さすがに自分は部外者だと自覚している為か、
自分からは動こうとはせず、八幡と明日奈の出方を伺っていた。
そんな中、スッと前に進み出た者がいた。明日奈である。
その背中を見た瞬間、八幡は慌てて振り返ると、親しい者達を手招きして集め、
小声だが、それでいてとても焦ったような声で仲間達に言った。
「やばい、明日奈がキレた……しかもこれは、過去最大級にやばいやつだ」
「えっ、ヒキタニ君、マジでぇ?」
「本当に?」
「見た所、ニコニコしながら前に出たようにしか見えないのだけれど」
その明日奈は、雪乃の言う通りニコニコと笑顔を浮かべていた為、
ゆっこと遥は、部外者が何か文句でもあるのかと、明日奈をじろっと睨んだ。
「何?あんたは部外者でしょ?口出ししないでよ」
「そうよそうよ、ちょっと美人だからって、いい気になるんじゃないわよ!」
それに対しての明日奈の返事は、
普段の明日奈なら、絶対に言わない台詞のオンパレードだった。
「それって自分達が美人じゃないって、遠まわしに自爆してるの?
あ、もしかして、男の子にまったくモテないのかな?
それとも私の彼氏がすごく格好良くて、将来性もあるから悔しいの?
まあそれは、貴方達の心が醜いせいだから仕方がないと思うの。
その辺りを自覚して少しは努力しようね?
ところで何で私が部外者?へぇ~、大切な彼氏が、
ただのモブからまったく的外れな侮辱をされたのに?ふ~ん」
その言葉を聞いた仲間達は、八幡の判断が正しかった事を嫌でも理解した。
「うわ、マジでやっべえっしょ……」
「ど、どうすればいい?」
「何があっても絶対に明日奈に逆らうな。もし暴力沙汰になりそうだったら、
俺が何とかする。とりあえずそんな感じで頼む」
「う、うん」
「分かったわ……」
一同はとりあえず、何があっても即応出来る体勢をとった。
そして明日奈が何か言おうとした瞬間、突然何者かがその場に乱入してきた。
そしてもう一人が、その何者かを慌てたように追いかけてきた。
更にもう一人がきょろきょろと、興味深げに辺りを見回しながら店に入ってきた。
「ちょ、ちょっとあんた、まずいよ、これは絶対まずいって」
「え~?さすがにここでダンマリは、私達の立場的に無くない?」
「そ、それは確かにそうだけど、ここにいる事がバレたら絶対怒られるって!」
「もうバレてるんだから、別にいいじゃん?」
「それはあんたのせいでしょ!もう、部長もこの子を止めるのを手伝って下さいよ」
「オレっちは、ただの興味本位で着いてきただけだゾ」
「あっ、やっほー!言われた通り来たよー!」
「あ……ち、違うの、これはその……あの……」
二人は八幡と目が合うと、そう言った。もう一人はニヤニヤしながらそれを傍観していた。
八幡は、どうしてこう厄介事というのは重なるんだと思いながら、その三人に言った。
「言われた通りって何だよ。っつーかお前ら、何でここにいるんだよ……」
それは、先ほど別れたばかりのエルザと、
どうやらそれを止めに来たらしい薔薇と、
滅多に外に出たがらないアルゴだった。
本来はただの同窓会のはずなのだが、事態は加速的に、その混乱具合を増しつつあった。