「それじゃあ目的地へ案内するよ」
「目的地は何て所なんですか?」
「『SleepingForest』眠りの森っていう特殊な施設だね。
そこには、楓ちゃんみたいな難病の患者さんが沢山いるんだ」
「キット、場所は分かるか?」
『検索完了しました、最短ルートで到着出来ます』
「うわっ、く、車が喋った!?」
知盛は、いきなり車が喋った事にとても驚いた。まあ誰もが通る道である。
八幡は道中で知盛に、キットの事を説明した。
「ああ、ソレイユの技術力のアピールも兼ねてるって事なのかな?
それにしても、本当に君達は規格外だよね……」
実際はキットに関して、ソレイユは関係が無いのだが、
実は今のキットは、アルゴの手により、
茅場晶彦の残したAIプログラムの影響を色濃く受けており、
完全にソレイユと関係が無いかというと、そうでもないのだった。
「知盛!」
「姉さん」
「メディキュボイドは、メディキュボイドはどこ?」
「ちゃんと手配してあるから、とりあえず落ち着いて。ほら、お客さんの前だからね」
知盛の姉、経子は、そう言われて改めて周りを見回すと、
こほんと咳払いをし、優雅な所作で、一行に自己紹介をした。
「初めまして、知盛の姉の経子です……って、明日奈ちゃん?明日奈ちゃんよね?」
「はい、経子おばさま、お久しぶりです」
明日奈の中の経子のイメージは、挨拶をしても義務的に返してくるだけの、
お人形のような人だった。その為、経子がそっと明日奈を抱きしめた瞬間、
明日奈は訳が分からず混乱した。そんな明日奈に経子は言った。
「どうやら健康状態もまったく問題が無いようね。本当に心配したのよ。
よく帰ってきてくれたわね、明日奈ちゃん」
「あ、えっと……は、はい、ご心配をおかけしました」
「ん?どうかしたの?」
戸惑いながら、何とかそう返事をした明日奈に、経子はきょとんとして尋ねた。
そんな経子に知盛が言った。
「姉さん、明日奈ちゃんは、親父が一緒の時にしか姉さんに会った事が無いから、
そのギャップに驚いているんだと思うよ」
「えっ?もしかして私、明日奈ちゃんに嫌われてた!?」
「多分……」
「えっ、やだ、本当に?」
「え~っと……」
明日奈が気まずそうに目を背けるのを見て、
経子はあからさまにショックを受けたそぶりを見せた。
明日奈は訳が分からず戸惑っていたが、そんな明日奈に、知盛が説明を始めた。
「僕達は直系な事もあって、お客様の相手をする時は、とにかく無難に、
淡々と受け答えするようにしていたんだよ。まあ兄貴以外はだけどね。
あれはただ性格が悪いだけだから、今後も適当に相手をしておけばいい。
おっと、話が反れたね。で、下手に分家の人間に甘い態度をとると、
後で親父の雷が落ちるから、姉さんも、極力明日奈ちゃんには、
落ち着いて平常心でって自分に言い聞かせながら接してたんだと思うよ。
だって普段とはまったく態度が違うんだもの。普段の姉さんは、明日奈ちゃんの事を、
かわいいかわいいってすごく気に入って、僕に同意を求めてくるような人だったからね」
その事実を聞いた明日奈は、とても驚いた。
「そ、そうだったんですか!?」
「そうよ、こんなにかわいい子をいじめるだなんて、とんでもない!
分家の馬鹿どもは、あなた達家族に冷たく当たる事が多いみたいだけど、
そのうち全員潰すから、安心してね、明日奈ちゃん」
「あ、あは……」
明日奈は苦笑いしつつも、経子さんは私の味方だったんだと、
少し心が温かくなるのを感じた。
「姉さん、自己紹介の途中だけど、とりあえずこんな所じゃアレだし、
応接室にでも行って話さない?」
「そうね、お客様を立ったままにさせておく訳にはいかないものね。
とりあえず皆さん、どうぞこちらへ」
その知盛の提案を受け、経子は一行を応接室へと案内した。
そして改めて自己紹介が始まった。
「それでは改めまして、この施設の園長をしております、結城経子です。
本日は私の娘の為にご足労頂き、本当にありがとうございます」
「雪ノ下陽乃です。ソレイユ・コーポレーションの社長をしています。
一応メディキュボイドは我が社の専権事項となっているので、私が参りました」
「比企谷八幡です」
陽乃と八幡は、簡単にそう挨拶をした。
経子は陽乃の立場については理解したようだったが、
八幡についてはよく分からなかった為、きょとんと明日奈の方を見つめた。
「えっと、八幡君は私の一番大切な人で、いずれ経子叔母様の甥になる人、かな」
その言葉を聞いた瞬間、経子の顔が、パァッと明るくなった。
「あらまあ、そういう事なのね。あなたが幸せそうで、私も本当に嬉しいわ」
「ありがとうございます、叔母様」
今度こそ明日奈は、心から嬉しそうな表情でそう言った。
「ちなみにうちの次期社長であり、メディキュボイドをどうするかについての、
決定権を持つ人間でもあります」
陽乃がそう付け加え、経子は驚きの表情を見せた。
「そうなのね……明日奈ちゃん、本当にいい人とめぐり合えたのね」
「はい、こう言うのはどうかとも思いますけど、SAOのおかげです」
「と、言う事は……」
経子が何か言おうとするのを制し、知盛が先に経子に声を掛けた。
「閃光は、やっぱり明日奈ちゃんだったよ、姉さん。
そして八幡君は、いわゆる攻略の中心人物だったみたいだよ」
「あら、やっぱりそうだったのね。すごいわ明日奈ちゃん、それでこそ結城の女よ」
経子はそう嬉しそうに頷いた。そして八幡は、今回の経緯について説明を始めた。
「何よそのゴミ虫は。出来る事ならこの手で抹殺してやりたいわ」
「ぷっ……」
「えっ、えっ?今私、何か変な事を言ったかしら」
その経子の台詞に、明日奈が堪えきれずに噴き出し、知盛は頭をかきながら言った。
「姉さん、実はさっき、僕もまったく同じ事を言ったんだよね……」
「あらそうなの?まあ姉弟だし、似るのも当たり前って事ね」
そして経子は更にこう付け加えた。
「要するに知盛の下克上を手伝えって事でいいのかしら。報酬はメディキュボイドと」
「まあ、そういう事になりますね」
そして経子は少し考えた後、八幡にこう言った。
「分かったわ、他ならぬ明日奈ちゃんの為でもあるし、
娘の為でもある。私も全面的に協力する。ただし、それには条件があるわ」
「はい、何でしょう」
「国友義賢を何とか説得して頂戴。私としても、ここで下手に敗軍の将となって、
この施設を潰されたりするのは困るのよね」
「はい、当然そのつもりです」
八幡は、その要求は想定していた為、問題なく頷いた。
「勝算はあるの?」
「まあ、無い事はないですね……」
八幡は、菊岡の言葉だけが頼りだとは言えず、そう言葉を濁した。
「まあ、結果が分かったら直ぐに連絡して頂戴。それでメディキュボイドだけど……」
「それならまもなくここに到着すると思います」
「あらやだ、さすがはソレイユと言った所かしらね」
経子はその行動の早さに、感心したように言った。
だが陽乃は、八幡の方をチラっと見て、経子にこう言った。
「まあ、交渉が纏まろうが決裂しようが、最初からここに提供するつもりでしたからね」
「えっ、そうなの?」
「はい、彼はそういう人なんですよ」
「ちょ、ちょっと姉さん、それは……」
八幡は慌てたように陽乃に声を掛けたが、
そんな八幡の手を、経子はガッチリと握り締めた。
「そうだったんだ、君はとっても優しい子なんだね。
あなたみたいな人なら、明日奈ちゃんの夫として申し分が無いわ。
これから宜しくね、八幡君」
「あっ、はい、宜しくお願いします」
こうして話も纏まり、もう遅い時間だからと、国友家に行くのは明日という事になった。
ここで知盛が、先ほど八幡から聞いた刃傷沙汰の話を披露し、
経子は詳しい話を聞きたがった為、八幡は再びその時の事を話し始めた。
先ほどと違ったのは、最後に八幡が、何となく思い出して付け加えた一言だった。
「あなたすごいわ……あのお父様に正面から喧嘩を売ってきたのね」
「あっ、でも結局最後には、『また来い』って言われたんですよね。
これってちゃんと喧嘩を売れてるんですかね?」
その八幡の言葉に、知盛と経子は沈黙した。
そして二人は、直後に驚きの表情を浮かべ、八幡に詰め寄った。
「え、え、それ本当に?冗談とかじゃなくて?」
「嘘、私、お父様が他人にまた来いなんて言う所、見た事無いんだけど」
「えっ、そうなんですか?」
きょとんとする八幡の顔を見て、二人は顔を見合わせた。
「これはもしかすると……」
「気に入られたのかな……?」
「ハハッ、まさか」
この事で、八幡に対する興味が増した二人は、SAOでの話を聞きたがったのだが、
それに対して八幡は、経子の方を見ながらこう言った。
「それは今度にしましょう。明るく振舞ってますけど、経子さん、
ずっと娘さんの事を気にしてらっしゃいますよね?
俺達もお見舞いをしたいんで、もし良かったら、楓さんにお会い出来たらと」
「あ……」
その八幡の言葉を聞いた瞬間、笑顔だった経子の顔がくしゃりと歪み、
経子の瞳から、涙が頬を伝って落ちた。八幡はハンカチを取り出し、その経子の涙を拭いた。
経子の涙はしばらく止まらず、八幡はそれを黙って拭き続けた。
やがて落ち着いたのか、経子は再び元の笑顔を取り戻し、八幡に言った。
「ありがとう、それじゃあ楓の所に案内するわね、こっちよ」
どうやら楓の病気は感染する類のものでは無いらしく、
一行は楓の病室へと、そのまま入る事が出来た。
「お母さん、知盛さん」
「楓、具合はどう?」
「楓ちゃん、久しぶり」
楓は嬉しそうに二人に声を掛けた後、八幡達の方を見てきょとんとした。
「えっと、お兄ちゃん達は誰?」
「初めまして楓ちゃん、私はあなたのいとこの、結城明日奈だよ」
「俺は比企谷八幡、この明日奈お姉ちゃんともうすぐ結婚する予定だから、
俺もまあ、楓のいとこみたいなものかな」
「私は雪ノ下陽乃よ。私の事も、お姉ちゃんだと思ってくれていいからね」
その三人の挨拶に、楓は目を輝かせながら言った。
「うわぁ、うわぁ、お母さん、私にお姉ちゃんが二人と、お兄ちゃんが出来たの?」
「ええそうよ、楓、良かったわね」
「うん!他のいとこの人達はあんまり好きじゃないから、楓、凄く嬉しい」
その言葉を聞いた八幡は、表情を硬くして、経子にそっと尋ねた。
「経子さん、他のいとこの連中って……」
「そうね、何度か視察に来る親戚連中に付き添って、来た事があるんだけど、
その時の態度は想像にお任せするわ」
「そうですか」
「ここはどうしても、場所的にそういったしがらみから逃れられないからね。
もう私と娘とここの患者さんを連れて、いっそどこか遠くに行きたいって思う事もあるわ」
八幡はその言葉を聞き、突然こんな事質問をした。
「経子さん、あの、旦那さんは……?」
「五年ほど前に亡くなったわ」
「そ、そうでしたか、すみません」
「いいのよ八幡君、気にしないで」
その経子に八幡は、更におずおずと質問をした。
「ここには今、何人くらいの子供がいるんですか?」
「そうね、全部で十人くらいかしらね」
「十人ですか……それくらいなら……」
八幡はそう言うと、チラッと陽乃の顔を見た。
陽乃は八幡の意図を察したのか、それに対し、黙って頷いた。
「あの、経子さん、環境が良くないって言うなら、もし良かったら、
ここの子供達を連れて一緒に東京に来ませんか?場所はうちで用意します。
メディキュボイドの開発者もいますし、しがらみも断ち切れますし、
悪い事にはならないと思うんですが」
その八幡の言葉に、経子は驚いた。
「それは願ってもない話だけど……いいの?」
「はい、まったく問題無いです。既に施設の建設は開始していますしね」
ソレイユは既に、メディキュボイドの試験運用の為、施設の建設を開始していた。
それを聞いた経子の返事はこうだった。
「それじゃあお願いしようかしら。楓の最期を看取った後に、ね」
「そ、それは……」
八幡は、その言葉に絶句した。
「いいのよ八幡君、もう楓は長くない。
だからお願い、最後に楓に楽しい夢を見せてあげて」
「……分かりました」
八幡はそう言うと、泣きそうになるのを必死に堪えながら、
明日奈と楽しそうに会話している楓の下に向かい、笑顔でこう言った。
「楓、お兄ちゃん達は、楓に素敵な夢を見てもらう為にここに来たんだよ。
近いうちに準備が出来るから、そしたら一緒に思いっきり遊ぼうな」
「そうなの?やった、うん、私、お兄ちゃん達と一緒に遊びたい!」
そして楓は、最後にこう付け加えた。
「お兄ちゃん、私、お爺ちゃんも一緒がいい!」
「お爺ちゃんも……?他の子達と一緒じゃなくてもいいのかい?」
「うん、ここの人達はちょっと年上だし、いつもモニター越しにいっぱいお喋りしてるから、
今はお兄ちゃんやお姉ちゃんや、お爺ちゃんと遊ぶの!」
「そっか、うん、お兄ちゃんが力ずくで、お爺ちゃんを連れてきてあげるからね」
「お兄ちゃん、お爺ちゃんより強いの?すごいすごい!楓、楽しみに待ってるね!」
「ああ、期待して待っててくれ」
その八幡の言葉に、楓はとても嬉しそうに微笑んだのだった。