「そういえば、夕食はどうする?」
「あ~、章三さん達はどうしたんだろうな、明日奈、ちょっと聞いてみてくれ」
「うん、分かった」
明日奈はそう言うと、章三へ電話を掛け始めた。
そして明日奈は通話を終えると、八幡に言った。
「私達の帰りが何時になるか分からなかったから、菊岡さんと一緒に先に食べたんだって」
「そうか……明日奈、姉さん、何か希望はありますか?」
「そうねぇ……私は別に何でも」
「私も別に……あっ」
明日奈が、何か思いついたようにそう言った。
「何か食べたい物を思いついたのか?」
「うん、ラーメン!」
「ラーメン?」
「ほら、雪乃と静さんと一緒に、前に食べに行った事があるって」
「ああ」
八幡はその時の事を思い出し、自分の腹の音が聞こえたような気がした。
「よし、そうするか……って、あの時は確かタクシーで行ったんだよな。
場所がいまいち思い出せん」
「え~、残念」
「静ちゃんに聞いてみる?」
「そうですね……」
『八幡、その店なら私が分かります』
突然キットがそんな事を言い出した。
「え、キット、まじでか?」
『はい、いつかもう一度行ければいいなと、雪乃が私に場所をインプットしておいたので』
「ナイスだ雪乃」
「あの子らしいというか何というか」
「やだ、雪乃がすごくかわいい」
三人は、雪乃が真面目な顔で、キットにラーメン屋の情報を伝える姿を想像し、
少しほっこりとした気分になった。
そしてキットに連れられて、三人は無事に目的のラーメン屋に到着する事が出来た。
「おお、懐かしいな」
「凶暴な旨みでしたね!」
「明日奈、雪乃に聞いたのか」
「うん!」
「まあその感想は食べてからな。さ、入りますか」
店内は、少し遅めの時間のせいか、若干席に余裕があり、
三人は無事に並んで座る事が出来た。そして注文したラーメンを一口啜った明日奈は、
衝撃を受けた顔で、ぽつりと呟いた。
「凶暴な旨みだね……」
八幡は、明日奈の横顔をチラリと見て、どうやらそれが雪乃の真似ではなく、
明日奈の本心からの言葉だという事が分かり、とても満足した。
陽乃はラーメンを食べるのは数年ぶりらしく、満足そうな顔で、黙々と麺を啜っていた。
そして食べ終わった三人が外に出た時、突然陽乃が、どこかに電話を掛け始めた。
八幡は、陽乃が何をしようとしているのか薄々感じていた。
そしてそれは案の定、雪乃への電話だった。
「もしもし、姉さん、どうかしたの?」
「あ、雪乃ちゃん?ほらほら明日奈ちゃん、せ~の」
「「凶暴な旨みでしたね!!」」
雪乃はその二人の言葉を聞き、しばらく無言だったが、
やがて顔を赤くして、ぷるぷると震え出したかと思うと、
……というのは八幡の推測だったが、実は事実であった……陽乃に向かってこう言った。
「……姉さん、そこに八幡君はいるかしら」
「ええ、いるわよ」
「ちょっと代わってくれないかしら」
「うん、分かった」
そして陽乃は、自身のスマホをスピーカーモードにして八幡に渡した。
「八幡君、雪乃ちゃんが話したいって」
「俺にですか?……おう雪乃、何か用か?」
「何か用か……ですって……?」
(あ、やべ、これは絶対怒ってる……)
「すみませんでした、雪乃さん」
八幡は、神の速度でいきなりそう謝った。それを聞いた雪乃は、冷たい口調で言った。
「あら、いきなり謝るなんて、何か悪い事をしたという自覚があるみたいね」
(しまった、作戦をミスった……)
八幡は少し顔を青くしながら、慌てて言った。
「いえ、決してそういう訳では無くですね、先ほどの私の電話に出た時の言葉遣いが、
女性に対するものでは無かったと、反省の弁を述べただけの事です、雪乃さん」
「誤魔化すのはやめなさい、悪い事をしたという自覚があるのね?」
「………………………………………………はい」
八幡はどうしようかと迷い、長い沈黙の末にそう言った。
それを聞いた雪乃は、続けてこう言った。
「よろしい、では自分がどうすればいいかも分かってるわね」
「あ、はい、えっと……お土産に猫グッズを買っていけばいいですか」
「それは別腹よ、ごちそうさま」
雪乃は間髪入れずにそう返事をした。八幡は、途方にくれながらこう呟いた。
「あ、はい……もちろん別腹ですよね……」
「ええそうよ。とりあえずあなたは、こっちに戻ってきたら、明日奈も一緒でいいから、
私をあなたの一押しのラーメン屋に連れていきなさい。いい、絶対よ?」
「はい、そのように手配致します……」
「ちなみにこの電話は、通話が終わると爆発するわ」
「いや、しねーから」
「ふふっ、それじゃあ楽しみにしているわ、お休みなさい、八幡君」
「おう、またな、雪乃」
そして通話が終わると、明日奈と陽乃は笑い出した。
「あはははは、八幡君、やっぱり怒った雪乃ちゃんの事、ちょっと苦手なんだ」
「ふふっ、まるで弟がお姉さんに叱られてるみたいだったね」
「お、おう……何か高校時代の事を思い出しちまってな……」
そして一行は、雪乃用の猫グッズを三人で選んだ後、やっとホテルへと戻る事となった。
「これでやっと一息つけるな……」
だが八幡は忘れていた。自分が明日奈と二人部屋だという事を。
そして部屋に入り、明日奈が普通にその後に続いて部屋に入ってきた瞬間に、
八幡はその事を思い出し、一瞬で身を固くすると、ギギギという音が聞こえるような動作で、
そのまま畳に腰を下ろした。それに対して明日奈はとてもリラックスしていた。
「八幡君、お茶でも入れようか?」
「そ、そうですね、お願いします」
「もう、何で敬語?」
そう言いながらも明日奈は、手際よくお湯を沸かし、二人分のお茶をいれた。
そして明日奈はテーブルにお茶を置くと、少し八幡から離れた場所に座った。
「はい、お待たせ、八幡君」
「お、おう、ありがとな」
八幡はそれを疑問に思いつつも、湯飲みを手にとった。そして二人はずずっとお茶を啜った。
それで少しは落ち着いたのか、八幡は明日奈にこう尋ねた。
「さて、今日はもう予定は無いし、これからどうする?」
「普通に考えれば温泉だよね」
「まあそうだよな」
「でもその前に、歯磨きがしたいかな」
「歯磨き?まあ確かにそうかもしれないが、温泉に行った後でもいいんじゃないか?」
「そうなんだけど、その……」
明日奈は、奥歯に物が挟まったような言い方で、おずおずと言った。
「今の私、多分ニンニク臭いと思うから……」
八幡はその言葉で、明日奈が離れた場所に座った理由に思い当たった。
「だからそんなに遠くに座ったのか」
「う、うん……」
明日奈は少し顔を赤くしながらそう言った。
八幡は明日奈との距離を詰め、明日奈の頭を抱くと、くんくんと匂いを嗅ぎ始めた。
「ちょ、八幡君、駄目!」
「ん~、いつもの明日奈のいい匂いしかしないけどな」
「もう、駄目だよぉ……」
だが八幡は明日奈を離そうとはしなかったので、明日奈は困ったようにもじもじした。
「う~ん、やっぱり分からん。ま、いいか、とりあえず歯磨きをするか」
「うん」
そして二人は浴室の隣にある洗面所で、仲良く歯磨きを始めた。
歯磨きの最中、明日奈が困ったようにもぞもぞしているのを見て、
八幡は何だろうと思い、明日奈に尋ねた。
「明日奈、どうかしたのか?」
「うん、多分ネギだと思うんだけど、歯の間に挟まって取れなくて……」
「何かないかな、お、使い捨ての歯間ブラシまで用意されてるんだな。
明日奈ほら、あ~んしろ、あ~ん」
「ええっ!?そんな高等なプレイ、私にはまだ早いよぉ……」
「プレイってお前な……」
そして明日奈はおずおずと口を開き、八幡は、明日奈の歯のネギが挟まっている箇所に、
こしょこしょと歯間ブラシを差し込み、前後させた。
明日奈はそれが気持ちよかったのか、目を瞑ってだらしない表情をしていた。
「よし、取れたぞ、明日奈」
明日奈はそれを聞き、舌で自分の歯の様子を確認していたが、
確かに取れたのを確認出来たのか、頬を赤らめながら言った。
「あ、ありがとう」
「おう」
「八幡君に、私の口の中を、いいように弄ばれちゃった……」
「おい明日奈、姉さんの影響なのか分からないが、さっきから微妙に言動がおかしいぞ」
「そ、そうかな?」
「ああ、間違いない。やはり姉は選ぶべきだな」
八幡は、自分の事は棚にあげ、しれっとそんな事を言った。
そして明日奈は当然それを指摘した。
「って事は、八幡君も影響を受けてるんじゃ……」
「う……確かにそれはあるかもしれないな……」
「まあでも、姉さんの事はすごく尊敬してるし、影響を受けるのは仕方ないかな」
「違いない」
そして二人は口をゆすぎ、歯磨きを終えた。
「しかし何か豪華な部屋だよな。寝室は独立してるし、和室もあるし」
「そうだよね……」
「そういえば確認してなかったけど、こっちは風呂なのかな」
「かな?」
二人は浴室のドアらしきものを開け、中を確認した。
そして二人は中を見て、とても驚いた。
「何だこれは」
「結構広いね。それに上に星が見えるよ?これって露天っぽい家族風呂?
あ、ダブルベッドの部屋だから、カップル風呂?」
「これ、偶然じゃないよな、完全に狙って予約してるよな……絶対に章三さん達もグルだろ……」
「だよね……」
「まあこれなら、大浴場に行かなくてもここでいいか」
「うん」
「それじゃあ順番に入るか」
八幡はそう提案したのだが、明日奈は返事をしない。八幡がちらりとそちらを見ると、
明日奈は何かを期待するような目で、じっと八幡の目を見つめていた。
八幡はそれで、明日奈が何を要求しているのか何となく悟った。
「……それじゃあ、一緒に入るか」
「うん!」
そして準備が整い、二人は一緒に風呂に入る事にした。
八幡は、服を脱ぐ明日奈の方をなるべく見ないようにパパッと服を脱ぎ、先に中に入った。
明日奈は中々入ってこず、その間に八幡は体を洗い、先に広い湯船につかった。
そしてその時、明日奈が中に入ってくる音がした為、八幡は明日奈に言った。
「明日奈、遅かったな、何かあったのか?」
そう言って明日奈の方を見た八幡の目に、一糸纏わぬ明日奈の姿が飛び込んできた為、
八幡は慌てて顔を背けた。そんな八幡に、明日奈は少し不満そうに言った。
「八幡君、さっきからずっとこっちを見ないようにしてるけど、今更じゃない?」
「ま、まあそれはそうなんだけどな……」
「ねぇ八幡君、良かったら、私の背中を流してほしいんだけど」
「お、おう……」
そして目を背けつつも、ちらちらとそちらを見ながら明日奈の背中を流す八幡を見て、
明日奈はクスリと笑いながら八幡に言った。
「八幡君は、昔からずっと変わらないよね」
「まあさすがに彼女とはいえ、あんまりじろじろ見るのはな」
「ふふっ、まあそれが八幡君だよね」
そして二人は仲良く星を見つめながら、並んで湯につかった。
「しかし本当に広い湯船だよな……」
「うん」
「こうして一緒に風呂に入るのは、何度目かな」
「何度目だっけ」
「まあ、忘れるくらいの回数は入ってるって事になるな」
「ふふっ、そうだね」
そして二人はどちらからともなく手を繋ぎ、お互いの存在をしっかりと確かめあった。
「これからもずっと私の傍にいてね」
「ああ、もちろんだ」
二人はしばらくそうしていたのだが、十分温まったのか、風呂から出ると、
並んで和室にごろんと横になった。
「ふう~、いいお風呂だったね」
「ああ、今日は少し疲れたから、かなり眠い」
「私は髪を乾かすのに少し時間がかかるから、八幡君、先にベッドの方に行ってていいよ」
「ああ、それじゃそうさせてもらうわ」
そして明日奈は、ゆっくりと髪をかわかすと、少しドキドキしながら寝室へ向かった。
寝室のドアをそっと開けると、スゥスゥと、八幡の寝息が聞こえてきた。
明日奈は少し残念に思いながらも、本当に疲れてたんだなと思い、
八幡を起こさないように布団に入ると、小さな声で八幡に言った。
「今日は本当にお疲れ様、八幡君」
そして明日奈はそのままそっと八幡に抱きつき、幸せな気分で眠りについた。