「楓、よく眠れたか?そろそろ夕方だぞ」
「ん……ふあぁあぁ……あれ、お兄ちゃん?」
「楓ちゃん、おはよう」
「お姉ちゃんも!」
八幡と明日奈は、目を覚ました楓に、そう声を掛けた。
楓は、寝起きはいい方なのか、元気よくベッドから飛び降りると、二人に抱き付いた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、おうちに来てくれたんだ、楓、とっても嬉しい」
「もう一人いるぞ、楓。ほら、こっちだ」
楓は、きょとんとしながら、とてとてっと二人の後を追いかけた。
そして、居間でにこにこと笑っている清盛の姿を見付けた楓は、
満面の笑みを浮かべながら、清盛に抱きついた。
「お爺ちゃん、来てたんだ!」
「ああ、今日は久しぶりに、楓と一緒に夕飯を食べようと思ってな」
「本当に?やったぁ!」
楓は喜び、ちょこんと清盛の膝の上に腰を下ろした。
そしてきょろきょろと辺りを見回すと、清盛に尋ねた。
「お爺ちゃん、お母さんは?」
「経子は今、買い物に行っておるよ。多分もうすぐ帰ってくるんじゃないかのう」
「そっかぁ、今日のご飯は何かな何かな」
楓は、いかにも待ちきれないといった感じで、清盛の膝の上で、
楽しそうに体を左右にゆらゆらと揺らしていた。
そこにタイミングを計って、経子が姿を見せた。
「あらあら楓、今日はお爺ちゃんや、お兄ちゃん、お姉ちゃんがいるから、
とっても楽しそうね」
「うん!」
「楓ちゃん、今日は、私とお母さんと一緒に、お料理する?」
「する!」
楓はわくわくした顔で、その明日奈の言葉に直ぐに頷いた。
「今日は何を作るの?」
「今日は、お婆ちゃんのカレーを作ろうと思うの。
そろそろ楓にも、お婆ちゃんのカレーを作れるようになって欲しいしね」
「う~ん、でも楓、もうすぐいなくなっちゃうしなぁ……」
その言葉を聞いた八幡は、即座に楓に言った。
「おお、今日は楓が作ってくれるのか、すごく楽しみだな」
「お兄ちゃんは、楓にカレーを作って欲しいの?」
「ああ、お兄ちゃんは、楓のカレーが食べたいぞ」
「そっかぁ、それじゃあ楓、頑張るね!」
「おう、お爺ちゃんと一緒に待ってるからな」
「うん!」
楓はそう言うと、経子と明日奈と共に、台所へと向かった。
幸い楓は、振り向く事は無かったが、もし振り向いていたら、
泣いている清盛の姿を発見し、多少騒ぎになった事だろう。
「……すまんな、小僧」
「今の不意打ちは仕方ないって。気にすんなよ、じじい。
俺もあらかじめ想定してなかったら、危ないところだったしな。
それにしても、何で楓は、あんなに達観してるんだろうな」
「そうじゃな……」
八幡は清盛にそう声を掛け、清盛は、そう言った後、黙り込んだ。
その姿からは、いつものような迫力は感じられず、
八幡は、清盛がとても小さくなったように感じられた。
「まあ、手術の開始までには、何とか原因を見付けないとな」
「最悪直接尋ねる事になるかもしれんがのう」
二人はそう言うと、いつ楓が戻ってきてもいいように、世間話を始めた。
案の定、少ししてから、楓が戻ってきた。
楓は再び清盛の膝に座ると、嬉しそうに、清盛に言った。
「お爺ちゃん、楓、お野菜を切ってきたよ!」
「おお、そうかそうか、上手に切れたかの?」
「うんと、いくつかは、ちょっと変な形になっちゃったかも……」
「いいんじゃよ、そういうのが美味いんじゃよ」
「そうなの?」
「ああ、食べてみれば分かる」
「うん!」
そして、しばらくして、経子と明日奈が、完成したカレーを手に、戻ってきた。
楓はそれを一口食べるなり、目を輝かせながら言った。
「本当だ、すごく美味しいお婆ちゃんのカレーだ!」
「そうじゃろうそうじゃろう、このカレーには、カレーを美味しくしようという、
楓の優しさが沢山こもっているからの」
「気持ちで味が変わるの?」
「そうじゃな、気持ちはとても大事じゃぞ、楓」
「そっかぁ、気持ちが大事なのかぁ」
楓は、何かに納得したように、うんうんと頷いた。
それを見た八幡は、これで多少は楓が前向きになってくれたらいいなと思った。
そして五人は、楽しく夕食を終え、しばらくテレビを見ながら、
のんびりと過ごしていたのだが、やがて楓は眠くなったようで、
清盛の膝の上で、うとうとと船を漕ぎ始めた。
清盛は、そっと楓を抱え上げると、ベッドまで運び、そこに楓をそっと横たえた。
こうしてその日は、穏やかな雰囲気のまま、終了する事となった。
「とりあえず、明日が勝負だな」
「ああ」
「頑張りましょう、大叔父様」
そして次の日、八幡と明日奈は、明るい雰囲気の楓に起こされる事となった。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、朝だよ!」
「おお、もう朝か、おはよう楓、今日は早起きなんだな」
「うん!でもいっぱい寝たから全然眠くないよ!」
「そうか、それなら良かった」
「楓ちゃん、おはよう」
「お姉ちゃん、おはよう!」
そして三人は、居間に向かった。そこには既に清盛がおり、
清盛は、笑顔で楓に微笑み掛けた。
「おはよう楓、昨日はよく眠れたかの?」
「うん!」
「そうかそうか、それは良かった」
そして、朝の食卓を囲んだ後、経子が仕事と称して手術に備えてログアウトする事となり、
残りの四人は、先日のように、公園に出かける事となった。
『ハー坊、もうすぐ手術の時間だぞ』
楓以外にしか聞こえない声で、アルゴがそう話しかけてきた。
楓は、とても楽しそうに、明日奈や清盛と一緒に遊んでいた。
八幡は焦りを感じながらも、決して諦めず、楓の気持ちを前向きにしようと、
そんな楓の一挙手一投足に集中した。そして八幡は、楓が、大型トラックが横を通る度に、
少し緊張したようなそぶりを見せる事に気が付いた。
八幡は、何気ない風を装って、楓にその事を聞いてみた。
「ちょっと緊張してるみたいだけど、楓は大型トラックが苦手なのか?」
「う、うん……お父さんが、大型トラックに轢かれて死んだ時から、
楓、あれがちょっと怖いんだ」
「そうだったのか……悪い事を聞いちまったな、すまん、楓」
「ううん、大丈夫だよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは、楓に変な事を言わないもんね」
「変な……事?」
「うん、お父さんのお葬式の時、親戚のお兄ちゃん達が話してたのを聞いちゃったんだ」
八幡は、まさか推測通り、そういう事なのかと思い、
楓の気持ちが沈まないように、楓の頭をなでながら、そっと楓に尋ねた。
「そうか、そいつらは何て言ってたんだ?」
「うんとね、もうすぐ楓も病気で死ぬから、そしたら本家の血筋も終わりだなって。
だから楓はもうすぐ死ぬんだなって、その時に分かったの」
八幡はその言葉を聞くと、清盛に目配せした。
清盛はその合図に、怒りの表情を見せながら頷いた。
「楓、確かに楓の病気は珍しくて、治すのは大変だけどな、
今知盛おじちゃんが、楓の病気を治そうと、必死に頑張ってくれてるんだぞ」
「でも、その人達、眠りの森でも同じ事を言ってたよ?」
八幡は、キレそうになるのを必死に抑え、諭すように、楓に言った。
「楓、そんな人達の言う事なんか、信じなくていい。
お婆ちゃんのカレーを作った時、お爺ちゃんが言ってただろ?
一番大事なのは、楓の気持ちなんだよ、分かるか?」
「楓の気持ち?」
『ハー坊、知盛さんが言うには、バイタルが安定しなくて、
このままじゃ手術を始められないそうダ』
同時にそうアルゴの声が聞こえ、八幡は、焦りながらも、
このまま何とか押し切ろうと、必死に楓に話し掛けた。
「そうだ、お爺ちゃんもお姉ちゃんも、楓の病気が必ず治ると、心から信じてるんだ。
もちろん俺もな。だからきっと、その気持ちが、カレーを美味しくした楓の気持ちみたいに、
きっと楓の病気も治してくれると思わないか?」
「あ……もしかして、駒お兄ちゃんが言ってたのと、同じ事かな?」
「駒お兄ちゃん?駒央の事か?」
「うん、その駒お兄ちゃん!駒お兄ちゃんはね、ついこの前までね、
悪い人に閉じ込められてたらしいんだけど、必ず帰れるって信じてたから、
本当に帰って来れたんだよって、ちょっと前に、楓に話してくれたの」
(駒央、ナイスすぎんぞ、お前が神か!)
八幡は、このチャンスをものにしようと、明日奈を隣に呼び、笑顔で楓に話し掛けた。
「楓、実はお兄ちゃんとお姉ちゃんもな、駒お兄ちゃんと一緒に、
悪い奴に閉じ込められてたんだよ」
「そ、そうなの?」
楓は、驚いた顔でそう言った。
「うん、本当だよ、楓ちゃん」
「そうだったんだ……」
「でもほら、お兄ちゃんもお姉ちゃんも、こうして今、楓と一緒にいるだろ?
必ず帰れるって信じてたから帰ってこれたって、駒お兄ちゃんは言ってたみたいだけどな、
実はちょっと違うんだ、楓」
「そ、そうなの?」
「ああ、信じるだけじゃなく、戦って勝ったから、お兄ちゃん達は、こうして今ここにいる。
ちょっとその姿を、楓にだけ見せてやるよ」
「う、うん」
八幡は楓にそう言うと、二人を清盛と戦った時の姿にするように、アルゴに要請した。
そして楓の目の前で、八幡と明日奈は、先日と同じように、血盟騎士団の制服姿になった。
それを見た楓は、目を丸くした。
「うわぁ、お兄ちゃんとお姉ちゃんが、変身したよ!」
「それだけじゃないぞ、見てろよ、楓」
そう言うと、八幡と明日奈は、武器を手にとり、何合か剣を交えた。
いつの間にか清盛が、楓の隣に移動しており、清盛は、楓の頭をなでながらこう言った。
「どうじゃ楓、あの二人は凄く強いじゃろ?」
「うん、何か凄いね、お爺ちゃん!」
「信じて信じて頑張ったから、二人はあそこまで強くなれたんじゃよ」
「お爺ちゃんよりも?」
「ああ、お爺ちゃんよりも、あの二人は強いんじゃ」
「凄い凄い!」
楓は、目を輝かせながらそう言った。そんな楓に、清盛は言った。
「どうだ楓、そろそろ本当の気持ちをお爺ちゃんに聞かせてくれないか?
楓は自分の病気を、どうしたいんじゃ?」
「私……私は……でも、やっぱりもうすぐ死んじゃうんじゃないかな……」
「本当にそう思うなら、何で今、楓は泣いとるんじゃ?」
「え?」
清盛にそう言われ、楓は自分が今、泣いている事に気が付いた。
「あれ?あれ?どうして楓、泣いてるんだろ……」
そんな楓に、清盛は、優しく語りかけた。
「なぁ楓、実はここではな、涙は我慢出来ないんじゃよ。
つまり今楓は、本当は悲しいと思ってるから、涙が出てるんじゃよ」
「悲……しい?楓は悲しんでるの?」
「そうだ……さあ、お爺ちゃんに、本当の気持ちを聞かせてごらん?」
「お爺ちゃん……楓……楓は……」
そして楓は、清盛の胸に飛び込むと、わんわん泣きながら、清盛に訴えかけた。
「楓は死にたくない、死にたくないよ!これからもずっと、お母さんやお爺ちゃんや、
お兄ちゃんやお姉ちゃん達と、ずっと一緒にこうやって遊んだり、ご飯を食べたりしたい!」
「そうか……大丈夫、大丈夫じゃよ楓、楓には、このお爺ちゃんや、
あんなに強い、お兄ちゃんやお姉ちゃんが味方しておるんじゃ、
病気なんか、簡単にやっつけてやるさ」
「本当に?」
「ああ、本当にじゃ」
「そっか、それじゃあ楓も一緒に戦う!」
「それは心強いのう、楓が一緒に戦ってくれるなら、もう、絶対に負ける事は無いな」
「うん!」
『ハー坊、バイタルが安定したそうだ、これより手術を開始する』
それを聞いた八幡は、楓の下へと歩み寄り、笑顔で楓に言った。
「えらいぞ、楓」
「うん、楓、えらいでしょ?」
「とってもえらいね、楓ちゃん」
「えへへぇ」
「それじゃあ今日はご褒美に、思いっきり楓と遊んでやろう」
「ご褒美?」
「ああ、ご褒美だ」
「やった、ありがとう!」
それから手術が終わるまで、楓は決して笑顔を絶やす事は無かった。
そして手術が終わった頃、楓はさすがに疲れたのか、ベンチで寝てしまい、
丁度その時、再びアルゴから、アナウンスが流れた。
『手術は無事成功したそうだ、三人とも、よくやったゾ』
「よし!」
「やったぁ!」
「そうか……成功したか……よくやった、よくやったぞ知盛!」
それを聞いた三人は、喜びを爆発させた。
そして楓も含め、四人はそのままログアウトした。
そしてしばらく後、楓は、眠りの森のベッドの上で、無事に目を覚ます事となった。