「そう、それじゃあ無事に薬の投与が終わったのね」
『はい、今回のミッションは私達の勝利ですね!』
「本当にありがとうめぐり、よく間に合わせてくれたわ」
『いえいえ、これもみんなの努力の結晶ですよ!』
「それでもよ、ありがとう、私の弟子とその妹を助けてくれて」
『はい!』
めぐりから報告を受けた陽乃は、達成感に包まれていた。
「良かった、本当に良かった……」
そんな陽乃の所に今度は紅莉栖から電話がかかってきた。
「もしかして八幡君が目覚めたのかしら……」
陽乃は浮き立つ気分を抑えながらその電話に出た。
「もしもし、紅莉栖ちゃん、どう?何か進展はあった?」
『いえ、あの、それが………』
その紅莉栖の珍しく歯切れの悪い躊躇いに、陽乃は嫌な予感を覚えた。
「どうしたの?もしかして八幡君に何かあったの?」
陽乃は血相を変えてそう尋ねた。陽乃にとって八幡はもう無くてはならない存在だからだ。
「ええと、八幡はさっき目覚めました、でもどうやら記憶が混乱してるみたいで、
朱乃さんが言うには、おそらく高校二年生くらいの時の状態に戻ってるらしいです」
「高校二年?それって私と八幡君が出会ったばかりの時?」
「そうだと思います、雪乃の事は覚えてましたが、朱乃さんの事は覚えてませんでした。
多分高校二年の秋頃だと思います」
「それで、その記憶喪失は治るの?」
「それは大丈夫です、その、太鼓判を押してくれた人がいたので」
「太鼓判?そっちのお医者さん?」
「いえ………」
そして紅莉栖は躊躇いながらも陽乃にこう答えた。
「茅場晶彦です」
その言葉にさすがの陽乃も呆然とした。
「え?え?」
「茅場晶彦が、私達の前に姿を現したんです」
「え、ほ、本当に?」
「はい、今から詳しくご説明します」
そして紅莉栖は詳しい事情を陽乃に報告し、陽乃は頭を抱えた。
「何よそれ……」
「ですよね……」
「もうため息しか出ないわ」
「どうします?」
「そうね……」
陽乃はその明晰な頭脳をフル回転させ、様々な状況について考え始めた。
「茅場晶彦は、彼の存在がいつか必ず八幡君の役にたつって言ったのね?」
「正確には、八幡のニューロリンカーに残してきたデータが、ですね」
「それをアマデウス化する事って可能?」
「少し時間はかかりますが、可能だと思います」
「そう、さすがね……分かったわ、それじゃあその線で進めて頂戴、
この事は絶対の秘密よ、絶対に外に漏らさないようにね」
「分かりました」
「で、問題の八幡君の記憶に関してだけど……」
陽乃にとっては、やはり八幡の容態の方が気に掛かるようだ。
「はい、私の分析でも、時間が立てば勝手に戻るとは思うんですが、
さすがにそれだといつになるのか分からないので、
このまま八幡をメディキュボイドにでも放り込んで、
八幡と関係が深い人と話してもらえればって思ってます」
「そうすると、明日奈ちゃんや和人君、それに小町ちゃん辺りかしら、
もしくは私や雪乃ちゃんにガハマちゃんとか?」
「う~ん、社長や小町さんはやめた方がいいと思います、
極力記憶を失う前には知り合ってなかった人を中心に集めましょう」
「なるほど、確かに私達だと、逆に高校の時の記憶が強調されてしまうかもだしね」
紅莉栖の説明に、陽乃はそう納得した。さすがの理解力の早さである。
「そうすると、雪乃ちゃんとガハマちゃんも駄目、
そしたら今回の件の発端である、藍子ちゃんと木綿季ちゃんには絶対頼むとして、
それ以外だと誰がいいと思う?」
「そうですね、適任なのは優里奈と詩乃だと思います。
優里奈は八幡の娘のようなものですし、詩乃は八幡と一緒に死線を潜り抜けてますからね。
その意味ではユイちゃんも適任ではあるんですが、
ユイちゃんには私と一緒に八幡の精神面のケアをしてもらうつもりなので」
「なるほど、それじゃあそのメンバーでいきましょう、今は八幡君はどうしているの?」
「あ、はい、朱乃さんとクルスと一緒に食事中です」
「ああ、それならクルスちゃんにも参加してもらいましょうか、
あの子の忠誠心と愛情はおそらく仲間の中では突出してるからね」
「そういえばそういう意味ではエルザもいますね」
「ああ!エルザちゃんは今は何をしているの?」
「今は手が空いてますね」
「それじゃあエルザちゃんも参加で、エルザちゃん程の個性は滅多にいないからね」
「分かりました」
こうして二人の話し合いにより、今から五時間後、
今言った者達を集合させる事が決まり、それまで八幡にはゆっくり寝てもらう事になった。
さて、こちらは朱乃とクルスと一緒に食事をする事になった八幡である。
八幡にとって、こんな形で女性と三人だけで食事をするのは、
生まれて初めての経験であった。
「あの、俺、テーブルマナーとか全然分からないんで、先に謝っておきます、すみません」
「あら、そんな事気にしなくていいのよ、八幡君」
「ただのルームサービスですし、気になさらないで下さい八幡様」
(この二人は何故俺の事を名前で呼ぶんだろうか、
クルスさんが俺を様付けする理由は更に分からん……)
八幡にとって、一番親しい女子と言えば、今は若干関係性がおかしくなってはいるが、
雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣の二人であろう。
先日一色いろはと知り合ったばかりではあるが、いろはとの関係性は、まだまだ浅い。
だがその親しいはずの二人ですら、八幡の事を『比企谷君』『ヒッキー』と呼ぶ。
八幡を名前で呼ぶ者がいるとすれば、茅場晶彦以外だと、
それは同じアーガスのアルバイトくらいのものである。
でもそれは実は名前で呼んでいるのではなく、キャラの名前で呼んでいるだけである。
まあとにもかくにも形の上では八幡を名前で呼ぶのはその連中だけという事になる為、
八幡はその流れでこの二人だけではなく、
他の者も自分の事を名前で呼ぶのはその為だろうと、無理やり自分を納得させる事にした。
要するに自分は名前で呼ばれているのではなく、キャラの名前で呼ばれているのだろうと、
そう考える事にしたのである。
「雪ノ下さん、それじゃあご馳走になります、
クルスさんも俺なんかに付き合ってもらっちゃって本当にすみません」
「あら、クルスちゃんは名前で呼ぶのに私は苗字で呼ぶの?」
「え、さすがに雪ノ下さんを名前で呼ぶ訳には……
雪ノ下……えっと、娘さんも苗字で呼んでますし?」
「それじゃあ尚更こんがらがってしまうじゃない、私の事は朱乃さんと呼んでね」
「え、あ、えっと………わ、分かりました、朱乃さん」
(うぅ……この押しの強さはあの娘にしてこの母親ありって感じか……
でも思ったよりも怖い人じゃなさそうで、良かった良かった)
八幡はそう考えながら、ハッとした顔をした。
「あ、あれ?そういえばさっき、俺がクルスさんの事を名前で呼んでるって……」
「そういえば自己紹介がまだでしたね、私は間宮クルスです、八幡様」
「ええ~………す、すみません間宮さん、クルスっててっきり苗字だと勘違いしてました」
「私の事もそのままクルスでいいんですよ?
もしくはマックスと呼んで下さい、もちろん呼び捨てで!いつもそうだったので!」
「い、いつも?」
その言葉で八幡は、おそらくクルスのキャラネームがマックスなのだろうと考えた。
やはり先ほどの自分の考え方は正しかったのだろう、
八幡はそう納得し、おずおずとこう言った。
「そ、それじゃあ……マックス……………さん」
(やっぱり無理無理無理!俺が呼び捨てにしてたって事は、
あなた、多分ゲームの中では男の姿でしたよね?でもこうして現実の姿を見てしまうと、
こんな雪ノ下レベルの美人相手に愛称みたいな呼び方で呼び捨てとか絶対に無理!)
「くぅ、まあそれで妥協します」
そう言ってクルスは残念そうな顔をした。
(いや、そんな残念そうな顔をされても、無理なものは無理だからね)
八幡はそう考えつつ、ルームサービスのメニューを渡され、
それが全部英語な事に驚いた。
「え、英語メニュー?」
「あ、ごめんなさい、ここに日本語のメニューがあるわ」
「な、何かすみません……」
「ううん、こちらの手落ちよ、本当にごめんなさい」
(あれ、でも意味は分かったような……)
八幡は首を傾げながら手元にある英語メニューに目を落とした。
すると何故か、スラスラとその内容が頭に入ってきた。
仕事柄、多少は英語に慣れようと、真面目に勉強していた成果がここで出た。
今の八幡のスペックだと、英語の読解はそれなりに出来るのである。
ただ喋るのは苦手である、実に日本人らしい。
「すみません、何故かこのメニューでも平気だったんで大丈夫でした」
「あら、それは良かったわ」
「お、お騒がせしました」
「ううん、気にしないで」
朱乃はそう言って八幡に微笑んだ。
それはどう見てもあの雪ノ下陽乃の作り物めいた笑顔とは違う、自然な柔らかい笑顔に見え、
八幡はやはりあの人だけが特殊なのだろうと、改めて陽乃に対して苦手意識を覚えた。
「それじゃあ俺はこれを……」
八幡はそう言って、なるべく安い物を頼んだ。
「あら、それで足りるの?遠慮しなくてもいいのよ?」
「あ、はい、そんなに食べる方じゃないんで大丈夫です」
「そう?それじゃあ私はこれ、クルスちゃん、それじゃあ注文お願いね」
「はい、分かりました」
クルスはそう答え、流暢な英語で注文を済ませ、八幡は思わず感心したような声を上げた。
「おお……」
「あら、どうしたの?」
「いや、流暢な英語だなと思って」
「ああ、クルスちゃんは英語は得意だもんね」
「俺は国語以外は苦手なんで、ほんと尊敬します」
「ふふっ、だってよクルスちゃん」
「それじゃあ英語圏に旅行に行く時は、私と一緒に行けば安心ですね!」
「えっ?あ、そ、そうですね」
八幡は不覚にもその笑顔を見て一瞬ときめき、すぐに頭を振ってその考えを否定した。
(くそ、一色とはまったく違う、あざとさの欠片もないあの笑顔、
思わず勘違いして惚れちゃいそうになるからやめて!俺の防御力はもうゼロよ!)
八幡は必死に勘違いしそうになる自分を律し、
極力無難な言葉を選びながら、何とか食事を終えた。
だがそんな気を遣った食事でも、二人がまったく八幡に悪い印象を持った気配が無かった為、
八幡はそれなりに楽しい時間を過ごす事が出来た。
唯一大変だったのは、二人の胸に目をやらないようにする事である。
「ふう、ご馳走様でした」
「ふふっ、楽しい時間を過ごせたわ、ありがとうね、八幡君」
「とても楽しかったです、八幡様!」
「あ、いや、こちらこそその………楽しかったです」
それはまごうことなき八幡の本心であった。
だがそのせいで勘違いしてしまう事は決してない。
(この二人は多分、あの折本みたいな性格なんだろう、
今日の事を綺麗な思い出にする為に、この距離感を絶対に維持しないとだな)
八幡はそう自分に言い聞かせながら、二人にお礼を言った。
「今日は本当にありがとうございました」
それは何の変哲もない挨拶であったが、それを聞いた二人は一瞬表情を変え、
直ぐにニコニコと笑顔に戻った。
「それじゃあ八幡君、ゆっくり休んでね」
「明日は私が起こしに行きますので」
「あ、すみません、お願いします」
そして八幡は待っていたらしい紅莉栖に部屋に案内された。
「それじゃあ八幡、ちょっと申し訳ないんだけど、
検査の関係で五時間後に起こす事になるから、その頃にまた来るわね」
「その、たかがバイトの為にお手数をおかけします」
八幡は本当に申し訳なさそうにそう言うと、部屋の中に入っていった。
中はかなり広く、調度品も豪華なものであった。
これは主にセキュリティの関係で、しっかりしたホテルを選んだからであるが、
今の八幡には当然そんな発想は浮かんでこない。
「………こんな豪華な部屋を使って本当にいいんだろうか、さすがはアーガスだな」
八幡は感心しつつ、部屋を汚さないように気を遣いながらベッドに横たわった。
「おやすみなさい………」
そして紅莉栖と共に部屋に戻った朱乃とクルスは、
食事の時の様子を他の者達に報告していた。
「高校二年の時の八幡はどうだった?」
最初にエルザが興味津々といった感じで二人にそう尋ねてきた。
「そうねぇ、一定以上は絶対に踏み込ませないっていう壁を感じたわ」
「物腰は丁寧なんですけどね」
「確かにあれは、SAOみたいな環境に放り込まれないと、変われなかったでしょうね。
陽乃が自意識の化け物って言った気持ちも確かに分かるわ」
「へぇ、今の八幡からは想像もつかないや」
「それに最後の挨拶、あれ、クルスちゃんも気が付いたみたいね」
「はい、アレですよね」
「何か変わった事でも?」
「今日は本当にありがとうございましたって言われたんだけどね」
「それが何か?」
「言葉の裏に、明らかな拒絶の意思があって、ちょっとショックを受けたの………
これ以上自分に優しくしないでくれって言われてるみたいで、悲しかった………」
そのクルスの言葉に一同は黙りこんだ。
「八幡ってそんな感じだったんだね……」
「どれほど傷ついたらそうなるの?」
「主に中学の時の経験のせいらしいお」
「よし、その時の同級生、全員ボコろう」
「それだとかおりもになっちゃう」
「じゃあかおりもボコろう」
「かおりはまあ深く反省してるみたいだからいいんじゃない?」
「まあ確かにかおりはもう八幡が許してるんだから問題ないね」
「まあかおりちゃんの事はともかく、
多分この時点だと、うちの雪乃ちゃんが何かやらかした後だったと記憶しているわ。
確か生徒会選挙関連のゴタゴタね、クリスマスの事は覚えていなかったから、
前に聞いた、クリスマスイベントでの和解の直前って事になるわね」
朱乃とクルスは、八幡に学校の事を尋ねる事によって、
八幡の記憶がどこまであるか、かなり正確に見極めていた。ここで朱乃がいたのが幸いした。
朱乃は雪乃から、高校の時に八幡と何があったのかを、
かなり正確に聞かされていたからである。
それによると、どうやら八幡の中では、今は十一月の末頃らしい。
そして朱乃は簡単にその時期の八幡にあった事を一同に話して聞かせた。
「それなら確かに多少頑なでも仕方ないと思うけど……」
「それにしても手強いと感じたわ」
「そう考えると明日奈って凄い事をしたんだね」
「状況がそうさせたとはいえ、本当に凄い……」
思わぬ所で明日奈株、爆上がりである。
「それでね、あと五時間くらい後の話になるんだけど」
そこで紅莉栖が陽乃と相談した事を一同に報告した。
「私が?オッケー、私の愛で、八幡の目を覚まさせてやるわ!」
「八幡様は、絶対に私が取り戻してみせる」
エルザとクルスの二人は紅莉栖に名指しで指名され、闘志を燃やした。
それと同様な光景は、日本でも見られた。
「ほ、本当ですか?分かりました、絶対に八幡君に私の事を思い出してもらいます!」
「八幡が?分かったわ師匠、この私に任せて!」
「ボクも頑張るよ!」
「は、八幡さんがそんな事に……はい、頑張ります!」
「八幡が私の事を忘れた?そう、それじゃあ制裁が必要ね、拳で思い出させてあげるわ」
「マジですか、分かりました、俺に何が出来るか分かりませんが、やってみます」
こうして七人の少女と一人の少年が、八幡の為に立ち上がった。