「心臓が鼻から飛び出るかと思ったよ……」
「……右からですか? 左からですか?」
「華、それ突っ込みどころがズレてると思う。あとみぽりんのあの顔は、どっちかって言うと心臓止まってる顔だったかな……」
さて、件の騒動から数時間後、学園艦内にある喫茶店にて。
聴取の結果誤解も解け、渾名の命名主であるおりょうさんと、そもそも誤解を受けるような話題を歴女相手に披露した修景がみどり子からの説教から開放され。
漸く、“兄”である宮古修景は“妹”である西住みほと対面していた。
―――ただし、みほの左右に同席を頑として譲らない武部沙織と五十鈴華の2名を置いての対面ではあるが。
「いやホント悪かった。いきなり来られちゃ、そりゃ驚くよな」
「うん……。でもウラジミール・クリチコばりの右ストレートだと思ってた事態がただのジャブで、次がトドメだったよお兄ちゃん。誤解でよかった……」
「俺は誤解が解けてよかったよ……」
はぁ、と兄妹の両者は溜息。“スティールハンマー”の異名を持つヘビー級王者のフィニッシュブローに例えられるほどの衝撃だった兄の来訪が、更に直後の展開で吹き飛ばされた形である。
しかしそれが功を奏したのか、トラウマで顔面真っ青息も絶え絶えという様子だった西住みほはそこには居ない。
或いはその衝撃もそうだが、みほの左右に各々座って、その手を握っている沙織と華の存在もあるのだろう。実家、戦車、そういったものに対するトラウマを、友人の同席が上書きしていた。
「えーと、それで……とりあえず種々の誤解も解けたようなので、改めて。西住みほの、正確には兄ではなくて幼馴染の宮古修景です。みほの母さんが俺の母さんの友人で、母さんが亡くなった7歳の頃から後見人になってくれて、その頃から5年ばかり西住家に住んでました」
「実質、お兄ちゃんだよね。私もお兄ちゃんって呼んじゃってるし」
そして、修景の自己紹介とみほの補足を受けて、かたや凛と、かたや睨みつけるようにして、華と沙織が自己紹介を返す。
「五十鈴華と申します。みほさんとはクラスメイトで、友人です」
「同じく武部沙織です」
華は凛と、沙織は懐っこい顔に精一杯の怒気を込めて。各々が修景を見据えて、目を逸らさない。
両者ともに、生徒会相手に戦車道を強制されたみほを庇った時と同様に、必要ならばみほを庇って論陣を張る構えだ。
「……あっ、西住みほです」
「うん、知ってる」
「知ってます」
「みぽりん、今そういう空気じゃないよ……」
そして、友人と居る安心感と、先の誰もが忘れたい勘違い劇によるショックによって、逆に危機感が麻痺したらしいみほが、何故か我が意を得たりという表情で自己紹介をする。
修景、華、沙織の各々から温かい突っ込みを受けたみほは、小首をかしげて『あれ?』などと怪訝な様子。
その様子を見て溜息を吐いた沙織が口火を切った。
「折角、遠方からお兄さんがいらっしゃったのに同席させて貰って、申し訳ありません。でも、私達はみぽりん―――みほからある程度の事情を聞いています。ご実家から、何かみほに用事ですか?」
「―――……」
その様子に、修景が僅かに瞠目する。
さて、友人は出来たのか。クラスで浮いたりはしていないか。
それらに心配に対する明確な否定として、友人想いの少女に囲まれた西住みほがそこに居た。
「……みほ。お前、いきなり人の縁に恵まれたなぁ」
「えっ?」
「いやなに、ありがたいって話。あー……武部さんで良いですか? 武部さんはみほの事情、つまり戦車道をやめて、戦車道が無い学校である大洗に来たという事情についてはご存知だと」
「はい。こちらの華も、同じ時に聞いています」
「それは―――ありがとうございます」
「へ? あ、ちょ、お兄さん……!?」
「……とりあえず、頭を上げて下さい」
そして喫茶店のテーブルに額が付きそうなほどに深々と頭を下げた修景の姿に、てっきりみほが戦車道をやっている事に対して実家から何か言いに来たのかとばかり思っていた沙織と華が驚いた。
沙織は慌てて腰を浮かし、華は困ったように頭を上げるように促して。促されて頭を上げた修景は、まずは最大の懸念が片付いたので、ほっとした表情だ。
「武部さんと五十鈴さん、友人付き合いして頂いているならお分かりかと思いますが、みほはこう……内向的な部分があるものですから。ちゃんと友達ができているのかなど、心配で」
「あの、最初は上手く行かなかったんだけど、沙織さんと華さんが声をかけてくれて……っ! 今では秋山さんとか、冷泉さんとかもっ……!」
「そうかそうか。まぁ友達は多いに越したことはないぞ。ただし選べ。先程の俺みたいなことになる。お前の周りはいい人が多いようだが、こちらの周りは癖の強い外道が多い。基本的に弱みを見せたら骨まで食われる。つい先日、眼鏡の反射で手札が丸見えなのに気付かずに昼休みの賭けポーカーやってた奴がその日の昼食代まで剥がれていた。300円とは、チッ、シケてやがる」
「いや『シケてやがる』じゃないよ、やったのお兄ちゃんじゃないのそれ。むしろお兄ちゃんの学生生活が心配になる話題なんだけど……」
気負いの抜けた様子でがっくりと肩を落とすみほと、そのみほ越しに顔を見合わせる沙織と華。どうやら思っていたより深刻な事態ではないのかと、華がそっと人差し指を立て、それを頬に当てながら首を傾げる。
似合う人がやると『私、考えています』のポーズになるが、似合わない人がやると『虫歯が痛いんです』になる伝説のポーズである。
「お兄さんは、みほさんが心配で大洗まで来たということでしょうか?」
「はい」
「戦車道とかは関係無しに?」
「俺は男ですからね。西住師範やまほ―――みほの母や姉ほど、戦車道どうこうって意図はないです。まぁ、戦車道やあの試合とか抜きで叱ることはあるっちゃあるんですけど」
叱る、という言葉にみほがビクリと身を竦め、華と沙織が表情を固くするが。
修景はお構いなしに手を伸ばし、みほの額をぺちんと、痛みを感じない程度に軽く叩いた。
「あたっ」
「連絡しろー、バカ妹。兄ちゃん完全に蚊帳の外過ぎて、お前が転校したって知ってドクターペッパー吹いたわ」
「ドクペ売ってるんだ、お兄ちゃんの学校……」
「ああ、連絡受けた時に対面に居た人にジェット毒霧と化して当たりかけたが些細な事だ」
「しかも対面に人居たんだ……」
「進路指導の先生だ。避けられたし大した事はない」
「大したことだよねそれ!?」
元々修景はしほとの話であった通り、志望大学をしっかり決めて安定圏をキープしている、高校からすれば“優等生”な生徒だ。
故に年度始まってすぐの進路相談も大した話にならず、昼休みに休憩所での雑談ついでの志望継続の確認程度で、まぁ飲めやと先生が自販機から飲み物を買ってくる始末。
そのタイミングでまほからみほが転校したと連絡が来たのは、さて、誰の不幸だったのか。とりあえず先生は華麗なダッキングで回避していた。
←※参考画像
「まぁ俺の方は別に良いんだ」
「良いの!? ねぇ、本当に流して良いのお兄ちゃん!? こんなアクの濃い逸話、流してちゃんと流れるの!? どこかお兄ちゃんの人生の配管で詰まったりしない!?」
「良いんだよ。それより、連絡してこなかったことについては何か? お兄ちゃん傷ついたんだけどナー」
わざとらしく頬を膨らませ、冗談めかして言う修景に、みほは顔を曇らせる。
確かにこの兄に相談も連絡もせずに転校を決めたのは事実だ。だが、それは、
「お兄ちゃん、基本的にお姉ちゃんと仲が良いでしょ。だから―――」
「ああ、まほ側に立ってお前を責めるんじゃないか、と。んー……あのな、みほ。さっきの、お前に友達ができてるか、とかクラスで浮いたりしてないか、ってのはな。俺だけじゃなく、まほも―――というかまほが俺以上に心配してた部分なんだぞ」
「えっ……お姉ちゃん、が?」
「あいつも師範も、戦車道に関してはガチだからな。中学以降は戦車道を通してあの2人と繋がってたお前からすりゃ、そりゃおっかないだろうけど……お前の転校についてはホント心配してたからな。その部分、あいつガキの頃から傍目には見えないけど優しいのは変わってねぇよ」
「でも、私のせいで負けちゃった後……」
「うん、お前がここまで思い詰めていたのに気付いてなかった、フォローしなかったのは、あいつの失態でもある。あいつ自身が認めてた。お前のフォローよりも立て直しと来年に向けての動きに必死になってしまっていた、ってな。まぁでも、今すぐとは言わないが、そのうち話くらいは聞いてやってくれ。あいつもあれで一杯一杯だったんだよ」
それに、と。
長く喋って乾いた喉を、既に机に届いている飲み物―――アイスコーヒーで潤してから、言うべきか言わざるべきか少し悩む。
国内外に多くの門下生を持つ西住流の宗家にして師範である西住しほは、ある意味で個人の感情で非常に動きにくい立場にある。彼女の動き次第で“西住流”というものの価値そのものが暴落すれば、それは西住流の各地の道場の指導者として身を立てている人物や門下生の人生にも大きな影響が出るからだ。
だが、それでも彼女は彼女なりに、娘のことは心配をしているのだ、と。それをどう、彼女の立場や威厳を損ねずにみほに伝えるかだ。立場的に中間管理職めいた事になっている修景は、頭の中で伝えるべき内容と伏せるべき内容を吟味する。
「……それに、お前の部屋。熊本の西住家に、ちゃんとあのまま残ってるからな」
「お兄ちゃん、それって」
「あの人も、帰ってくるなら受け入れるつもりはあるって事だろ。俺が様子見に行きたいって言ったら、軍資金もくれたし。不器用過ぎんだよ、あの2人共。戦車道以外では」
結論として、しほが大分素を出しての愚痴に近かった部分あたりはカットして、心配はしているのだろうとそれとなく伝える事にした修景。
それを聞いたみほは安堵と困惑が半々といった様子だったが、そのみほに横から沙織が飛びつくように抱きついた。
「良かったじゃん、みぽりん! みぽりんが思ってたほど、お母さんもお姉さんも怖くないんじゃない!?」
「……そう、だと良いんだけど。やっぱり、ほら。どうしてもあの2人の事となると、戦車道がチラついて……」
「それは分かる。俺も分かる。で、その上で問題なんだが」
そして―――修景はこの学校に来てから分かった、新たな爆弾を投下する。
「お前、こっちでも戦車道を始めたな?」
「―――……はい」
その言葉に、一度は緩んだ場の空気が再度固まる。
戦車道から逃げ、大洗に来て、そして再度戦車道を始めることになった。
生徒会による強制や、それに対して華や沙織が展開した論陣など色々あったが、それらを経て最終的に決めたのはみほの意思だ。
そして今、戦車道を初めて―――彼女自身は忘れてしまっているが、より正確には再度楽しいと思い始める事が出来始めてきているのだ。
だからみほは、若干後ろ向きではあるが、勇気を出して目の前の兄に懇願する。
「あの、お兄ちゃん。このことはお母さんには内緒に」
「ごめん無理。戦車道って、部活とかじゃなくて選択科目だろ? 通知表の偽造でもしない限りは無理。どう足掻いても絶対にバレる。んで怒る」
「それは……」
そして、勇気を出して言った言葉に、返ってくるのはにべもない返事。
無理と言い切り、頬を掻く修景。実際の所、みほが思っている以上に彼女の事を心配しているしほが、娘の通知表を読まずに捨てるとは考えにくい。
となれば必然、選択科目の部分もそこでバレる。どれだけ長く上手く隠しても、限界は夏季休暇突入までだ。
そうなってくると、どうなるか。
戦車道から離れるならばそれで良いと言っていたしほだが、再びみほが戦車道に足を踏み入れてくるならば、やはり妥協はすまい。
そうなってくると、やはりどうしても“西住”の名を汚すような真似をするなと言ってくるか。或いは最悪、勘当すらあり得る。
その辺りが簡単に妥協できないからこそ、西住しほは西住しほであり、西住流の宗家であり、師範であるのだから。
「………」
落ち込むみほ、オロオロとそのみほにどう声を掛けていいかと右往左往する沙織。何か手はないかと沈思黙考する華。
その三者を見て、修景は苦笑する。
「大洗は今年から戦車道を復活させたんだよな。その辺り、保有する戦車と参加してる人とか、写真とか……とにかく説得材料になりそうな物、集めてもらえるか?」
「……こちらからバラして説得する方向?」
「つーて、戦車道絡みだと俺が何言っても師範は聞かないし。俺に出来るのは、材料を集めて準備を整えるだけ。決め手は―――」
そして修景は、懐からスマホを取り出して画面を手早く操作。みほの前に差し出してみせる。
表示されていたのは、『西住まほ』という名前で登録された電話帳。
「困ったときの姉頼み。12日差で姉面してるお姉様に、ご出馬願うとしようぜ?」
次回、修景&まほ VS しほ!
果たして修景は生き残る事ができるのか!
次回、修景死す! デュエルスタンバイ!!
※(最初は修景&まほ VS みほになっていたのを修正しました)