提督の我慢汁が多い件について   作:蚕豆かいこ

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鎮守府のいちばん長い日

 かねてより肛門を開発されていた仏戦艦リシュリューが、ついに機は熟したと提督を直腸で受け止め、延長戦のすえ尻を押さえながらも帰還してウォースパイトらに親指を立ててみせた、その翌朝のことである。鎮守府内の他愛ない罰ゲームで椅子に縛り付けられて『火垂るの墓』を全編視聴させられたアイオワが口から魂を出して放置されたまま夜明けを迎え、食堂でひとつだけ余ったプリンにアーク・ロイヤルとコマンダン・テストが同時に手を伸ばして固まり、第二次ファショダ事件の勃発が危ぶまれていたとき、執務室や寝室のある五階から提督の絶叫が響いた。提督はすぐさま搬送された。

 提督の病状やいかに。敵もいない鎮守府で、しかもひとりで寝ていたはずの提督になにがあったのか。果たして提督を襲ったのは、女には思いもよらない事態だった。

「チンコが折れた?」

 付き添いで同行している翔鶴から受け取ったメールを確かめて、思わず食堂で上げた駆逐艦長波の声も、すっとんきょうなものにならざるをえなかった。

「チンコって、折れるのか……」

 駆逐艦朝霜もまた、さながらダイヤモンドは容易く燃えるとはじめて知ったときのような顔をした。

「提督のは、たしかに堅い。ガチガチだ。それゆえ折れるときはぽっきりいくんだろう」

 露戦艦ガングートが左ほほの古傷を歪ませながらパイプの紫煙をくゆらせた。

「まるでVladⅢ(ヴラド三世)の串刺しよ。壊れるかと思ったわ」リシュリューが入ってきて、椅子に大痔主が使うドーナツ型のクッションを敷いた。

 ガングートがリシュリューへ慇懃に帽子を脱いでみせる。

「よう、Маргарита Бургундия(マルグリット・ド・ブルゴーニュ)

「だれがPrincess Marguerite(マルグリット妃)ですか」

「ならFredegonde(フレデゴンド)だ」

 リシュリューが呆れたように空色の瞳をぐるぐる回した。十四世紀、ルイ十世の王妃マルグリットは、夜な夜なパリ市内で美男子を誘拐しては根城のネール塔で夜伽を務めさせ、用済みになると麻袋に石とともに詰め、塔の窓からセーヌ川に投げ捨てて殺していた。大デュマとフレデリック・ガイヤルデが彼女を題材に舞台劇『ネールの塔』を書き上げ、これを原作としてアベル・ガンスがメガホンをとり、『悪の塔』という映画が製作されている。

 いっぽう、フレデゴンドは六世紀ごろのフランス北部ネウストリア王国の王妃である。色情狂と名高く、彼女を満足させられないとペニスや手足を切り落とされたため、男たちは必死になって奉仕したという。

「でもpénisが折れるなんて、聞いたことないわね、なにをしたのかしら」

 リシュリューが頭を抱えながらも気を取り直して皆の疑問を代弁する。翔鶴からのメールには原因までは記されていない。

 チンコが折れることを俗に陰茎骨折という。

「チンコには骨が入ってんのか?」

「Amiralが人間なら、ないはずよ」

 長波にリシュリューが輝かんばかりの金髪を指に巻きながら応じた。

「ほとんどの哺乳類はpénisに骨をもつわ。Os de pénis……日本語でいうなら、陰茎骨かしら、この骨は、pénisを保持して、長時間の挿入を支援する役割があるの。陰茎骨はあらゆる骨のなかで最も個性的な特徴をもつわ。陰茎骨をみれば種を同定さえできるらしいわね。よくいわれるのがセイウチよ。セイウチの陰茎骨は六十サンチもある。けれど人間には陰茎骨がない。これはむしろ哺乳類としては異端なのよ」

 リシュリューの解説にみなが聞き入る。

「お詳しいですねえ」

 伊戦艦イタリアが、チョコレートリキュールをベースにコーヒーリキュールとウイスキー、それに生クリームを混ぜ、シナモンで香り付けしたジェントルマンズショコラを飲みながら感心する。しかもそのグラスはチョコを成型して作られたものだ。一見するとココアのようなジェントルマンズショコラは、このチョコ製のグラスをかじりつつ楽しんで真の完成をみる。

「Franceですもの」

 リシュリューは涼しい顔で赤ワインを口にした。しかし尻には円座を敷いている。

「さすがFrance, エロいことばっかり博識なのね。コキュられろ」

「ちがうわよ。これはれっきとした学問なの」

 伊戦艦ローマにリシュリューは口角泡飛ばして反論した。

 フランスの動物学者といえばキュヴィエとジョフロワである。両者はともに十九世紀を代表する学者であり、ライヴァル関係にもあった。ふたりには近年になってよく学界で引用されるエピソードがある。

 ときに一八三〇年、フランスの中心パリは空前の混乱にあった。ルイ十八世の後を襲った弟のシャルル十世が、兄譲りの反動的な政策をさらに推し進め、市民を弾圧、議会まで解散させようと図った。これに市民は反発し、ついには国王は追放された。世にいう七月革命である。ドラクロワの描いた有名な『民衆を導く自由の女神』はこの七月革命を題材にとっている。

「そういや以前、なんかのCMで、女優がその自由の女神に扮してるのがあったんだが」

 長波が思い出していった。

「それみた提督が“オッパイが出ていない”って、やけに怒ってたな」

 一同は神妙になった。女性の乳房は心理学において母性を象徴する。ドラクロワは自由の女神の乳房に市民の依るべき母性、つまり祖国を象徴させた。わざわざ画面のほぼ中央に丸出しのオッパイを配置していることからも歴然であるとおり、『民衆を導く自由の女神』は母国を意味するあのオッパイのためにあるといって差し支えない。よって、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』のパロディで自由の女神のオッパイを隠すのは、

「それは、革命の精神に対する冒涜だぞ」

 と、革命をこよなく愛するガングートが拳をテーブルに打ち下ろすほどの過誤なのである。ちなみに提督はオッパイが見たかっただけである。

 で、そんな革命のさなか、ワイマール(ドイツ)のゲーテのもとに友人が訪れた。ゲーテは友人の顔をみるなり、

「パリのこの大事件をどう思う」

 と尋ねた。

「かえすがえすも遺憾に思いますね。国王の追放も致し方ないでしょう」

 友人にゲーテは苦笑いした。

「わたしが気にしているのは革命ではないよ。キュヴィエとジョフロワのアカデミーでの論争のことだ」

 ちょうどそのころ、動物学の両雄、キュヴィエとジョフロワが動物のボディー・プランについて激論を戦わせ、学界を二分させていた。

 キュヴィエは、神経系の形態から動物は大きく四つに分類できると主張した。脊椎動物、節足動物、軟体動物、棘皮動物(ウニやヒトデ、ナマコなど)である。脊椎動物では背中に神経系が走り、腹側に内臓がある。節足動物は逆に、背中に内臓があり、腹側を神経系が通っている(エビのワタをとるときに背中に包丁を入れることを思い出されたい)。こんな正反対の神経配置をしている動物同士がおなじ起源であるわけないだろう、最初からまったく別々の動物として地球に生まれたのだ、というのがキュヴィエの論だった。

 これに対してジョフロワは、はるか古代には、脊椎動物や節足動物をふくめたすべての動物の原点となる、いわば最初の動物がいたはずだと考えた。そこからこんにちの多様な動物が分岐していった。だからあらゆる動物は同一のボディー・プランでできていると論じた。脊椎動物と節足動物の神経配置の違いも、脊椎動物がブリッジのように仰向けになって歩けばそのまま節足動物のボディー・プランになると考えればつじつまがあう。

 人間や鳥、魚など、脊椎動物には共通のルーツがあるのではないかと考えていたゲーテにとっては、革命よりアカデミーの論争のほうがよほど気がかりだったのである。庶民の間ではまだ、人間は最初から人間、鳥は最初から鳥、魚は最初から魚と、進化そのものを否定する向きも多い時代だった。

 論争ははっきりとした決着はつかなかったが、脊椎動物がブリッジしたら節足動物になるという発想はいささか突飛な印象があったらしく、キュヴィエの判定勝ちとみてよいとされた。

 ところが二十世紀も終わりに近づいた一九九〇年代、脊椎動物の「背中側に神経系を作れ」と指令する遺伝子と、節足動物の「腹側に神経系を作れ」と指令する遺伝子には、互換性があることが判明した。

「というわけで、ハエとツメガエルの、お互いの神経系の位置を指令する遺伝子を入れ換えてみると」リシュリューがまくしたてた。「ハエの背中に脊椎動物よろしく神経系が作られ、逆にツメガエルの腹に神経系が生じた。これを以て、脊椎動物と節足動物には見た目ほどの隔絶はなく、かつては共通のplan du corps(ボディー・プラン)をもっていたことが証明されたの。その研究結果に、科学者たちはわが国の十九世紀の論争を思い出した。要するに、わが国では二〇〇年近くも前から、現代の発見を予知していたかのごとく、動物学の最先端をひた走っていたわけなのよ」

 リシュリューは腰に手をあて、反対の手で黄金の髪を払った。

「だから、このFranceを代表するRichelieuの知的好奇心も当然というわけ」

「あんたの知的にはヤマイダレついてるでしょ」

 ローマの嫌みもリシュリューの耳には届かない。フランスでは十七世紀ごろから有産階級のあいだで博物学が流行していたのは事実である。フランスの貴婦人が生物学の家庭教師にリンゴスガの幼虫の解剖を披露されて仰天しているという絵が残されている。

「わが国のUCL(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン。ロンドン大学を構成するカレッジのひとつ)で、人類学者のMatilda Brindleが数千種の哺乳類の交配を研究した結果、人間はオス同士の競争が少なく、交尾の時間も短いため、penis bone(陰茎骨)が不要になり、退化したと推測しているが」

 アーク・ロイヤルがコマンダン・テストと二等分したプリンを味わいながらいった。今回のファショダ事件も互いの譲歩と高度な政治的判断で回避された。が、博物学大国たる英国の艦娘として、フランスに負けるわけにはいかなかった。

「人間の交尾は五分から七分とされている。でも、たとえばイタチでは八時間ものあいだ挿入しっぱなしになるそうよ」

 アーク・ロイヤルはウォースパイトの紅茶を堪能しながら解説した。

「これは、自分のsperm(精子)が受精するまえにメスがほかのオスと交尾して、そちらが受精してしまうというようなことを防ぐため、確実にspermが卵子に届くまでvaginaにほかのpenisを入れさせないためといわれている」

「絶対に孕ますっていう鋼鉄の決意か……」

 朝霜が興味深そうにうなずく。

「人間のpenisの形状も、semen(精液)を排除する機能がある」

 アーク・ロイヤルに各々が提督の怒張を思い浮かべた。血管の浮き出た幹と、艶々の先端部とを接続する段差。カリ首と俗称されるこの段差こそが膣内の精液を掻き出す部位である。そう考えると、膣に陰茎を前後に抽迭することにも意味があるとわかる。すでにほかのオスに注がれていた精液を掻き出し、自分の精液を送り込むわけである。

「ヒダにひっかかって気持ちいいってだけじゃなかったんだな……」

 長波も生命の奥義の片鱗に触れて顔を輝かせた。

 陰茎の形状からわかるとおり、オスは基本的にメスを信じてはいない。ほかのオスのお手つきになっている前提で進化している。ある調査によると、パートナーをもつ男女に、相手が浮気していると思うか否かアンケートをとったところ、「パートナーは浮気していると思う」と答えたもののうち、女性の正答(つまり、本当にパートナーが浮気していた)は六割だったのに対し、男性の正答は八割を超えていたという。

 これは男の勘が鋭いのではなく、単に動物のオスというものが疑り深い性質をもつことによる。オスはとりあえずメスの浮気を疑う。証明のしようがないからである。子供の父親を知っているのは母親だけなのだ。

「哺乳類には、排卵が周期的ではなく、交尾をしてからでないと行われないものもいる」アーク・ロイヤルが補足していく。「このため、オスがpenisを挿入し、排卵されるまで待たなければならない。それで交尾が長くなる」

「オスが入らんと排卵せんというわけだな!」

 ガングートが自信満々に言い放った。

「人間は一夫一妻制でメスを奪い合うことがほぼなく、また排卵も周期的に行われる。結果として交尾の時間が短くなり、penis boneが必要なくなったといわれている」

 アーク・ロイヤルが取り合わずに結んだ。

「たしかに、提督は早いですね」

 プリンに舌鼓を打ちながらコマンダン・テストがとろけるような顔でいった瞬間、全員に電撃が走った。豪勇をもって鳴るガングートが、さながらデフォルト直後のソ連のスーパーマーケットの、無を販売しているかのような陳列棚を目の当たりにしたかのようにうろたえ、アーク・ロイヤルは口を開けたままコマンダン・テストから目が離せず、ほかの面々も硬直した。

 早いだって? 早い、遅いは相対的な評価であるからなにをもって定義するのか、それはそのときどきによる。たとえば高速戦艦と謳われた艦は数あれど、書類上で高速戦艦とはっきり明記されていた戦艦は一隻もない。時代や仮想敵国によって何ノットから高速と呼ぶかがいかようにも変わってくるからだ。

 では提督の早いか遅いかはどう決めるのか。これは各自が決めるほかはない。要するに、自分がオーガズムを迎えるタイミングを基準点とすることになる。

 問題は、ほかの艦娘たちは提督よりオーガズムが早いのかどうかである。提督のほうを先に絶頂させているならそれだけ彼女が性技に長けているということになる。艦娘たちの間ににわかに対抗意識が兆した。

「みなさんが提督と愛しあうときの平均時間はいかがですか」

 第一次大戦の塹壕戦なみの膠着に、イタリアが議事進行役を買ってでた。昨晩提督に後ろの処女を捧げたリシュリューが手を挙げる。

「腸内洗浄の時間は前戯に入るの?」

 まるでバナナはおやつに入るんですかとでもいうような問いに、ちょうどキュヴィエとジョフロワの論争よろしく艦娘たちが二分された。

「受け入れるための準備ですから、前戯といっていいのではないでしょうか」

 コマンダン・テストのように述べるものもいれば、

「浣腸してウンコ出させて風呂場でケツにシャワー突っ込むんだろ? そりゃヤる前のひとっ風呂みてーなもんなんじゃねーか?」

 朝霜に同意するものも多く、半々だった。成人女性の七割は便秘なので、腸内洗浄しないまま肛門性交に及ぶと、ベン・アフレックとマット・デイモンの映画『ドグマ』のワンシーンのような地獄を招来することになる。ともあれ、

「腸内洗浄を前戯とするなら、三時間。しないのなら二時間程度ね」

 リシュリューは指を折って計算した。

 ほか、サラトガとローマは二時間、イタリアは一時間半でザラはおよそ一時間、ポーラは「わかりません~」、朝霜は三十分とそれぞれ答えた。

 コマンダン・テストはといえば、

「前戯と挿入から射精まで含めて、一回あたり十分です」

「十分……だと!」アーク・ロイヤルが驚きの声をあげた。「たしかに人間の交尾時間は二分だとはいったが、これはあくまで動物学的な話であって、健全な男女がbedの上で行うamateur wrestling(アマチュアレスリング)としては、それは短すぎるのではないか?」

 動揺するアーク・ロイヤルに、隣席のウォースパイトが一回あたりの時間を尋ねる。

「二時間といったところだろうか。わたしが濡れにくい体質だからかもしれないが」

「I see. わたしはjuiceが多いほうだからCommandant testeとだいたいおなじくらいよ」

 ウォースパイトが超濃厚なティムタムのチョコレート菓子をつまみながら同意を示す。二重のチョココーティングと堅めに練られたラズベリーソースがたまらない。

「一回十分だとどんな配分になるんだ」

 アーク・ロイヤルはストロベリーブロンドの髪を揺らしてコマンダン・テストを質した。この水上機母艦がいうには、前戯が七分で挿入時間は三分ほどだという。

「三分……」

 アーク・ロイヤルの膝は笑った。椅子の背もたれに後ろから掴まる。あまりの衝撃に立っているのがやっとだった。「神速じゃないか……!」

「長ければいいというものではないと思います」

 コマンダン・テストはあくまで端然としていた。

「花火は一瞬しか咲かないから美しいのです。わたくしにとって夜の営みは、挿入も含めて前戯です。終わったあと、提督と一緒に寝て、朝、目が覚めたとき、愛しい人の胸のなかでその鼓動を感じる。わたしはそのことに幸せを感じます」

 全員がフランスの水母に圧倒されていた。性交自体がオードブルという発想はなかった。

「あまり長いと疲れますし、恥骨のあたりが痛くなるじゃないですか。早く出てしまうくらい余裕をなくしてくれたほうがわたくしは自分に自信がもてます」とコマンダン・テストはワイングラスを傾けた。

 独空母グラーフ・ツェッペリンに順番が回る。概念的な北方アーリア系の女性体を模しているにしても色白にすぎる彼女は、コーヒーを置いて、

「五時間ほどだな」

 軽くいった。

 場がざわついた。今度はあまりに長すぎる。五時間もいったいなにをするのか。

「まず、食事だ。たいていはふたりで作って、楽しむ。それで二時間だ。つぎにdusche(シャワー)、これも、ふたりで入る。おおよそ三十分だな。上がったら、wein(ワイン)を飲みながら、お互いの気持ちを盛り上げる。一時間ほどだ。これで、zündung(エンジン)がかかる。たっぷり十分かそこら抱擁して、鼓動を共有し、互いの頬を合わせ、唇と唇が触れ合う距離で愛を囁き、それから……」

「待てよ待て、メシから入んのか?」

 長波が遮った。グラーフ・ツェッペリンは首をかしげる。

「違うのか?」

「メシとかシャワーはヤる内には入らないだろ」

「わたしにとっては、ふたりきりの食事がすでに前戯だ。見た目どおりわたしは血の巡りが悪い。だから気分を高めて、duscheやweinで体を温めてからでないと感じにくいんだ。Admiralも快く付き合ってくれる。わたしよりは酒が弱いようだが」

 海綿体への血液の流入によって男性自身が勃起するように、女性もまた下半身の血行と性感の大きさは比例関係にある。グラーフ・ツェッペリンのように冷え症や血行不良の女性が夜を満喫するには時間をかけて温める必要があるのだ。

「食事や、酒を酌み交わしたりは、しないのか?」

「しないよ、めんどくせえじゃんか。早くヤりたいだろ。じれったい」

 グラーフ・ツェッペリンに長波があぐらをかいて当然という顔で返した。独空母の麗容に感情の波紋が掠める。

「つかぬことを訊くが、貴公どのようにAdmiralとするのだ」

 長波が腕を組んで思い出そうとする。

「どのようにって、約束の時間に部屋へ行くだろ、そのまんまお互いを貪りあうようにむしゃぶりついて、グワーッと挿れて、ドワーッと出されて、だけど」

 グラーフ・ツェッペリンのみならず、リシュリューやアーク・ロイヤル、ビスマルクらが、とかげでも呑まされたような顔になった。

「いきなりか? 雰囲気を演出したり、umarmung(ハグ)で愛情を確かめあったりは?」

「小娘かよ。いまさらそんなんしなくても気持ちなんかわかりあえてるだろ、きのう、きょうの付き合いじゃあるまいし」

「いや、たしかにそれはそうでも、しかし、順序というものがあるだろう」

 グラーフ・ツェッペリンに欧米艦娘たちが肯んじる。

Stimmung(ムード)もなにも関係なしに、いきなりはじめるということか?」

「ああ。ヤってるうちに火がつく」

「率直にいって不気味だな……」

 ドイツの空母艦娘は呟いた。欧米艦娘たちはみな、性交を獣への回帰とみている。グラーフ・ツェッペリンほどではないにしろ、食事や酒、あるいは映画を一緒に観たりして、まるで贈り物の包装のように理性を一枚一枚丁寧に剥がしていき、人から徐々に獣へと移行する。まるで排泄のようにいきなり事に及ぶほうがむしろ少数派なのかもしれなかった。グラーフ・ツェッペリンが秀でた顎に手を当てる。

「Admiralも、そのほうがいいのだろうか」

「なにが?」

 長波が訊き返した。

「事前に時間をかけるほうがわたしはいいが、Admiralは本当は早くはじめたいのかもしれない……」

「あれは相手に合わせるのが好きなだけだから、やりたいようにリクエストしたんでいいんじゃね」

「そうか。ならいいが、たまには、けだもののように、はしたなく交わるのもいいかもしれないな」

「じゃあ、あたしもハグとかしてみっかなぁ」

「なかなか幸せな気持ちになれるぞ。人間は、信頼する相手の体温を、心地いいと、感じるようできているらしいからな」グラーフ・ツェッペリンが勧める。

 なお、人間の場合、高等教育を受けている者ほど早漏の傾向にあるという。

「では、回数はいかがですか」イタリアが柔和な笑顔のまま皆に訊く。「わたしは三回がちょうどいいのですけど」

 アーク・ロイヤルが五回と回答し、グラーフ・ツェッペリンが六回と答えた以外は、イタリアとおなじく三回という艦娘がほとんどだった。これは妥当な数字といえた。人間も男女ともに三回がベストとする者が最も多い。そのためアダルトビデオの女優は基本的に一本の撮影でセックスは三回までと契約で決められている。四回以上セックスする場合は追加の報酬を女優に払わねばならない。女優の体力面への考慮でもあるし、客である男性にとっても三回より多いと冗長に映る。

「Amiralのもっているpornographie(ポルノグラフィ)(AV)で、coucher(セックス)が三回のものが多いのは、それが理由なのね」

 リシュリューが得心する。そもそもポルノはフランス語である。

「ところで、先日amiralに見せてもらったpornographieで、une actrice(女優)が盛大にéjaculation féminine(潮吹き)してたのだけれど、この国の艦娘もあのように吹くのかしら」

「しない、しない。あれは演技っつうかファンタジーだから」

 リシュリューの疑問に朝霜がひらひらと手を振る。

「事前にしこたま水でも飲んでんじゃねえの? で、タイミング合わせてションベンしてるだけだろ。プロの仕事よ。AVを真に受けちゃいけない」

「なぁんだ、よかった」

 リシュリューが安堵の笑みを洩らしたときである。

「いい加減にして!」

 怒声が響いた。全員がその方向を向く。

 海防艦国後だった。離れた席でひとり朝食を摂っているところらしかった。小さな体に怒気をみなぎらせている。

「さっきから、あんたたち、なにを話してるわけ? こんな朝っぱらから、うら若い乙女が、そんな汚ならしい話題で盛り上がって、下品だと思わないの?」

 国後にリシュリューたちが顔を見合わせる。

「汚ならしい話題って、どんな?」

「たとえば、お、お、おちん……」

 答えようとした国後の可愛らしい顔がゆでダコのように赤くなっていく。悠然と構えるリシュリューには国後の頭上に湯気さえみえた。

「聞こえないわ。なんですって?」

「だから! おち……んち……とか!」

 涙目になっている国後の言葉はどうしても消え入るように歯抜けになってしまい、聞き取れない。

「え? チンコ?」朝霜がいった。

「Penis?」ウォースパイトがいった。

「La bite?」リシュリューがいった。

「хуй?」ガングートがいった。

「Cazzo?」ローマがいった。

「Dick?」サラトガがいった。

「Schwanz?」グラーフ・ツェッペリンがいった。

「え? チンコ?」長波がいった。

「だから、そういうことを白昼堂々いうなっつってんの!」

「どうして? 恥ずかしがることないじゃない。可愛い顔して、あなたもamiralとしてるんでしょ?」

 リシュリューに国後はたじろぐ。

 長波が気づく。

「国後、おまえ、まさか、まだなのか?」

「あたりまえじゃないの!」

「提督とどころか、そもそもヤったことなかったり?」

「そうよ! なにかおかしい?」

 察した多国籍の艦娘たちが一様に国後を見つめる。処女でないものが処女をみる目は、童貞でないものが童貞をみる目より遥かに冷たい。憐れみが混じっている。

「悪いこといわねーから、処女なんて余計な荷物は早めに捨てとけ。大事に持ってても重いし腐るだけだぞ」

 朝霜が肩をすくめてため息をつきながらいった。

「汚らわしい!」国後は烈火のように激怒した。「あの司令官、とんでもない変態なんだから!」

「おまえはクソをするたび、クソに向かって“なんでおまえは臭いんだ”っていちいち文句つけてんのか?」

「択捉と松輪も……あいつの毒牙にかかって……」

 国後が荒涼たる凍土に置き去りにされたかのように震え、自らを抱きしめる。

 

 こういうことがあった。

 過日、夜遅くに、海防艦択捉は、勇気を振り絞り、単身で執務室を訪ねた。

「妹の、松輪の解体はだれが決定したんです?」

 択捉は入室するなり提督に質した。執務中だった提督は択捉をちらりとみて、

「わたしだが」

「なぜ解体なさるのですか」

 択捉は執務机に身を乗り出して難詰した。松輪はあした解体されると内示があったのだった。

「海防艦とは対潜に特化した艦娘だ。きみや占守、国後は期待どおりの働きをしてくれている。しかし……」

「妹が、松輪が、なにか粗相でもいたしましたか」

「松輪は、潜水艦を極端に恐れている。言葉は悪いが海防艦は潜水艦狩り以外にはさほど使い道がない。いわば唯一の取り柄である対潜で成果が挙げられないようでは、わたしとしても、上層部から庇いきれるものではない」

「そんな」

 択捉の大きな瞳が潤んだ。

「松輪は、やっと会えた、わたしの大切な妹です。潜水艦への恐怖は、わたしが克服させます。どうか再考を願えませんか」

「すでに決まったことだ。明朝、解体の上申書をだすことになっている」

 非情な宣告に択捉がよろめく。

「だが」提督は、予備爆雷を装着させる択捉の太もものベルトを一瞥した。ベルトが食い込んだ太ももの肉付きは、まだ幼稚園児から小学校低学年ほどの外見年齢の択捉に、えもいわれぬ悩ましさを与えていた。「艦娘の処遇については、わたしに責任がある。わたしが上申書をださなければ松輪は解体されることはない」

 択捉の目を見据える。

「本来は解体しなければならない艦娘の処分を保留する……わたしは上層部からまたぞろ責め立てられるだろうな」

 択捉が話の推移に混乱する。

「わたしにその無理をさせるために、きみはなにを差し出せる?」

「なにを……」

 提督に択捉は口をぱくぱくさせた。

「わたしに、なにをさせたいんですか」

「それをわたしがいえば脅迫になる。対価になるときみが思えるものを、きみ自身の口でいうしかない」

 ああ、なんという無慈悲。部屋がぐわんぐわんと揺れている錯覚に陥る。いまの択捉には提督が角の生えた悪魔のように思われてくる。

「あなたは、最低です。自分がなにをいっているのかわかっているんですか」

「嫌ならいいんだよ、きみはなにもしなくても。わたしは強制はしない。予定どおり上申書を提出するだけだ」

 択捉はスカートをぎゅうっと握りしめた。

「司令を納得させれば、妹は、助かるんですね」

 その確認は、契約成立とほぼ同義だった。

「保証しよう。人間は利害が絡むかぎりは裏切らない」

 択捉は固くまぶたを閉じた。透明な涙が流れる。松輪のため……妹のため……。択捉は覚悟を定めるしかなかった。わたしひとりが我慢すれば……。

「体をきれいにしてきますから……寝室でお待ちいただけますか」

 提督の唇が邪悪な三日月を描いていることに択捉は気づかない。

「そのあいだにわたしの気が変わるかもしれないな」

 択捉の幼い顔が絶望に塗り込められていく。どこまで尊厳を奪えば気がすむのか。ともあれほかに手段がない。妹を救えるのは自分だけなのだ。太もものベルトを外す。

「あの、せめて、向こうを向いててください……」

 必死の懇願も、

「おや、わたしにはきみがなにをするのかわからないから、向こうを向く理由がないな」

 無情に跳ねのけられてしまう。涙がとめどなくこぼれて、床にぱたぱたと落ちる。自分はとんでもないことをしようとしている。きっとだれにも相談できない。後戻りもできないだろう。脳裡に松輪の儚い笑顔がよぎった。松輪、お姉ちゃんは頑張るからね、勇気をちょうだい……。提督の無遠慮な視線に晒されながら、択捉はレギンスを下ろした。すべすべの太もも、毛穴すらないような脛、細い足首を通過したレギンスから、右足、左足の順で抜いて床に置く。足の震えが止まらない。

「寒いのかな? そのわりには、どうして脱いでいるんだろうね?」

 提督の笑いが択捉の羞恥を煽った。すべてわかっているはずなのに、なんて非道な……。哀しみと恐れで、択捉の頭はいまや麻のように絡まっていて、わけがわからなくなっている。

 パンツに指をかける。最後の一線を越えることに対する抵抗感が生じて、択捉の動きが止まった。まだ……まだ引き下がれる……。

「わたしも、そう時間が余っているわけじゃないんだ。するなら早くしてくれないかな。きみの妹がどうなってもいいならね」

 そこを突かれると、もう択捉はなにもいえないのである。択捉は唇をキュッと引き結び、精一杯に提督を睨みつけたが、それがなんの痛痒も与えていないとわかると、ついに観念してパンツを下ろし、あんよから抜いた。そして、プリーツスカートの両端を持ち上げ、なにも穿いてない中身を露にした。生まれたてにも等しい無垢である。

「司令……ご無理を申し上げるかわりに……どうか、どうか、この択捉をお使いください……」

 恥辱と情けなさにとても提督の顔を直視などできなかったが、嗚咽を漏らしながらも、なんとか、それだけいえた。

 近づいた提督は、指で択捉の顎を上に向けさせた。

「いい顔だ。きみの誠意が本物か、じっくりみせてもらおう」

 択捉の花は無惨にも散らされた。

 息も絶え絶えになりながら、択捉は、

「後生ですから……松輪には黙っていてください。そして、松輪には、手を出さないでください」

「姉妹愛とは、かくも美しいな。約束しよう」

 だが、その夜だけですべてが終わったわけではなかった。

「きみが対価を支払うかぎり、わたしもきみの要求を受け入れる。対価がなくなれば、わたしは粛々と業務を遂行する。当然だろう?」

 夜毎、体を開かねば翌日には松輪を解体するとちらつかせたのだ。択捉の瞳にはなにも映らなくなった。きょうで何日めなのか、もはや数えるのもおっくうだった。なにも考えなければなにも感じなくてすむ。

 惰性的に寝室を訪れ、ノックしようとしたとき、熱っぽい声が室内から漏れた。択捉の血液が逆流した。知っている、この声は、いや、そんなはずはない!

 力任せに扉を開け放った択捉の目に飛びこんできたのは、提督の上で嬌声をあげ続ける松輪の、あられもない姿だった。

「やあ、択捉。遅かったね」

「司令、これは、どういうことです」

 択捉はなおも眼前の光景が現実のものとは思えなかった。歯ががちがちと鳴った。うそだ、こんなのうそだ。

「妹には手を出さないって、約束したじゃないですか」

 と、やっとそれだけいえた。

「勘違いしないでくれ。わたしはなにも彼女に話していない。松輪のほうから接触してきたんだ。お姉さんの様子がおかしいってね」

 択捉の顔から表情がなくなった。気づかれまいと努力していたが、姉妹の直感はごまかせるものではなかったのだ。逆の立場ならきっと択捉も松輪の異変に勘づいただろう。そうでなければ姉妹失格だからだ。

「この子は、自分の置かれた立場がよくわかっていた。解体されてもやむをえない自分に未だなんの沙汰もない理由まで察していたよ。それでわたしにこういった……」

 わたしが姉の代わりになりますから、姉にお慈悲をください。

「きみたちの姉妹愛にわたしは感動させられどおしだ。それに松輪は、具合もいい。みたまえ」

 松輪はふたりの問答もきかず一心不乱に小振りな尻を上下させていた。その花びらのような唇から漏れているのは、苦痛や悲鳴ではなく、歓喜と快楽の甘い旋律だった。

「意外な才能だ。作戦などよりこちらのほうが向いている。最初からこの子に頼んでおいたほうがよかったかもしれないな」

 そのとき択捉の胸に生じていたのは、妹が汚されていることへの怒りなどではなく、意外にも妹への嫉妬だった。択捉は自分でも気がつかないうちに、いつのまにか女になっていたのだ。女の本能のままふたりに飛びかかる。

「妹を、妹を辱しめないで。わたしが代わりになるから」

「だめだよ択捉お姉ちゃん、いまはわたしの番なんだからぁ……」

 提督の上にふたりの幼女が被さるかたちとなった。

「なら、先にわたしを満足させてくれたほうの言うことを聞こう」

 提督の提案に、幼い姉妹が競うように熱狂した。

 

 ……という内容の台本を、提督が択捉と松輪に渡したのである。択捉は耳まで紅潮させながらも食い入るように読み込んだが、妹の松輪は目を通すなり、おもむろに顔をあげて、

「あの……司令、こんな回りくどいことするくらいなら、その、最初から三人ですればいいのでは……」

「シチュエーションというものは大切なんだ。愛し合う関係といえど、性生活には変化も必要なのだよ」

「それに……ここのわたしの台詞ですけど……わたしと交わっている司令が果てようとしていると察したときの台詞……」

「どれかな。読んでみてくれないか」

「“司令、松輪はまだ赤ちゃんができる体じゃないので、中で大丈夫です。中にください!”……これです」

「自画自賛ながら会心の出来だ」

「わたしたちはそもそも妊娠しないので、その、これは意味がない台詞だと思うのですが……」

「それも役作りの一環だよ」

「そういうものでしょうか……」

 どこまでも可愛らしい首をかしげた。実際、提督が平伏して頼み込んで、ようやく松輪は了承したのである。

 はじめてみると、択捉も松輪も最初こそぎこちなく、熱も入っていなかったが、そのうち役に没入しだして、ついには普段からは想像もできないほどに熱く燃えて乱れた。設定を付与することで違う自分になれる。女は生まれながらにして女優なのである。熱中のあまり、松輪の可憐な唇から、

「お姉ちゃん、さきに妊娠したほうが勝ちだからね!」

 などと台本にない台詞まで飛び出すほどだった。

 

 いきさつを話し終えた国後は顔面蒼白になっていた。

「いまじゃあ、択捉も松輪も、あんたたちみたいにどうすればもっと気持ちよくなれるか、あいつを気持ちよくさせられるか、話題はそればっかりよ。聞かされるこっちの身にもなりなさいよ」

「おまえも早くこっち側に来いよ。悩んでんのがバカみてえに思えるぜ」

 朝霜の言葉も国後には届かないようだった。

「あんな畜生のが折れただなんて、いい気味。天罰よ!」

 国後は荒々しい外股で食堂から出ていった。

 ひとりになったあと、国後が思い詰めた顔で、

「そんなに、いいものなのかな……」

 と、ひとりごちたが、それを聞き届けた者はいない。

 

「そうだった、提督のチンコが折れたって話をしてたんだった。チンコの骨がなんとか」

 国後が去ってすぐ、長波がたなごころを打った。

「人間にpenis bone(陰茎骨)がない理由として、christianity(キリスト教)では、最初の女性Eve(イヴ)Adam(アダム)のpenis boneから作られたと解釈する向きもあるようですよ」

 米空母サラトガがキリスト教の観点から陰茎骨に迫る。朝霜が疑わしげな目となる。

「イヴってアダムのあばらからできたんじゃねえのかよ」

 旧約聖書創世記第二章二十二にはこうある。

 

 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。

 

「原語となるHebrew language(ヘブライ語)では、EveはAdamから取ったtselaをもとに造られたとなっています。t-s-e-l-a, tselaです」サラトガが説いていく。「通常は、tselaはrib, つまり肋骨と訳されますが、文脈によってはべつの単語にもなりえます。よって正しくは、“Adamの体の一部を使ってEveを創造した”と解釈するに留めるべきで、tselaが陰茎骨を指している可能性も否定できないのです」

「いやあ、でもさあ、あばらじゃないにしてもさあ、よりにもよってチンコの骨はどうかと思うなあ」

 朝霜はなおも懐疑的だった。

「Tselaが陰茎骨であると考えると、いろいろとつじつまが合うんです。神話は自然界の不思議な現象に説明をつけるために作られることがしばしばあります。たとえば男性の喉が膨らんでいるのは、Adamが林檎を食べたときに喉に詰まらせた名残であり、原罪の象徴だとしています。Robin(ロビン)という小鳥の喉が赤いのは、磔にされたJesus Christ(イエス・キリスト)から荊の冠を外そうとして返り血を浴びたからとされています」

 リドリー・スコットの映画『グラディエーター』の冒頭で、ラッセル・クロウ演じるマキシマスの見送っている鳥がロビンである。その後のマキシマスの受難を予感させる演出となっている。

「ほかの動物たちと違って人間に陰茎骨がないことの理由を、神に取られたからだとした可能性があります。じつは男女で肋骨の数が違うということはないので、EveがAdamの肋骨から創造されたのでは、むしろつじつまが合いません」

「あら、では女にはspare rib(余計な肋骨)はないのね」

 ウォースパイトがなめらかな頬に手を当てた。英国にはスペアリブという名のフェミニズム雑誌があった。英国らしいネーミングといえる。

「そんなこんなで、チンコには骨がないってことはわかったが」長波が総括した。「骨もないのにぽっきり折れるなんて、ありうるんだな」

「正確には、海綿体挫傷、または陰茎折症といいます。勃起硬度が高いほど起こりやすいそうです」

 ウォースパイトが長いまつ毛の影を頬に落として述べた。

「昨晩、最後にadmiralと寝たのは……」

 ウォースパイトの目がリシュリューに動く。美貌の仏戦艦が柳眉をあげる。

「Richelieuのせいだっていいたいの?」

Anus(肛門)を使わせたんでしょ。括約筋でadmiralのdickにdamageを与えたのでは?」

「いくらなんでもanusでdickへし折るなんて無理よ」

 日本のほうが欧米より大便の量は二倍も多い。そのかわり日本の便は柔らかい。食生活が炭水化物中心だからである。

 対して肉食中心の欧米は便がようかんなみに固く、それをねじ切るために括約筋は自然と鍛えられている。つまり、欧米の肛門は日本より締まりがいいのだ。

「このガングートの尻も、提督は“食いちぎられそうだ”と堪能していたぞ」

 ガングートが自慢する。直後、コマンダン・テストののほほんとした顔に落雷。

「男性は、だれしもvagine(ヴァギナ)に挿入したdick(チンコ)を食いちぎられる恐怖心を抱いているそうです。この心理をVagina dentata(ヴァギナ・デンタータ)、歯のある膣といいます」

 コマンダン・テストに注目が集まる。ヴァギナ・デンタータへの恐怖は、膣が口にみえることや、どんな美人も女性器は男からすれば別の生き物のようにグロテスクであることに起因するという。昔の人々が膣を口と見なしていたからこそ、mouth()mother()はおなじ語源から派生したのだ。日本の二口女も、貞淑な女が実は別の口をもった怪物だったという意味では、ヴァギナ・デンタータの亜種なのかもしれない。

 コマンダン・テストが世紀の発見をしたような神妙な表情で続けた。

「Anusに食いちぎられるなら、それはいうなれば、Anus dentata(アヌス・デンタータ)とでもいえるのではないでしょうか」

 放射状に牙の生え揃った肛門が開閉するさまをみなが想像する。

「なんかアノマロカリスの口みてえだ」

 長波がにやにやしながらいった。

「しかし、vaginaが気持ち悪いとは失礼な話ね。Penisもかなりuglyだと思うけど」

 アーク・ロイヤルが提起する。

「わたしもはじめて見たときは、うげーってなったわ。あまつさえこれをfellation(フェラチオ)するなんて信じられなかった」

 リシュリューが優雅に笑いながら同意する。陰茎によい第一印象を抱く女性は少ない。まして、フェラチオをしたがる女性はほとんどいない。それでも彼女たちがフェラチオをするのは、

「気持ちよくなってくれるなら、やりがいもあるもの。感じてる情けない顔もみることができるし、出させたら、なんだか勝った気分になれるし」

 と、ローマが語るとおりである。

「あたいは、あんましたくないなあ、フェラ。顎がガクガクになっちまう。歯ァ立てねえように気ィつけんのもさあ、めんどくさいし」

 朝霜が難色を示す。リシュリューが流し目をよこす。

「でも、fellationをしていると頬や顎まわりの筋肉が鍛えられるせいで引き締まって、結果的に小顔にみえるようになるらしいわよ」

「やるわ。今度からチンコ吸うわ」朝霜は瞬時に転舵した。「で、精液は飲んだほうがいいのか? 吐いてもいいのか?」

 難題である。飲むにはコツがいる。精液はタケノコの灰汁のように渋く、苦く、青臭く、恐ろしくまずい上に、ひどくねばつくのでなかなか飲めないが、かといってくずぐずして一気に飲み下してしまわないと、喉にひっかかってイガイガが翌朝まで残る。

「飲むと喜ぶのは間違いないので、飲んであげたいところですけど、無理して飲んでもお腹を壊してしまいますし、出そうになったら体にかけてもらうとかでいいんじゃないでしょうか」

 イタリアが折衷案を出した。

 朝霜も得心する。ふと思い出す。

「霞のやつがこないだ飲んだっていってたっけなあ。飲んだあと、こんなこといったらしいんだ……」

“うぇ、苦くて臭くて不味い……。こんなの、あんたのじゃなかったら、とてもじゃないけど飲めないわ……”

「いろいろタガが外れて、変なテンションになってたんだろうなあ」

 微笑ましい空気に食堂が包まれる。

「どうしても飲めない場合は吐いていいのよ」

 リシュリューが教える。

「オエーッてあからさまに吐くと引かれるから、ちょっと工夫するの。両掌にネバーッと垂らすようにして、恍惚とした顔で“ああ……こんなにいっぱい……うれしいわ”とかいっとけばたいていの男は満足するから。手に受け止めたsperme(精液)は、seins(オッパイ)とかchatte(オマンコ)に塗りこむとかすればうまいこと処理できるわ」

 ほうほう、と朝霜が聞き入る。

 そこへ翔鶴が帰ってきた。

「ただ単に、朝にお元気になっている状態で寝返りを打ったときにベッドから落ちて、それで折れたのだそうです」事の全容をせがまれた翔鶴が簡潔に報告した。「だからわたしはベッドよりお布団のほうがいいとお勧めしてましたのに」

「なあんだ、そんなことか」

 長波が拍子抜けしたようにいった。

「さいわい処置が早かったので、治療も問題ないとのことです」

「で、Mon amiral(わが提督)は、いつお戻りに? あしたくらいかしら」

 リシュリューが訊ねた。どの艦娘たちも楽観視している。

「一週間だそうです」

 一同がその返答を噛みしめる。最低でも一週間はお預けだ。

「一週間……クンニしてもらえない……Admiralのクンニ……」

 明確な意思の光をなくした瞳で虚空を見つめながらうわごとを呟くウォースパイトとは対照的に、リシュリューは平然としていた。

「休養と考えればいいんじゃない。ああも頻繁に求められたら壊れてしまうわ。すこしは体を休めなきゃ」

 

 で、六日後のことである。リシュリューは鎮守府の廊下の壁にしなだれかかり、満身創痍のように息を切らせていた。

「どうかされましたか、Richelieu?」

 コマンダン・テストに、リシュリューは上気させた顔をむけた。もとより美形であるが、いま、色素の薄い瞳は悩ましく濡れて、ほくろがひとつ乗る下唇は桃色の艶を放ち、乱れた金髪もあいまって、期せずして天上の造形美を成していた。同性のコマンダン・テストでさえ、美しい、と思わず陶然としてしまうほどの色香である。熱い吐息とともに、リシュリューは偽らざる胸のうちを明かした。

「尻が疼くのよ」

「そんな、珍島物語みたいな調子でいわれましても」

「やっぱり一週間なんて無理よ。いまやRichelieuのお尻はAmiralなしではただの空虚な穴。どうしてAmiralはdickを折ってしまったの」

「おもちゃでも挿れてみては?」

「だめよ、あのかたち、あの熱、あの固さ……AmiralのじゃないとRichelieuのお尻は拒絶反応を起こしてしまうのよ。ああ、ひどいわ、Mon amiral.」

 リシュリューが天を呪っていると、たまたま駆逐艦夕雲が通りかかった。夕雲型の長姉はリシュリューの現状を一目で看破した。

「つらいのですか? あしたまで、どうしても耐えられませんか?」

「一秒ごとに身を刻まれる思いだわ」

 リシュリューが吐露すると、夕雲は「じゃあ」と慈母のように微笑みかけた。

「わたしで、我慢していただけませんか?」

「なんですって?」

「提督の代わりなど到底務まりませんし、ご満足いただけるかはわかりませんが、リシュリューさんの苦しみや哀しみ、できうるかぎり、この夕雲が受け止めます」

 夕雲はおのが制服のリボンタイを緩めてみせた。夕雲のまだあどけなさを留める顔は、余裕を装っているようで、羞恥を隠しきれておらず、それがかえって劣情を呼び起こした。

 劣情だって? 自分が目の前の少女に欲情していることにリシュリューは激しく動揺した。獣欲はもはや臨界点に到達している。いまなら女の子とでも寝てしまいそうだ。それは否定できなかった。

 それにしてもこの夕雲の健気さをみよ! おそらくは女と交わる趣味などないであろうに、ただ目の前の迷える子羊を救わんがために自らの貞操さえ捧げられる、その無限の慈愛をみよ! 恥も外聞もかなぐり捨てて彼女の胸に飛びこんでしまいたいというこの衝動こそが、以前プリンツ・オイゲンに教えてもらったbabumiとやらではないかとリシュリューは打ち震えている。

「さあ、きてください。今夜だけは、夕雲は、あなたのものです」

 両腕を広げて迎える夕雲に、リシュリューの手が本人の意思とは関係なく伸びる。指先が触れようとしたところで、背後から絶対零度の視線を感じ、電光の速度で振り返る。

 ガングートが廊下の角から顔を半分だけ覗かせていた。無表情のままリシュリューに告げる。

「わが国では、ゲイを殺しても裁判で無罪が勝ち取れる」

「ウソおっしゃい!」

「わたしをみろ。まばたきも許さぬ早さでドイツに降伏したきさまには、スターリングラードを守り抜いたわがロシアの忍耐は真似できまい」

 頭に血が昇り、それがかえってリシュリューを惑乱から立ち戻らせた。夕雲に伸ばした右腕を左手で掴んで引き戻す。代替ですませようとしていた先刻の自分を唾棄してやりたかった。

「そうね、Mon amiralは、あしたお帰りですもの。あと一日くらいどうってことないわ。わたしはRichelieuよ」

 宣言に、夕雲がリボンタイを締め直す。少女ではなく、手練手管を駆使する女の顔になっていた。

「おなじ方を愛する者どうしとして、安心しました」

 リシュリューの硬質陶器のような横顔に、汗がひとすじ追加される。試されていた。女の敵は女なのだ。

 夕雲とガングートが去ったのち、なおも足取りの重いリシュリューに声をかけるものがあった。国後である。リシュリューと話す機会を伺っていたことは歴然だった。

「聞きたいことがあるんだけど」

「誘惑しても無駄よ。もうRichelieuは負けやしないんだから」

 禁断症状に見舞われているリシュリューに、国後は小さな体をもじもじとさせながら、意を決して対峙した。

「あんな司令の、どこがいいの?」

 リシュリューの瞳が、すうっと縮まった。自由、平等、博愛、そして恋愛の国からやってきた仏戦艦娘は、国後の問いの裏に隠された、その真意をも一瞬で見抜いた。

「たとえば、女が男を、そうね、顔とか、収入とか、持っている車で選んだら、まあ非難されるわよね。即物的だの、上っ面しかみていないだの、内面への愛こそ本物の愛だのってね」

 予期せぬリシュリューの返答に国後が混乱をみせる。

「では女が男を選ぶにあたって推奨される理由って、なにかしら。誠実さ? 目標に向けて努力している? 優しくしてくれるとか? わたしたち艦娘でいえば、作戦で有用に使ってくれる指揮官?」

 リシュリューはゆっくりとした語調で言い聞かせた。国後も必死に話についてこようとしている。

「でもそれらの理由って、顔や年収とどれほどの違いがあると思う? 顔さえよければだれでもいいのか。お金さえあればだれでも、いい車に乗っていればだれでも……」リシュリューはいったん言葉を切ってから、続けた。「誠実ならだれでもいいのか、努力している男ならだれでもいいのか。優しくしてくれるならだれでも、有能な指揮官にならだれでも股を開くのか。究極的にはそういうことになる」

 リシュリューの言葉の砲弾は、いつしか国後を夾叉し、散布界に収めていた。

「要素を理由にして愛している以上、外面だろうが内面だろうが、さほどの差はないのよ。その要素がなければ彼を愛さなかったという点ではおなじですもの」

 ついに国後に直撃弾が落ちる。

「RichelieuがあのAmiralを愛しているのは、あの人があの人だから、としかいいようがないわ。だから愛は厄介なの。顔とか社会的地位で選ぶ打算的な愛のほうが、よほど合理的だし幸せになれる。でも愛は制御できない。だれを愛するかは本人にさえ選べない。もし、一見どこにも魅力がない、仕事もろくにせず、昼からお酒を飲んでるようなヒモを愛してしまったときは、まさに悲劇よ。好きになったその人がその人であるかぎり、愛が終わらないから離れたくても離れられないの。ほとんど病気よね。恋患いとは、よくいったものだわ」

 国後は容赦ない集中砲火に打ちのめされていた。反撃すらできない。恋愛の戦場においてあまりに経験がちがっていた。

「愛は理屈じゃないこともままあるのよ。愛のせいで損することだってある。でも人生なんて、結局は“Mangiare(食べて) cantare(飲んで) amore(セックスして)”よ。Italie(イタリア)の言葉なのが癪だけど。あ、戦艦のあの子じゃなくて、国のほうよ」

 笑いをこぼして、国後に手を差しのべる。

「自分に素直になってみたらどう? なんなら、Amiralが帰ってきたら、順番を譲ってあげるわ」

 国後はとたんにどきまぎしはじめた。

「だれが、あんな奴となんか!」

 きびすを返し、走り去ろうとして、立ち止まる。

「……ありがと」

 聞こえるか聞こえないかという小さな小さな声で、背を向けたままぽつりと呟き、今度こそ去っていった。

 リシュリューが微笑で見送る。その肩にコマンダン・テストが手を置き、尋ねる。

「で、本音は?」

「お尻がMon amiralを求めて泣いているわ……もう顔から出せる液体は全部出た気がする」

 

 翌日、提督がぶじに戻った。

「迷惑をかけた。なにか変わったことはあったかな。むかし、国鉄がストを打ったとき、さぞ物流は大混乱に陥っているだろうと労組の幹部が築地へ視察に行ったところ、代替手段で輸送を工夫されていたためふだんどおりの活況を呈していて、めちゃくちゃ落ち込んだという逸話があるが」

「仕事もわたしたちもたまっていますよ」

 翔鶴が報告した。提督が苦笑いする。「冥利につきる」

 執務室をおとなう者がある。

 リシュリューだった。

Salut mon amiral(こんにちは、わたしの提督). お加減はいかが」

「ありがとう、上々だ。きみはきょうも美しい。なにか?」

「用事があるのは、Richelieuじゃないの。この子」

 リシュリューがうしろを振り向く。背中に隠れていた国後が顔を覗かせる。 

「ほら、ちゃんと自分でいわなきゃ」

 リシュリューが国後の背中を押して前へ出させ、両肩に手を乗せる。

「あの、みんなにやってること、あたしにさせてあげても、いいんだけど?」

 何度も噛みながらの告白に、提督と翔鶴が顔を見合わせてにっこりと笑う。

「では、お言葉に甘えさせていただこう。いつがいい?」

「善は急げ、よ。もうこのままやっちゃいなさい」

 リシュリューが決めつける。

 あれよあれよとお膳立てされ、部屋には提督と国後が残された。

 国後は頭が真っ白になってしまって動けない。どうすればいいんだっけ……。

「きみははじめてだと聞いた。きょうは、ほぐすだけにしておこう」

 提督にいわれてようやく我に返った。手加減されていると感じた。それが国後の矜持に火をつけた。

「大丈夫よ、バカにしないで! こんなの楽勝なんだから! ほら、さっさと脱いで!」

 国後は提督の制止も聞かず、しゃがんでズボンのベルトを外しにかかった。一気に提督のズボンを下着ごとずり下ろす。現れた軟体動物のような造形に呼吸が止まる。

 そのころリシュリューは、提督の一物をはじめてみたときの印象を翔鶴と歩きながら語り合っていた。

「気持ち悪かったわよねぇ」

「まあ、そうですね」

「あの子もいまごろamiralのdickを目の当たりにして絶句してるのかしら」

「トラウマにならなければいいのですが」

「クナシリのことだから、あまりの気持ち悪さに思わず股間を殴り飛ばしてたりして」

「まさか」

 瞬間、五階から国後の悲鳴が響き、次に提督の絶叫が轟き渡った。提督はまたも一週間の入院を余儀なくされたという。


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