提督の我慢汁が多い件について   作:蚕豆かいこ

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十二隻の怒れる艦娘

「このたび皆に集まってもらったのはほかでもない。――Admiral(提督)が、余にクンニをしてくるのだ」

 

 英戦艦娘ネルソンは戸惑いをかすかにみせつつも率直に告白した。

 

 同席していた艦娘たちは、フレンチのフルコースにおける前々菜、いわゆるお通しにあたるアミューズをめいめい味わいながら「はあ、それで?」という顔を並べてその告白の続きを待った。

 

 しかし、万事において銅像のようにふるまっておかしくないこの傲岸な戦艦娘から、それ以降、なんの言葉も紡がれるけしきはなかった。ビッグセブンの一柱たる彼女のその聡明な額を曇らせる原因が、いまのひとことで一部始終なのだと、艦娘たちはようやく悟った。

 

「いいじゃないの、クンニ。なにが不満なの? キスは上の口どうしだけだなんて、だれが決めたの?」

 

 ネルソンと同郷の戦艦娘ウォースパイトがほとんど難詰した。

 

 ネルソンは眉をひそめた。

 

「余はクンニを好まぬ」

 

「そんな、どうして? クンニされて嫌がるなんて」

 

 信じられない、とウォースパイトは震える手でグリュエールチーズの風味が強いグジェール*1を口に運んだ。

 

 本日の先附(アミューズ)は、 そのグジェールとともに、3本のスプーンにそれぞれ料理がかわいらしく盛り付けられて、アルドワーズと呼ばれる漆黒の四角い石皿を彩る逸品である。それぞれひとくちサイズでありながら塩味や酸味が強めにされていて食欲を刺激し、また愛らしさと豊かな色彩で目も楽しませてくれて、続く料理への期待が(いや)増すアミューズの理想形といえた。

 

「そうよ、進んでクンニしてくれるなんて、愛されている証拠じゃない」と、スウェーデン海軍の防空巡洋艦娘ゴトランドが、カリフラワーと豆乳のブラマンジェが究極のオリーブオイルともいわれるタウロを浴びている小さなスプーンを賞翫(しょうがん)し、食前酒(アペリティフ)のボー・ロシェ・ヴァン・ムスー・ブリュットで喉をうるおして、藍色の髪を耳の後ろへ流した。アミューズとの相性も考え抜いてセレクトされたスパークリングワインは、黄金の輝きで心を満たしてくれる。「せっかくクンニしてくれるのに、もったいない」

 

 ポルノでもなければ、男のほうから積極的にクンニをするのは世界広しといえど日本とドイツとフランスくらいなものである。

 

 室町時代の一休宗純和尚、あのとんちで有名な一休さんは、たいへんなクンニ愛好家だったと伝わっており、「吸美人淫水」(美人の淫水を吸う)という漢詩も残している。

 

 ドイツの作家ギュンター・グラスの長編小説『ブリキの太鼓』、および同作を原作とした映画では、主人公の少年が初恋の少女の股間に顔をうずめるシーンがある。とくに映画版ではその行為中に浮かべる彼女の恍惚とした表情、また少年が口についた陰毛をとっているとおぼしき演出により、オーラルセックスを直截(ちょくせつ)に描写しないことでかえって観客の想像力を刺激することに成功し、きわどいシーンの多い本作における性描写の白眉となっている。

 

 フランスにおいて、演劇の世界に新風を吹き込んだシュルレアリストであり、VR(ヴァーチャル・リアリティ)という言葉の生みの親でもある詩人アントナン・アルトーは、ラジオ番組に出演したさい、自作の詩を朗読した。その一節は、こうであった。

 

“あそこが好きだ あそこの味がするから

 ケツが好きだ ケツの味がするから”

 

 これこそがエスプリである。

 

「クンニなど、まぐわうに必須のものにあらず。ならば敢えてクンニなどしなくともよかろう」

 

 ネルソンは言い募った。

 

「それに、余はjuice(おツユ)が多い体質ゆえ、慚愧(ざんき)にたえぬ」

 

「それを飲んでくれるからこそ、幸福に身がバターのように蕩けるのよ」

 

 バターのように蕩ける豆乳のブラマンジェを味わいながらウォースパイトは力説した。おなじ英国出身という理由から、ウォースパイトは燃えるような使命感に駆られて、その天上の磁器のようなほほを上気させながら啓蒙をはじめた。

 

「そもそも、なぜそんなにクンニを嫌うの?」

 

 クンニされることを嫌う女性は一定数存在する。理由はさまざまだ。臭かったり苦かったりするのをパートナーが気を(つか)って無理に舐めてくれているだけではないかという疑念。クリトリスが敏感すぎて痛いだけ。はじめてクンニしてきた男が下手くそで痛かったのでそれ以来苦手になっている。そもそもクリトリスが性感帯ではない体質なので舐められていても退屈なだけ。などである。

 

 しかしいちばん多いとされている理由は、

 

「人たる体でもっとも醜く、そして汚らわしい部位だぞ。その、なんだ、つまりは、恥ずかしい……」

 

 と、ネルソンがもじもじしながら答えたとおりである。いかなる敵にも背を向けず、つねに昂然と(こうべ)を掲げて立ち向かう彼女が、かくも深窓の令嬢のようにほほを赤らめ縮こまっているところなど、なかなか拝めるものではなかった。

 

「恥ずかしいところを舐められるからこそ、幸せになれるんでしょう?」

 

「恥ずかしいところだからこそ、さらけ出したくないものだろう?」

 

 ウォースパイトとネルソンの主張は複縦陣のごとく平行線をたどった。

 

「そも、性器だぞ。排泄する穴の隣人たる性器は舐めるためのものではない。なぜわれらがadmiralはクンニなどしたがるのだ」

 

「言われてみれば、どうして提督はfessa(おまんこ)を舐めたがるのかな、我ながらおいしいとは思えないですけど」

 

 同席している伊駆逐艦娘マエストラーレが、生ハムと白ネギのマリネのスプーンをぱくつくように食べて、あどけない顔をかしげた。

 

「Fessaって何よ」

 

 マエストラーレの隣席の伊戦艦ローマが、常の仏頂面に怪訝な表情を添加して訊ねた。

 

「Vulva sesso vagina*2ですけど」

 

「へえ、そんな言葉もあるのね」

 

「ナポリの方言ですね、Romeさんのところでは何て言ってるの?」

 

「Fregna. 元々の意味は、ゆがめた口とか、歯をむき出しにする、というような意味よ。口になぞらえるのは、大昔から変わらないってことね」

 

 イタリアには男性器を意味する言葉が1000以上あり、女性器の表現もまた500あるとも1000あるともいわれている。

 イタリアは、言葉もルーツも異なる数多の諸族が古代ローマ帝国に統合されたり、その帝国が滅亡してのちは周辺各国と混ざりあったり、数十の国に分裂したりと紆余曲折を経て、こんにちのイタリア共和国の前身たるイタリア王国として半島がようやく統一されたのは、19世紀も後半に入ってからであった。

 多数の国家を束ねてつくられた国なので、当然のことながらおなじイタリアといえども地方によって別の国のごとく文化もちがう。イタリア語とはいえ無数に存在する女性器の名称のひとつであるfessaをローマが知らなかったのも無理はない。

 

 ちなみに……。

 

 だんべ、ベッケアー、おだいじちゃん、おたべ、アンチョ、とろろんちょ、つんびー、まんじゅ、ちんちん、めめさん、もっちょ、ヒー、ホーミー。

 

 これらはすべて、女性器を表す日本の方言である。

 

「古代ローマでも、オーラルセックスは禁忌とされていたはずであろう?」

 

 ネルソンがローマに水を向けた。古代ローマでは公衆の面前でマスターベーションをしてもまったく咎められることがなかったが、オーラルセックスについてはけっして破ってはならないタブーがあった。男がフェラチオをすることや、イラマチオを強要すること、そして、女性にクンニをすることである。「愚か者はあしたやるという。きょうでも遅いのだ。賢い者はきのう済ませている」などの名言で名高い同時代の詩人にしてエピグラムの始祖、マルティアリスは、コラキヌスを卑下するさいに「おまえはクンニをするようなやつだ」と罵っている。ローマ市民に対してフェッラートル(クンニする男)と非難することは、「おまえの母ちゃん出ベソ」をはるかにしのぐ最大級の侮辱とみなされていたのである。

 

「道徳的には許されていなかったけど、そんなものは建前よ。キプロス島から見つかったランプには、男女がシックスナインをしている図柄の装飾が施されていたりするもの。だいいち、ポンペイの壁画には、女性に後ろから挿入している男に、さらに別の男が挿入してる3Pの様子とか、2人の男が1人の女性を二穴責めしてるのとかあるのよ。とくに男2・女1のセックスはシュンプレグマタって名称があったくらいメジャーなものだったんだから、オーラルセックスくらい隠れてやってたでしょ。道徳的な束縛は、むしろベッドの上で解放するカタルシスを味わうための意図的なストレスだったんじゃないの?」

 

 とローマはつまらなそうに返して、アミューズのスプーンを口に入れた。グリーンピースのムースに海老とフレンチキャヴィアを乗せ、ヴィネグレットをかけたものだ。何度か噛んだローマは無言のままちいさく頷いた。それは彼女にとって絶賛の意思表明にほかならなかった。

 

Admiral(アトミラール)さんは、というより、男の人はわりとmuschi(おまんこ)を舐めたがりますよね」

 

 アミューズのひとつひとつに感動していた独重巡プリンツ・オイゲンも翡翠の瞳に不思議を浮かべた。ドイツ語で女性器を意味するmuschiは「ムシ」と発音する。電話を受け取った提督に「もしもし?」と応対されてぎょっとするのは日本に着任したドイツ艦娘ならだれもが通った道である。

 

 フェラチオをしたがる女が少ないのに対し、日本では自発的にクンニする男は多い。日本のとある週刊誌が18歳から69歳の女性3000人に行なった調査によると、フェラチオが好きと答えた女性は21%、嫌いと答えた女性は43%で、端的にいえば、女性の4割超がフェラチオに拒否反応をいだいていることになる*3

 

 これに対し、クンニが好きだと回答した男性は86%にものぼったという。

 

「一説によれば、男性がクンニしたがるのは、女性のmoule(おまんこ)のニオイに強い性的興奮を感じるからだそうデス」

 

 おまちどおさま、と厨房から出てきた仏水上機母艦娘コマンダン・テストが、前菜(オードブル)となるムール貝のマリニエールを配膳しながら言った。ブルターニュの白ワインで酒蒸しにされたムール貝の山吹色をした身が、二枚貝の殻のなかでぷるぷると揺れて、湯気がにんにくのかぐわしい香りを運ぶ。Mouleはフランス語でムール貝を指すが、女性器の隠語でもある。女性器を貝に例える点は日仏で共通している。

 

 日本では幼女の女性器を桜貝、少女はしじみ、若い女性のものをはまぐり、熟女のものをあわびと呼んだ。年齢を重ねるにつれて貝の価格が上がっていることに留意されたい。女性は成熟するごとに味わい深くなるという古人の哲学がうかがえる。

 

 過日、ネルソンが折り入って相談事があるとウォースパイトらにもちかけ、どうせなら食事を挟みながらのほうが話しやすかろうとだれからともなく言い出し、どこの国の艦娘が接待するかでひと悶着あった。和食は間宮や居酒屋鳳翔でいつでも味わえることから、その生来的な奥ゆかしさを発揮した日本勢がまず辞退。

 残るフランス代表リシュリューと、イタリア代表その名もイタリア、イギリス代表のウォースパイトによる三大戦艦によるじゃんけんは、さながらユトランド沖海戦にも匹敵する熾烈なものとなった。みごと勝利をつかんだリシュリューが厨房で腕をふるい、伊戦艦イタリアと伊重巡ザラがスー・シェフ(助手)をつとめ、コマンダン・テストが給仕に精をだしているという次第なのだった。

 

 マエストラーレが疑問にしているように男は女性器がおいしいから舐めるのだろうか? それともコマンダン・テストがいうとおり、女性器のにおいが男性の性的興奮をかきたてるのか?

 

「たしかに、オーストラリア出身のフェミニスト、ジェルメイン・グリーアが、Suckというオランダのアングラ新聞に『カント・イズ・ビューティフル』というコラムを寄稿したことがあったな」

 

 独空母グラーフ・ツェッペリンが女性器にも似た貝に舌鼓を打って、コラムの内容を思い出しながら語ってみせた。

 

“カント・イズ・ビューティフル

 舐めてみよう。舐められるほど体がやわらかくない人は、挿入した指のにおいを嗅ぎ、舐めてみよう。

 ほら、カントが最高級のグルメとおなじ味がするって、すてき。そう思わない?

 日が差し込むところで、足をひろげて仰向けになって、鏡で自分のカントを映してみて。観察し、表情を見てあげて。繊細に、温かく、清潔に保ってあげて。石鹸をごしごしこすりつけたり、ベビーパウダーを振りかけたりしないであげて。洗うときはやや冷えた水がいい。解剖学の専門書がつけたそっけない名前や、男が使う「子猫ちゃん(pussy)」「まぬけ(poon)」「馬鹿(twat)」といった女を見下したような呼びかたや、「割れ目」「亀裂」なんて侮蔑と悪意のこもった呼び名はやめて、自分で自分を愛せるような名前をつけてあげて。

 ぜひ自分のカントを写真に撮って、名前を書いて、わたしたちに送ってほしい。写真を現像したくないなら、フィルムを送ってくれればいい。結果は紙面に掲載される。

 それもできない場合は、編集部まで来てくれれば、わたしがあなたのカントにキスしよう”*4

 

「かくしてジェルメイン女史は、率先垂範とばかりに同紙に自分の性器の接写を掲載した。受験勉強をしている娘のようすを見に父親が部屋を訪れたら、娘が自慰をしていたので、父親はいきりたったイチモツを取り出して“おいしいキャンディだよ”としゃぶらせた、などという漫画が連載されていた低俗きわまるSuck紙といえども、自分の性器を載せた女性は彼女だけだ」

 

「そんな女が何人もいたら、逆にいやだけどね」

 

 ゴトランドは肩をすくめて言った。

 

 なお、ジェルメイン・グリーアが連呼しているカントとは、哲学者のことではない。おまんこ(cunt)のことである。

 

「他人のも自分のも舐めたことないけど、本当においしいのかしら」

 

 と、ローマも濃厚な味つけがなされたぷりぷりのムール貝とスパークリングワインの組み合わせを真剣な顔で満喫する。

 

「それにはまず、カントの味やにおいがどこからきているのかを知らなければならない」

 

 アークロイヤルがナプキンで口許を軽くぬぐってから解説した。

 

「膣壁は皮膚とおなじようにつねに新しく生まれ変わっているため、膣中には垢、つまりタンパク質が豊富に存在する。いわゆるマンカスだな。マンカスにはグリコーゲンが含まれている。グリコーゲンとは、炭水化物をエネルギー源として貯蔵するときに精製されるものだ。炭水化物が原油、グリコーゲンはガソリンと考えてまちがいない。このマンカスのグリコーゲンは乳酸菌によって乳酸と酪酸に分解される。カントに棲む乳酸菌は発見者の名前からデーデルライン乳酸菌と呼ばれているが、膣内の共生生物としてはもっとも重要だ。デーデルライン乳酸菌の働きによって、わたしたちのカントは高い酸性に保たれ、有害なバクテリアから守ってくれているのだから」

 

「いつだったか、admiralがカントには酸味があるっていってたのは、それが原因なのね」

 

 アイオワも満面の笑みでオードブルを楽しみながら得心する。

 

「2/3ほどの女性は、膣分泌液に乳酸と酪酸以外はほとんどなにも含有物がなく、この場合はにおいもあまり強くない。1/3の女性には、乳酸、酪酸にくわえて、炭素鎖のみじかい揮発性脂肪酸がみつかる。カントの独特なにおいの正体はこの揮発性脂肪酸と考えられている」

 

 アークロイヤルが滔々と述べる。

 

「マンカスのグリコーゲンは乳酸菌が分解する。一方で、マンカスの主成分であるタンパク質は、べつのバクテリアによってアミノ酸に分解される。アミノ酸はさらにべつの種類のバクテリアの餌となり、短鎖の揮発性脂肪酸に変わるわけだ。じつは、この揮発性脂肪酸の独特なにおいは、カント以外にも、ある身近なところで出会うことができる。チーズだ。チーズの香りを左右しているのは、わたしたちのカントに棲んでいるのと似たような細菌が作り出す、ほとんどおなじような揮発性脂肪酸だ。したがって、カントと最高級のグルメが味覚的にちかいというジェルメイン・グリーアの主張は、正鵠を射ているということになる」

 

 アークロイヤルにグラーフ・ツェッペリンが納得のうなずきをみせる。

 

 革靴のむれた匂いは足裏の汗の分解臭だが、これもまた、膣内の脂肪酸とおなじプロセスで発生するものである。すなわち膣のにおいに類似しており、ときとして一部男性の性衝動を誤作動させる。他人の靴を窃盗して大量にコレクションしている男がたまにいるのはこのためである。

 

「提督が夏でも長いブーツ履かせるのはそれが理由だったのか……」

 

 ブーツも含めて制服である夕雲型駆逐艦娘の長波があきれた。

 

「もともと、moule(おまんこ)にほかの男性の精液が先に注ぎ込まれていないか確かめるために性交前に顔を近づけてニオイを嗅いでいた行為が、クンニの原型といわれていマス」

 

 と、コマンダン・テストが配膳ののち皆のグラスを満たして回る。

 

 動物のオスは疑り深い。トンボは交尾したあと、メスがホバリングしながら水中へ産卵し、そのあいだオスは周囲を警戒する。無防備なメスを守っているように見えるが、そうではない。自分と交尾したあとに、メスが別のオスと交尾しないか、産卵が終わるまで監視しているのである。

 

「注目すべきは、クンニという性交に直接関係のない行為が現代にいたるまで残っているという点デス。結果論でいえば、クンニが前戯として市民権を得ている国においては、クンニをする男性とクンニをしない男性とでは、前者のほうがより子孫を残しやすく、ためにクンニをしない男性が淘汰されていったと考えることができマス。つまり、まずはmouleのニオイに興奮し、顔を近づけてもっと嗅ぎたがる習性をもっているがゆえに先客の精液に気づきやすい男性が、生存競争において有利だったのでしょう」

 

 生物の進化は偶然による結果論である。たまたま環境に対して有利な性質をもっていたものが運よく生き残れただけにすぎない。

 

 人類が繁栄を始めた258万8000年前から現代までの期間を地質学では第四紀というが、この時代の地球は氷期と間氷期(氷期でない時代)を繰り返す氷河時代である。極寒に対応できなかった生物、個体群はそのつど絶滅していった。あたりまえだが氷期は寒い。寒いと凍る。凍るとは細胞内の水分が氷の結晶になることだ。結晶が成長すると細胞は内側からずたずたに破壊されるので死んでしまう。これが凍傷である。

 ところで、古代の人類のなかに「寒さを感じると小便がしたくなる」という、一見すると無意味な性質を有する個体群が一定数存在した。

 さて氷期を迎えると、気温の低下にともなって排尿が促進される体質のため、よぶんな水分を排出して細胞が凍りにくくなり、氷に閉ざされた地球で彼らだけが生存することができた。寒いとトイレが近くなるのは、そうして氷期を生き延びた個体群の子孫だからである。

 

 氷期は強烈かつ長期的に生物の生存をおびやかしたため、低温環境に適応する体質は現代のヒトにも多く残されている。寒冷地では自動車の冷却水に不凍液が不可欠である。不凍液には通常、エチレングリコールが混合されている。液体はアルコールが溶け込んでいると凍りにくくなるからだ。

 アルコール同様に不凍剤の役割を果たす身近な物質には、糖がある。液体中の糖分が多いほど氷点は下がる。

 ヒトは食物を摂って血糖値があがると、インスリンを分泌して血中の糖をすみやかに回収する。インスリンによる糖の吸収速度が早ければ早いほどエネルギー効率が高いということになる。食後にいつまで経っても血糖値が下がらない、インスリンの分泌が遅い個体は、疲れやすく、免疫が弱く、外傷も治りにくいなど、身体能力の面ではどうしても不利にならざるをえなかった。

 しかし、7万年前から1万年前まで続いた最終氷期では、北半球のほとんどが氷に覆われ、血液さえも凍ってしまうほどの恐るべき酷寒が地球上の人類をあまねく襲った。そんな氷結地獄を生き残ったのは、血中に糖分が多く残る体質ゆえに結果的に血液が不凍液になっていた個体群だった。糖の吸収が遅い出来損ないの個体群が、まさにそのために絶滅をまぬかれたのである。血中の糖分を吸収しないこの体質は現代人を悩ませる糖尿病というかたちでいまだに受け継がれている。

 

 寒さを感じると尿量の増える個体群がたまたま有利だったので生き残った。

 

 糖尿病の個体群がたまたま有利だったので生き残った。

 

 そして、日本やドイツやフランスでは、たまたま女性器の匂いに興奮して舐めたくなる男が、結果的に、より効率よく遺伝子を残してきたということである。

 

「一説によれば、男性はほかの男性の精液のニオイでも性的興奮をかきたてられるのだそうデス」

 

 コマンダン・テストの椿説(ちんせつ)に、ムール貝の身を殻からすすりこんだ長波が怪訝な顔をする。フィンガーボウルが運ばれてきた場合は手づかみしてもよいという合図である。

 

「ホモかよ」

 

「正確にいえば、嫉妬や競争心が働くのでしょうネ」

 

 精液は、つねにあの白濁液の状態で精巣にストックされているわけではない。砂糖水が、砂糖と水からなるように、精液もまた、精子と、それを懸濁させている精漿(せいしょう)成分から構成されている。

 精巣で生産された精子と精漿は別々の場所で蓄えられ、射精のときを待つ。塗料には現場で1液と2液を混ぜると完成するというものがあるが、それと同様、射精時に精子と精漿が混合されることではじめて精液となる。

 

「ほら、ブッカケされたときなど、出したての精液は、透明で水っぽい液体と、濁った粘液が混ざりきってなくて、不均一なマーブル状になっているでしょう?」

 

 コマンダン・テストに幾隻かの艦娘たちが頷く。射精した直後の精液がぼんやりと2色に分かれているのは自慰の始末にティッシュペーパーを使っている男ならだれでも知っている。出してから3分ほど経つと酵素の働きで精漿と精子が完全に混ざる。人工授精でシャーレに射精してから採取するまで少し待たされるのはこれが理由である。

 

 なお、senpai(先輩)や、mottainai(もったいない)と同様に、bukkake(ブッカケ)もまた、世界共通語の地位を得ていることは周知のとおりである。

 

「射精の直前に作られるってことは、Sperma(精液)は出来立てほやほやが出されてるってわけね」

 

 米駆逐艦娘ジョンストンが、厨房のリシュリューと給仕のコマンダン・テストの精妙な連携によって出来立てほやほやで提供された二枚貝のオードブルをほおばる。器用なことに、食べ終えた貝殻をハサミのように使って、ムール貝の身を掴んで食べている。

 

 精子は運動のためのエネルギーを精漿中の果糖に完全に依存している。精子のパフォーマンスは精漿の品質に左右されるといっても過言ではない。このことは、精子があまり元気ではないブタAの精液から精子を取り出して、精子が元気なブタBの精漿に放つと、打って変わって活発に泳ぎはじめたという実験結果からも明らかである。

 この精漿の出来、不出来は、母体となる男性のコンディションが大きく影響する。バランスのとれた食事、適度な運動、じゅうぶんな睡眠なくして、健常な勃起と精漿はありえない。

 精神的なストレスも精漿の大敵である。ストレスを緩和する効果的な方法として、頭頂部にある百会(ひゃくえ)というツボをあたためることが挙げられる。おっさんが湯船に浸かるときに湯で絞った手拭いを頭の上に乗せるのは、じつは理に適っている。

 

「よく、喧嘩したあとのセックスはいつもより気持ちがいいというでしょう。古来、肉体関係のある男女が喧嘩をする原因は、えてして浮気である蓋然性が高いわけですが、こういうときに射精された精子もまた、通常より活発であることが確かめられてマス」

 

 コマンダン・テストに艦娘たちが前菜を平らげながら興味深げに何度もうなずく。

 

 精液が射精直前に混合されること、またストレスが精漿に悪影響を与えるということは、射精時の精神状態が精液の品質に少なからず関係しているということだ。交際している女性と、ある程度の期間会わなかった、またはパートナーの浮気を疑っている男性の精液量は、有意に増加する。これは、会わない期間中に自慰をしたりほかの女性とセックスしていても関係ない。

 また、女性3人のわいせつな画像や映像を見て射精したときより、男性2人と女性1人の性行為の図画(とが)を見て射精するほうが、精液に対する精子の数がはるかに多くなる*5

 そのため、夫のほうに原因がある不妊の場合、夫婦の営みの前にあらかじめ男2・女1の3Pモノのアダルトビデオを鑑賞しておくという不妊治療が実在する。おなじ3Pでも女2・男1では精液の量にも精子の数にも影響は見られないのである。

 

「アルフレッド・キンゼイ*6や、ダン・サヴィジ*7が、既婚男性の性的妄想では“寝取られ”がつねに上位にくる、と言っていますね」

 

 米空母サラトガの言葉は妄言ではない。日本における官能小説の売れ筋をヒロインの属性別にわけてみると、人妻、未亡人、(あによめ)、義母がトップでありメジャーである。寝取りは寝取られに通じる。どちらもほかの男に精液を注がれているという事実がなによりのスパイスとなるのだ。ただし、あくまで精液や精子の量が増えるというだけであり、本人の性的嗜好とは必ずしも一致しない。ようするに、寝取られものを吐き気がするほど嫌悪しているのに、寝取られものでオナニーするのをやめられない、しかも純愛もので自慰をしたときより精液の量も多い、という肉体と精神の乖離に苦しめられることになる。

 

「まぐわいは、男女ともにお互いだけを生涯の伴侶とすべきであって、それも子を為すためだけに行なうものでなければならぬ。ただ楽しむためだけの交合など、人の道に反するだろう。まして、複数同時や、寝取られや、オーラルセックスなぞ、言語道断である」

 

 例によってほかの艦娘たちに、処女なんて持ち重りのする荷物はさっさと捨てるにかぎるとそそのかされたネルソンだったが、いざ決戦というとき、提督にクンニをされ、あまりに予想外の展開だったので仰天。思わず寝室から戦略的撤退してしまった、というのが今回の会食のそもそもの発端である。

 

「まあたしかに、2003年、ジョージア州で、優等生の評判をほしいままにする輝ける17歳だったジュナーロウ・ウィルソン少年が、性的同意年齢の16歳に達していないガールフレンドと合意のうえでオーラルセックスをした罪で逮捕されたけど」

 

 アイオワが記憶をたどる。

 

「彼の罪状は子供に対する性的ないたずらということで加重されて、仮釈放なしの懲役10年が課せられて、おまけに性的犯罪者として生涯登録されるという判決が下されたわ。ジュナーロウ少年とそのガールフレンドが、たとえその年齢だったとしても、オーラルセックスじゃなく“正しいセックス(正常位オンリーで、コンドームもなし)”を楽しんだだけだったら、最長でも1年の懲役で性犯罪者登録もなかったでしょうね」

 

 ジョージア州はオーラルセックスに厳しい。1998年までは、たとえ結婚している夫婦間で、双方合意のうえで、寝室で行なわれたとしても、不法行為として懲役20年の刑に処せられる可能性があった。

 法改正が進んだいまでも、アメリカではオーラルセックスへの偏見は根強い。

 

「まあアメリカなんて、日本のスモウを放送するときに力士の乳首にモザイクかけてた国だし」自嘲するようにアイオワが笑う。

 

 アメリカは州によって法律が異なるが、多くの州において16歳以下のセクスティングを禁止している。セクスティングとは、自分で自分のきわどい写真を撮影し、それを友だちに送信することをいう。たとえ撮影したのが自分自身であっても、16歳以下の身体を撮影したら児童ポルノ作成の罪になるし、その写真を送信したら児童ポルノ配布にあたるのである。刑務所に収監されるだけでなく、性犯罪者として死ぬまで登録されることにもなる。自分で自分の身体をカメラに収めて本人が刑務所送りにされるのが、アメリカのセクシュアリティに対する姿勢である。

 

「アメリカが9月11日のことを11.9ではなく9.11と呼んでいるのはまったく気に入らぬが、性に関しては、アメリカのその考え方は人として正しいと余は信ずるぞ」

 

 ネルソンにウォースパイトが頭痛をこらえるように頭をかかえて吐息する。「それではわたしたち艦娘は、一生クンニもセックスも――主としてクンニを――味わえなくなるじゃない」

 

「いたしかたあるまい。まぐわいは子供をつくるためにやむなくするもの。快楽を目的とした性交は神が禁止している」

 

 前菜のつぎにスープが給仕される。(きじ)、猪、鴨など複数種のジビエからとったコンソメは琥珀色に透き通り、ほのかにシェリー酒が(かぐわ)しく聞こえる。

 

「いいこと、ネルソン……人類はいまでこそ一夫一妻がスタンダードになっているけれど、もともとは多夫多妻の乱婚だったのよ。あ、このスープおいしい」

 

邪悪聖書(Wicked Bible)でも読んだのか?」

 

 聖書は人類史上最大のベストセラーだが、累計版数もまた人類史上最大なので誤字脱字も多い。1631年に英国で出版された聖書では、有名なモーセの十戒の第七戒が本来は“Thou shalt not commit adultery”(汝姦淫するべからず)であるところを、notが抜けていたため、“Thou shalt commit adultery”(汝姦淫せよ)になってしまっていた。その印刷業者は英国王室御用達の認可を取り消された。

 

「しかし、うむ、複雑なテイストが継ぎ目なく目まぐるしく駆け巡るスープの旨みと溢れんばかりの芳醇な香りもさることながら、喉を通ったあとにシェリー酒がほんのかすかに鼻腔をぬけていくため嫌味がない、コンソメの奥深さを思い知らされるスープだ」

 

「Admiralもわたしのjuiceを、わたしの味がすると、喜んで飲んでくれるのよ。舐めた味、口に含んだとき、喉ごしに後味、それらがこのスープのように虹色の味わいをなしていて、いくら飲んでも新たな発見があるから琵琶湖いっぱい飲みたいって言ってくれたときの、わたしの感激がいかばかりだったことか。わたしという存在をまるごと認めてもらえた気がしたわ。Admiralは、こう、ズゾゾーッとわざと音をたててすするのよ。日本には、おいしいスープはすするものという文化があるらしいわ」

 

「面妖な……だが、たしかに朝食のミソスープをすすって幸福そうな顔をしていたことがあったな」ネルソンが懊悩する。「つまり、Admiralは、わがjuiceが多かろうとも構わぬということなのか? いや、そもそもオーラルセックスなどというふしだらなことをすること自体が間違いなのでは?」

 

「ネルソン。わたしたちは人間という種についていくつかの誤解があることを、まずは認めなければならないの」

 

 ウォースパイトがテーブルクロスにじかに置かれたパンをむしる。中世フランスにおいて、パンに皿を用意しないのは、それだけテーブルクロスが清潔であることのあかしとされ、貴族のなかでもとくに上流階級にだけ許される特権であった。リシュリューはその歴史を反映させているらしかった。

 

「誤解?」

 

「そう。ヒトの姿を得ているわたしたちもまた、その誤解を事実と信じ、ゆえに間違った常識の枠に自分を無理にはめこもうとして、そのせいで苦しんでいるの」

 

 艦娘たちがウォースパイトの言葉を傾聴する。

 

「人類は、一夫一妻が自分たちの本来の正しい姿と思い込んでいる。

 ではなぜ、ゼウスでさえ浮気をするのかしら。

 なぜこれほどまでに、地球上の夫婦は互いを生涯のパートナーとしたまま添い遂げることがむずかしいのかしら。

 なぜ、聖職者や政治家や教師といった模範となるべきものたちまでが、モーセの第七戒を守れないのかしら。

 セックスが快楽のためでなく、純粋に繁殖のためだけに神が与えたもうたものなら、なぜ人間は宗教で厳しく戒めなければならないほどに旺盛な、ターボチャージャー付きの性欲をもっているのかしら。

 なぜ男性は、陰嚢をわざわざ体外にぶら下げているのかしら。

 なぜわたしたち女は、潜在的に何度でもオーガズムを迎えられるのかしら。

 なぜ、わたしたち女はセックスとなるとあんなに大きなあえぎ声をあげてしまうのかしら。そして、なぜそのあえぎ声で男は興奮するのかしら。

 なぜ男は寝取られに興奮するのかしら。なぜ秋雲がここにいる全員の寝取られ本を描くほど、寝取られは需要があるのかしら」

 

 ウォースパイトから速射砲のように放たれる疑問に、だれも答えられない。

 

「これらの疑問は、あるひとつの事実を示しているわ――単婚、すなわち一夫一妻は、人間のセクシュアリティにはそもそもそぐわない。一夫多妻でもない、多夫多妻こそが、人類の真の姿だということを」

 

 艦娘たちが息を呑む。ただし料理を食べる手は止めない。

 

「まず、人間の祖先は、なんだと思う?」

 

 ウォースパイトにネルソンが考え、ややあってマリンブルーの瞳に光が宿る。

 

「ピカイアだろうか」

 

「ごめんなさい。直近の祖先は、と質問を変えるわ」

 

「なら、サルだろう」

 

「そうね。おそらく、人間の祖先はサルだというのが、大方の見方でしょう」

 

 魚料理(ポワソン)が配膳されていくなか、ウォースパイトに皆が同意して顎を引く。(たい)のポワレは皮がぱりぱりに焼かれていて香ばしく、身はふっくら。噛むとにじむ脂がほんのり甘い。皿を彩るように盛りつけられた桜えびのクリームソースをからめると、くせのない鯛と味を強く主張するソースとの相性に、さらに舌がよろこぶ。

 

「でもね、これは間違いなの。人間はサルの子孫なんかじゃない。人間は、れっきとしたサルの仲間なの」

 

 人間は毛を捨てたサルと形容される。しかし、ヒトとチンパンジーの体毛の本数はほぼおなじである。人間は体毛の大半が産毛なので毛むくじゃらにみえないだけだ。

 

「正確にいうと、人間は類人猿の仲間、ということね。類人猿をサルというなら人間はサルだし、人間をサルといわないなら、類人猿はサルではないことになるわ。わたしたちもおおむね人間の姿をしているから、わたしたちもまたヒト同様、現生する5種の大型類人猿の1種だといってもいいでしょう」

 

 ほかの4種はチンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータンだ。ちなみにテナガザルは小型類人猿に分類される。

 

「このうち、チンパンジーとボノボとヒトの進化の川をさかのぼっていくと、その3本は500万年前の時点で1本に合流する。つまり、人間は500万年前まではチンパンジーやボノボとおなじ種類の動物だったのよ」

 

「つい最近だね」

 

 露駆逐艦娘タシュケントがフィッシュスプーンとフォークで鯛の雪色をした身を切り分ける。500万年という時間は絶対やりたくない(Not in a million years)ことを克服するにしても長すぎるが、地球に生命が誕生してからの38億年を人間の一生(70年)に圧縮すると、つい3日前のことにすぎない。

 

「ヒトが類人猿とは信じられぬ。人間は、チンパンジーやボノボなどとは違う」

 

「そう思うのも無理はないわ。見た目がヒトとはまるで違うもの。でもね、いくら見かけがそうだからって、地球のまわりを太陽が回ってるんじゃないのよ」

 

 ウォースパイトはもったいぶるように発泡ワインを味わってから、

 

「チンパンジーやボノボは、動物園でおなじようにサル扱いされているゴリラやオランウータン、その他の毛むくじゃらの動物たちよりも、むしろお金を払って観に来ている人間に近いのよ。なにしろわたしたちが乗り物にしているこの人間の肉体は、DNAがチンパンジーやボノボとほんの1.8%しか違わないの」

 

「ばかな」ネルソンが驚愕に目をむく。「インドゾウとアフリカゾウほどの違いもない、ということか」

 

Yup(そう). 18世紀なかばのこと、分類学の祖カール・フォン・リンネは、分類学上、人類とチンパンジーを区別した最初の人物だけれど、後年にはそんなことをしなければよかったと思うようになったとか」

 

 リンネは書簡のなかで、「人間と類人猿との相違点をわたしはなにひとつ知らないが、もし両者を同一視すれば教会から破門されていただろう」と書いている。キリスト教徒にあらずんば人にあらずとされた時代である。当時の破門は実質的な死刑を意味した。

 

「Homo(ヒト属)とPan(チンパンジー属)の区別は、いまでは科学的正当性がないとみなされていて、人類とボノボとチンパンジーを同属に分類しなおすことを主張する生物学者も多いの」

 

 ウォースパイトは続けて、人間のほかの大型類人猿の配偶システムを比較する。

 

「ゴリラは1頭のアルファオス(オス間競争の勝者)が多数のメスと交尾のチャンスを独占するハーレムを形成する。交尾は繁殖目的のみに限られるわ。子供は性別に関わらず一定の年齢に達すると群れから追い出される。つまり親と子の絆を100%かならず断ち切るから、ヒトとは違う。

 オランウータンは論外ね。オランウータンは普段は単独行動をしていて、とくにオス同士は互いに接近を嫌う。交尾のときだけ雌雄が近づくけれど、やはり繁殖のためでしかない。

 チンパンジーとボノボは、ともに多夫多妻。ただしチンパンジーのセックスは繁殖の手段でしかない。ボノボは楽しむためのセックスをするし、親子は一生助け合う。

 じつは類人猿で一夫一妻を採用しているのは、ヒトとは2200万年も前に別れたテナガザルくらいなもの。人類の本来の姿を類推するなら、現生する動物でいちばん近い存在であるチンパンジーとボノボを参考にするべきで、しかもそのどちらもが多夫多妻。これを偶然で片付けていいのかしら」

 

「だが、米国の人類学者ヘレン・フィッシャーは、一夫一妻こそが人類のあるべき姿と言っているぞ」

 

 ネルソンがひるまず強弁した。フィッシャーの著書『愛はなぜ終わるのか』にはこうある。

 

“一夫一妻は自然なのか。イエス。(中略)人間を男女のペアにさせるのに、甘い言葉で誘う必要はほとんどない。それどころか、われわれは自然とそうなるのだ。ふざけあって、うっとりし、恋に落ち、結婚するのである。われわれの圧倒的大多数は、一時に一人の相手としか結婚しない。男女(ペア)の絆が人間という動物のトレードマークなのである”*8

 

 これにウォースパイトはあくまで優雅な笑みを崩さず、

 

「むかしむかし、オーストラリアを旅したわが英国の冒険家たちは、先住民(アボリジニ)がいかんともしがたいほどの飢えに苦められていると思ったそうよ。なぜならアボリジニたちは、英国人なら飢餓にさいなまれてほかに食べるものがないときの最後の手段に打って出ていたの。つまり、オオボクトウという蛾の幼虫だとか、ネズミとか、えたいのしれない昆虫を食べていたのよ。それにしてはアボリジニたちは痩せ細るどころか、いくらかたるんだ太った体つきをしているので、冒険家たちはますます混乱した……」

 

 ネズミにせよ、オオボクトウの幼虫にせよ、そのほかの昆虫にせよ、そうしたアボリジニの食事は栄養満点で、しかも身近にいくらでも豊富にある。おまけに、ピーター・メンツェルとフェイス・ダルージオの共著『虫食い人間――昆虫食のアートと科学』によれば、オオボクトウの幼虫は、ナッツの風味を利かせたスクランブルド・エッグとマイルド・モッツァレラチーズを薄いパイ生地で包んだような味わいだという。美味いのだ、ということが英国人には理解できなかった。英国人にとって、ネズミや、いも虫や、そこらへんの昆虫は食べ物などではなく、それらよりはるかに栄養価が低く、味も劣り、心臓の血管を詰まらせる脂肪分だらけのフィッシュ&チップスや、ハギスや、クロテッドクリームこそ人間らしい食事だった。逆にアボリジニが英国人の食事をみれば、オオボクトウの幼虫をおいしそうにつまんでいるアボリジニを見る英国人とおなじ反応を示したにちがいない。

 

「べつに、これはわが英国料理のネガティブ・キャンペーンをしたいわけではないわ。なにが人間の“自然な状態”なるものを決めるのか、という話です」

 

 先手を打たれたという顔で舌打ちする面々を前に、ウォースパイトの講釈はつづく。

 

「人間にとって“自然な状態”とは、本人の文化圏の内側でのみ通用する観念にすぎず、けれども人間はしばしばそれを全世界不変の常識と思い込んでしまうものよ。それは自国の文化や習俗こそが正しくて、全人類に敷衍(ふえん)できると無邪気に信じていることが原因ね。――“愛国心とは、自分が生まれたからという理由で、ほかのどの国よりも自分の国が優れていると思い込むことである”」

 

「ジョージ・バーナード・ショウか」

 

 ネルソンにウォースパイトはそのとおりと答えた。

 

「この文化的バイアスから逃れることはたいへんな困難をともなうわ。だからこそ、文化的バイアスを極力取り払いながらも西欧近代社会と未開社会を対比して、持続可能な社会を形成するための本質はどちらも変わらないという解答を導きだした、レヴィ=ストロースの構造主義という人類学研究の手法は、人文社会科学にひろく、はかりしれない影響を与えたのよ」

 

 クロード・レヴィ=ストロースはそのもっとも有名な著書『悲しき熱帯』で、アマゾン奥地のインディオに残る食人の慣習を引き合いに出し、いわゆる文明社会に生きる人間には野蛮と映る食人を、近代社会における司法の役割と対比させている。

 

「まあ要するに」ポワレを平らげたアイオワが残ったソースをパンで拭いながら言う。「全体の秩序を破壊する脅威となりうる個人を食べちゃうことで無力化して、ついでに栄養的、霊的に有効活用さえする唯一の方法とみなしている食人の慣行をもつ社会と、わたしたちのように懲役や死刑によって、脅威となる存在を社会体から一時的または恒久的に隔離する近代文明との対立構造よね。後者では、犯罪者に対する罰は、社会からの断絶でなければならないとされているけれど、ストロースは、“われわれが未開と呼ぶ大部分の社会では、この習俗は深い恐怖を与えることになるだろう”と考察しているわ*9

 

 ストロースは、われわれの社会に固有な風俗習慣もまた、異なる社会からきた観察者の目には、われわれから見た食人の習俗とおなじように異質に映るだろうと説く。食人は一見すると残虐な死刑だが、食われて一体化することで、罪人は罰を受けながらも社会の円環にとどまっていられるのである。この点でただ無意味に殺すだけの死刑より合理的であるし、慈悲とよぶべきものもある。食人族からすれば、近代文明の死刑はもちろん、牢獄に閉じ込めて社会から排除する懲役・禁固刑は、想像だにしないほど残酷なのだ。

 

「そして、バーナード・ショウの言葉は、国家や民族にのみ当てはまるものではないわ。人間はだれもがヒトという種についてこんな愛国心をもっている――“人間は地球上でもっとも進化した動物である”。なぜそうだと? “自分が人類という国に生まれたから”」

 

 ウォースパイトに艦娘たちがたじろぐ。

 

「ではヘレン・フィッシャーはどうかしら」

 

 王侯貴族の優雅さでウォースパイトは主砲の散布界に敵を収めるがごとく周到に持論の展開をはじめる。「彼女はおなじ著書のなかで、ボノボについてこう言っているわ……」

 

“彼らは、オスとメスと子供がまざったグループで移動する。(中略)セックスはほとんど毎日の慰みだ。(中略)メスは月経周期のほとんどの期間、交尾する。ほかの生き物よりも人間の女性に近いセクシュアリティである。(中略)ボノボはまた、緊張をやわらげるため、食料を分けあうため、ストレスを解消するため、友情を再確認するためにも、セックスを使う。「戦争ではなく、愛を交わせ」これがあきらかにボノボの戦略となっているのだ”*10

 

「フィッシャーはこのあと、こう思索する……“わたしたちの祖先もそうだったのだろうか”。そして次のように続けるの」

 

“(ボノボは)人類が、ニューヨークやパリやモスクワや香港の、路地裏やバーやレストランやアパートの部屋のなかで見せるのとおなじような、性的な習性をたくさん見せてくれる。(中略)交尾の前に、ボノボはお互いの目をじっと見つめあう。(中略)腕を組んで歩き、互いの手や足にキスし、抱きあって長く深く舌を絡めるフレンチキスをするのだ”*11

 

「フィッシャーも、人間の性行動はほかのどの生物よりもボノボとのあいだに共通点が多いと言及しているわ。だって、地球上の動物で、ディープキスをしたり正常位でセックスしたりするのは、人間とボノボだけだもの*12

 

 ところが、とウォースパイトは肩をすくめた。

 

「こんなにも人類とボノボの共通点を列挙して、人類はもともとボノボのように多夫多妻だったのかと読者を誘導しておきながら、フィッシャーは土壇場でいきなり梯子を外してしまうの。彼女はこう書いた。“ボノボは、ほかの類人猿とはまったく異なる性生活を送っている”。おかしいと思わない? 今の今まで人間の性行動はボノボのそれと非常によく似ていると言っていたのに。人間も類人猿の一種なのよ」臨場感たっぷりに話すウォースパイトにだれもが聞き入っている。「さらにフィッシャーは続けるわ……“ボノボの異性愛行動は、月経周期のほぼ全期間を通じて見られる。しかもボノボのメスは出産したその年には、もう新たに性行動を再開するのである”。――そんな過剰なセクシュアリティに突き動かされる動物なんて、世界広しといえど、ボノボのほかには、せいぜいあと1種しか見ることはできないの」

 

「ホモ・サピエンス、ですか」

 

 マエストラーレにウォースパイトが首肯する。

 

「しかも、人類とボノボの共通点は、セクシュアリティという行動学的なものだけでなく、解剖学的見地からも報告されているの。人類とボノボは、オキシトシンの放出に重要な役割を果たしているAVPR1Aの遺伝子に、マイクロサテライトというDNA上の反復構造を持ってる。オキシトシンは、天然のMDMAと呼ばれるホルモンで、闘争欲を減少させるいっぽう、思いやり、信頼、愛、エロティシズムといった社会的感情と重要な関係を持つとされているわ。この反復的マイクロサテライトという特徴が、チンパンジーにはなくて、人類とボノボはもっている。人類と、多夫多妻の乱婚で、繁殖とは関係なく年がら年中、相手をとっかえひっかえしてセックスに励んで、平和的共存を可能としているボノボが、ね」

 

 太古の人間はボノボのように平和を愛し、特定のパートナーに性的に縛られることなく、娯楽としてのセックスを自由に謳歌していたのだろうか。

 

「ところがフィッシャーはこう結んでいるわ。“ボノボは、霊長類のセクシュアリティとしては極端な例であって、また生化学的なデータによれば、ボノボが現れたのはかなり最近で200万年というのだから、2000万年前のヒト科の生活のモデルとしてボノボがふさわしいとは、わたしには思えないのである”」

 

 だれもが、わかったような、わからないようなという疑問の色に目が曇る。

 

「このフィッシャーの結論の意味するところがわからない? それは、むしろ話の流れをよく理解できているという証拠よ。フィッシャーはなんの脈絡も伏線もなくこの結論を出しているの。ヒトとボノボの性行動が驚くほど似ていることを長々と書いてきておいて、ところがボノボは人類の祖先のモデルにふさわしくないって、インメルマンターンを決めているんだもの」

 

「よかった、いきなり2000万年前とか言われたから混乱して、わたしの理解力が足りないのかなって心配してたんですけど」

 

 てらいのないプリンツ・オイゲンに皆が同意の苦笑をもらした。

 

「そう。わざと(けむ)に巻こうとしているのかどうかわからないけど、フィッシャーはなぜか2000万年前のことに話をすり替えている。まるで、さっきまで話していたのはヒトとチンパンジーとボノボの共通祖先のことではなく、すべての類人猿の共通祖先のことだったかのように、ね。繰り返しになるけどこの3者が共通祖先から分岐したのはほんの500万年前のことよ。なのに、とつぜん2000万年前のことをさも当然のように出してきて、それだけ大昔なら似ても似つかないのをいいことに、人類のモデルとしてふさわしくない、という答えをひねり出している」

 

 同著書には、樹上性だったヒトの祖先が樹から下りて地上で生活するようになったことに関する記述にも、不審な点が見受けられると、ウォースパイトは主張する。

 

「“おそらく、樹上で暮らしていたわれわれの最初期の祖先のメスは、セックスを通じて多数のオスと仲良くなったのだろう。それから、およそ400万年前にわれわれの祖先がアフリカの草原に追いたてられ、子供を育てるためにペアの絆を進化させてきたとき、メスは大っぴらな乱婚状態からひそかな交尾へと転向し、資源や、すぐれた遺伝子を獲得してきたのだろう*13”。おかしいわね、フィッシャーは400万年前に人類がペアの絆を進化させてきた、すなわち一夫一妻へ移行したと言っているけれど、それを裏付ける科学的証拠を彼女はいっさい明示してないの。つまり彼女の憶測、いえ、願望にすぎないのよ。その願望を根拠にして、彼女は次のように続けるわ」

 

“ボノボは類人猿のなかでも最も利口だと考えられていて、人間とよく似た肉体的特徴がたくさんあり、さらには情熱的にかつ頻繁に交尾するから、人類学者のなかには、ボノボをアフリカのヒト上科の原型で、樹上生活をしていたわれわれの最後の共通祖先に非常に近いのではないかと見ている者もある。ボノボはわれわれの過去の生き証人なのかもしれない。だが、彼らの性行動には人間と根本的な相違点があることも確かだ。ひとつは、ボノボが人間のような長期的なペアの絆を形成しないこと。また、夫婦で子供を育てることもない。オスは子供の世話をするが、一夫一妻は彼らには縁がない。乱婚が彼らの生き方なのだ”*14

 

「もう気づいたでしょう? フィッシャーはまず“人類は一夫一妻である”という結論ありきで話を進めている。論理を理性的に積み上げて結論を導き出すのではなくて、最初から決まっている結論を補強する証拠だけを取り上げ、反対に覆す証拠には目をつぶっているのよ。“人類は最初から一夫一妻だ。だからそれにそぐわない証拠は、証拠のほうが間違っているのだ”ってね。彼女の名誉のために言っておくけど、ヘレン・フィッシャーは世界を代表する文化人類学と精神心理学のエキスパートよ。そんな権威でさえ、自分の生まれ育った文化圏が全世界共通のスタンダードという文化的バイアスからは逃れられないの。ボノボを見ていると、自分たちの倫理からすれば絶対的に正しいと信じている一夫一妻が本当に人類の真の生態だったのかどうか疑わしくなってくる、だからフィッシャーは、遺伝的に地球上で最も近縁であることも無視して、牽強付会を駆使してでもボノボは人類の進化のモデルとしては役に立たないと黙殺してしまう。フィッシャーは一夫一妻こそが人類の家族構成の自然な姿で、永久不変の哲理とあらかじめ規定していて、彼女のすべての推論はそこを立脚点にしているので、どうあがいても“人類は一夫一妻である。なぜなら、人間は一夫一妻の動物だからである”という循環論法にしかなりえないのよ」

 

 それにネルソンも腕を組んで唸る。

 

「さて、チンパンジーとボノボだけれど」女王然としたクイーン・エリザベス級戦艦娘は語を継いだ。「現生生物のなかではもっともヒトに近いチンパンジーとボノボの生態や社会構造の共通点をさぐっていけば、現代では忘れ去られてしまっている初期人類の暮らしがどのようなものだったか、ある程度は推察できることになるわ」

 

 ボノボは生殖のときのみならず、コミュニケーションにセックスを用いる。たとえば、おいしい果実のなっている木を見つけると、ニホンザルなら狂乱してわれさきに奪い合う。だがボノボなら群れのあちこちで性行動が起きる。オスとメスだけでなく、オスとオス、メスとメス、さらには子供まで交えてのセックスがはじまるのだ。群れの争いや緊張をセックスでやわらげ、平和裡に解決してから、食べ物は平等に分配される。性交後に訪れる思考の真空ともいうべき悟りの境地を有効利用して、ひとまずクールダウンさせるのだ。

 

「人類のもうひとりの隣人、チンパンジーは、排卵前の10日間および排卵日とその翌日が発情期で、基本的にはこの時期にしか交尾をしないの。フィッシャーですら認めているように、排卵日だろうがそうでなかろうが、同性どうしですらセックスができる、つまり生殖目的でないセックスをする大型類人猿なんて、せいぜいボノボと、彼らにもっとも近しいもう1種しかいないのよ。

 その類人猿は、500万年の歴史をもち、そのうち499万年をボノボと同様の平和的な動物として生活してきた。平等な社会性の群れをつくり、果実や堅果類、山菜に芋、そして肉や魚や虫といった大自然の恵みをおなかいっぱいに享受して、なに不自由なく暮らしていた。――狩猟採集時代。先史時代ともいうわね。それが人間の本来の姿。ところが1万年前に農耕がはじまってから、彼らの生活は一変した、いえ、してしまった。自由だった人類は土地に縛られ、時間に追われ、死ぬまで仕事を強要され、代わりに文明を手に入れたの」

 

 ウォースパイトはちぎったパンにバターを塗りながら話した。

 

「ふつう、原始人というとこんなステレオタイプのイメージが先行するのではないかしら――暗いほら穴のなかで、石斧をふりかざすぼさぼさ頭の男が、女の髪をつかんで虐げている。乏しい食料をめぐって、絶え間ない闘争と裏切りが横行する、ホッブズ的な暗黒の時代だった、と」

 

 それに幾隻かがうなずいた。トマス・ホッブズは著書『リヴァイアサン』で、先史時代の人間は「孤独で、貧しく、意地が悪く、残忍で、短命」な暗黒の時代を生きていただろうと説いている。

 

「でもね、先史時代の人類は、実際にはボノボのように、男女の別なくあらゆるものを分かち合っていた。食料も、住みかも、子供の世話も、そしてセックスも」

 

「人間は、生まれつきのマルクス主義でヒッピーだって言いたいの?」

 

 ジョンストンが厳しい目で詰問した。

 

「マルクス主義。すばらしいじゃないか。やはり偉大なるソヴィエトの理念は正しかったんだ」

 

 タシュケントが目を輝かせた。

 

「たしかに共産主義は完璧な国家システムだと思うわ。実現不可能という点を除けばね」

 

 アイオワにタシュケントが渋い顔となる。

 

「共産主義は平等というユートピアを無秩序に推進しようという誇大妄想だったのに対して、狩猟採集社会やボノボの平等は最大効率を追求した合理性によるものといったほうがいいわ」

 

 ウォースパイトはカトラリーを置いて答えた。

 

「ボノボはセックスという合意を経て食べ物を群れで分ける。群れにいるすべての個体が、毎日、つごうよく自分の食料を自力で発見できるとはかぎらないでしょう? でも発見できなかった個体におすそわけをしてあげれば、自分が食料を見つけられなかったときにお返しを期待できるの」

 

 贈与と返礼は人間の専売特許ではない。南米大陸に生息するチスイコウモリは大型哺乳動物の血液を餌とするが、すべての個体が毎晩食事にありつけるとはかぎらない。運よく満腹で巣に帰ってきた個体は、その日はツキが向いていなかった個体の口へ、血を吐き戻してやるのだ。そうして気前よく血を分け与えてもらった個体は、後日、立場が逆になったときにお返しをするのである。ただし、血を分けてくれなかった個体に対しては与えるのを拒否する。それだけでなく、分け与えられるほどには満腹でなかったために、以前に血を分けてもらってまだお返しができていない空腹の仲間の催促に応えられなかった場合、じゅうぶんに食事ができた晩は、平均よりあきらかに多い量の吐き戻しをするのである。

 

「わたしらも、なんか借りのあるやつが困ってるときに助けてやれなかったら、あんときはごめんなって詫びもこめて余分に色付けることはあるわな」

 

 長波に皆が相づちを打つ。

 

「この、ともすれば擬人化できそうなチスイコウモリの気前の良さはなにに起因するのか。コウモリに宗教や哲学なんてあるはずがないでしょう? チスイコウモリが血を分けあうのは、倫理とか、博愛精神とか、高貴さとかではなくて、そうするのがいちばん得になるからなの。彼らは不安定な生活環境の危険を軽減する最良の方法を“助け合い”に見出だした。結果論からいえば、助け合わなかったチスイコウモリは自分が食料を獲得できなかったときに血をもらえないために淘汰され、また、のべつまくなしに分配するお人好しの個体も、損のほうが多いから淘汰されていった、といえるわ。チスイコウモリの利他的戦略は、あくまで利己のためであり、冷厳なリアリズムであって、みんな平等などという頭がお菓子でできているような夢物語を追い求めているわけではないの」

 

 ウォースパイトが返す刀で共産主義を斬り捨てた。

 

 チスイコウモリが恩を恩で返し、仇には仇で報いるには、巣で生活するすべての個体との関係と、血を分けてもらったかどうかという履歴を、それぞれの個体が正確に記憶できる能力が必須になってくる。事実、チスイコウモリはコウモリとしては小型だが、彼らの大脳新皮質は翼手目のなかでは最大である。

 

「ホモ・サピエンスの“誠実さ”も、高貴さや倫理とは無関係に、本来はチスイコウモリのように、生存の最善策として身に付けたというだけだったのではないかしら」

 

「“しっぺ返しの理論”ですね」

 

 ウォースパイトにサラトガが言った。

 

「“しっぺ返しの理論”って?」

 

 サラトガの隣に座るプリンツ・オイゲンが首をかしげる。

 

「米ソ冷戦時代を観察してきた政治学者のロバート・アクセルロッド博士が、自分の利益を最大に延ばそうと考えるエゴイストどうしが取引をするとき、互いにどんなふるまいを見せるようになるのか、どんなプログラムが最大利益を上げられるのか、というゲームを1984年に開催しました。これにトロント大学の心理学者アナトール・ラポート教授が応募したプログラムが、“しっぺ返しの理論”です。ちょっとマナーには反しますが、カトラリーを使って実験してみましょう」

 

 魚料理を食べ終わったあとのフィッシュスプーンとフォークをサラトガが手に取る。

 

「わたしとEugen(ユージン)が取引をするとします。フィッシュスプーンは、ちゃんと支払いをするという選択肢。フォークは、代金を払わずに逃げるという選択肢を示すものとします」

 

 皆がサラトガとプリンツ・オイゲンに視線を注ぐ。

 

「わたしもユージンもフィッシュスプーンを出した場合は、お互いがほどほどの利益である3点を得ます。

 ただし、一方がフォーク、一方がフィッシュスプーンを選択したら、フォークを出したほうに5点、フィッシュスプーンを選んだほうの得点は0点です。

 双方がフォークを選択すると、お互い1点しか得点できません。

 わたしとユージンは、相手がなにを選んだか、事前にはわかりません。せーの、で出したあとなら相手がどのような選択をしたのかを知ることができます。

 取引は何度か行なわれますが、何回行なわれるかは知らされません」

 

 サラトガから説明されるルールをプリンツ・オイゲンが必死に頭に刻む。

 

「では、はじめましょう」サラトガが右手にフィッシュスプーンを、左手にフォークをもって、テーブルの下に隠す。プリンツ・オイゲンもそうする。「どちらを選ぶか決めましたか? では、同時に出しますよ。せーの……」

 

 サラトガがフィッシュスプーンを卓上に置く。同時にプリンツ・オイゲンもフィッシュスプーンを出した。

 

「いま、ふたりの得点は3点ずつですね。では2回目です」

 

 ふたたびカトラリーをもつ手をテーブルの下にもぐりこませる。

 

「せーの」

 

 プリンツ・オイゲンがフォークを出す。対してサラトガの手は前回とおなじフィッシュスプーンだった。

 

「ユージンは5点追加で8点。わたしは依然3点のままですね」

 

 涼しい顔のサラトガに、優勢のはずのプリンツ・オイゲンは鶏鳴(けいめい)を耳にしたハムレット父王もかくやというほどに蒼惶(そうこう)するばかりである。「出してみたかっただけなんです~! ごめんなさい!」

 

 3回目。

 

 プリンツ・オイゲンがフィッシュスプーンを選び、サラトガはフォークだった。「ひっ」フォークの冷たい輝きに独重巡艦娘が青ざめる。そういえばライン演習作戦で〈プリンツ・オイゲン〉と〈ビスマルク〉を追いかけてきたのも〈サフォーク〉と〈ノーフォーク〉のWフォークだった。ともあれサラトガ8点、プリンツ・オイゲン8点の同点である。

 

 4回目。完全に混乱したプリンツ・オイゲンがまたフォークを選んでしまう。サラトガはフィッシュスプーンだったので、13対8でプリンツ・オイゲンが勝っている。

 

 5回目では、両者がフォークを出して、サラトガ9点、プリンツ・オイゲン14点である。

 

 涙目で狼狽していたプリンツ・オイゲンの翠眼が、ふと知的に光った。このゲームで最大の利益を上げる組み合わせは、こちらが裏切って、なおかつ相手が信用してくることだ。しかし、裏切り続けるこちらを相手が信用し続けるなどということがありうるのか? 実際サラトガはフォークだけを出してきている。このままフォークの応酬が続けば両者ともが伸び悩む。このゲームの目的は、自分が最大利益を追求することだ。そのためなら相手を蹴落とすことも視野に入る。だが相手に勝つ必要もない。自分が利益さえ得られるなら、かならずしも相手を攻撃しなくともよいのだ。

 

 6回目。プリンツ・オイゲンが緊張の面持ちでフィッシュスプーンを出す。サラトガはフォークだ。双方14点。サラトガがイーブンに追いつく。見守る艦娘たちが固唾を呑む。

 

 7回目は、プリンツ・オイゲンもサラトガもフィッシュスプーンを選択した。両者17点。その後、しばらくフィッシュスプーンばかりが選ばれた。

 

「Great! ユージンはしっぺ返しの理論を理解できたみたいですね」

 

 26点同点でサラトガがにっこりと微笑んだ。

 

「どういうことだい?」

 

 タシュケントは小首を傾げたままだった。

 

「このゲームでは、ある条件のもとでなら、簡単な必勝法があるみたいなんです」

 

 プリンツ・オイゲンがフィッシュスプーンとフォークを手に推論を述べた。

 

「それは、相手の直前の手をまねすることです。最初は信用する。相手も誠実に返してくれば、信用をつづける。でも裏切られたら、自分も裏切る。そして、相手が協力したいと態度を改めたら、こちらもまた信用する。サラトガさんはこの戦略をとってたんです。今回、10回やってサラトガさんもわたしも26点まで獲得できましたけど、最初からわたしが協調を選んでいれば、ふたりとも30点までいけたはずです。わたしは、自分から裏切ったことで、自分のスコアも落としてしまったんです」

 

 魚料理の皿とカトラリーをコマンダン・テストが下げていくなか、タシュケントの鳶色(とびいろ)をした瞳はまだ晴れない。

 

「ある条件って?」

 

「たぶんですけど、長期的に取引をすること、取引が何回あるのかわからないこと、だと思う」

 

 プリンツ・オイゲンが上目遣いで確認すると、サラトガは片目をつむって応じてから、

 

「“しっぺ返しの理論”は、じつは無敵の戦略ではないんです。アクセルロッド博士が呼びかけた2回の大会で、2回とも“しっぺ返しの理論”が優勝しましたが、2004年には英サウサンプトン大学チームの“主人と奴隷理論”に敗北しています。また、わたしは最初から“しっぺ返しの理論”を実践していましたが、ユージンがわたしの戦略に気づくまでは、わたしの点数が負けていたことを思い出してください。“しっぺ返しの理論”は、大負けはしないけれどひとり勝ちもしない、そして時と場合によっては有効な戦略のひとつ、というだけです」

 

 しかし、とサラトガが念を押す。

 

「“しっぺ返しの理論”の優れているところは、相手の前の手をまねるだけ、という単純さにあります。“主人と奴隷理論”はまず相手の戦略を見定めるために5回から10回の試行を必要とするなど、やや複雑で、変数も多いのです。単純かつ効果の期待値が高い“しっぺ返しの理論”が優秀であることには変わりありません」

 

「わたしでも、5回でサラトガさんの考えてることがわかりましたもんね」

 

 プリンツ・オイゲンが照れるようにほっぺを掻く。

 

「いえ、“しっぺ返しの理論”が有効なのは、知性のある相手と取引をするときだけという条件もあるんです。知性があれば、法則をつかんで、自分が協力的になれば相手も協力的になることに気づき、最終的に協力を引き出すことができるからです」

 

 サラトガのフォローにプリンツ・オイゲンがはにかむ。

 

「忘れてはならないのは、もし1回きりの付き合いだとわかっているなら、裏切りが唯一の安定した最適解だということです。何回取引をするかわからない場合に、“しっぺ返しの理論”が最善となるのです」

 

 日本においても、観光地の土産物屋はだいたいぼったくる。観光地からすれば、観光客とはほぼ一期一会の関係なので、ぼったくりという裏切り戦略がもっとも有効に働く。だが地元民と密着した商店街なら、いわゆる良心的な価格設定に努めるだろう。一度の取引金額は少なくなっても、地元民がリピーターになってくれれば、より大きな利益を上げられるからだ。

 

 チスイコウモリも、チンパンジーやボノボも、群れという固定化した顔ぶれのなかで生きている。付き合いは死ぬまで続く。だからこそ“しっぺ返しの理論”同様の助け合いへ収斂しているのだ。おそらくは、500万年前まではチンパンジー、ボノボとおなじ動物だった、ホモ・サピエンスも。

 人は十戒を神から授けられて倫理を学んだのではない。人のもつ助け合いの精神は、利益を追求するため、ヒトとチンパンジーとボノボの共通祖先の時点ですでにあみだされていた、動物的な生存の工夫に過ぎないのだ。チスイコウモリがコウモリで最大の大脳新皮質を進化させたように、“しっぺ返しの理論”には記憶力が必要になる。ヒトが高い知能を得た理由のひとつはそれである。

 

「考古学者のピーター・ボグスキは、こう書いているわ」ウォースパイトがふたたび話題の中心となる。「氷期の移動狩猟社会では、資源分配が義務となっている血縁集団型の社会組織が、現実には唯一の生きる道であった*15

 

 心理学者のグレゴリー・S・バーンズらは、かつてこのゲームの参加者たちのMRI画像を撮影した。予想では、相手に裏切られたときに被験者の脳はもっとも強い反応を示すだろうと思われていた。しかし結果は正反対だった。脳は、相手が協力してきたときに、いちばん明るく光っていたのだ。しかも光ったのは、脳のなかでも、デザートや、かわいい写真や、お金をもらったときや、コカインや、その他、合法非合法問わずさまざまな快楽に対して反応することがすでに判明していた、いわゆる報酬系と呼ばれる部位だった*16。人間は、裏切りではなく、協調することに快感を覚える生き物なのだ。協力することにコカインなみの快楽を得ることができる個体は、すすんで協同行動をとり、それはまさに狩猟採集社会の成員として不可欠な習性だったので、そうでない個体よりも優先して生き延びることができた。実験は、助け合うことに喜びを感じるその遺伝子が、現代の人間にも受け継がれていたことを証明したのである。

 

「でもさあ」

 

 長波がウォースパイトに言う。

 

「チンパンジーはヒエラルキーの高いやつから食いもんを食っていって、弱いやつはおこぼれにあずかるしかないって聞いたぜ。人間は、遺伝的にはボノボともチンパンジーとも等距離なんだろ? てことは、人間もチンパンジーみたく独占欲が強い生き物だとも言えるんじゃないか?」

 

「タンザニアのゴンベに生息するチンパンジーは、たしかに凶暴で独占的という観察結果があるわ。チンパンジーは獲物の肉を分配するときにこそ階層構造がもっとも露わになる、おそらくそのイメージは、ジェーン・グドールの研究結果によって定着したのだと思う」

 

 英国の動物行動学者にして人類学者のジェーン・グドールが、ゴンベでチンパンジーの実地調査を敢行したのは1960年だ。彼女はチンパンジーが道具を使うことを世界で初めて実証した学者である。

 グドールはチンパンジーをより詳細に観察しやすいように、何百本ものバナナで餌付けをしてキャンプの近くにおびき出すことにした。広大なジャングルを駆け回る類人猿を追いかけるのはたいへんな困難をともなったからである。バナナは鍵のついた鉄筋コンクリートの箱に詰め、決まった時間に開けて餌やりをした。

 すると平和的で目立った争いのなかったチンパンジーたちの行動に劇的な変化が起きた。もっとも悪い変化は、成人のオスが凶暴に、攻撃的になったことだった。人間たちがゴンベにくるまでは、チンパンジーたちはジャングルに散在する食料をもとめて、個々に、あるいは小集団に分かれて索餌行動をとっていた。いつも同じ場所に食べ物があるとは限らないから、見つかるかどうかはおのおのの運しだいだけれども、見つければその場で食べることができた。おいしい果物がたくさん実っている木を見つけたときは、わざわざ大声で仲間を呼んだ。協力が自分のためになるからだ。困ったときはお互いさまの、平等な社会だった。

 ところが、いまは甘い香りのするバナナが山と積みこまれた箱がある。熟した果物が目の前にあるのに、すぐには食べることができない。それはチンパンジーたちにとって衝撃の経験だった。彼らは混乱し、怒り狂った。グドールの助手は幾度となく箱の修復に追われた。箱は類人猿たちによって際限なくこじ開けられ、叩き壊されたからである。箱に厳重な対策を施すと、チンパンジーたちは大きな集団となって、キャンプの近くで一日中うろつくようになった。ジャングルに散れば――今までそうしてきたように――すぐにでも食料が手に入るはずなのに、そちらには目もくれず、空き腹をかかえてでも、キャンプの近く、正確には箱の近くから離れようとしなかった。チンパンジーは、おそらく歴史上はじめて、食料がいつも一か所に集中して存在していて、あてにすることができ、しかも量が有限であることがわかりきっている状況に出くわしたのである。そうなると、いつくるかわからない宝箱の開けられる時間に備えてじっと待機して、ほかの個体に食べられるまえにわれさきにありつこうとする。やがて、箱の近くを「価値ある土地」として独占しようとして、オス個体同士が壮絶な闘争をはじめた。

 

 科学者たちは思い知った。これが人類の戦争の根源であると。

 

 野生のチンパンジーと同様の生活を送っていた狩猟採集時代の人類は、食べ物をもとめて散らばり、部族ごと遊動していたので、土地そのものに執着することがなかった。食べ物の少ない土地に未練たらしくしがみつくのではなく、さっさと立ち去って、べつの場所に移るのがいちばん簡単で合理的だったのだ。

 食料が森に散在している環境では、食料を手に入れるために必要なものは実力ではなく、たんなる運だけだ。だから食べ物を見つけられる日とそうでない日がだれにでも均等に訪れる。そうした社会では地位の差は生まれにくい。だれもが「きょうは運よく食べ物が手に入った。だがあしたはわからない」ので、不運な日が自分にきたときのために、食料を見つけた日は積極的に仲間に恩を売る。それが結局は自分自身の生存率を高めることになるのだ。

 

 しかし農耕と出会ったことで、取り返しのつかないほどの大きな転機が人類に訪れる。農耕は、農地から定期的、計画的に穀物を収穫することができる。いままではジャングルという気まぐれな自然界に拡散しているものだった食料が、農地という一か所に集中して存在し、あてにすることができて、ただし土地面積のぶんしか生産されないものになった。食料が畑からとれるとひとたび学習してしまえば、森に行けばさまざまなご馳走が待っているにもかかわらず、人類はそちらには目もくれずに、単一的な穀物しかつくられない畑をせっせと耕して、収穫という宝箱の開けられるときがくるのをじっと待つようになる。人類にとって農地とは、ゴンベのチンパンジーにとってのバナナの箱だった。

 運によってのみ食料を獲得していたのが、畑を耕すとか、作物を育てるだとか、食用にするぶんと貯蔵に回すぶんの計算をしたりするのが上手い者が、確実により多くの食べ物を得られるようになった。実力が成果に直結するのだ。格差社会と階層社会の曙である。

 苦労して耕したのだから、自分の畑と隣人の畑の境界をはっきりさせることが、なにより重要になる。男は確実に自分の血を引いていると確信できる子供に相続させることを望み、一夫一妻が台頭することになる。

 穀物は腐りにくいから余剰食糧が生じ、急速な人口増加を招く。人口が増えればそれを養うためにもっと農地を拡大しなければならなくなる。そうして際限なく領地を拡大していけば、いつかはおなじように農地を開拓していた他部族と接触する。「価値のある土地」を奪う、または防衛するための軍隊を組織するようになる。人類の戦争はそうしてはじまった。現代でも戦争の原因は縄張り争いに帰結する。農耕が戦争を生んだのだ。

 

「じつは、コートジボワールのタイに生息するチンパンジーは、ボノボのように食べ物をみんなで平等に分配するの。“しっぺ返しの理論”はいつでも最善の方法ではないし、ときには裏切りが最高の利益をあげる戦略になる。動物はその置かれた環境によって利他的にも利己的にもなりうるということ。チンパンジーと一口に言っても、餌付けされていて餌の争奪戦が促される特殊な環境下では独占的になるし、食料が豊富にあってしかも散在していれば助け合う。だから、ゴンベの報告例だけを見てチンパンジーという動物を評価するのは、ジェイソン・ボーヒーズとハンニバル・レクターの2人だけを見て、人間はこんな動物だというようなものなのよ」

 

 それを聞かされて長波も了解した。

 

 世界にはいまだ農耕に取って代わられていない、人類本来の姿である狩猟採集社会が数多く存在する。南米、オーストラリア、パプアニューギニア、アラスカ、中国、インド、アフリカ。これらの国々で先住民と呼ばれ、農耕と文明に染まっていない狩猟採集民族は、ほとんどが資源分配主義である。彼らは食料を手に入れたらその場で平等に分配して、その日のうちにはすべて食べてしまう。

 彼らが平等に分配する資源とは食料だけではない。セックスも含まれる。

 

「たとえば、メラネシアのマリンド・アニム族は、花嫁を輪姦するの」

 

 ウォースパイトがいうと艦娘たちが色めきたつ。

 

「というのも、人類学者ロバート・エドガートンによれば、彼らは精液が健康な胎児の成長に欠かせないと信じているからだそうよ。花嫁が多産であるためには、精液をいっぱい注ぎ込まれなければならない。だから結婚初夜では、花嫁の父方の親戚男性10人ほどを相手に、花嫁はセックスをする。父方の親戚がもっと多かったら、その次の夜にその人たちとセックスをする。そのような“輪姦”は、女性の生涯ずっと続くとか*17

 

「そういえば、古代ローマにもそんな風習があったわね」

 

 反吐が出そうな顔を艦娘たちが並べていると、戦艦ローマが思い出して言った。

 

「古代ローマでは、結婚を祝うために宴を開くけど、そこで新郎の友人が立会人の見守るなかで花嫁とセックスをするのよ。オットー・キーファーが1934年に上梓した『古代・ローマ風俗文化史』に書いてあったわ……“結婚という占有は自然の法則と相容れない、それどころか相反する。したがって、結婚しようという女性は、母なる自然に逆らう罪を償わなければならない。それで花嫁は一定期間、無償で売春行為をする。つまり結婚の貞節を、猥褻の前払いで購うというわけだ”*18

 

「ふしだらだ」剛毅なるネルソンはかぶりを振った。「ふしだらだ」

 

「ネルソン、わたしはまだ類例を出すことができるわ……アマゾン社会に造詣の深い人類学者ドナルド・ポロックによると、アマゾン川流域のクリナ族には、ドゥツェ・バニ・トウィという儀式があるの。これは、“肉をちょうだい”という意味よ」

 

 ウォースパイトが夢枕に立つ夢魔のようにささやく。

 

「村の女性たちは、徒党を組んで明け方に家々を回って、各家庭の成人男性に狩りに行ってこいと命じる歌を歌う。このとき、女性が家のなかまで入って棒でその家を叩くことがある。これは、その家の男性が首尾よく獲物を捕らえて帰ったら、その晩に自分とセックスさせてあげる、という合図らしいわ。ただし、女性は自分の夫を相手に選んではいけないの」

 

 ここからが肝である。男たちはいかにも面倒くさそうなふうをよそおってハンモックから這い出し、ジャングルへ向かう。しかし、彼らは狩りが終わると、村に帰るまえに全員で獲物を分配し直し、手ぶらで帰る男がひとりも出ないようにするのだ。全員が平等に婚外セックスにありつけるシステムになっているのである。

 

「ポロックは言うわ……“狩りを終えた男たちは、意気揚々と村に戻ってくる。待っていた大人の女たちは大きな半円状に集まって、男たちを挑発するようにエロティックに歌いかける。肉をちょうだい(ドゥツェ・バニ・トウィ)、と。男たちはその半円の中心に、獲物を積み上げていく。大げさなしぐさで叩きつけたり、あるいはわざとらしく気取った笑みを投げかけながら。肉料理の宴が終わると、女たちはみんな、セックスの相手に選んでいた男と連れ立って帰っていく。この儀式は定期的に行なわれ、クリナ族は心から楽しんで参加するのだ”*19

 

 グラーフ・ツェッペリンがなにかに気づく。

 

「これはちょっとした好奇心だが、クリナ族の“肉をちょうだい”の、“肉”にあたる言葉……」

 

「“バニ”ね」

 

「その“バニ”は、額面どおりの肉のほかに、もっと別の意味も隠されていたりしないか?」

 

 それにウォースパイトはわが意を得たりと大きく頷いた。日本でいうなら、亀さんとか、杭とか、竿とか、単装砲とか、高射砲とか、魚雷とか言い換えるのとおなじだ。ストレートに表現しないほうがかえって性的なニュアンスが強調されるのは、日本だろうと欧米だろうとアマゾン流域だろうと変わらないらしい。

 

 女性が自分の性を褒美として男性を狩りへ行かせるクリナ族の風習は、両手にポンポンを持ち、短いスカートでセクシーなダンスを披露して男性選手を鼓舞するチアリーディングとおなじ構造である。一夫一妻社会であっても、男性たちをもっとも効果的に駆り立てるのは女性のエロスなのだ。ヘレン・フィッシャーのいうとおり本当に一夫一妻が人間のトレードマークなら、男性たちは自分の性を武器にしている赤の他人のチアリーダーに応援されても、まったく奮い立たないはずである。

 

「マルコ・ポーロが中国南西部に立ち寄ったときに出会った、そこで古くから生活しているモソ族は、既婚であるにもかかわらず外国からの訪問者とも積極的にセックスする民族だった。だからモソ族の語彙には“夫”や“妻”を意味する言葉がない。彼らにとって成人の異性はすべてセックスの相手になりうるし、そのかわり部族内の大人はすべての子供を自分の子供のように愛して、子供はすべての大人を親同然に敬っている。子供がひとりで出かけても部族のだれかが親の役割を果たすから、母親は心配する必要がないの。

 また、ベネズエラからボリビアの広い範囲に散らばる数多くの狩猟採集民族の社会では、胎児は母親とセックスした男たちの精液の結晶であると考えられているわ。女性は自分の子供に優れた特徴をひとつでも多く与えてあげたいから、各種取り揃えた多彩な男性たちとセックスをしようとする。もっとも話が面白い男、もっとも狩りが上手い男、もっとも見た目がいい男、もっとも親切な男、もっとも力の強い男、そうしたなにか一芸に秀でた男たちに、協力を要請するの。そうして子供が、彼らのそういったいいところを吸収することを願うのよ。それゆえひとりの子供に複数の父親がいることになっている。そういう話はまだまだあるけれど」

 

「いや、いい。頭が沸騰してしまいそうだ」

 

 ネルソンが頭を抱えた。

 

 気にせずウォースパイトは追撃する。

 

「ブラジルのマティス族は、婚外セックスをひろく実践していて、容認どころかむしろ義務としているの。既婚か未婚かを問わず、相手から性的な誘いを受けたら応じなければならない。断れば、“あいつは性器を出し惜しみするやつだ”とレッテルを貼られて、一族の笑いものにされる。マティス族の倫理観からすれば、これは近代文明における不貞よりもはるかに恥ずべきことなのよ*20

 

「それは、部族ぐるみで女性を性奴隷にしているということではないのか」

 

 ネルソンも負けじと応戦した。

 

「わたしは、女性だけがつねに受け身で男性からの求めに応じなければならないとは言っていないわ。マティス族はある意味で男女平等よ。男性もまた女性からのセックスを拒んではならないの。人類学者のフィリップ・エリクソンが研究のためにマティス族の集落に逗留したときのことよ。ある日、若い男性が匿ってくれとエリクソンの小屋に逃げ込んできて、何時間も小さくなっていた。わけを訊くと淫蕩な従姉妹から隠れるためで、見つかると彼女の誘いを道義上、拒否することができないからだった……」

 

 とウォースパイトが余裕の表情で撃ち返す。

 

「現代でも、パプアニューギニアのトロブリアンド諸島のお祭りでは、若い女性の集団が島々を駆け巡って、おなじ村の出身ではない男性たちを強姦する習わしがあるの。もしも男が自分を満足させられなかったら、その眉毛を食いちぎるしきたりになっているとか」

 

「女性たるものが、そのような破廉恥な行為に積極的に参加するとは……」

 

「それはヴィクトリア朝時代の考えよ、ネルソン。

 チャールズ・ダーウィンは“メスは、ごくまれな例外を除いて、オスより性欲が弱い”と言った。

 わが国の医師ウィリアム・アクトンは1857年に著書でこう断言した……“善良な母親、妻、夫の留守を預かるものは、セックスにふけることがほとんど、あるいはまったくない。慎み深い女性とは自分自身のために性的な満足を欲望することはほとんどない。彼女が従順に夫を受け入れるのは、ただ夫を喜ばせるためだけである”*21

 もっと時代が下った1979年でも、心理学者ドナルド・サイモンズが『人類のセクシュアリティの進化』で“あらゆる民族において、性行為は女性から男性に提供されるサービスであり、愛の証明であると理解されている”*22と迷いなく書いているわ」

 

「なんか童貞の幻想みたいだな」

 

 長波がいうと艦娘たちが吹き出した。

 

「現代にいまだ生き残っているヴィクトリア朝人たちは、女性は愛したただひとりの男性とだけセックスをするものであり、自分の性欲を満たすためではなく夫への愛のために受け入れるものだとかたくなに信じている。たしかに、恋愛経験のない女の子が、はじめて交際することになった男の子にセックスを要求されて、したくはないけど嫌われたくないためにしぶしぶ応じるということはあるかもしれない。けれど本当に女性が貞淑な動物だとしたら、人類に近縁な霊長類のメスたちが、人類の女性が生物学的にセックスに消極的な証拠を見せてくれるはず。でも実際にはチンパンジーもボノボも、メスはむしろ自分と交尾したことのないオスとの交尾を優先する傾向にあるわ。有性生殖の利点が多様性の確保にあることを考えると、それはとても自然なことなの。おなじ数の子供を量産する資源があるとするなら、同一の相手と繁殖を重ねるより、別々のオスとそれぞれ子作りしたほうが、リスクヘッジとしても機能するでしょう?」

 

 クリナ族のドゥツェ・バニ・トウィにも、パプアニューギニアのトロブリアンド諸島での逆レイプ祭りにも、決して自分の夫をターゲットにしてはいけないという決まりがある。アマゾンとパプアニューギニアという地理的にまったく交流のない地域で、おなじ風習が伝わっている。まさに収斂である。

 

「狩猟採集社会に共通するのは、成員の男女は一定の規則があるとはいえ婚外セックスを楽しんでいること、生活に必要な資源は平等に分配すること、そしてたいてい平和で、支配と被支配の関係ではなく個人の自律性が重んじられていて、自殺者がいないほどにストレスとは無縁の暮らしを送っていること――だって、村のみんなが穴兄弟や竿姉妹なんだもの、仲良くならないわけがないわ。海で隔てられた異なる言葉の民族なのに、こんなにもおどろくほど類似した社会が、確認できるかぎりでも数千年前から続けられている。ここからは次のような考えが自然に浮かぶと思うわ……人類は皆、むかしは彼らのようだった、って」

 

 わずか1万年より前の人類は皆、マリンド・アニム族のように、あるいはクリナ族のように、あるいはモソ族のように、あるいはマティス族のように、婚外セックスを当たり前のように行なっていたのだ。そして、決まった仲間たちと生涯付き合うがゆえにチスイコウモリのように食料を分けあい、ボノボ同様にセックスで仲を取り持つため争いもなかった。

 

「言われてみれば、SF作家のカート・ヴォネガットの言葉に、こんなのがあったわ。“どうすれば人間がもっと幸せになれるか。ぼくにとっては、がんの治療法が見つかったり、火星に降り立ったり、人種差別がなくなったり、エリー湖がきれいになったりってことじゃない。原始社会にもういちど暮らせるような方法が見つかったら、だ。それがぼくのユートピアなんだ”」

 

 アイオワが引用するが、実際のところ、狩猟採集社会は貧窮こそしていなかったものの、ユートピアでもなかった。助け合いが発達するということは、助け合わなければ生きていかれないシビアな環境であるということだからだ。事実、出土した骨や歯を調べたり、更新世(200万年前~1万年前)の焚き火の灰を炭素14法で年代測定したりするに、狩猟採集時代の世界人口は100万を超えることはなく*23、人口増加率はわずか0.001%以下*24、つまり人間は生まれる数と死ぬ数がほぼおなじだった。しかもミトコンドリアDNAの変化をたどる研究によれば、ほんの7万4000年前、スマトラ島のトバ火山が大噴火したことによる地球規模の寒冷化で、総人口は1万人以下、もしくは数百人レベルにまで減少している。そんな荒涼とした時代を生き延びたのは、たとえば寒くなると小便がしたくなったり、インスリンが少ないために血中糖度の高かったりする個体たちだった。

 

ウォースパイトは言う。「数十万年前の地球がいまよりとても小さかったのなら話は別だけど、世界人口がヒトラーの首相就任時のナチ党員数より少ないのなら、人口密度が小さすぎて、ほかの部族と会いたくても会えない。会えないなら戦争の起きようがない。見渡すかぎりの広々とした土地も、そこから得られる食料もすべて自分たちのもの。資源が潤沢に存在し、かつ分散しているなら、人間は独占という裏切りで部族から追放されるより、互いに分けあって恩を売る協調路線を選ぶ。さっきのサラトガとユージンの実験のように。協力的な善人しか生きることを許されないという意味では、まあ、平和ではあったでしょうね」

 

 現代人は満員電車にぎゅうぎゅう詰めにされているが、先史時代は他部族が視界に入ることさえまれだっただろう。世界に存在する人類は自分たちだけという錯覚にさえ陥っていたかもしれない。

 

「それは、あまりに孤独ではないか?」

 

 ネルソンは伝説の戦艦に抵抗をつづけた。

 

「どうかしら。われらが英国の人類学者ロビン・ダンバーは、社会性のある霊長類の集団の規模と、脳の新皮質の発達度に比例関係があることを突き止めた。脳が大きい霊長類ほど群れも大きくなるということね。この結果から彼は、人間の脳の限界、つまりいつだれがなにをしたかを把握していられる限界は、150人ほどの集団の規模と予測した。ダンバーいわく、“新皮質の処理能力の限界によって、安定した個体間関係を維持できる個体数が決められている”*25

 文化人類学者のマーヴィン・ハリスは、ダンバーがその発見をした1992年よりも前の1989年に、狩猟採集民族を研究した論文でこんなことを書いているわ……“ひとつの血縁集団につき50人、ひとつの村に150人であれば、皆が皆を互いに深く知っているので、相補的なやりとりの絆によって集団に結束することができる”*26

 チスイコウモリを思い出して……彼らの“しっぺ返しの理論”がうまくいくには、自分と他個体との関係を正確に記憶しておかなければならなかった。人間の場合は、だれにどんな貸しがあるか、自分はだれに恩を返さなければならないかを記憶して、円滑な関係を維持できる上限は、中央値として150人なのよ」

 

「ああ、ダンバー数ですね」

 

 マエストラーレの目にも理解の色があった。多くの国の軍隊で中隊の定員は150名前後である。兵士たちは基本的に中隊単位で運用される。家族のごとく互いの緊密な連携が肝である中隊が有機的に機能するのは、最大で150名ほどであると、先人たちも経験則で知っていたのだ。

 

 人間が悪事をはたらくのはほとんどの場合、自身の匿名性が確保できている状況にかぎられる。犬を散歩させていてフンの始末をしない飼い主がいるのも、自分がだれにも見られておらず、フンを放置して困るのが赤の他人だからである。「旅の恥はかき捨て」という俚諺(りげん)にもその精神性があらわれている。自分がなにをしているのか、つねに顔見知りに監視されている状況では、人間は利己のためにも利他にならざるをえない。

 

「現代に生きる狩猟採集民は、そのいずれもが、ひとつの血縁集団につき50~150人で構成されていて、もし人口が増えたら小集団に分かれる仕組みが備わっているわ。これはダンバー数の理論にもみごとに合致する。その成員である150人は運命共同体で、全員が自分の名前と顔と家系と今までなにをしてきたかを知っていて、自分もまた全員の名前を答えることができる。あまつさえ肉体関係を結んでいたり、同性の友人とはおなじ異性とセックスした仲でもあったりする。おそらくは先史時代の人間もね」

 

 ウォースパイトが睥睨する。

 

「150人の友人と日常的に顔を合わせていて、しかも穴兄弟や竿姉妹であったりして、成果物を積極的に分け合い、母親はお乳が出なくなったら遠慮なくほかの女性に協力を申し出ることができる。――現代にそんな人がどれだけいるかしら? 先史時代が孤独だとしたら、現代人のほとんどは営倉に入れられているようなものよ。……ただ、極度にウェットなムラ社会ということだから、現代人にはかえって過干渉で耐えがたいかもしれないわね」

 

 田舎は近所の人が遠慮なく家に入ってくるし、選挙のときには特定の代議士に投票するよう圧力をかけてくるし、別の候補に票を入れたら翌日にはそのことが町中に知れ渡っていたりする。そういう濃厚な相互依存をもっと強烈にしたのが狩猟採集社会の人間関係であるともいえる。狩猟採集社会ではひとりで悩むことは許されない。解決できるまで「どうした、どうした」とみんなが詰めかけてくる。

 

「狩猟採集時代についての誤解は、まだあるわ――原始人は栄養状態が悪いので背が低く、短命だった、というものよ」

 

 ウォースパイトが挙げるとだれもが意外な顔をした。それが誤解だとすると、原始人は栄養状態が良好で、背が高く、長生きしていたのか?

 

「イエス」ウォースパイトは迷わず答えた。「先史時代の人類の身長の平均は、およそ90センチだったという計算結果が出ているわ」

 

「チビじゃんか」

 

 長波がずっこけながら言った。皆も苦笑する。

 

「では、この数字がどうやって出されたと思う?」

 

 と笑みを浮かべるウォースパイトに動揺はない。

 

「たとえば、太平洋戦争時の日本海軍最大の戦艦〈大和〉が全長263メートル、ひるがえって占守型海防艦は全長77メートル。なら日本海軍艦艇の平均全長は、(263+77)/2で、170メートルということになるでしょう?」

 

「いや、それは違うだろ。戦艦と海防艦で出した平均なんかになんの意味が……」

 

 そこで長波の玄妙な色合いの瞳に閃光がはじける。

 

「そう。先史時代の人間の平均身長は90センチというこの俗説は、出土した成人と乳児の人骨の身長から平均を求めたものなの。ギリシアやトルコで発掘された140万年前の人骨のうち、成人だけを抽出して平均をとってみると、男性が180センチ、女性が168センチ。つぎに、同時代の幼児の人骨のサイズは50センチといったところ。発見された成人の骨と幼児の骨の比率が3:7だったことから、当時の乳幼児の死亡率が7割だったと推察できるわ。ではここからどうやって平均身長を割り出したかというと」

 

 ウォースパイトが指で数式を空書する。サンプルを10人とし、成人男性を成人代表と仮定して、成人3人:幼児7人で平均を算出する。[(180×3)+(50×7)]/10=?

 

「89センチ……たしかに、およそ90センチと出るね」

 

 タシュケントが感心した。もうだれも笑ってなどいない。

 

「ちょっと待って、このマジックは平均寿命についても言えるんじゃない?」

 

 ゴトランドが声をあげた。

 

 ウォースパイトが満足そうな顔でスウェディッシュ軽巡を指さす。「そのとおり」

 

 世界銀行の発表では現代のモザンビークの平均寿命は55歳となっている。しかし実際に同国を訪れると70代や80代の健康的な老人をふつうに見かけることができる。幼児の高い死亡率が平均寿命の数字を引き下げているのだ。

 

「骨や歯からその人が何歳まで生きたかを正確に読み取るのは至難のわざよ。まして何十万年、ないし100万年以上もむかしの人骨となると、なおさらね。それでも脳の容積と体の比率を調べるなどして、先史時代の成人の平均寿命は66~78歳だったという研究結果があるわ*27。間をとって70歳として、狩猟採集時代の乳幼児が3歳になるまでに7割死ぬとすると、平均寿命の式はこうよ……」

 

[(70×3)+(3×7)]/10=23.1

 

「古代人の平均寿命は20~30歳だった、なんて話を聞いたことないかしら。それはこんなふうにして導き出された数字なの。だから、うそではないけど、事実を正しく伝えているともいえない」

 

「平均を出されたら中央値を疑えってことね」

 

 ローマが眼鏡の位置を直しながらひとりごちた。

 

「140万年前のギリシアの男の人は、背丈が180センチもあったんですねぇ」

 

 プリンツ・オイゲンが不思議な顔をして言った。

 

「男性が180センチ、女性が168センチという成人の平均身長は、おなじ土地に住む現代のギリシア人やトルコ人よりも高いの*28。人類は1万年前に農耕へ移行したことで、狩猟採集時代より栄養状態が急激に悪化、身長ががた落ちしてからいまだに回復できていないのよ。これは全人類にあてはまるわ」

 

「しかし、だな……人口が純増しなかったということは、それだけ狩猟採集時代が過酷な時代だったということだろう?」

 

 ネルソンの言ももっともである。幼児の死亡率が7割だったという事実に変わりはないのだ。食糧難か、疫病だろうか。

 

 ウォースパイトは答えて、

 

「先史時代の幼児の人骨には、飢餓やあらゆる病気の痕跡がほとんど確認できていない。

 たとえばエクアドルの先住民ワオラニ族は、高血圧、心臓病、がんの兆候がひとつもなかった。風邪すらもだれひとりひいたことがなかったし、寄生生物も発見されなかった。口承や遺伝子の調査でも、肺炎、天然痘、水疱瘡、発疹チフス、腸チフス、梅毒、マラリア、小児麻痺、結核、血清肝炎に罹患した痕跡は見いだされなかった*29

 これは当然のことで、こうした伝染病はそのほとんどが家畜動物に起源をもち、農耕社会のような高い人口密度の環境下でのみ、流行が可能になる病気だからなの」

 

 麻疹、結核、天然痘はウシをはじめとした畜類が、インフルエンザはブタとアヒルが、百日咳はブタとイヌが、それぞれ起源である。定住生活を余儀なくされる農耕で人口が増えていくと糞尿はどんどん堆積する。しかも家畜がそばにいるとなると伝染病にとっては至れり尽くせりだ。人類を脅かす疫病の流行は農耕牧畜文化によって花開いたのだ。家畜を飼わず、小集団で生活する狩猟採集民はそもそも伝染病の感染源に触れる機会すらない。感染したとしても、人口密度が低いため、多くの他者に伝染させる前に感染者が死亡し、そこで感染性病原菌の移動は途絶える。すなわち、狩猟採集社会では疫病は大流行などしようがないのである。

 

 直近の数百年だけを見ても、人類は天然痘、ペスト、スペインかぜ、SARSといったパンデミックに見舞われ、数億人が死んでいる。総人口100万人程度しかいなかった先史時代に、近現代とおなじように疫病が流行っていたとしたら、とっくに人類は絶滅していたはずである。しかし人類は実際に500万年も生き延びてきた。定住しないこと、動物を飼育しないこと、人口が少ないことという、狩猟採集社会を定義づける典型的な特徴そのものが、伝染病に対する最大の予防策となっていたのだ。

 

「飢餓についても説明しておくわね」ウォースパイトが続ける。「成長期に、1週間ほどの短期間、栄養状態が悪いと、腕や脚の長骨の成長速度が落ちて、栄養状態が改善されるとふたたび成長しはじめる。新たに成長した部分と、成長が中断される以前の部分とでは、骨の密度が異なる。そうして骨に記録された、栄養状態のよかった時期と悪かった時期との境界線はX線写真で判別できる。この線はハリス線と呼ばれているわ。

 考古学の調査によれば、このハリス線が多くみられるのは、先史時代の狩猟採集民の遺体よりも、食料確保を農耕に頼っていた時代の人骨のほうなの。

 イリノイ川下流のディクソン・マウンズで発掘された、およそ800体の先住民の遺体を分析してみると、狩猟採集から耕作へ移行したことで健康状態に大きな変化があったことがわかった。考古学者のジョージ・アーミーラゴスの報告によると、農耕生活者の遺体は、それより前の時代の狩猟採集者の遺体にくらべると、慢性的栄養不足が50%多く、伝染病の感染者が3倍多かったそうよ*30

 狩猟採集社会は、農耕社会よりも食料事情がはるかに恵まれていて、1日かそこら断食することはあっても、慢性的におなかを空かせることはなかったし、伝染病ともほぼ無縁だったと、彼らの骨が教えてくれている」

 

 現代でもアボリジニは1日に数十種類の食物を口にする。おそらくは先史時代の人類も同様だっただろう。彼らは多くの食料を利用できる雑食者のメリットをあますことなく活用していた。つまり、たとえいくつかの種類の食べ物が不作だったり手に入らなかったりしても、ほかの食料でじゅうぶんに要求カロリーをカバーできたのである。

 しかし、農耕と出会って、単一の作物に依存するようになると、その作物が不作になっただけでいともたやすく飢饉に陥り、人類は大量の餓死者を生むリスクをつねにかかえることになった。そうでなくとも、農耕生活者はたった数種類の穀物を基幹とした、非常にバラエティに乏しく、栄養価も低い、しかも偏った食事にしかありつけない。現代の日本人でも白米におかずが1~2品というあまりに粗末な食事を「当然」と考えている者は少なくない。

 先史時代の人類にせよ、現代の狩猟採集民にせよ、農耕とは、1日じゅう額に汗して働く必要があるばかりか、いたずらに飢餓のリスクを増大させ、栄養状態も確実に悪化するただの苦行としか映らないのである。

 

 ウォースパイトが冷静に告げる。「7割という幼児の死亡率。これは飢饉とか疫病ではなく、子殺しによるものと推定されているわ」

 

 席上がざわつく。

 

「飢え死にや病気より悪質ではないか?」

 

 グラーフ・ツェッペリンが艦娘らの総意を代弁した。

 

「子殺しをしていたのは、人口が増えすぎてダンバー数を超えると、互いの目が届かなくなってコミュニティが破綻すると知っていたからでしょう。彼らにとってセックスはその行為自体が目的で、子供は副産物といっても過言ではなかった。そもそも定住せず遊動していた狩猟採集では、幼い子供が多いと移動の邪魔にしかならないから育てられなかった。定員以上はお断りだったのよ」

 

「なんだか、残酷ですね……」

 

 プリンツ・オイゲンが悲しい顔をする。

 

「やはり先史時代は野蛮ではないのか?」

 

 ネルソンも眉をひそめて言った。

 

「子殺しはこんにちにおいてさえ珍しいことではないわ。現代のブラジル北東部では、幼児は満1歳になるまでに20%がネグレクトによって亡くなっていると、人類学者のナンシー・スケーパー=ヒューズが報告しているの。スケーパー=ヒューズによると、赤ん坊を死なせるのはむしろ親としての慈悲だとしている母親がいた。生まれつき元気がない子供は、神の国に帰りたがっているのだ、だからそのとおりにしてあげていると*31。オーストラリアのアボリジニ研究の世界的な第一人者ジョゼフ・バードセルは、生まれてくる子の半分は直接的に殺されていると見積もっているわ」

 

 どうしても先進国の人間は、ブラジルとかアボリジニとかのやることは野蛮で、自分たちより後進的だから参考にならないと決めつけがちである。だが先進国にも子殺しは石ころのように転がっている。

 

 ワゴンを押してきたコマンダン・テストのつぎの言葉は、それを裏付ける一例であった。

 

「フランスにも、そういう事実上の“子殺し”はありましたネ」

 

 コマンダン・テストが口直しのソルベを配膳しながら口を挟んだ。

 

「1830年までフランスには、赤ちゃんポストの設置された孤児院が270施設ありました。これは望まない子供をこっそり放り込めるように工夫された設備でした。ただ、赤ちゃんを捨てる人の匿名性を守る工夫はされていても、赤ちゃんを守る工夫はされていませんでした。フランスの孤児院における赤ちゃんの死者は、1784年には4万人、1822年では14万人にものぼったのデス。こうした孤児院は、事実上はポストの回転扉が火葬場に直結しているようなものだったといえるでしょう。孤児院とは名ばかりの、政府と教会公認の赤ん坊処理施設といったほうが正しいでしょうネ」

 

 こうした赤ん坊処理施設を利用していた有名人に、子供の教育の大切さを説いたジャン=ジャック・ルソーがいる。ルソーは女中とのあいだにできた私生児を5人とも孤児院に預けていた。ベンジャミン・フランクリンが1785年にその孤児院を訪問したところ、そこに捨てられた赤ん坊のうち85%が1年以内に死亡していたという。

 

「アメリカでも、1915年に医師のヘンリー・チェイピンが10ヶ所の孤児院を訪れたら、うち9ヶ所ではすべての子供が2歳の誕生日を迎える前に亡くなっていたそうだけど*32

 

 ジョンストンが複雑な顔をして明かした。

 

 グラーフ・ツェッペリンも、魚料理の味が残る口内をシャンパンのソルベでリセットしながら思い出す。「経営学の父にしてマネジメントの権威ピーター・ドラッカーの奥方、ドリス・ドラッカーの回想録には、20世紀初頭のドイツの中流家庭では子殺しが一般的だったと書かれてあったな。村には、未婚の母親たちから子供を引き取る“エンジェル・メーカー”と呼ばれる女性がいた。しかし、彼女は子供の世話をせず、餓死させていたという。一方で母親は母乳が出るから、上流階級に乳母として雇われていたそうだ*33

 

「さすがドイツ、合理的だな」

 

 というアークロイヤルを独空母艦娘は鼻で笑っていなした。

 

 日本でも戦前までは、産婆が生まれたばかりの赤子をなにかしらの事情によりその場で殺し、母親には死産だったと報告するということが珍しくなかった。育てられない命をむりに生かしてもだれひとり幸せにならないからである。柳田國男(やなぎだくにお)が幼い時分、産褥の女が生まれたばかりの嬰児の口に手を押し付けているという図柄の絵馬を見て、子供心に強烈な衝撃を受け、それが民族学者を志すきっかけになったという逸話はよく知られている。

 

 殺人は、人間を殺したときにのみ適用される罪である。おなじ生命でも動物を殺しても殺人にはならない。では人はどの時点から人間としての命を得るのかについては、いまだに全人類の合意を得られる回答をだれも出すことができていない。日本の法律では「胎児の一部が母体の外に露出した」ことをもって人とみなす。そのため妊婦の腹を串刺しにして胎児ごと殺したとしても、適用される罪は妊婦の女性1人にたいする殺人罪であり、胎児が死んでしまったことについては、たとえ胎児への殺意があったとしても不問とされる。胎児は法的に人ではないからである。

 堕胎罪については、自然の分娩期に先だって人為的に胎児を母体から分離する行為が罪に問われるのであって、胎児が死ぬかどうかは本罪の成立には関係がない。胎児を殺すことが罪ではなく、堕胎行為が罪なのだ。

 

 胎児は人間ではないとする文化があるなら、ある一定の年齢にまで到達しなければ新生児を人間と見なさない文化もあることに、なんら不思議なところはない。名付けや洗礼、割礼など、新生児に対する数々の儀式は、その子が生きていくことができるか否かを見定め、証明書の代わりに執り行われるものである。

 

「言われてみれば」と長波が天井を仰いだ。「むかしの日本じゃ、生まれたばかりの子供は人間じゃなくて神さまで、この世とあの世をふらふらしてて、成長するにつれて人間に近づいていくって考えられてたらしいんだ。たぶん3歳になるまでに死ぬ子供、5歳になるまでに死ぬ子供がくそ多くて、7歳の山超えたら逆に生存率が高くなる、みたいな感じだったんだろうな。それが七五三らしいんだけど、その前に死んじまったら、神さまの国へ帰ったってことにしてたんだとか」

 

 するとアイオワがある挿話を思い出す。

 

サム(サミュエル・B・ロバーツ)が寮の部屋でハムスター飼ってて、つがいが子供産んで喜んでたんだけど、赤ちゃんが見たくてある日ケージを覗いたら、そのとたんに母親が子供たちをバリバリ食べはじめたとか言って泣いてたわ」

 

 子育ての初期段階でストレスを感じると子を食べて仕切り直しをはかる動物は、魚類、両生類、哺乳類と枚挙にいとまがない。

 

 親による子殺しは、動物として現代まで受け継がれてきた人間の習性のひとつなのかもしれない。生まれた子供をすべて育て上げるという社会通念そのものが、じつは人類という動物の生態からかけ離れた異常な状態なのかもしれない。だから現代日本でも幼い子供を虐待死させる事件が後を絶たず、嬰児をトイレに捨てていくのかもしれない。

 

 仮に胎児を人間と見た場合、人工妊娠中絶手術は現代の子殺しである。日本では年間16万~19万件の人工中絶が実施されている*34。つまり年間16万~19万人ほどの子供を殺していることになる。日本で3大死因のひとつとされる脳卒中の2016年の死者数は11万1973人なので、単純に数字だけみると脳卒中の死者より人工中絶された胎児のほうが多いということになる。日本人の3大死因は、がん、心疾患、脳卒中とされている。しかし実際は、がん、心疾患、人工中絶としたほうが正しい。なぜそうなっていないかというと、胎児は法の上では人間ではないので、死亡者数にカウントされないからである。

 

 強姦などの望まない性行為で妊娠したために人工中絶を望むケースもあるだろうが、統計では人工中絶の動機で最多とされているのは「つくるつもりがなかったのに、避妊に失敗してできてしまったから」であり、次点で「経済的な理由。仕事の都合」となっている。1位と2位の理由が、狩猟採集民族の子殺しの理由――ダンバー数を超えるから、あるいは自分や部族の生活に邪魔だから――とほぼ重なっている点に留意されたい。

 

 ちなみに都道府県別でみると、10歳~49歳の女性人口に対する人工中絶の実施率が全国でもっとも高いのは、鳥取県である。理由は判明していない。

 

 ウォースパイトは言う。「だから、現代に生きる人間が狩猟採集民の子殺しを残酷と非難することはできないの。現代でも子供は何十万、何百万と殺されているのだから。もし、中絶を含めた子殺しで亡くなった子供を計算式に組み込んだら、現代人の平均寿命はどうなるかしら」

 

 では狩猟採集民族にとって子供とはなんなのか。全員がウォースパイトに答えを求める。

 

「胎児が複数の男性の精液によってつくられる、だから女性は複数の父親のいいところを併せ持った子供が生まれるよう、さまざまな男性とセックスをする。そうした文化はごく自然につぎの文化を生むことになるわ。分割父性。すなわち男性たちが、“部族の子供はみんな自分の血が少しずつ混じっている。だからどの子も自分のように愛する”。そのため、狩猟採集民族は男性がみんなイクメンなの」

 

 パラグアイのアチェ族では、人類学者による家系の調査が難航した。調査対象のアチェ族321人が、自分の父親だとした者の人数は、延べ600人を超えていたからである。父親は一人という既成概念をいったん忘れて調査しなおしたところ、アチェ族は4種類の父親を区別していることがわかった。ミアレ(精液を入れた父親)、ペロアレ(精液をかきまぜた父親たち)、モンボアレ(まぜた精液を外にこぼした父親たち)、ビクアレ(胎児が成長するエキスを注入した父親たち)である。ある一人のミアレである男は、別の子供のモンボアレであり、またほかの子供のビクアレであったりもした。そしてどの子供にもひとしく父親として責任を負い、子供たちは彼を父親として敬っていたのである。

 

 また人類学者の統計によれば、多夫多妻の社会では社会的に認知された父親が一人しかいない子供より、父親が複数いることになっている子供のほうが、子供時代を生き延びられる確率がかなり高かった*35

 

 そうした社会では、育児においても父性を共有することが自分の遺伝子を後世に残すことに直結する。分割父性とは、最悪の事態にあっても子供の安全が保障されるためのリスクヘッジなのかもしれない。父性をセックスの段階から分割しておくことで、もし自分が不慮の事故で死んでしまったとしても、子供の面倒を父親同然に見てくれる男性がほかにいることを担保しておくというわけだ。

 

「わが英国の動物学者デズモンド・モリスが、ポリネシアで出会ったトラック運転手の女性から聞いた話よ……彼女には9人の子供がいた、でもそのうち2人は子供のいない友人にあげたの。モリスは、その2人の子供は母親に捨てられたと思っているのではないかと尋ねると、彼女は答えた。“なんとも思っていない。わたしたちみんなが、どの子供も愛しているのだから”。モリスは次のように書き記しているわ。“彼女のこの言葉は、わたしたちが村に着いたときの彼女のふるまいからいっそう強烈に心に残った。彼女は幼い子供たちの一団がいるところに行って、草の上に寝転がったりしていっしょに遊んで過ごした。それはまさしく、自分の子供とするようなふるまいだった。子供たちはなんの疑問もいだくことなく彼女を受け入れた。通りすがりの他人が、実の家族以外の何者かである可能性などまったく考えてもいないというようだった”」

 

 一同が考え込む。実の家族、という言葉すら、全人類で同一の状態を指してはいないのだ。文明社会一般では血のつながった関係のみを実の家族とする。だが自分の子供しか愛さない人間を悪とする文化が確実に、しかも世界の広範に存在する。血のつながらない子供たちと大人とが、デズモンド・モリスの回想する女性のように「なんの疑問もなく」受け入れあい、子供たちが男性すべてを父親のように頼ることができ、成人女性すべてを母親と呼ぶような社会、部族の全員が顔見知りなので、子供からしたら知らない人を信頼しても安全な社会、なにより、性的関係が重なりあっているため遺伝的な親が特定できず、しかもそれ自体がなんら意味をもたない狩猟採集民族の社会に典型的な、拡散して共有される子育てのありかたこそが、あるいは人類にとってのほんとうの家族構成なのかもしれない。

 

 ウォースパイトはフランシス・ドゥ・ヴァールの言葉を引用した。「“どの交尾が妊娠につながり、どの交尾がそうならなかったか、オスにはわからないような社会では、その集団で育つほとんどの子供から自分の子である可能性を排除できなくなる”*36」ドゥ・ヴァールはチンパンジーとボノボの研究における世界的権威だ。この一文もボノボについて書かれたものだった。しかし婚外セックスを慣習化している多くの人類社会にもぴたりと当てはまるのである。

 

「分割父性については、わたくしも聞いたことがありマス」

 

 と、肉料理(アントレ)となるリエーブル・ア・ラ・ロワイヤルの皿を給仕しつつコマンダン・テストが言った。一見するとショコラのような野ウサギの肉にロッシーニ風よろしくトリュフとフォアグラが乗せてある。

 

「17世紀のイエズス会宣教師ポール・ル・ジュンヌが、多夫多妻のモンタニェ・インディアン*37の男性に、不貞がはびこっていて目にあまるので苦言を呈しました。“女が自分の夫以外の男を愛するのは、りっぱな行ないとはいえない。そんな悪行がはびこっていると、夫はそこに自分の息子がいても、それが自分の息子だという確信が得られないからだ”。すると彼はこう答えたそうデス。“それは違います。あなたがたフランス人は、自分の子供しか愛さないかもしれないが、われわれはこの部族のすべての子供を愛している*38”」

 

 子育てをすべての成人で拡散して共有するという方法は、ブラジルのクリナ族特有の話ではないということだ。

 

 多夫多妻の文化集団においては、父親だけでなく、母親も一人ではない。ウォースパイトが言う。

 

「クリナ族の言葉では、精液は“男のミルク”と表現されるけれど、胎児はこの“男のミルク”が蓄積されて形成されるもので、赤ちゃんとして誕生したあとは“女のミルク”によって成長すると、彼らは信じているそうよ」

 

「男のミルク。エロ漫画にありそうだな。親近感がわいてきた」長波が顔を輝かせた。

 

「ポロックの著書には、クリナ族の子育てについてこう書かれてあるわ。“子供ひとりに、おおぜいの女たちが乳をやる。とりわけ姉妹どうしが共同で授乳の役割をになうことがよくある”*39。授乳とまではいかなくとも、たいていの女性は、自分の子供だけでなく血のつながりのない赤ん坊にも優しくしたいと思うでしょうし、これはほかの社会性のある霊長類にも共通しているわ。けれど、こうした思いやりのある行動をとる霊長類には、一夫一妻の種は存在しないの」

 

「一夫一妻の動物には、どのようなものがあるのでしょうか?」

 

 サラトガが野ウサギの肉にナイフを入れる。ナイフの重さだけで刃が沈んでいく。

 

「オシドリ夫婦っていうけど、オシドリって毎年パートナー変えるっていいますもんね」

 

 マエストラーレが「王家の野ウサギ」を意味する肉料理を口に運び、至福の顔となる。本来、野ウサギ(リエーブル)はその愛らしさとは裏腹に肉質がゴムのように固く、噛めば真夏の犬小屋に首を突っ込んだような臭いが口いっぱいに広がる魔獣であり、とても食用には適さない。そういうわけで、臭みを消すために下準備では大量のコニャックに漬け込み、たった1羽の野ウサギに良質な赤ワインを7本も投入して、リシュリューとイタリアが3日3晩かけ、とろとろ煮込み続けたのである。その甲斐あって獣臭さはない。それどころか臭みは執念にもひとしい手間暇の魔法をかけられ、トリュフの華やかな芳香にも助けられて、野趣あふれる官能の香りへと昇華している。くせを個性に変えるフレンチの神髄がそこにあった。

 それではと口に入れると、絹が溶けるように繊維質がなめらかにほぐれていき、フォアグラの食感もあいまって、ひと噛みごとに千変万化の感慨が舌の上をめまぐるしく駆け抜けていく。加えて、艶やかで厚みのあるソースが血の味わいとは思えないほど格調高い風味で、さらに濃厚な深みを与えている。ラストノートにトリュフの薫香が緑風となって追いかけていく。その先に遼遠なる天国が垣間見える。五感を超えたイマジネーションの洪水に理解が追いつかない。なんだったんだ、いまのは。艦娘たちがもう一度確かめようと二口めに挑む。しかもリシュリューが選んだというシャトー・マルゴーがコントラストを生んで立体感を強調する。森の下生え、湿った土、燻したハーブの趣きがあるこのミディアムボディはタンニンの継ぎ目もなく、野ウサギの味わいと血のつながらない双子のように息ぴったりの合奏を果たし、これをもって初めてリエーブル・ア・ラ・ロワイヤルというアートは真の完成を見るのだった。

 

「ウサギが一夫一妻でないことは確かだな。ペンギンはどうだ? コウテイペンギンは、極寒の南極にあって子供とパートナーを猛烈な突風から守るためにその身を盾にし、氷原を何日も歩いてエサを獲ってくるというが」

 

 興奮冷めやらぬグラーフ・ツェッペリンにアイオワが首を横に振って、

 

「コウテイペンギンも、シーズンごとにパートナーを変えるのよ。雛が育って泳げるようになったら、パパもママも後腐れなく瞬時に離婚して、サヨナラ。しかもペンギンのメスは売春をすることがあるの。巣作りに手ごろな小石をもらうかわりに、ちょっとだけセックスをさせてあげるらしいわ」

 

「一夫一妻の動物はいないのか。どこかにいるはずだ」

 

 ネルソンが言い募った。アイオワが記憶を検索する。

 

「一夫一妻の霊長類は、数百種のうち数種は存在するけど、それらはすべて樹上性よ。霊長類以外では、セックスの面で完全な一夫一妻と断言できうるのは、哺乳類では3%しかいないわ。たとえば、ええと、プレーリーハタネズミとか」

 

「ネ、ネズミだと……」

 

「彼らはペアの絆を固守し、巣を共にして、オスもメスも互いに相手を積極的に守りあうし、一緒になって縄張りを防衛して、子供を保護するの。ペアの片方が死んでしまっても、生き残ったほうが新たな配偶者を迎えることはなく、生涯にわたって貞潔を貫くそうよ*40

 

「一夫一妻を神聖視することは、人間の性行動とプレーリーハタネズミのそれとを同一視しなければならない、ということね。ああ、かつて人間は自らを神や天使の似姿と信じていたのに、たかが一夫一妻をありがたがるあまり、いまやドブネズミを自らのお仲間に見立てて、わずかばかりの慰めを得なければならないなんて!」

 

 ウォースパイトが大げさに嘆いてみせた。さらに続ける。

 

「いっぽう、建前だけでも一夫一妻のはずの人間たちは、世界中のどこででも姦淫を記録されているわ。お昼のメロドラマは不倫ばかりで主婦の欲望を代弁しているし、アメリカの大統領なんて職と地位を危険にさらしてでも不適切な関係を結ぶ英断を下したし(このときアイオワとサラトガは苦笑いした)、ガンジーは自らへの試練として若い女性と添い寝して性衝動と戦い、みごとに敗北した。ずいぶん人間は無理をしているとは思わない?」

 

 ウォースパイトがネルソンの瞳を覗き込む。

 

「もし、人間が水を飲むことを倫理的に禁じられたとしたら、と考えてみて。食物からでも水分を補給することは可能だけど、人間の本能として冷たいエヴィアンを一気に喉へ流し込みたいときだってあるでしょう」

 

「当然だ。人間は水を飲む動物なのだから、飲むなというほうが自然の摂理に反している」

 

「そうね。それとおなじことよ。人間は日常的かつ同時に多くの異性とセックスをする動物なのだから、たったひとりとしかセックスしてはいけないなんて、自然の摂理に反しているのよ」

 

 罠にはめられたネルソンが返事を詰まらせた。

 

「でも、彼女さんとか奥さんがほかの人とエッチしてたりしたら、男の人はやきもち焼いたりするんじゃないですか?」

 

 肉料理とともに出された色彩豊かな野菜サラダ(レギューム)をリエーブルと交互に食しながら、プリンツ・オイゲンが懸念を見せた。女性が経済力のある男と結婚して、子供は本当に愛している愛人とのあいだにひそかに作り、さも夫の子供であるかのようによそおうことは、カッコウなどの鳥類の習性から俗に托卵と呼ばれることがある。一夫一妻であれば、夫は自分の遺伝子を継いでいない子供に資源を費やすことになるから激怒するだろう。

 

「クリナ族のような多夫多妻の社会では、子供は複数の男の精液でつくられるという前提があるから、嫉妬は起きようがないの。むしろ、自分の血が何割かでも流れる子に、部族の頼れる仲間たちの血も混じって、より優れた子供になるのだから、肉体関係のある女性とほかの男性がセックスすることは、生まれてくる子供の長所を増やしてくれる助力にほかならず、ありがたいと思うものらしいわ」

 

 ウォースパイトは即答した。

 

「人類学者のウィリアム・クロッカーは、アマゾンのカネラ族の男性に嫉妬はないと確信していると言っているわ。カネラ族には、女性が20人以上もの男性とセックスするお祭りがあって、夫はこぞってその儀式に参加するよう自分の妻を励ますそうよ。もし、妻が自分以外の、しかも20人以上の男とセックスすることに本当は嫉妬しているとしたら、それを隠して笑顔でいられるような人間とは、ポーカーをしたくないわね」

 

 セックスをめぐる祭りのときは夫を相手に選んではいけないというしきたりを設けることで、「セックスは夫とだけ行なうものではない」と刷り込んで、性の独占欲である嫉妬が育たないように工夫されているのだ。先史時代、そして彼らの文化的子孫たる現代の狩猟採集民は、食料を平等に分けあうように、セックスすら平等に分配する対象にしているのである。

 

「だが、愛はモノのように分配できるものではあるまい。1人の伴侶にすべての愛情を注ぐのが、人のあるべき姿ではないのか」

 

「2人と肉体関係を結んでいれば1人あたりに注ぐ愛は1/2になって、3人なら1/3ずつになる、と言いたいの?」

 

 ウォースパイトにネルソンが頷いた。ウォースパイトはほほえんで、

 

「最初の子供は、弟や妹ができて、お母さんがそちらにかかりきりになったら、きっと嫉妬するでしょうね。そこで優しいお母さんは最初の子に、あなたはこれからもずっとわたしの天使なの、あなたを愛していることに変わりはない、子供たちみんなを愛しているのよと教え(さと)す。そうでしょう?

 親は子供を平等に愛するものであり、子供が増えようと子供1人当たりへの愛が等分に減量されるのでなく、どの子にも100%の愛を与えることが可能だと、だれもが当たり前のように信じているのに、どうして男女間の愛は限られたパイの奪い合いだと決めつけるの? 人は、同時に1人しか愛せない生き物ではないわ。親は子供がたくさんいても、それぞれ1人しかいないときとおなじように愛してる。シャトー・マルゴーを飲んだからといって、スパークリングワインを裏切ったことにはならない。わたしはシェリー*41を読むけど、ワーズワース*42だって愛している。それはだれもが可能なこと。ならばどうして、セックスの関わる愛は例外だと断言できるのかしら。愛はモノでないからこそ、真に平等に分配することができるのよ」

 

 次々に退路を断たれていくネルソンは、もはやウォースパイトと正面から向き合わなければならない局面にあった。

 

「多夫多妻の社会が、いずれも女性は夫以外の男性と積極的にセックスするよう仕向けられていることを思い出して。先進国の人間は、愛と性欲をおなじものだと勘違いしている。でも、“一緒に暮らしたい”と思う感情と、“セックスしたい”という欲求は、本来は別々のものなの。母親が子供を愛しているからといって、彼女は子供とセックスしたいと思っているのだと受け取る人はいないでしょう。夫とセックスをしたら子供を愛していないことになるかしら? 夫も愛している、子供も愛している、しかも50%ずつの愛を分け与えているのではなくて、どちらにも100%の愛を注いでいる。このことにだれも疑問はもたないはずよ。

 男女間の愛もおなじ。愛しているからといってセックスしたいと思っているとは限らないし、ほかの異性とセックスしたからといって、それはパートナーを愛していないことにはならない。それは赤ワインと白ワインのどちらが大切なのかといっているのとおなじくらい的外れなことよ。パートナーへの愛と、セックスしたいという欲求をごっちゃにしてしまって、セックスしてよいのはともに暮らしているパートナーだけと自縄自縛しているから、どこかしらで無理がくる。そんな文明社会に比べれば、伴侶を愛することと、ほかにセックスのパートナーをもつことを両立させている多夫多妻社会のほうが、はるかにストレスが少なくて、充実した人生を送っているのではないかしら?」

 

 チンパンジーは、オスもメスも交尾の相手には新奇性をもとめる。人間も同様で、近親相姦を防ぐため、長く暮らしている異性を性行為の相手と見ることに本能的な嫌悪感をいだく仕組みがある。自分の夫を「でかい子供のようだ」とうんざりする妻は多いが、実際、夫も長年連れ添った妻を第2の母親のように思っていることが多い。母親とセックスしたいと思う男はそういない。だから妻とセックスレスになる。

 

「フランスには、こんな冗談がありマス」

 

 コマンダン・テストがワゴンで食後のチーズ(フロマージュ)を運んできて言った。

 

「ある医者のもとに患者から電話がかかってきました。

“先生、このあいだ処方してもらった薬を飲みましたが、妻が出かけてしまったんです”。

“仕方ない。なら、メイドとやっておしまいなさい”。

 医者が言うと、患者の男性はこう返してきました。

“でも先生、メイドとやるときは、薬はいらないんです”」

 

 妻を愛していることに変わりはないがほかの女性とセックスしたい、という欲求は、水を飲みたいが食べ物も食べたいというのとおなじで、生物学的にはなんら矛盾なく成立する。むろん女性のほうも同様である。

 

「先進国の人間が盲信する一夫一妻は、核家族――一組の夫婦がいて、互いに貞節を守り、自分たちふたりの子供をもうけて育てていく――をよしとしているわ。でも、夫婦を核にその周囲を子供が電子かなにかのように回る、それをひとつの単位として独立、いえ孤立している核家族は、じつは人類の生物学的な生態ではなくて、コルセットや貞操帯や中国の纏足の靴とおなじように、文化的に押しつけられた拘束具なのではないかしら。

 1人で父性の全責任を負わなければならない父親も、1人で育児をしなければならない母親も、親として自分を愛してくれる大人が2人しかいない子供も、むりやり自分たちを小さな枠に押し込めようとしているのではないかしら。たかが痴情のもつれなんていうくだらないことで争う男女、冷えきってセックスレスのまま互いを縛りつづける仮面夫婦、協調性のない攻撃的な子供たちが、いまの先進国にインフルエンザよりも蔓延しているのは、ほんとうは人類という生物にはそぐわない、愛の絶対量が足りない核家族という家族構成に心が歪められてしまったがための、当然の帰結ではないかしら。

 核家族というシステムそのものが、文化的に見映えがいいだけの、生物としての人間には無理があるコルセットなのではないかしら」

 

 ウォースパイトに一同は重苦しい沈黙に包まれた。

 

「狩猟採集社会は、生まれた子供の7割を殺しておきながら、子供を部族全体で愛する……? 連中にとって、子供ってなんなんだ?」

 

 長波が、女性の膣のにおいとおなじ過程で生成された揮発性脂肪酸の香りを放つチーズを齧って疑問を発した。

 

「それは現代人とおなじよ。現代人も、子供がほしいときか、子供ができてもいい時期以外に身ごもったら、はっきり言って重荷にしかならないでしょう。だからコンドームやピルを使って子供ができないようにセックスをする。狩猟採集社会では生まれるべきではないタイミングで生まれてしまった子供を殺す。順番が違うだけで、文明社会も未開社会も、子供とセックスに対する観念はほとんど変わらないの。

 タイミングに恵まれた子供だけを愛して育てる、それは矛盾ではないし、人間の普遍的な習性のひとつと考えられるわ」

 

「あたしからもいいかな」タシュケントだった。「総括すると、狩猟採集社会では人間は平等主義で利他的な善人ぞろい。それが農耕社会になったとたん独占的になって、戦争さえはじめるようになったってことだよね。じゃあ、人間の本性ってどっちなんだろう? 戦争を好むのか、平和を好むのか。利己的なのか、気前よく分けあうのか」

 

「その質問には答えようがないわ」とウォースパイト。「水の本当の姿は、液体なのか、固体なのか、それとも気体なのか? 水はその背景によって状態を変える。餌付けされていたゴンベのチンパンジーは食料を取りあっていたし、資源が豊富なコートジボワールでは平等に分けあっていた。動物はつねに自己の最大利益を追求している。協力がいちばん得になるなら協力するし、裏切りがベストであれば裏切るようになる。人間もまた、背景によって利己的にも利他的にも変化しうるの。狩猟採集社会のように小集団で、だれもが日ごろから顔を合わせていて、協力しなければ生きていけない環境なら利他的になる。農耕社会のように私有財産の概念があり、人口が多すぎるがゆえにコミュニティがダンバー数の上限を超え、顔も名前も知らない他人ばかりという環境では、人間は羞恥心が機能しなくなる。マルクス主義者の致命的な間違いは、人間の本性が背景によって変わるということに気づけなかった点にあるわ。平等に分けあう協力的な善人は、濃密で相互依存的な社会という背景のなかでしか利益を確保できない。だから大規模な社会ではもうひとつの本性に追いやられてしまう運命にある。匿名性という背景のもとでは、人間は利己的で恥知らずの動物へと姿を変える。つまり、背景が決定的に重要なの」

 

 部族のみんなが顔と名前の一致する家族であり、セックスをする仲であり、セックスのパートナーを共有する仲であり、すべての子供たちを実の子供のように愛することができ、子供は部族の大人すべてに愛される。それを実現する背景こそ、即時報酬型の狩猟採集民族である。そこではむしろ協力的な善人でなければ生きていけないのだ。

 

 狩猟採集時代の人類は、ホッブズが『リヴァイアサン』で悲観したような、「孤独で、貧しく、意地が悪く、残忍で、短命」ではなかった。部族の成員たちは、家族同然の穴兄弟もしくは竿姉妹が何十人もいて、体格からするに現代人より健康で、協調にこそ快感を覚え、助け合い、70歳でも移動生活が中心の社会で生きていけるほどに長命だった。

 

 トマス・ホッブズの母親は、スペインの無敵艦隊がイギリスを攻撃しにくるという急報におののいて、恐怖のあまり産気づき、早期分娩した。『リヴァイアサン』は祖国イギリスではなく亡命先のパリで書かれたものだ。王政支持に敵対する市民革命の手から逃れなければならなかったからである。しかしフランスで出版すると、今度はその反カトリシズムが亡命者仲間の怒りを買った。彼は命からがらイギリスに逃げ帰った。かつての敵たちに命乞いをし、なんとかイギリスで暮らすことは許されたが、著書の刊行は禁じられた。母校のオックスフォード大学は焚書さえした。当時のヨーロッパは、異なる思想の人間は放っておくのではなく、徹底的に糾弾し殲滅しなければならないという使命感にだれもが熱狂していた。

 そういう魔女狩りのごとき狂気の時代に生まれ合わせたので、ホッブズにとってはむしろそれが「自然な状態」で「人間の本性」だった。文化的バイアスである。ホッブズはのちの人類学者たちがそうしたように、当時まだ残っていた未開社会をいくつか訪ねてそれぞれの共通点から先史時代の姿を類推したのではなく、単純に自分の生きていた社会――せいぜいイギリスとフランス――だけを材料にして、有史以前の世界を想像しただけにすぎない。17世紀のヨーロッパという、人類の歴史上を見渡してももっとも暗黒に包まれていたであろう時代を、そのまま先史時代に投影したのである。それでは人類の本来の姿など正確に描けるはずがない。

 さらに彼は、いまはこうして万人による万人の闘争が繰り広げられているけれども、文明や国家があるから、まだこの程度ですんでいて、個人が野放しになっていた先史時代はもっと悲惨だっただろう、そのはずだと思い込んだのだ。

 

「こうした考えの背景には、人間は絶えず進歩しているものだ、という先入観があると考えられるわ。現代人でさえ、進化とは改良であると信じている人が少なくないでしょう」

 

「違うのですか?」

 

 ウォースパイトにサラトガが、純白のフロマージュ・ブランに蜂蜜をかけながら訊いた。

 

「進化は、つねに変化している環境に、そのときたまたま適応できるよう変化した種が生き延びただけ、その時代に適合していただけだから、あとの時代には優位性が無効になることがあるのはもちろん、前の時代にいたとしても不利だったということはじゅうぶんありうるわ。いまの生物は過去の生物の上位互換ではないの。地球の環境は季節のように変化する。夏の時代に適した遺伝情報は冬の時代にも適しているとはかぎらないし、その逆もしかりよ」

 

 人間がエラを失って水中呼吸できなくなったように、生物の進化とは退化でもあるということだ。進化はバージョンアップではなく、単なるバリエーションの違いでしかない。

 

 ウォースパイトがいう。

 

「中世のころの鎧を見ると、現代人には小さすぎて着用できないものばかりで、これは数百年前の人間が現代の水準からすると低身長だったことを示しているわ。では何万年も前の古代人はもっと小さかったのかというと、実際にはそんな単純な話ではないことは、すでに話したとおり」

 

 人間はどうしても比例関係のわかりやすい推移を好む。進化を改良の類義語だと思い込むのもそのためだ。

 

「人間はむかしむかし、とても愚かな個人主義者で肉体的にも劣等だったけれど、時代が進むにつれて知性を磨いて、物質的にも精神的にも洗練され改善し、みずからを高めてきた、だから現代に生きる自分たちは史上もっともよい時代に生まれ合わせたのだ。……それはひとりでお酒を飲むときの慰めにはなるかもしれないわ。でも、いいかげんそんな幻想からは卒業してもいいのでは? つまり、次のことを素直に認めるべきなの……“先史時代の人間は、現代の人間よりも優れている部分もあった、しかもそれは現代人が人間的と呼んでいるものだった”。人類にもっとも近い類人猿の2種と、文明を知らない狩猟採集民族が、その生き証人なの」

 

 勝ち誇ったようなウォースパイトが、白かびチーズのブリーをケーキのようにカットしてもらって、ひとくちめはそのまま噛む。

 

「まだ人類のあるべき姿が多夫多妻だって信じられない?」

 

「当然だ」青かびタイプのチーズであるブルー・デ・コースと、残りの赤ワインのマリアージュを満喫しつつも、ネルソンの鼻息は荒い。「どれも状況証拠ばかりではないか。現代の狩猟採集民族が多夫多妻だからといって、1万年より前の人類もそうだったとは言い切れまい。すべては憶測にすぎぬ」

 

 たしかに、発掘した骨から先史時代の人間が高身長だったと証明できても、実際にどんな性生活を送っていたかまでは化石記録には残らない。しかも、残念ながら1万年より前の先史時代にはスマートフォンどころか文字もなかったのだ。

 

「では、物的証拠があれば納得するのね?」

 

 ウォースパイトにネルソンが固唾を吞む。ついでにワインも飲む。

 

「ペニスよ」ウォースパイトがブリーを乗せたバゲットをじっくり楽しんで繰り返す。「ペニスよ」

 

 思い思いのチーズを食べる艦娘たちが耳目を寄せる。

 

「生物の体は祖先がどんな環境を生き抜いてきたかを雄弁に語ってくれるわ。

 多くの哺乳類が色盲なのは、その祖先が恐竜の時代には夜行性だったということを教えてくれる。

 緯度の高い地域の魚より熱帯魚のほうが派手なのは、熱帯のほうが食料資源が豊富で個体数が多いためにメス争奪戦の競争率が高いことを教えてくれる。

 チュパカブラが吸血性なのは、獲物を仕留めて肉ごと食べることができないから血を吸うだけにとどめている弱く小さな動物であることを教えてくれる。

 オスとメスの体格差、性器の特徴は、生殖についてさまざまなことを詳細に語ってくれる。ときには陰茎骨が近縁種と区別する決め手になることもあるわ。性器とは、その生物が(いにしえ)からどのような性行動をしてきたかについて記されたヒエログリフといっても過言ではないの。恐れず、目を背けず、わたしたちはそのヒエログリフを読み解く必要がある」

 

 とウォースパイトが話すなか、コマンダン・テストがデザートの前の一皿(アヴァン・デセール)を厨房から運んでくる。カクテルグラスに満たされた、カスタードクリームのような色合いのクレーム・アングレーズにメレンゲが浮かび、そこに砕いたカラメルがステンドグラスの破片のように刺さっている。

 

「手始めに、オスとメスの体格差から見てみましょう。類人猿では、ゴリラやオランウータンのオスは、メスよりも2倍は大きい。いっぽうで、チンパンジー、ボノボ、そしてヒトのオスは、メスより10~20%大きいだけ。テナガザルは雌雄で体格はひとしいわ」

 

 霊長類において、オスとメスとの体格差は、生殖をめぐるオス間競争と相関関係がある。メスとの生殖機会という戦利品をめぐってオスたちが競争し、その勝者がすべてのメスと一帯のなわばりを独占する配偶システムでは、より大きく、より強いオスが勝利をつかみ、繁殖の権利を得る。類人猿での典型例はゴリラだ。もっとも大きくもっとも強いオスのゴリラが勝利し、大きく強いゴリラになる遺伝子を次世代へ受け継がせる。逆に、小さく弱いオスのゴリラはそのチャンスを獲得できないので、遺伝子プールからは排除される。そうやってオスのゴリラは世代を経るごとにどんどん大きく、どんどん強くなっていく。

 

 いっぽう、メスをめぐる闘争が激しくない種においては、オスが大きく強い身体に進化する必要性も小さいので、そのような進化はしない。完全な一夫一妻のテナガザルが雌雄でおなじ大きさであるのはこのためである。

 

「では人間は?」クレーム・アングレーズとメレンゲ、カラメルを同時にスプーンで掬いながらウォースパイトが言う。「人類の男性と女性との体格差は、ゴリラほど明確ではないわ。先史時代の人骨も右におなじ。つまり過去数百万年のあいだ、女性をめぐる男性どうしの戦いが、さほど激しくなかったということよ」

 

「ならば、男女でほぼおなじという体格差のその比率こそ、人類がはるかむかしから一夫一妻であったというなによりの証ではないか」

 

 メレンゲの雲のような食感、カラメルの香ばしさとわずかな苦み、アングレーズ・ソースの甘い香りの多重奏を耳によらず聞くネルソンの反論は、どこか懇願のような成分が含有されていた。

 

「ほんとうに数百万年も前から一夫一妻を採用していたのなら、人間はいいかげん完全に一夫一妻に馴染んでいるはずよ。男性も女性も互いにひとりの相手としかセックスしたくないはずだし、不倫なんてしないはずだし、性風俗産業なんて存在しないはずだし、夫婦は離婚なんてしないはず。なのに、人間は年中だれとでもセックスできる能力があるし、不倫の誘惑と戦いつづけなくてはならないし、世界最古の職業は娼婦だし、結婚した夫婦のうち死別より離婚するペアのほうが多いのは、どうしてなのかしら」

 

「なら、一夫多妻なのでは」グラーフ・ツェッペリンがカラメルを齧って訊いた。

 

「自然の恵みを拾い食いする即時報酬型の狩猟採集民族では、食料をたくわえておくよりもその日のうちに全員で分配して消費してしまうことが最適解になる。たしかに、チンギス・ハーンやブリガム・ヤング*43、ウィルト・チェンバレン*44といった男性たちは、性欲の強さで名高いけれど、人間の身体はハーレムを形成する動物の体格とは決定的に雌雄の比率が異なるわ。ハーレムは、富の蓄積が可能であるがゆえに階層社会となり、自分と血がつながっていると確信できる子供に地位を受け継がせることを指向する農耕牧畜文化でしか形成されないの。少数の男性が多数の女性を占有するハーレムは、世界中の即時報酬型の狩猟採集社会で報告された例がひとつもないわ、ひとつも」

 

 反証をひとつずつ潰していく。

 

「わたしたちは刮目して見なければならない」ウォースパイトは重ねた。「人間とおなじ雌雄間の体格差に収まっていて、しかも地球上でもっとも近縁な動物であるチンパンジーとボノボが、たくさんのパートナーと数えきれないほどのセックスを楽しんでいることを。とくに、ボノボのメスが複数のオスと連続してセックスしていることを。もういちど言うわね。ヒトは、多夫多妻の乱婚的なチンパンジー、ボノボと、雌雄の体格差がまったくおなじなの」

 

「ばかな……人間は核家族、一夫一妻こそが本来の姿のはずだ……」

 

 ネルソンがうわごとのようにつぶやいた。

 

「それなら、なぜ人間は、テナガザルのように、男女でまったくおなじ体格ではないのかしら」

 

「人間はもともと一夫多妻だったけれど、慎みを覚え、みずからを律することを学び、それにある程度は成功している、という可能性は?」

 

 というタシュケントに、

 

「それなら、なぜ人間は、ゴリラのように、男性があきらかに女性より巨大な体格ではないのかしら」

 

 ウォースパイトは逆に疑問を投げかけた。

 

 人は、自分たちの行動のあらゆる起源――社会性、言語、道具を使うこと、戦争、残忍さ――を、なんでもチンパンジーやボノボに求めようとする。しかしセックスの問題になったとたん、彼らに目を背け、はるかに遠縁で、非社会的で、知能もずっと低い、だが一夫一妻のテナガザルにすらすがりつこうとするのだ。

 

「それはダブルスタンダードだと、そろそろ認めてもいいのではないかしら」

 

 ウォースパイトが晴れ晴れと告げた。「英国(きみ)がそれを言うか」タシュケントがささやいた。隣のジョンストンが笑おうとしてむせる。

 

 そこへメインのデザート(グランデセール)となるリシュリュー渾身の皿がコマンダン・テストの手によって各艦の前へ置かれていく。姿を現した時点で部屋中にトリュフの芳香がひろがって皆の注意を引く。ガラスの円い皿に、黄金の球体が太陽のように輝き、その周囲にプルーンのワイン煮、洋梨のペースト、ベリーのソース、ミックスハーブ、赤ワインのソース、黒トリュフのキャラメリゼなどが惑星となって公転している。当然、動いてはいないが、公転軌道が見えるかのような錯覚にだれもが陥っていたのだ。

 前衛芸術のようなデザートに戸惑う長波に、コマンダン・テストが食べ方を教える。長波は言われたとおりスプーンの背中で金色の球体を割った。それは飴細工だった。閉じ込められていたトリュフの香りが噴き出し、ラズベリーの泡とマスカルポーネのムースが卵から孵るように顔を覗かせる。

 さまざまな味とアロマを存分に楽しむ。驚くべきは添えられた白トリュフのアイスクリームだ。口に入れた瞬間、極限まで濃縮されていた香りが爆発し、鼻腔どころか脳天まで突き抜け、馨香(けいこう)の爆風で髪がなびきそうでさえあった。腕に自信のないシェフはしばしば高級食材をふんだんに使う。しかし、これほど効果的にトリュフを惜しむことなく投入しているのは、逆にシェフの絶対の自信の表れとみてよい。「使うとおいしくなるから使ったまでだ。文句は言わせない」という芸術家の気高ささえ感じられる。

 

「ここに極めて近縁の3種の動物がいて、体格の雌雄比率も類似しているのであれば、その3つの種の身体が性に関しておなじような適応をしてきたと考えるのが自然では?」官能的に誘うというより強引に押し倒してくるようなトリュフの猛攻に悩殺されそうになりながらも、英国でもっとも偉大な戦艦娘は続けた。「にもかかわらず、ネルソン、あなたはその事実に目をつむって、感情面で安心できるこじつけにすがって、逃げようとしているのよ」

 

「ちがう! 余は……!」

 

「動物はみな、繁殖を最終目標として生かされているの。その要は性器よ。すなわち、男性にぺニスが付いているのではなくて、ぺニスに男性が付いている。だからわたしたちが人間を知るには、ぺニスと睾丸を知らなければならない」

 

 ウォースパイトは頭を抱えるネルソンに畳みかける。

 

「男女の体格差からするに、人類は少なくとも1万年まえの農耕発生までの数百万年間、男性は女性をめぐる戦いをしてこなかった。とはいっても、男性にまったくなんの淘汰もなかったわけではないわ。ゴリラは生殖機会をめぐってオス同士が戦う。人間の男性もほかの男性と戦ってきた。けれどその戦いは個体間ではなく、精子同士で起きていて、戦場は女性の性管なの」

 

「どういうことだ」

 

「ゴリラって、とても大きな身体をしているわよね」ウォースパイトがわざと話題を急旋回させる。「シルバーバック*45は体重180キロにもなるの。でも、そのぺニスは勃起してもたったの3センチ、睾丸はせいぜいインゲン豆くらい。ゴリラは見かけによらず短小なのよ。おまけに人間とちがって睾丸が体内に完全に格納されているわ」

 

「ゴリラは短小……」

 

「対して、体重45キロのボノボは、ゴリラの3倍も大きいぺニスと、ニワトリの卵ほどの大きさの睾丸を持っている。射精1回あたりの精液の量も精子の数もけた違いに多いわ。ボノボはすべてのオスがセックスできるから、競争はオスの個体間ではなく、精子によって行なわれる。だから、オス間競争そのものは依然として繰り広げられているの。ただ競技場が違うだけ。ゴリラのようなハーレムは、セックスに先立ってオス同士が戦う。チンパンジーやボノボは、精子がメスのなかで戦うから、オスが外で戦う必要がないのよ。オスのゴリラは繁殖のための闘争に必要な巨体と筋肉が進化して、授精に競争がないからぺニスは最低限の大きさしか必要ないので短小になる。逆に、チンパンジーやボノボは、オス同士で戦うための筋肉は必要じゃないけれど、ほかのオスの精液が注がれるヴァギナのなかで自分の精子が宝くじに当たるように、ぺニスは大きく、睾丸はより力強くなったの」

 

「でも、admiralさんのタマタマはニワトリの卵ほどは大きくないですよ」

 

 白トリュフのグラスを名残惜しそうに賞味したプリンツ・オイゲンが言うと、

 

「そうね。でもインゲン豆ほどしかなくて体内にしまい込まれているというわけでもないでしょ?」

 

 とウォースパイトが答えて、独重巡艦娘は納得した。

 

 では、人間のぺニスと睾丸の性能やいかに? ほかの霊長類と比較してみる。

 

ゴリラオランウータンチンパンジー・ボノボ人類
睾丸2個の重量(g)2935118-16035-50
1回の射精ごとの精液量(ml)0,31,11,14,25
精子密度(mlあたりの精子数)1億7100万6100万5億4800万1億1300万(1940年)

6600万

(1990年)

射精1回あたりの精子数5100万6700万6億300万4億8000万(1940年)

2億8000万(1990年)

ぺニスの外周(㎜)短小すぎてデータなし短小すぎてデータなし1224,5
ぺニスの長さ(㎝)347,513-18
体格に対したぺニスの長さ0,0180,0530,1950,163
*46

 

「こうみていくと、人類は大型類人猿で唯一ぺニスの長さが10センチを超えていることがわかるわね。人類は大型類人猿随一の巨根なのよ」

 

「人類みな巨根……」ネルソンが畏怖の表情を浮かべる。

 

「またこのデータからは、精子密度こそ、人類はチンパンジーとボノボにはもちろん、短小のゴリラにさえ負けているけれど、精液の量がもっとも多いので、射精1回あたりの精子の数はゴリラやオランウータンの数倍にもなっていることがわかるわ。想像してみて、1度の交尾で放出された、2億ないし4億の精子が、いっせいに卵子へ殺到するさまを。そのうちゴールまでたどり着けるのはたった1個なのよ。なんて旺盛な競争心なのかしら。こんな競争率の高い生物はちょっとほかには見当たらないわ。昆虫なんて、1回のレースにエントリーする精子が100個もない種類さえ存在するのに」

 

 人間のぺニスの特異性は、その巨大さと射精量ばかりではない。形だ。

 

「思い出して、あの木魚のような先端部分と、雄々しく張った(えら)雁首(かりくび)のくびれた、脈打ち反り立つぺニスの勇姿を」

 

「余はまだ見たことがない」

 

「あら、それは残念ね。じつは、ぺニスに亀頭とカリがあるのは、類人猿では人類だけなのよ」

 

 たしかに人類の睾丸の大きさは控えめであるし、精液1mlあたり6600万とされている精子密度は、チンパンジーとボノボの5億4800万に遠く及ばない。

 

 だが人類のぺニスはその形状のユニークさで他の追随を許さない。チンパンジーとボノボのぺニスは、指のように先端にいくにしたがって細くなるだけなのだ。なぜ人類だけが異形のぺニスを手に入れたのか。

 

「先端がふくらんでいて、雁首がくびれた人類のぺニスは、これもまた人類に特異なピストン運動の繰り返しと組み合わされて、その真価を発揮するわ。人間は1回の発射準備に500~1000回のピストンをするけど、亀頭でふたをするように密閉してピストンすることによって、性管に先立って注入されていた精液を吸いだして、自分の精子に有利になるよう支援するの。ちょうど注射器の押し子(プランジャ)を引いたときのようにね」

 

「でもそれじゃあ自分の精液まで吸い出してしまうんじゃない?」小菓子(ミニャルディーズ)のマカロンをつまみながらジョンストンが指摘した。

 

「いいえ」とウォースパイト。「秋雲の本では射精時に亀頭がふくらむと描写されていたけれど、じつは逆。射精にあたって亀頭はしぼんで、幹の硬度もいくらか落ちて、せっかく発射された自分の砲弾を吸い戻しかねない吸引力を無効化するからよ*47。チンパンジーとボノボが大量の精子で力押しするのに対して、人類は先客の精液を掻き出すという戦術で精子の数をカバーしているの。すばらしいわ。人類のぺニスにこそ、グッドデザイン賞が与えられるべきよ」

 

 チンパンジーの性行為は1回あたりわずか7秒、ボノボで15秒、ゴリラも60秒程度でしかない。しかも彼らのぺニスには亀頭も雁首もないのだ。ひるがえって人間のセックスは平均で4~7分にもおよぶ。注入ずみの精液をすっかり掻き出してから射精するという信念があるからこそ、これほど他の類人猿と持続時間に差が出ているのである。そのうえ人間の1回の射精量はチンパンジーの約4倍で、発艦する艦載機の数だけみればチンパンジーのそれに近い。人類のオスは亀頭と雁首で他人の精液を掻きだす作戦と、大量の精液という兵力の両方を兼ね備えた高度な軍事国家なのだ。

 

「ネルソン、まだわからない? いいえ、聡明なあなたならもう理解しているはず……。それだけ人類の女性は、膣内につねにほかの男性の精液が注がれている状態だった、ということなのよ」

 

「ちがう、ちがう……」

 

「人類の陰嚢がなぜ外部にぶら下がって、無防備な姿をさらしているのか。精子は熱に弱くて体温ですら短時間で死滅してしまうの。でも袋を外に出しておけば、身体の内部にしまい込んでいるよりも、空冷で冷やすことができるから精子も長生きできる。したがって蓄えておくことが可能で、必要とあらばいつでも使えるということ。このあいだいたずらが見つかって廊下を走って逃げていた佐渡が、ちょうど角で出くわしたadmiralの股間と正面衝突して、admiralが悶絶していたけど、人類にとっては最大の弱点をさらけ出してしまうことを差し引いてでも、つねに主砲を使える状態にキープしておくことのほうが重要だったのでしょうね。人類はいつでもセックスして射精できるようじゃないと自分の遺伝子を残せなかったの」

 

「うそだ……人間は一夫一妻だ……」

 

「これは仮の話だけれど」

 

「カリの話……」

 

「人間がもし一夫一妻で、しかも子供をつくるときにだけしかセックスをしないなら、性器の使用頻度が低いのだからゴリラのように睾丸を体内に格納して、射精の即応性よりも玉を守ることを優先しているはずよ。また人間がむかしから核家族なら、おなじように核家族で一夫一妻のテナガザルのように、ぺニスはもっと小さく、しかもつまらないデザインをしていなければならないわ。つまり、人間のぺニスは、一夫一妻制にしては、あまりにも性能が良すぎるの」

 

 そう語ったウォースパイトの高貴な美貌が憂愁に翳る。

 

「そう、性能が良すぎる。人間の射精はふつう、3~9回にわけて噴射されるわ。この噴射ごとに採取して分析してみると、それぞれ成分比が異なっていることがわかった。最初の噴射にはさまざまな種類の化学的な攻撃を無効化する化学物質が含まれていたの。化学的な攻撃とはだれからのものか。ほかの男性の射精した精液のうち、最後の噴射に含まれる化学物質から自分の精子を防衛するためよ。最後の噴射には殺精成分が含有されていて、あとから来る者の進出を妨げようとするのよ。つまり、ほかの男性の精子とのレースという直接的な競争の前哨戦として、最初のほうの噴射では先客からの防衛が、最後のほうの噴射は後続への攻撃が行なわれている、ということ*48

 

 この仕組みは、精子が自分たちどうしで争うには不要な性能だ。あきらかに人類の精液はほかの男の精子と戦うために特化している。なぜか? そうしなければ自分の精子を卵子というゴールにたどり着かせることができなかったからだ。すなわち、オスのゴリラが筋肉の発達した個体にだけ繁殖のチャンスを与えられるように、人類の精液は、つねにほかの男の精液と膣内でひしめきあっていて、他者を出し抜ける仕組みが発達していたものが授精のチャンスを勝ち取ってきた、ということだ。この進化は、すくなくとも多夫の乱婚でなければとうてい起きるはずのないものである。

 

「それにね、人間は、一夫一妻や一夫多妻の霊長類より、はるかに多くの精子を生産する能力があるわ。精巣1グラムあたりの精子生産数を、人間以外の8種類の哺乳類とくらべてみると、人類はほかの動物の1/3~1/8しか生産していないのよ。こんにちでさえ、人間はゴリラを恥ずかしがらせるに足る大量の精液と精子をつくり、毎日だって射精できるのに、それでもまだ本気を出していない。とてつもない余剰、とてつもない潜在能力があるの。一夫一妻には無用の長物といえるほどに」

 

 生物の身体はどんな敏腕CEOより冷徹だ。使わない機能はどんどんリストラしていく。なぜ人間はおびただしい量の精液や精子を生産できるのか。艦娘たちには、同時に次のような疑問も浮かぶ。なぜ人類は本来の精子生産能力を大幅に下回る量しか生産できないのか。そんな余剰は無駄なのだから、進化の過程でリストラされて、精巣は生産量ぴったりの大きさにダウンサイジングされているか、元から余剰のない大きさでなければ、つじつまが合わないのではないか。

 

「ひとついい?」ゴトランドだった。「人間の精子密度と精子数が、1940年から1990年でどちらも減少傾向にあるけど、これはどうして?」

 

 食後のコニャックと葉巻の贅沢に身を委ねていたウォースパイトが、よくぞ訊いてくれたとばかりにスウェーデンの軽巡艦娘に破顔する。

 

「人間の精子生産と、睾丸の体積が劇的に減少しているという結果は、近年、世界中の先進国から報告されているわ。この原因として考えられる可能性を列挙しただけで本が1冊書けるほどよ。単調な食生活。農作物に使用されている殺虫剤や肥料。環境ホルモン。携帯電話をはじめとした過密な電波環境。身の回りの石油製品にふくまれる化学物質。食品添加物。絶え間ないストレス。宇宙人の陰謀。――たしかにそれらが原因かもしれない。でも、こうも考えられないかしら。人類のぺニスは、いままさに一夫一妻にふさわしいサイズと性能に退化している真っ最中。一夫一妻こそが、現代の男性たちの玉を縮み上がらせていると」

 

「そうか。わたしたちは、ついつい、人間のチンコもキンタマも何万年も前からずっとこの大きさだと思い込んでる。でも、チンコにせよキンタマにせよやわらかい組織だから骨みたいに化石になって残ったりはしない。だから、1万年前、10万年前のチンコは、いまよりもっとでかかった可能性も否定できないわけか。それこそチンパンジーなみに」

 

 と長波が悔しそうに奥歯を噛みしめた。進化は何百万年もかけてゆっくり起きるとはかぎらない。たとえば人間という種が乳糖耐性を手に入れたのは7500年前といわれている。人間が農耕牧畜をはじめたのはせいぜい1万年前で、家畜は当初、食肉や労働目的であったと考えられるが、その乳を利用できる子供は授乳期の死亡率を格段に軽減させることができた。そうして家畜の乳を飲める子供が優先して生き残れるようになり、こんにちのように牛乳を飲める人間が世界に普及することになった。人間はわずか2500年でそれまで消化吸収できなかった牛乳を飲めるようになったのだ。動物が生殖器の乗り物であり、生殖器が本体であることを踏まえれば、生殖器が環境の変化にすばやく適応しようとするのは道理である。そして人間はいま、一夫一妻によって精子の競争相手がいなくなり、濃厚で大量の精液も、巨大なペニスも、無用の長物と化そうとしている。ならば退化させようと体が判断していてもおかしくはない。

 

 ウォースパイトが続ける。

 

「不妊症は男女どちらであっても子孫を残せないのだから、不妊症が遺伝することはないわ。でも、低妊孕(にんよう)*49なら、遺伝の可能性はまったくのゼロじゃない。もしチンパンジーやボノボのように複数のオスと複数のメスがセックスをする動物であれば、たとえば精液も精子も少ないオスは、ほかのオスの精子に負けるから父親にはなりにくいわよね。勝つのは強力な精子生産能力のあるオスの精子。だから、オスの低妊孕を引き起こすような突然変異は受け継がれにくい」

 

 ネルソンも食後酒(ディジェスティフ)となるコニャックのグラスを傾けながらいまや神妙な顔で聞いている。満腹時に強い酒を入れると、ろうそくの火が灯ったように胃が熱くなり、もたれていたのが雲散霧消するのだ。

 

「なら、あるとき、それも1万年以内くらいの最近に、文化的な強制で一夫一妻を課せられた、と考えてみるとどうなるかしら」とウォースパイト。「一夫一妻では、1人の女性は、1人の男性としかセックスしないと保証される。こうなるとほかの男性との間に精子競争は起きなくなるわ。これはもう対立候補のいない選挙そのものよ。1人しか候補がいないのだから、どれだけ得票数が少なくても自動的に当選してしまう。おなじように、濃厚で大量の精液を出せる男性がいたらあっさり負けてしまうような、薄くて少ない精液しか出せない男性でも、いつかはうまく卵子へ精子を届けることができる。そうして生まれた子供も父親から低妊孕の遺伝子を受け継いで、繁殖力が弱くなっている可能性が高くなる。本来なら自然に排除されるはずの低妊孕も繁殖することができるので、かつて一夫一妻でなかった時代には存続できなかった“タマの小さい男”が淘汰されずに増えていき、一般化することにつながる。

 人間は子供ができないとたいてい女のせいにするけれど、最近の研究によれば、世界中の男性の20人に1人が精子の機能不全におちいっていて、まさにこれが不妊治療を受けにくるカップルのもっともありふれた原因だったりするの」

 

「現代の男のキンタマは、市場を独占している殿様商売みたいな状態で、どうせ自分が選ばれるんだからとあぐらをかいている、それに喝を入れるのが、男2・女1の3Pモノのポルノを観るという不妊治療なわけね。ほかの男の精子と戦っていたむかしを思い出させると」

 

 ローマが何度も頷いて言った。

 

 精力減退に本能的な危機感をいだいているからこそ、男は精子生産能力にブーストをかけるため、ほかの男の精子の気配をもとめて、女性の膣がつねにだれかの精液で満たされていた古の記憶にすがってヴァギナのにおいを嗅ごうとするのかもしれない。その行為がおそらくクンニの原型なのだ。その逆説的反証として、現代の狩猟採集社会にはクンニの文化をもつ民族がひとつもないのである。

 

 また先進国の男性の多くは、自身のペニスのサイズにコンプレックスを持っている。雑誌やインターネットから、ペニスを増大させるサプリメントの広告が絶えたことはない。「男の地位はペニスの大きさに依拠する」と考える男性で世界はあふれているのだ。これは男性には生まれつきセックスでほかの男性と差をつけたいという願望が普遍的に存在することを意味する。一夫一妻の動物には巨大なペニスは必要ないし、それを欲しいと思う心理も発生しない。男性の巨根への憧れはやはり人類が多夫多妻に適応してきた名残にほかならない。

 

 ウォースパイトは、あえぎ声にもヒントが隠されていると説く。

 

「セックスのとき、より大きな声をあげるのは、男と女のどちら? もちろん女でしょう。これはロンドンだろうがニューヨークだろうが東京だろうが、アマゾン流域だろうが変わらないわ。セックスで女は決まってオペラのように大仰なあえぎ声を歌い上げる。ちなみに同性愛者どうしのセックスでは、よりフェミニンにふるまっているほうが大きな声をあげるそうよ。――信じられないかもしれないけれど、霊長類をおいかけてジャングル中をマイク片手に駆けまわって、交尾中の音声の録音データを集めた学者がいるの。そのハードな調査の結果、より乱婚的な種のメスほど、大きく複雑な交尾コールを発する傾向があるとわかったわ」

 

 吉原遊郭で、のちに花魁にまでのぼりつめることになる二代目高尾太夫のあえぎ声は「無二の感興りて、霞の中の鶯、梅が香に誘われ、覚えず初音を出す如し(まるで梅の香に誘われたウグイスが、春に最初の鳴き声を発するのに似た心地よさ)」とまで評された。いっぽうで男のあえぎ声が注目されたことは歴史上ほとんどない。あえぎ声とは、人間もほかの類人猿も、メスのものにこそ価値があるのだ。

 

 女性のあえぎ声は男性にとって、ときに直接的な接触にも勝る性的衝動をもたらす。男性は女性の肢体が見えていなくともそのあえぎ声だけで勃起できるのだ。しかも隣人の部屋から漏れてくる女性のあえぎ声はどんなに雑音にあふれているなかでも耳ざとくキャッチできる。男は女のあえぎ声でスイッチが入るといっても過言ではない。音声だけのアダルトコンテンツで自慰をすることは可能でも、AVをミュートにするとまったく興奮しないことがそれを証明している。

 

「進化は結果論ということを踏まえると、なぜ男性が女性のあえぎ声で興奮するのか、なぜ女性のあえぎ声は遠くまで届くのかについては、すでに答えが出ていることになるわ……それは、“周囲にいるほかのオスを性的に興奮させて、あなたもいらっしゃいよと性行動に誘うため”」

 

 ウォースパイトにネルソン以外の艦娘たちがなるほどと感嘆のため息をもらした。

 

「自然界ではなにを置いても隠れることが重要だけれど、クジャクやライオンのオスのように、ときには目立つリスクを冒してでも性的アピールをしなければ繁殖の機会が得られない場合もある。人間は、男が弱点である睾丸を外に出してでもいつでもペニスを使えるようにし、女は天敵に自分の存在をアピールすることになってでも周りのオスをセックスに誘うことが、生殖にとって有利に働いた。

 また、これは男が一回のオーガズムで風船に穴が開いたように萎むのに対し、女が何度もオーガズムを迎えて連続でセックスできることとも関係しているわ。実は人間の女性のヴァギナは、注入された精子に対して平等に機会を与えているわけではないの。

 女性は自分と遺伝的に近い男性の体臭を臭いと感じ、遺伝的に遠い男性の体臭を心地よく感じるという実験を聞いたことない? 自分にない免疫機構をもっている異性と優先して遺伝子をミックスさせるためのこの工夫は、ヴァギナにも備わっているわ。というのも、女の身体は、入ってきた精子を抗原とみなして、すぐさま反精子白血球によって攻撃するけれど、ある種の精子は見逃す傾向にあるの。女性の生殖システムは、男性の精子細胞の化学的特徴をひとつひとつ見定めて値踏みする神秘的な機能があるということなのよ。この査定項目には、単純な品質や健康だけでなくて、女性側の遺伝子と参照して、未知の抵抗性をもっているかどうかにまで及んでいるわ。つまり、女性本人ではなく、女性のヴァギナが、さまざまな男性の精子のなかから、自分の貴重な卵子へたどり着く価値のあるものを選んでいるの。したがってメスは、オスのサンプルをできるだけ多く採集したほうが有利ということになる*50。とりあえずいろいろなオスとセックスしておいて、あとはヴァギナという選別のプロフェッショナルに任せておけば、よりよい子供を産むための精子を、女性本人が男性を選ぶよりもよほど正確に選び出してくれる。

 人間の女性が連続してオーガズムを迎えられるのは、多くの精子サンプルを収集することに対する身体からの報酬よ。同時に、そうしてメスが積極的にオスとセックスをして友好関係を拡大、強化することが、群れの結束を固くする秘訣でもあった。だから女は、はしたないからと声を我慢したりせず、セックスのときは祖先から連綿と受け継いできた快楽の歌を遠慮なく歌うべきなのよ」

 

 そして、ウォースパイトが優雅に脚を組み替えて結論を下す。ネルソンは託宣を受ける臣民となっていた。

 

「ヒトとチンパンジーとボノボの共通祖先の時点で、複数のオスと複数のメスが乱婚的な配偶システムにより群れの緊張を緩和し、争いのない平和な集団を維持する性質はその萌芽をみせていた。それは遺産として子孫である三者にも受け継がれた。この三者は自分の精子を卵子へ送り届けるために、ぺニスと睾丸を巨大化させ、精子密度の高い精液を大量に生産し、セックスに特化する進化を遂げた。ヒトの男性がほかの霊長類よりも異様に高性能な生殖器をもつこと、それでもまだ本来の性能の半分以下しか使われていないこと、一夫一妻制の国々でぺニスと精巣の退化が進んでいることが、その証左よ」

 

「う……」

 

「地球上のあらゆる動物のうち、ホモ・サピエンスほどセックスに執着する種はほかにいないわ。オペラも歌舞伎も、好いた惚れたで大騒ぎする演目であふれ、新聞やテレビは有名人の熱愛や不倫を追いかけ、きょうも裁判所は離婚調停に明け暮れる。人類も、淫乱と名高いボノボも、出産1回あたりの交尾回数は数百回に達する。これはほかのどんな霊長類も足元にすら及ばない淫蕩ぶりだけど、さらにボノボは行為1回の時間が人間よりもはるかに短い。これは人間がセックスをその結果としての子作りではなく行為自体が目的であることを意味している。人間が生殖のためだけにセックスをする動物なら、ペニスは数センチしかないはずだし、ほかの霊長類のように10秒足らずでさっさと射精するのがスタンダードなはず。そうでしょう?」

 

「う、うむ……」

 

「一夫一妻の動物は、いずれもローマ教皇の教えのとおりにセックスをするわ。すなわち、最低限の回数だけ、ひそかに、静かに、そして繁殖のためだけに。人間はセックス狂いの人のことをサルというけど、もちろんこれは間違ってる。サルはもちろんのこと、地球上の動物はメスの排卵期にしかセックスしない種でほぼ占められているの。生殖とは別の理由で、次の日も、次の週もセックスができる動物はこの星に2種類だけ。1つはボノボ。もう1つはボノボの分類的隣人よ。だからね、多様な相手と快楽のために頻繁にセックスするのは、サルじゃなくむしろ人間的なのよ」

 

「たしかに、一理あるかもしれぬ……」

 

「ごくまれにしかセックスをせず、しても厳格に子作りのためだけ、それこそがむしろサルなのよ。人間の男女でセックスに関心を示さない者たちこそ、人間的じゃなくて動物的な生きざまであり、サルと呼ばれるべきなの」

 

「り、理に適っている……」

 

「快楽のため、友情を深めるため、関係を強化するための手段としてセックスをもちいるのが人間的なふるまいであれば、生殖のためでない性行為、そう、アナルセックスやブッカケ、精飲、そしてオーラルセックスもまた、人間的なふるまいということになる」

 

「うむ、理に適っている」

 

「よって、生殖にまったく関係なく、ただ楽しむためだけでしかないクンニこそ、もっとも人間らしい行ないである、ということなのよ!」

 

「うむ、理に適っている!」

 

 洗脳完了である。

 

「さあネルソン、今夜こそadmiralのクンニを受け入れて、あらためて人間になってらっしゃい!」

 

「言われなくとも!」

 

 ネルソンは提督に連絡を入れ、とりあえず食事の礼を言いに厨房へ行ったら、大仕事を終えたリシュリューとイタリアとザラが死体になりかけていた。『プライベートライアン』のオマハビーチもかくやという惨状にためらいつつごちそうさまと声をかけると、リシュリューが床に倒れ伏したまま親指を立てた。

 

 仲間たちに背を押され、ネルソンは夜を待って寝室へ向かう。

 

  ◇

 

 提督が待っているはずの寝室をノックしようとして、不審な物音にネルソンは全身を硬直させた。熱を帯びた甘い声。それは寝室のドアの向こうから漏れていた。

 

 音を立てないようにドアノブをそっと回す。息をひそめ、ほんの少しだけ開けたドアの隙間から覗き込む。

 

 ベッドの上では、仰臥する全裸の提督に、着衣の乱れた美少女がまたがっていた。汗がきらめき流れ落ちるアラバスターの背中。上下に跳ねるたびにヒアシンスの巻き毛が喜悦に躍動する。それでいて黒いストッキングは穿いたままなのが扇情的だ。腋の下を見せつけながら提督の上で腰を振っているのは、予定より早く鎮守府に着任した、米戦艦娘コロラドだった。

 

「待ってくれコロラド。きょうはネルソンと約束が……」

 

「あら、そのわりにはこっちは気持ちいい~ってビクビクしてるわよ。ビクビク、ビーックビックビックビッグセーブン!」

 

 提督は上体を起こせない。なぜなら、やはり前倒しで赴任してきた米駆逐艦娘フレッチャーが慈母のような微笑みで見下ろしながら、提督の頭部を左右からその絶妙な曲線で構成された太ももで挟んでいるからだ。フレッチャーはまた、提督の両腕をも体重をかけて封じ込めていた。華奢な身体に似合わない巨乳を迫力たっぷりに揺らしながら、フレッチャーが前へ倒れていき、提督の右の乳首に舌を這わせる。提督が身をよじる。

 

「提督、逃げてはだめですよ。右の乳首を舐められたら左の乳首も差し出せっていうじゃないですか」

 

「言わない知らない聞いてない」

 

「わたしたちの指揮をとるなら、わたしたちのことを隅々まで知っていただきませんと。わたしの体、提督が触ってはいけないところなんて、ないんですよ」

 

 フレッチャーが提督の手首をつかんで自身の豊満な胸へ押しつける。

 

 ネルソンはおもいっきりドアを蹴っ飛ばした。さすがにベッド上の3人もぎくりとして、開け放たれた扉の向こうにネルソンが仁王立ちしているのを認め、揃って「あ。しまった」という顔を並べた。

 

 ネルソンはわなわなと全身を震えさせ、凛々しい容貌をゆでダコのように紅潮させていたが、ついに臨界点を突破、腹腔から声のかぎりに怒鳴った。16inch砲の砲声にも匹敵するそれは、このような叫びであった。

 

「この、サルどもが!」

*1
シュー皮をちいさな球状に焼いたもの。

*2
イタリア語における女性器のもっとも穏当な表現。

*3
週刊ポスト2010年12月24日号.

*4
Greer, G. “Lady love your cunt” In:Suck, 1971.

*5
Kilgallon, S. J., and Simmons, L.W.(2005). Image content influences men's semen quality. Biology letters, 1:pp.253-255.

*6
1894~1956。アメリカのセクソロジスト(性科学者)、動物学者。1948年から1953年にかけて発表された、アメリカの白人男女18000人のセクシュアリティに関する調査、通称キンゼイ・レポートにより、完全な異性愛者または同性愛者は全人口の1割程度でほとんどの人間は(程度の差はあれ)両性愛的な傾向があること、成人女性の6割にマスターベーションの習慣があること(当時のアメリカでは女性は貞淑で自慰などしない生き物とされていた)、射精の勢いは妊娠率には関係がないこと、などをあきらかにして全米に物議を醸した。性科学の草分け的存在であり、調査対象の偏向がみられることや、時代の移り変わりにともなう価値観の変化を加味してもなお、キンゼイ・レポートは同分野の必修科目になっている。

*7
作家で評論家。残念ながら2019年現在、邦訳はない。

*8
Fisher, H. E.(1992). Anatomy of love. New York:Fawcett Columbine:p.72.邦訳[ヘレン・E・フィッシャー『愛はなぜ終わるのか――結婚・不倫・離婚の自然史』吉田利子訳、草思社、1993].

*9
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯Ⅱ』川田順造訳、中交クラシックス、2001.

*10
Fisher(1992), p. 129.

*11
Fisher(1992), pp. 129-130.

*12
1994年放送の『おはよう!ナイスデイ』という平日朝のワイドショーが、宮崎県のフェニックス自然動物園で飼育されていた天才オランウータンのサクラちゃんを取材したさい、サクラちゃんが奥山英志リポーターに執拗にディープキスを迫るというハプニングがあったが、このほかに類例が確認されていないため、一般化することはできない。例外中の例外と見てよい。

*13
Fisher(1992), p. 92.

*14
Fisher(1992), pp. 130-131.

*15
Bogucki, P. (1999). The Origins of Human Society.Malden, MA:Blackwell.

*16
Angier, Natalie, “Why Were So Nice: Were Wired to Cooperate.” New York Times, July 23, 2002(http://www.nytimes.com/2002/07/23/science/why-we-re-so-nice-we-re-wired-to-cooperate.html).

*17
Edgerton, R. B. (1992). Sick Societies:Challenging the Myth of Primitive Harmony. New York:The Free Press.

*18
Margolis, J. (2004). O. The Intimate History of the Orgasm. p.175への引用 New York:Grove Press.[ジョナサン・マーゴリス『みんな、気持ちよかった!――人類10万年のセックス史』奥原由希子訳, ヴィレッジブックス, 2007].

*19
Pollock, D. (2002). Partible paternity and multiple maternity among the Kulina. In S. Beckerman and P. Valentine (Eds.), Cultures of Multiple Fathers:The Theory and Practice of Partible Paternity in Lowland South America (pp. 42-61). Gainesvill: University Press of Florida.

*20
Erikson, P. (2002). Several fathers in one's cap: Polyandrous conception among the Panoan Mans(Amazonas, Brazil). In S. Beckerman and P. Valentine(Eds.), Cultures of Multipul Fathers. The Theory and Practice of Partible Paternity in Lowland South America (pp. 123-136). Gainesville: University Press of Florida.

*21
Acton, W. (1857/2008).The Functions and Disorders of the Reproductive Organs in Childhood, Youth, Adult Age, and Advanced Live Consideres in their Physiological, Social, and Moral Relations. Charleston, SC:Bibliolife.

*22
Symons, D. (1979). The Evolution of Humen Sexuality. New York: Oxford University Press.

*23
江戸時代後期の江戸の人口が100万。ヒトラーが首相に就任する直前の1932年時点のナチス党員数が120万。2015年のニューヨークの人口が860万。

*24
Hassan, F. A. (1980). The growth and regulation of human population in prehistoric times. In Cohen, M. N., Malpass, R. S., and Klein, H. G. (Eds.), Biosocial Mechanism of Population Regulation (pp. 305-319). New Heaven, CT:Yale University press.

*25
Dunbar, R. I. M. (1992). Neocortex size as a constraint on group size in primates. Journal of Human Evolution, 22:469-493.

*26
Harris M. (1989). Our Kind: Who We Are, Where We Came From, Where We Are Going. New York: Harper & Row. (pp. 344-345).

*27
Blurton Jones, N., Hawkes, K., and O'Connell, J. F. (2002). Antiquity of postreproductive life: Are there modern impacts on hunter-gathere postreproductive life spans? American Journal of Human Biology, 14:184-205.

*28
2003年のギリシア人男性の平均身長が177センチ、女性は165センチ。トルコ人男性は173センチ、女性は162センチ。ちなみに2800年前のギリシア人成人男性の平均身長は165センチだった。

*29
Larrick, J. W., Yost, J. A., Kaplan, J., King, G., and Mayhall, J. (1979). Patterns of health and disease among the Waorani Indians of eastern Ecuador. Medical Anthropology, 3(2): 147-189.

*30
van der Merwe, N. J. (1992). Reconstructing prehistoric diet. In S. Jones, R. Martin, and D. Pilbeam (Eds.), The Cambridge Encyclopedia of Human Evolution (pp. 369-372). Cambridge, England: Cambridge University Press.

*31
Harris, M. (1989). Our Kind: Who we are, Where We Came From, Where We Are Going. New York: Harper & Row. pp. 211-212.

*32
Sapolsky, R. M. (2005). Monkeyluv: And Other Essays on Our Lives as Animals. New York: Scridner.

*33
Drucker, D. (2004). Invent Radium or I'll Pull Your Hair. A Memoir. Chicago: University of Chicago Press[ドリス・ドラッカー『ドラッカーの妻――ピーター・ドラッカーを支えた妻ドリスの物語』野中ともよ訳, 泰文堂, 2011].

*34
厚生労働省による統計。2012年の中絶件数が19万6639件、2013年で18万6253件、2014年で18万1905件、2015年で17万6388件、2016年で16万8015件。 [online]https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/eisei_houkoku/16/dl/kekka6.pdf(参照2019-5-25).

*35
Hrby, S. B. (1999). Mother Nature: A History of Mothers, Infants and Natural Selection. Boston: Pantheon Books, pp. 246-247に引用されているキム・ヒルの報告から。

*36
de Waal, F. (2001). Ape From Venus: Bonobos and Human social evolution. In F. de Waal (Ed), Tree of Origin: What Primate Behavior Can Tell Us Adult Human Social Evolution (p. 60). Cambridge, MA: Harvard University Press.

*37
カナダ・ケベック州の先住民。

*38
Leacock, E. (1981). Myths of Male Dominance: Collected Articles on Woman Cross-Culturally. New York: Monthly Review Press.

*39
Pollock(2002), pp. 53-54.

*40
The San Diego Union-Tribune: “Studies Suggest Monogamy Isn't for the Birds ― or Most Creatures,” by Scott LaFee, September 4, 2002.

*41
パーシー・ビッシュ・シェリー。1792~1822。詩人。日本では『西風の賦』の一節「冬来たりなば春遠らかじ」が有名。なお、原文の“If winter comes, can Spring be far behind?”を最初にこのように訳したのがだれなのかはわかっていない。

*42
ウィリアム・ワーズワース。1770~1850。詩人。またの名を湖水詩人。『水仙』(原題:Daffodils)が有名。

*43
1801~1877。アメリカの政治家、宗教家。「現代のモーセ」の異名をとり、55人の妻がいた。

*44
1936~1999。身長216センチを誇った米プロバスケットボール選手。3Pシュートもない時代に1試合100得点を決め、現代のNBAなら1試合のチームでのリバウンド数が50を超えれば多いほうだが1人で1試合55リバウンドを達成し、1シーズンの平均得点歴代1位の50.4得点つまり1試合あたり1人で50点をかっさらっていくなど、おそらく永久に破られることはないであろう偉大な記録を数多くもつ。自伝で2万人の女性と関係をもったと語っている。

*45
成人したオス。背中の体毛が白くなることから。たいていオス間競争の勝者でハーレムの中心である。

*46
Dixson, A. F. (1998). Primate Sexuality: Comparative Studies of the Prosimians, Monkeys, Apes and Human Beings. New York: Oxford University Press.

*47
Sherfey, M. J. (1972). The Nature and Evolution of Female Sexuality. New York: Random House.

*48
Lindholmer, C. (1973). Survival of human sperm in different fractions of sprit ejaculates. Fertility and Sterility 24: 521-526

*49
不妊ほどではないが、通常の個体より繁殖力に劣ること。医学的な定義としては精液1mlあたりの精子数が2000万以下の男性をさす。

*50
Pusey, A. E. (2001). Of apes and genes. In F. M. de Waal(Eds.), Tree of Origin: What Primate Behavior Can Tell Us About Human Special Evolution. Cambridge, MA: Harvard University Press.

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