そこに至るまでに面倒な過程があったが、博麗の巫女と伊吹萃香の協力を得たのは非常に大きな成果と言えた。
特に天狗の里に蔓延る鷹派との無駄な抗争を避けるのには彼女たちの影響力は有効で、博麗が人間を、萃香が鬼の動きを牽制し、天狗達との衝突を怪しまれない程度に抑えてくれていた。
まあ、何かと萃香が難癖をつけて私に喧嘩を売って来るのに目を瞑れば助かることばかりである。
“月面”への侵攻。
それ自体は何の問題もなく実行できそうだった。事実、私が天狗の里に放った間者は既に月への侵攻を任された大天狗と共に準備に取り掛かっている。後、数日でもすれば計画は実行に移されるだろう。
天狗達の意識を誘導するのは骨が折れる作業であり、月への転移方法について疑われたりもしたが、そこは私が前もって作成した偽の月に関する書物を用いることで誤魔化すことに成功した。多少現実を織り交ぜながら書いたそれを人間の都の書物置き場に紛れ込ませ、わざと鷹派から盗まれるように仕組んだことが功を奏したのだ。
「急に考え込んで、どうしたんですか紫さん?」
隣で誰かが何か言っているようだが耳には入ってこなかったことにした。黒い羽も見えた気がするが気にしない。
「いや、無視しないでくださいよぉ!?」
ちなみに月への転移は私の能力を使う。彼らにはそれらしい儀式を形だけ行ってもらうだけだ。私自らが出ては流石に怪しまれるだろうが、式が行うのであれば問題はないはずで、儀式を執り行うのは私の式にした天狗であるため怪しまれることもない。
「まさかこの前のことをまだ気にしているんですか? あ、あれは申し訳なかったと反省してます! だから無視しないで——」
これも時間をかけて根回しをした甲斐があったと言えよう。したがって、
「え、えと……あのぅ……」
転移を成功させること自体は容易いと期待できる。
「あぅ、ええぇっと……。そ、その……ごめんなさ——」
次にどの時期に私が月へと移動するかだが、これも既に想定済みだ。月の勢力と会敵したタイミングであればこちらの存在を察知されることはないだろう。
「聞いてくれないよぅ……」
後は転移後に天狗達を月の勢力と戦わせて全滅させる。そしてその間に主力である大天狗不在の天魔の館を茜達が襲撃。幹部を抹殺すれば計画は成功となる。
「いいんですか泣いちゃいますよわたし、ほんとに泣きますからねっ」
なぜ、茜が幹部を打ち取れば天魔になる可能性があるのか。その根拠は里に忍ばせた間者からの情報である。
「……ひ、ひっく……ひぅ……」
天狗の里の民達の多くは鷹派に心から従っているというよりも、彼らの武力を恐れて従っているとのこと。天魔を多く輩出してきて信頼の高かった射命丸の名は滅んだ今もなお天狗の里において馬鹿にならないほどの影響力を持っており、茜の生存が確認されたとされれば、彼女が天魔候補に抜擢されるのはほぼ間違いない。
そのまま茜が天魔となってくれれば万々歳なのだが……。
「ふぇぇぇ……ゆゆこさん~」
「あらあら可哀そうに。茜ちゃん、こっちにおいで」
「ああ、極楽が。極楽浄土が見えます。いや、もうすでに辿り着いてしまった可能性が——」
「違うわ、茜ちゃん。ここは冥界よ」
「な、なんと……私は冥界に召されたのですか……!?」
視界の隅で繰り広げられるこの茶番。
かなりの実力をつけ、私に一太刀浴びせようとするくらいには成長してきたというのに、この駄鴉が天魔になるのは少し、いや、かなり不安である。
「もう、紫ったら。茜ちゃんのことを無視しちゃだめよ。いくら茜ちゃんが空気を読まない娘であったとしても」
「いいえ。ソレは甘やかしてはいけない代物よ。それに……」
「それに?」
そう言って首を傾げる幽々子。いや、『それに?』と言われても。
「ふへへへ……」
茜が今、貴方の胸に顔を押し当ててどんな顔をしているのか見てみればいいのではないかと思う。あんなだらしない、下劣な顔をしている鴉は焼き払うのが世界の為なのかもしれない。
それと、勘違いするな。そこは私の場所だ。
「ぴぃっ!?」
びくりと肩を震わせる茜。勘のいいことだ。どうやら私の氷の視線に気づいたようである。
……いいや。
「——お茶をお持ちしました」
彼女が気づいたのは、私の後ろに控えている
なるほど良いことを思いついた。
「あら妖忌、丁度良かった。最近茜が太刀を使った戦法を好んでいるらしくてね。さっき貴方からぜひとも手解きを受けたいと言っていたわよ」
「紫さん!? え、ちょ、まっ——」
「ほう。それは恐縮でございますな。私のような者でよろしければ、いくらでもお相手いたしましょう。……それでは茜殿、逝きましょうか」
「ひい!?」
嬉々として妖忌は茜を白玉楼の庭へ
「あ、あの妖忌さん? どうしてそれほどまでに怖いお顔をなさっているのでしょうか……? もしよろしければ教えていただけるとうれしいなぁって——」
「ああ、申し訳ありませぬ、茜殿。この顔は生まれつきでして、理由などないのです。ええないですとも」
「絶対うそだぁぁ!!?」
あんな般若のような顔をした妖忌は初めて見た。
「なんだか妖忌、楽しそう。きっと茜ちゃんと剣を交えるのを心待ちにしていたのね」
隣で微笑ましげにつぶやく幽々子。あれを見て暢気に、『楽しそう』と評することができる彼女の本心は、私ですら窺い知れない。もしかして幽々子は、全部気づいていた上で言っているのかしら?
「そうね……幽々子の言う通り、あんなにもやる気に満ち溢れている彼は珍しいですわ」
何だか背筋が冷たくなった私は、苦笑いしながら曖昧に返すしかなかった。
とはいえ、確かにやる気に満ちた今の彼なら彼女の性根を叩き直してくれることだろう。恐る恐る、ちらりと視線を向けてみると……想像以上に酷いありさまだった。
妖忌が『みねうち』と称して全力で切りかかっているのだが、灯篭がすっぱり切れている時点であれは絶対『みねうち』と呼んでいい代物ではない。まともに当たれば死ぬ、そう私は確信した。自分で言うのも難だが。
「ほわぁッ!? 危ないっ!! 今掠りましたよぉぉ!!? 私、使命の前に死ぬのは死んでもごめんですっ!!」
「問答無用お覚悟あれ」
「——ひぇっ!?」
哀れ茜。今ならほんの少しだけ、雀の涙の十分の一くらいならば同情してあげてもいい。
「ひゃっ、ふぉぉぉぁぁあああ!!?」
紙一重で避ける茜。しかしちょっとだけ掠った。惜しい、あと少しなのに。
茜と妖忌のやり取りを見つめながら、『二人の相性は案外いいかもしれない』などとそんなどうでもいいことを考えていたそのときだった。丁度、茜が斬撃の嵐に晒され再び危機一髪に陥っている頃。
「おまたせ~」
「……ふんっ」
階段を上って博麗と萃香が此処、白玉楼にやって来た。随分と遅れての到着だが、何かあったのだろうか。博麗はいつもと変わらず屈託のない笑みを浮かべているが、目尻に泣いた後のようなものが残っているし、萃香は私を視界に入れた瞬間に不機嫌さを隠さずにいる。
喧嘩でもしたのだろうか? いや、二人に限ってそのようなことはないだろう。
これから月に攻め込む以上、不安要素はできるかぎり少なくしたいのだが、二人の関係に口をはさむのは憚られた。
萃香の方を、改めて見る。
いつもと変わらぬ、不機嫌そうな顔。
私には、それが残念なことに思えた。
ここ数カ月で私は彼女の性格というものが少しだけ分かった。だから、実は萃香が突っかかって来るのに合わせているだけで、彼女のことを嫌っているわけではないし、信頼していないわけでもない。ついつい萃香の挑発に乗って言い合いになってしまったりするものの、今はそんなやり取りさえ楽しんでいる。
むしろ、彼女のことは高く評価しているのだ。できれば友好な関係を築いていければいいと考えてもいる。しかし如何せん私と彼女は二度も(本当のこと言えばそれ以上だが)殺し合いを演じているので、ぎくしゃくとした関係になってしまっており、関係修復は難しい状況である。
どうにかならないものだろうか……。
「そういえば、里の人達の避難については私に任せて。もう大体の理解は得られているから、後は準備が整うのを待つだけだよ」
「あらあら、一体どんな手を使ってあれほどまでの民の支持を得たのかしらね? 気を悪くしてほしくはないのだけれど、彼らが貴方のことをそれほどまで信用していたとは聞いていないわ」
「う~ん。里の人達もね、皆が皆妖怪を一掃しようって考えている訳じゃあないから。少なとも今の天狗達……ううん、鷹派の天狗達には辟易している人たちが沢山いるのが理由なんじゃないかな? とりあえず打てる手立てがあるのならそれにすがりたいっていう……」
博麗自身に何かあったのか少し気になったが、本人は至って通常通りにふるまっているのでわざわざ聞くのは無粋というやつだろう。
元々博麗にはもしものことがあったときのために、里の人々の避難準備を行ってもらっていた。勿論これは鷹派に知れ渡ってはならないので、極秘に里長を始めとした少数の有力者に協力を要請したのだ。
それにしても、博麗はその任についてからというもの、急激な速度で成長しているように思われる。噂を聞いた当初はまだ幼いといった印象であったが今では口調も大人びたもので、頼りがいのある協力者の一人である。この調子で成長を続けていくのなら、彼女が人里の信頼を得るのもそう遠くないだろうと思った。
「博麗、貴方は本当に何というか、成長が早いわね——」
「なんだい、言いたいことがあるなら聞こうじゃあないか?」
しまった。つい視線を萃香に戻してしまっていた。
「いいえ、何でもありませんわ」
私は萃香からサッと目を逸らした。
別に、萃香は今日も変わらず、『ちっちゃくてかわいいわぁ』なんて考えていたわけでもないのに。
そんな心の声を口に出すのを抑えた。ここで万が一揉めるようなことがあれば、今度こそ幽々子に殺され……いや、白玉楼に永住することになりかねない。
私だって命は惜しいのだ。
「……っち、まあいい。さっさと要件を済ませなよ」
軽く舌打ちをした萃香は縁側に腰かけ伊吹瓢に口をつけて一気に煽った。
しかしそんな、なんでもない仕草に私はなぜか今日の彼女の様子がいつもと違うように感じられた。
いつもなら、もっと突っかかってきてもいいはずなのだが。
「そうだね。用事は早く済ませた方がいいし。待たせちゃって悪いけど始めてもらえると助かるな」
確かにそれもそうである。
博麗の催促も受けたため、私は萃香について考えるのを一旦止め、壮絶な争いを繰り広げている妖忌と茜を呼び、全員がそろったところで計画の手筈について説明を始めることにした。
「はあ、はあ。助かりました……。しかし、もう少し早くお声をかけてもらいたかったものです……」
ぼろ雑巾のようになった茜が言う。愚か者め。自業自得というやつだ。
再び溜息をつくのを堪え、私は目の前に揃った協力者たちに向き直った。
「まずは集まってくれてありがとう」
全員の視線が私に集中する。
「この計画の目的は二つ。一つは天狗の里の鷹派を一掃し、射命丸茜を天魔に据え置くこと。そしてもう一つ、これは私個人の目的でもありますが、月の都の最深部に潜入しそこに隠された秘密を探ること。以上です、異論はありませんわね?」
今回の計画の目的は既に協力者たちには周知のことであり、同意も得ている。しかし先ほどからずっと様子がおかしい人物が声を上げた。
「月の都の最深部にある秘密ってのは、確かなことなのかい?」
萃香である。
「ええ。京の内裏の書物庫に隠されていた古文書には、その昔、月の民が地球に住んでいた時のことが記されていて、当時その民を率いたツクヨミという存在がいるとされていたわ。私は彼女が私の母と何らかの関係があったのではないかと考えているの。ツクヨミがいると考えられる最深部に行けば、何らかの情報が得られるのは間違いない」
「つまり、アンタにとって、この計画はそんなに重要だってことかい? わざわざ自分の身を危険に晒してまで、私を体張って止めようとしたくらいに」
「無論。なぜ、私のような存在が生まれてきたのか。その鍵が母の記憶であり月である以上、どんな手を使ってでも絶対に知りたい」
その返答を聞いた萃香は私の目を真っ直ぐに見つめ、まるで私の意志を試すかのように微動だにしなかった。それは、鋭い刃を瞳に突きつけられる感覚に似ているかもしれない。
ほんの少しの沈黙。
「ふんっ、なら私から言うことはないね」
及第点は貰えたということだろうか、萃香はそれ以上追求してこなかった。
まあ、確かに月での行動の大体は私個人の目的が大抵である。それだけに、理由があるとはいえ協力する立場である彼女としては、踏ん切りをつけるためにも私の意志を確かめたかったのだろう。
あくまで、今回の計画は彼女たちの協力が前提であることを忘れてはならない。
「こほんっ」
改めて気を引き締めなおそう。
「それでは計画の内容について。まず初めに、鷹派を月に転送させた後に私と萃香が月に向かう。ここで萃香には疎を操る能力で姿を隠しながら、月と鷹派の戦況を監視してもらうわ。連絡用に白玉楼に分身を駐在させて、もしも計画に何らかの異常をきたしたときは皆に伝えて欲しい」
「……」
萃香は黙って頷いた。
「次に茜。貴方は協力者に従い、手薄になった天魔の屋敷に乗り込み、首を取りなさい。容赦はいらない。確実に仕留めるのよ。そして、あくまで貴方自らが鷹派上層部の首を掲げること。肝に命じなさい」
「はいっ」
茜は神妙な顔つきで答えた。先程まで情けない姿を晒していた人物と同一であるとは思えないほどの頼もしい顔つきである。
「そして妖忌。茜の言う協力者が果たして本当に信用するに値するか、まだ分からない状況にあるの。だから茜と共に行動して、もしものことがあれば裏切り者を迷わず切り捨てなさい。打ち損じのないように」
「承知」
彼に関しては全く不安な要素がない。
妖忌ほどの実力があれば、例え裏切りがあろうと問題はないからである。しかし、茜が天魔になったときの支持者を募るためにも裏切り者が出ないことが当然望ましい。
そして最後に幽々子。
「私はどうすればいいの~?」
「幽々子は……。そうね、ここ白玉楼を中継地とする以上、貴方にはここにいて欲しい。萃香の分身と一緒に待機していて頂戴」
「……そう、分かったわ。何かあったらいつでも言って頂戴」
いつもと変わらない調子で彼女は頷いた。本人はああやって言っているが今回は休んでいてもらうことにしよう。幽々子は荒事には向いていないから。
そして私はもう一度、全員の顔を見回した。
「それでは各々、抜かりなくお願いしますわ」
ここにいる全員の協力を得て、こうやって計画実行まで漕ぎ着けることができた。各々が目的を持ち、それを達成するためにここまで動いてくれたのだ。だからこそ失敗は許されない。
機は熟し、準備は万全だ。
月に何があるのか、見に行くとしよう。真実はきっと、あともう少し先にあるはずなのだから。
——もうすぐよ。もうすぐ私は……。
頭の中で響いた声は、ずっと何かを待ち望んでいたかのようだった。
******
紫に呼ばれて白玉楼に向かう途中のこと。
私達は他愛のない話をしていた。
「アンタ……。もしかして、また背が伸びたの?」
「えへへ、分かる? 分かっちゃう?」
そういって嬉しそうに顔を赤らめながら頭を掻いちゃってさ。紅い紐でできた髪飾りがゆさゆさ揺れていて、それを少し見上げる形になる私。ますます身長の差が大きくなるもんだから、人間の成長の早さってのをまた痛感した。
なんだか泣けてくる。
「……」
「だ、大丈夫だよっ。萃香おねえちゃんもいつかきっと伸びるからっ」
やめておくれ。もう何百年生きていると思ってるんだい? その優しさというか気遣いが今は辛いんだ。
私はもはや笑うしかなかった。
そんなこんなで私達は雑談をしながら白玉楼へと続く階段をのんびり歩いていた。この道を歩くのは何度目になるのか、白玉楼で偶に紫達と話し合ったりしているから、もう数えきれないくらいになるね。
巫女になるとどうにも責任ってやつがあるらしく、前のようには気軽にコイツに会って話すことができなかったから白玉楼へはいつも歩いてのんびり来ている。しかし、コイツ……今は博麗なんて呼ばれているが、まさか巫女になるだなんて思いもよらなかったな。
確かに不思議な力、神通力を持っていることは知っていたけど、そういう柄ではないと勝手に思い込んでた。だって、今まで人里と適度に距離を保って暮らしていたのにどうして巫女になんてなったのさ?
天狗の鷹派が人里に危害を加え始めたこともあるんだろうが、他にも理由がありそうな気がする。
まあ、私が考えても分からないんだけどね。
「萃香おねえちゃん、どうかしたの?」
「ん、ああ……」
いけない。つい考えすぎちまった。本当に最近、らしくないなぁ。華扇に言われたこと、案外引きずっちゃっているのかも。
「なんもないよ。ちょっと考えごとをね」
「ふ~ん。そうなの」
「ああ、最近は色々とあってさ」
「……」
訝し気な様子だったけどそれ以上は突っ込んでこなかった。前に比べると、とんでもない成長ぶりだよね。だってちょっと前なんか私を見つけると全速力で駆け寄って飛びかかってきてたぐらいだから。
変に色々と聞かれるのを避けられて良かったなぁってほっとしていたのも束の間で、
「——そういえば、萃香おねえちゃん。そろそろ紫ちゃんとさ、ちゃんとお話ししたほうがいいと思うな。あまり私から色々言えることじゃないけど、計画だってもうじき始まるんだし」
うぐっ、
「む、むぅ……いやぁ、それはね、なんていうか……」
紫のことで私はまだ整理がついていなかった。近頃ようやくアイツに突っかかるのは良くないな、なんて思えるようになったんだけど、顔を合わせるとどうにも自分の思う通りにはいかないんだ。まさか鬼である私がこんな気持ちになるなんて、博麗といい、紫といい私の周りは最近変な奴ばっかだよ。
私が口ごもったのをを見ると、ジト目で私を見ながら言った。
「気にし過ぎじゃないかな。なんだか、萃香おねえちゃんらしくない」
「くっ、悔しいけどその通りだね。しかしいざアイツの前に立つとさ、なんか頭がもやもやして妙な気分になる。何度振り払おうとしてもソイツはずっと私の霧みたいに掻き消えないんだ」
「それは……?」
ふと、足を止めたので私も立ち止まった。
「何か、知っているのかい?」
「……」
そうやって黙りこくったもんだから、何かしら心当たりがあるのは間違いないだろう。少し重々しい口調で言う。
「……あくまで、私の勘だよ? それでも、いい?」
「ああ、別にかまわないさ」
「そ、そう……」
すると、私に向き直って言った。
「——それは、きっと紫ちゃんの過去に原因があると思う。今回月に行くって紫ちゃんは言っていたけど、そこで何かが分かるんじゃないかな? 萃香おねえちゃんの“違和感”の正体も多分……」
コイツの勘はよく当たる。なんで紫の過去に、それも月の話が出てくるのかは分からないけど、コイツにそんなことを聞いても答えが出てくるわけがないので、私はとりあえず『そうか』と頷くしかなかった。
ん? そういえば、確かに不自然だな。私も、間接的にはコイツも。そして話を聞いた限りだと射命丸も幽々子も妖忌も皆、
悩む私を前に、少し黙り込んでからまた口を開いた。
「——最近、私ね。思い出せそうなんだ」
「ん?」
俯いているから顔は見えないけど、辛そうな顔をしているのは分かった。それしてもさっきから急だね。一体どうしたんだろう?
「私が森で目を覚ます前のこと。時々、夢をみるの。そう、紫ちゃんに会った時くらいから」
「アイツに?」
「うん。萃香おねえちゃんが紫ちゃんと戦った後で、二人を介抱しようと小屋に連れていく最中にね。紫ちゃんに触れたらなんか、よくわからない場所で誰かと話している夢、みたいなものを見たんだ」
「……」
「それを見てから私が萃香おねえちゃんに出会えたのも、皆と集まって協力しているのも、何か大きな“運命”みたいなもので決まっていたんじゃないかと考えちゃって。いけないなと思ってはいてもこの先が少し怖いよ……」
驚いたことに、ついさっき私が考えていたことと、まるで同じことをコイツは考えていたようだった。
でも私と違うのはコイツがそれを“怖い”と感じているってことだ。
「あ……!? ご、ごめんね。急に何言ってるんだって話だよね。い、行こうかっ!」
そう言って下手糞に誤魔化して再び歩き出そうしていた。
そんな仕草が珍しくて、今までのコイツからは信じられないことだった。
今、私は始めてコイツが弱音を吐くのを見たんだ。でもそうか。最近大人びて、気丈にふるまっていたのはこういうことか。
なら、私がコイツの“友達”としてできることはただ一つ。
「!?」
私は無理やり手を引き、こっちに向きなおらせて抱き寄せた。
「え、ちょ、萃香おねえちゃん……!?」
「大丈夫さ。たとえ全部アンタが言うその“運命”ってやつで決められていたとしても、アンタはここにいる。それは間違えようもないし、私がどこにも行かせはしないよ」
「……」
こんなとき身長が高ければ、なんて思ってしまう。
抱きしめるとどうにも鼻が肩に当たってしまって、情けない格好になっちゃうんだよね。
でも、
「く、くるしいよ……」
「っは、アンタは丈夫だろう? これくらい我慢しな。さっきまで私に『らしくない』なんて言ってたけど、アンタこそ“らしくない”よ。ほら元気出して、そんな顔は似合わない」
「!?」
一瞬、アイツの体が震えたことに私は気がついた。
そうさ、そんな辛そうな顔はアンタには似合わないのさ。だから、いつものように——。
「もう。こんなときだけ、鬼みたいになるんだから……」
「ふふ、気づくのが相変わらず遅いね。……それに何度言ったら分かるんだい? 私は鬼の中の鬼、伊吹萃香なんだよ?」
「そっか……」
私の腰に手が回された。
「少し、このままでいさせて……」
そのままぎゅっと、もうどっちが抱きしめているのか分からなくなったけれど、コイツの気が済むまでされるがままになった。
「すいか、おねえちゃん……」
「うん?」
「ありがとう——」
急なことでびっくりしたけど、私は別に嫌じゃない。
初めて出会ったときに聞かせてもらったコイツの過去の話。それは確かに分からないことだらけで、ある意味紫と似ているけれど——。
ん……?
紫と、似ている?
なぜか胸がざわつく。だけどそれでコイツをまた不安にさせるのは良くない。
「き、気にするなって。さあ、行こうか」
私達はまた、歩き出す。
しかし私の心の中ではさっきの疑問がずっと、しこりのように残っていた。
これは一度、紫に月に行く理由を聞いてみるべきかもしれない。そう考えて私は階段を上っていった。
******
紫達が計画の確認を行ってから三日が経過し、月への侵攻が始まった。
時はそれから天狗達が率いる妖怪達の軍勢が、月の民と交戦を開始した後、
「なぜだ……!?」
大天狗には本陣から見える悲惨な光景が信じられなかった。
「大天狗様っ! お逃げください! ここもいずれ危険になります!!」
部下の鴉天狗の声が耳に届かない程度に彼は動揺していたのだ。自分が率いる百の精鋭と入念に策を弄して焚きつけた千にも及ぶ山々の妖怪達。圧倒的戦力をもってして奇襲を仕掛けて月の都に攻め入ろうとしていたのにも関わらず、未だ入り口の門にすら辿り着けていないのである。
「くそっ!!」
彼は拳を作り思いきり陣の机に叩きつけた。それもそのはず。
攻め込むどころか、大天狗が構えていた本陣に逆に攻め込まれているというのだ。
明らかに与えられていた情報とは敵の戦力が異なっていた。多少の変動は想定してたとはいえ、ここまで完膚なきまでに叩かれるとは思いもよらなかったのである。
「一度、撤退する他ないか……幸いにしてこちらの精鋭はまだやられてはおらんし、仕方あるまい。陣を引き体勢を立て直す!! 怪我を負ったものは極力連れ出し、地上への脱出路を確保しつつ撤退せよっ!!」
いつでも地上へ撤退できるように準備をしつつ、反撃できるようであればやり返す。そしてもしも相手方が地上に攻めてくるようであっても、自分たちがよく知る山ならいくらでもやりようはある。むしろ穢れを嫌う月の民は地上に攻め入ることすらしてこないかもしれない。
つまり今、撤退することは負けを意味するものではない。
彼の判断は確かにこの状況において正しいものであった。長年にわたって戦の駆け引きを学んできた彼は、劣勢で戦闘を続けることの不利益をよくよく理解していたのだ。
しかし、
「報告しますっ! 地上へ帰還するための術者が皆、首を切って自害した模様っ!!」
「なんだと……!?」
絶望的な報告が彼の顔を蒼白させた。
なぜ“自害”なのか、それすら考える余裕はなかった。
事実上、その報告は彼らが二度と地上に戻れないということを意味しているのだ。本陣にいた大天狗を含む少数の者達に大きな動揺を与えるには充分であった。
「その事実を知っているのは如何ほどか?」
「大天狗様含めたこの場にいるお方と、私だけでございます」
「そうか、これは他言無用。口に出せば命はないと思え。よいな?」
「はっ!」
この状況で冷静に指示が出せたのはひとえに大天狗の胆力の賜物であった。むしろ彼自身が驚いているくらいである。
「して、如何する。大天狗殿?」
「我ら貴方様に続くのみ」
冷静さを取り戻した部下たちを大天狗は誇らしく思うのと同時に無念に感じられた。自分を信じて付いてきてくれることは嬉しいのだが、状況が状況だけに突破口が見えない。
この場にいる誰かの犠牲は免れないだろう。
近いうちに鬼と戦おうとしている天狗の里にとって、甚大な被害になることはほぼ間違いないのだから。もしも月に攻め入った自分たちが全滅すればどうなるか、残るのは里に残った鷹派幹部のみなのだから想像は容易につく。あれに鬼を打ち破るような力はない。
やはり、天狗が鬼を打倒そうなど烏滸がましかったのだ。
「はっ……」
先程まで眉間にしわを寄せていた大天狗は急に俯くと、低く笑った。
「大天狗殿……?」
部下たちも彼の様子を心配そうに見つめている。すると彼は憑き物が落ちたかのように清々しい顔で言った。
「元より我らが先代を救わず、鷹派に恭順することを選んだ時点で碌な死に方をしないと決まっていたのだ。これもきっと因果応報というやつなのだろうよ……」
その場にいた者達は皆、沈黙した。
「皆、ここを死地と心得よ。かくなる上は天狗の誇りをもってして月の民と戦うのみ。よいな?」
もう天狗の掟にがんじがらめになるつもりは、大天狗にはなかった。
彼の、真の戦が始まる——。