それでも彼女は美しかった   作:ふぇるみ

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月の章:消失

 “ツクヨミ”。

 伝承では月の民がまだ地上に住んでいた頃、人々が暮らす都市の統治者として広く慕われたという。しかし彼女について記述された書物は少なく、謎の多い人物であると言える、

 元々月に関する書物が少ないため当然のことだともいえるが、歴史書とは得てして、時の権力者や、何らかの功績を築いた者についての事柄が残るものだ。まして地上から月へ移住を成し遂げたツクヨミともなれば、その時の記録を残しておかないはずがなく、疑問を覚えない方が不思議なくらいである。

 時間をかけて分かったのは、彼女が星を読み天候や未来の事象を占うことができたことと、血の繋がりのない二人の娘を育てたということの二点のみ。

 それも、月の民だと思われる他数人についての情報は得ることができたにも関わらず、である。

 

 明らかに情報量が少なすぎる。

 月の民との接触から記された書物はいくらか地上に現存するが、それは長い時をかけて少しずつ書き加えられてきたものだ。竹取物語も然り、細やかに記載されている。

 ここまでくると、月の民が“ツクヨミ”についての情報を隠そうとしているのではないかとも考えられた。

 閑話休題。

 

「繋がったわね」

 

 スキマを開いた先に広がる月の海。私だけは本来転送されるべきところに転送されるよう、細工を仕掛けた。

 天狗を含めた他の妖怪達は、スキマを複数経由して月の都の前に広がる平野に転送している。転送の際の複数経由により、こちらが初めにどこにスキマを開いたか、気づかれないようにした。

 月の民達からすれば、突如として目の前に妖怪達が現れたように映ったことだろう。とはいえ、これだけ手を打ったとしても月の賢者たちに察知される危険は残されているため、まだ油断はできない。

 雨風を越え、荒波を越え、そして私は何時ものように境界をも越えて、月の都へと足を踏み入れた。

 

「着いた、か……」

 

 幸い、私が月の都に侵入したことは誰にも気づかれてはいない。周囲は閑散としている。

 その静けさに惑わされぬようゆっくり息を吐き、辺りを見回した。

 

 白く、シミ一つない壁に吸い込まれると見間違うほど真っ黒な屋根。その一つ一つに細やかな装飾の施しや立派な門が備えられており、それが立て並ぶ様は見事としか言いようがなかった。また、その建物の建築様式はあらゆる国の技術、文化が混ざっているようにも感じられ、特に大陸の文化に通ずる部分が多いように思われた。

 言うならば、それぞれの文化の長所を上手く組み合わせて昇華させたような風貌である。それが視界一杯に広がるのだから、地上で例えるなら海の向こうの大陸の都に匹敵するほどの規模ではあるが、決定的な違いがある。それは全ての建物が一様に無機質な素材で構成されており綻びが一切ないことだ。

 

 美しくも味を感じさせない都とは、なんとちぐはぐなことだろうか。

 まるで時という概念が欠落しているかのような、言ってしまえば趣が感じられない、生命が存在しているとは信じられない風景である。

 

「(とはいえ、ゆっくり見ている暇はないし。先を急ぎましょうか)」

 

 じっくりと見てみたいという願望もあるが悠長している暇はない。外で行われている衝突がいつまで続くのかまでは分からないからである。

 まさかあの数ですぐに片が付くとは考えにくいが、空から捜索するわけにもいかない以上、急いておくことに損はないだろう。

 

 空から飛んでいくといった方法は見張りに見つかってしまう可能性が高いため採用できないが、幸いにして外で行われている衝突に人員が割かれているので都の内部自体の警備は薄くなっているようだ。

 例えば今いるところから壁を隔てた屋敷の門の前には二人の門番しかいない。周囲を巡回する兵士も見受けられないし、屋敷の規模を考えれば十分潜入可能だと言える。

 

「(ん?)」

 

 ふと、耳を澄ませば壁の向こう側から月の兵士と思われる者達の話し声が聞こえた。小さく聞き取りづらいものの言語が地上のそれと同じものであったため、ある程度理解することができる。

 

「——が騒がしいようだな」

「ああ。——様が迎え撃つとのことだから、そう時間はかかるまい」

「ほう、ならばこの都の中に侵入されることなど万が一にもないだろうな」

「ああ」

「それにしても、——様が追放され、——様諸共行方が分からなくなってからそれほど経ってもおらんのに、今度は地上の妖怪どもが攻め入って来るとは。間が悪いことこの上ない」

「文句なら上の方にでも言ってくれ」

「はっ、そんなこと言ってしまえば俺の首は永遠に胴体とおさらばするだろうよ」

「違いない」

「おお、怖い、怖い」

 

 何とも緊張感のない会話。

 それはそのまま警備が甘くなっていることを示していた。

 

「(上手くやってくれているようね。さて、そろそろ本格的に探索を始めましょうか……)」

 

 そこで私はその場を静かに離れ、探索を開始した。

 

「(これだけ広ければ、警備の穴もそう少なくないわ)」

 

 これまで、月に侵入するような輩がいなかったこともあるのだろう。

 地上の都に入り込む方がもっと困難だとすら感じた。

 それからは見張りの人数や立地、屋敷の大きさなどから大体の重要度を予想し、“穢れ”で存在を認知されぬよう、私は細心の注意を払いながら屋敷を潜入して回った。

 しかし効率良く探索できたものの、目ぼしい書物は見つからない。

 

「(おかしい。月の都の中でさえこれほどまでにツクヨミの痕跡が消されているなんて……。まるで彼女そのものがいなかったような扱いを受けているわ)」

 

 私は違和感を覚えざるを得なかった。

 地上にあった伝承では確かにツクヨミの存在は記されていた。しかし、月における始まりであったはずの彼女の痕跡が、あろうことか月で消えているという点にどうも納得がいかない。

 月の都を治めたほどの者が人々の記憶から消え去るようなことがありえようか? ましてやここは月。寿命など既に捨てたような者達が暮らす地である。

 

 それでは、ツクヨミとは一体何者なのか。

 

 自分自身のこと然り、母のこと然り。答えのある所のすぐそこまで近づいている気はするのだが、最後の一押しが足りていない気がする。

 捜索を終えて館から立ち去ろうとしたとき、館の門番が相方に向かって言った。

 

「そういえば、ツクヨミ様は今回の襲撃の件についてどうお考えになっていらっしゃるのかねえ」

「さあ、我々にはきっと想像することさえ烏滸がましいのだろうさ」

「(っ!!)」

 

 私は『ツクヨミ』という言葉を、ようやく耳にした。

 どうやら彼女は、確かに存在しているらしい。少しほっとした。

 

「——だが、そろそろ地上の不浄なる者達に罰を与える日も近いのではないか? あのお二人を探すついでにやってしまってもおかしくない」

「おお、そうか。すると——」

「(地上に攻撃を仕掛ける……?)」

 

 しかし続く会話は不穏な内容だ。

 月の民が地上への干渉に踏み切るということなのだろうか。いや、少なくとも月の賢者たちがそのような選択をするとは思えない。彼らはもっと慎重にことを進めるはずだ。

 

「綿——様がご出陣なされるということか?」

「そうなるかもな」

 

 それにどこか、伝承から形作ったツクヨミの印象とは異なっている。

 なぜなら彼女は一貫して地上への不干渉を宣言していたからだ。伝承が全て正しいとは思えないが、これまでの月の民達の行動からある程度信頼できる。あの竹取物語ですら、歯向かった者達のみを殺していたのだから。

 それが今になってなぜ……? 

 

「(これは確かめる必要があるわね)」

 

 きわめて重要な情報だ。地上への侵攻を提言する者がいるなど、想像すらしていなかったのだから。地上へ戻ったら、何らかの対策を講じるべきかもしれない。

 

 それはともかくとして、今の目的を優先しよう。

 幸いにして彼女の存在を確かめることはできた。それに、“ツクヨミ”と呼ばれる存在がいるとされている館の場所も大体つかめた。この月の都の中でも一際大きな屋敷が中央だ。ただ、そこに配備されている兵士の数は他とは異なっていた。それも見るからに精鋭ぞろいであったから、潜入は容易ではないだろう。

 スキマを開き、館の近くまで移動しようとしたときだった。

 

「侵入者だっ!!」

 

 背後から兵士の大声が聞こえた。

 咄嗟に建物の裏に身を隠し、不可視の術を身に施してからじっと息を潜めて辺りの様子を窺う。

 運よく私の懸念は外れ、忙しない足音が迫ってくるとそのまま通り過ぎていったが、安堵する暇もなく、再び不穏な言葉が耳に入った。

 

「鬼だっ! 鬼が都に侵入してきたぞっ!!」

「他の有象無象とは違う! 確実に仕留めろっ!!」

「くそ、どうやって入り込んできた!? 外では我らが終始優勢だったはずではないのか!?」

「走れっ! あの方向は——様の屋敷だっ!!」

 

 まさか、萃香がばれてしまったのだろうか? 

 そもそも彼女は外で戦況を観察してもらう手筈だったはずだ。いくら喧嘩好きで祭り好きな彼女といえども、今回ばかりは自分から与えられた役割を捨てて勝手に行動したりはしないだろう。それに、もしも彼女が訳あって都に侵入したとしても、霧になって姿を消すことができる彼女をどうやって見つけるというのか。

 穢れから居場所を掴むにしても天狗が率いる妖怪達の群れがいる以上、特定するまでにはいかないはずである。

 そうすると、月の民には妖怪の居場所を掴む何らかの能力、もしくは兵器があったと考えるのが妥当。

 警戒をさらに引き上げる必要がありそうである。

 現状、彼女を咎めることはできない。

 

「(困ったわね。萃香がそう簡単には負けることはないでしょうけど、なおさらに場所を早く掴まなければいけなくなったわ)」

 

 不幸中の幸いと言うべきか、残った月の兵士達の警戒が強まったもののさらに人員が少なくなったので今なら侵入は容易だ。

 能力を最大限に活用し、館の中へと足を踏み入れる。

 ここまで侵入した感想だが、月という勢力も一枚岩ではないということだろうか? 館の中は忙しなく人の行き来があるものの、一貫性がなく派閥の存在を感じた。そのため精鋭ぞろいであろうと、警備の連携が疎かで、忍び込むのは難しくない。

 しかし、厄介な能力者と鉢合わせにならずに済んだことについてはただ運が良かったと言えるだろう。

 

「(これだけ広大だと、一つ一つ部屋を当たるのは面倒ね。それほど時間も掛けられないというのに……)」

 

 萃香のこともある。焦る気持ちを抑えながら慎重に潜入を続けた。

 

「(調度品と見たこともない機械ばっかり。それらしい部屋は今のところないわねぇ)」

 

 入り組んだ通路をあちらへこちらへ、そして無数ともいえる部屋を渡り歩く。珍しいものは行く先々で見つかるのだが目当てのものはまたしても見つからない。

 そうこうしている内に、地下まで探して残すところあと一つまできた。

 何の変哲もない、ただの小部屋である。

 

 ——こっちよ。

 

 三日前に計画の確認をしたとき以来。

 

「(まただわ……)」

 

 声が聞こえた。時折、聞こえてくる私にそっくりな声。

 

「(……あの日からずっと、貴方は私の中にいる。消えたと思えばまた聞こえるようになって、私を惑わすの)」

 

 はじめは気味が悪くて仕方なかったが、最近は気に止めなくなっていた私の中の“何か”。

 それはこれまで脈絡もなく不可解な言葉を残しており、自然に気に止めないようにしてきた。何を意味しているのかも分からない、誰に話しかけているのかも分からないような声にいちいち反応してはいられなかったからだ。

 

 しかし、今日はどうであろうか。

 いつも抑揚がなく感情の一切が読み取れなかったのに、声は何か待ちきれないような様子であった。

 

「(まったく。本当に、いつもいつも分からないことばかり。少しは賢くなったつもりだったけど、案外そうでもないみたい)」

 

 そう、心の中で私は自嘲した。

 仕方あるまい。

 

「はあ……」

 

 ここは“声”に従ってみることにしよう、そう考えるに至った私は扉を開き、部屋の中へと踏み入った。

 

「やっぱりね……」

 

 半分、分かり切っていたことだが、中は他の部屋とあまり代わり映えのない。整った調度品や棚が並んでいるだけだ。

 

 ——そこの戸棚の裏に手を触れて……。

 

 視線の先の戸棚。

 これも本当に平凡で、特に力を感じるものではない。

 

「……これ、かしら。でも、何もないみたい……」

 

 また、裏の隙間に手を入れてみても特に装置らしいものはなかった。

 やはり声は出鱈目だったのかと、落胆を隠せず溜息をつこうというそのときだった。

 

「——えっ」

 

 私は戸棚そのものに吸い込まれた。否、戸棚は私の体を飲み込んだ。

 身体が宙に浮遊するような、スキマで転移するときとはまた異なった感覚であり、視界も何も見えなくなってしまった。

 

「なんなのよ、もう……」

 

 暗闇からようやく抜け出すといつの間にか、周囲の景色が様変わりしていた。あれはスキマと同じ、一種の転移のようなものだったのだろうか。すると戸棚の後ろにあったのはそのスイッチであったに違いない。

 しかし。

 

「強制転移をあれほど短時間でかつ副作用もなく行うなんて、不可能ではなかったのかしら……?」

 

 空間の狭間を永久に彷徨うことになるか、身体が木端微塵になってもおかしくはなかったはずだ。不意打ちとはいえ無事でよかった安堵しつつも、月の技術の一端を見た私は背筋が凍るような思いをした。

 それはともかく、声に従った結果自分でもよく分からない場所に転送されてしまったわけで、少し困った状況にある。

 そもそも目の前にある、この古くて真っ黒な扉は一体何なのだろうか。

 周囲が暗くて一見すると判別がつかないが、確かに扉らしいものがあるのだ。重々しい雰囲気を漂わせているが、はたして開けるべきか、開けないべきか。先程、声の言う通りにしたら不意打ちで転移させられてしまったので余計に警戒してしまう。

 

 ——ここよ。

 

 と、考えているうちに再び声が私の頭の中に響く。

 どうやらこの先に私の探すものがあると言っているようだ。先程の戸棚の件といい、確かに声は私をここまで導いてくれた。

 しかし、私は無性に開けたくなかった。この先に進むことが怖いような、恐ろしいような。きっと警鐘を鳴らしているのだ。『引き返せ』、『その扉を開けるな』と。

 

「(恐れている? この私が……?)」

 

 恐怖、とはこんな感情であったか。

 それとも——。

 

「あれ……?」

 

 おかしい……。

 

「どう、して……?」

 

 一歩、また一歩と確かな歩みで、私の意志に反して体は前に進もうとする。

 

「そんな…………?」

 

 行ってはならない。行ってはならないはずなのに、私は扉に手を掛けてしまった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「うひゃあ、これはまた一方的だねぇ」

 

 月の民ってのは容赦ないなあ。

 手に持っている複雑な形をしたよくわからない鉄の棒の先を向けたら、妖怪が十も二十も一気にバラバラになっちまっているよ。

 あそこまで圧倒的ならそう時間は残されていないみたい。まあ、アイツが失敗したところで私がどうこうなるってわけでもないし、あまり気にしちゃいないんだけど、手を貸すっていうのに失敗されるのも何かね。

 

 う~ん……むぅ……むむぅ……。

 

 そんなこんなで私は悶々としつつ、そして妖力を隠しつつ霧になって戦場を眺めていた。

 一応分身が白玉楼にいるから幽々子に今どんな状況なのかを伝えている。向こうの私がさっきの鉄の棒の話をしたら『まあ、怖いわぁ』なんて言いながら大福食べてやがった。

 本当に、お前さんは暢気だねぇ。ちょっと一つ私にもおくれよ。

 え? くれないの? 

 いいじゃん、一つぐらい。私だって今回は表立って動けないんだ。

 とはいえ、誰かが戦っていたり、面白い反応しているところを見るのは嫌いじゃないからそれほど暇してるわけじゃないんだけどねぇ。

 

「おっと、流れ弾が」

 

 飛んできた物体を試しに掴んでみたら、何かの金属でできた丸い弾だった。へえ、こんなのを飛ばしてきてるんだ。

 持ってると何か嫌な感じがするからきっとこれには退魔の術式でも施されるんだろう。こんなにちっこい弾を沢山飛ばせば、そりゃあ並みの妖怪じゃバラバラになるわけだよ。

 それに、少し離れたところに立ってる私のとこまで届くなんてなかなか便利じゃないか。月の連中も面白いこと考えるなぁ。

 

「おっ、天狗が遂に動いたみたいだ」

 

 天狗どもがいる本陣がいよいよもって騒がしくなった。

 陣をたたんでるところからして、一度退くみたい。あれだけやられているし、率いているのが大天狗なら当然かな。

 劣勢で引き際ってのを心得ている辺り無能じゃない。あれは確か、前の天魔の時からいた奴で私達とも一度やり合ったことがあった。

 まさかアイツも鷹派になびくなんて。その時のことを覚えているだけにちょっと残念な気もするな。なかなか天狗にしては見所がある奴だったのに。

 

「それにしても……」

 

 いや、分かってる。分かってはいるんだけどさ。私は鬼だから、

 

「あぁ~、混ざりたいねぇ」

 

 派手な喧嘩に混ざりたかった。

 数千の妖怪とそれを迎え撃つ月の民。妖怪達の目はどいつもこいつもギラギラと血走っているし、月の連中の目はどこまでも冷たい。それらが皆入り混じっている様は、なかなか圧巻さ。見ているだけの私ですら血が湧きだってくるような——。

 ここで混ざりたくならなかったら、そいつは鬼とは言えないだろう。

 まあ、癪だけど紫の計画とやらに手を貸すと一度決めた以上、それを破って勝手に行動するわけにもいかないし。アイツにもきつく言われているから今回は我慢我慢。

 

「ん?」

 

 目を凝らすと、さっきまで退く様子だったはずの天狗達が、月の連中めがけて突っ込んでるのが見えた。さっきまでとは真逆のことをしてるね。

 でも少し考えればそれもそうかとすぐに納得した。

 

「まったくアイツは、手を下すのが早い。大天狗が撤退を命じようとした直前に自害に見せかけて式を外すなんて……」

 

 本当に、そういうところは抜け目がないよ。ていうか潜入しながらそちらにも気を回すなんて、アイツの頭の中は一体どうなってるんだろうね。頭の中に小人を何人か飼ってるんだろうか? 

 向こうの私がそんなことを呟いたら幽々子が言った。

 

『色々どじをやらかす“割と困ったちゃん”だけど、やるときはやるの。それがまた危なっかしいというか、私は時々不安になるわ』

 

 褒めてるか、貶してるのか分からない。けれど幽々子はいつもと変わらない笑顔だ。

 アンタ、結構苦労してるんだね。

 

『うふふ』

 

 うん。本当に、いい笑顔だ。

 ……おっと寒気が。

 

『それで、紫は無事に都に入り込めているの?』

 

 さあ、でも都の方が静かな辺り、ばれてはいないんじゃない? 

 

『そう……』

 

 一転して、幽々子の顔は曇った。というか、今日はずっとこの調子だ。ちょいちょい紫の様子を私に聞いて、その度に心配そうな顔をしてる。『そんなに心配ならついていけばよかったのに。いいじゃん今からでも行っちまえよ』と、私は言ったんだけど、『紫を信じる』って聞かないんだよねぇ。

 白玉楼にいる私の分身は今、縁側で肘をつきながら寝そべって酒を煽ってる。その隣に座る幽々子はぼんやりとしているようで、しかしどこか落ち着かない様子だ。こんな幽々子は初めて見るね。

 きっと私にとってあの娘が大切なように、幽々子にとってアイツはそれだけ大切なんだろうな。

 私だって無茶をされたら心配の一つはするかもしれない。

 だから言ってやった。

『アンタがいくらそこで心配したってさ、アイツには届かない。だってそうだろう? 思っていることが離れたところから、そっくりそのまま相手に伝わるとは限らないんだから』と。

 これから行動していけばいいのさ。すくなくとも、私だったらそうするね。

 少し考えた幽々子は私の意図を察したらしい。

 

『……うん。ありがとう、萃香』

 

 私の方を向いて、微笑んだ。

 少しだけ、説教臭くなっちまったかね。

 とはいえまさかこの私が他人に説教することになるとは。

 これも博麗の奴に毒されちゃっているからなのか、私も変わったもんだなぁ。想像の中で、博麗がにっこりと笑っているのがありありと思い浮かべることができた。

 刹那、

 

「んあ……?」

 

 幽々子との会話の方に集中していた私だったが、すぐに意識を戻した。

 

「何だ……アイツ……?」

 

 月の連中から一人、こっそり都に戻ろうとしている奴がいる。仲間は必死に戦っているのにどうしてアイツだけ……? 

 不審な動きを見せるソイツをしばらく目で追っていたけれど、その内に門の中に入ってしまって見えなくなってしまった。

 どうにも嫌な予感がした。

 

「追ってみるか……」

 

 一応、確認は必要だ。

 

「不審な奴を見かけた。どうやら都の方へ行くみたいだ。追ってみるが、いいかい?」

『ええ。萃香、お願いできるかしら。聞いた限り、その月の兵士は明らかにおかしいわ』

「やっぱりアンタもそう思うかい、幽々子」

 

 承諾を受けた私はすぐさま霧になって門を乗り越えた。

 私は疎を操れば霧になれる。当然妖気も分散するから広がってしまえば気づかれることはない。事実今まで気づかれなかったし、これからもそうだと思っていた。

 門を越えれば丁度遠くで一番大きな屋敷に入ろうとするのが見えて——。

 

「っ!!?」

「く、曲者だっ!!」

 

 霧である私の体を弾丸が貫く。

 なぜかばれちまった。

 かなり距離があったから大丈夫だろうって高を括ってたけど、どうやら勘のいい奴がいたようだね。

 いや、まさかさっきの奴が? 

 考える余裕を与えてくれるわけでもないし、これは後にでもしておこう。

 

「霧に紛れているぞ!!」

「くそ、まさか侵入してくるとはっ!」

「関係ない、叩き潰せっ!!」

 

 それにしても、随分と殺気立っているね。

 威勢がいいじゃないか。そういうのは嫌いじゃない。

 

「……さて、潜んでたことに気づかれてしまったわけだけどまあ、これは不可抗力だ。そうだよね、幽々子?」

『萃香……、貴方まさか』

「ああ。さっきの奴だけど、追うのは少し厳しくなった」

『どうにもできない、かしら?』

「侵入者だ!」

「妖怪が都に侵入してきたぞっ!」

 

 集まって来る足音。それに防具や武具が擦れてガチャガチャと音を立て、にわかに騒がしくなってきた。明らかに数人規模じゃあ、ないだろう。

 

「どうにもできないわけじゃない。しかし仕方ないねぇ、うん、これはもう、仕方ない。こいつらを全員叩きのめしたら、アイツを追うことにするよ」

『やっぱりね……。はぁ、もう萃香ったら……』

 

 幽々子の溜息を無視しつつ、いけないとは思っていても頬が自然と緩んでしまう。

 一度存在を知られてしまった以上、私がこのまま逃げたところで意味はない。だったらここでひと暴れした方が連中の注意を引くことができるし私も満足だ。アイツにはどやされるかもしれないが知ったことか。ばれちゃったんだからしょうがないだろう。

 今回は自重? 

 前言撤回だ。

 やっぱり私は、

 

「ははははははっ!! いいねぇっ!! かかってきなぁっ!!!」

 

 喧嘩がめっぽう好きらしい。

 

「ふんっ」

 

 手始めに地面に向けて拳を突き刺す。

 その衝撃で隆起した地面が盾となり、飛んでくる無数の弾を弾き飛ばした。それでも何発かは貰っちゃったけど、この程度じゃ鬼の体は破れないよ。私の体に傷をつけたきゃこんなもんじゃ全然足りない。

 

「ほらほら、私の体はピンピンしているよっ!」

「くそっ、他の有象無象とは違う!」

「応援を呼べっ!!」

 

 奴らは効かなかったことに驚いてるみたい。

 まったく、舐めてもらっちゃ困るね。

 しかし奴らは鬼ってのを知らないのか、それとも大昔には鬼がいなかったのかね? 

 もしそうだっていうなら、教えてやろう。

 

 ——鬼の恐ろしさってやつをさ。

 

 

 

 ******

 

 

 

 暗い、ここが月とは考えられないような、光の届かない空間。

 

 低い音を立てて、扉が重々しく開く。

 それとほぼ同時に私の心の臓が激しく鼓動する。それは息が辛く感じるほどだった。それでも足を止めなかったのは、きっと私の中の“何か”が立ち止まり引き返すことを許さなかったからだと思う。

 

 ——やっと、辿り着けた……。

 

 感極まったような声色の“何か”はそう呟いた。

 そこは小さな暗い部屋。

 壁が僅かに蒼く発光しているようで中の様子を見渡すことはできる。

 まず目に留まったのは無数の手紙だった。

 

「……手紙……こんなにたくさん……」

 

 きっちりと重ねられたそれらは腰の位置まで届こうかという高さであった。

 私は恐る恐る積み重ねられた手紙の一つ手に取り、開いた。

 

「これは……?」

 

 

 拝啓——へ。

 

 貴方がいなくなってから、もう——年が過ぎました。早いものですね——

 その間に世の中は大分変わりましたよ。それはもう、想像もできないほどに。

 きっと貴方もびっくりすることでしょう。

 そうそう、私は元気です。この前は初めて空を飛びました。

 スゴイでしょう? 空中でふわぁってなるの、ちょっと癖になりそうでした。

 貴方にも見せてあげたかったなあ。

 ねえ、貴方は一体どこにいるの? 

 探しても探しても探しても探しても探しても——

 貴方は見つからない。見つけられない。思い浮かんだ試みが失敗するたびに何度も心が折れそうになった。

 夜が来るのが怖いよ。夜が来て、明けてしまえば貴方のことをまた忘れそうになってしまうような気がして。そしてそんな弱気な自分が嫌になって。

 ああ、——。

 会いたい。

 貴方にただ、会いたいよ。私の——。

 

 

 手紙を持つ手が、震えた。

 私の視界には二つの帽子。

 一つは紅いリボンが施された、白い帽子。

 

 そして、

 

 白いリボンが施された、黒い帽子。

 

 ああ、

 

 これは彼女の、

 

 ——の帽子だ。

 

 頭の中を電流が流れていくような感覚と共に、私は記憶を取り戻した。

 

「『待っているわ。貴方が私を見つけてくれるまで……』」

 

 自然と口にした、あの日、彼女に贈った最後の言葉。

 

『——、……行かないで……』

 

 思い出した、あの日聞いた彼女の最後の言葉。

 

 ——私はずっと信じていた。

 

 そうだ。私はずっと、信じていたんだ。

 

 ——きっと彼女が迎えに来てくれるって。でも、

 

 待たせていたのは、私だった。

 

 ——待っていてくれたのに。私は結局間に合わなかった。

 

 その通りだ。もう取り返しはつかない。なぜなら、

 

 ——彼女は既に、逝ってしまった。

 

「そうか……」

 

 ——私がこの世界に来た時には、

 

 遅かったのか、全部。

 

 ——ここまでお疲れ様、私。

 

「ふふ、ははは……」

 

 不思議と笑いが込み上げてきた。

 急に真実を知らされても、現実味がない。

 ごめんね。幽々子、妖忌、茜、萃香。

 

「そうか、この世界では」

 

 紛れもなく、私は——。

 

「私の方が異物だったのか……」

 

 この世界に、私の居場所なんて元からなかったみたい。

 なんて情けないんだろう。

 なんて愚かなんだろう。

 そして、なんて滑稽なことだったのだろう。

 

「お母さんは間違っていた。私が生まれたときに入り込んだ“何か”は私そのものだ」

 

 分かってしまえば何ということもなかった。

 

「私という人格そのものが、ただの“器”にすぎなかったんだ……」

 

 馬鹿みたいよね。

 自分を探した末に、辿り着いた答えがこんな結末だなんて。

 途端に、意識が遠のいてきた。これが“死”なのか、それとも“生”なのか。それすらも、今の私には判別がつかなかった。

 これからも私は私であり続ける。それは揺るがない。

 それでもきっと、この“自我”は取り込まれなくなってしまうのだろう。

 

「さよなら、私——」

 

 ごめんね、ありがとう。

 

「さよなら……わ、た……し————」

 

 

 ***

 

『ようこそ、————へ。メンバーは今のところ私と貴方だけよ』

 

『私は——。これからよろしくね!!』

 

『——、私ね、実はこの世界の仕組みが分かるんだ……って、その顔は信じてないなっ!? いいもんその内にびっくりさせてやるんだからっ』

 

『——、ごめん。また遅刻しちゃった……。わ、悪いとは思ってるよ!?』

 

『——、貴方の能力って本当に不便よね。使いどころが難しすぎない? ……え? 私の方が不便? …………いやいやそれはないでしょう?』

 

『——、これってとっても不思議じゃない? ふふ、やっぱり。ねえ、今から調べに行きましょうよっ!』

 

『——、今度の旅行は宇宙にでも行こうか? …………なによ……て、照れてないっ! 照れてないってばぁっっ!?』

 

『——、ずっと一緒だよ。貴方が遠くに行ってしまわないよう、私が離さないから』

 

『——、……行かないで……』

 

 ***

 

 

 少女は手紙を閉じた。

 そして、赤いリボンが施された白い帽子を被り、目尻の涙を拭った。

 

「月面旅行、か……。それもまた、いいかもしれないわね」

 

 彼女は儚く笑い、

 

「ねえ、——」

 

 その場を去った。

 

 

 

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