それでも彼女は美しかった   作:ふぇるみ

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人の章:博麗として

 私は気がついていた。

 あの日から皆の“在り方”が大きく変わっていったことを。

 茜ちゃんに、妖忌さん。幽々子ちゃんと紫ちゃん。そして、萃香お姉ちゃんと私自身も、例外じゃない。きっと誰もがはじめは『変だな』って思っていたはずなのに、だんだん忘れていってしまっている。

 少し不自然だと思う。

 気になって調べているけれど、原因はよく分かっていない。

 かくいう私自身も、気を抜くと頭から抜けていきそうになっちゃう。気をつけているつもりなんだけどね。

 

 ——年代不明 初代博麗の巫女の手記より抜粋

 

 

 

 ******

 

 

 

【長月 二日】

 

 

 里の皆が帰った後、私は茜ちゃんの使い魔の鴉から、密書を受け取った。その内容は、妖怪の山の動向についてのものだった。

 開幕初戦で人間の戦意を徹底的に奪い、戦を長引かせないためにもそのまま停戦交渉に持ち込むらしい。現在、覚り妖怪にその交渉役を頼んでいるみたい。そして、紫ちゃんが鬼の暴走を抑止すると書かれていた。

 

 よかった……。

 茜ちゃんは色々と残念なように見えて、実は仕事をきっちり果たす娘なの。傍にはしっかり者の大天狗さんもいることだし、きっと向こうは大丈夫でしょう。

 だからこそとも言えるかな。私がやらなくてはいけないことは、はっきりとしてくる。

 

『人里を少しでも戦から遠ざけ、まずは飢饉の問題に取り掛かること』

 

 今日の朝早くに用あって山を越えた隣の里上空を飛んでいたとき、幾多の槍や刀が運ばれている様子を見かけた。痩せこけた里の人達が武器を手に取り、着々と戦の準備を整えているのを見た私は、言葉を失った。聞いただけと実際に目にするとでは全く違う、人間の強い憎しみと怒りを感じた。

 自然を恨むことなんてできない。だからこそ、妖怪が飢饉を引き起こしたなんて噂が流れれば、すぐさま憎悪は広まっていっちゃうんだ。

 

 それに飢饉からはそう簡単に抜け出せるものじゃない。正直、今回の雨乞いだけで、飢饉から完全に脱することができるかも怪しい。

 

 だけど眼下に広がった戦備えの光景を見て、私は強く思った。

 今、やらなくちゃいけないんだ。

 一つでも多くの人里を戦火から遠ざけるには、今、手を打たなくちゃ手遅れになる。

 

 その最初の手段が雨乞い。

 

 巫女としての仕事の中でも、とりわけ自信があるものだった。

 こんなに大規模なのは初めてになるけれど、これまで他の里から頼まれて雨乞いをしたことがある。そのときも一度だって失敗したことはないし、今回も大丈夫だと思う。しっかり準備できれば、絶対に成功するはず。

 

 だから、まずは儀式に使う物を揃えなきゃいけない。

 とは言っても、大体の用具は神社の隣の倉庫に入っているはずだから、さほど準備に時間はかからないのだろうけどね。

 なんたって勘で大抵のものがすぐに見つけられるから。

 ただし一つだけ、奥の方にしまっちゃったのか、なかなか見つからないものがあった。そんなに奥へしまい込んだつもりはなかったんだけどな。

 

「ふぅ~、一休み一休みっと」

 

 倉庫の中で、私は木箱の上に腰かけた。気づいたらかれこれ数刻も倉庫の中を整理し続けている。予定よりも時間がだいぶかかってしまった。

 やっぱり、定期的に片づけはやるべきだったなぁ。色々ほったらかしにしてきたものが積もりに積もって、倉庫の中はごちゃごちゃしてる。もともと私は野宿していたから、こういう整理整頓みたいものに慣れていないんだよ……。

 

 とはいえ、あの娘に『一人で大丈夫!』って見栄を張っちゃったから、今更手伝ってほしとも言えない。難儀なものだよね。昔の私なら多分気にしなかったんだろうけど、私も随分見栄っ張りになったものだと思う。

 

 さすがに休みもせずに片付けるのは大変なので、私は腰に下げていた水筒を手に取った。

 

「んっく……、はぁ~おいし~」

 

 水筒の中身、すぐ近くの井戸から汲んできた水はよく冷えていておいしい。疲れていた体に行き渡って生き返る。……ふふ、不意に初めて会ったときの萃香お姉ちゃんを思い出した。

 

 そうか、もうあれから()()は経っているんだ。

 

 時間が経つのは本当に、はやいはやい。

 少しだけ、懐かしくて。ふとあの頃が恋しくなって寂しい気持ちになる。

 茜ちゃんがドジをしたら、それを妖忌さんが窘めて。私と幽々子ちゃんはそれを眺めていて。

 

 ああ、そうだ。思い出した。私と幽々子ちゃんの隣で、いつも出会い頭に萃香お姉ちゃんと紫ちゃんが喧嘩を始めるものだから、二人でよく成敗していたよね。

 喧嘩するほど仲がいいとはよく言ったもの。なんだかんだ萃香お姉ちゃんと紫ちゃんはお互いを認め合っていたのだと思う。紫ちゃんなんかは特に、自分からちょっかいをかけて楽しんでいたみたいだし。それを『里の男の子が、好きな女の子にちょっかいをかけるのと似てるな』、なんて私は思ってた。ただ、口に出すと無言で紫ちゃんが頬を引っ張ってくるから何も言わなかったけどっ! 

 

「あら。いけない、いけない。このままじゃ日が暮れちゃうわ」

 

 何となく口に出せば、この言いようのない寂しさを紛らわせてくれる気がした。そんな都合のいいこと、あるわけないのに。

 どうにも暗い所にいると無意識のうちに考え事をしちゃうんだ。なんでかな? 

 

「(おおっと、ま~た考え事してる。そろそろ本当に再開しないと)」

 

 重い腰を上げてそろそろ整理を再開しようしたそのとき、私は背後に気配を感じた。

 

「どうかなさいましたか、巫女様?」

「……ああ、戻って来てたんだ」

「はい。ただ今戻りました」

 

 凛とした、鈴の音のような声。あの娘が無事に帰って来たみたいだ。

 振り向くとあの娘が倉庫の扉の隣で、お祓い棒を片手に持って立っていた。しかし、いつもの如く、体中がぼろぼろになっている。折角私がこしらえた巫女服も、擦り切れちゃってるし。丈夫な布地で作っていたんだけどなぁ……裾で隠れているのだろうけど、きっと無茶をして体のあちらこちらに怪我をしてるんだろう。

 いつも精一杯なのは結構なんだけどね、私は心配でしょうがないんだよ? もう、心配するこちらの身にもなってちょうだい。

 萃香お姉ちゃんも、この娘も、そして私の大切な人たちは危なっかしいことに首を突っ込み気味なの。といっても、私自身だって危険に身を投じることがあるものだからあんまり強く言えないんだけどさ。

 

「……それで、どうだった?」

「特にこれといった脅威はありませんでしたが、やはり里の生活が困窮している所為か、妖怪の勢力が増し、徐々に活動範囲を拡大している気がします。早急に手を打たねばなりませんね」

「えっと……、ちょっと待って。これといった脅威はなかったって嘘でしょう? 正直に言ってちょうだいね?」

「……? 巫女様ほどの無茶をしたつもりは毛頭ありませんが?」

 

 ごく自然に、『何言ってるんだ』って返された。心なしか表情も私を見透かしている気がする。……あれ、おかしいな。これじゃあ、私の方がおかしいみたいじゃない? 

 

 い、いや。わ、私だって一応里の皆を守る巫女だもの。簡単に背を向けて逃げるわけにはいかないし、悪さをする妖怪を懲らしめることだって大事な仕事だから精一杯やっている。

 そう! たまたま妖怪に投げ飛ばされて地面にめり込みそうになったり、空中で爆発四散しそうになったりするくらいで、そんなに危険な目にあったりするわけじゃ——。

 

「——ふぅぅ」

「ひぃぁあっ!?」

「お顔が青いようですが、如何なさいましたか? よもや心辺りがないなどという世迷言をおっしゃるわけではありませんよね。巫女様」

「そ、そんなことないよ!? っていうか! びっくりしちゃったじゃない!? 別の方法とかもあったでしょ!?」

「……と、言いますと?」

「肩を叩くとかするでしょ普通っ!?」

 

 耳元に急に息を吹きかけられた。

 生暖かい息だったものだから、耳がひやっとした。

 

「(うわぁ、変な声出ちゃった……は、はずかしい……)」

 

 抗議すべく頬をぺちぺちしても、無表情。

 

「(もぉ、この娘ったら普段は生真面目なのに、こんなときにかぎって茶目っ気を見せるんだからっ。表情が全然変わんないから分かりづらいけど、今、絶対私の反応を楽しんでいるわ、きっと!! だって口の端っこが少しだけひくひく動いているんだもの。絶対そうっ!!)」

 

 ……まあ、感情を少しずつ表現できるようになってくれたみたいで、私も嬉しい。

 

「——巫女様は耳が弱い、と。なるほど敏感なのですね」

 

 いいや。それとこれは話が別だ。

 

「も、もぉ~! 貴方ってばねぇっ」

「あまりにも隙だらけだったので、つい」

「も~、なにを言ってるのよっ!? 確かにちょっとだけ考え事をしていたんだけどさ」

 

 私が危険な目に自分から突き進んでいたこと。確かにちょっとだけ、思い当たる節があった。

 み、認めざるを得ないよね。

 

「やはり、自覚はあったようですね」

「ふぐぅっ……も、もう、だからって耳に息を吹きかけることないじゃない!?」

「あまりモウモウと言っていましたら、牛になってしまいますよ。……いや、すでに牛のような立派なモノをお持ちですが」

「ど、どこ見て言ってるのよ!?」

 

 なんとなく身体を両腕で抱きしめた。

 ——の、私の身体を見る目が怖い。どこか一点を凝視していて、まるで死んだ魚の目のような目をしていた。それに最後の一言は完全に何かしらの皮肉が入っているでしょう? 

 具体的なことは分からないけども、私だってそれぐらい分かるんだよ? 

 

「ふむ……さすがにふざけ過ぎましたかね、これくらいで戯れはやめにしましょう」

「うぅ~、自分からやってきたくせに……」

「申し訳ありません、好奇心には勝てませんでした。この罰は如何様にも受けますので」

「後悔は——」

「していません。断言します」

「……はぁ」

 

 この娘が自分勝手なのはいつものこと。私が三年前にこの娘を拾ってからというもの、少しずつ人格が丸くなったけれどその方向性がちょっとね。

 一体誰の影響を受けたんだろう? 

 

「——こほん……さて本題ですが、巫女様」

 

 なんて思ってたら、急に真剣な顔をする。

 まあ、いちいち気にしていたらいけないよね。この娘ったら、切り替えが早すぎてついて行けないもの。

 

「どうしたの?」

「はい。先程も言いましたように近隣の人里が困窮している中、我々も何か手を打たねばならないと思うのです」

「う、うん」

 

 まさか……。

 気づいている? 

 

「しかし、貴方様はとうの昔に気づかれていらっしゃるはず。このまま放置するなど考えられません。ひょっとして貴方様は、私に何かを隠しておいでではないでしょうか?」

 

 やはり、核心を衝いてきた。

 

「……隠し事ね。うう~ん、まあ、そう、言えなくもないけど。そうね、特別隠そうって思っていたわけではないんだよ」

 

 きっと——は、全部気づいているんだろう。その上で、確認をするために聞いているのだと思う。

 

「——。気づいているとは思うけどね、人里と妖怪の山との間で近々大きな戦が始まるかもしれない。その原因はお察しの通り、最近の水不足による飢饉。このままじゃ人々の不満が爆ぜて大規模な戦になってしまう。だから、雨乞いをしようと思うの。不満と怒りを少しでも取り除いて、すぐそこの里の皆が戦に巻き込まれないように。そして、人間と妖怪の間の争いを防ぐためにも」

「……巫女様はお一人の力をもってして、本当に争いを止められるとお思いで? 里の者達がここへ来る前から、ご存じでいらしたはずです。争いの火種が、ずっと前から芽吹いていたことを」

 

 やっぱり……。

 この娘は特に負の感情に敏感で、すぐに察してしまう。でも、それもそうなのかな。私なんかよりもずっとずっと、この娘は賢いし、勘だって鋭い。よくよく考えてみれば私の周りって皆、賢いひとたちばかりだよね。

 私じゃとても敵わない。

 

「巫女様。我々は、()()の守護者です。妖怪達を守る義理などない。ならば、これも時代の流れでしょう。飢饉に対処し、この機に乗じて里を襲う妖怪どもを打ち倒すべきではありませんか? それこそが博麗の巫女としてのあるべき姿です」

 

 この娘が、人を苦しめる妖怪を強く憎んでいることは分かっているつもり。

 

「巫女として、ね……」

 

 でも、ここで退けない。退けないんだ。

 

「戦争が起きるかもしれない。……いや、“かもしれない”なんて今更言えないわ。貴方の言う通り、戦は必ず起きるよ」

「であるならば、なぜ——」

「——確かに私達は人間の守護者だから、これから始まる戦で人間の味方をすることだって正しい。でも、戦は一日二日で終わるようなものじゃないのよ。長引けば里の皆の生活はもっと厳しくなるし、不幸な人がまた生まれてしまう。結局、妖怪と争ったって苦しむ人が増えていくばかりでしょう」

「……」

 

 私が依頼を受けてはじめて妖怪を退治したとき、後日、その妖怪の仲間が私を襲いに神社へとやって来た。

 結局私は二匹の妖怪を退治することになってしまった。本当は、そんなつもりはなかったのに。対話なんて、する暇もなかった。

 私は、こうして溝が深まっていくんだって思い知った。

 

「私だって、この五年で分かったことがある。学んだことがある。貴方を拾う前までは、何も知らなかった。物心ついた頃からずっと人里遠くに住んでいた私は、人間のことをまったく知らなかった。そして私の理想が夢物語だって何度も思い知らされたわ」

 

 当時、打ちひしがれていた私に萃香お姉ちゃんは言った。

 

『人と妖怪と、そして神を区別しないっていうのは、確かに難しい。だけどアンタには、アンタなりのやり方っていうものがあったじゃないか。ほら、昔私を助けてくれたときみたいにね』

 

 はっとさせられた。

 周囲に流されていく私を、萃香お姉ちゃんは引き留めてくれた。自分の譲れないものを思い出させてくれた。

 

「理想は遠い。それでも私は、私のできることをやりたい。後悔、したくないんだよ」

「巫女様の、その両手で救える者だけ救おうと? たとえ全てを救うことができないのだとしても。それが、今回の雨乞いだと言うのですか?」

「うん。じゃないと、私の中の“前の私”に顔向けできないから。それに——」

 

 約束したんだ。あれを子供だった頃の夢なんかでは終わらせるもんか。

 

「萃香お姉ちゃんとの約束を破りたくはない。ここで諦めたら、私はきっと私自身を許せなくなる」

 

 あの時よりも大人になったからこそ、尚更に諦めちゃダメなんだと思う。捨てちゃいけない大切なものまで失ってしまうから。

 それに、ようやく。ようやく先が見えてきたんだ。

 紫ちゃんの計画が成功すれば、“楽園”だってきっと——。

 

 静かに私の言葉を聞いていた——は、私の目をじっと見つめている。目を逸らすことができないくらいに真剣に。だからこそ、私のことを真摯に考えてくれているんだなって、思った。本人にしか分からないことだけど、私と自分の妖怪に対する憎しみを天秤にかけているのかもしれない。

 真面目で、融通が利かなくて不器用だから勘違いされやすい。それでもこの娘はとっても優しい。本当に、拾ったときから全然変わっていないな。

 

 そんなことを考えていると、——は私に向かって観念したように言った。

 少しだけの安堵と、呆れが混じった声だった。

 

「ここで、あの小鬼の名前が出ますか。……巫女様のおっしゃることはいつも理想が高すぎますよ。まったく、巫女様は本当に情けが深いというか、なんというか。貴方様のお考えは高尚過ぎまして、私のような者には到底理解できませぬ」

「え、えぇ……辛辣ぅ」

 

 訂正、ただただ辛辣だった。

 

「貴方様は自らの甘さをこの五年で理解したとおっしゃいました。しかし、だからと言って理想を不可能だと決めつけず、貴方様はそれを追い求め続けるのでしょう?」

「う、うん」

「これだから、巫女様からは目が離せません。しかし貴方様がそう言うのでしたら、私からはこれ以上、申し上げることはありませんよ。微力ながらお手伝いをさせていただきましょう。この命は元より、貴方様が拾ってくださったものなのですから」

 

 一瞬、ほんの一瞬。

 ——は微笑んだ。

 すぐさま踵を返して——は神社の中へと入っていく。肩にかかるくらいで切り揃えた紺色の髪をなびかせて。

 

 妖怪を憎んでいると言っても、あの娘はこの世の全ての妖怪を憎んでいるとか、そういうわけじゃない。里に食料を運んで来てくれた天狗達や河童、一部の山の妖怪には感謝しているだろうし、出会い頭で問答無用に退治をしようとはしないと思う。今さっきだって、私の我儘とも言える博麗の巫女のこれからの方針に従うと言ってくれた。

 私は心の中であの娘に最大限の感謝をした。

 そして、これから先やらなければならないことを想像し、あの娘にもう一度謝らないといけないと思った。

 

 ふと、視線が倉庫の外へ向く。

 薄暗くなってきた境内に灯りがついていた。

 そして神社の中から、カチャリ、カチャリと食器の音がした。

 そろそろ夕飯時だから、その仕度にでも取り掛かっているのだろう。『あの娘の作るごはんはいつも美味しいんだよなぁ』なんて考えていたそのとき、

 

「ひゃっ!? そ、そういえば朝から何も食べてないや……」

 

 気を抜いたからせいか、急にお腹の虫が鳴いた。

 自分のお腹の虫に驚いたところが誰にも見られなくて良かったなんて思いつつ、ようやく捜索を再開する。

 結局、随分と長い休憩になっちゃった。これは急いで休んだ分を取り戻さないと。

 

 昨年完成させたものの、使い時が分からず倉庫でずっと眠っていた()()()が見つかったのは、辺りが暗くなってから。

 あちこちに引っ張りだした倉庫の中の貯蔵品を元に戻し終わり、いざあの娘のお手伝いをしようとしたときには、すでに夕食の準備が終わっていた。あの娘のジト目が私をちくちくと差すようで、本当に申し訳ない。ごめんね、これからは倉庫もちゃんと片付けるようにするよ……。私は心の中でそう強く誓った。

 わ、忘れないようにしなきゃ……。ほ、ほんとだよ!? 

 

 その後は二人だけの静かな夕食。あの娘が少ない食料で工夫して作ってくれた品々は、全部美味しかった。茹でた野草を和えたお粥は、どうやって強いえぐ味と青臭さを取り除いたのだろうと聞きたくなるほどに優しい味でほのかに甘い。

 もう、私は料理の腕も敵わなくなっちゃったなぁ。萃香お姉ちゃんには後で色々と愚痴を聞いてもらおう。弟子が優秀過ぎて、師匠の私は何も教えることがなくて困っているって。

 また、額を小突かれちゃうかもね。

 

 そんな——は普段、食事中に一言も話さない。しかし、今日は気安く私に話しかけてきた。珍しいことに内容はどれもこれも日常の何気ない話題ばかり。あまり考えられないようなことだった。

 何かあるのかなと思ったけど、最近の私は色々と不安とかが顔に出ていたんだろう。雨乞いを成功させなくちゃって、張りつめ過ぎちゃったんだね。

 心配させた挙句、『私のことは気にせず、巫女様は雨乞いを成功させることだけをお考え下さい』って言われちゃった。嬉しいんだけど本当に、私は師匠失格だなぁ。

 

 もう、この娘は、

 

()()()()()()()()は、

 

 すっかり一人前なんだなって思った。

 

 

 

 ******

 

 

 

【長月 一日】

 

 廊下の床が静かにミシッ、ミシッと音を立てる。けれどそれがけっして重い音でないのはきっと、私の足取りが軽いからだ。

 

「ふーん、ふふーんっ」

 

 私は早くに起きて取り掛かっていた朝食の準備が整い、鼻歌を歌いながら歩いていた。両手には今しがた完成したばかりの膳。紫様にお出しする以上、自分の持ちうる最高のお料理でなければならない。よって毎朝私は、緊張感を持って勤めに向かう必要があるのだ。

 きっと紫様はそういった心構えを私に伝えるために、朝食の支度という勤めを私に与えてくださったに違いない。

 さすがは紫様だ。

 

 昨日は紫様の友人たる射命丸茜様の娘、“文”に振り回され失態を晒してしまった。その失敗を取り戻すためにも、まずは今日の仕事をきっちりとこなす必要がある。だから朝食の準備には、腕によりをかけて作らせていただいた。

 

「ふふーん、ふーん」

 

 紫様の式となってから早数カ月が経過したが、あの方こそ、従者として仕える上で至高の存在だと思っている。お忙しい中、時間を作ってくださり私に修行をつけてくれるほか、“料理”を教えてくれたのも紫様だ。

 さらに、算学を中心として学問を身に着ける上で、私は紫様から自習のために各分野について記された書籍を与えてもらっている。なんとその書籍はどれも紫様が著わしたもので、なんでも“教科書”なる学習書らしい。

 なんと慈悲深い御方だろうか。

 あの方は周囲の者達が思っているような残虐で、冷酷な存在ではない。

 従者である私のことまでもちゃんと見てくださる心の広いお方なのだ。

 

「うふふ……」

 

 あの方が私のことを思ってくださっているのだと考えるだけで体が熱くなり、三本の尻尾が暴れていた。こればかりは、自制しようにも言うことを聞いてくれない。

 まだまだ修行が足りないみたいである。

 ああそれと、今日の朝食はいつにもまして自身のある出来栄えだ。

 

「(え、えへへ。『おいしい』って、ほめてもらっちゃたりして。それでそれで、『藍は本当に良くできる式ね』だなんて——)」

 

 思わず顔がだらしなくなってしまいそうだったので、いけないと思い、口をきっと結んで気を取り直す。

 良くないぞ、私。考え事をして転びでもしたら、洒落にもならないのだから。従者に油断は命とりだ。

 目的地に到着し、襖の前で息を整えた。

 身だしなみ(毛並み)よし。表情よし。お料理よし。ふむ、これで大丈夫。

 

「ゆかりさま、しつれいいたします」

 

 尻尾が引っ掛からないように注意しながら静かに襖を開け、部屋に入る。

 

「ちょうしょくのよういが——って、アレ?」

 

 真っ先に目に入ったのは部屋に飾ってあった、大きな掛け軸。

 しかし、どうしたことか、紫様のお姿が見当たらない。おかしいな、いつもなら本を片手に私を待っていてくださるはずなのに。急ぎ部屋の状況を確認してみると、昨日私が掃除をした後、誰もここへは立ち入っていないことが分かった。紫様の隠れ家を訪れる者はかなり限られているし、身を置いているのは紫様と私の二人だけ。

 侵入者の可能性も低いことから、何か外部から問題が持ち込まれたのではない。

 すると紫様はなぜ……? 

 

「ゆかりさま? ゆかり……さま?」

 

 部屋から出てしばらく辺りを見回しても、紫様はいらっしゃらなかった。『こんなことが……』と少し不安になったが、この程度で動じてしまうようならあの御方の従者失格だ。

 先程下した結論から、私は紫様が自室におられるのではないかと思い、ひとまず声を掛けに向かうことにした。

 

 あの方の部屋へと続く、長い廊下を歩きながら思う。

 もしもまだ御休みになられているのならば無礼のないよう起こさねばならない。今日は確か、午後に鬼の元へ向かう予定となっていたはずだから。

 そして、それ以前に私は、あまり時間をかけるわけにもいかないのだ。せっかく朝食をご用意したのに、このまま冷めてしまってはあの方のお口に運ばせるわけにはいかなくなってしまう。せっかく会心の出来だっただけに、作り直すというのは勿体ない。本音を言えば、私はただ紫様に褒めてもらいたかっただけかもしれないが。

 

 一人考え事をしているうちに、紫様の自室の前にたどりつく。

 滅多に入ったことがない紫様の自室を前にして、私は緊張でがたがただった。

 

「……よし…………!!」

 

 だけどいつまでもそうしているわけにもいかない。

 私は紫様の自室の扉をゆっくりと開けた。

 

()()()()()()()()()()()……」

 

 き、緊張のあまり噛んでしまった。思わず『わああもう情けないはずかしい……!!』と叫びたくなるのを必死に堪える。不敬な行為があってはならないと佇まいを改めて直し、紫様の寝所まで近づいた。

 今は何よりあの方が第一だ。主の部屋の前でしてしまった失態については後で十分に反省すればいい。

 

「ゆかりさま、ちょうしょくのじゅんびがととのいましてございます」

 

 耳が痛くなるような静寂が包む部屋の中で、私の声が虚しく響く。よく耳を澄ましてみたが、それらしい物音は聞こえなかった。この部屋の中にはいないのかもしれない。

 いいや、そもそもここは客間である。いらっしゃらないのも当然か。

 

「え、えっと……」

 

 となれば、寝所に違いない。

 努めて静かに近づき、紫様の再びお姿を探す。

 

「っ!?」

 

 思わず、目を疑った。

 寝台にも紫様はいらっしゃらなかった。それでは紫様は一体何処へ? 

 そんな疑問が生じたのも束の間、私が紫様を見つけるのにはそう時間はかからなかった。寝所の隣に位置する書斎からした物音を、私の耳がようやく捉えたからだ。

 書斎の机の方向から『すぅ、すぅ』という寝息が聞こえた。

 

「はぇっ!?」

 

 慌てて口を手で覆い、声を抑える。

 紫様を見つけた。

 なんと机に突っ伏して眠っていらっしゃった。いつも被っていらっしゃる帽子は机の隅に置かれ、お休みになられている間にお召し物が着崩れたのか、紫様の首筋からうなじにかけて白い肌が露わになっており、なんとも艶めかしい。

 

「(お、おからだにさわりますよ?)」

 

 こ、ここは私が機嫌を損ねぬよう起こさねば……それにしても私は一体、ど、どこに触れたらよいのだろう? 

 えっと、ええっと。

 け、けっしてやましい気持ちなんてない。断じてだぞ。

 

「ゆかりさま、ゆかりさま」

「ん……」

 

 眠たげな声を発して、紫様は身じろいだ。

 しかし起きてはくださらず、しばらくすると再び『すぅ、すぅ』と規則正しい寝息が聞こえてくる。お顔を確認すると、やはり瞼は閉じたままだった。

 だめだ。これ以上強く揺り動かしたら失礼に当たる。

 だけど起こさないと体に障ってしまうし……ど、どうしよう? そうやってわたわたと迷っているうちに、それまで安らかに眠っていらっしゃった紫様が、急に苦悶の表情を浮かべた。何か悪い夢を見ていらっしゃるのだろうか? 

 そして、

 

「……や……」

「え……?」

 

 紫様の口から、寝言が漏れる。

 一瞬、何かの聞き間違いかと思った。

 

「——いや……」

 

 それはあまりにも、普段のお姿からは想像もつかない声色だったのだ。

 

「たす、けて……」

 

 紫様の声はか弱く、震えていた。

 

「蓮子——」

 

 胸がずきりと痛むほどに弱々しく、痛ましい主の姿。あれほど美しく、強かった紫様が口にした弱音が私に与えた衝撃は大きかった。

 出会ったときからずっと、私たちのような並みの妖怪とは次元の違う大妖怪であられると思っていた。誰が相手であろうと一歩も退かず、常に余裕をもって勝利を収める絶対的な存在だと思っていたのだ。私にとって唯一無二の主人だった。

 

 だから。

 だからこそ、この感情の向ける先が間違っていると分かっていても。

 

 私は“蓮子”という者が許せなかった。

 

 紫様はお前に助けを乞うていらっしゃる。

 

 なのに、なぜ。

 

 どうして、お前はここにいないのだ。

 

 紫様にとって、かけがえないのない存在だったのだろう。そんなことは一言聞いた私にだって分かる。あんな弱々しい声を、初めて聞いたからだ。

 

 紫様の目尻から零れた涙が頬を伝って落ち、机に雫となっていた。私はそれを見て確信した。はじめて紫様にお会いしたとき、“寂しそう”などという思いを抱いたのは、決して誤りではなかったのだ。

 

 理由は私などでは到底、想像もつかない。せいぜい先程紫様の口から発せられた“蓮子”という名の人物に関係するというぐらいしか思い浮かばなかった。

 ますます腹が立ったが、ここにいない者に対して私が怒りを覚えたところで、どうにもならない。この際、私の感情などどうでもいいのだ。

 最優先は我が主のことである。

 

 ゆえに、だ。

 ますます私はどうすればよいのか分からなくなってしまった。このまま起こしてしまうべきか、それともお休みになられるよう寝所にお連れすべきか。ただ、放っておいてはならないということだけは分かった。

 今の紫様は目を離してしまえば、儚く溶けていってしまいそうで。少しでも力を加えすぎてしまえばどこかへと消えていってしまうそうなお姿だったのだ。

 ともかく、このようなところでお休みなるべきではないだろう。

 迷っていても仕方がない。

 

「しつれいします」

 

 私は、不敬ながらも紫様のお身体を尻尾と腕で抱え、寝台へとお連れした。机よりかはきっとましだ。とにかく今、紫様は疲れていらっしゃる。幸いにして午後まではまだ時間が十分に残されていることだし、まずはしっかりとお休みをとってもらわねばならない。

 

「よいしょ」

 

 ゆっくり持ち上げると紫様のお身体は、想像以上に軽かった。

 そして、今は普段に比べて心なしかお身体が小さく感じた。存在自体がか細く、不安定な気さえした。

 私の両手に伝わる紫様の体温は冷たく、肌は真っ白で血の気がない。依然として苦しそうなお顔をされているため、急ぎ寝台へとお連れする必要があると判断した私は、歩調を早めた。

 揺らさぬよう寝台へ連れていき、ゆっくりと横にする。

 しかしその場を離れようとした瞬間、視界が真っ暗になった。

 部屋の明かりが消えた? 

 否、私は紫様に抱きしめられていた。

 

「(ああ~、いいにおい……。あたたかい……。だめになりそう……)」

 

 ……。

 ……いいや、まてまてまてっ。そんなことを思っている場合じゃないでしょう!? 

 

「!?!?!?」

 

 冷静になれ、冷静になるんだ、私。

 

「あ、あわわ、わわわわっ!!?」

 

 この状況下で下手に動くと紫様を起こしてしまう。

 けっして粗相があってはならない。だからまず、落ち着くんだ。

 そう、こんなときは素数を数えるんだ。いや、無理数ならばなんでもいい。今なら何桁だって行ける気がする。

 

 …………。

 

 紫様のお召し物がさらに着崩れていた。

 抱きしめられた私の角度からは色々と——。

 ああだめです、紫様。

 藍は、藍はまだ心の準備が——。

 

 そんな馬鹿なことを考えていたら、

 

「はぅあっ!?」

 

 さらに締め付けが強くなった。

 許容量を超える感情の波を前にして私の理性は敗北し、結局私は、抗うこともできずそのまま目を瞑り、紫様に身をゆだねたまま意識を手放した。

 

 

 

 

 なんということだ。

 私は顔から血の気が引いていくのを感じた。

 昨日に引き続き、再び失態を重ねてしまうとは。

 現実逃避に近いが、瞼を閉じてもう一度ゆっくりと開ける。

 映るのは変わることなく広がっている、スキマ。

 急にスキマの中に閉じ込められたというのに、びっくりするくらい冷静だったので、自分でも驚いた。そう、ここは紫様の能力である境界操作によって生み出された空間である。式となってから何度か紫様と一緒に入ったことがあるが、一人で来たのは今回が初めてとなるだろう。

 不安になってきた。

 周囲を見回せば、全方位を無数の目が覆い尽くし、私をじっと見つめている。まるで、ここから逃がさないと言わんばかりに。

 余計に、不安になってきた。

 

「(……ゆかりさまが、わたしを“すきま”にとじこめたということ?)」

 

 恐らくは、無意識のうちに能力を使用し、私を取り込んでしまったのだろう。()()を私に重ねて、逃がさぬようにと。

 おのれ、“蓮子”め。

 憶測でしかないが、可能性としては高いと思う。

 

 まあ、それはいい。

 まずはどうやって脱出したものか。これから先が不安でしょうがないが、幸いにしてまだ冷静さを保てているし、頭もよく働く。

 これで私が自在にスキマを扱うことができたのならば万事解決だったのだが、ことはそう簡単にはいかない。

 情けないことに、私はまだスキマを扱うことができないのだ。そもそも、この世界で紫様以外にスキマを扱えるような存在がいると思えない。式になったからこそ分かる、スキマ本来の性質とも言うべきか。あれは紫様の心そのものなのだ、多分。

 

「(と、とにかく、でぐちをさがしますか……)」

 

 実は、スキマの中には出口が存在する。紫様の心そのものがスキマである以上、外界から完全に切り離されているなんてことはありえないからだ。それに紫様本人が以前に脱出可能とおっしゃっていたのだから間違いない。

 

「(“さけめ”をかんじとる、とおっしゃっていましたが……)」

 

 ただし、その裂け目(出口)を探すことが大変。目印になるようなものがなく、この空間にいると座標の判別がつきにくい。むやみやたらに突き進むだけでは返って自分がいまどこにいるのか余計に分からなくなってしまう。

 もしも満天の星々に囲まれたら、自分が今どこにいるのか分からなくなるのと同じ。

 やっぱり、簡単には抜け出せないようだ。

 

「(う、う~、きぶんがわるい)」

 

 スキマの中では何者からも襲われるわけがないのに、危機感を覚えているのか私の尻尾は逆立ったまま。そもそも、スキマの中にずっといると、気がおかしくなってしまいそうになる。

 想像してみてほしい。

 否応なく無数の視線にずっとずっと晒され続けるというのは、たまらなく恐ろしいだろう。

 

「(ん……、眼が閉じていく……!?)」

 

 これから視線に耐えねばと覚悟を決めていたのに肩透かしを食らった気分だったが、それよりも焦ってしまった。こうして眼が閉じていってしまったら、ただでさえ少ない自分の居場所を知る手段が失われてしまう。

 どうしたものかと惑っている内に虚しくもスキマの中の眼が一つ、また一つと閉じていく。様々な感情を孕んだ眼が次々に閉じていく様は不気味だ。もとよりスキマの中は薄暗かっただけあって、徐々に真っ暗な空間へと変貌していった。

 まさに一寸先は闇。これから先どうなってしまうのか見当もつかない。

 そんな折、

 

「貴方が、ゆかりの式? 急にここへ連れてこられた割にはまだ幾分か、冷静じゃない。あの娘の教育の賜物ね」

「——!?」

 

 背後から声を掛けられた。

 ぞっとするくらい、声が紫様と似ていた。

 

「ああ、そんなに警戒しないで頂戴ね。私は肉体も、果ては魂さえも失った、残滓のようなものだから」

 

 気づけば、私の目の前に立っている。

 容姿が紫様と瓜二つの女性。

 髪は黒く、瞳も黒い。見た限りではただの人間だ。

 ただし、彼女が放つ存在感はまさしく紫様のそれと同一のものだった。

 

「貴方がどこまで知っているのか、それは分からないけれど。あの娘はきっと、何も伝えていないのでしょうね……え~と、何から話せばいいかしら」

「……そのまえに、あなたはいったい、どこのどなたでしょうか? なぜゆかりさまの、すきまのなかに? まずはおきかせいただきたい」

「そうねぇ、私がここにいるのは取り込まれたからというか、自分から彼女と同化したからというか……。それに、私が何者かという問いにしても……どうしましょう?」

「えぇ……どうしましょう? といわれましても」

 

 本来なら警戒するべきなのだろうが、どうにもそういう気になれなかった。まるであの方を前にしているような気持ちになったのだ。それくらい、私の目の前にいる人物と紫様は似ていた。

 

「ああ、そうだ。直接見てきてもらった方が、手っ取り早いわ。あまり、古の神々とは深く関わって欲しくないからね。あれらと関わると、碌なことがないのよ」

 

 最後の方はほとんど彼女の独り言(愚痴)に近かったが、私にははっきりと、“古の神”という言葉が聞こえていた。

 紫様から、少しだけ聞いたことがある。

 

 古の神。

 

 それはこの世に生じた歪を正すために与えられた役目の一つ。あるものはただ安寧を。あるものは変革を。それぞれの目的を持って行動をしている神々のことをそう呼ぶらしい。そして紫様は、こうもおっしゃっていた。

 自分の計画の妨げにもなりうる、と。

 

「地獄と、魔界のやつらは日和見だからともかくとして。特に秘神のやつよ」

 

 地獄、魔界? 秘神? 私には何が何やらさっぱりだった。

 

「まんまとやられたわ。あの日、結界に亀裂を与えたのは——って、やっぱり、予め手を打っていたようね」

「あなたは、いったいどこまで——」

「——ごめんなさいね、時間切れだわ。直に貴方はここのことを忘れてしまうでしょう。今はまだ、少しだけ早かったみたい」

 

 追求しようとしたところで口を人差し指で軽く押さえられる。

 有無を言わせない女性に私は押されているばかりで、何一つ聞き出せない。

 

「——!!」

 

 いいや。彼女は私に何らかの術を施したのだろう。先程から私の口は開かなくなっていた。

 

「次の機会が何時になってしまうか分からないけれど、必ず貴方はここに辿り着くわ。ええ、必ずね」

 

 不意に、女性は私を両手で抱きしめた。そして、耳元で不穏なことを囁く。

 

「それじゃあ、覚悟はいいかしら?」

 

 覚悟? 

 ……は? 

 え、ちょ、まって。

 

「そお~い!!」

「っ~~!?」

 

 いつの間にやら私は身を結界で拘束され、女性にスキマの奥へと放り投げられていた。

 なんと、理不尽な……。

 それでもなんだか憎めず、スキマの中を下へ下へと落ちていきながら女性を見つめる私に、くすりと微笑んで彼女は言った。

 

 

 

 

 

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